かたほうだけのパンプス
敦子



 お墓の前で

お墓に行った。
なかなか行く日が調整できず今頃になってしまった。

墓場は、亡くなった人の骨の置き場で、今を生きる人が訪れる不思議な空間。

夫の祖父と伯父夫婦が納まっている墓は、多くの有名人の墓が見られる。

何度も一緒に墓参りした義母も今は、墓にいる。

♩私はお墓にいません~♩
義母が墓にいるわけではないのだろうけれど、そこに行かねば義母に伝わらないような気がする。

義母も義父も世間に対して体裁を繕うとするタイプの人だった。

義父は、自分というものを持っているように見せていたが、本当は、合わないつじつまを隠すことに懸命だったよう。

義父の生い立ちもありだと思えるのは、私がそういう境遇にないから、その苦しみを察する深い暗さがわからないから。

義父の抱えてきた臭いものに蓋をし続けることは、この世ではまかり通らない。

私が、この世での滞在時間を終えた、すでにいない人の苦悩に寄り添ったところでその人が充たして安堵感を得られるとは思えない。

そうかもしれない。私のイメージのなかの故人に対してあくまで私の理解の納得でしかないのかも。

そんな自問自答を繰り返したところで故人に届くわけではない。


2013年11月05日(火)
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