ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年04月30日(水) 野となれ山となれ

寒からず暑からずで過ごし易い一日であった。

藤の花が散り始めたのかまるで貝殻のようである。

幼い子供なら一枚一枚手のひらに集めたことだろう。


椿は落ちる。馬酔木は枯れる。桜は散り藤も散る。

どんな花にも尽く時がありまた巡ってくる季節を待つ。

それは人にはとうてい叶わない自然界の摂理であった。



朝の道を職場に向かっていると田植えをしている義父の姿を見つける。

軽トラックで苗を運んでいるのは義父の友人であった。

田植えをするとは全く聞いていなかったので少し戸惑う。

今日の仕事の段取りがご破算になってしまいそうだった。

今更止める訳にも行かず諦めるしかないと思っていたのだが

10時過ぎにひょっこりと帰って来てくれてとてもほっとした。

けれども少し休むとまた田んぼへ代掻きに出掛けてしまう。

車検待ちの車があることを大急ぎで伝えるのが精一杯であった。


お昼過ぎには帰って来てくれたが今度はハウスの管理に出掛ける。

苗が枯れないように毎日水遣りをする必要があった。

毎日のことで手間が掛かるのでアルバイトの女性を雇っていたが

実家のお母さんが亡くなられたそうでしばらく休むのだそうだ。

こればかりは仕方なく義父が管理をしなければならなくなった。


3時になっても帰らず4時前になってやっと帰って来てくれる。

車検のことは忘れてはおらず直ぐに取り掛かってくれ大助かりであった。

4時半になり同僚と納車に行き遅くなったことを深く詫びる。

新規のお客さんだったので気が気ではなかったが

気を損ねた様子も見られずむしろ上機嫌であった。


5時前に帰路に就いたがもう買い物をする時間もない。

娘に電話をしたら冷蔵庫にある物で間に合いそうだった。

峠道を下りながら何と慌ただしい一日だったことかと振り返る。


金策は何とかなり大口の支払いも無事に済ますことが出来た。

一時的に借金をしてしまったが直ぐに返済出来るだろう。

とにかく今日のことである。後は野となれ山となれなのだ。

商売には行き当たりばったりもなければならない。

例え落とし穴があろうと進まなければいけない道がある。

急場さえ凌いでいればまた穏やかな谷が見えて来るのではないだろうか。


カレンダーを5月にする。もうさらば4月であった。

母の遺影に手を合わせ「お疲れさま」と手を合わす。


※以下今朝の詩


           晦日

        はるなつあきふゆ
        どれほどの季節を
        乗り越えて来たか

        花は散り尽きた春
        陽が燃え続けた夏
        秋は空が高くなり
        雪が舞う冷たい冬

        晦日は約束を果たし
        新しく契りをむすぶ

        日々があってこそと
        命の行く末を知った

        終らなければ
        始められない

        もう振り向くのはよそう




          



2025年04月29日(火) たったひとりで

雲一つない快晴。気温も暑さに届かず爽やかな一日だった。


朝のうちに買物に出ればホームセンターに人だかりが出来ている。

何事だろうとようく見れば夏野菜の苗を買い求める人達であった。

茄子、胡瓜、トマト、オクラやゴーヤの苗もあるようだった。


姑さんが残してくれた畑があるがもうすっかり荒れ果てている。

夫は野菜作りなど全く関心がなく私の足では耕すことも出来ない。

せめて庭先にプランターを並べてと毎年思うだけのことであった。

好きなのに行動が伴わない。そうして直ぐに諦めてしまうのだ。

夏になればご近所さんが必ず野菜を届けてくれるのだが

自分で作る野菜ならばどれほど楽しみなことだろうか。




「昭和の日」で祝日。昔は昭和天皇の誕生日であった。

火曜日に仕事が休みなのはどうにも手持ち無沙汰でいけない。

休みが嬉しいどころかむしろ苦しいと云っても過言ではないだろう。

おまけに明日はとうとう月末である。仕事の事が頭から離れなかった。

こんな有り様では来月の4連休が怖ろしくなるばかりである。


午前中はなるべく寝ないように心掛けていたが午後は力が尽きていた。

また3時間も寝てしまい怠惰の波に揉まれるばかりである。

とても不思議な夢を見た。隣に誰かが寝ているのだが

その人の指に口づけをし何と口に含んでしまったのだった。

いったい誰だろう。それは夫の指ではないのは確かである。


気恥ずかしさと後ろめたさで目が覚めた。

気のせいではなく胸が高まり熱く燃えているような午後の事である。


70歳が近くなった老いた我が身であるが

もしかしたらまだ「おんな」なのかもしれないと思う。

それは嫌悪にも等しく拭い去りたいような現実であった。

「ああ嫌だ、嫌だ」おんなはもう懲り懲りである。


若い頃には死ぬまで女でいたいと夢のように願っていたが

歳を重ねるごとにそれがどれ程愚かなことかと思い知るようになった。


私は「にんげん」でありたい。たったひとりの人間でありたい。

そうして今生を全うするのが私の夢である。


※以下今朝の詩

  
        昭和


     ミレービスケット
     アイスキャンデー
     ラムネとカルピス

     お小遣いは10円
     ビスケットは20枚
     アイスは2本買えた

     穴の開いていない5円玉
     母の財布からそれを盗む
     アイスが2本買えるのだ
     蝉しぐれが聞こえる
     暑い夏の午後のこと

     アイスを2本手に取ると
     駄菓子屋のおじさんが
     駄目だよと言うのだった

     10円だと思っていたのは
     穴の開いていない5円玉だったのだ

     オレンジ色のアイスと
     水色のアイスを食べたかったが
     どちらかを選ばねばならない

     かなしみと後悔である
     もう二度と盗んではならない

     涙のように汗を流しながら
     オレンジ色のアイスを食べた




2025年04月28日(月) 生きる甲斐

朝の気温をそのままに日中は冷たい雨となった。

季節的にはもう「寒の戻り」とは云えないが

明日の朝は今朝よりも気温が下がるのだそうだ。


大雨ではなかったが断続的に降り続いたおかげで

田畑にとっては恵みの雨となったことだろう。

まだ田植えが完全に終わらない農家も多く

少しでも水不足が解消されたのではないだろうか。




晴耕雨読ではないが義父は久しぶりの骨休みであった。

朝の内から大月町の友人宅へと出掛けお昼になっても帰らない。

おそらく昼食を共にしていたのだろう。


車検整備が完了した車があり帰りを待っていたのだが

2時を過ぎても帰らず仕方なく私も帰路に就くことにした。

出掛ける前に一言告げておけば良かったのだがもう後の祭りであった。

せっかくの休みである。やいやいと急かすのも気が引けるものだ。

明日は休業なので車検は明後日になるが思うように行くだろうか。

義父次第であるのが私の悩みの種でもあった。



3時過ぎに帰宅。家族は皆揃っていたが何と静かなことだろう。

めいちゃんは遠足が中止となり早めに下校していた。

娘婿は体調不良で仕事を休んでいたのだった。

病院へ行っていたが原因不明とのことで心配でならない。

もしかしたら「潜水病」ではと思うのだが娘は何も云ってはくれなかった。

とにかく毎週末の「素潜り漁」である。身体に支障がないとは云い切れない。

家族なら心配するのが当たり前に思うのだが娘達にはそれが伝わらないのだ。


夕飯は娘達の好きな「しゃぶしゃぶ」にしたが夫と私はあまり好まない。

それでも娘達に合わすのが家族円満の秘訣のように思う。

その反対の時もあるが娘達のブーイングにも慣れてしまった。



仕事も順調とは行かず家庭でも少なからずわだかまりがある。

何もかも思い通りに行かないのが人生の常なのだろう。

そこで嘆いてしまえば生きる甲斐もないように思う。

「何だってかかってこいや」と乗り越えて行かねばならない。


先日の恩師の言葉を思い出していた。

「ミカちゃんはすごい頑張っているね」と云ってくれたのだが

私にはその自覚が殆ど無いに等しい。

少しも頑張ってなどいないのだ。ただ毎日あがいているだけである。

このまま一生報われることはないだろうとさえ思う。

努力が足らないと云ってしまえばそれまでだが

あがけばあがくほど得体の知れない焦りに襲われるのだった。


生きてこその夢ならばとことん生きてみたいのだが

「いのち」ほど心細く不安なものがあるだろうか。


※以下今朝の詩。


          ゆらゆら

       手のひらで包み込む
       そうしないと
       いつまでも揺れ続ける

       もうおんなではないのに
       ふとおんなをおもいだす

       季節は初夏になろうとして
       若葉は風に揺れるばかり

       どれほどのいのちだろうか
       心細くてならないけれど
       貫けば貫く程に見失う道

       辿り着けば報われるのか
       生きてみないとわからない

       哀しみがゆれる
       儚さがゆれる

       もう風に身を任すしかない







2025年04月27日(日) 生きてみないとわからない

朝の寒さはつかの間のこと日中は5月並みの暖かさとなる。

夏日にはならなかったので過ごし易い一日だった。

ツツジが満開となり色とりどりの花に心が和む。

何年前のことだったか夫と愛媛の大洲市に行った時のこと

ちょうどツツジ祭りが行われていて感動したことを思い出す。

もう二度と足を延ばすこともないだろう。忘れられない花となった。



昨夜はこの日記を書き終えるなり小学生時代の恩師から電話があり

あまりにも思いがけず涙がこぼれそうになった。

先週の高知新聞を見てくれたそうで私の声を聞きたくなったらしい。

ずっと高知市内に在住していたが今は東京暮らしになっている。

もう高知新聞に目を通すこともないだろうと思い込んでいた。

けれども時々帰省しており過去の新聞を取り寄せているのだそうだ。

小学4年生の時の担任だったからもうかれこれ60年の歳月が流れた。

その間一度も会ったことはないのに私のことを忘れないでいてくれる。

せめて電話番号だけでもと取り交わしたのも随分と昔のことだった。

新聞に私の短歌が出る度に電話やメールをしてくれ嬉しかった。

「頑張ってね」といつも励ましてくれてどれほど救われたことだろう。


その先生ももう83歳になったのだそうだ。

けれども何と若々しい声だろう。背筋の伸びた颯爽とした姿が目に浮かぶ。

弱音を吐く私に「まだまだこれからよ」と励ましてくれたのだ。

生きている限りである。何としても人生を全うしなければならない。

書くことが生きることなら書きながら死ぬことも出来るだろう。

そうして「これが私ですよ」と書き残して逝かねばならない。


それがどれほど愚かで儚いことであっても貫くために生きている。

花は散り朽ちても根を張り種を残すことが出来るのだから。


※以下今朝の詩


           日にち薬

       夜明け前のひと時が好きだ
       息を数えていると何だか
       むくむくと心が動き出す

       一粒の薬をのむ
       それは今日のために
       神様が下さったもの

       どんな一日になるのか
       生きてみないとわからない

       溢れんばかり陽射しを浴び
       花のように生きていきたい

       夜が明ければ薬が効き出す
       まるで一粒の奇跡のように

       失ったことがあったのだろうか
       歳月は彼方へと去り
       新しい一日が始まる












2025年04月26日(土) 老いてこその夢

ひんやりとした朝であったが日中は爽やかな晴天となる。

週間予報ではしばらく朝の寒さが続きそうだった。

愛用のちゃんちゃんこはもう少し仕舞わない方が良いだろう。

今朝は温風ヒーターが必要な肌寒さであった。


俳優の松山ケンイチが四国遍路に挑んでおり

SNSで毎朝報告があり楽しみにしている。

今朝は二十九番札所の国分寺であった。

高知県南国市に在るお寺だが私は一度も参拝したことはなく

見どころの多い古刹と聞き興味が湧かずにはいられなかった。


土佐路は札所から札所までの距離が遠いため

足を痛めるお遍路さんが多いらしい。

松山さんが歩き遍路なのかは定かではないが道中を気遣う。

やがては高知県西部に辿り着くことだろう。

もしかしたらその姿が見られるかもしれなかった。


それにしても忙しい俳優業の傍らによく決心したものだと思う。

長期の休暇を取るのも並大抵ではなかっただろう。

これまでのイメージが一転し尊敬せずにはいられなかった。




同僚が通院のため会社は臨時休業を決め気兼ねなく休むことが出来る。

今朝はアラームが鳴っても起きられず辛い程の眠気であった。

「春眠暁を覚えず」とは正にこの事である。

老体にムチを打ち過ぎたのだろうダル重の朝であった。


朝ドラを見終わってからそのまま2時間ほど眠る。

気の早い夫が炬燵を片付けてしまっており毛布にくるまっていた。

それでも寒く何だか目覚めが悪くしんどくてならない。


それからカーブスに向かったが本調子ではなかった。

お仲間さんが声を掛けてくれ何と90歳のお仲間さんが居るとのこと。

「ほら、あの人よ」と教えてくれたがその姿を見て驚く。

背筋は真っ直ぐに伸びており颯爽とした姿はとても90歳には見えない。

「私達も頑張らんといかんね」と互いに励まし合ったことだった。

しかし90歳まで生きていられるだろうか。

そんな不安が真っ先に浮かび心細くてならないのだ。


けれども励みにはなったのだろう。気が付けばもう怠さはなかった。

薄っすらと心地よく汗を流し別人になったように帰路に就く。



昼食後はまた毛布にくるまり3時半まで眠っていた。

内容は忘れてしまったが若い頃の夢を見ていたようだ。

ほんわかとした夢で心地よく目覚めることが出来る。

夢の中では足の痛みもないのだからこそ「夢」なのだろう。


最近は母の夢を見ることが殆ど無くなったが

昨夜もここに記したようにとても身近な存在であった。

きっと魂が安らいでいるのだろう。成仏したのに違いない。

私も母を心の底から赦すことが出来たのかもしれなかった。


歳月は「薬」である。その薬があってこそ明日を生きられるのだと思う。


※以下、今朝の詩。
   

          若葉

      若葉冷えなのだろうか
      きりりとした寒さである

      引き締まるこころには
      一本の老木がそびえていて
      息を紡ぎながら夜明けを待つ

      相応しい朝になるのだろう
      いつだって新しくなれる

      枝先の若葉はこどもたち
      その愛しさに胸を熱くし
      ただひたすらに守ろうとする

      過ちがあってはならない
      正しさの行方を追うばかり

      樹齢は定かではないが
      随分と生き永らえて来た

      いくつもの朝と季節を越え
      若葉となればもう
      今日を生きるしかない








2025年04月25日(金) 母の直感

曇り日であったが爽やかな風が吹いていた。

上空に寒気があるのだろうか明日の朝は少し冷え込みそうだ。

日中との寒暖差が激しいのはまだ春の名残なのだろう。

しかし陽射しはもう初夏である。風が薫る五月も近い。


朝の山道をを行けば若葉が目に沁みるように眩しかった。

もう冬枯れている木は見当たらず新緑の季節である。

もこもこと山が動いているように見えるのは椎の木の花らしい。

黄色とは呼べず黄な粉のような色をしている。

巨大なブロッコリーのようにも見えるが緑ではなかった。


椎の木の花が沢山咲いた年には大きな台風が来ると云う。

本当の事なのかは分からないがそんな言い伝えがある。

昔の人々が実際に経験して来たことなのだろう。




8時半前には職場に着いていたが今朝も義父の姿があった。

9時頃までは居てくれたが紛失した携帯電話が余程気になるらしく

昨日行っていた田んぼの周辺を探してみると云い残し飛び出して行った。

しかしやはり見つからなかったのか肩を落として帰って来る。

「もうそんな暇はない」すっかり諦めた様子でまた他の田んぼへ行く。

トラクターで代掻きを済ませないと田植えが出来ないのだ。


何とか見つけられないものかとドコモショップへ相談してみる。

義父の電話機にGPS機能が付いていれば探すことが出来るらしい。

店員さんが調べてくれていたがその最中に来客があった。

何と驚いたことに手には義父の電話機を持っているではないか。

自宅のすぐ裏が義父の田んぼで今朝裏庭で見つけたのだそうだ。

昨日作業をしている義父を見かけたのでそうに違いないと思ったらしい。

何と有難いことだろう。一刻も早く義父に報せてやりたかった。

しかし予備の電話を鳴らしても一向に繋がらない。

トラクターの音が大きいので着信音に気づかないのだろう。

例の如くでお昼になっても帰って来なかった。


急ぎの車検が入っていたので2時半には帰って欲しいと伝えてあったが

3時になっても帰らず意を決して田んぼに探しに行くことにした。

しかしあちらこちらに田んぼがあり何処に居るのか見当が付かない。

そうなればもう自分の直感だけが頼りであった。

私の直感はよく当たるのだがそれも母譲りである。

母は予知能力のようなものがあり霊感も強い人であった。

「絶対にあそこだ」そう信じて車を走らせる。

思った通りであった。義父のトラクターが直ぐに見つかる。

真っ先に携帯電話が見つかったことを話すとそれは大喜びしていた。

それから長靴のまま私の車に乗せ工場へとまっしぐらである。


4時前には車検が完了し同僚が宿毛市まで納車に行ってくれた。

お客さんとの約束を果たせ何とほっとしたことだろう。

義父も上機嫌でまた田んぼまで送り届けた。

日が暮れるまでには終わりそうとのこと。無我夢中の農作業である。


ずっと順調ではなかった仕事だが今日の達成感は大きい。

自分の直感を信じた結果だが何よりも母のおかげなのだと思った。

おそらく母の直感だったのだろう。私を導いてくれたのに違いない。

事務所の母の遺影に手を合わせ「母さんやったね」と声を掛けた。

毎朝「今日も一緒に頑張ろうね」「困った時には助けてね」と

声を掛けてから出掛けるのが日課であった。


母は決して死んでなどいない。ずっと私を見守ってくれているのだ。


※以下今朝の詩


          風

      強い風が吹いている
      南からだろうか
      西からだろうか
      風にも名があるらしいが
      何と呼べばいいのだろう

      さわさわと若葉の声がする
      もう春ではいられなくなり
      風は夏の手紙を届けに来た

      もしや連れ去ってしまうのか
      見失うその前に心に問うばかり

      大切なものならば守りたい
      風に逆らってでも守り抜く

      風の声が心に沁みる
      やがては風そのものになる

      すこうし痛い
      すこうし哀しい



2025年04月24日(木) 初夏の少女

爽やかな青空であったが陽射しはすっかり初夏であった。

もう直ぐ5月になるがそれにしても異常な程の暑さである。


朝の山道を行けば道端に黄色い可愛らしい花が沢山咲いている。

一括りに雑草とも呼べず「ウマノアシガタ」と云う名があった。

別名を「キンポウゲ」とも云い初夏を代表する野の花である。

実は今日まで知らなかったのだが有毒植物なのだそうだ。

駆除対象にはなっていないようだが何だか憐れに思えて来る。

毒を含んで生まれて来たのもその花の定なのだろう。

もしかしたらそうして身を守り続けて来たのかもしれない。




今朝は職場に着くなり珍しく義父の姿があった。

また逃げられないようにと仕事の段取りを伝えたのだが

ひどく機嫌が悪く「まあ待てや」と口調が荒かった。

そんな時は一切話し掛けてはいけないのだ。

気は急いていたが自分を宥めるように黙り込んでいた。


しかし義父なりに段取りをしていたらしく

一時間ほど待っていたら車検を2台済ませてくれた。

今日が納車の予定だったのでどんなにか助かったことだろう。

すぐさま書類を整え宿毛市へと納車に向かった。

不具合の多い車だったが完璧に直っておりお客さんも大喜びである。


そのままとんぼ返りとは行かず別のお客さんの車を引き取りに行く。

一日車検を依頼されていたのだが義父次第であった。

嘘も方便で混雑していることを伝えると明日まで待ってくれるそうだ。

約束は必ず守らなければいけない。義父に念を押す必要がある。

同僚は引き受けてくれたが何としても義父を捕まえねばならない。


整形外科のリハビリと診察がある日だったので3時前に退社した。

リハビリは直ぐに終ったが診察までの待ち時間が長く疲れ果てる。

医師は私の事どころではなく義父の心配ばかりしていた。

一度レントゲンを撮りに来るように云われたが無理な話である。

早朝から日暮れまで田んぼでのたうち回っているではないか。


薬局で薬を待っていたら義父の予備の携帯から着信があった。

もしやと思ったその通りでいつも使用している携帯を紛失したらしい。

これまでも何度もあったことで予備の携帯を準備したのだった。

呼び出し音は聴こえているらしく田んぼに落としたのではなさそうだ。

この忙しいのにと酷く苛立っており返す言葉も見つからない。

明日私が探してみるからと伝えやっと落ち着いたようだった。



5時前に帰宅。今日は遅くなるので娘に買物を頼んでいた。

何と鰤の切り身を買って来ておりおどろく。

食費は渡しておいたが娘なりに頭を悩ませたのだろう。

食品の値上がりを目の当たりにしたのではないだろうか。


娘と夕飯の支度をしていたら夫が「あやの髪を見たか?」と訊く。

階段ですれ違ったがまともに顔も見ていなかった。

昼間娘が美容院へ連れて行っていたのだそうだ。

3年ぶりではないだろうか。髪は長くなり腰まで届いていたのだった。

家から一歩も外に出たがらなかったあやちゃんが美容院へ行った。

それが進歩でなくて何だろうと思う。

なんだか明るい光が射し込んだように思えて感動すら覚える。

「髪の事を云ったらいかんよ」と娘に念を押されたが

どんなにか可愛らしくなっていることだろう。

一目見たくてならない夜になった。


※今朝の詩は昨日見た馬酔木の花のことを書いた。


         化石の花

      枯れることはあっても
      折れることはあるまい

      早春に咲いた花である
      初夏の風に揺れながら
      過ぎし日を思い起こす

      旅人が足を止め
      触れた時の指先
      その温もりを忘れない

      もはや朽ちようとしている
      純白の花は茶の色に染まり
      それでも嘆くことをせずに
      山肌に寄り添い続けている

      やがては化石のようになり
      花だったことを偲ぶばかり

      哀しい姿であってはならない

      季節は約束したように
      何度も巡って来るのだから










2025年04月23日(水) ほっとする瞬間

曇り日。午後から少し陽射しがあったが青空は見えなかった。

昨夜の雨は残念ながら水不足の解消とはならなかったようだ。

山里では水の奪い合いがあると聞き何と理不尽なことだろう。

自分の田んぼに水が溜まるように隣田への水を堰き止めるのだそうだ。

水不足は深刻な問題である。少ない水だからこそ平等であらねばならない。



今朝の道ではっとしたのは馬酔木の花が殆ど枯れていたこと。

山肌からこぼれるように咲いていた可憐な花の面影もない。

馬酔木が散れない花だと初めて知り切なさが込み上げて来る。

紫陽花と同じなのだ。やがては化石のように枯れ尽きてしまうだろう。

けれどもまた季節が巡って来れば健気に咲いてくれるのだった。




自賠責保険と重量税の精算日であったが資金が足らず困り果てる。

予め預かっていれば問題はないのだが殆どが立て替えであった。

義父は今朝も田んぼに出掛けており誰にも相談出来ない。

自分で何とかしなければと金策に走り回っていた。

信用金庫のキャッシングカードは暗証番号を間違えてしまいアウトとなる。

行員さんに相談したらカード会社に連絡するようにと云われ

今日の事にはなりそうになかった。がっくりと肩を落とすばかりである。

仕方なく山里まで帰り郵便局で私のへそくりを引き出す。

そうでもしないと今日の精算が出来ず大変な事になるのだった。

年金から少しずつ貯めて来た大切なへそくりであったが

背に腹は代えられない。きっと戻って来るお金なのだと思う。

しかし前途は暗い。こんなことをしていて会社が持つのだろうか。

そう思い始めると不安でいっぱいになった。

これまで何度も危機を乗り越えてきたがそれが自信とは限らない。

お金は天下の回り物だと云うがいったい何処をうろついているのだろう。



2時を過ぎても義父は帰らず昼食の心配もあったが逃げることにした。

義父の苦労も大きいが私の苦労は迷子になっているようだ。

誰も頼る人がいない。ひたすら彷徨うばかりである。

そんな人生も在りなのか。誰が好き好んで苦労を選ぶのかと思う。


帰宅して夫に話したら当然のように少し機嫌が悪かった。

私が会社の経営に携わることを前々から懸念していたせいだろう。

母の死後、専務になることにも大反対したのだった。

「ずっと事務員でいろや」とその言葉こそが夫の願いだったのだと思う。


70歳が目前となり母と同じ道を歩んでいるようだった。

少しでも母に楽をさせてやりたいその願いは叶ったが

いざ自分が母の立場になるとあまりにも大きな山ばかりである。

ゴールは全く見えておらずひたすら走り続けなければならない。

不自由な足を引き摺りながらである。決して倒れてはならないのだ。


ほっとする瞬間がきっとあるのかもしれないがそれは何時だろう。

私にも残された人生があるのだろうか。



          底

     どれほどの深さだろう
     手を伸ばしてみたが
     底に届くことはない

     季節は初夏を装い
     風を薫らせている
     木の芽は芽吹き
     陽を浴びて輝く

     私には枝もなく
     葉にもなれない
     けれども生きているらしく
     息をする度に揺れるのだ

     深まることは切ない
     底を知らないままに
     生き永らえている

     もし届くことが出来たら
     すくっと立ってみせよう





2025年04月22日(火) どうどうどう

曇り日。夕方からぽつぽつと小雨が降り出す。

「穀雨」となれば良いのだがあまりにも頼りない雨音である。


朝の山道を行けば道路沿いの八重桜が散り急いでおり

落ちた花びらがまるで薄桃色の絨毯のようであった。

それもまた風情があり一瞬写真を撮ってみようかと思う。

しかし車は停めたものの降りて花びらに駆け寄る行動力がなかった。

「まあいいか」と呟きながら発進し峠道へと向かう。


山里の最初の民家が見え始めると畑の隅にオオデマリが咲いていた。

コデマリよりも大きいので白い紫陽花のように見える。

優雅であるがコデマリの方が可憐に思え好きだった。

花は競い合いはしない。互いに褒め合いながら咲いているのだろう。




職場に着くなり例の大型車を納車に行っていた。

丁重に頭を下げて侘びたのは云うまでもない。

毎年の車検なので何としても来年に繋げたかった。


義父はまた早朝から田起こしに出掛けていたようだが

中古で買ったばかりのトラクターの調子が悪いとのこと。

思うように作業が出来ずかなり苛立っているようだった。

もちろん工場の仕事どころではない。何ひとつ相談も出来ないのだ。

言葉は悪いがまるで気が狂ったように見える。

口調も動作も異常としか思えなかった。

それ程までに米作りに命をかけているのだろう。


車検場には車検待ちの車を置いてあったのだが

その車が邪魔になると云うのには流石に呆れ返る。

大切なお客さんの車である。どんな口が云っているのだろう。

義父が車検さえ済ませてくれれば直ぐに納車出来るのだ。

そこで私が一言云うと「それどころではない」と怒鳴る有り様である。

怒鳴られると悲しいものだが今日は無性に腹が立った。

もうこんな人と一緒にはやっていけないと本気で思う。


しかし腹は立てずに気は長くである。

「どうどうどう」と馬を宥めるように少しずつ気を取り直していた。

明日は明日の風が吹くだろう。そう思って耐えるしかないのだ。



少しでも早く逃げ出したくなり2時過ぎに退社する。

帰宅するなり夫に愚痴ったのは云うまでもない。

「そんな時は要らぬ口を叩いてはいかんぞ」と夫の云う通りである。

私も気ばかり急いていたのだろう。かなり焦っていたようだ。

何とかなるのなら何とかして欲しいと祈るばかりであった。


夕飯は「八宝菜」と「切干大根の煮物」だったが

孫達はどちらも好まず娘が困り果てていた。

孫達の好きなメニューにするべきだったと悔やまれる。

結局はレトルトのカレーとなり一件落着となった。


歳のせいかもしれないがあれこれと気が届かなくなっているようだ。

仕事のある平日は特に心の余裕を失くしているように思う。

どうでも良いことなど何ひとつないのだと分かっていても

無意識の内に疎かにしてしまう事がとても多い。

もっともっと丁寧に生きていきたいものである。


※昨夜は誰なのか分からない幼子を抱いて歩いている夢を見た。


           幼子

      幼子を抱いて歩いていた
      季節は初夏のようであり
      若葉が薫る土手の道

      さらさらと流れる大河に
      降り注ぐ陽射しは
      川面を金色に染め
      さざ波が踊っている

      この子は誰だろう
      少しも重くなかった
      小さな手を握りしめ
      素足が胸をくすぐる

      風は沖から吹き
      ほんのりと潮が匂う

      守ってやらねばならない
      育ててやらねばならない

      幼子の微笑みに
      老いた命を重ねていた






2025年04月21日(月) 海老せんべい

最高気温は25℃と夏日に達していたが

爽やかな風が吹き過ごし易い一日だった。

一年中こんな気候ならどんなにか良いだろうか。

しかし夏がなければ秋は来ず冬がなければ春は来ない。


遅咲きの八重桜は散り始めてしまったが

今度はツツジの花があちらこちらに見られるようになった。

特に国道沿いに植えてあるツツジは見事である。


山里ではドウダンツツジ、キリシマツツジも見られ心が和む。

ドウダンツツジは鈴蘭の花に似て何とも可愛らしい。

キリシマツツジははっとするような真紅であった。

ツツジの種類は沢山あるらしいがとても覚えられない。

まだ咲き始めたばかりであるがGW頃が見頃ではないだろうか。



昨夜は仕事の事で頭がいっぱいになっており気ばかり急いていた。

大口の支払いがあったが資金が足らなかったのだ。

義父に相談しても何も変わりはしないだろう。

苦肉の策で支払いを待ってもらことにして急場を逃れる。

しかし月末には必ず支払わなければ今後の取引が出来なくなるのだった。

仕事は後から後からあるのに売上金の回収が追いつかない。

催促はしてはならずひたすら待つしかなかった。


早朝から田んぼに行っていた義父が2時頃帰って来る。

お弁当を買いに走って急いで昼食を食べさせた。

また直ぐに出掛けるだろうと諦めていたのだが

思いがけずに大型車の車検を済ませてくれて大助かりだった。

不具合が多く何と2ヶ月近く預かっていた車である。

お客さんは急がないと云ってくれていたが一度催促があった。

いくら使用しない車であってもあまりにも待たせたのだろう。

今後の信用にも繋がり二度とあってはならないことである。

義父が常に待機してくれていたら在り得ないことだったが

その義父は同僚に責任を押し付けようとしていた。

自分の非を絶対に認めないのが義父の大きな短所である。


4時前に退社。同僚に声を掛けたが頗る機嫌が悪い。

一生懸命に働いてくれているのに義父は労うこともしないのだ。

それでは同僚も報われないだろう。何だか憐れでならなかった。

せめてお給料を上げてやりたかったがそんな余裕もないのだ。


5時前に帰宅。もう横になる時間もない。

娘とめいちゃんが四万十川へ川海老を獲りに行っていたらしく

バケツを提げて得意顔で帰って来た。

まだ赤ちゃんの海老だがけっこう沢山いておどろく。

ぴちぴちと跳ねているのを揚げるのは可哀想であったが

娘は手早く片栗粉をまぶし「海老せんべい」を作る。

誰に習ったのだろう。私は教えた記憶がなかった。

そもそも娘と一緒に川海老を獲りに行ったことがあっただろうか。

もしかしたら亡き姑かもと思う。娘はおばあちゃんっ子だったから。


川仕事に追われるばかりで娘と遊んだ記憶もない。

どんなにか寂しい思いをさせたことだろう。

宿題を見てやったことも学校の話も聞いたことがなかった。

それなのにすくすくと成長したのは姑さんのおかげだと思う。

私自身は姑さんとの良い思い出が殆どないのだが

娘にとっては大好きなおばあちゃんだったのだ。


※日記の内容とはかけ離れていますが今朝の詩を載せておきます。


           波

     とうとう尽いてしまったのか
     言葉の波が退くばかりである

     潮が引いてしまえば
     川底の岩が剥き出しになり
     僅かの水を求めて魚が群れる

     どのような境遇であっても
     生き永らえねばならない
     干からびてしまえばもう
     息さえも出来ないだろう

     ここは汽水域である
     真水と海水が混ざり合い
     沖からの風が吹き抜ける

     どれほど生きて来たことか
     言葉に出来ないのが苦しい

     独りきりではないはずなのに
     どうして寂しく心細いのだろう

     風あってこその波である
     ゆらゆらと揺れながら
     失くした言葉を探し続けている




2025年04月20日(日) 身の程を知る

二十四節気の「穀雨」穀物を潤す雨が降る頃であるが

明け方まで降っていた小雨は長続きしなかった。

米農家さんは水不足に頭を悩ませるばかりである。

災害級の雨になっても困るがまとまった雨量を願っていることだろう。


雨上がりの曇り日。気温はさほど上がらず過ごし易い一日だった。

藤の花、モッコウバラ、山吹の花が生き生きとして見える。

お向かいさんの庭には紫陽花の葉が青々と輝いていた。


朝刊が届くのを待ち兼ねて開く。そうしていつも失望するのだが

今朝は文芸欄に俳句と短歌が入選しており何とも嬉しかった。

踏みにじられるばかりではなかったのだ。救われる時もきっとある。

どれほど励みになったことだろう。努力が報われたような気がした。


夫は文芸欄に目を通す人ではなかったが報告すると喜んでくれ

なんだか父親のように思えてならなかった。

父ばかりではないのだ。母もきっと喜んでくれたに違いない。


しかしここで有頂天になってはならない。

今後も尚いっそう努力を怠ってはならないのだと思う。

私はいつだって身の程を知っている。




市長選の投票を済ませ久しぶりに「一風」へ行った。

夫は白内障の影響か運転を渋っていたのだが

一度却下をしてから思い直してくれたようだった。

もしかしたら今朝のご褒美かもしれないと心が浮き立つ。


「一風」はお昼に法事の宴会が入っていて大忙しの様子だったが

30分待ちで美味しい炒飯とラーメンを食べることが出来た。

「余は満足であるぞ」お腹を撫でながら帰路に就く。

車中での夫との会話も弾み二人とも上機嫌であった。


帰宅すると一気に眠気が襲って来てまたお昼寝である。

今日も4時半まで眠ってしまい我ながら呆れるばかりだった。

明日からは仕事なのでお昼寝も出来なくなる。

寝溜め失くしてどうして闘えようかと自分を宥めていた。


夕飯は初物の筍。高価であったがサニーマートで買い求める。

以前はご近所さんからよく頂いていたがここ数年届かなくなった。

高齢化もあるのだろう。筍を掘るのも大変な苦労である。

私は筍が大好物で毎日食べても飽きない。

お鍋の中を見れば明日も食べられそうでウキウキとしている。



午後8時。窓を開け放しているが夜風の気配もなかった。

星も月も見えず空は眠っているように見える。

吸いたいだけ煙草を吸い焼酎三昧の夜であった。

明日からの仕事の事が頭から離れないが

眠りに就く前に短歌を三首詠むのが日課である。

身の程を知り尽くしていても詠まずにはいられなかった。



          糧

     何を糧に生きているのか
     ことばの花に訊いている

     老いるばかりのこの身には
     添える花さえ見つからず
     ただもがくばかりの日々

     春は深まり初夏の風が吹く
     仰ぐ陽射しには光がやどる

     このままでいいのだろうか
     命の蝋燭は揺らぐばかりで
     心細くてならないけれど

     仰ぐことを止めてしまえば
     一歩も前へ進めないだろう

     一輪の花として生きてみよう
     枯れることを怖れてはならない

     ことばは糧であろうか
     失くしてしまえば生きていけない



2025年04月19日(土) 2センチの憂鬱

連日の夏日となりすっかり初夏の陽気であった。

明日は少し気温が下がるとのこと。

少しでも快適に過ごしたいものである。


庭先のチューリップの花が終わり寂しくなった。

今朝は鉢ごと見えなくなっており不思議に思っていたら

娘が庭の隅に移動させており来年に備えていた。

以前には球根を掘り出していたがそのままが良さそうである。

そうして生きている命をそっと見守りたいと思う。



朝のうちまた2時間ほど眠ってしまい9時半に目覚める。

10時にダイハツへ車を引き取りに行く約束をしていた。

さすがにディーラーである。故障個所は完璧に直っている。

やはり乗り慣れた愛車が一番だなと嬉しかった。


少し遅れたが次はカーブスへ向かう。

冷房が効いており扇風機も回っていて快適である。

薄っすらと汗をかいたが扇風機の風が何とも心地よい。


昼食後は美容院へ。お昼なら空いているだろうと思った通り

直ぐに順番が来てカットとカラーをしてもらう。

ぼさぼさの白髪頭が見違えるようになった。

美容院へ行くと生まれ変わったような気分になる。

2ヶ月ごとなので2センチの憂鬱があったのだろう。


帰宅するなり倒れ込むようにまた眠る。

何と目覚めたら4時半になっており我ながら呆れ返る。

夫は私以上に呆れており「異常だ」と苦笑いしていた。

朝の2時間を合わすと5時間も眠っていたことになる。


洗濯物を畳み終えるともう夕食の支度であったが

娘が率先してやってくれて大助かりだった。

持つべきものは娘であるがそのうち新しい仕事も決まるだろう。

身勝手なことだがずっと家に居てくれたらと願ってしまう。


6時からダンス教室があり娘とめいちゃんが出掛けて行った。

夕食は帰ってから食べるそうであやちゃんも待っている。

もう慣れてしまったのだろう。空腹を訴えることもなかった。


静かな夜である。なんだか気が遠くなってしまいそうだ。

こうして書きながらも煙草ばかり吸っておりどうしようもない。

おそらく死ぬまで吸い続けることだろう。


毎朝の詩は自己満足に過ぎずそれでも書かずにはいられない。

いったい私は何処に向かっているのだろう。

心細くてならないが書きながら死ねれば本望に思う。

見届けてやらねばならない。あがくように咲いてしまった花である。


           無名

       名も知らぬ花であった
       丘をたんぽぽ色に染め
       若草と寄り添っている

       優しい風に吹かれていると
       何故かぽろりと涙がこぼれ
       死んでしまった母をおもう

       燕が飛び交う空であった
       その青さに心が救われる
       空はどこまでも広いのだ

       名が欲しいのではない
       ただ見つけて欲しいと願う
       ささやかな春である
       こんなにも生きているのに

       踏まれてはならない
       千切られてはならない

       鏡のような空に映る
       かけがえのない命であった



2025年04月18日(金) 純白の藤の花

曇り日であったがほぼ夏日となり蒸し暑さを感じる。

全国的にも夏日の処が多く島根では何と真夏日だったそうだ。

熱中症で搬送された人もいるらしくまだ4月なのにと驚く。

このまま季節が夏になるとは思えないが異常な暑さであった。


シャガの花。藤の花と咲き如何にも初夏らしい花たちである。

特に自然に群生している藤の花の何と見事なことだろう。

今日は真っ白い藤の花を見つけ感動せずにはいられなかった。

大木に絡みつくように咲いているのだがまるで大きな藤の木に見える。

最初は馬酔木と見間違ったがその純白はとても可憐な花であった。



早朝義父から電話がありもう田んぼの畔で草刈りをしているとのこと。

工場の仕事が余程気になっていたのだろう今日の指示であった。

大型車のクラッチ修理を午前中に済まさなければいけないと云い

車検整備や一般修理は全て断るようにとのお達しだった。

その口調は威厳に満ちておりさすが社長だなと思わせる。


職場に着くなり同僚に指示し予約のお客さんに断りを入れた。

幸い気を損ねる人は一人もおらず救われたような気持になる。

10時には大型車のお客さんが息子さんとやって来て

とにかく午後から使いたいから必ず直して欲しいと懇願された。

林業を営んでおり故障以来材木を運べなくてとても困っている様子。

さすがにもう限界なのだろう。気の毒でならなかった。


お客さん親子はそのまま居座り車の傍から離れようとしない。

同僚の緊張した顔を見るのもまた気の毒であった。

マイペースではいられないのだ。タイムリミットが迫っている。

私は何も出来ずただはらはらしながら見守っていたのだが

11時を過ぎた頃思いがけずに義父が帰って来てくれた。

そうして車の下に潜り込むなり手早く修理を始めてくれたのだった。

同僚には申し訳ないが義父の何と手早いことだろう。

同じ熟練工でも年季の入りようが全く違うのだ。

11時50分になっていた。「出来たぞ」と義父の声が響く。

お客さんは大喜びで直ぐに山林の現場に向かって行った。


しかしそれで一段落とは行かず午後からは半日車検である。

大型車の修理が済むまで長いこと待たせていたお客さんがいたのだった。

建設業を営んでおり現場の仕事に支障が出ているとのこと。

「みんな仕事をせんといかんがぞ」義父の一喝がある。


同僚のげっそりとやつれた顔。彼はプレッシャーにとても弱い。

ストレスにも弱く数年前には鬱病も患っていた。

心配でならなかったが何としても遣り遂げて貰わなければいけない。

励ませばプレッシャーになる。宥めつつ見守るしかなかった。


ブレーキとタイヤの不具合があり私は平田町の部品屋へと走る。

義父は中古タイヤを取りに四万十市内まで走ってくれた。

新品タイヤの在庫はあったがお客さんは中古を希望していたのだった。

なるべく安く仕上げてやらねばならない。義父はそれを一番に考えている。


皆で協力した甲斐があって4時前に車検が完了する。

書類を整えていたらもう4時半になっていた。

夕飯の買い物どころではなくなり娘に電話を入れて大急ぎで帰路に就く。

朝の峠道を今度は下る。その時に純白の藤の花を見つけたのだった。

慌ただしい一日であったが何とも心が癒される帰り道であった。


山あり谷ありの日々である。今日は大きな山を越えたが

谷が続いているとは限らない。また山が聳えていることだろう。
  
谷川のせせらぎに耳を澄ますそんなほっとする瞬間を待っている。



          綿毛

       ふわりと空になる
       何処に行くのだろう
       果てしない空である

       夢は遥かに
       遠くの野辺
       幼子の手に
       包まれた日

       春であることを誇り
       咲いたことを喜ぶ
       枯れ草の嘆きなど
       些細なことである

       ふわりと空になる
       青く澄み渡った旅
       生きてさえいれば
       きっと叶う夢がある

       何処に根付くのだろう
       想いはあふれ風に訊く














2025年04月17日(木) 縁の行く末

「若葉冷え」も何処へやら。今日は25℃に達し夏日となる。

全国的にも広い範囲で初夏の陽気だったようだ。

今年の春は短くすぐに暑い夏が訪れるかもしれない。


午前中、平田町の信用金庫まで行っていたのだが

それはそれは沢山のお遍路さんが歩いていた。

何とそのうち6人は外国人で驚く。

背の高い男性、金髪の女性もいた。

朝の山道では見かけなかったので山里の民宿泊だろうか。

山里には2軒の民宿があり宿泊客も多いと聞く。

「どぶろく」を振舞うのは「民宿くろうさぎ」で

外国人さんも昨夜は酔っぱらっていたかもしれない。

言葉は伝わらなくても楽しい夜を過ごしたことだろう。



仕事は一歩前進。今朝は義父が待機してくれており助かる。

おかげで車検が完了し納車することが出来た。

代金は明日にでも振り込んでくれるそうで夢のようである。

来週早々には大口の支払いがあり困り果てていたところだった。


同僚は大型車のクラッチ修理に集中しており

飛び込みの来客がないことを願うばかりである。

義父はまた田んぼであった。もうどうしようも出来ない。

仕事があるのは有難いことだが同僚一人ではとても手に負えないのだ。



整形外科のリハビリがある日で3時前に退社する。

療法士のU君の手は今日も「神の手」であった。

リハビリを終えサニーマートで買い物をしていたら

先日ご主人を亡くしたばかりの義理の叔母に会った。

お悔やみの言葉を述べたら「どうして知っちょるがよ」と云われた。

義父がお通夜もお葬式も行っていたのだから当然のことだが

「あんたは来てなかったよね」と念を押すように云うのである。

たとえ義理の仲でも参列するべきだったのだろうか。

母のお葬式ではお世話になったので恩を返すのが筋だったかもしれない。

なんだか責められているように感じ一気に気分が塞いでしまった。

帰宅して直ぐに夫に話したが私の思い過ごしだろうと云ってくれる。

おかげで少し気が楽になったが何とも後味の悪い出来事だった。


一切の血の繋がりがない。それは義父も同じであったが

夫婦も同じである。元々は赤の他人に他ならない。

母は義父と50年以上連れ添ったが叔母にとっては姉ではなかったのか。

もしかしたら突然転がり込んで来た厄介者だったのかもしれない。

しかも私のような連れ子もいて迷惑をかけてしまったのだろう。

亡くなった義叔父とは私の婚礼の時に初めて会ったきりだった。

義理の上に義理を重ね世間体を取り繕っただけなのだと思う。

今日のことで何だかそれを思い知ったような気がした。


さらりさらりと水に流さなければいけない。

みんなみんな縁あってこその仲なのに違いないのだ。


          
          発芽

      柔らかな土であった
      必要なのは肥料と水
      それから空である

      農夫は季節を知り
      まるで我が子のように
      種を蒔く

      春の陽射しを浴び
      薄っすらと汗をかき
      吹き抜ける風に会う

      困難もあるだろう
      失望もあるだろう

      けれども希望失くして
      どうして生きられようか

      種として育つ春である
      恵みの雨を待ちながら
      むくむくと息を放った

      空がいっそう近くなる
      頭をあげて手を伸ばす

      もう芽である
      もう踏まれることはあるまい



※今のところ誰からも苦情や意見は届かず引き続き詩を掲載させて頂きます。
  
 お目汚しをどうかお許し下さい。



2025年04月16日(水) 若葉の頃に

朝は冷え込んだが日中は春らしい暖かさとなった。

また気温が下がる日があるかもしれないが

季節は春から初夏へと向かって行くことだろう。


昨夜「八重桜」のことを記したが関東でも咲いているようだ。

同じ八重桜でも種類が沢山ありとても覚えられない。

まるで若葉のような色をした桜もあり驚く。

こちらでは見たことがなく余程珍しい種類なのだろう。

染井吉野が散った後に「私も桜ですよ」と声が聞こえるようだ。



田植えは昨日で一段落したと思いきや今日も田植えだった。

昨日と同じ面々で今日も助けてもらったようだ。

お弁当は山里の店で買い求めたが義父は気に入らない様子である。

体裁が悪いと思ったのだろうか。決して豪華なお弁当ではなかった。


工場の仕事の段取りも一切相談出来ずまた直ぐに出掛けて行く。

明日も田植えだったら工場はもう限界である。

同僚も私もひたすら焦るばかりであった。

車検が完了しないと売上に繋がらず運転資金にもならないのだ。

無我夢中になっている義父にどうしてそれを告げられようか。

おそらく全て私の責任になってしまうことだろう。



午後、損保会社のO君が久しぶりに顔を見せてくれた。

特に用事が在る訳ではなく気分転換のようだった。

職場では煙草も吸えないそうで気が狂いそうだと嘆く。

おまけに女性ばかりの職場で尻に敷かれているのだそうだ。

どんなにか肩身が狭い思いをしていることだろう。

「またいつでも気晴らしに来たらえいよ」と告げると

嬉しそうに笑顔を見せ「うん、さいさい来るけん」と声が弾んでいた。


一時間程雑談をしていたが趣味が全く無いのだそうだ。

SNSを勧めると興味深そうにしていたが「けんど分からん」と云う。

スマホは持っているがまだ一度も見たことがないのだそうだ。

手取り足取り教えることも出来ずその話はご破算になった。


とにかくどんなに嫌な仕事でも働かなければ食べていけない。

転職も考えたが50代となるとそれも難しくなるだろう。

息子さんはまだ大学生で仕送りもしなければならなかった。


「また話そうや」お互いに声を掛け合い帰って行った。

私も直ぐ後を追うように帰路に就く。

なんだか会社に圧し潰されそうな危機感を感じていた。

切羽詰まっているのだ。もう崖っぷちに等しい。

何とかしなければならないが何とかなるのだろうか。

楽観視すればもっと前向きになれるのかもしれない。



帰宅して夫の顔を見るとほっとする。

あれこれと話せば心が随分と軽くなるのだった。

「コノヒトヲウシナイタクナイ」いつもいつもそう思う。


           若葉


        艶やかな若い緑に
        陽射しはまんべんなく
        降り注いでいる

        老いた樹であった
        骨のような枝先に
        相応しいのだろうか
        誰も教えてはくれない

        もう子を宿ることは出来ず
        命を育むことも叶いはしない

        けれども生き永らえば
        思いがけない奇跡に
        巡り会うことが出来る

        若さは眩しい
        若さは尊い

        老いを嘆くことよりも
        空の一部になることを選ぶ



※ここ数日朝の詩を載せていますが賛否両論あると思います。
 
 載せない方が良いと思う方は遠慮なくお知らせください。

 自分では決められず「始めてしまったこと」に等しいです。







2025年04月15日(火) 八重桜

晴れの予報だったが余程大気が不安定だったのだろう。

午前中時雨れ冷たい北風が吹き荒れていた。

まるで冬が舞い戻って来たかのような一日となる。


染井吉野はすっかり葉桜になってしまったが

遅咲きの桜は八重桜だろうか。

枝先からこぼれ落ちるように咲いており何とも可愛らしい。

幾つもの花が寄り添うように咲き風が吹くと揺れるのだった。

純白の花もあれば桃色の花もある。種類が異なるのかもしれないが

桜の知識には疎く総じて八重桜だと思い込んでいる。

桜の仲間には違いなくしばらくは桜の季節が続くことだろう。



朝の青空はつかの間のこと悪天候になってしまったが

田植えは予定通りに行われ義父の友人が4人も来てくれていた。

冷たい時雨に濡れどんなにか辛かったことだろうか。

衣類は冬構えであったが誰も雨合羽を羽織っていなかったのだ。


私は何の役にも立たないがお昼のお弁当を頼まれていた。

宿毛市の「ほっかほっか亭」に5人分のお弁当を注文する。

山里でもお弁当は手に入るが皆さんほか弁を気に入っているようだ。


11時に予約していたので30分前に事務所を出るつもりだったが

急な来客があり直ぐには出られそうにない。

お昼に間に合わなかったら義父に叱られてしまうだろう。

仕方なく忙しい同僚の手を止め代わりに行ってもらった。

同僚は苦笑いをしていたが本日は田植えで緊急事態なのである。


お昼には5人が事務所に勢揃いしわいわいと賑やかであった。

義父は興奮しているのか誰よりも大きな声である。

先頭に立って張り切っているのが見て取れ闘志満々の様子だった。

肉体的に厳しいことを「骨が折れる」と云うが

義父は最初から首の骨が折れているのだった。

その上に死に物狂いになって無理を重ねている。

田植えは一日では終わらずまだまだこれからの苦労であった。



午後、平田町のお客さんから電話があり車のエンジンが掛からないと。

おそらくバッテリーの寿命だと思われたが明日まで待ってもらうことにした。

しかしお米を切らしており今夜の夕食の分が無いのだそうだ。

「買いに行きたかった」と嘆くのであまりにも憐れに思い

同僚に相談したら直ぐに出張してくれることになりほっとする。

高齢者の独り暮らしである。人助けも大切な仕事に思えた。


工場の仕事は車検尽くしでとても今週中には終われそうにない。

大型車の一般修理もありお客さんから催促があったばかりだった。

とにかく頭を下げて待ってもらうしかないが何とも心苦しいものだ。

義父を恨んでも仕方ないが義父の助けがあればと思わずにいられない。



じたばたしても何も変わらず2時過ぎに退社する。

市内は時雨れなかったそうで洗濯物も乾いていたそうだ。

めいちゃんの微熱は今朝には平熱になっていたが

母親に甘えたかったのだろう今日は学校を休んでいた。

昨夜は宿題どころではなかったのでそれも休んだ理由のようだった。

とにかく宿題が多いのだ。昔の子供には考えられないことである。


我が家は廃業したがまだ海苔養殖を続けている従兄弟が居て

貴重な青さ海苔を届けてくれたのだった。

今年は絶滅ではなかったようだがほんの僅かの収穫とのこと。

有難いより申し訳なくて決して無駄にしてはならない。

娘が天婦羅にしてくれ揚げたてをご馳走になった。

「四万十川の青さ海苔」もう二度と食べられないかもしれない。

夫も感慨深く思ったのだろう。もう私達は川漁師ではなかった。

歳月を振り返りながらまた新たな歳月へと歩み始めている。

「じゅうぶんに生きたのか」問いもせずに答えもせずに。


※今夜も今朝の詩を載せておきます。


           春雷

      空が引き裂かれるのを見た
      稲妻が光り真っ二つになる

      どちらを選べば良いのだろう
      まるで此岸と彼岸であった

      激しい雨音が地面を叩き
      項垂れるであろう花を想う
      春として咲いたからには
      何としても耐えねばならない

      散る花もあれば落ちる花も
      それが定めと知り尽くせば
      もう身を任せるしかないのだ

      打たれ強く在らねばならない
      泣き顔を見せてはならない

      凛として見上げる空には
      引き裂かれた両方が在る

      一瞬の光に命を輝かせていた








2025年04月14日(月) 遠雷

晴れのち曇り。気温は20℃に届かず風が冷たく感じた。

大気が不安定で上空に寒気があるとのこと

関東では雹が降ったそうでどんなにか戸惑ったことだろう。

四万十も雷雨の予報だったが雨は今のところ降っておらず

遠雷が響き渡っており不気味な夜となった。


「花冷え」にはもう遅く「若葉冷え」と云うべきだろうか。

この寒さは明日も続き春が後ずさりしそうである。

けれども確かに春であった。あちらこちらに春の花が咲き誇っている。




乗り慣れない代車で出勤したが新車なので緊張せずにはいられない。

もし事故でも起こしたら車を弁償しなければいけないのだそうだ。

どんなにオンボロ車でもやはり自分の愛車が一番である。


義父はまた田んぼに出掛けたのか今朝も姿が見えなかった。

しかしトラクターもあり軽トラックもあったので不思議でならない。

田んぼだと決めつけていたが行方不明である。

電話をすれば「何だ?」と叱られそうで掛けることも出来なかった。

お昼を過ぎても帰らず2時まで待ち早々と退社する。

サニーマートへ着くなり電話があり「いま帰ったぞ」と報告があった。

草刈り機を載せてあるトラックで出掛けていたらしい。

雨が降り出す前にと必死で畔の草刈りをしていたのだそうだ。

もちろん昼食も食べてはおらず「ちゃんと食べんといかんよ」と告げると

「よっしゃ、わかった」と機嫌が良く何だかほっとした。


明日は田植えの予定でまた友人達が手伝いに来てくれるのだそうだ。

張り切っており何としても順調にと願わずにはいられない。

決して一人では出来ないことで持つべきものは友人である。

60代70代と義父よりもずっと若い面々であった。





3時過ぎに帰宅。自室で一休みしてから夫と「三匹が斬る」を見る。

今日も最後には悪者が次々に斬られおそらく即死であろう。

いかにも悪役風の役者さんも倒れ方が上手くさすがだなと思う。

その他大勢の役者さんはいわゆる「大部屋役者」さんだろうか。

無名であっても斬られ方、死に方もなかなかのものである。

しかし人の死がまるで日常茶飯事であるのは考えさせられたことだった。


夕食のメインは「塩焼きぞば」だったが6人分の量はもの凄く

娘がまるで「ギャル曽根風」だと云って笑い転げていた。

私は大好きなので沢山食べたがめいちゃんの姿が見えない。

めいちゃんも大好物なので喜ぶ顔が見たかったのだが

下校後微熱が出たそうで二階で寝ているのだそうだ。

風邪の症状はなくもしかしたら知恵熱のようなものかもしれない。

5年生になってから児童会の副会長になってとても張り切っていた。

緊張も疲れも出たのだろう。頑張り過ぎたのに違いない。


「大丈夫?」と声を掛けたら真っ赤な顔をして「大丈夫じゃない」と。

ちゃんと正直に云えることはとても大切なことだと思う。

強がってはいけないのだ。辛い時はちゃんとそう伝えなければいけない。

明日の朝まで様子を見ることになったが

「行ってきまーす」と元気な声がきっと聞けますように。


※日記の内容にはそぐわないのですが今朝書いた詩を載せておきます。


         かごめかごめ


     夜明けの晩に鶴と亀が滑るのは
     不吉な知らせなのだそうだ

     かごめかごめ
     籠目の中に居る鳥は誰だろう
     子を宿っているらしいが
     やがて卵を産む日が来る

     月夜であってはならない
     耐えながら新月を待っている
     そうして籠目の外に出るのだ

     子等には真っ青な空を
     春の優しい陽射しを
     爽やかな風を授けたい

     かごめかごめ

     振り向いてはならない
     後ろの正面を見てはならない



2025年04月13日(日) 日々を縫う

雨のち晴れ。午後から気温が下がり少し肌寒くなった。

昨夜からの雨はまとまった雨量となり恵みの雨となったことだろう。

何処の田んぼも水不足で義父も含め米農家さんは頭を悩ましている。

「穀雨」まではまだ一週間あるが水不足が解消されることを祈るばかりだ。


とうとう「花散らしの雨」となり殆どの桜が散ってしまったようだ。

それも定めであり嘆くことは何ひとつありはしない。

樹齢百年を超えた桜木もある。また巡りくる季節のために生きて行く。

見届けるためにはとにかく長生きをすることだろう。

しかし「定命」がある限り最後の春がきっと訪れるのだ。

「生きたい」願いほど儚い夢はないのかもしれない。




朝のうちに本格的に衣替えをした。

去年は何を着ていたのだろうと思うがけっこう衣装持ちである。

母の形見もあり袖を通すのが楽しみでならない。

特に母が好んで着ていた服は懐かしくて愛着があった。

母を着れば供養にもなるだろう。薄情な娘の罪滅ぼしでもある。


午後はまたごろごろと寝てばかりだったが

3時には目を覚まし夕方まで自室で過ごす。

暇つぶしに昨年の5月の日記を読んでいた。

つい一年前の事なのに記憶は随分と薄れており

お客さんの事など書いていてもそれが誰なのか分からない。

義父の田植えは第三段まであったようで今年もそうなることだろう。

仕事は決して順調ではなかったのだ。よく乗り越えて来たものだと思う。

一日一日を縫うように過ごしている。かと云って何も完成していない。

一枚の布はあっても針に糸を通せなかったり

その糸もそうそう多くは在りはしなかったのだろう。

そうしてゴールは見えない。それは今も同じことである。


けれども書きながら生きて来た。それを誇りに思いたい。

書き残すことで少しでも前へ進めたのではないだろうか。


今日があったから明日があるとは限らないが

奇跡のように夜が明ければ与えられた命がある。

その掛け替えのない命を全うしなければならない。

散って終わりではない。散ってこそ始められることがきっとある。


         
           運命

       間違いではない
       正しく雨が降っている

       残り花に降り注げば
       もう跡形もなかった

       間違いではない
       正しく風が吹いている

       しがみつく術も知らず
       見届けるように散った

       どれほどの誇りも
       もう敵いはしない
       運命であろうか
       儚さを思い知る

       しっかりと根を張り
       土と共に生きるだろう

       また巡り来る季節に
       花として咲くために



2025年04月12日(土) 窓を開けて

晴れのち曇り。今夜遅くには雨になりそうだ。

今度こそ「花散らしの雨」になるかもしれない。

つつじの花が咲き始めれば藤の花も咲き始める。

花たちはそうして季節を繋いでくれるのだった。

誰の指図も受けない。ただ咲く時を知っているのだろう。



工場の仕事が気掛かりでならなかったがお休みを頂く。

心苦しくてならないが「カーブス休暇」であった。

筋トレ中にお客さんから3回も着信がある。

そうなればカーブスどころではなくなり集中出来なかった。

休んでいる私が悪いのだと思う。仕方ないことなのだろう。


カーブスを終え買い物を済ませてからダイハツへ向かった。

やっと部品が整ったようでパワーウインドウの修理である。

プロの手に掛かれば今度こそ完璧に直ると信じるしかない。

それにしても窓の開かない車の何と不便だったことだろう。

気温が高くなれば暑くエアコンを点けなければいけなかった。


午後は例の如くでごろごろと寝てばかりである。

怠惰を貪るのにも少々飽きてしまった。

かと云って何もする気になれない。困ったものである。


娘達が夕食不要と云い残しダンス教室へと出掛けて行く。

めいちゃんは余程ダンスが好きなのだろう嬉しくてならない様子だった。

好きなことを貫いて欲しいと願う。将来が楽しみでならない。


ステーキを焼いていたのであやちゃんに声を掛けたが

「お母さんが帰るまで待つ」と云って聞かない。

それはとても素っ気ない声で何だか拒否されているように感じた。

とにかく干渉してはならない。そっとしておくべきなのだ。

もう待つことにも慣れてしまったのだろう。

それを憐れに思うのが老婆心でなくて何だろうと思う。


夫と話していれば平日は時々散歩に出掛けているのだそうだ。

それも娘が出掛けている時だけのことらしい。

そうして夫の居る茶の間に来てはあれこれとおしゃべりをするのだそうだ。

母親である娘も祖母である私も知らないあやちゃんがそこに居た。


土手の道で川風に吹かれている姿を想う。

春の陽射しの眩しさに目を細めていることだろう。



            窓

      はるさんは中学生になったが
      まだ一度も学校に行っていない

      一年何組かも知らない
      担任の先生も知らない
      クラスメートも知らない

      満開だった桜の花がはらはらと散り始めた
      窓を開けると優しい風がまるで友達のようである

      「なつさん」と呼んでみたが声は届かなかったようだ
      学校へ行けば隣の席なのだろう
      もしかしたら親友になれるかも

      どんな顔をしているのだろう
      笑うと笑窪がとても可愛いのだ

      窓の外はきらきらと輝いている
      はるさんは独りぼっちだったが
      少しも寂しさを感じなかった

      もう三度目の春のことである



2025年04月11日(金) 春の別れ

雨上がりの朝。日中は次第に晴れて25℃の夏日となった。

昨夜の雨は小雨だったおかげで花散らしの雨にはならなかったようだ。

桜はまだ残っておりその健気な姿に感動を覚える。

潔く散り急ぐことはあるまい。ゆっくりと散れば良いのだ。


朝の国道を行けば柿の木畑があり若い緑が目に眩しい。

しっとりと雨に濡れたせいだろうきらきらと輝いていた。

もう若葉の季節なのだ。あらゆる植物が芽吹き始めている。

春が匂う。なんだか天の国ではないかと思うほどに。




仕事は相も変わらず順調とは云い難い。義父はまた田んぼであった。

同僚のクレーム修理も5日目となりまだ完了の目途が立たない。

最初は2日の予定だったのでスケジュールが大幅に狂う。

来週からは毎日車検の予約が入っておりどうなることだろうか。

義父の助けがなければパニックになってしまいそうだ。

あれこれと思い悩んでも何も変わらずとにかく前へ進まねばならない。



2時過ぎに退社。義父が帰っていたがどうしても云い出せない事があった。

昨年の新米からずっと我が家のお米を貰い受けていたのだが

あまりにも虫が良すぎるのではないかと思い始めた。

娘とは云え義理の仲である。少しは遠慮も考えなくてはいけない。

お米の価格が高騰しており家計には響くが今回は買うことにした。

何だか義父の苦労をむしり取るような気がしたのだった。


3時過ぎに帰宅したが夫が珍しく出掛けており不思議に思う。

4時前には帰って来たが何と川船が売れたのだそうだ。

仲介してくれた人に3万円支払い5万円の収入がある。

借金をしてやっと手に入れた川船だったがもう惜しくはなかった。

長い歳月を共に働きその恩は言葉では言い尽くせない。

しかし廃業した以上はもう不要な船であった。

断捨離にも等しいが廃船にするよりはずっと良いだろう。

人手に渡っても四万十川は永遠に流れ続けている。


海苔の作業場は娘婿に譲りもう殆どの物を処分した。

乾燥機が残っているがこれは思うように買い手が付かない。

海苔の収穫自体が廃れてしまった今では無理もないだろう。


手放すこと。処分すること。それは別れにも等しかった。


         
          真丸(まことまる)


        その川船は「真丸」
        とうとう別れの時が来た

        どれ程の苦労だったことか
        歳月は潮のように満ちて引く

        夜明けを待ち兼ねて漕ぎ出す
        朝陽が射せば川面を染めて
        冷たい風が吹き抜けていく

        舳先に座っていると水しぶきが
        川面を切るように踊るのを見た

        漁場に着くと船は大きく息をし
        ただひたすらに豊漁を願う

        共に生きて来たのだろう
        かけがえのない船であった

        手放せば別れの時である
        歳月は宝物だったのかもしれない



2025年04月10日(木) 葉桜

曇りのち雨。本降りにはならず霧のような雨である。

雷雨注意報が出ておりこれから強く降り出すのかもしれない。

「花散らしの雨」になることだろう。


窓から見えていた対岸の山桜もとうとう散ってしまった。

寂しさよりも切なさである。言葉に出来ないような喪失感だった。

おそらく遠くに見えていたからだろう。仰ぎ見ることも出来ず

ただその薄桃色に心を惹かれていたのに違いない。


山里の桜も散り始めており既に葉桜になっている樹もある。

染井吉野の葉は緑ではなく赤茶けているのが特徴であった。

やがて夏が来れば緑に変わる。それこそが葉桜なのかもしれない。




工場は「オイル交換祭り」であった。予約なしの突然の来客である。

初めてのお客さんもあり断ることが出来なかった。

同僚の不機嫌を隠すように愛想を振り撒く。

それが良かったのか夏の車検の用命を頂くことが出来た。

商売は第一印象がとても大切であると改めて思う。

特に新規のお客さんはリピートに繋げていかなければならない。


雨が降り出した頃に義父が田んぼから帰って来てくれた。

まだまだやり残した作業があったのだろう少しご機嫌斜めである。

けれども渋々であったが工場の仕事を手伝ってくれて大助かりだった。

少しでも順調にと願う。焦りは禁物だと自分に云い聞かせていた。


同僚は今日もクレーム修理と格闘しておりとうとう4日目となる。

思うようには行かないものだがその苦労を労うばかりであった。

無償なので売上にはならない。ただ同僚の苦労だけが残る。

けれども何としても信頼を取り戻さなければいけないのだ。



午後思いがけない訃報が舞い込む。

若い頃に一緒に仕事をしていた郁子さんが亡くなった知らせだった。

今は喫茶店を経営しており時々店に訪れたことがあったが

それも足が遠のき20年以上も会っていなかった。

その歳月が恨めしいほどに心に突き刺さって来る。

いつも明るくて朗らかな人だった。私とはよく気が合ったのだ。

昨日トイレで倒れているところを家族が発見したのだそうだ。

そんなことがあってたまるものかと耳を疑うような出来事である。

また「ある日突然」だった。これほどのショックがあるだろうか。

「郁子さんが死んだ」その現実に必死で逆らおうとしている。


人の死に慣れてはいけないと思うが慣れずにはいられない。

そうして必ず「明日は我が身」だと思う。

怖ろしくてならず不安でいっぱいになってしまうのだ。

私も殺されるのだろうか。それは明日かもしれない。

まだまだ思い残すことばかりで途方に暮れるばかりであった。


          
         覚悟

     仄かに雨の匂いがする
     とうとう散る時が来た  

     覚悟をすれば心を決めて
     もう逆らってはならない

     思い残すことなどありはせず
     目を閉じて身をまかせている

     雨を恨んではならない
     空を恨んではならない

     精一杯に咲いたのだ
     これほどの春はなく
     満たされた季節であった

     はらはらと散っていく
     それは潔くそれは尊い

     花として生きてきたのだ
     その命を讃える時がきた

     季節の掟に命を尽くす



2025年04月09日(水) 難破船

今日も気温が高くなり初夏のような陽気となる。

もう「鯉のぼり」の季節なのかはたはたと風になびいていた。

高知県の鯉のぼりは全国的にも珍しく「フラフ」を立てるのが習いである。

大漁旗のような作りで大きく男子の名を書いてあるのが特徴であった。


昔は「初節句」を盛大に祝うのが習いであったが

今は家族のみで祝う家が多くなったようだ。

皿鉢料理が並ぶ大宴会など殆ど見られなくなった。

コロナ禍の影響もあるだろうが寂しいものである。



仕事は少しだけ捗った。義父が昨夜遅くに車検を済ませてくれていた。

ぐったりと疲れていただろうに無理をさせてしまったようだ。

朝食は食べたのだろうか今日も早朝から田んぼに出掛けていて留守である。

お昼に帰って来たが昼食もたべないままハウスの管理に出掛けた。

苗が枯れたら大変なことになり毎日の水遣りが必要である。

来週には田植えを予定していてどうか順調にと願うばかりであった。


同僚はクレーム修理に悪戦苦闘しており気の毒でならない。

7年前に修理をした車であるがずっとオイル漏れが続いていたとのこと。

気難しいお客さんで仕方なく無償で修理をすることになったのだ。

今日で3日目であるがまだ直らず同僚も焦り始めている。

今週はそのため車検の予約を受け入れなかったのだが

後回しにした分来週から月末まで予約でいっぱいになってしまった。

やってやれないことはないが何だか不安でならない。

順調とは限らずいつまたトラブルが起きるやもしれない。


今日はふっと工場を閉めることを考えていた。

義父も農業一筋ならどれ程楽だろうか。

私と同僚は失業するがそれでも構わないと思ったのだ。

資金繰りも追いつかず今こそ限界なのではないだろうか。

今のままでは苦労が報われるとは思えないのだ。


まさに嵐の海を彷徨う難破船である。

沈没すれば命さえも危ういことだろう。

それでもオールを漕ぎ続けている。いったい何処に向かっているのだろう。


義父には口が裂けても云えないことだった。

二足の草鞋を履きこなそうと必死なのである。

そんな義父に水を差すようなことをどうして云えようか。


とにかく耐えることなのだ。現状を受け止めなければいけない。

明日はあしたの風が吹くと何度言い聞かしてきたことか。

何処かの島に辿り着くような風であって欲しいものだ。


        
        野薔薇(ノイバラ)


       身を守るためである
       その棘はたくましく
       強さの証でもあった

       けれども心細いのはなぜ
       不安なのはなぜだろうか

       大河に夕陽が沈む頃
       純白の花は紅く染まり
       暮れていく空をおもう

       誰も手折りはしない
       凛とした命であった

       行く末を案じてはならず
       いつだって明日を信じる

       花びらとして散っても
       思い残すことなどない

       大河のほとりであった
       永久の命が咲き誇っている




2025年04月08日(火) 宙ぶらりん

最高気温が23℃まで上がりすっかり春の陽気となった。

桜の花の何と健気なことだろう。はらはらと散りながらも

樹全体が微笑んでいるように見える。

最後の最後までとその命を燃やしているのだろう。


一足早く咲いた郵便局の大島桜は葉桜になってしまったが

緑の葉が陽射しを浴びてきらきらと輝いている。

そうして清々しい風が吹けば心がとても癒されるのだった。

散ったからと嘆くことなど何ひとつありはしないのだ。



仕事は今日も今日とて停滞したまま一歩も前へ進めない。

死に物狂いのように田んぼに出掛ける義父をどうして阻止出来ようか。

とにかく何としても田植えまで漕ぎ着かせてやりたかった。

工場は厄介なクレーム修理が入庫しており同僚が頭を悩ませている。

義父の助けがあればと思うがそれどころではなかった。

今日もお昼前に一度帰宅したが昼食も食べずにまた出掛けて行く。

80歳を超えた高齢者とは思えないパワーが漲っている。


午後からの何と気怠いことだろう。すっかりやる気を失くしてしまう。

頑張ろうにも頑張ることが無いのである。苦痛としか云いようがない。

2時になりもう帰ろうと思い逃げ出すように帰路に就いていた。


気分転換を兼ねて春物の衣類を買おうと郊外の「フジグラン」に行ったが

明日直ぐに着られそうな衣類が見つからずがっくりと肩を落とす。

そのままサニーマートまで行くつもりだったがたまには違う店でと思い

フジグランの食品館で夕食の材料を買い求めた。

しかし何処に何が陳列されているのか分からず歩き回るばかり。

カートを押していたが足が痛み始めやっとの思いであった。

やはり慣れているサニーマートが良かったのだと悔やまれる。


3時半に帰宅。「今日はえらく早いなあ」と夫が驚いていた。

「もう嫌になったけん」愚痴を聞いてくれる夫には感謝しかない。

話してしまえばもうストレスも消え失せていた。


2階の自室でアイスコーヒーを飲みながら煙草を二本吸う。

窓から見える山桜は今朝と変わりなく何だかとてもほっとした。


4時からは「子連れ狼」である。すっかり日課になったようだ。

大五郎が「ありがと」とにっこり微笑む顔が好きでたまらない。

23年前の時代劇だがどれ程の人が癒されたことだろう。

そうしてそんな時代劇を今も求めている人が多いのではないだろうか。



今日は入学式と始業式がありめいちゃんは5年生になった。

中学校のことは何も分からない。娘も何も言ってはくれなかった。

あやちゃんは在籍しており決して除外はされていないようだが

情報は全くなく何だか宙ぶらりんの中学生となった。

もし学校に行けるようになってもどんなにか戸惑うことだろうか。

クラスメイトの顔も知らないのだ。余程の勇気が必要に思う。


旅立ちの春であるが咲けなかった花もあるだろう。

けれども決して枯れはしない。みんなみんな生きているのだから。


       
         若葉

      ひとつきりの実もない
      過ぎた日の秋をおもう

      鳥と戯れることもなく
      寂しい季節であった

      木枯らしに晒された冬
      枝先には雪が積もった

      寒さにふるえながら
      優しい陽射しを待つ

      嘆いてはならない
      悲観してはならない
      涙を流すこともなかった

      辺りの樹々が花を咲かす
      何と誇らしい姿だろうか

      「だいじょうぶよ」
      風が春の声を運んで来る頃
      むくむくと枝先に命が宿る

      それは若い緑であった
      どれほど待ったことだろう

      きらきらと輝く新しいいのち












2025年04月07日(月) あんたも馬鹿ね

最高気温が20℃を超え春らしい陽気となる。

風は春風そのもので桜吹雪が見られた。

地面は薄桃色の花びらに埋もれていたが

その花びらは何処に運ばれて行くのだろう。


山つつじも満開となり山肌を桃色に染めている。

つつじの仲間なのでやがては枯れてしまうのだろうか。

桜のように潔く散ってしまいたいのかもしれない。


季節は春爛漫である。陽射しを浴びる全てのものが輝いて見える。





さあ月曜日とやる気満々で職場に着いたのだが

義父は既に田んぼに出掛けており工場の仕事どころではなかった。

土曜日に車検整備を終えた大型車があったが検査が出来ない。

お昼に帰って来たが昼食を終えるとまた直ぐに出掛けて行く。

要らぬ口は叩いてはならず黙って見送るしかなかった。


困り果てたのはまた資金が底を尽いてしまっていた。

預金をありったけ引いたがそれでも足りないのだ。

自転車操業なので車検の売上が無いと前へ進むことが出来ない。

義父のせいにしてはいけないが何だか恨めしくなった。

義父はきっと私のせいにするだろう。やり繰りが下手なのだと。


お昼休憩も取らず四苦八苦していたらお客さんが支払いに来てくれた。

全額ではなく内金であったがおかげで今日の支払いが出来る。

母が助けてくれたのに違いない。そうして見守ってくれているのだ。

今日は何とかなった。明日はまた明日の風に吹かれるしかない。


2時に退社しまた「大吉」へ向かう。

まるで貧乏人のあがきのようであったが査定だけでもと思っていた。

生前の母が趣味で切手収集をしており正に遺品である。

しかし査定の結果、実際の切手の値段より安くなるとのこと。

納得のいかない話だが買い取り業者では当たり前のことらしい。

そこで初めて自分が何と愚かな行為をしているのかと気づいた。

母に申し訳なくてならない。高値なら売ってしまったことだろう。

「やめて」母の声が聞こえたような気がして涙が出そうになった。

母の宝物だったのだ。一枚一枚眺めながら微笑む母の姿が見えた。


「大吉」の査定員さんは今日も愛想が良かったが

余程お金に困っている貧乏人に見えたことだろう。

おそらく3日も続けて来店したのは私だけだと思う。

欲に目がくらんだのか。何と憎らしい欲だろうか。

切手の収集ブックを胸に抱くようにして家路に就いたことだった。


帰宅するなり母の遺影に手を合わせたのは云うまでもない。

「あんたも馬鹿ね」と母は可笑しそうに笑っていた。


金は天下の回り物と云うが家計は何とかなっていても

会社は火の車でこの先どうなる事やらと不安で一杯になる。

ゼロを挽回してもまた直ぐにゼロになってしまうのだ。

私はいったいいつまで試されるのだろうか。

ふっとはらはらと散ってしまいたくなった。

      
         花びら

     風に身をまかせている
     逆らうことをせず
     しがみつきもせず

     はらはらと散れば
     ゆらゆらと飛んで
     辿り着く場所がある

     水面なら浮かぼう
     野辺なら埋もれよう
     肩ならば寄り添おう

     尽いたとて嘆きはせず
     ただ空となり生きる

     見届けてはくれまいか
     健気に精一杯に咲いた花を



2025年04月06日(日) 山桜

雨上がりの爽やかな晴天。気温も高くなり春の陽気となった。

昨夜の雨のせいだろうか対岸の山桜が少し散ったようだ。

僅かに残る薄桃色の花が健気に咲いているのが見えた。


庭先の桜草はずいぶんと長く咲いており心を和ませてくれる。

雨に打たれて倒れていたのをそっと手を添えて直す。

花として生まれたからには生きたくてならないのだ。



今朝も心を弾ませながら「大吉」へと向かう。

バーバリーのコート、年代物のカメラと腕時計、夫の勲章等を持参する。

勲章は夫が消防団に所属していた時に頂いた物で6個もあった。

「そんなもんが売れるはずないじゃないか」と夫は笑い飛ばす。

査定の間どきどきわくわくしていたが所詮捕らぬ狸の皮算用である。

バーバリーのコートが僅か5百円と聞き衝撃が走った。

けれども箪笥の肥やしである。捨てるよりもずっと良いのだろう。

勲章は諦めようと思っていたが何と買い取ってくれるとのこと。

総額で2千5百円であったが夕食代にはなりそうである。

「まあこんなもんですね」査定員の青年と笑い合い何と愉快であった。


昼食に下田にあるお好み焼き屋「どんぐり村」に予約した。

テイクアウトで「オム焼きそば」と「豚玉」を注文する。

初めての来店であったが先日ユーチューブで見て気になっていたのだ。

店主の何と愛想の良いこと、とても朗らかで明るい人であった。

代金は何と2千5百円で笑いが止まらない。

今日の臨時収入はそうしてお腹に収まった。

とても美味しかったのでリピート間違いなしである。

しかしもう売る物は何もない。それでもまた食べなくてはならない。


お腹が破裂しそうなくらい満腹になりもう寝るしかなかった。

3時頃に一度目を覚ましたがまた寝てしまいとうとう4時半である。

洗濯物を畳み終えたら夕食の支度が待っていた。

娘が出掛けており帰宅が遅かったが「すき焼き」なので大丈夫。

5時半には煮えて夫の晩酌が始まっていた。


夕食後の煙草を吸いながら対岸の山桜を眺めていた。

日に日に散ってしまうだろう。何とも切ないものである。

この四万十のほとりに嫁いでもう半世紀が近くなったが

今年ほど山桜に心が惹かれたことはなかった。

老いてこそのゆとりが出来たのかもしれないが

今まで気づこうともしなかった歳月が惜しくてならない。

やがて最後の春が来るが私は一本の山桜で在りたい。


         山桜


     対岸の山を仄かに彩る
     その薄桃色に心を委ねた

     大河はゆったりと流れ
     川船が遡って行けば
     水しぶきにはっとする

     半世紀近い歳月が流れ
     終の棲家に訪れた春
     子は父になり母になった

     桜であることに違いない
     辺りの緑はいっそう濃く
     若葉が風に匂う頃だった

     咲いたからには貫こう
     誇らしく生きていこう

     やがて散ってしまっても
     また訪れる春がきっとある

     空が近くなり雲が流れる 
     風に吹かれながら咲いた
     一本の桜木である



2025年04月05日(土) 思い出を売る

曇り日。陽射しはなかったが暖かい一日となった。

来週からは気温が高くなりいよいよ春本番となりそうである。

まだ桜の咲いていない地域でも開花のニュースが流れるだろう。


窓を開けて対岸の山桜を見るのが日課になっているが

今朝もほんのりとその薄桃色に心を和ませていた。

散り急ぐこともなくなんと健気なことだろう。

我が家の庭先も花盛りになっており癒されるばかり。

特に娘が植えてくれたチューリップは何とも可愛らしい。



朝ドラ再放送の「ちょっちゃん」を見終わってから2時間程寝ていた。

決して睡眠不足ではないのだがもう週末の恒例となっている。

肩の力を抜いてとろりとろり眠るのが心地よくてならない。


10時からカーブスだったが同じ店内に「大吉」が査定に来ており

若い頃の指輪やネックレス、ピアス等を持参する。

どれも思い出深い品であったがもう身に着けることも無くなった。

これも断捨離だと思う。値が付くとは思えず捨てるような気持であった。

そのうち孫達にとも思っていたが今の若者は喜ばないのだそうだ。

大吉の査定員さんから貰っても直ぐに売りに来る人が多いと聞く。

「何ともせつない時代ですね」と嘆かわしそうに呟いていた。


指輪が良かったのか思いがけずに全部で1万5千円の値が付く。

高額買取と聞いていたがまさか売れるとは思ってもいなかった。

思い出を売ったのだろう。若き日の私を捨てたのに等しい。


古いカメラや時計、ブランド品の洋服等も買い取ってくれるそうで

明日また来店することにした。これで一気に断捨離が出来そうだ。

思い残すことなど何ひとつありはしない。




昼食後も直ぐに眠くなり3時過ぎまで寝ていた。

夫はすっかり呆れ返り「だから太るんだ」とほざくばかりである。

うっかりしていたのは昨日届いた詩集の代金を送金していなかった。

SNSで知り合った詩人さんが送り届けてくれた貴重な詩集である。

届き次第に送金の約束をしていたので今日中に送金しなければならない。

大急ぎで川向の郵便局へ行ったがATMは午前中のみであった。

仕方なくサニーマートのATMまで走りやっと送金を済ます。

ささやかな繋がりであるがその詩人さんにはいつも励まされている。

私の拙い詩をいつも読んでくれており何と有難いことだろうか。



この日記を書き始めてから春雷が鳴り響き雨が降り始めた。

雨音は耳に心地よくうっとりとするような春の宵である。

桜が散ってしまうかもしれないがそれも定の雨だろう。

桜雨に心を委ねる。そうしてまた季節が移り変わって行く。



2025年04月04日(金) 私はわたし

二十四節気の「清明」すべてのものが清らかで生き生きとする頃。

空は雲一つなく澄み渡り爽やかな風が吹き抜けていた。

陽射しを浴びた桜の花がきらきらと輝いて見える。

何と清々しいことだろう。一年で一番好ましい季節であった。


山道の集落に在る良心市には「タラの芽」と「新玉葱」が並んでいる。

タラの芽は好きだがつい先日食べたばかりなので今朝は新玉葱を買う。

三個で百円の安さである。何と有難いことだろうか。

それも新鮮で葉が生き生きとしており朝採りに違いなかった。

辺りは見渡す限りの畑である。つい玉葱は何処だろうと探してしまう。

すぐ傍らの民家には芝桜が植えられておりまるで花の絨毯のようであった。

畑仕事をしながら花も育てているのだろう。その優しさが伝わって来る。





仕事は今日も順調とは云い難く困難な事ばかりであった。

昨日私が引き取って来た車も不具合が多く同僚が頭を悩ませていた。

義父の助けが欲しかったが今朝も早朝から田んぼに出掛けている。

おまけに今日は親戚のお葬式があり参列しなければならなかった。

義父の妹に当たる叔母のご主人が亡くなったのだが

癌を患っており長い闘病生活送っていたのだった。

養生相叶わず残念でならないが叔母はどれ程気を落としていることか。

日頃から朗らかな叔母だけにその心痛を気遣わずにはいられない。


お昼前になっても義父が帰らずお葬式の時間が気になるばかり。

義父の姉に当たる伯母に訊いたら1時45分からなのだそうだ。

それならば十分に間に合うだろうとひたすら帰りを待っていた。


間もなく義父が帰って来たが朝食も食べていないとのこと。

伯母がお弁当を届けてくれており大急ぎの昼食であった。

30分もしないうちに喪服に着替えた義父が出掛けて行く。

田んぼの作業がまだ残っていて気が気ではない様子であったが

義弟が亡くなったのだ。少しでも叔母の力になって欲しいと願う。


週給の同僚のお給料を何とか整え3時に退社した。

新玉葱が手に入ったので今夜は「親子丼」である。

後は冷凍餃子であったが夫が「そろそろ手作り餃子が食べたい」と云う。

それをきっかけに娘に再就職の話を切り出してみたが

「なんで?」と話を逸らそうとするのだった。

母にも母の心構えが必要であり予定だけでも知りたいことを話すと

全く相手にしてくれず笑って誤魔化すばかりであった。

それはまだ何も決めていないと判断するべきなのだろうか。

猶予期間があるのならそれに越したことはないと思う。



友達の家に遊びに行っていためいちゃんが帰宅したが

昼間娘と美容院へ行っていたそうで長い髪をばっさり切っていた。

我が孫ながら何と可愛らしいことだろう。まるで市松人形のようである。

残念ながらあやちゃんは行きたがらなかったようだ。

とにかく家から一歩も外に出ようとはしないのだった。

「あやちゃんも切ったら良かったのに」その一言が云えない。

なんだか腫れ物に触るような夕暮れ時となってしまった。

けれどもにこにしながら親子丼を食べている姿の微笑ましいこと。

まるで「私はわたし」と胸を張っているように見えた。


「その時」はきっと訪れるだろうと信じて止まない。

春風が待っている。もう直ぐ13歳になろうとしている少女のことを。









2025年04月03日(木) 巡る季節に

爽やかな晴天。気温は17℃程で過ごし易い一日だった。

もう寒の戻りは峠を越えたのだろうと思っていたが

明日の朝はまた一気に冷え込み遅霜の心配もあるようだ。

春爛漫とは行かず寒暖差が身に堪える時期である。


満開だった桜が少しずつ散り始めてしまった。

好天が続けば一気に散ることはなさそうだが

風に身を任せるようにはらはらと散る姿は切ないものである。


はっと気づいたのは紫陽花の新芽だった。

枯れて朽ち果てた化石のような花を包み隠すような若い緑である。

花芽が見えるのはまだまだ先の事だが咲く準備を始めたのだろう。

桜が散ればツツジの季節。藤の花も咲けば紫陽花の季節がやって来る。

花たちの何と健気なことだろう。みな咲く時を知っているのだった。




朝のうちに隣町の宿毛市へ車検の車を引き取りに行っていた。

本来なら義父の仕事であるが今日も忙しそうにしている。

オートマの軽自動車なので私でも難なく運転が出来るのだった。

帰り道に平田町の桜並木を仰ぎながら県道を走っていたら

白装束のお遍路さんが夢中な様子で写真を撮っていた。

ようく見ると金髪の女性で絵になるような光景である。

日本と云えば「サクラ」なのだろう。なんだか嬉しくなってしまう。


今日はもう一人外国人のお遍路さんを見かけたが

最近特に多いように思う。そうして日本のお遍路文化に親しんでいるのだろう。

今はスマホで英語を日本語に変換出来るアプリがあり便利になった。

言葉の壁で苦労することも少なくなったことだろう。




仕事は相変わらずの忙しさだったがリハビリのある日で3時前に退社。

3時40分の予約だったが20分も早く順番が来る。

療法士のU君の手は今日も「神の手」であった。

会話も弾み嬉しくてならない。随分と仲良しになったものだ。


今日は診察のある日で一時間の待ち時間が苦痛である。

やっと会えた医師に月一の診察を懇願したが敢えなく却下された。

理由はよく分からないがそれが医師の方針なのだろう。

今日も私の事などそっちのけで義父の話ばかりをする。

「安静第一」らしいがもはや手遅れであった。

死に物狂いとしか思えない程の義父の働きぶりである。


薬局で骨の薬を受け取り直ぐに帰宅したがもう5時であった。

今日は遅くなるだろうと予め娘に買い物を頼んであり助かる。

自分達の食べたい物を買いなさいと云ってあったのだが

私と夫にと鯵の開きを買って来てくれており嬉しかった。

メインは「しゃぶしゃぶ」だったが私も夫もあまり好まず

鯵の開きだけで十分であった。脂が乗っておりとても美味しい。

娘は娘なりに思い遣ってくれたのだろう。有難いことである。


今後も遅くなる日は娘に頼もうと思うのだが

再就職が決まればそうそう頼ることも出来なくなってしまうだろう。

それはいったいいつのことなのか今は皆目見当が付かないのだ。

先日も夫と今回はえらく落ち着いているなと話したことだった。

経済的なゆとりがあるのかもしれないが全く焦りを感じさせない。

娘との会話は随分と増えたが再就職の話は一切口にしないのだ。


私が一番に案じているのはあやちゃんの事だったが

母親である娘もきっと思い悩んでいるのではないだろうか。

決してほったらかしにするのではないが事実上はそうなってしまう。

祖父である夫が居ても母親の代わりにはなれないのだ。


決めれば必ず犠牲になることがあるのが世の習いである。

全ての事を守り続けることなど誰にも出来はしないのだと思う。


春が深まればやがて初夏が訪れるが空は変化せずにはいられない。








2025年04月02日(水) 桜雨

桜雨。気温は低目で冷たい雨となった。

さほどの雨量ではなかったが少しは恵みの雨になっただろうか。

田んぼの水不足が一日も早く解消することを願って止まない。


雨にも負けず桜は健気に咲き続けている。

寒の戻りのおかげで今年の桜は例年よりも長く咲きそうだ。

山躑躅も咲いたが見事なのは馬酔木の花である。

山肌からこぼれるように咲いており朝の道が楽しみであった。

最初に見つけた日からもう随分と経ったように思うが

桜が散ってしまってもきっとまだ咲き続けていることだろう。

なんだか散るのを見るのが怖いような気がしてならない。




NHKの朝ドラ「あんぱん」が始まっており楽しみに見ているが

今朝はあまりにも辛いシーンに涙が出そうになった。

わずか7歳で母親に置き去りにされた少年の気持ちが痛い程に分かる。

それは13歳の私と重なりとても他人事には思えないのだった。


子を捨てる時、母親は「おんな」である。

私の母もそうして自分を貫こうとしたのだろう。

今更恨む気持ちはないが心の底から赦してはいないのだと思う。

もう過ぎた事だとどうして済まされようか。

私と弟は傷ついたがそれ以上に父が憐れでならなかった。





雨の中義父は田起こしに出掛けていた。

トラクターには屋根があるが濡れずには済まなかっただろう。

お昼になっても帰らず3時頃にやっと電話があった。

余程空腹だったのだろう田んぼまでお弁当を届けて欲しいと云うのだが

私は既に帰路に就いておりどうすることも出来なかった。

そう告げると残念がっていたが夕食まで我慢すると云い張る。

今夜は親戚のお通夜もあり食べる時間があるだろうか。

もしかしたらお通夜の事をすっかり忘れていたのかもしれない。

とにかく夢中である。何としても田植えまで漕ぎつけなくてはならない。


4時に帰宅。また夫と一緒に「子連れ狼」を見ていた。

大五郎役の男の子は今は26歳になっているらしいが

役者ではなくユーチューバーをしているのだそうだ。

演技力は抜群なので役者でないのが惜しいような気がする。

あれこれと夫に話し掛けていたら「黙って見ろや」と叱られてしまった。

ラストシーンでは雨の中を父と子が新たな旅に出たが

傘など差しているはずもなく大五郎が風邪を引くのではと心配になった。



夕食の支度はまた娘に頼りっぱなしである。

今夜は一口カツをこんがりと揚げてくれてとても美味しかった。

サニーマートの揚げ物の話になり「あれは酷かったな」と。

もう二度と食べたくはないのだがそれも娘次第である。

娘も勘づいたのか苦笑いをしていた。


何が良くて何が悪いのか最近は鈍感になっているように思う。

決断力も鈍り「こうだ」と決められないことが多い。

そうして増々老いて行くのだろう。自分ではどうする事も出来ない。

ただひたすら自分の信じた道を貫こうとしているのだが

それも良いのか悪いのか判断することが出来なくなった。


こうして書きながら生きることも死ぬことに等しいのかもしれない。



2025年04月01日(火) 23年目の春

曇り日。気温は15℃まで上がったが肌寒い一日だった。

今日から4月だと云うのに関東では雪が降ったそうだ。

満開の桜に雪である。どれ程戸惑ったことだろうか。

寒気は次第に緩むそうだが明日もまだ寒さの名残がありそうである。


山里では田植えの準備が着々と進んでいるが水不足とのこと。

義父はもちろんだが米農家さんは皆さん頭を悩ませている。

「水稲」であるからには水が無いと稲は育たないのだ。

最悪の場合は水枯れとなり稲が枯れてしまう恐れがある。

そろそろ菜種梅雨の頃だがまとまった雨が降って欲しいものだ。




経営はゼロからの出発であったが例の会社からの入金が無かった。

もしや倒産かと心配しながらおそるおそる電話を掛けてみたら

昨日は何か手違いがあったらしく送金が出来なかったのだそうだ。

今日午前中には必ず送金すると約束してくれほっと胸を撫で下ろす。

電話の声は明るかったが余程厳しい状態であるのが察せられた。

明日は我が身かもしれない。資金が底を尽けばもうお終いである。

そうなったらどう対処すれば良いのだろうと考えずにはいられない。


義父は早朝からハウスへ行っていたらしくお昼に帰って来た。

そのまま昼食も食べずに車検を2台仕上げてくれたが

空腹を気遣うと「食べる暇はないぞ」と云い放つ。

僅か数分でも時間を惜しみ忙しさを強調しているのだった。

「お腹が空いたら力が出んよ」と宥めやっと食べてくれほっとする。

首には痛々しくギブスを嵌めており辛抱しているのだろう。

田植えは14日に決めたそうであらあらと云う間である。

また友人達が手伝いに来てくれるらしいが義父は先頭に立たねばならない。

身体が資本であるがどれ程堪えるだろうかと気遣わずにはいられなかった。


義父を見送り3時過ぎに退社する。

夕食の献立を考えるのが楽しみでならない。

それも娘のおかげだろう。もう手を抜く必要がないのだ。

狡い考えかもしれないが「今のうち」としか思えない。


帰宅したら4時を過ぎていたが途中から「子連れ狼」を見る。

危険な場面になるとどうしても大五郎が殺されるのではないかと

はらはらと心配でならなかった。それは在り得ないと思っていても

幼い子供を人質にすることも考えられる。刀を突き付けられたら

父親の拝一刀も刺客の使命をどうして果たせようか。

夫は笑い飛ばすばかりであったが私は不安でいっぱいになる。


夕食後食器を洗っていたらめいちゃんが先にお風呂に入りたいと云う。

思わず「一緒に入ろうか」と云いそうになったが直ぐに諦めていた。

胸の膨らみも目立つようになり日に日に少女らしくなっている。

もう5年生なのだ。信じられないくらい成長した。


めいちゃんがお風呂から出るまでこの日記を少し書く。

そうしないと時間が足らなくなってしまうのだ。

一時間で書き終える日もあればそれ以上掛かる日もあった。

書き始めると終われなくなってずるずると書き続けてしまうのだった。

たかが日課の日記であるがこれ程儚い作業はないのではと思う。

書いてこその一日であり書けないまま果ててしまうかもしれないのだ。

不安はいつも付き纏い「これだけは」と思わずにいられない。


23年目の春である。書けない日もあったが8395日の私の人生であった。


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