晴れたり曇ったり。ほぼ真夏日の気温となり蒸し暑さを感じる。
全国的にも真夏日の処が多く山梨では34℃を超えたようだ。
まだ5月のこと。異常気象としか思えない暑さである。
これから梅雨の季節となるが梅雨が明ければ猛暑となることだろう。
まだ先の事と思っていても季節はどんどん進んでいく。
職場もとうとう冷房無しではいられなくなった。
一度頼ってしまうと毎日となりまた光熱費に頭を悩ますことになるだろう。
それは我が家も同じであるが今のところ扇風機で凌げている。
大口の支払いがある日だったが思いがけずに大口の振込入金があった。
何と助かったことだろう。大船に乗ったような気分になる。
おかげで取引先に迷惑を掛けずに済み肩の荷が一気に下りていた。
何とかなるものなのだ。前途を悲観してはならないと思う。
義父には報告しなかったが元々何も知らないのでその必要はなかった。
かつての母がそうだったようにお金の苦労は全て私が背負うしかない。
工場の仕事は順調に見えて実は大きな難題を抱えている。
同僚が幾日も手掛けた大型車の修理が台無しになってしまったのだ。
最悪の場合はエンジンを交換せねばならず莫大な修理代となるだろう。
もう同僚はお手上げ状態となり義父が後始末をすることになった。
義父が社長の顔になっている。何と頼もしいことだろうか。
同僚の胃痛は少し治まったようだが今日も元気が無かった。
日頃からの気の弱さが祟っているとしか思えない。
もう60歳を過ぎており憐れでならなかった。
もしかしたら仕事を辞めたくなっているのかもしれないが
それだけは何としても考え直してもらわねばならない。
一人でも欠けたら会社は即刻に潰れてしまうだろう。
皆がぎりぎりの瀬戸際にいる。それを限界に繋げてはならないのだ。
今日も4時に帰宅。直ぐにばたんきゅうと寝転んでいた。
大相撲を観ていたつもりだったがうたた寝をしていたようだ。
夕飯は素麺ではなく「ひやむぎ」にしてみた。
桃色や緑の麺が混ざっており何だか子供のように嬉しい。
素麺では味わえないような懐かしさがあった。
おそらく子供の頃に母がよく茹でてくれたのだろう。
記憶は曖昧であるが母と暮らした日々が確かにあったのだ。
母は死んでしまったが毎日私と一緒に仕事をしている。
思いがけない事がある度に母のおかげだなと思う。
今日もそうだった。きっと母が助けてくれたのに違いない。
魂は強い。魂は負けない。魂は生きているのだと思う。
※以下今朝の詩
うさぎ
片方の耳を失ったのは いつのことだったのか もう忘れてしまったが 真夜中に疼く時がある
ずきずきとそれは叫び 命も心細くなるばかり
確かに聴こえているのは 囁くような風の声である いつの間にか春ではなく 夏の風が吹き抜けていた
過ぎたことなどもう どうだっていいのだ
草の原を駆けていく 若い緑の真っ只中を
どれ程の疼きであっても 生きてさえいればと思う
明るい曇り日。気温は夏日となり今日も蒸し暑くなった。
山里の郵便局ではもう冷房を。役場や農協ではまだなので
節電を兼ねて窓を開け放し自然の風に吹かれていた。
そんな我慢も今月いっぱいではないだろうか。
ツツジの花はすっかり朽ち果ててしまったが
ここ数日の間にサツキの花が咲き始めている。
両者はよく似ていて見分けがつき難い花だが
春に咲くのがツツジ。初夏に咲くのがサツキである。
それとツツジよりもサツキの方が小ぶりの花だった。
我が家には土の庭がなくどちらも縁がないのだが
かつて姑さんの畑だった場所にかなり大きなサツキの木がある。
かれこれ40年程昔のこと近所に住んでいた伯父に貰った木だった。
盆栽が趣味の伯父が植え替えをしており間引いた苗を捨てると云う。
まだ小さな苗だったが一輪だけ花を付けていた。
捨てるには憐れでならず「私にちょうだい」と貰ったのだった。
さて何処に植えようと辺りを見回し姑さんの畑の隅に植える。
畑には邪魔にならないだろうと思ったのだが
姑さんはあまり良い顔をしなかったのを今でもよく憶えている。
歳月を経て小さな苗は立派な木となり毎年花を咲かせてくれた。
伯父は20年程前に亡くなったがまるで形見のように思っている。
誰かが刈らない限りは私の死後も咲き続けるだろう。

さあ月曜日と鼻息も荒く山里の職場に向かう朝だった。
例の良心市に「そら豆」が沢山並んでおり迷わずに買う。
塩茹でにして食べるのが好きで買わずにはいられなかった。
わくわくと嬉しくてならない。助手席のそら豆と一緒に出勤である。
義父は昨日また友人達に助けられ田植えを済ませたようだった。
最後の田植えは来月らしくしばらくは骨休みが出来そうである。
工場の仕事の段取りもしてくれてどれ程助かったことだろう。
しかし精神的なストレスだろうか同僚が胃痛を訴えていた。
あまりの忙しさに義父の指図を受けてパニックになったようだ。
早退させてやりたかったが義父の手前それが出来ない。
胃薬を飲ませ様子を見ていたが午後はかなり辛そうであった。
同僚に限らずマイペースが一番であるが思うようにはいかないものである。
来客があったが3時に退社。後のことは義父に任せた。
エアコンの修理が2台。今年も「エアコン祭り」が始まったようである。
こればかりは義父の専門でお神輿を担いでもらわなければならない。
4時に帰宅。夫と大相撲を観るのが楽しみであった。
大の里が9連勝。このまま一気に横綱になって欲しいものだ。
しかしまだ24歳の若さである。どれ程のプレッシャーかと気遣う。
明日はあしたの風が吹くらしいが私はいつだって心細い。
明日は特に大口の支払いがありどうなることやらと頭を悩ませている。
なるようになるらしいがいったいどんな結果が待っているのだろう。
まるで追い詰められた「崖っぷちの豚」のようである。
ぶーぶー泣き叫んでも誰も助けてはくれないのだ。
そうなればもう立ち向かうしかない。豚の腕の見せ所である。
筋肉だか脂肪だか見分けはつかない腕だが私はけっこう逞しい。
※以下今朝の詩
糸
強くなったり弱くなったり かつては真綿だったらしい
縒り続けていれば糸になり いまわたしの手元にある
陽に当ててみたり 水に濡らしてみたり 試行錯誤を繰り返せば よほど堪えるのだろう 切れてしまいそうになる
息を吹きかけてみる 指先でなぞるように その存在を確かめる
些細なことなのだろう どれほど大切にしても 弱くなれば途方に暮れ 強くなれば希望になる
どんよりとした曇り日。まるで梅雨入りしたかのような蒸し暑さだった。
少し動いただけで不快な汗が流れる。もう我慢が出来なくなり
とうとう扇風機を引っ張り出し暑さを凌いだ。
その扇風機の何と汚いことだろう。昨年洗わずに仕舞ってあったのだ。
面倒であったが各部を分解し水洗いをすれば綺麗に快適となる。
昨夜も蒸し暑く寝苦しかったので掛布団を夏用にした。
真夏になればエアコンを点けっぱなしにして寝るのだが
さすがにまだ早く布団で調整した方が良さそうだ。
5月も後半になったが本格的な夏となればどれほどの暑さだろうか。
冬の間は寒さに耐えたが果たしてこの夏を耐えられるのかと思う。

歳のせいか最近食べ物の好みが変わり無性にらっきょうが食べたい。
それとご飯である。今朝も大盛のご飯をがつがつと食べた。
昨日はJAの直販所へ行き「洗いらっきょう」を2キロ買って来る。
簡単にらっきょう酢で漬けたのだが早く食べたくてたまらない。
最短でも3日は必要らしいが我慢出来ずに少し味見をしてみた。
しかしやはりまだ早かったようであまり美味しいとは云えない。
あと2日の辛抱である。ご飯が3杯くらい食べられそうだ。
そんな有り様なので当然のように太り続けている。
しばらく会わなかった人には別人のように見えるらしい。
そうして醜態をさらけ出しているのだが自分では気にしていなかった。
70歳が近くなりガリガリに痩せているよりずっと良いと思う。
おかげでムチムチとしており皴も目立たないのである。
週末は殆ど寝ていることが多いが今日は例外だった。
昨日寝過ぎたせいもあるが横になっても眠くならなかったのだ。
午後は夫とテレビを見て過ごす。2時にはもう大相撲中継が始まっていた。
明日からはまた仕事なので身体慣らしになったことだろう。
仕事のことは忘れているようでやはり気になっているようだ。
また山あり谷ありの日々が待っている。一歩でも前へ進もうと思う。
あと10年である。今まで見えなかったゴールが見えて来たのだ。
くたばるわけにはいかない。倒れるわけにはいかない。
※以下今朝の詩
平行線
ひとつであること ふたつであること
転がしたり並べたりしているが たったひとつきりにはなれない
かと云って捨てることは出来ず 欲張りなおんなの姿が見える
これ以上でも これ以下でもない
失ってしまえば空っぽになる
花が散れば種を残すが 朽ちたままの花もある
どちらの生き方も尊く 花であることに違いない
交わることのない道を ひたすらに歩き続ける 辿り着けば救われるだろう
たったひとつきりになりたい
小雨が降ったり止んだり。気温はそう高くなかったが蒸し暑さを感じる。
昨日は九州南部が梅雨入りとのこと四国も直ぐに後を追うだろう。
梅雨もなくてはならず日本はそうして水に恵まれているのだそうだ。
豪雨の被害も多いが耐え忍ばねばならないのだろう。
梅雨と云えば紫陽花の季節だが花芽が見え始めたようだ。
あと2週間もすれば色づくことだろう。楽しみなことである。
蒸し暑さのせいか不快な程に汗が流れる。
まだ扇風機も出しておらずひたすら耐えた一日だった。
カーブスではエアコンに加え扇風機も回っていたが汗が止まらない。
脂肪が燃えているとは思えず太った体を持て余していた。
あと10年は続けたい。いやもっと90歳までと思う。
そうして少しでも体力を維持出来たらと願うばかりであった。
死んでしまえばそれまでだが生きている限りのことだ。
昼食にはローソンの「冷やし中華」を食べた。
夏ならではのことで美味しさに心が浮き立つ。
夫はビールを。私はノンアルビールを飲む。
午後はお決まりの昼寝であったが今日も寝過ぎてしまった。
4時に目覚め自室でアイスコーヒーを飲み煙草を吸う。
こんこんと咳が止まらなくなる。それでも吸わずにはいられない。
何と不健康なことだろうと我ながら嫌気が差していた。
自分では自制出来ない。立派な「依存症」だと思う。
娘達は夕食不要とのこと。夫と大相撲を観ながら焼き肉を食べた。
先日の残り物であったがまるで冷凍室の「宝物」である。
二人きりだと楽だなと夫と顔を見合わせながら喜んでいた。
風の強い一日だったが夜風はぴたっと静まっている。
雨は止んでいて明日は少し陽射しがあるようだった。
また怠惰に過ごすしかないだろう。それも良しと思う。
詩も短歌も平行線を辿っていてこれ以上もこれ以下もない。
ずば抜けてなどいないのだ。それは愚かなあがきにも等しい。
けれどもあがけるうちが花だろう。枯れてしまえばもうお終いである。
あがいて結果を出す。その結果こそが私の「いのち」なのだと思う。
※以下今朝の詩
五月雨
雨混じりの風が吹いている 窓を開ければ生暖かい声が まるで噂話をしているよう
ねえねえ知っている? ううん知りたくはないの
初夏の花が枯れたこと 沢山の種を残したこと やがては真夏の花が咲くこと
本当は知りたかったのだ ほんの少しの希望がある けれども私なんかにと思う
惨めであってはならない 誰にも等しく季節は巡る
降り注いではくれまいか 私は濡れてみたかった 真夏の花になるために
2025年05月16日(金) |
花が散れば実にもなる |
曇り日。気温は24℃と過ごし易い一日だった。
今夜遅くには雨になるらしい。
辺りの山々を黄な粉色に染めていた椎の花が見えなくなった。
おそらく散ってしまったのだろう。山の緑がいっそう濃くなる。
椎の実が成るのは秋だがきっと沢山の実がなることだろう。
子供の頃には椎の実を炒って食べたことも懐かしい。
花はアマリリスが盛り。これも子供の頃から見慣れた初夏の花である。
大金鶏菊は黄色の可愛らしい花だが特定外来植物に指定されており
絶滅を目指し駆除対象の花であった。繁殖力がとても強いのだそうだ。
これは子供の頃には見かけなかった花でいつ頃日本に来たのだろう。
花には罪はないが駆除専門の業者まであると聞きおどろく。
無残に思われるが日本の植物を守るためには仕方ないことであった。

義父は高知市で会合があり8時半には既に出掛けていた。
帰りは夜になるだろう。一気に肩の力が抜ける。
同僚も同じくで何となくのほほんとして見えた。
水道の蛇口をひねればちゃんと水が出る。
さすが義父だなと思った。昨日のうちに直してくれたのだ。
やる時はとことんやる。そんな義父を尊敬せずにはいられない。
今月は決算月なので帳簿の記帳をしていたのだが
4月分の帳尻が会わず頭を悩ませていた。
それも「現金」である。確かにゼロだったのに残高があまりにも多い。
使途不明金にするには納得が行かずきっと大きなミスがあるのだろう。
長年経理をやって来たがこんなことは初めてであった。
あれこれと考えていたが頭がパニックになりもう嫌になってしまう。
例の如くで同僚に「嫌になったけん帰る」と告げ逃げるように帰って来た。
3時半には帰宅していたが大相撲を観ながら寝てしまったようだ。
ごうごうと大きな鼾をかいていたらしく夫は呆れ返っていた。
精も根も尽き果てるとはこのことだろう。疲れには勝てなくなった。
いやしかし後10年である。一気に自信が無くなってしまいそうだ。
「やれば出来る」らしいがそもそも「やる」気力に乏しい。
仕事に一生を捧げるほどの大志も抱けなかった。
そうなればもう「なるようになるだろう」と客観的に考えるしかない。
私は何になるのだろうかと途方に暮れるばかりであった。
花が散れば実にもなるが私の実はほんの一粒かもしれない。
※以下今朝の詩
夜明け
夜風が朝風に変わる頃 闇の中から声が聴こえる
おいでおいでこっちへおいで
まさかあの世ではあるまい 私は息を確かめている
あたらしくなりたかった 老いた身にも花を添える 初夏の花は凛々と咲き 健気に風に吹かれている
闇を追いやるように夜が明ける 心細くてならなかったいのちが 息を紡ぎ始めているようだった
おいでおいでこっちへおいで
耳を塞げばただ風になるばかり 始まりはいつもそうである どれほどあたらしくなったことか
今日も27℃の夏日。風が無かったせいか蒸し暑さを感じる。
お天気は下り坂のようで明日の夜から週末にかけて雨になりそうだ。
花屋さんの店頭に半額の紫陽花が並んでいた。
おそらく母の日の売れ残りだと思われるが
半額でも1500円とそう安くはない。
しかも花はすっかり枯れており憐れな姿である。
花屋さんがどうしてそれを売ろうとするのか分からなかった。
ハウス栽培で一足早く咲かせた花なのだろう。
紫陽花の気持ちになれば決して嬉しくはないはずである。
やはりその季節に相応しい花であるべきだと思う。
もし買い求める人がいるのなら花を剪定し地に植えてやって欲しい。
もしかしたら来年には違う色の花を咲かせるかもしれない。

工場の水道は地下水を利用しているのだが昨日から断水になっている。
ポンプのスイッチが壊れているらしく義父が直してくれていた。
それが思いのほか手間が掛かりお昼を過ぎても直らない。
器用な義父も苦労しながら必死の思いで取り組んでいた。
同僚は厄介な大型車の修理に集中していたのだが
整備士魂が燃えるどころか火も点かないくらい面倒な様子である。
「もう嫌になった」と嘆くのを宥めながら応援するしかない。
最終的には義父の手助けが必要に思うがしばらく様子見であった。
出来ないでは済まされないのだ。何としても直さねばならない。
午後、内科と整形外科に行かねばならず1時半に早退する。
内科は2ヶ月ごとに薬を処方してもらっているのだが
主治医は不在で私とはとことん相性の悪い若い医師との面談だった。
ほんの数十秒の面談でろくに話をしようともしない。
不信感がつのるばかりで逃げるように薬局へ行った。
薬の種類が多いせいか7千円弱の痛い出費である。
70歳になれば医療費が安くなるらしく早く70歳になりたいと思う。
整形外科は予約時間よりも1時間も早かったが
いつもより随分と空いていて早めに診察を受けることが出来た。
医師の判断で血液検査もすることになり採血をする。
ドロドロどころかさらさらの綺麗な血だった。
結果は3週間後の診察日だが白血球の数値が少し気になっていた。
診察後はリハビリでU君の魔法の手で随分と楽になった。
医師に診断書を書いてもらっていたのでその足で福祉事務所へ行く。
「高知あったかパーキング」の利用証を交付して貰うためだった。
その利用証を掲示すれば病院等の専用駐車場に停めることが出来る。
私のような軽度の身障者が利用するのは心苦しくもあるが
僅か30メートルの距離も歩けないのだ。仕方あるまいと思う。
帰宅が遅くなる予定だったので娘に夕食の買い物を頼んでいた。
思ったよりも早く4時に帰宅したが娘がカレーを作ってくれていた。
それが何と美味しいことだろう。顎が落ちるほどであった。
これからもずっと娘が仕事をせずにいてくれたらと願わずにいられない。
ある日突然に「明日から仕事行くけん」と告げられたらどん底である。
娘は何も話してはくれなかった。特に急いている様子も見えない。
けれども覚悟はしておくべきだろう。そうそう楽も出来ないと思う。
カレーをお代わりして二皿食べた。お腹が幸せでいっぱいになる。
※以下今朝の詩
残影
月を見ているのではなく 月が私を見ているのだ
逃げも隠れも出来ない もう曝け出すしかない
うつくしくありたいが みにくさがしはいしている
澄んでなどいないのだ どれほどあがいても 真っ当にはなれない
けれどもひとつきりの いのちを守らねばならない
移ろう季節の真っ只中で 花として咲ければと願う 救われる瞬間がきっとある
月は見ることを諦めない
見届けてくれるだろうか 私が枯れて朽ちるその日を
最高気温が26℃となり連日の夏日となった。
幸い湿度が低いのだろう蒸し暑さはなく過ごし易い一日なる。
大きな木に薄紫の花がたわわに咲いているのは栴檀の木であった。
昨年までは職場の庭にもあったのだが伐採されて今はもうない。
好きな花だけに毎年楽しみにしていたので寂しくてならなかった。
隣家の若い住人には目障りだったのだろうか。
やまももの木と同じく伐採を申し出て来たのだった。
義父は逆らうことをしなかったが母ならばきっと反対しただろう。
私は何も云えなかったがあっけなく伐られ残念でならない。
鳥たちの声も聴こえなくなり「止まり木」を失ってしまったのだ。

田んぼが一段落した義父が工場に居てくれて随分と助かる。
仕事の段取りもやはり社長自らでなければいけない。
同僚は少し緊張しているように見えたが張り合いはあるだろう。
私も同じくで肩の力を抜くことが出来なかった。
午後は事務所で久しぶりにゆっくりと話すことが出来た。
会社の経営難のことも話せば少しでも気が楽になる。
義父は農業の莫大な経費のことを嘆いていた。
会社も困窮しており助けてやることも出来ない。
宝くじなど絶対に叶うはずのない夢である。
驚いたのは義父の考えでは後10年なのだそうだ。
会社も農業も続けると云い張り私は気が遠くなってしまった。
義父は92歳、私は79歳、同僚は72歳になってしまう。
命も心細いのにどうしてそれほど続けられるだろうかと思った。
しかし「やるっきゃない」の義父である。
精神力の強さは並大抵ではなかった。
命がけで貫こうとする強い意志が感じられる。
そんな義父をどうして見捨てられようかと思った。
誰一人欠けてはならない会社である。
難破船ならきっと辿り着く島があるのではないだろうか。
途方に暮れてはならない。強く逞しく生きていかねばならない。
その傍らで「死」はどんどん身近になっていくだろう。
覚悟を決めなければと思う。それは嘗てなかったような大きな山だった。
79歳の自分が想像出来ない。生きている保証も在りはしないのだ。
今日ほど生きたいと思ったことはない。
義父を残してどうして先に逝けようか。
※以下今朝の詩
信念
真っ直ぐに貫いている 折れることもあれば 倒れることもあった
茎には紅い血が流れ 花には蜜があふれる 葉は風に揺れるばかり
いったい何のためにと 生きる意味を問うている 永遠など在り得ないのに 儚さを糧にしようとした
命がけで貫いている 最期は燃え尽きるのか
誇る程の花ではないが 野辺の片隅で生きている
生きた証を残さねばならない
黄砂だろうか少し霞みがかった空であったが気温が高くなり
27℃の夏日となった。もうすっかり初夏の陽気である。
今朝はいつものように4時に起床し窓の外を見ておどろく。
何と燃えているように紅い月が見えていた。
川向の山の上である。まさに沈もうとしていたのだろう。
後から知ったのだが「フラワームーン」と名付けれた満月だったようだ。
午前1時45分に満月になったのだそうだ。
久しく月を見ることはなかったが何と幻想的な月だったことだろう。
満月の頃は大潮である。潮が引けば誰かが死に
潮が満ちれば誰かが生まれると云われている。
引力と人の命は深い関りがあるようだ。

田んぼの代掻きが一段落したそうで珍しく義父が居た。
次は田植えだが来週あたりに予定しているようである。
今はまだ早稲で全ての田植えが終わるのは来月らしい。
米作りの苦労は大きく気が遠くなりそうであった。
年始からの怪我に加え二度の入院と重なりどれほど焦ったことだろう。
けれどもその強靭な精神力には誰も敵わないと思う。
午前中にオーストラリアから移住して来ているコナン君が来てくれた。
先日初めての赤ちゃんが生まれたのだが心臓に欠陥があったのだそうだ。
生後10日で手術のため岡山の病院へ向かい大きな心配であった。
幸い手術は成功したが2か月の入院が必要とのこと。
コナン君は仕事があり後ろ髪を引かれるように帰って来たらしい。
片言の日本語で「ダイジョウブ」と告げるのが精一杯である。
赤ちゃんは女の子で名前は「ニーナちゃん」だった。
どんなにか可愛らしいことだろう。早く会いたくてならない。
奥さんの車の修理を頼まれていたのだが直り次第に売却するとのこと。
余程暮らしに困っている様子が窺え可哀想でならなかった。
村の行政で助けてやれないものだろうかと願うばかりである。
若い二人がどうして山里に移住して来たのかは分からないが
縁あってこそである。どこか故郷に似ているのかもしれなかった。
満月の夜であるが窓からは見えない。
明日の夜明け前にはまた紅い月が見えることだろう。
潮は大きく引きそうしてひたひたと満ちていく。
「いのち」が揺らぐ。決して失ってはならないと強く思う。
お月さん桃色誰が云うた 海女が云うた 海女の口を引き裂け
高知県西部に古くから伝わる歌である。
※以下今朝の詩
紅い月
川向の山に落ちようとする 燃えているように紅い月だ
川面には火が灯る 魚達も目を覚まし 潮に身をまかせる
夜風が朝風に変わる頃 一筋の光が降りそそぐ 陽に押しやられるように 落ちていかねばならない
哀しみはそうして消える もう誰も苦しみはしない
夜が明けようとしている とうとう月は落ちてしまった
朝のうちは曇っていたが次第に青空が見え始める。
日中は25℃の夏日となり陽射しが眩しい。
けれども爽やかな風のおかげで過ごし易い一日となった。
朝の山道の楽しみが増え野ばら、野あざみ、ウマノアシガタと咲く。
どれも野生の花たちでひっそりと咲いているのが好きだ。
特に野ばらの純白は清らかな乙女の風情で心がときめく。
野ばらと野あざみには棘がありウマノアシガタには毒がある。
そうして身を守り続けて来たのだろう。何と健気なことか。
もし野の花になれるのなら私は野あざみかもしれない。
花が終われば綿毛になり旅をするのも楽しみである。

さあ月曜日と気ばかり急いて職場に着いたが
義父は既に田んぼに出掛けておりもぬけの殻である。
車検の予約が入っており同僚と段取りをした。
先週からの大型車の修理がまだ終わっておらず
同僚はいささかご機嫌斜めであったが車検を優先しなければいけない。
その上に飛び込みのオイル交換が2台もあり増々機嫌が悪くなる。
私が口やかましく指図をするのも気に入らない様子であった。
けれども仕事をして「なんぼ」なのが商売ではないだろうか。
同僚は真面目だが時々投げ遣りになることがあり私は途方に暮れる。
車検整備が完了したのを見届けて3時に退社した。
後は義父次第だが昼食も食べずに頑張っているのだろう。
無責任と云ってしまえばそれまでだが思うようにはいかないものだ。
明日も明後日も車検の予約が入っている。さてどうしましょうか。
買い物を済ませ4時に帰宅したら夫は大相撲に夢中であった。
お風呂に入る時間も惜しみカラスの行水である。
娘と夕飯の支度をしていれば「おい、時間いっぱいだぞ」と叫ぶ。
注目の大の里と高安の取り組みであった。
一緒に見ないと機嫌を損ねるので炊事の手を止めて見入る。
大の里が勝てば大喝采である。ビールをごくごくと飲み干す夫であった。
晩酌はしているがまるで子供のようである。
夫の一番の楽しみなのだろう。それも微笑ましい姿だった。
夫の好きなことに興味を示す。それが夫婦円満の秘訣ではないだろうか。
男は単純だがその単純さが可愛らしいものである。
この日記を書き始めた時には茜色の空だったが
一時間もすればもう真っ暗闇の夜である。
星を見上げることもしなくなったがきっと輝いているのだろう。
ささやかな日課であった。書かずには眠ることも出来ない。
今日はSNSで詩人の紗野玲空さんと話すことが出来て嬉しかった。
「雑草という名の草花はありません」と云ってくれたのだ。
どれほど救われたことだろうか。私にも名があるのだと思った。
※以下今朝の詩
夏草
花園の雑草は刈られ 毒を撒かれることもある
若い緑であった 陽を浴びて輝く 背伸びなどせず 等身大で生きる
名はあるのだが 夏草と呼ばれた 生い茂ればもう 真夏にもなろう
うつくしい花達 自信にあふれた その姿を見れば 惨めにもなるが 嘆くことはない
在りのままを貫く 刈られても残る根
その根こそが命である
午後から雨の予報だったが思いがけずに晴れていた。
夕方からぽつぽつと小雨が降り始めている。
昨夜は母の夢を。内容はよく憶えていないが確かに母だった。
生きているのだ。私は未だに母の死が信じられずにいる。
今日も3時間ほど寝てしまったがまた母の夢を見た。
見たと云うより会ったのだ。その声が今も耳に残っている。
私は黒い服を着ており母になじられていた。
その母に私は食って掛かり憎々しく暴言を吐いているのだった。
ああまただと思う。どうしてもっと優しく出来ないのだろう。
「母の日」が頭から離れないのだった。
少女の頃から無くなれば良いとどれほど思ったことだろう。
それは母と再会した二十歳の頃も変わりはしなかった。
嫁いでからもう一人母が出来たが
貧しい暮らしをしており姑さんに何かを贈るのが苦しかった。
それでも何もしないわけにはいかずほんの気持ちを届ける。
感謝の気持ちなど微塵も無く義理を通すことしか頭になかった。
今思えば夫を産んでくれた人である。もっと感謝すべきだったのだ。
粗末な菓子折りを届けに行けば玄関に立派な胡蝶蘭が置いてある。
義弟のお嫁さんからの贈り物である。大きな引け目を感じずにいられない。
どうして「母の日」などあるのだろうとその時も思った。
我が家はひっそりとしており「母の日」など無縁に思っていたのだが
この日記を書き始めた頃、娘がショートケーキを持って来てくれた。
「ほれ母の日ぜ」と娘らしい一言が何とも嬉しくてならない。
甘さを控えた苺のショートケーキだった。いかん目頭が熱くなるやんか。
ゲンキンなもので「母の日」も好いものだなと思う。
母にも姑さんにも申し訳ないが私は恵まれているのだろう。
過ぎた日は変わらず心に残り続けているが
恨んではならず嘆いてもいけない。
私がこうして生きていられるのは誰よりも母のおかげだと思う。
※以下今朝の詩
母の日
母に会う 夢だとは思えないほど 母は生きていた
どうして「母の日」があるのか 13歳の少女には恨めしく 何と寂しい日だったことか いっそ死んでしまえばいいと 突き放すことしか出来なかった
歳月は流れるばかり 幾つもの季節を乗り越え もう何度目の夏だろうか
本当に母は死んでしまった 私がコロシテシマッタのか 心の底から赦すことをせず 母も詫びることをしなかった
母はどうしようもなく女だったのか 子を捨ててまで貫いた人生である
母の日は辛く寂しい なのにどうしてこんなにも 母が恋しいのだろうか
雨上がりの朝であったが思うようには晴れず
曇り空のまま一日が暮れようとしている。
夕風の何と心地良いことだろう。
まるで風が歌っているようである。
朝のうちはカーブスへ行っていたがその後は寝てばかり。
今日も4時間の昼寝で我ながら呆れ返っている。
読みかけの詩集や歌集が沢山あるのだが開こうともしない。
とにかく自室に籠ってしまうと煙草ばかり吸ってしまうのだった。
寝ていれば吸わなくて済む。何と云うご都合主義だろうか。
ふとこのまま死んでいくのだろうかと思う。
死んでしまえばもう二度と目を覚ますことはない。
夕飯は奮発してステーキにしたがポイントが貯まっていたので助かる。
四国電力の「よんでんポイント」は他社のポイントに還元出来るので
サニーマートのポイントに振り替えていた。2千ポイントは大きい。
2千円分の買い物が出来るとなれば当然のように太っ腹になる。
夫や娘達が「今日は何事ぞ」と驚いたのは云うまでもない。
母の日の前夜祭とでも云えば良かったのだろうか。
母の日と云えばサニーマートは花盛りであった。
花屋さんはもちろんのこと店頭にもずらりと花鉢が並んでいた。
カーネーションが主流だがミニ薔薇や紫陽花もあり心が躍る。
私は全く期待していないが贈られたらどんなにか嬉しいことだろう。
息子が高校生の頃のことだが親友のS君がミニ薔薇を贈ってくれたことがある。
S君は幼い頃に母親を亡くしており父子家庭であった。
我が家で夕食を食べてから一泊して帰ることも多かったのだ。
「おばちゃんいっつも有難う」と何と嬉しかったことだろう。
私にとっては我が子同然だった。S君のことは一生忘れられない。
母親のいない子は大勢いる。「母の日」ほど寂しい日があるだろうか。
失ってしまえば二度と還らない。長く生きていれば生きるほどに
どれ程の大切なものを失ってしまうのだろうか。
失って初めてその大切さに気付くことだってある。
最後には自分の命であるがどうしようもなく儚い。
思い残すことがあってはならないがそれが叶うとは限らないのだ。
私などは特に全う出来ないことの多さに途方に暮れてしまう。
中途半端に生きて来た。その結果ではないだろうか。
今からでも遅くはないかもしれないが心細くてならない。
※以下今朝の詩
雨がやんだら
むかしむかしのこと 雨がやんだらお別れなのね そんな歌があった 多感な14歳の少女には どうして別れてしまうのか 男とか女とかよく分からず けれども哀しい歌だなと思った
雨がやんだら男は出て行く 濡れたコートと濡れた体で そう約束していたのだろう 女は黙って涙を呑んでいた
「終わる」ことを知ったのは それから三年後のことだった 恋の詩を書き綴ったノートは もう誰にも読んでもらえない
雨がやんだら雲が遠ざかり 切り絵のような青空が見える
まるで天使のような陽射しが 降り注ぐ瞬間を見たのだった
雨の一日。気温は上がらず春先のような肌寒さを感じる。
風も強くまるで嵐のようでもあった。
かなりまとまった雨となり水不足は解消されたようだ。
まだ水を張っていない田んぼにも十分に行き渡るだろう。
晴耕雨読とは行かず義父は今日も田んぼだった。
キャビン付きの中古トラクターを買ったので嬉しくてならず
出掛けた切りお昼になっても帰って来ない。
まるで子供の玩具である。面白くてたまらないようだ。
入院中のロスを挽回しようと躍起になっているのだが
いくら鉄人でも81歳の高齢であることを忘れてはならない。
事務仕事は午前中で一段落し午後は来客もなく暇を弄ぶ。
同僚は大型車の厄介な修理と格闘していたのだが
私が「もう嫌になったけん帰る」と告げれば
「俺も嫌になったけん帰りたい」と顔を見合わせ笑い合った。
「あなたも早く帰って来てね」「晩ご飯は何が食べたい?」と
冗談も程々にせずに愉快極まりない午後2時のことだった。
降りしきる雨の道をライトを点灯し走り抜ける。
何か温かい物が食べたい。そうだ豚汁にしようと思いつく。
メニューが決まると買い物も楽だが何と云うことでしょう。
肝心の豚肉を買い忘れたまま家に帰り着いてしまった。
近所の地場産店へ買いに行ったが肉類は全て売り切れていた。
何も買わずに帰るのも気が引けあんパンを買って帰る。
最近朝ドラの影響か無性にあんパンが食べたくなるのだった。
娘が冷凍庫の中を探してくれて何とか豚肉が見つかる。
おかげで予定通りに豚汁を作ることが出来た。
鰆の切り身も買っていたので塩焼きにしたら鰤にそっくりである。
脂がのっており鰤よりも美味しいくらいだった。
あやちゃんがその鰆を食べていた。鰆を食べるのは初めてである。
「あやちゃん、そのお魚美味しいろ?鰤みたいなね」と
うっかり口を滑らしてしまい娘に睨まれてしまう。
あやちゃんは好物の鰤だと思って食べていたのだそうだ。
機嫌を損ねるのではと思ったが「もう食べたけん」と笑ってくれた。
なんとほっとしたことだろう。鰆さまさまであった。
穏やかな夕暮れ時である。めいちゃんが窓の外を見て「まだ明るい」と。
いつの間にか随分と日が長くなったようだ。
雨は降り続いているが明日は晴れるらしい。
気温も高くなり夏日になる予報であった。
今日よりも10℃以上高くなり寒暖差が身に堪えそうだ。
今週は3日しか仕事がなく何となく物足らないが
休みとなればまた怠惰を貪ることになるだろう。
そうして生き永らえている。人生はまだまだこれからだと思う。
※以下今朝の詩
声
ひそひそと雨の声が聴こえる 噂話だろうか悪口だろうか
気にしない気にしない 云いたい奴には云わせておけ
崩れ落ちそうなのは心の壁 どれほど精を尽くしても 報われることはなかった
季節は移ろい夏の色に染まる その扉の前に呆然と立つばかり
相応しいとかそうでないとか どうして決めてしまうのだろう
私は「わたし」であるべきなのだ 胸を張り堂々と生きねばならない
雨の声は夏の声である ずいぶんと生き永らえて来たようだ
概ね晴れ。五月の風の何と爽やかなことだろう。
まだ扇風機もエアコンも要らず自然の風が一番に思う。
朝の道の良心市にスナップエンドウが並んでおり買い求めた。
一パック百円の安さである。おまけにとても新鮮であった。
鍵付きの料金箱などなく小さなマグカップを置いてあるのだ。
それでこその良心市ではないだろうか。
ふと辺りを見回すと民家の庭先に真紅のアマリリスが咲いていた。
毎年目にする花で今年も咲いてくれたのだと嬉しい。
昨日は気が付かなかったので咲いたばかりかもしれない。
アマリリスは品種改良をされ今は色んな種類があるが
昔ながらの真紅のアマリリスが一番好ましく思う。
ちなみに昔は「ラッパ草」と呼んでいたようだ。

義父は今日も田んぼへ。とても病み上がりとは思えない。
昨日からの疲れも出ておらず生き生きと元気であった。
とにかく全ての田んぼの代掻きを終えなければいけない。
そうして田植えまで漕ぎつけたらやっと一段落となる。
無我夢中になっている姿はやはり鉄人にしか思えない。
まるで「心配無用」と背中に書いているようであった。
お昼には一度帰宅し私の車に玄米を積み込んでくれる。
もうこれで高いお米を買わずに済み何と助かったことだろう。
順調に行けば8月には新米が獲れるが
まだ昨年のお米が沢山残っているのだそうだ。
「遠慮することはないぞ」と云ってくれてほっと嬉しかった。
30キロの玄米は精米すると25キロとなるが
それでも我が家の2ヶ月分の主食となる。
世間では米不足が深刻な問題となっておりこれほどの恵みはない。
義父が苦労して作ったお米である。こんなに有難いことはなかった。
2週間ぶりのリハビリに行くため2時半過ぎに退社する。
実は昨日県立病院で歩き過ぎたせいか昨夜は痛みが酷く眠れなかった。
痛み止めはもう長いこと服用しておらず薬には頼りたくはない。
療法士のU君にそのことを話すといつもとは違う施術をしてくれた。
足ではなく腰と背中を集中的に揉みほぐしてくれ何とも心地よい。
無理に歩こうとすると腰や背中に負担が掛かるのだそうだ。
私の場合は体重もあり余計に負担を掛けていたのだろう。
随分と楽になりおかげで今夜はぐっすりと眠れそうである。
だましだましの日々が続いているようにも思うが
自分を騙すのも必要に思う。辛くても大丈夫と云い聞かす。
しんどくてもまだまだこれからと暗示を掛けて行くのだった。
そうでなければとっくに圧し潰されていただろう。
騙すのは噓をつくのとは違う。騙されるのは私以外の誰でもなかった。
※以下今朝の詩
バトン
緑濃く艶やかな葉に 花芽を添える季節だ
夏が立ち春を仕舞えば 花達はそれぞれの手に 渡すバトンを持っている
朽ち果てた花もあろう 目を反らす人も多いが 見届けてやらねばならない
最後の力を振り絞って 震える手でバトンを渡す
受け取ったからには 花として生きるしかない
夏の花はその健気さを 真心として愛に変える
バトンを握りしめていた そうして始まる夏がある
黄砂の影響だろうか霞みがかった空だった。
気温はほぼ夏日だったが風があり過ごし易い一日となる。
五日ぶりの朝の山道は清々しく山の緑が目に沁みるようだ。
山里の最初の民家に差し掛かると道路に白い花びらが敷き詰められていた。
見事に咲いていたオオデマリもとうとう散り始めたようである。
今日よりも明日と散り急ぐのは何とも切ないものだった。
9時頃義父から電話があり午前中に退院の許可が下りたとのこと。
よほど嬉しかったのだろう。声は明るく弾んでいた。
10時には来て欲しいと云われ仕事どころではなくなり
大急ぎで車で15分程の県立病院へと向かう。
連休明けのせいか駐車場が満車状態で困り果てていたら
身障者用のスペースに停めるようにと守衛さんが誘導してくれた。
車椅子の患者さんも多いだろうに何と助かったことだろう。
義父は既に身支度を整え子供のように待っていた。
会計を済ませ領収書を見せないと退院出来ない決まりになっている。
そうでなければ私が出向く必要はなかったのだが
ここは全ての経理を任されている私の出番であった。
前回の入院時には足腰がすっかり弱っていた義父だったが
今回はしっかりしており駐車場まで颯爽と歩く。
体力を保つために気力で乗り越えた結果だろう。
11時には山里まで帰り着いていたのだが義父の素早いこと。
昼食を食べ終わるなりトラクターの準備をし田んぼへと向かう。
無理は禁物と云い聞かせたがもう聞く耳も持たない有様であった。
まるで鎖から解放された子犬のようである。
喜び勇んで跳び回っているようにしか見えない。
そうなればもう繋ぐのは不可能である。好きなようにさせるしかない。
無理を重ねれば再発も在り得ることで気が気ではないが
義父の精神力にはとても敵わなかった。
何はともあれ予定通りに退院できたことを喜ぶべきだろう。
後のことは野となれ山となれと思うしかなかった。
義父の入院費に会社の資金を使ってしまったので
またゼロになってしまった。
もう何度目のゼロだろう。慣れたのかあまり苦には思わない。
工場の仕事は後を絶たないのできっと挽回出来るだろう。
何とかするのではなく何とかなるものなのだ。
ほんの少しの気疲れ。それもまたよしと思う。
する仕事があるのは有難く明日も精を尽くして見せよう。
試されているうちが花である。私はまだ枯れる訳にはいかない。
※以下今朝の詩
花のいのち
春の花が散り枯れていく 尽きることは切ないが また巡り来る季節がある
純白の花を茶色に染めて 無残で憐れにも見えるが 泣いている花があるだろうか
風に逆らうこともせず ただ受け止める夏である 花を失くせば緑が萌えて いっそうに輝くのだった
見て見ぬふりをしてはならない
花として全うした命である 最後まで見届けてやりたい
花に重ねる命が在る限りに
雨のち曇り。昨夜からの雨は恵みの雨になったのだろうか。
義父の田んぼが気になってならない。
毎日の見回りを欠かさなかっただけに余計にそう思う。
今朝は農家仲間の人から電話があり水の心配をしてくれたが
私に何が出来ようか。仕方なく義父の入院を伝えた。
義父に話せば焦りが募るばかりだろう。
けれども報せなければ何も知らなかったと気を悪くするに違いない。
迷った末に報せたが「もういい」と投げ遣りな返事だった。
明日こそは退院と決めつけているのだが
今日は主治医が休みで相談も出来なかったとのこと。
苛立ちは募る一方で不機嫌な声音だった。
精神力は人一倍強い義父であったがさすがに参っている様子である。
とにかく辛抱をと伝えることしか出来ず無力感しかなかった。

連休もやっと最終日。もうこりごりに思う。
仕事の事など忘れてのんびりと過ごしていたつもりだが
武者震いをするように気が急いてならなかった。
今日は休業にも関わらず車検の予約が入って来る。
耳の不自由なお客さんでショートメールからであった。
まずは日にちを決めなければならず明日連絡をすることになる。
午前中は起きていたが午後はまた寝てばかりだった。
この連休中の昼寝時間を計算すると丸二日寝ていたことになる。
異常としか云いようがないが眠気には勝てなかった。
寝る子は育つと云うが私の場合はひたすら太っているようだ。
夕食時、珍しく夫と娘婿が一緒に晩酌を始めた。
夫の何と嬉しそうな顔。会話も弾み賑やかな夕食となる。
一緒に暮らし始めた頃は毎晩の事だったので懐かしくもあった。
もう11年目なのか、歳月の流れはとてつもなく早い。
娘からお小言ではないが昨夜の事で少し苦言を受けた。
あやちゃんが「おばあちゃんはうるさい」と怒っていたのだそうだ。
独りぼっちで居てもそっとしておくべきだったのだろう。
老婆心とは何と厄介なものだろうと改めて思った。
あやちゃんにとっては大きなお世話に他ならないのだ。
見守る事と放任する事とは違うのだと思う。
私から見ると娘は放任主義にも見えるのだが
あやちゃんの繊細な心を必死で守ろうとしているのだろう。
私はその繊細な心のドアを叩いてしまったのだと思う。
心配でならないのは信じていないことに等しい。
きっと乗り越えられると信じることが一番大切なことなのだ。
あやちゃんの笑い声が聞こえる穏やかな夜のこと。
※以下今朝の詩
早苗
ぽったんぽぽたん 雨が歌っているようだ
早苗は水を求めている 声は嗄れてもう歌えない そよ吹く風に揺れながら 好きだった歌を思い出す
鳥にはなれやしないのだ まして雨になどなれない 夢のように願うことで 救われる時もあるだろう
ぽったんぽぽたん 軽やかな歌声を聴きながら 夢の続きを追い求めていた
遥かな空の彼方には きっと辿り着く場所がある
早苗の声に耳を澄ます時が来た
二十四節気の「立夏」暦の上では夏の始まりとされ
緑がいっそう濃くなり陽射しが眩しくなる頃である。
川向かいのパン屋さんの庭にそれは見事な藤棚があったのだが
今日前を通るともう藤の面影さえ見えなかった。
立夏を知っているかのように儚く散ってしまったのだろう。
何だか目の前に「現実」を突き付けられたような衝撃を感じる。
散ってこその夏である。夏の花は何処で息をしているのだろう。
入院中の義父からは連絡がなかったが落ち着いているのだろうと
敢えてこちらから電話もせずに一日が暮れてしまった。
もう少しの辛抱である。順調に快復することをひたすら願うばかりであった。

連休も3日目となれば苦痛としか云いようがない。
一日の何と長いことだろう。
今日は気分転換を兼ねて夫の夏物のズボンを買いに行く。
余程思いがけなかったのか夫は子供のように喜んでいた。
定員さんにウエストを測って貰ったら何と100センチもある。
大きいサイズの専門店ではないので探すのに一苦労であった。
若い男性の定員さんが二人係で探してくれてやっと見つかる。
裾上げは無料で助かり20分程で仕上がった。
夏用の帽子も買う。我が夫ながらよく似合っていて惚れ惚れとする。
ズボン二枚とベルト、帽子で5200円の安さであった。
私の衣服と比べると何と安上がりなことだろう。
その上に夫が上機嫌となれば大きな得をしたように思う。
その上機嫌を良いことに昼食を誘ったら直ぐに了解してくれる。
西へと車を走らせ「一風」でいつものラーメンセットを食べた。
最近食が細くなった夫はやっとの思いで食べたようだ。
大食いの私には丁度良い量で何とも幸せな気分である。
「これで連休はおしまい」と思わず呟いていた。
欲を云えばきりがないのだ。これ以上望むことなど何もない。
帰宅後はひたすら眠る。久しぶりに母の夢を見た。
一緒に仕事をしている夢だったが言い争うことはなかった。
ほのぼのと穏やかな夢で母が懐かしくてならない。
「こどもの日」でもあり娘達はかつての海苔の作業場でBBQとのこと。
作業場は娘達がすっかり手を施しもはや別荘のようになっている。
生け簀もあり伊勢海老やアワビも育てているのだった。
あやちゃんは例の如くでお留守番であったが
部屋の灯りも点けず毛布にすっぽりと包まっていた。
その姿があまりにも憐れに思い声を掛けたが
「行きたくないけん行かなかっただけじゃん」と荒い声が返って来る。
娘達も最初から諦めており誘うこともしなかったのだ。
けれども誘ってやって欲しかった。それが老婆心である。
あやちゃんは寂しいとは一言も云わないが本心は誰も知らない。
背中を押してはならないが背中にそっと手を載せてやりたいものだ。
※以下今朝の詩(息子が初めて歩いた日のこと)
こどもの日
はじめて歩いた日は 土手の緑が萌える頃 そよ吹く風に支えられ ひよこのように歩いた
きみの夢は何だろう おおきくなったらね 未来は空のように広く 果てしなく続いている
苦労などさせたくはない 涙を流す日がないように 母は祈り続けてきたのだ
よちよちと歩くその一歩が 希望でなくてなんだろう
きみは空を仰いでいた きらきらと輝く瞳には 初夏の風が見えるようだ
雲一つない快晴。爽やかな風が吹き過ごし易い一日だった。
長いこと咲いてくれた桜草もとうとう散り始める。
右隣の奥さんは茎を切り落とさず来年まで残して置くのだそうだ。
とにかく手を入れてはいけないらしい。そっとするべき花である。
私は花の知識に疎いが右隣の奥さんは花博士のような人だった。
入院中の義父はやっとお粥が食べられるようになったとのこと。
今朝はスープも付いておりよほど嬉しかったのだろう。
声も弾んでおり嘆くこともせず私も目の前が明るくなった。
連休明けには退院が出来るかもしれないがそればかりは勝手が出来ず
医師の判断に任せるしかない。やはり俎板の上の鯉である。
大きな失望と焦りであるが義父の身体を一番に重んじるべきだろう。

午後けたたましくサイレンが鳴り響き近くの平野地区で火災があった。
元消防団長の夫は居ても立ってもいられなくなり現場を見に行くと云う。
現役の消防団員である娘婿は既に消火活動に向かっていた。
平野地区は海の見える高台にあり今は高級住宅地であったが
火災は昔からある住宅らしく隣家にも火が燃え移っているようだった。
野次馬などもっての外である。現場周辺は沢山の消防車であった。
興奮していた夫もやっと我に帰り邪魔は禁物と気づいたようである。
3時間ほど燃え続けただろうか。4時頃鎮火の防災放送が流れた。
帰宅した娘婿に聞けば3棟の住宅が全焼したらしい。
何と気の毒なことだろう。何もかも焼け尽くされてしまったのだ。
せめて住民の命だけは無事であって欲しいと願うばかりであった。
いつ何があるか分からない世の中である。
火災は日頃から用心していれば防げるが延焼は免れようがない。
台風や地震ともなれば決して逆らうことも出来ないのだ。
自然災害が起こる度に明日は我が身だと思う。
如何にして身を守るかだが何ととてつもなく大きな不安だろうか。
「笑点」が終われば「ちびまる子ちゃん」があり「サザエさん」がある。
日曜日の夜はこの上なく平和であった。
けれどもそんな平和とは全くかけ離れている人が居ることを忘れてはならない。
せめて朝の光だけは分け隔てなく降り注ぐべきなのだ。
※以下今朝の詩
みどりの日
こころが豊かになる ほんのりと緑が匂う それはある日の野辺
若草は陽を浴びて きらきらと輝いている
踏まれた日もあった 冷たい霜に覆われた日も けれども嘆くことをせず 空を仰ぎ続けて来たのだ
そうして訪れた春である 願いはきっと叶うだろう
草として生きて来た 小さな花だって咲く それはまるで夢のよう
ゆらゆらと風になびく 空はどこまでもあおい
若葉冷えを思わす朝であったが日中はすっかり初夏の陽気となる。
盛りを越えたツツジが少しずつ枯れ始めた。
椿のように花ごと落ちているのもあれば
茶色に染まり木にしがみついている花もある。
おそらく種類が違うのだろうがよく分からなかった。
どちらにせよツツジの季節が終わろうとしているのだ。
入院3日目となった義父はひたすら嘆くばかりである。
田植えどころではなくなりその失望はとても大きい。
おまけに絶食を強いられており何も口に出来ないのだそうだ。
飲まず食わずである。その辛さは並大抵のことではないだろう。
とにかく辛抱をと宥めるばかりだが何とも憐れでならなかった。

あやちゃん13歳の誕生日である。
「おめでとう」と告げれば「ありがと」と朝からとても機嫌が良い。
その笑顔を見るだけでほっと救われたような気持ちになった。
大きな葛藤もあるだろう。苦悩を抱えたままの日々である。
どうすれば良いのかその答えも分からないままであった。
娘が家に居るようになってから随分と明るくなったように思う。
やはりまだ母親が必要な年頃である。娘も感じているようだった。
そのせいか積極的に新しい仕事を探しているようにも見えない。
あやちゃんが一番に求めていることなのかもしれなかった。
長女として生まれ私達にとっては初孫であったが
それは目に入れても痛くない程に可愛くてならなかった。
成長を願いどれ程愛情を注いで来たことだろう。
今のように不登校になるなど誰も思ってもいなかった。
そんなあやちゃんにだって未来がある。
少女から大人になるのだ。それが未来でなくて何だろうと思う。
恋をする日も来るだろう。愛する人に巡り会う日も。
そうしてやがては母親になる日がきっと来るのに違いない。
見守ることを投げ出してはならないのだ。
今日明日のことではない。長い目で見待ってやらねばならない。
そうして何よりも傷つけてはならないのだと思う。
あやちゃんは決して独りぼっちではなかった。
家族一丸となり寄り添いながら守り続けて行きたい。
※以下今朝の詩
底
どん底ではあるまい 微かに清い水がある 五月の空は澄み渡り 陽射しは分け隔てなく 降り注ぐばかりである
大河はゆったりと流れ 海の声に耳を澄ませる 希は絶たれはしないのだ
もがきくるしみあがく そんな愚かさもやがて 報われる日が来るだろう
底を生きていればこそ 仰ぐことが出来るのだ
水面の上には確かに 五月の空が輝いている
明け方まで雨が降っていたが夜明けと共に青空になる。
まずまずの雨量だったので恵みの雨となったことだろう。
山里では明日からの連休中に殆どの田植えが終わりそうである。
義父の田んぼはまだ半分以上残っておりどうなることやらと心配であった。
早朝にやっと義父から連絡がありやはり入院になったとのこと。
余程容態が悪かったのか昨夜は集中治療室で夜を明かしたらしい。
どんなにか心細く不安だったことだろう。
まるでまな板の上の鯉のような状態である。
幸い下血は止まっているがまだ精密検査が必要とのこと。
連休明けまで退院は無理だろうとひたすら嘆いていた。
もし早めに退院出来ても直ぐに無理をするに決まっている。
頭の中は田んぼのことでいっぱいになっているようだ。
前回の入院の時も帰るなりの農作業であった。
その後もずっと死に物狂いに働いで来たのである。
いくら気が張っていても老体には厳しかったのに違いない。
絶対安静とのこと。今回は何としてもそれを守って欲しいと願う。
同僚の協力があり工場の仕事は一段落着いた。
義父からは7回も着信がありあれこれと気掛かりだったのだろう。
飼い猫の心配もしておりそれは義父の友人が引き受けてくれた。
とにかく何も心配はいらないと伝えるのが精一杯であった。
明日から4日間の連休である。私も仕事のことを忘れてしまいたい。
山あり谷ありならば谷川のせせらぎに耳を澄ませていよう。
そうしてまた山を越えて行く。決して挫けてはならない。
四万十川の土手には白いチガヤの穂が見え始めた。
野薊も咲き始めすっかり初夏の装いである。
季節はそうして移り変わって行くのだった。
※以下今朝の詩
おむつ
さてどうしましょう おつむがおむつになった
おしっことうんちで おつむはよごれている
清々しい五月が始まり 新しい息が生まれたが 吹き抜ける風に訊けば 見つからない事ばかり
希望は夢にひとしい 叶えるための努力を 惜しんではならない
ひとつきりのおつむ いちまいきりのおむつ
どうして捨てられようか どれほど汚れてしまっても 嘆いてはならないのだ
夏も近づく八十八夜。曇り空の一日となり今夜は雨になりそうである。
八十八は「米」にも当てはまり昔は稲の種蒔きをしたのだそうだ。
縁起の良い日とされ豊作を願ってのことだろう。
今は田植えが早くなり廃れかけた習わしなのかもしれない。
今朝はまた一大事。アクシデントと云うべきだろうか。
義父が早朝から下血があり急きょ病院へ向かった。
県立病院には二度と行きたくないと云い張り市内の内科を受診したが
検査の結果やはりまた十二指腸潰瘍とのこと。
小さな病院では処置が出来ず渋々であったが県立病院へ向かう。
また入院だろうか、点滴は絶対に嫌だと泣きそうな声であった。
それがお昼前のことでその後連絡が途絶え今に至っている。
携帯の電源は切っており私から連絡することも出来ない。
入院を免れ帰って来るかもしれないと4時まで待ったが帰らず
仕方なく後ろ髪を引かれるように帰路に就いた。
県立病院へ行くことも考えたが前回もそうだったように
例の女性が来ている可能性が大きい。
もし入院となってもここは頼るしかないだろうと思った。
鉢合わせをしてしまえば義父もきっと困ることだろう。
リハビリの日であったがそれどころではなくキャンセルした。
おまけに仕事の電話がひっきりなしに掛かって来る。
どうしてこんな日に限ってと恨みがましくも思う。
帰宅してからも電話がありどっと疲れに襲われていた。
とにかく明日のことと気分を入れ替えているが
あがけばあがくほど泥沼に足を取られそうであった。
一番辛いのは義父である。どんなにか焦っていることだろう。
田んぼどころではないのだ。一歩間違えば命取りになる。
夕飯時に夫と話していたのだがもしかしたら母の仕業かもしれない。
生前の母は義父の稲作に大反対していて言い争いが絶えなかったのだ。
母がそれほど執念深いとは思えないが
ちょっと悪戯心があっても不思議ではなかった。
それは考え過ぎだろうと夫と笑い飛ばしてしまったが
母はずっと見ているのだ。魂とはそう云うものだと私は思う。
しかしそんな母ならばきっと助けてくれるだろう。
私の苦労を見て見ぬふりなど決してしないはずである。
荒れ模様の五月の始まりであったが穏やかな日もきっとあるだろう。
そう信じて明日は明日の風に吹かれようではないか。
※以下今朝の詩
五月
風が薫る季節である 花々は精を尽くし咲き 蜜を求めて飛び交う蜂
やわらかで優しい風だ 過ぎた日の哀しみなど 些細なことなのだろう
樹々は若葉につつまれ それぞれの想いを語る 老いた樹は命を惜しみ 若い樹は未来を夢見る
薫ることは息であった 風に身を任せていると 途絶えることはあらず 風そのものとなって 空を舞い続けている
じゅうぶんに生きたのか 問えば問うほどに 季節は深まっていくばかり
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