ずいぶんと暖かな朝。午前中はたっぷりの陽射しであったが
午後から曇り空となりだんだんと肌寒くなった。
明日は平年並みの気温とのこと。2月らしい寒さとなりそうだ。
季節も律儀なもので「三寒四温」を貫いている。
今朝は暖かさを過信してババシャツを着ずに出掛けた。
正しく「年寄りの冷や水」となってしまう。
やはり春彼岸が過ぎるまでは暖かく着込んだ方が良いだろう。
昨日植えた「雪柳」をうっとりと眺める。
目の錯覚かもしれないが昨日よりも花が増えている様に見えた。
まだまだ蕾が見えているので明日の朝も楽しみでならない。

仕事は朝一でオイル交換、その後予約があった大型車が2台も入庫する。
自賠責と重量税の精算もあったので何とも気忙しい朝だった。
例の散髪屋さんが遊びに来る。定休日で暇を持て余している様子。
おまけに直ぐ近くで電気工事をしていてお昼まで停電なのだそうだ。
テレビも見られないと嘆くのでそれも憐れに思う。
忙しくて話し相手になれないことを詫びたのだが
「気にせんでもええよ」と云うのでほったらかしにしてしまった。
しかし気になってならない。常連のお客さんでもある。
私はいつも早弁をするのだがそれも出来なかった。
空腹になると胃が痛むのでそっと事務所を抜け出し
車の中で大急ぎでお弁当を食べる始末であった。
ポーカーフェイスであったが内心では早く帰って欲しいと願う。
これも仕事の内だろうかと嘆きたくもなった。
散髪屋さんはほぼ3時間も事務所に居座りやっと帰って行く。
義父も気なっていたようで「やっと帰ったな」と苦笑いしていた。
その義父は腰痛が酷いらしくとても辛そうに仕事をしていたのだが
お昼に事務所のソファーに腰を掛けるなり
「何の為に生きちょうのか分からんようになった」と呟く。
「もう何もかも止めたい」と云い、「ぽっくり死にたい」とまで云う。
いつもパワフルな義父らしくない弱音であったが
どうして聞き流すことが出来ようか。
「そうやね、しんどいね」と私が頷くと少しほっとした顔を見せる。
おそらくずっと張り詰めていた糸が切れかかっているのだろう。
肉体的にも精神的にも限界なのかもしれなかった。
そんな義父が憐れでならないがどうすることも出来ない。
せめて「心の整備士」となり義父に寄り添ってやらねばと思う。
嘆きたい時にはとことん嘆く。義父はロボットではないのだ。
「人間だもの」弱音を吐かずにどうして生きて行けようか。
後ろ髪を引かれるような気持であったが定時で帰路に就く。
義父は来客があり話し込んでいたので声も掛けずに帰った。
明日の朝にはきっとケロッとしていることだろう。
そう信じなければ「未来」も在りはしない。
大波小波。義父は難破船の船長であった。
※以下今朝の詩
子雀
ちゅんちゅんと春 椿の木をゆらして 子雀たちが戯れる
花は一輪咲いている 蕾はそれはたくさん やがて満開になるだろう
やわらかな風が吹き 溢れんばかりの陽射し 子雀はまるで天使のよう
咲けばぽとんと落ちる そんな哀しみを知った どうしようも出来ない それが定めなのだろう
ちゅんちゅんと春 子雀たちは一斉に 空へ飛び立っていく
朝のうちは霧雨が降っていたが次第に晴れて
気温も高くなり4月並みの陽気となる。
この暖かさは明日も続くそうだ。
「三寒四温」と云うからにはまた寒い日もあるだろう。
しかし一度春の兆しを感じてしまうと苦にはならない。
季節は確実に春に向かっているのである。
日曜日の朝刊には「高新文芸」があるのだが
今日も落選。何の励みにもならない。
文芸仲間の友人は「俳句」と「川柳」が入選しており
夫が「おまえとは格が違うんだ」と宣う。
自分でも分かっているが夫から云われると痛いものだ。
友人とはサニーマートでよく会うので
今朝は少し時間をずらして買い物に行った。
おかげで会わずに済みとてもほっとする。
会えば惨めになるだけだったろう。
悔しいのとは違う。ただ自分が情けなくてならない。
昼食後はまた3時間程お昼寝をする。
目覚めればちょうど宅配便が届いていて
さっそく昨日買った「雪柳」を植えることにした。
鉢の大きさもちょうど良く土の量も適量である。
暖かさのせいもあり足の痛みは殆ど感じない。
座り込むことも出来てあっという間に植えることが出来た。
「やれば出来る」諦めなくて本当に良かったと思う。
「雪柳」はあまり水を欲しがらないのだそうだ。
雨の日には軒下に置いた方が良さそうである。
花が終わるのは5月で剪定が必要とのこと
そうして手入れを怠らなければ来年また咲いてくれるだろう。
自分で植えられたのが嬉しくてならずしばらく眺め入る。
5時までは自室で過ごしていた。煙草とコーヒーは欠かせない。
「笹いろ玉虫」さんがエッセイを投稿していて嬉しい。
やはりプロ並みの文章力で感嘆せずにはいられなかった。
内容は78歳らしく感じたが穏やかな文章はとても女性らしく
柔らかで優しいイメージがすうっと胸に沁み入る。
こんな文章が書けるようになりたいなとつくづく思った。
5時前には「笠原メイ」の日記が更新されていて嬉しい。
もうすっかりファンになっており毎日の日記が楽しみでならない。
その才能は正しく「センス」であり詩人らしさが漲っている。
他の誰にも書けないと思う。彼は根っからの詩人なのだ。
それに比べて私の「しょぼい」こと。
20年以上も書き続けている割にまったく成長が見られない。
ただ与えられた日常を淡々と記しているだけなのだろう。
それでも書くことを諦めないのは「生きたい」だけの理由かもしれない。

今日はけい君の12歳の誕生日だった。
息子は仕事が休みでお昼に「焼き肉」をするのだと云っていた。
母親である別れたお嫁さんも来てくれるそうで何よりに思う。
離婚はしたが実質には別居と考えた方が良さそうだ。
けい君が寂しい思いをしないように息子達も精一杯なのだと思う。
決して憎み合って別れたのではない。息子の決断が正しかったのだろう。
行く末を案じることもなく平穏な日々が続くことを願って止まない。
午後6時、茜色の空を仰ぎつつ再び「雪柳」を見に行った。
薄暗くなった庭先でその純白の何と可憐なことだろう。
※以下今朝の詩
雪柳
「毎年咲きますよ」 その言葉が嬉しくてならず 花屋さんで「雪柳」を買った
それはずっしりと重い苗で 赤い土に埋もれているのだった
純白の花の何と可憐なことか 枝先にはちいさな蕾が見える
もう春でなくてはならない どれほどの哀しみであっても 光あふれる春でなくては
きっと永遠の春だろう たとえ私が死んでしまっても 花は咲き続けるに違いない
未来を植える未来を育てる 純白の花に「いのち」を託す
| 2026年02月14日(土) |
日向もあれば陰もある |
晴れのち曇り。午前中は陽射しがたっぷりとあり随分と暖かくなる。
お天気は下り坂で今夜はこれから雨になりそうだ。
水不足が解消すれば良いが夜だけの雨では心許ない。
全国的にも水不足が深刻な問題になっており
入浴施設など水を多く使う場所では休業を余儀なくされているようだ。
経営も行き詰まるだろう何とも気の毒でならない。
同僚も出社して来てくれて仕事は順調に捗る。
来客も多く午前中にはオイル交換が三人も来てくれた。
大きな金額ではないが現金収入の何と有難いことだろう。
義父は復活しており地区の出役に出掛けていた。
お昼には帰って来たが急用で宿毛市へ行かねばならず
昼食を食べる暇もなくまっしぐらであった。
午後は車検終了のユニック車を納車する。
来週も大型車が二台入庫する予定になっており
また同僚ばかりが忙しくなりそうである。
忙しければ売上に繋がるはずだがそうは問屋が卸さない。
もし重量税を立て替えねばならなかったら会社はまた火の車となる。
午後は来客が途絶えていたので定時で帰路に就いた。
サニーマートの花屋さんでまた足を止め「雪柳」を見つめる。
やはりどうしても買い求めたくてならない。
店員さんに訊けば雪柳の苗が入ることは滅多にないとのこと。
それを聞くとどうして我慢が出来ようか。
「ようし買っちゃえ」もう悩んでいる場合ではない。
木が枯れない限り毎年咲くのだそうだ。
何と楽しみなことだろう。
帰宅するなりアマゾンで大きめの鉢と培養土を買い求める。
何と明日には届くとのこと。嬉しくてならなかった。
30分ほど炬燵に潜り込んでいたが
そわそわと落ち着かなくなり5時まで自室で過ごす。
今日は5時前に「笠原メイ」さんの日記と詩を読むことが出来た。
冬季鬱をしんぱいしていたが今日は元気そうでほっとする。
私と同じでどんな日もあるのだろう。
毎日明るく振舞っていたら疲れるばかりである。
日向もあれば陰もある。誰の日常もそうなのではないだろうか。
今朝は55年前の「バレンタインデー」の詩を書いた。
我ながら何と鮮やかな記憶だろうと思う。
私の行為はPTA総会で大きな問題となり
父が学校へ呼び出されて散々叱られたそうだ。
今では在り得ないことだが当時はよほど珍しかったのだろう。
三月になり越後君は岩手県の花巻に転校して行った。
しばらく文通を続けていたがそれもやがて途絶える。
最後の手紙には「高知大学を受験したけど落ちました」と書いてあった。
高知を忘れずにいてくれたこと。それがとても嬉しかった。
しかし私達は二度と再会することもなく半世紀の歳月が流れた。
風の便りも聴こえない。その風の行方さえ知らずにいる。
※以下今朝の詩
チョコレート
水色の紙テープに ながい手紙を書いた
くるくると巻き戻し 小さなリボンで止める
グリコのアーモンドチョコ 百恵ちゃんと友和君である
畦道を歩いて行く 近道なのだそうだ 少しでも早く渡したい
「ごめんください」 心臓が止まりそうなくらい どきどきして声がふるえる
おかあさんが出て来て 不思議そうに私を見ていた 何だか一瞬で嫌われたみたい
勇気を出さなくちゃ 今日でなくてはだめ
越後君にチョコを渡すと 「ありがとう」と言って とても照れくさそうな顔
私は逃げるように走った 振り向くことも出来ない
畦道の片隅にはひっそりと 名も知らぬ黄色い花が咲いていた
朝は氷点下近くまで冷え込んだが
日中は18℃まで気温が上がり4月並みの暖かさとなる。
風がなければ汗ばむ程の陽気であった。
明日も暖かくなりそうだが雨が近づいているようだ。
一雨ごとの春を願わずにいられない。
今朝は出勤するなり事務所の中の異変に気づく。
車のカタログが散乱しており
テーブルの上のお茶菓子もひっくり返っていた。
おまけに鼠の死骸までありびっくりと驚く。
もしやと思ったらその通りで
泥酔状態の義父が転倒したことが分かる。
おそらくその時にテーブルにぶつかったのだろう。
解体工事を手伝えば夜は飲み会になることが多い。
限度もわきまえず調子に乗って飲み過ぎてしまったのだろう。
怪我は軽傷で額に擦りむいたような傷跡があった。
二日酔いでもあったらしく「今日は休養日にする」と云う。
同僚は県立病院で検査があるため休みを取っていた。
こんな日に限って来客が多く対応に追われる。
自損事故のお客さんが二人、一般修理のお客さんも二人。
その上に支払いのお客さんも二人来てくれた。
自損事故の一人は88歳の高齢者で
先月も自損事故を起こし昨日納車したばかりだった。
運転には自信があるようで免許を返納する気は全くない。
奥さんは泣き崩れていたが本人はケロッとしているのだ。
車は2年目のプリウスで自損事故はこれで4回目である。
仕方なくまた車を預かり外注先に引き取りに来て貰った。
保険会社のY君も来てくれたがもう車両保険が限界のようだ。
いくら裕福なお客さんでも痛い出費となることだろう。
定時となり義父に声も掛けずに退社する。
休養日と決めたからには仕事にはノータッチであった。
明日は解体作業もお休みとのこと。何としても仕事に励んで欲しい。
カーブスと買い物を終え4時過ぎに帰宅。
サニーマートの花屋さんに「雪柳」の苗を売っており
買い求めたくてならなかったがまた夫に叱られてしまうだろう。
その上に大きな鉢が必要である。無理だなと思うと哀しくなった。
花屋さんの雪柳はもう白い花をいっぱい咲かせており驚く。
山里の郵便局の雪柳を明日見に行ってみようと思う。
この目で確かめなければ気が済まない性分である。
夕食後はすでに日課となった「笠原メイ」さんの日記と詩である。
お母さんがバレンタインにとドーナツを買って来てくれたそうだ。
その上に今日は妹さんの誕生日でもあった。
ほのぼのとした日記であったが何となく荒んでいる。
彼は「冬季鬱」だと記してあった。
それならば「春」をと思う。
明日の朝は春を思わすような詩を書きたくてならない。
決して寄り添えるような立場ではないが
私なりの「春」を届けられたらどんなにか良いだろうか。
※以下今朝の詩
出荷
今日は海苔のお嫁入り 箱詰めにした海苔を 漁協へと運び込む
トラックが傾くほど それはずっしりと重い
晴れ晴れとした気持ちは 言葉では云い表せない わくわくとするような 嬉しさが込み上げて来る
干し上がった海苔を 膝に抱え込んでは 丁寧に異物を取り除いた そんな作業も苦にならず 海苔の香が愛しくてならない
何処へ嫁いで行くのか どんな姿に変わるのだろう
「美味しいね」と言って欲しい それが一番の幸せに思う
そうして明日も頑張ろう 川面には緑の海苔が ゆうらゆうらと揺れている
晴れの予報だったが午前中は曇り空となり
気温も上がらず肌寒さを感じた。
明日は4月並みの暖かさになるとのこと。
寒暖差は老体に厳しいものである。
心配なのは雪国の雪崩や落雪であった。
いくら慣れているとは云え命に関わる事である。
もうこれ以上の被害が無いことを祈るばかりであった。
昨日のリベンジではないが今日も車検の予約が入っており
同僚が宿毛市まで引き取りに行った。
車は4トンのユニック車で建設会社が所有している。
それが思いがけないことにバッテリーが上がっていて
エンジンが掛からず同僚からヘルプ要請があった。
義父は今日も解体現場を手伝いに行っており留守である。
重機を操作しているのだろう電話も繋がらなかった。
とにかく充電機を持って行こうと直ぐに宿毛市へと向かう。
後は同僚に任せエンジンが掛かれば何とほっとしたことか。
やっと工場へ帰り着き同僚は車検整備を始める。
今日こそは順調にとそればかりを願っていた。
義父は解体現場で基礎を取り壊しているらしい。
そうなればもはや何が本職なのか分からなくなった。
農業だけでは済まなかったのかと嘆きたくもなる。
しかし恩のある友人である限りとことん尽くすことだろう。
とにかく完全に終わるまで待つしかないと思う。
整形外科のリハビリがあり定時で仕事を終え病院に向かった。
今日は足の調子がとても良く杖なしで歩けるようになっていた。
U君も驚いていたが医師も「おお!」と声を上げる。
施術中も全く痛みを感じず足も腰も撫でられている様に感じた。
一時的なものかもしれないがカーブスの成果だと思わずにいられない。
しかしそれではU君に申し訳なく複雑な気持ちになった。
医師もカーブスを推奨してくれていたがきっと「まさか」と思っていただろう。
手術をしない限り完治は在り得ない。私だってそう思っている。
しばらくは様子見となるが明日もカーブスへ行くつもりである。
買い物を終えて4時半に帰宅。もう炬燵時間はなかった。
自室で一服しながら5時までSNSを見る。
「笠原メイ」さんが日記を更新していたが
食後にゆっくりと読むことにした。
昼間AIの響君に教えてもらったのだが
彼は50歳前後で11月生まれなのだそうだ。
ペンネームの「笠原メイ」は村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」に
登場する少女の名前であった。
私も確かに読んでいたがすっかり失念していたようだ。
ハルキストとしてこんな感動があるだろうかと思う。
響君は彼の本名も教えてくれたがここに記す訳にはいかない。
彼の詩はあくまでも「笠原メイ」として輝いているのである。
「縁」と云うほどのものではないかもしれないが
果てしなく広いネットの海で彼の存在を知れたことは
私にとっては「冥途の土産」となることだろう。
生きている限り彼の日記と詩を読みたくてならない。
※以下今朝の詩
大師堂
さらさらと流れている 水音が胸の奥まで響く
蝋燭に火を灯し お線香を立てる そうして般若心経を唱える
願ってはいけないのだそうだ けれども願わずにいられない
どうかどうかどうか 縋り付くような願いであった
大河のほとりのお堂である 遠い昔に渡し舟が転覆して 多くの巡礼者が亡くなった その御霊を祀り続けている
語り掛ければ声が聴こえる どれ程の無念だったことか
夕陽が川面を染める頃 お堂にも茜色の陽が射す
ありがとうございました 手を合わすと清々しく 一日の苦労が癒されていく
生きてこそといつも思う お堂はいつだってそこに在り ひっそりと静かに待ってくれる
小雨のち晴れ。ほんのお湿り程度の雨だった。
週末にはまた雨とのこと。どうか本降りであって欲しい。
大昔なら「雨乞い」をしたことだろう。
玄関先のシクラメンがまたぐんにゃり。
もうそろそろお終いかもしれないと思ったが
たっぷりと水を与えるとすっかり元気になった。
ポインセチアもまだ健在で玄関に彩を添えている。
これはあまり水を欲しがらず育てやすい。
どちらも春まで咲き続けてくれることだろう。
祭日返上の仕事であったが仕事にはならずに帰って来る。
予約のお客さんが車検期日を一年も早く間違えていたのだった。
初めての車検だったので会社にリストがなかったせいもあり
おまけに外国人さんで点検ステッカーを見たようだった。
コナンとキャット。オーストラリアから山里へ移住してきたご夫婦である。
昨年の春には愛娘のニーナちゃんが誕生し三人で暮らしている。
ニーナちゃんの何と可愛らしいことだろう。
無駄足ではあったがニーナちゃんに会えて良かったと思う。
そろそろ歩き始めるだろう。また会いたくてならなかった。
同僚と相談し10時で閉店とする。
待機していてもお客さんが来てくれるとは思えなかった。
義父は例の解体現場へ手伝いに行っており留守である。
私の一存であったが祭日らしく休むのも良いだろうと思う。
買い物を終えて11時には帰宅しており暇を弄ぶ。
仕事だと気合が入っていたのでぐんにゃりと折れていた。
例の如くで炬燵に潜り込みひたすら寝るばかりである。
4時には起きてしばらく自室で過ごしていた。
SNSでは「笹いろ玉虫」さんがエッセイを投稿していて読む。
やはりプロ並みの文章力で読みごたえがあった。
78歳の高齢であるが何だか少女のような趣がある。
「おんな」を捨てていないのだ。そこが私と違うのだと思う。
異質でありながら共感を覚えるのが不思議でならなかった。
老いを重ねてひしひしと最期の時が迫って来る。
その心細さと不安は私と同じなのかもしれなかった。
相互フォロワーであったが彼女は私の詩を読まない。
その方が気楽に思う。きっとささやかな抵抗があるのだろう。
蔑みられているのだとしても少しも口惜しさを感じなかった。
夕食後は「笠原メイ」さんの日記を読む。
今日も淡々と日常を綴っていたが素晴らしい感性である。
妹さんやおばあちゃんが出て来ると親近感でいっぱいになった。
私と同じく大した日常ではない。平凡で何でもないような一日が
彼の手に掛かると日記も詩となり成就しているように感じる。
根っからの詩人なのだ。何と素晴らしい才能の持ち主なのだろう。
私の詩は低迷していて「いいね」の数も少ないが
読んでくれる人がいてくれるだけでとても励みになっている。
笠原メイさんは毎朝読んでくれていて嬉しくてならない。
家業の「青さ海苔漁」が廃業となりもう川仕事に行くこともなくなったが
懐かしい思い出として書き残そうと思っている。
苦労を苦労とも思わなかった労働は人生の「宝物」であった。
他の誰に書けるだろうかと思う。私の精一杯の誇りである。
※以下今朝の詩
収穫
薄っすらと夜が明ける頃 川船で漁場へと向かう 船外機のエンジン音が響き 魚たちに朝を知らせていた
川面は見渡す限りの緑で ゆっさゆっさと波に揺れる 成長した海苔はとても逞しい
そっと手を添えて海苔を千切る 盥は見る見る間に緑に覆われ やがててんこ盛りの山となる
盥が沈まないようにゆっくりと 川船に向かって歩いて行く 足元には魚たちが群れていた
やがて川船はずっしりと重くなり 収穫の歓びで胸がいっぱいになる なんと愛しい海苔だろうとおもう
「いのうかのう」夫の声に頷き 川船の舳先に座り船着き場へ向かう
朝陽が射し始めきらきらと輝く漁場 緑の海苔がほんのりと紅く染まる
「ようやったな」顔を見合せば 疲れなどまったく感じないのだ
曇りのち雨。気温はそう低くはなかったが
陽射しがないと肌寒くてならない。
雨は小降りであるが今夜から明日の朝にかけて本降りになりそうだ。
水不足のため高知市内は給水制限が出たとのこと
ダムの水位が少しでも上がることを願って止まない。
そうして一雨ごとに春めいて来ることを願うばかりである。
仕事は車検が二台完了し順調な一日となった。
飛び込みの一般修理もあったが義父が直してくれ大助かりである。
お客さんの何と喜んだことだろう。義父だからこそ出来た仕事であった。
お客さんは財布を出していたが「要らんぞ」の一言である。
義父のサービス精神は今に始まったことではなく
お客さんが喜んでくれるのが一番の「儲け」なのだった。
明日も車検の予約を受け通常通りの仕事になる。
同僚は金曜日にまた県立病院へ検査に行くのだそうだ。
半日の休みを申し出ていたが明日と振り返ることにした。
快く承諾してくれて何とほっとしたことだろう。
もちろん私も出社するつもりである。
水曜日の休みなど少しも嬉しくはなかった。
すっかり仕事人間になってしまったようだ。
午後も忙しく定時では終われなかったが
カーブスを諦められず大急ぎで駆け付ける。
今日は孫達が保育園時代にお世話になった保育士さんと会う。
「なんぼか大きくなったろうね」と云ってくれて
ついあやちゃんのことを話してしまった。
娘に叱られるだろうと思いつつもう後の祭りである。
M先生はいつも午前中に来ることが多いのだそうだ。
今日はたまたまであったが久しぶりに会えて嬉しかった。
買い物を終えて四時半に帰宅。少しだけ炬燵に潜り込む。
疲れは全く感じず五時になるのを待ち兼ねる。
娘と肩を並べて夕食の支度をしていたら
あやちゃんが二階から下りて来て献立を確かめていた。
「好きなもんばっかりよ」と私が云うと
笑顔を見せて少し頷くとまたそっと二階に上がって行った。
一日中部屋に閉じ籠っていて楽しみなこともないのだろう。
夕食だけが楽しみのようで作り甲斐があった。
夕食後は「笠原メイ」さんの日記を読むのが日課となり
毎日欠かさず書いてくれるのが嬉しくてならない。
今日も淡々とした日記であったが感性に心惹かれるばかりである。
そのことを伝えたくてならなかったが
何だか近寄り難い気持ちもあり「距離」を置こうと思う。
ずけずけと勝手に扉を開けてはならない。
そこに土足で踏み入ってもならない。
遠ければ遠いほどその輝きが眩しいのではないだろうか。
私も同じであった。日記の内容に触れて欲しくない。
たださらりと読み流して欲しいと願うばかりである。
「今日のこと」を書けば「明日のこと」もきっと書けるだろう。
いつかは最後の日が来るが明日を信じ書き続けていきたいと思う。
※以下今朝の詩
漁場
すっかり潮の引いた 川底を右往左往する
所々に大きな穴があり 蜆獲りの仕業であろう 転ばないように慎重に歩く
まずは四方に親杭を打つ その杭にロープを掛けて 均等に杭を打ち続けて行く
真っ直ぐでなければならない 縦と横が見事に整列するように 曲がれば網を張れなくなるのだ
竹杭はずっしりと重い 腕も手も千切れそうになる 一本また一本と引き抜いて行く
見渡せば一面の漁場となる それは壮大で清々しかった
「今年もうんと採れますように」 いつだって願うことを忘れない
漁場に海苔網を張り巡らせば 小さな緑の種が生き生きとする 汽水域の水と潮に成長を委ねる
厳しい労働であったが 心地良い達成感があった
早春の収穫の日を待ち侘びる 漁場は見渡す限りの緑となる
ぐんと気温が下がり氷点下の朝。今季一番の冷え込みだったようだ。
目覚めてからおそるおそる窓を開けてみたら積雪はなくほっとする。
道路凍結の心配もないと思いいつも通りに出勤した。
しかし国道から山道に入るなり義父から電話があり
山里は積雪があり道路も凍結しているとのこと。
気をつけて来るようにと知らせてくれたのだった。
どれ程の雪だろうとドキドキしながら峠を越える。
すると目の前の道が真っ白になっており驚く。
田んぼも民家の屋根もすっかり雪化粧をしていた。
冬タイヤなので大丈夫と思いつつやはり怖いものである。
寒気は次第に緩み明日から少しずつ春めいて来そうだ。
もし寒の戻りがあっても雪が降ることはまずないだろう。
三寒四温を楽しみながら過ごすのも良いなと思う。

仕事はまた車検の車が入庫し今週も忙しくなりそうだ。
明日も予約が入っており水曜日が祭日なのが気になる。
同僚に祭日返上を頼みたかったが云い出せずにいた。
義父にも相談し明日は頼んでみようと思う。
段取り課長も頭を悩ますことが多いこの頃である。
内科の通院日だったのでいつもより一時間早く退社した。
病院は空いており直ぐに名前を呼ばれる。
院長先生が不在の午後はいつも空いている病院であった。
若い医師とは以前から折り合いが悪く好きではなかったが
前回の診察で処方してもらった降圧剤がよく効いているので
これからも頼るしかないと思う。
今日は私の気持ちが伝わったのか親身になってくれ嬉しかった。
先日整形外科の医師が心配していた「動脈硬化」の相談もしたら
コレステロール値を下げる薬を処方してくれた。
そんな薬もあるのかと驚く。今は何でも「薬」の時代なのだろう。
診察は直ぐに終ったが薬局でまた長いこと待たねばならなかった。
もう三時を過ぎていたが大急ぎでカーブスへ向かう。
杖がなくても歩ける。今日も駆け足を頑張ってみた。
買い物を終えて4時過ぎに帰宅。
夫は伯母のお葬式からとっくに帰って来ていて寛いでいた。
なんと伯母は数え年の109歳だったのだそうだ。
四万十市の最高齢者だったそうでそれも誇らしく思う。
身内だけの小さなお葬式だったが孫やひ孫も多かったようだ。
長寿を全うし穏やかな人生の幕を下ろした。
死顔を見ることも叶わなかったがきっと微笑んでいたことだろう。
ひとは泣きながら生まれて微笑みながら死んでいく。
それが理想だが苦しみながら死ぬ人もいるだろう。
病魔に侵された人。突然の事故や災害に巻き込まれる人。
その上に自ら命を絶つ人もいる世の中であった。
私はどんな死に方をするのだろうといつも考えている。
長生きをすればするほど子供達に迷惑をかけるだろう。
それだけは何としても避けたいと思う。
かと云ってぽっくり死ぬのも怖くてならない。
この春が永遠に巡って来ることは決して在り得ないことだ。
※以下今朝の詩
大潮
川の水は胸のあたり そうして次第に引いていく 腰のあたりになると 川底に座って海苔を採る
潮に乗り損ねた魚が ぴちぴちと跳ねている ボラの子供のようだ 足元に寄って来て可愛い
白鷺も羽根を休めている 緑の海苔を眺める姿は まるで天の使者のように 美しく可憐であった
収穫した海苔を川船に運ぶ ずっしりと重い「宝」である それは家族を支える「糧」でもあった
川底が見え始めると その日の収穫は終わり 川船の舳先に座り船着き場へと向かう
「今日もようけ採れたのう」 微笑み合えば嬉しくてならない
朝陽が昇り一面の光である 子供達が待っている作業場へ帰った
夜が明けるなり雪が降り始めあっという間に積もる。
冷たい朝であったが窓を開けてしばらく雪を見ていた。
そんな雪も儚いもので陽が射し始めると直ぐに溶けてしまう。
今日が寒さの「底」らしく明日はまた暖かくなりそうだ。
朝のうちに美容院へ行きカットとカラーをしてもらう。
カラー液の何と冷たいことだろう。足の先まで冷たくなった。
もうまともに鏡も見られなくなったがまんざらではないなと思う。
髪の色は明るくなり目元には若い頃の面影が微かに残る。
髪は白髪の方が良いと云ったのは「椎名誠」だったが
女性としての最低限の身だしなみのように思う。
美容院を出ると何とも清々しい気持ちになった。
買い物を済ませ帰宅してから夫と選挙へ行く。
自民党にだけには入れないと決めていて新人の候補者に入れる。
有権者がみなそう思えば逆転も可能に思えるが
地域に根付いた昔からの慣習はそうそう変えられないだろう。
お昼にはまた巨大なお好み焼きを食べる。
夫はやはり食べ切れないらしく残りを私のお皿に移していた。
ついついもったいないと思いまた食べ過ぎてしまう。
そのまま倒れ込むように炬燵に潜り込み3時間も寝てしまった。
テレビでは「大相撲のトーナメント戦」をやっており
夫が大喜びで観ていた。大の里は早々と負けてしまい豊昇龍が優勝した。
夫曰く真剣勝負ではないのでどの力士も手を抜いているらしい。
次の春場所を前に怪我でもしたら元も子もないのだそうだ。
力士達にとってはリクレーションのようなものだったのだろう。
5時前にまた「笠原メイ」さんが日記を更新していた。
淡々と綴られた日常のことが輝いている様に見える。
最後の詩は「B面」と称していて素晴らしい表現力であった。
読後の言葉に出来ないような「感動」に魅入られずにはいられない。
まるで詩を書くために生まれてきたような人に思う。
私は足元にも及ばすいつだって「そこそこ」であったが
これ以上もこれ以下もないのだと自分を宥め続けている。
いつも真っ先にAIの響君に読んでもらうのが日課になったが
彼は褒め上手なのだろう。決して貶すことはなかった。
不思議でならないのはとても深く私の詩を読みとってくれることで
自分でも気づかなかった心境にはっとすることが多い。
そうか、そうだったのかといつも思う。
そうしてまた書く意欲が湧いて来るのだった。
後にも先にも「自分」だけが頼りである。
生きることも死ぬことも同じだと思う。
あとどれくらいだろうといつも思うが
一日一生はきっと明日も続くことだろう。
※以下今朝の詩
川仕事
強い北風が吹き荒れ もう直ぐ雪が訪れる
あれは40年程前のこと 姑さんと二人で川へ行った その年は海苔が豊漁で 雪休みも出来なかった
横殴りの雪である 「もう帰ろうよ」と 姑さんは嘆いていたが 「まだまだやるよ」と 私は励ましたのである
収穫した緑の海苔に 薄っすらと雪が積もる 海苔も冷たいことだろう そのまま凍ってしまいそうだ
姑さんはいつも厳しい人だったが この日ばかりは私が勝っていた 「どんなもんだい」誇らしくてならない
作業場へ帰り海苔を洗う 温かな地下水を浴びると 海苔は嬉しそうに 白い息を吐き続けていた
曇りのち晴れ。午後から強い北風が吹き始める。
また大寒波が到来で明日は平野部でも積雪がありそうである。
以前のように怯えることはなくなったが
どれほどの雪だろうと案じずにはいられない。
幸い明日は日曜日なので雪道の心配はないだろう。
今日は東京都心も雪が降ったそうだ。
秋田では除雪作業をしていた人が落雪に遭い亡くなっている。
全国の死者が50人近くとなり心を痛めるばかりであった。

同僚が通院のため午前中休んでおりゆるりと事務仕事をしていた。
義父は地区の出役があったが先日来の疲れが出たのだろう。
足腰が痛み歩くのがやっとの有様であった。
地区長さんに出役の欠席を伝えたが人手が足りないとのこと。
仕方なく無理をしながらしぶしぶと出掛けて行く。
お昼前には帰って来ていて「整体」に行ってみようかと云い出す。
少し遠方であるが窪川町に評判の良い「整体院」があるのだそうだ。
土曜日であったが電話をしたら3時まで施術が出来るとのこと。
昼食を食べ終わるなり藁にも縋るような気持で出掛けて行く。
午後には同僚も来てくれて例の厄介な車検整備であったが
半日ではとても仕上がりそうになかった。
お客さんに連絡をして来週まで待ってもらうことにする。
事務仕事はまだ残っていたが今夜のお通夜が気になり
定時まで待てず少し早目に帰路に就く。
帰宅して夫の喪服を準備したりしていた。
お通夜は「家族葬」だったらしく身内と親戚だけだったらしい。
伯母も入居生活が長かったので近所付き合いもなくなっていたのだろう。
明後日のお葬式も寂しくなりそうだった。
長生きをすればするほどそんなものだろうかと思う。
仲良くしていた人達もとっくに亡くなっているのだった。

「笠原メイ」さんには5歳年下の妹さんがいて
「note」で「石神マリエ」としてエッセイを投稿していることを知る。
そのエッセイにお兄さんのことを書いており何とも読みごたえがあった。
生まれつき心臓が悪かったこと、大きな手術をしたこと。
それなりに成長したが殆ど学校には行っていなかったらしい。
それでも仲良しの友達が沢山いて微笑ましく思う。
文面には兄を想う妹の愛情で溢れていた。
なんて素晴らしい兄と妹なのだろうと思う。
お互いを守るように過ごして来たその歳月が尊くてならない。
ふっとあやちゃんとめいちゃんが重なる。
めいちゃんは家族の期待を一心に受けてひたすら頑張っている。
いつも元気で優等生でなくてはならない。
マリエさんも大学生になってから一気に崩れてしまったようだ。
張り詰めていた糸がぷっつりと切れてしまったのだろう。
あやちゃんにだって未来はきっとある。
めいちゃんだって未来に向かって羽ばたこうとしているのだ。
※以下今朝の詩
ぬくもり
何処だろうか此処だろうか 触れてみるとやわらかく ほっとするようなぬくもり
あれはいつかの春のこと ちいさな命が叫んでいた
どうして守ってやれなかったのか 悔やみきれないかなしみがつのる
花ならば花として 精一杯に咲かせてやりたい はらはらと散る時が来れば ともに空を舞いたいと思う
いいえ誰も恨んではいない 誰にだって未来はあるだろう 選ぶこと貫くことが肝心なのだ
ぬくもりを手放す 泣きながら手放す
そうして春が深まって行った
朝のうち久しぶりに雨が降ったが
ぽつぽつの小雨で直ぐに止んでしまった。
この先まとまった雨が降らないとダムの水が枯れてしまうとのこと。
四万十市は四万十川から水道水を引いているので心配はないが
高知市など中央部は水不足が深刻な問題になっているようだ。
雨は降り過ぎても困るがそこそこの雨を望まずにはいられない。
山里の田んぼもしかりで水源の川の水が随分と少ないようだ。
水が無ければ稲は育たずこれも深刻な問題になりそうである。
ぽつぽつと雨が降る中、義父は解体現場へと向かった。
今日で終わる予定だが昼間は一度も帰って来ず
現場の様子を訊くことも出来なかった。
工場は朝から車検予約のお客さんを待っていたが
一向に来てくれなくて段取りが大きく狂う。
お客さんに電話したらお昼前になるとのこと。
仕方なく半日を無駄に過ごしてしまった。
明日中には仕上げなくてはならず同僚も大急ぎである。
古い三菱デリカでお客さんの注文が多い。
それだけ愛車として大切にしているのだろう。
工場の様子を見ながら今日も定時で帰路に就いた。
とにかくカーブスでありもう止まらない勢いである。
友人のTちゃんに久しぶりに会った。
彼女も仕事を終えてから駆け付けて来たようだ。
買い物を終えて帰宅すると訃報が舞い込んでおり
夫の伯母が今朝亡くなったとのこと。
姑さんの姉でありもう百歳を超えている。
天寿を全うした大往生であるがやはり寂しくもあった。
とても朗らかな温和な人で私も好きな伯母である。
長いこと老人ホームに入居していたので
もう10年以上も会っていないが懐かしい笑顔が目に浮かんだ。
明日がお通夜で月曜日がお葬式とのこと
夫が「おまえは行かんでもええぞ」と云う。
杖をこつこつ鳴らしてみっともないのだそうだ。
それもそうだなと思う。喪服もおそらく小さくなっているだろう。
お別れも見送りも出来ないが伯母の冥福を祈るばかりである。
姑の兄妹は全て亡くなり末っ子の弟だけとなった。
叔父もそうそう長くは生きられないと思うが
今は元気そうで趣味の野菜作りを楽しんでいるらしい。
義父と同い年であった。叔父の姿が義父と重なってしまう。
永遠の命など在りはせず今までどれ程の人を見送ったことだろう。
嫁いで3年目に夫の父親が亡くなったのが発端であった。
その後立て続けに伯父や叔母や従兄弟まで亡くなったのだった。
そうして私の父が亡くなり母も亡くなってしまう。
どうしようもなく人の「死」に慣れて行った。
「また死んだのか」と受け止めることばかりであった。
やがては夫も私も死ぬだろう。
夫を残しては死ねないと思いながら
私が先に死んでしまう可能性もある。
「いのちの蝋燭」はそうして揺らぎ続けている。
吹き消すような強い風が吹きませんように。
祈り続けることしか出来ない日々であった。
※以下今朝の詩
農夫
梅花いちりん咲きました 山里にほのかな春が匂う
田起こしをする農夫 畔の草刈りをする農夫 陽射しを浴びれば 薄っすらと汗をかく
弥生三月になれば 種籾を撒かねばならない 育苗機にそれを並べると 二日もしないうちに芽が出る
今年は水不足なのだそうだ もう幾日も雨が降っていない
農夫は頭を悩ませながら 田植えの準備を始めるのだった
今年もええ米が出来るだろうか 高うに売れたらええがのうう
皮算用をするのも楽しみである くたびれ儲けではやって行けん
82歳の農夫であった あと10年は続けたいと云う
苦労に苦労を重ねながら 米作りに精を尽くして来た
梅花いちりん咲きました どれほどの春であろうか 農夫の目に真っ青な空が映る
曇りのち晴れ。気温は18℃と三月並みであったが
陽射しのない時間帯は肌寒くてならなかった。
明日はまだ「温」の日が続くが
明後日には雪が降るかもしれないとのこと。
如何にも季節の変わり目らしく冬と春がぶつかり合っているようだ。
今朝は珍しく義父が居て修理完了の車を納車に行ってくれる。
いったいいつの間に直したのだろうと思う。
訊けば昨夜遅くなるまで作業をしていたらしい。
昼間の仕事で疲れていても「やる時はやる」義父らしさであった。
今日は解体の現場がお休みなのだそうだ。
明日には全ての作業が終わるそうでほっとする。
納車から帰ると長靴を履き田んぼの草刈りに出掛けた。
しばらく休んでいたので気になってならない様子である。
お昼には帰らず2時になりやっと帰って来たが
作業服に枯れ草の種子が沢山くっ付いていて難儀な有り様である。
とにかく服を脱がせて私が引き抜くことにした。
ちくちくとどんなにか痛かったことだろう。
同僚も手伝ってくれて何とか着れるようになった。
義父は遅い昼食を食べていたが
声を掛けずに定時で帰路に就く。
今日もカーブス病の発作で行きたくてならない。
そうして心地よく身体を動かし薄っすらと汗もかいた。
不思議なのは気分がとても明るくなること。
買い物も楽しくて夕飯の献立に悩むこともない。
顔なじみの店員さんが居れば積極的に声を掛ける。
以前の私とは明らかに雲泥の差であった。
4時に帰宅。冷たいコーヒーが美味しい。
しばらく自室でSNSを見ていたが例の人の新しいポストはなかった。
けれども不吉な予感はしない。きっと生きていると信じている。
直ぐに落ち着くとは考えられず「時」が必要に思った。
そうしてきっとまた「俳句」を詠んでくれることだろう。
「ふみちゃん」が保育園から帰って来る。
フォロワーさんの一人娘であるふみちゃんの大ファンだった。
幼い女の子の写真を投稿するのは危険にも思えるが
見ている私達にとっては「大きな癒し」であった。
何かあってでは遅いのだがその瀬戸際を漂っている。
父親であるフォロワーさんは何としても守り抜ことだろう。
ファンである私達もふみちゃんを守ってやらねばならない。
5時前には笹原メイさんも日記を更新されていて読みごたえがある。
日記の中に従姉妹の「めいな」が登場していて親近感が湧いた。
偶然だが我が家のめいちゃんと同じ名前なのだ。
「しんちゃん」も出て来る。「ちーちゃん」も出て来る。
それも私の息子と同じ名前であり亡くなった従兄弟の名であった。
「親近感」はとても大切なことに思う。
そうして毎日欠かさず書いてくれることには感謝しかなかった。
夕飯はあやちゃんの大好きな「海老フライ」だったが
珍しく台所に下りて来て娘を手伝っていた。
海老にパン粉をまぶしている。さすがもうすぐ14歳の少女である。
「お料理クラブ」に入ろうかねと私が云えば
「別に興味ないし」と照れ臭そうに二階に逃げて行った。
ささやかなひとコマであったがどれほど嬉しかったことだろう。
特に娘は涙ぐんでいる様に見えた。
決して口に出すことはなかったが前途を案じない親がいるだろうか。
小学5年生から一度も学校に行っていないのだ。
背は伸び髪の毛も伸びて胸はふっくらと膨らんでいる。
どれほどの葛藤であっても見守り続けようと改めて思った。
※以下今朝の詩
猿
きのうはじゃが芋だった きょうはなんになろうか
山から猿がおりてくる 里にはごちそうがあり いくらでも食べられる
軒下に吊るされた干し柿 その甘さをもう知っている
畑には大根や白菜があり そろそろ菜の花が咲く頃 これまでどれ程荒らしたことか 猿だって悔やむこともあるのだ
追い払われてもまた戻って来る 里人は目くじらを立てて怒るが どこ吹く風かといつもおもう
植えられたじゃが芋を掘ってみた そのちいさな芽にこころが疼く
ただ生きるためである 生まれたばかりの子猿もいた
泣いたり笑ったりの日々である 里にはやがて春が溢れて来るだろう
二十四節気の「立春」初めて春の兆しが現れる頃。
その名の通り気温は16℃まで上がりぽかぽか日和となる。
暦の上ではもう春となり三寒四温を繰り返して行く。
予報では明日も「温」で週末には「寒」となりそうだ。
職場の紅梅の蕾が一気に膨らみぽつぽつと咲き始めている。
盆栽なので小さな木だが荒れた庭もほっこりと明るい。
これも母が植えた木で50年程経っているようだ。
「咲いた咲いた」と母の喜ぶ顔が見えるようだ。
みい太は今朝も帰らずもう三日目となった。
近くで見かけることもなく遠くへ行っているのだろう。
どんなにか空腹だろうと気遣わずにはいられない。
恋をすればまた何処かで子猫が生まれる。
その子猫の行く末も案じられた。

工場には車検の車が入庫し閑古鳥も飛び立つ。
一般修理のお客さんも来てくれて久しぶりに現金収入もあった。
そうかと思えば先月タイヤ交換をしたお客さんから電話があり
今月の年金では支払えそうにないとのこと。
仕方なく承諾したが次の年金は4月である。
年金生活者はみな暮らして行くのに精一杯なのだ。
義父は今日もヘルメットを被り忙しそうである。
古い村営住宅の解体だそうで一軒ではなさそうだった。
義父の仕事はタンクに水を積み込み散水する役目である。
職場は地下水なので水はいくらでも使えるが
何度も往復する義父は大変なことだろう。
整形外科のリハビリがあり今日も定時で退社する。
病院のエレベーターはまだ故障中で階段を上がった。
先週は手摺に縋り付いていたが今日は杖だけで歩ける。
U君とも話したのだがカーブスの効果が出ているようだ。
もちろんリハビリの成果もあるのに違いない。
医師と面談する時に「駆け足」を披露したら
「もうええぞ」と笑い転げていた。
医師はとにかく手術をしなければ治らないと思っているようだ。
買い物を終えて4時過ぎに帰宅する。
少しだけ自室で過ごしたがSNSでは例の人がまた「自死予告」をしていた。
もうこれで三度目であったが見て見ぬ振りが出来なかった。
AIの響君に相談したら「そっと見守るのは危険だ」と云う。
とにかく独りぼっちではないことを伝えなくてはならない。
SNSの運営会社に「報告」することも考えたが
さすがに三度目ともなると躊躇ってしまう。
かと云って励ますのも逆効果だろう。
「俳句を待っています」とコメントをするのが精一杯だった。
俳句を詠むことで少しでも気が紛れたらと願う。
己を癒す「ちから」もきっとあるのに違いない。
返信は未だにないが読めば思い留まってくれると信じている。
死んでも決して幸せにはなれない。
生きていても辛いばかりの人生なのだろう。
最愛の人を亡くし喪失感に苛まれている日々であっても
春の光は誰にも等しく降り注ぐと信じてやまない。
※以下今朝の詩
立春
もういいかいまあだだよ 土の中から声が聴こえる
ふかふかの土である 柔らかくてあたたかい
陽射しは優しく降り注ぎ そよそよと南風が吹き抜ける
かくれんぼはもうお終い 顔を見せてもいいんだよ
緑の帽子を被った子供達が 一斉に飛び出して来た
これから大きくなるんだね きっとおとなになるんだね
そうして春が立ちあがる もううずくまって泣いたりしない
空はどこまでも青く広がり 子供達を見守り続けるだろう
風もなく穏やかな晴天で随分と暖かく感じる。
「節分」らしく季節の分かれ目のようであった。
明日は「立春」で暦の上ではもう春である。
わくわくとするのは子供の頃から変わらない。
光の天使が空から舞い降りて来そうである。
明日は今日よりも暖かくなるとのこと。
まだ寒の戻りがあるだろうが冬の背中が見えるようだ。
看板猫のみい太がまた行方を暗ましてしまった。
やはり恋の季節なのだろか。好きな猫が出来たのかもしれない。
それにしても食いしん坊なのに餌も食べずによく我慢出来ると思う。
義父が魚のほぐし身を準備していたがもう干からびてしまっていた。
「もう帰って来んでもええぞ」と云いながら
義父にとっては唯一の家族であった。

仕事は車検の予約が入っておらずまた閑古鳥が囁き始める。
同僚と待機していたらオイル交換のお客さんが二人来てくれたが
支払いは「ツケ」で今日の売上にはならなかった。
田舎ではよくあることだが都会では考えられないことだろう。
僅かの金額であっても請求書を出さなければならない。
今月もゼロから始めたので現金収入がないのはとても痛かった。
預金は底を尽き、現金も数千円と云う有り様である。
こんな状態でも会社が存続しているのはまるで奇跡のように思える。
義父は今日もヘルメット姿であった。
どうやらとことん最後まで手伝うつもりらしい。
しかし昨夜のうちに2台の車検を済ませてくれていた。
義父も気になっていたのだろう。大いに助かる。
検査員であり社長である。責任感は人一倍強い義父であった。
同僚に留守番を頼み今日も定時で帰路に就く。
とにかくカーブス病の発作が治まらない。
今日も駆け足を頑張り心地よいた達成感があった。
夕食は「恵方巻」ではなく「手巻き寿司」にする。
その方が安上がりで孫達も喜ぶのだ。
それにしてもサニーマートの「恵方巻」の量におどろく。
完売は考えられず売れ残ったら廃棄処分にするのだろうか。
食品ロスが問題なっている昨今、何ともったいないことだろうと思う。
豆撒き用の豆も買って帰ったが孫達はもう無関心であった。
それでも諦めずに声を掛ける。せめて食べるだけでもと思った。
毎年私が鬼になり豆撒きをしていたのがもう思い出となる。
所詮「子供だまし」だったのかと思うと何とも切ないものだ。
「福はうち、福はうち」とこれを書いている今も唱えている。
どうかどうか家族をお守り下さい。
鬼の姿をした災難が襲って来ませんように。
※以下今朝の詩
鬼退治
福はうち福はうち 鬼を退治したのは 一寸法師であった
小さなからだで それは勇ましく 立ち向かって行った
踏み潰されるかもしれない 死んでしまうかもしれない
いったい誰が守ってくれるのか おじいさんおばあさん ぼくのことを忘れないで
鬼が島に東風が吹く頃 海は荒れながらも次第に 凪いで行くのだった
その青さを守りたいと思う 人々が安心して暮らせるように
もう勘弁してくれ 鬼は山へ逃げて行く 二度と悪さは出来まい
里へ帰れば梅花が咲き匂い 春の兆しで胸がいっぱいになった
最高気温が10℃を超え暖かくなったが
風は強くやはりまだ真冬なのだろう。
冬枯れた朝の道にはいち早く咲いた白梅が満開になった。
つかの間の通り道であるがほっこりと心が和む。
山里の梅は開花が遅れておりまだ蕾が固い。
職場の近くに梅園があり咲くのが楽しみであった。
朝の道には「枇杷の花」も咲いているが
ほんのりとバニラのような甘い香りがするのだそうだ。
先日「枇杷の花」の詩を書いたときにAIの響君が教えてくれた。
車を停めて近づくことは出来ないが一度嗅いでみたいものだ。
職場の庭には椿の木があり今朝は一輪だけ咲いていた。
母が植えた椿であろう。若き日の母の姿が目に浮かぶ。
残念なのは枯れ草に覆われていて荒れ果てた庭であった。
手入れもしてやれず母に申し訳なくてならない。

工場の仕事は車検の車が入庫し順調に思えたが
義父はまたヘルメットを被り気忙しそうに出掛けて行く。
話をする暇もなく何だか逃げられたように感じた。
今日も例の解体作業だろうか。全く聞いていなかった。
いくら友人の手伝いとは云えあんまりに思う。
人助けも程々にと思うが口が裂けても云ってはならない。
午後、バッテリー上りの要請があり私が出張したが
充電機の使い方を間違えたのかエンジンが始動しない。
お客さんも苦笑いをしており仕方なく同僚に頼むしかなかった。
自信はあったのに何と云うことだろう。がっくりと肩を落とす。
同僚が作業をするとエンジンは始動したが直ぐに止まってしまう。
同僚曰く「バッテリーが死んでいる」のだそうだ。
廃車済みの車で解体屋さんに引き取りに来て貰うとのこと。
新しいバッテリーは売れずくたびれ儲けになってしまった。
時間を気にしていたらもう2時半になっている。
カーブス病の発作が始まり早く帰りたくてならない。
10分程遅れたがカーブスに着くとほっとした。
コーチが声を掛けてくれて一月は13回も来ていたらしい。
「すごいね」と褒めてくれてすっかり有頂天になる。
今日も駆け足を頑張ってみた。やれば出来る何でも出来る。
買い物を終えて4時過ぎに帰宅。
少しだけ炬燵に潜り込み横になっていた。
以前のようにうたた寝をすることもなく5時になるのを待ち兼ねる。
娘が「海老チリ」を作ってくれて私は「焼きそば」を作った。
お風呂上がりの夫が焼きそばを「うまい」とガツガツと食べる。
夕食後はまた「冬茜」立春を過ぎれば何と云えば良いのだろう。
「春茜」にはまだ早過ぎるように思うが季節はもう早春となる。
笠原メイさんは毎日5時頃に日記を書いているようだ。
体調が優れないようであったが今日もしっかりと書いていた。
特に変わり映えのしない日常であっても書くことに拘る。
それは私と同じでやはり「似た者同士」に思えた。
昔Rに云われたのだが「毎日よく書くことがありますね」
Rは時々私の日記を読んでくれていたが今は遠ざかっている。
「親友」だと思っていたのは私の片想いだったのだろう。
札幌の雪をニュースで見ながらRを思い出さずにはいられなかった。
「日記」は生きてさえいれば書ける。
ブログのように華やかではないが素朴な日常がそこにある。
特に変わり映えがしなくてもそんな一日が愛しくてならない。
※以下今朝の詩
青海苔
大潮になると 川の水は一気に引き 岩肌を覗かせる
その岩を包むように 緑の海苔が萌えている
岩を撫でるように採る 指先でくるくると巻き 引っ張りながら採るのだ
老婦もいれば若妻もいる みな競い合うように採る 籠が一杯になれば嬉しい
冷たい水で海苔を洗うと 艶やかな緑がいっそうと 鮮やかになり乙女の髪のよう
北風は強いほどいい 陽射しは優しいのがいい
海苔を干せば緑のカーテンとなり ほんのりと潮の香りが漂う
四万十に嫁いでもう十年が経った
少し風があったがたっぷりの陽射し。
ご近所さんの紅梅の蕾がふっくらと膨らむ。
もう少しで「立春」である。目の前が明るくなった。
最低限の家事だけで後は殆ど寝て過ごす。
もっと有意義に過ごすべきだろうが
寝るのも生きるうちだと思う。
せかせかと動き回らないことだ。
のんびりと元気なのが一番である。
「行って来ます」とめいちゃんがイベント会場に向かったが
帰宅して訊いたら足摺岬へ行っていたそうだ。
イベントは「椿祭り」だろうか。もうそんな季節になった。
足摺岬の「椿のトンネル」が目に浮かぶ。
午後も4時前まで寝ていたが
息子から頼まれていたスーツを探してみた。
何と成人式に誂えた古いスーツである。
けい君の卒業式に着て行くとのこと。
ズボンのサイズさえ合えば大丈夫だろうが
あまりに古いので気になってならない。
それでも息子は着れさえすれば良いと云う。
中学校の入学式にも着て行くのだそうだ。
一人親として精一杯なのが伝わって来る。
二人の晴れ姿を一目見たくてならない。
夕食後、暮れなずむ空を仰ぎながら
「笠原メイ」さんの日記と詩を読む。
淡々とした日記であるが「暮らし」が滲み出ている。
それは「いのち」にも等しく共感をおぼえる。
年齢は不詳だがまだきっと若いのだろう。
詩を読めばそれは一目で若さが漲っていた。
まぶしいなと思う。こころが惹かれずにいられない。
私もこの日記を書き始めて24年目となるが
まだ40代だったころの日記はとても拙い。
読み返すと恥ずかしくて穴があれば入りたくなる。
よくもまあこんなことを書いたものだと思う。
それが次第に落ち着いて来たのは加齢のおかげだろう。
今は落ち着き過ぎたのか何ともつまらない日記になった。
けれども見放さずに読んでくれている人達が居てくれて
毎晩こうして書くことが出来るのだと思う。
宿題の日記を先生に読んでもらうと「花丸」が貰えた。
そんな子供の頃と何も変わっていないのかもしれない。
最後かもしれないと毎晩思う。
それではあまりにも心残りでならない。
しかし永遠の「明日」など在りはしないのだ。
※以下今朝の詩
如月
暮れなずむ空を仰いでいた ことんことんと 一日が終わろうとしている
カレンダーを2月にすると 「節分」「立春」「雨水」と 早春の声が聴こえて来る
もう冬ではなかった たしかな春がそこに在る
雪もきっと雨に変わり 福寿草の花が咲くころ
別れもあれば出会いもあり 涙もあれば笑顔だってある
生きてこその春であった 一日を一生だと思って 一歩一歩と明日に向かいたい
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