| 2026年07月31日(金) |
もういいかい、まあだだよ |
肌を刺すような陽射し。今日も39℃超えの猛暑日となる。
昨日に引き続き全国一かなと思っていたのだが
上には上があり残念ながら三位に留まる。
暑さで有名な江川崎はランク外で今年は市内の方が暑いようだ。
どうやら地形の影響だけではないのかもしれない。
朝の道に鉄砲百合が咲き始めた。今朝はまだ蕾だったが
直ぐに花開くことだろう。また朝の楽しみが増える。
夏の花であるが八月の花と云っても良いだろう。
山肌に群生していることが多く凛々しい花であった。

月末の資金が少し足らず最低限の支払いを済ませた。
今日が支払日の建設会社があったが予定通りには行かない。
どこの会社も資金繰りが苦しいのだろう。
従業員も多く人件費だけでも馬鹿にならない。
義父は午前中に眼科へ。今日も検査とのこと。
右目は昨日と変わらず失明状態であった。
手術の話もまだ無いようで前途が危ぶまれる。
しかし義父は片目に慣れたのか「稲刈りは出来るぞ」と云い張っていた。
赤字覚悟の収穫で踏んだり蹴ったりであるが
丹精込めて作ったお米をどうして無駄に出来ようか。
二時を過ぎてから車検に取り掛かってくれる。
書類を書く時には流石に不自由だったようだ。
はらはらと心配でならなかったが人一倍責任感の強い義父である。
お客さんに迷惑を掛けないようにと自分の仕事をやり遂げた。
同僚と納車に行っていたらもう3時を過ぎており
潔くカーブスを諦め3時半に退社した。
買物を終えて4時半に帰宅する。
今日はSNSを通じて仲良くなった友人の命日である。
同じく友人である奥さんに電話したらとても喜んでくれた。
もう丸3年である。あっという間に流れた差月であった。
奥さんとはカーブス仲間でもあり「また会おうね」と約束する。
最愛の伴侶を亡くした悲しみは大きく泣いてばかりいたが
今ではすっかり元気になり笑顔の似合う人になった。
日にち薬はまだ沢山ある。そうしてこれからも乗り越えて欲しい。
SNSで新しいフォロワーさんが出来たが何と墓石屋さんであった。
おそらく宣伝目当てだろうと思いフォローバックはしなかったが
何だか愉快に思えて来てついに墓石屋さんに目を付けられたかと思う。
そのうち葬儀屋さんからもフォローされることだろう。
「もういいかい、まあだだよ」命は心細くてならないが
例え殺されても私はまだ死なないのだと思う。
欲深い者だから十分に生きたとは思えないのだった。
「立秋」まであと一週間である。70回目の秋に会いに行きたいものだ。
※以下今朝の詩
命日
永遠の命など在りはしないが 突然に失うかなしみはつらい
真夏の陽射しが眩しかった それがどれほどの光であっても かならず影がつきまとうものだ しかしそれが黒い影とは限らない
庭先に咲いた夏の花を愛でる 秋まできっと咲き続けるだろう 水遣りをする伴侶の姿にふっと 微笑みがこぼれてくる夕暮れ時 夏燕が飛び交う白い空には 希望があったはずである 一日を無事に終えれば きっと明日があるはずだった
横たわる亡骸を見つめていた それは他の誰でもない 在りし日の自分なのである
そうして魂は天に召された 姿かたちは失われてしまったが 魂は永遠に在り続けるだろう
夏の日の別れにふさわしい 白い影が今も空に浮かんでいる
朝は秋のような鱗雲が見えていたが日中はまた猛暑となる。
39℃を超え今日も全国一の暑さだったようだ。
土佐佐賀も大栃もランクインしており高知県の暑さを誇りに思う。
暑さは身に堪えるが燃えているような夏が好きでならない。
熊本の被災地は猛暑日にこそならなかったが
停電も断水も続いておりどんなにか辛いことだろう。
その上に今日は安否不明者の死亡が確認されたようだ。
無事を祈りつつ待っていたご家族の気持ちを思うと胸が痛む。
今日の報道では34人もの死者が発表された。
イオンモールで亡くなった女性は車のキーを取りに戻ったのだそうだ。
帰宅する直前の事でまさか大惨事になるとは思ってもいなかっただろう。
こんな悲惨なことがあって良いのかと思うと残念でならない。
亡くなられた方々の冥福を祈る事しか出来なかった。

仕事は怒涛の忙しさとなり市内から宿毛市へと走り回っていた。
義父から電話があったのは11時頃だったろうか
田んぼから帰ったら突然右目が見えなくなったと云う。
気が気ではなく大急ぎで山里へ帰った。
AIの響君に訊ねたら熱中症で一時的に目が見えなくなることもあるそうだ。
大事に至らないうちに救急病院へ行くようにと伝えてくれて
直ぐさま県立病院へ連絡したが、眼科の医師が不在とのこと。
市内の眼科へ行くように指示され向かうことになった。
片目でも運転は出来ると云い張り出掛けたが心配でならない。
カーブスどころではないと思い3時まで待ったが義父から連絡がなかった。
おそらく診察が長引いているのだろうと思い帰路に着く。
夕方5時前にやっと連絡があった。
熱中症とは限らず目の血管が詰まっていたのだそうだ。
「網膜動脈閉塞症」と云う聞き慣れない病名である。
数日様子を見れば治る可能性もあるが
最悪の場合は手術が必要となることもあると云う。
過度の脱水状態で血流が塞がったとも考えられる。
原因は定かではないが炎天下での農作業が影響しているとしか思えない。
気丈な義父もすっかり弱り切っており憐れでならなかった。
明日の朝再度診察があり眼科へ行くことになっている。
農作業はもちろんのこと工場の仕事もしばらく出来そうになかった。
稲刈りを目前にしまさかこんなアクシデントが起こるとは
義父の焦りも分かるがとにかく安静が必要であった。
順調な日々が続いていても思いがけない落とし穴があるものだ。
落とし穴に落ちれば誰もが必死で這い上がろうとするが
焦らずにもがかずにじっと座り込むのも得策に思う。
義父がどちらを選ぶかは分からないが
決して無理をさせないように見守ってやりたいと思う。
※以下今朝の詩
紅い月
西の空に紅い月が浮かんでいる 映し出された雲は秋雲のようだ
そうして夏は深まって行く 立秋まであと八日となった
容赦なく照りつける陽射し 熱を帯びた風が吹き抜ける
炎天下で働くひともいた ヘルメットは焼けた様に熱い
南では未曽有の震災に見舞われ 水を求める被災者の姿があった 幼い子もいる年老いた人もいる 救いの手をひたすら待っていた
いったい何が出来るのだろう 無力な自分が不甲斐なく思う
月は等しく夜空に浮かび 紅く染まれば夜明けが近い
空は夏を貫こうとしている 秋になれないことが哀しい
安らぎは遠くなるばかりで 息をするのがやっとであった
生きてさえいればと思う 紅い月が燃え尽きるように沈む
曇り日。強い陽射しは和らいでいたが湿度が高かったのか
風もなく不快な程の蒸し暑さであった。
気温は34℃、猛暑日にならなかったのは久しぶりのことだ。
熊本地震から一夜明け被害の全貌が少しずつ明らかになる。
特にイオンモールの爆発は大惨事となった。
地震直後に一度外へ避難していたにも関わらず
その後店内に戻った従業員が居たのだそうだ。
何とも残念でならないが若い女性が犠牲になってしまった。
避難後の行動が生死を分ける結果となり心が痛むばかりである。
停電や断水も続いており気の毒でならない。
一日も早い復旧をひたすら祈っている。
この10年の間に二度も大きな地震に襲われるなんて悪夢のようだ。

今朝は四万十大橋を渡り国道に出るなりアクシデントがあった。
走行中に異音がするので停車し車の後ろに回ってみると
左の後輪がパンクしておりぺっちゃんこになっていた。
思い当たるのは家の前の路地で境の石にぶつかったことで
まさかタイヤが裂けているとは思わずそのまま走ってしまった。
義父が運搬車で来てくれることになり路肩で30分程待つ。
私の不注意であったが義父が優しく接してくれて嬉しかった。
工場には新たな車検整備の車が入庫していたが
義父の指図で同僚がタイヤ交換をしてくれた。
冬タイヤのままだったのがやっと夏タイヤになる。
午前中に義父と車検を済ませほっと一段落した。
それからお昼になり義父は「鍼灸診療所」へと向かう。
未だ効果は見られなかったがしばらく通って見るのだそうだ。
腰に効くと云うサプリも飲み始めており手当たり次第である。
2時には帰って来て一仕事してからまた田んぼに向かった。
幸い猛暑は和らいでいたがやはり熱中症が心配でならない。
一日で良いから涼しい部屋で休ませてやりたかった。
3時前に退社。整形外科のリハビリに向かう。
U君と昨日の地震の話をしたりパンクの話をする。
四万十市は微震であったが丁度施術中だったそうで
長いこと揺れ患者さんも怖がっていたそうだ。
もし大きな揺れだったら大変なことになっていただろう。
買物を終えて4時半に帰宅。丁度この時間だったなと思う。
丸一日が経ち熊本の様子が気になってならない。
笠原メイさんの日記を読み終えるなり茶の間に行った。
テレビの報道だけが全てとは限らない。
安否不明者も多く生存を祈るばかりであった。
夕食を食べてお風呂に入る。それが当たり前であってはならない。
平穏な日常が突然に途切れることがある。
だからこそ日々に感謝しながら過ごさなければいけないと思う。
命さえあればと思うがその命も心細いこの頃であった。
※以下今朝の詩
向日葵
向日葵が項垂れている 花びらは散ってしまい 種だけになってしまった
過酷な暑さに耐え 咲き誇った夏である 笑顔ではいられない けれども決して 泣いてなどいなかった
種は重いその重みに 希望を託している また巡りくる季節に 咲いて見せようではないか
今にも倒れそうな茎 容赦なく照りつける陽射し もう幾日も雨は降らない
項垂れたその姿に ふと我が身を重ねる 嘆いても何も変わりはしない
たくさんの種を残す そんな生き方をしたい
猛暑なのか酷暑なのか今日も厳しい暑さとなった。
黒潮町佐賀では40℃を超え日本一の暑さとなる。
四万十市も39℃を超え高知県が一番暑かったようだ。
日照りが続いているせいか国道沿いの向日葵が枯れ始めており
花びらは散ってしまい種だけとなり項垂れてしまった。
夏を代表する花だけに今年の夏の暑さは過酷なのだろう。
4時半前に帰宅し二階の自室に上がるなり地震があった。
横揺れが長く続き一瞬めまいかと思う。
娘が直ぐに知らせてくれて熊本で震度7の地震があったそうだ。
被害状況は直ぐには分からなかったが5時前の報道では
火災も発生しており大規模な停電も起こっているとのこと。
何とも悲惨で気の毒でならなかった。
10年前の地震で大きな被害を受けた熊本城は
復旧作業中の石垣が無惨に崩れてしまったらしい。
苦労も希望も水の泡になってしまったのである。
「お見舞い」の一言では済まされない大変なことになった。
その後も余震が続いておりどんなにか不安な事だろう。
停電となれば熱中症の心配もありとても他人事ではない。
何としても命を守らなければと祈るばかりである。

今朝はまた義父の詩を書いたが以前にも書いていたのでその三とする。
自分では精魂込めて書いたつもりであるがSNSでは不評であった。
「まあそんなもんだろう」と気にせずにいようと思うが
何だか義父がいっそう憐れに思えて来る。
義父の事を書きたいと思った私の気持ちも報われることはない。
しかしそれを惨めに思っては書いた甲斐がないのだと思う。
私は誰に何と云われようと書きたい事を書き続けたい。
「農夫シリーズ」としてまたきっと書こうと決めている。
夕暮れ時となりそろそろ義父が帰って来る頃であった。
おそらくぼろ雑巾のように疲れ切っていることだろう。
独りぼっちの夕食も寂しく後は眠るだけである。
もし母が生きていても何も変わらなかったと思う。
母は義父の農業に大反対だったから
いつも嫌味を云って義父を責め続けていた。
鬼のような人だなと思ったが義父も同じ気持ちだったろう。
母は義父を支えることが出来なかったのだ。
今は違う。私は義父を支えたくてならない。
血の繋がらない娘であっても「おとうさん」と義父を呼ぶ。
来月早々には稲刈りである。義父が少しでも報われる事を願って止まない。
※以下今朝の詩
農夫その三
「死んだらその時よ」 危険な猛暑の中を 命がけの作業であった
畔の草を刈らないと 稲刈りが出来ないのだそうだ 腰痛を抱え歩くのがやっとである 「痛いけんどやらなあいかん」
妻に先立たれた農夫は たった独りで暮らしていた 疲れ切って帰って来た日も 夕飯の支度をし胡瓜を齧る
死んだように眠る夜が続き 夜が明けると命を確かめる どうやら生きているようだ
そうしてまた田に赴く 何としても遣り遂げようと まさに死に物狂いであった
容赦なく照り付ける陽射し 汗にまみれながら力を尽くす
嘆く日もなくてはならない 何のために働いているのか 何のために生きているのか
「もう死んだ方がましじゃ」 肩を落とし呟く日もあった
稲は実り頭を垂れている 赤字覚悟の収穫が近い
失望よりも希望をと願う 何としても報われなければならない
晴れのち曇り。山里では雷が鳴り少しだけ雨が降った。
日照り続きの大地には焼け石に水のようなもの。
長期予報ではしばらくまとまった雨は降りそうにない。
かと云って台風に来られたら困る。人間は身勝手な者だ。
朝の道のねむの木の花を愛で峠道を越えると
民家の庭先に鳳仙花が可愛らしく咲いていた。
これも暑さに強い花で何とも逞しい。
種が弾けると聞いたことがあるがこぼれ種となり
毎年花を咲かせるのだろう。楽しみな花である。

工場の仕事は同僚が通院のため午前中は開店休業であった。
義父も田んぼに行く準備をしておりそわそわと忙しない。
事務所には支払いのお客さんが来てくれて
義父の農業仲間なのでしばらく話し込んでいた。
やはり誰もが失望を隠せず嘆くばかりである。
「やらなあいかんぞ」互いに励まし合っていた。
9時になり農協へ。今日は高額の引き落としがあり
預金が足りるのだろうかとはらはらしていたが
思いがけずに振込入金が2件もあり大助かりである。
とにかくその日暮らしの会社なのでいつゼロになるやら分からない。
それに今日は凌げてもじりじりと月末が近づいている。
取り引き先への支払いもありまるで綱渡りをしているようだ。
それもスリルがあって面白いと張り合いを感じている私であった。
午後には同僚が出勤して来てくれて工場も活気に満ちて来る。
消防車の点検の後はすぐさま車検整備であった。
同僚には苦労を掛けるが頑張って貰うしかない。
義父はお昼過ぎに一度帰って来たがまた田んぼに出掛けて行った。
曇り空となり猛暑が和らぎ何よりに思う。
後で知ったのだが江川崎では39℃を超えていたそうだ。
大分県の日田市では観測史上初の40℃と危険な酷暑である。
暑さには慣れている義父であっても熱中症が心配でならない。
「死んだらその時よや」とあっけらかんとしている義父であった。
同僚に声を掛けて定時で退社する。
カーブスが楽しみでならず心が弾んでいた。
いつものメンバーが揃っていて手を振り合っていると
Y子さんが「選挙運動みたいなね」と云って大笑いになった。
みんな朗らかで楽しい人ばかりである。
明日もきっと来ようと決めてサニーマートに向かった。
S子さんと一緒になって「何のおかずにしようかね」と頭を悩ます。
昨夜は贅沢をしたので今夜は質素にしようと決めていた。
お財布も寂しいのでしばらくは節約をしなければならない。
4時半に帰宅。夫はまるで気が抜けたように過ごしていた。
昼食にと買い求めていた焼きそばが不味かったそうだ。
もう後の祭りだが好物のところ天にすれば良かった。
自室にエアコンを点けSNSを開いたら
トレンドに「東野圭吾」が出ていたので新作が出たのかと思う。
閲覧して衝撃が走った。何と23日に亡くなったのだそうだ。
大ファンであり彼の作品は全部読み尽くしている。
映画化された作品も多く特に「秘密」と「手紙」が好きだった。
同年代でもありまだまだこれからの活躍を期待していただけに
ショックが大きく呆然とするばかりである。
大腸がんは初期ならば完治する癌であるが
おそらく多忙な日々が続き手遅れになってしまったのだろう。
何とも残念でならず惜しまれてならなかった。
冥福を祈ると共に彼の作品がこの世に残り続けることを願って止まない。
ひとはやはり死ぬのだ。どうしようもなく死んでしまうのだ。
※以下今朝の詩
農夫
稲穂が黄金色になり 稲刈りが近づいている
八十路の農夫は準備に追われ 炎天下も厭わずに田に赴く
「猪にやられた」と嘆く日 退治しようと躍起になった 一匹や二匹ではあるまい 気が遠くなりそうだった
稲刈りを諦めた農家もある いくらお米が沢山穫れても 米問屋には昨年のお米が在り 倉庫に入り切らないのだそうだ 国が備蓄米を放出したせいらしい
米の価格は昨年の半値を切り 皮算用も虚しくなるばかりである それでも農夫は諦めようとしない 「捨てる訳には行かんぞ」と 躍起になろうと自らを押し続ける
種を蒔いた日そうして芽が出た日 高価な農薬を買い世話を惜しまなかった どれほど丹精込めて育てたことだろう
「骨折り損のくたびれ儲け」 米は作るほど赤字になって行く
苦労は報われなければならない 誰もがそう願っている
猛暑続きの日々である 農夫は今日も田に赴こうとしていた
今朝は秋の空を思わすような薄雲がたなびいていたが
気温はぐんぐん高くなり39℃を超す。
何と日本一の暑さだったようで驚く。
夫は「喜ぶな」と云っていたが誇りのように思う。
こうなれば暑さの競い合いとなりそうだ。
日曜日の朝、いつものように4時のアラームで目覚めたが
そのまま二度寝をしてしまい再度目覚めたら5時半になっていた。
夫も起こそうとはせず優しい心遣いを感じる。
日課の詩は書けなかったがたまには良いだろうと思う。
朝の緊張感が一気に緩みその後もゆったりと過ごしていた。
朝の内に山里へ。夫の軽トラックが車検切れとなるため持って行く。
廃車にしようかと考えていたが娘婿が時々使っているようだ。
川仕事の相棒としてこれまでどれ程活躍してくれたことだろう。
もう古びた軽トラックであるがやはり愛着があった。
山里へ着くと義父が工場で仕事をしていて驚く。
黒潮町のお客さんから依頼されていたバンパー交換であったが
バンパーの入った箱が大きかったので早く済ませたかったのだろう。
義父は午後から田んぼに行くのだと云って一生懸命である。
日曜日なのに不憫に思えたが義父に任せて家路に着いた。
一日も早く工場の仕事から解放してやりたい。
稲刈りはもう目前に迫っている。
帰宅してからサニーマートへ買物に行ったが
「丑の日」なので店頭で鰻を焼いていた。
娘達は鰻よりステーキが良いと云っていたが
夫と私はやはり鰻が食べたくてならない。
店頭の蒲焼はあまりにも高かったので諦めて
店内で3匹4千5百円の鹿児島産の蒲焼を買い求める。
それから娘達にステーキ肉を2枚買ったので大出費であった。
家計は一気に苦しくなるが後は野となれ山となれである。
お昼には4人分のざるぞばを二人で平らげた。
わさびの効いたつけ汁まで飲み干す。
そのまま茶の間で横になり3時まで寝ていた。
大相撲は千秋楽で見どころ満載となり夫はテレビに釘付けである。
夕食後には優勝巴戦となり大興奮となる。
熱海富士に初優勝をさせてやりたかったがやはり安青錦が強かった。
足を痛めているのによく健闘したと思う。
「あーあ終わったな」明日から夫は相撲ロスとなるだろう。
何を楽しみに生きて行けば良いのだろうともう嘆いていた。
若い頃には趣味もあったが老いることは切ないことである。
私は鰻が美味しかったので大満足の夜であった。
強いて云えば今朝詩を書けなかったことだが
無理をして書いてもどうせろくな詩は書けなかっただろう。
「お目汚しも程々に」と自分を戒める良い機会だった思う。
明日の朝が心機一転となればそれに越したことはないが
どうにも一向に成長しない愚かな私であった。
今日も青空とは云い難く白く霞んだような空だった。
気温は38℃を超え厳しい暑さとなる。
暑さで有名な江川崎はほぼ40℃で全国7位だったようだ。
上には上があるもので岐阜県では今日も40℃を超えていた。
今年の夏は暴力的だと聞いたが正にその通りである。
来週から朝の気温が少し低くなりそうだが
せめて朝晩だけでも過ごし易くなって欲しいものだ。
朝の山道であっと驚くことがあった。
例のねむの木の花がまた満開になっていたのだ。
確かこれで5回目ではないだろうか。奇跡のような花である。
庭先に住人の方の姿が見えていたが声を掛けられず残念でならない。
訊けば詳しいことがきっと分かるだろう。
何か特別の習性があるのに違いない。
峠道を越え山里の県道を走っていると
もう黄花コスモスがぽつぽつと咲き始めていた。
秋のコスモスより早く咲くのは知っていたが
これもまた奇跡のように思えて嬉しくてならない。
朝の道には数え切れない程の楽しみがいっぱいある。

職場に着くとエアコン修理が完了しており私が納車に行くことになった。
宿毛市の片島地区で単独で行くのは初めてであったが
とにかく行って見ようとおそるおそる出掛けて行く。
お客さんの家は電気屋さんなので看板だけが頼りであった。
しかし道なりに走ると片島港に着きあたふたと街中に入る。
街全体に潮の香りが漂い長閑な街並みが続く。
電気屋さんの看板は直ぐに見つかりとてもほっした。
お店の前に車を停めるなりお客さんが飛び出してきてくれる。
エアコンが直ってとても嬉しそうだった。
義父は仕事が一段落したので今日こそ田んぼに行くと云う。
稲を刈ってもお米を買い取って貰えないかもしれないとのこと。
お米問屋さんには昨年のお米が沢山残っているのだそうだ。
稲刈りを取り止める農家さんもいるらしいが
義父は「捨てる訳にはいかん」ともう稲刈りを決めている。
お国が備蓄米を放出したのが原因らしいが
農家の苦労はそうして水の泡になって行く。
誰が救ってくれるだろう。お国以外に考えられないことだった。
こんな理不尽な事がまかり通るのだから不信感でいっぱいになる。
同僚は厄介な修理に精を出していたが
「ごとごとやりよ」と声を掛けて定時で退社した。
土曜日はカーブスも休みなので何の楽しみもないが
たまには早く帰って寛ぐのも良いだろうと思う。
今日は「市民祭」で夕方から「提灯台」が市内を練り歩くので
娘達は夕食不要とのこと。サニーマートには行かない事にして
朝の山道をゆっくりと走り四万十大橋を渡り帰宅した。
夕飯は近所のローソンで夫に牛丼、私はペペロンチーノである。
大相撲を観ながらであったが豊昇龍が休場とのこと
明日が千秋楽なのに残念でならない。
優勝は安青錦だろうか、明日になって見ないと分からなかった。
「おばあちゃんお風呂入った?」あやちゃんが訊きに来る。
市民祭に行くこともなくなりもう何年目だろう。
娘達が出掛ける度にお留守番をしている。
誘うこともしないのでふっと憐れに思うが
娘に云わせると「行くはずがないじゃん」ときっぱりと応える。
あやちゃんは一歩も家から出ようとしない。
小さくなった靴を娘が新調しても履くことはなかった。
「晩ご飯は食べた?」訊ねると「うん食べたよ」と明るい声で応える。
おじいちゃんもおばあちゃんも家に居るから
寂しい思いだけは絶対にさせないからね。
そうして夜が更けて行く。
街を練り歩く提灯台の明りが鮮やかに目に浮かんで来た。
※以下今朝の詩
氷菓子
海へ続く坂道の途中に かき氷屋さんがあった
しゅるしゅると氷を削る音 それは硝子の器ではなく 木枠の中に溜まっていく 花の形をした木枠であった
おばさんがぎゅぎゅっと詰める 同じ形をした蓋のようなもので 押し付けて崩れないようにする
氷の花が出来上がると いちごやメロンのシロップをかけた 長い柄が付いていて食べやすい 溶けないうちにかじりつく
確か三十円だったと記憶している 昭和四十年代の夏の日であった
懐かしくて無性に食べたくなるが もうかき氷屋さんは消えてしまった
海辺の町の思い出は 潮風に吹かれ続けている
晴れているのか曇っているのか分からない空。
陽射しが強いせいだろうまるで煮えているようだった。
市内は38℃に留まっていたが江川崎では40℃近くなる。
地形のせいだとしても同じ市内とは思えない
お昼に最高気温ランキングを見たら堂々の一位だったが
夕方には6位に落ちていた。三重県や岐阜県では今日も40℃を超す。
屋外での作業は命がけで特に道路工事の現場は悲惨である。
ヘルメットを被っているので余計に暑さが堪えるだろう。
道路に立ちっぱなしの警備員さんは今にも倒れてしまいそうだ。
見ているだけではらはらと心配でならない。

今朝は職場に着くなり義父が中古部品が必要とのこと。
市内の部品屋さんに在庫があり大急ぎで取りに行く。
エアコンの修理をしていて今日中に直すつもりらしい。
とにかく工場の仕事を済まさないと田んぼに行けず苛立っていた。
やはり二足の草鞋は無理なのだろう。
このままでは稲刈りも出来ないと嘆くばかりであった。
同僚は整備士研修があり工場の仕事はお休みである。
研修は必須であるが一日中となると困ることも多い。
予め車検の予約は受けていなかったがする仕事はたくさんあった。
エアコン修理は2台あり1台は午前中に終わる。
屋根のある工場でも我慢出来ないような暑さであった。
大型の扇風機を回していても熱風が吹き抜けていた。
そんな暑さの中で義父は一生懸命に修理をしてくれる。
そんな義父を一人残し定時で帰るのは気が引けたが
カーブスへ行きたいと告げたら「おう、行けや」と応えてくれた。
買物を終えて4時過ぎに帰宅。30分程自室で過ごしていた。
笠原メイさんは弱っているようで強い。
何だか目の前の山を一歩一歩登っているように見える。
そんな彼にエールを送りたくてならなかった。
それから5時まで夫と大相撲を観ていた。
腰の具合はまだ本調子ではないが動かなければ楽なようだ。
明後日にはもう千秋楽である。「よいよ早いなあ」と呟いていた。
足を痛めている安青錦が凄い。優勝するかもしれないと云う。
二人の横綱の影は薄くそれも憐れであった。
夕食はいつも通りで夫と先に済ませる。
あやちゃんをチラッと見たが直ぐに二階に消えて行く。
めいちゃんはしばらく台所に居たがいつの間にか消えていた。
入浴後に見たのは晩酌をしている娘夫婦だけだった。
「侘しい」と一言で済ますことにも慣れてしまって
いったい何が「普通」なのかも分からなくなった。
家族のようで家族ではないかもしれないが
皆がそれぞれに「肩」を持ち寄り添いながら暮らしているのだろう。
触れ合えばきっと温かいのに違いない。
※以下今朝の詩
骨
ぽきんと音がして 折れてしまう時がある
骨粗しょう症であった 骨を強くする薬を飲んでいる
しかし折れるものは仕方ない 歳を重ねるごとに脆くなるのだ
死んでしまっても骨は残る 魂は天に召され仏となるが 骨は永遠にこの世に在り続ける
骨壺に入り切らない骨なら 砕くしかあるまい 粉々になるまで砕けばいい
もう折れないのだろうか 痛みを感じることもなく 骨は骨らしく静かに佇みながら いのちのことを考えている
| 2026年07月23日(木) |
愛は感じるものである |
二十四節気の「大暑」一年で最も暑い頃である。
今日も全国的に厳しい暑さとなり
静岡県浜松市では41℃を超えたそうだ。
四万十市は37℃、江川崎では39℃を超えていたそうである。
この厳しい暑さはしばらく続き日本中が燃え尽きてしまいそうだ。
「立秋」まで後2週間程、何としても耐えなければならない。
朝の国道の伊豆田トンネルを抜けると大きな荷物を背負ったお遍路さんが
よろよろしながら歩道を歩いており気になってならない。
さほど高齢ではなく60代位に見えたのだが
大きな荷物がとても辛そうに見えた。
おそらく野宿を続けているのだろう。テントや寝袋や自炊道具
どれも無くてはならず背負って歩かなければならない。
おまけにこの猛暑である。どれ程体力を消耗することだろう。
そうしてその姿が憐れでならず胸に熱いものが込み上げて来た。
逆打ちだったので窪川の岩本寺に向かっているようだった。
車だと一時間の距離だが一日中歩けばかなりの距離である。
どのような境遇であっても分け隔てなくと思う。
どうか無事に着きますようにと祈るばかりである。

義父は午前中に「鍼灸診療所」へ行っていた。
まだ通い始めたばかりで効果は定かではないが
気長に治療を続けようとしている。
今日も10カ所にお灸をすえてもらったそうだ。
帰宅するなり車検を2台済ませ今日も忙しい。
田んぼに行きたがっていたがそんな余裕もなかった。
「痛いけんどやらなあいかん」に「暑いけんどやらなあいかん」である。
事務仕事も忙しくとても大切な書類が行方不明になった。
義父には散々叱られ追い詰められる。
誤って捨てたのかもしれないとゴミ箱も確認したが見つからない。
ついに私もボケたのかと本気で思う。
その書類は再発行してもらい何とか整ったが
今度は車検に使う適合証の綴りが忽然と消えていた。
とても重要な物なので義父も一緒に探してくれたが見つからない。
始末書では済まない国の指定工場が取り消しになるのだそうだ。
困った困ったどうしよう。ふっと母の遺影に手を合わせていた。
そうしたら今朝古い綴りを出して調べ物をしていたことを思い出す。
もしやと思いロッカーを開けたら古い綴りと一緒に仕舞ってあった。
見つかって良かったが私の大きなミスである。
定時を少し過ぎていたがカーブスへ向かう。
今日は気疲れしていたので良き気分転換となった。
しかしまだまだミスは続き今度は会社のお財布がない。
同僚に電話して確かめて貰ったら机の上に置き忘れていた。
明日まで同僚が預かってくれるそうでほっとする。
二度あることは三度あると云うが今日はミスだらけだった。
帰宅して夫に話したら「暑さのせいだろう」と笑い飛ばしてくれる。
その夫はぎっくり腰になっており今朝は起き上がれなかった。
歩くこともやっとで義父以上に憐れでならない。
自分の辛さは二の次にして私の愚痴に耳を傾けてくれる。
まるで観音様のような人だと思った。
「この人を失いたくない」と改めて思った夕暮れ時のことである。
価値観の違いや若き日のいざこざはあったが
46年間一緒に暮らして来た夫婦である。
愛情失くしてどうして寄り添うことが出来ただろうか。
愛は目に見えない。愛は感じるものである。
※以下今朝の詩
仕合せ
この先っちょと あの先っちょを ぴぴっと繋いだら 仕合せになるそうだ
やってみないと分からない 震える手でそれをしてみる
少女は悲劇のヒロインとなり 哀しい顔を演じ続けていた 拍手が鳴り響く劇場で アンコールを待っていた
先っちょは熱い 先っちょは冷たい
繋げばいったい何が 流れて行くのだろう
どうせ似合わないのだから そう思いながら衣装を着た
仕合せは絹のように柔らかく 肌に馴染もうとする 最後には微笑むのだろうか
踊ることはむつかしい 仕合せは戸惑いながら ほっと息を放っていた
| 2026年07月22日(水) |
犬も歩けば棒に当たる |
晴れ時々曇り。陽射しが弱まると白い幕が下りたようになる。
風は殆ど吹かずもわんと立ち込めるような大気であった。
気温は36℃の猛暑日であったがまだ序の口で
三重県や岐阜県では40℃超えの酷暑日となる。
家の中に居ても熱中症で亡くなる人もあり気の毒でならない。
エアコンがあっても点けない高齢者が多いのだそうだ。
朝の国道では向日葵と百日紅。暑さに負けず何とも逞しい。
百日紅は秋まで咲き続けるが新梢の枝先に新たな花芽が出来るのだそうだ。
そのせいで百日咲く花として名付けられたのだろう。
いつの時代に日本に渡って来たのか定かではないがアジア系の花らしい。

仕事は今日もてんやわんや。同僚も義父も大忙しである。
同僚は車検整備であったが義父はオーディオの修理をしていた。
3時前には直りまた田んぼへ出掛けて行く。
いくらお米が安値でも稲を刈らなければならない。
丹精込めて育てた稲をどうして無下に出来ようか。
幸いと云うべきか皮肉と云うべきか今年は豊作になりそうだ。
整形外科のリハビリがあり病院へ向かう。
今日は空いていて15分程の待ち時間であった。
U君の笑顔に癒され今日もうっとりと施術を受ける。
「また来週ね」声を掛け合うと切なくてならない。
買物を終えて4時半に帰宅。
直ぐに自室に向かったが室温が38℃もあった。
エアコンと扇風機を点けねじり鉢巻きをして
笠原メイさんの日記を読む。
体調が思わしくない様子で気になるが
何だか淡々としている処が彼らしいなと思う。
それは決してお涙頂戴ではなかった。
だから誰も同情しない。それが彼の「目的」だと思う。
どのような境遇であってもすくっと前を向いているのだった。
ひとは嘆けば嘆くほど深みに嵌る。
自分が一番可哀想に思えて来るものだ。
だからと云って救いの手を待つことはしない。
ようは可哀想な自分が好きでならないのだ。
そうして悲劇の主人公を演じようとする。
他の誰でもない私のことである。
随分と昔の事だがネット上で「不幸好きの女」と晒されたことがあった。
それは少しショックであったが「よく知っているな」と感心した。
誰かに指摘されなければ気づくこともなかっただろう。
幸せいっぱい花いっぱいの暮しなら文句はないが
不安で心細くてならず枯れそうな花に水を与え続けている。
※以下今朝の詩
棒
とぼとぼと歩いていたら 棒のような物に当たった 少し曲がっているそれは 地面から突き出ている そっと触れてみたら柔らかい
植物の茎だとしたら やがて緑になるだろう 花だって咲くかもしれない
避けて通り抜けようか 見て見ぬふりをしようか しかし当たってしまったからには 向き合うべきだろうとおもう
長い道のりであった 苦労の多い人生であったが 少しも辛くはなかったのだ
おそらく曲がったままだろう 地面から生まれた棒は 夏の陽射しを受けながら きらきらと輝いている
晴れたり曇ったり。風があったが今日も猛暑日となる。
しかしそれも序の口の暑さで 岐阜県や愛知県では40℃超えの酷暑日になったそうだ。
明後日の「大暑」を目前に危機感を感じる暑さである。
今朝は山道で外国人女性のお遍路さんを見かけた。
すらりと背が高くとても美人でモデルさんのように見える。
笠も帽子も被っていなかったので高い鼻が紅くなっていた。
若い女性なら日焼けを気にするだろうにとお節介な気持ちになる。
延光寺に向かっているようだったが旅の無事を祈るばかりだった。

仕事は火曜日からのスタートで気負わずにはいられない。
義父はまた役員会があり高知市へ出掛けて行く。
ワイシャツにブレザー姿であったがこの暑さにあんまりだと思い
ブレザーは脱ぐようにと告げると素直に従ってくれる。
ぼさぼさの白髪も綺麗に整えてあり馬子にも衣装であった。
工場の仕事は先日の故障車から始まったが
オーバーヒートしたまま走り続けたせいでエンジンが駄目になっていた。
この夏はこれで三台目である。厳しい暑さのせいでもあるだろう。
お客さんに連絡したらもう諦めて中古車を購入することになった。
善は急げと思ったのかお昼には夫婦揃って来てくれて
在庫で展示してあった軽自動車を「これが良い」と即決である。
生憎義父が留守なので商談は口約束であったが
代車を貸してあるので早急に段取りをしなければならない。
大月町のお客さんからも車検の予約があったが
今月中は予約で埋まっており無理なことを伝えると
月末で車検が切れるらしく何とかして欲しいと懇願される。
初めてのお客さんだったが義父の友人の紹介なので無下には出来ない。
友人の顔も立てなければならず仕方なく30日の予定に入れた。
同僚には苦労を掛けるが頑張ってもらうしかない。
義父もまさか知らぬ顔はしないだろう。
義父の居ない日に限って今日はてんやわんやだった。
同僚に声を掛けて定時で退社。今日もカーブス教である。
お仲間さんが口々に短い髪を褒めてくれて悦に入る。
おまけに今日はかつてのバドミントン仲間が二人も来ていて
「揃ったね」と笑顔を交し嬉しくてならなかった。
皆それぞれに痛みを抱えていてカーブスに辿り着いたのだろう。
私だけではないのだと思うととても励みになった。
買物を終えて4時過ぎに帰宅したが洗濯物がそのままだった。
いつも娘が畳んでくれるのでどれ程助かっていたことか。
自室でひと休みしてから畳もうと思う。
笠原メイさんの詩集がまた売れたそうだ。
プリンターが壊れてしまって自筆で宛名を書いたらしい。
どんな字なのだろう。その字を見たくてたまらなくなった。
ポストに投函する時、いつも手を合わすのだそうだ。
それだけ心が込められていることを忘れてはならない。
だからこそ届いた詩集はあたたかいのだろう。
皆にそれぞれの日々があり精一杯に生きているのだと思う。
私のような者でも詩らしきものを書き
こうしてゆらゆらと日記を綴っているのだった。
永遠の「あした」など在りはしないが
今夜も栞を挟んで眠りに就こうと思っている。
※以下今朝の詩
ロボット
ゼンマイ仕掛けの玩具である 宝物のように大切にしていた
螺子をいっぱいに巻くと すいすいと歩いたが 力尽いてしまうと倒れる 起こしてまた螺子を巻く
もう疲れてしまった 少し休みたいと云う
まだあどけない弟は 優しさを知らない 玩具のこころには無関心だった
小さな手で螺子を巻き続ける そんなに巻いたら壊れてしまう 可哀想でならなかったが 弟は諦めることをしなかった
ある日とうとう壊れてしまう あれほど元気だったのに もう歩けなくなってしまった
「死んだの?」弟は声を震わせ わんわんと泣きじゃくっている
タオルに包んでおそうしきをした ブリキの硬いロボットであった
薄曇りの空。気温は35℃に達し猛暑日となる。
午前中は無風状態で蒸し暑く不快な汗が流れた。
勇ましくねじり鉢巻きをして洗濯物を干す。
玄関先の花はどれもぐんにゃりと弱っている。
娘が水遣りをしてくれているが追いつかないのだろう。
ゼラニウムはまだ蕾があるのできっと咲くだろうが
ダリアは枯れてしまい鶏頭も頭をもたげている。
地に咲く夏の花は逞しいが、鉢植えの花は暑さにとても弱い。
「海の日」で仕事は休みだったが少しも嬉しくはなかった。
暇を持て遊びだらだらと怠惰に過ごす。
朝ドラを見終わってからうたた寝をしていたら夫に起こされてしまう。
「早く買物に行けや」と云うのでイラっと少し気分を損ねる。
祭日のせいかサニーマートは混雑していて買物も一仕事であった。
昼食はローソンの冷やし中華とサラダ巻を食べる。
冷やし中華も手作りすれば安く済むが麺を茹でるのが嫌だった。
ローソンの冷やし中華は具沢山でとても美味しい。
午後はまたお決まりのお昼寝となり2時間程寝入る。
それから自室のエアコンを点け3年前の8月の日記を読んでいた。
家族が次々にコロナに感染し大変な夏だったようだ。
コロナは今こそあまり騒がなくなったが当時は真っ最中で
感染者の数も多かったと記憶している。
あれからもう三年も経ったのかと感慨深く思い出された。
今でも終息はしておらずぽつぽつと感染者が出ている。
市内の病院では毎日SNSで検査結果を報告してくれているが
たまに感染者が出ると緊張感が走る。
決して油断は禁物でまた再流行も在り得るのではないだろうか。
4時前には笠原メイさんの日記が更新され今日もリポストをした。
それが私に出来る精一杯のエールである。
その後は5時まで夫と大相撲を観ていた。
最近注目している力士は「藤の川」で小さいのに偉いなと思う。
今場所はきっと敢闘賞に違いない。
5時になり夕食の支度であったが今夜はカレーで
娘とあやちゃんが肩を並べて作り始めていた。
私の出る幕は無く邪魔になるだけである。
夫が晩酌を始めていたので私もノンアルビールを飲んだ。
冷たいビールが胃に染み渡り夏こその楽しみである。
今夜のカレーは格別でとても美味しかった。
あやちゃんに告げるとほっとしたような笑顔を見せる。
「出来る事がある」諦めずにいて欲しいと願うばかりであった。
つい14歳の頃の自分と重ねてしまう事が多いが
母親の存在はとても大きく偉大である。
まだ保護が必要な年頃であり甘えたい時もあるのだと思う。
そんな少女時代をどうやって乗り越えたのか分からなかった。
父に甘えた記憶はない。ただ父はとても優しかったことを憶えている。
※以下今朝の詩
夢
思うようにいかない それならば 思わなければ良いのだが 後から後から 思うことが増えていく
花ならば種を残そう 種ならば芽を出そう
人生も終盤となり 後どれくらいかと思う もし明日だったら どうすれば良いのだろう
夢を見れば見るほどに 叶わない現実があった そこそこに生きている 決して欲張ってはならない
季節は何度も巡って来て 70回目の夏である
幼い頃の記憶は朧気であるが 父がいて母がいて弟もいた 過ぎ去った歳月が懐かしい
もっともっとと思う 思い通りにいかなくても 自由であるべきだろう
花はやがて枯れるが 咲いたことを忘れはしない
早朝少し小雨が降っていたが日中はよく晴れる。
気温も33℃に留まり猛暑も一休みであった。
風は沖の風。海からの風は暑さを和らげてくれる。
朝の内にサニーマート内にある美容院へ。
予約制ではないので開店前から並んでいたが
5番目で10分程の待ち時間であった。
美容師さんは来店するたびに違う人が居て
今日はベテランらしい50歳位の女性だった。
とても愛想が良くあれこれと話し掛けてくれる。
息子さんは26歳でまだ独身なのだそうだ。
脳梗塞を患っている実のお母さんと同居しているとのことだが
介護の必要もないくらいに回復しているそうで何よりに思う。
初対面だと云うのに思いがけず会話が弾んだ。
私の足を気遣ってくれ自身も股関節の痛みを抱えているとのこと。
一日中の立ち仕事でどんなにか辛い事だろうと思う。
カット後に髪を染めたので僅か一時間程だったが
ささやかなふれあいが心に残る嬉しい出会いとなった。
昼食には例の冷凍炒飯をチンして冷やしうどんを食べる。
夫はまた食べ切れず残ったうどんを私に与えてくれた。
歳を重ねると小食になるらしいが私は例外である。
特に麺類は大好きなのでいくらでも食べられるのだった。
満腹になり昼食後はお決まりのお昼寝である。
録画してあった先週の「ポツンと一軒家」を見ていたが
いつの間にか眠ってしまい目覚めればもう3時過ぎである。
それから自室のエアコンを点け30分程過ごしていた。
義父から電話があり先日売却した車のエアコンが効かなくなったらしい。
お客さんから苦情があり早急に対処しなければならない。
例の自損事故を起こしたお客さんで高齢の女性であり
代車を乗りこなせるか心配であったが義父が段取りをしてくれた。
明日は「海の日」で祭日。休みなど要らないのにと思う。
5時前までまた茶の間で大相撲を観ていた。
早いものでもう一週間となる。来週の大相撲も楽しみでならない。
夕食後、めいちゃんが先にお風呂に入りたいと云う。
15分程待ったが「おばあちゃん出たよ〜」と大きな声がした。
娘達はそれから夕食で今夜も家族団欒はなかった。
汗を流せば一日の終りが清々しくなる。
短くなった髪も軽やかで何と心地良いことだろう。
ふと今日出会った美容師さんのことを考えていた。
買物は出来ただろうか夕食の支度は出来ただろうか
股関節が痛んでいるのではないかと心配になった。
皆それぞれに苦労を持ちながら一日を全うしている。
嘆いていては生きていられないそんな世の中なのだ。
※以下今朝の詩
制服
夏休みに引っ越しをした 父と母が別々に暮らすのだ
海辺の町から高知市内へ 小さな借家であったが 家の前を電車が走っている 田舎暮らしに慣れていたので まるで都会のように感じた
二学期になり新しい中学校へ通う 制服は買って貰えなかったので 前の学校の黒い制服のままだった それが嫌でたまらなかったが 我慢しなければいけないと思う
友達は直ぐに出来て嬉しかった 電車通りを一緒に帰る毎日 また明日ねと手を振って別れた
制服を脱ぐとほっとする 紺色ばかりの中で 黒色は目立ち憂鬱でならない 一度で良いから紺色の制服が着たかった
母は電車に乗って仕事に出掛ける 父の仕送りだけでは足らないのか 家計の苦しさを感じずにいられない
紺色の制服を着ることもなく 卒業式の日も黒色の制服だった
高校生になったら皆と一緒の 制服が着れるのが楽しみでならなかった
| 2026年07月18日(土) |
骨折り損のくたびれ儲け |
猛暑が少し和らぎ35℃に留まる。
風もあったのでさほど暑さが苦にならなかった。
これくらいの暑さならと思うが油断は出来ず
また40℃近くなる日も来るだろう。
今朝は三連休のせいかご夫婦らしい観光客を見かけた。
川向の堤防で丁度川面に朝陽が射し始めた頃である。
ご主人が写真を撮っておりカメラを覗き込んでいる奥様
二人の姿が何とも微笑ましく感じられた朝であった。
山道にはお遍路さんの姿もなくひっそりと静か。
見渡す限りの緑である。まるで森林浴をしているようだ。
最初の民家には洗濯物が干してあり生活感が漂う。
老夫婦の姿は見えなかったが花に水遣りをした形跡があった。
次の集落には例の良心市があり胡瓜の山である。
3本で百円なので安いが我が家も胡瓜な日々が続いていた。
冷蔵庫の胡瓜があと1本になったら買い求めようと思う。
職場に着くなり車検のお客さんが来てくれて忙しくなった。
バイクの車検なので一時間もすれば終るのだが
肝心の義父がまだ居室で寛いでいるようだった。
大声で呼ぶとのそりのそりと事務所に下りて来てくれたが
新聞に今年の米の価格が掲載されていて大ショックのようである。
お客さんも米農家だが新聞を見てなかったらしく
「もうやってのことないぞ」と二人で嘆き合っていた。
するとまた別の米農家のお客さんが来て大騒ぎになった。
今年の米の価格は昨年の半値で一昨年よりも安値らしい。
そんな理不尽な事があってたまるものかと思う。
まさに「骨折り損のくたびれ儲け」である。
稲刈りを目前にしてこれ程の仕打ちがあるだろうか。
米談義が長引いたがバイクの車検は終わり一段落する。
義父はすっかり肩を落とし今日は田んぼに行かないと云う。
おかげで工場の仕事は捗り助かったが義父が憐れでならない。
午後にはリコール修理があり義父が引き受けてくれたが
私が勝手に予約を入れていたのでお叱りを受ける。
良かれと思ってしたことが裏目に出ることはよくあることだ。
リコール修理は簡単だったが車体番号の「石ずり」が必要で
義父の指示を受け私がやることになった。
汗が滴り落ちる。石ずりは簡単そうでも上手く行かない。
もう4時近くになっておりとうとうギブアップする。
「何の役にも立たんなあ」と義父も苦笑いしていた。
買物を終えて5時前に帰宅。
今日はめいちゃんのダンスイベントがあり娘達は留守だった。
夕食は不要とのことで夫と焼き肉をして食べる。
黒毛和牛を奮発したが脂っ濃くてあまり美味しくなかった。
こっそりと抜け駆けをした罰なのに違いない。
入浴後は解放感で満たされていた。
忙しい一週間だったがやれることを頑張ったのだと思う。
明日は日曜日で月曜日も祭日でお休みである。
仕事は好きだがいささか疲れを感じている週末であった。
ゆるりゆるりと過ごしたい。お昼に美味しい物を食べて
ごろごろと寝てばかりいるのも良いだろう。
しゅわっと音を立てながら「わたし」は消えてしまいそうだ。
※以下今朝の詩
百日紅
幾日目の花だろう 咲いた日を知らない
夏空に手を伸ばし 陽射しを受けて きらきらと輝く
母が好きだった花 微笑みが目に浮かぶ 夏の記憶が鮮やかに 咲けば愛しく蘇る
一生を貫くような 生き方をしたかった 例え嵐の日が来ても 嘆くことはしない
百日を数えている こころの襞を折り 足りない指とする
永遠でないのなら かけがえのない 夏の花であった
概ね晴れ。もう幾日目の猛暑日だろうか。
市内の江川崎では38℃を超え全国一の暑さだったようだ。
じりじりと焼き付くような陽射しを宥めるように西風が吹く。
今朝は例の奇跡のねむの木が4度目の花を咲かせていた。
誰も信じないだけあって何と不思議なことだろうか。
低木なので観賞用に改良された木なのかもしれない。
4度目があれば5度目もあるような気がして来た。
松葉ボタン、鳳仙花、百日紅も咲き夏を彩っている。
特に百日紅の鮮やかな桃色は夏空に映えてはっとするほど美しい。

今朝は職場に着くと義父がもう車検を始めており
一気に3台の車検が完了した。何と助かったことだろう。
書類作成は忙しかったが心地よい達成感があった。
午後にはまた新たな車検の車が入庫し大忙しである。
そんな最中に市内のお客さんがオーバーヒートしてしまい
路上で停止しているとのことで緊急搬送であった。
搬送は義父の仕事だが今日も田んぼで同僚が現場に向かう。
一番最後に植えた「中手」の稲に「いもち病」が発生したそうで
広がらないうちに何としても食い止めなければならない。
タンクに消毒薬を混入して必死の作業である。
手遅れになってしまえば稲は全滅になるのだそうだ。
工場には留守番も居なかったが定時で帰路に着いた。
同僚が気になり故障現場まで行って見ると
お客さんはほっとした様子で代車に乗って帰って行く。
同僚はまた複雑な修理を抱え辟易とした顔をしていた。
どんなに忙しくても「やるっきゃない」のだと思う。
20分遅れでカーブスに行きそこそこに筋トレをする。
お昼に冷やし中華を食べたが角砂糖30個分の糖分なのだそうだ。
私は食べたい物を食べるのでダイエットどころではない。
煙草もそうだが我慢するのはもう絶対に御免である。
4時半に帰宅。今日は一学期の修了式だったようだ。
夕方めいちゃんの担任の先生が通知表を届けてくれた。
玄関先で娘の笑い声が聞こえあっけらかんとしている様子に
何だか異常な空気を感じ夫と顔を見合わせていた。
娘の心境が図り兼ねる。笑顔で対処出来ることなのだろうか。
めいちゃんは元気溌溂で満面の笑顔であった。
夕食の支度が整うと好きなおかずをトレーにの載せて二階へ上がる。
あやちゃんも同じくで今夜も家族団欒はなかった。
娘婿は縁側で晩酌をするのが最近のブームになっており
食卓には娘一人がぽつんと座っている我が家であった。
同居を始めて12年目の夏である。
サザエさんでもちびまる子ちゃんでもない我が家の「カタチ」があった。
※以下今朝の詩
向日葵
きをつけまえへならえ 一斉に咲いた花である
今でなくてはならない 夏の空から声が聴こえる
おひさまの申し子だろうか 陽射しを浴びて微笑んでいる
ひとつ切りでは寂しいから たくさんの仲間と寄り添う 誰一人哀しい人がいませんように
ほっと肩の力を抜くと 花のように生きていける
きをつけまえへならえ
花として生まれたからには 空に向かい祈り続けている
猛暑は少しずつ和らいでいるようだが
今日も36℃となり厳しい暑さとなる。
三重や静岡では38℃を超えていたようだ。
一週間後には「大暑」である。
「立秋」まではまだまだ猛暑が続くことだろう。
朝の国道沿いに建設会社の資材置き場があり
たくさんの向日葵がそれは可愛らしく咲いていた。
昨年の夏には見た記憶がないので春に種を蒔いたのだろう。
炎天下の中、建設作業に励む人達の姿が目に浮かんだ。
誰しもほっとする場所を望んでいるのだと思う。
峠道を越え山里の最初の民家に近づくと
母の友人が家の周りの草引きをしていた。
車を停めて声を掛けると満面の笑顔である。
紫陽花は剪定したらしく枯れた花は見えなかったが
あちらこちらに秋桜が萌えていておどろく。
何だか明日にも咲きそうな気がして嬉しくなった。
「暑いけん無理せんようにね」と云うと
「仕事頑張ってね」と見送ってくれる。
ささやかな朝のふれあいにどれほど心が和んだことだろう。
職場に着くと義父は田んぼに出掛けようとしていて
腰には届いたばかりのコルセットを巻いていた。
「これはなかなかえいぞ」と気に入ったようだった。
少しでも痛みが楽になればと藁にも縋る思いである。
稲刈りは目前となりどれほど焦っていることだろう。
何としても順調に稲刈りを終えさせてやりたかった。
お昼を過ぎ1時頃に帰って来たが
昨日のお客さんから催促の電話があった。
そうそう簡単には直らないのに「まだ直らんか」と云う。
代車も貸してあるのに気長に待つ気はないようである。
義父は昼食もそこそこにまた修理に取り掛かるしかない。
田んぼも気になるのだろう。少し苛々しているようにも見えた。
車検整備完了の車もあったが車検は出来ず
明日の朝に持ち越すことになった。
お客さんには迷惑を掛けるがにっちもさっちも行かない。
私もカーブスを諦め待機しようと思っていたが
「今日はもう帰ってもえいぞ」と義父が云ってくれた。
同僚は洗車をしていたが突然の来客があり
草刈り機の修理を早急にして欲しいと頼まれた。
農機具は義父の専門であったが同僚に任せる。
直せるだろうかと心配でならなかったが
「直ったぞ」とお客さんは大喜びであった。
おかげで後ろ髪を引かれることもなくカーブスへ向かう。
今日はかつてのバドミントン仲間に久しぶりに会えて嬉しかった。
「もうバドミントンどころではなくなったね」と苦笑いする。
互いに汗を流しシャトルを追い続けていた日々が遠くなった。
買物を終えて帰宅すると思いがけない朗報があり
めいちゃんが午後から学校へ行っていたのだそうだ。
気分屋だと一言では済ませられないことである。
しかしその事実に触れてはならず夫も私も口を噤んでいた。
とにかく干渉を一切せずにそっとして置くのが一番なのだろう。
ストレスと葛藤。めいちゃんの気力を信じてやりたいと思う。
今にも壊れてしまいそうな「何か」がある。
おとなも子供も生きづらい世の中かもしれない。
自信よりも不安が大きい。そうして負けてしまいそうになる。
しかし誰にも等しく新しい朝が来ることを忘れてはならない。
※以下今朝の詩
秒針
ちくちくと痛む 古い置時計の秒針は 溜息もつけずに周り続けている
時を刻むのが使命だとしても もうすっかり疲れてしまった 針をひたすら刺さねばならない
思うようにいかないことばかり 夢なんて見なければ良かった
もし折れてしまったら いったいどうなるのだろう 時は途方に暮れて 止まってしまうのだろうか
哀しみも喜びも周り続ける 泣き顔も微笑みも喪失も 在るべきものとして残る
息ひとつほどのためらいを 誰にも伝えられずにいる
終らない夜はなく また新しい朝がやって来た
今日も36℃の猛暑日であったが
昨日程は苦にならず過ごし易く感じる。
人間の身体は不思議なもので暑さに慣れて来るのだろう。
エアコンもなかった子供時代には猛暑日がなかったように思う。
熱中症も騒がられることなく皆自然の風に吹かれていた。
扇風機のない家もあり団扇で涼を取るのが当たり前の時代である。
夜は窓を開け放し蚊帳を吊って眠った。
豚の陶器からは蚊取り線香の煙が漂う。
色んなことを思い出していると昭和も遠くなったものだ。

仕事はまずまず順調。今朝は昨日納車したお客さんが支払いに来てくれた。
おかげで今月はまだゼロになっておらず随分と気楽である。
車検整備も捗っており午後にはまた新たな車検が入庫した。
既に月末まで予約が入っており安泰である。
義父は朝のうちに「鍼灸」へ行きお昼前に帰って来た。
お灸と云えば「もぐさ」だが今は磁気製の物らしい。
10か所くらい施してもらったそうで機嫌よく帰って来る。
お昼休憩をしていたら宿毛市のお客さんが訪ねて来て
エンジンが不調とのこと義父に直して欲しいのだそうだ。
義父の腕の見せ所であるがちょっとやそっとでは直らない。
その上にお客さんは修理代を惜しんでいる様子である。
汗びっしょりになって格闘している義父が憐れに思えた。
整形外科のリハビリと診察があり義父に声を掛けて帰る。
今日はU君の顔をまともに見てしまい胸がどきどきした。
いつもは無意識の内に目を反らしているのだろう。
マスクを外した顔を一度見てみたいものだと思う。
リハビリは直ぐに終ったが診察までの待ち時間が長かった。
待っているのは皆同じだと思ったが40分はきつい。
診察は5分も掛からず何とあっけないことだろうか。
支払いを済ませ薬局に行ったが大勢の患者さんであった。
5時前にやっと薬を受け取り大急ぎで帰路に着く。
いつもは娘に買物を頼むのだが今日は却下されていた。
めいちゃんの塾があるので夕飯は不要だと云う。
それはそれで気楽だったが夫に餌を与えなければならない。
家の近所のローソンに行って適当に買って帰る。
夫はイカの塩辛が好きなのでぐびぐびとビールを飲んでいた。
大相撲は今日も大の里が負けて残念でならない。
しかも行司差し違えなので悔いが残る。
判定が難しい時は取り直しにするべきだと夫と意気投合した。
大相撲が終りやっと自室に行く。
エアコンを点けて笠原メイさんの日記を読んだ。
日課と云うものは厄介なもので必ず果たさなければ気が済まない。
もし彼が日記を休むようなことがあればどれ程戸惑うことだろう。
今日もエールを込めてリポストをした。
明日もきっと書いてくれるのに違いない。
今日はSNSでとても嬉しいことがあった。
もう一人の「めいさん」詩人の白井明大さんが私の短歌に
「いいね」をしてくれていたのだ。
ずっと無視されていると思っていたので夢のようである。
出会ってからもう25年。彼は偉大な作家になったが
私のことを忘れずにいてくれて感謝せずにはいられなかった。
メイさんとめいさん。そうして我が家のめいちゃん。
偶然かもしれないがささやかな縁を感じている。
※以下今朝の詩
安堵
むくむくとしている 生まれたばかりの子犬のようだ そうして母の匂いを探す 見えないことは感じることだ
やわらかな朝であった 爽やかな風が吹き抜けていく さらりさらりと流れる大河 それは命そのものである
母の乳房にしがみつき 吸い続ける優しい味は もう安堵しかあるまい
愛することは守ること たとえそれが魂であっても 失うことを怖れはしない
やがて夜が明ければ 朝陽が射し始めるだろう そうして新しい一日が始まる
連日の猛暑日。今日も38℃超えの煮えるような暑さとなる。
暑さで有名な江川崎と並び全国二位だったようだ。
週間予報を見ていると猛暑は金曜日までで
来週からは少し暑さが和らぎそうである。
朝の山道で髪を金色に染めた女性のお遍路さんを見かけた。
最初は外人さんかと思ったがアジア系の顔をしている。
まだ20代と思われる若さでたった一人で歩いていた。
木陰でひと休みをしていたので声を掛けようとしたが
タイミングが悪くそのまま通り過ぎてしまった。
どれ程の若さでも夏のお遍路は過酷な事だろう。
せめて一言声を掛けるべきだったと後から悔やまれる。
山道の最初の民家はまだ土佐清水市内であるが
道路に沿って色んな花を植えている。
ゼラニウム、グラジオラス、今朝は松葉ボタンが咲いていた。
老夫婦で時おり姿を見かけるがとても元気そうである。
花が好きなのだろう。穏やかな暮らしが目に見えるようだ。

職場に着けば猫係のお客さんが来てくれていたが
みい太の姿はなく今朝も気の毒でならない。
以前には長いこと行方を暗ましていたが
最近はちょくちょく帰って来るようになった。
暑い日中は車の下に潜り込んで寝ていることが多い。
そうして看板猫になったり家出猫になったりして過ごしている。
工場のコンプレッサーは順調。さすが義父だなと感心する。
おかげで今日も車検整備が捗り何よりであった。
義父の姿もあったが田んぼに猪が出たと大騒ぎしていた。
役場が捕獲用の檻を貸し出してくれるそうでその準備に忙しい。
田んぼの見回りに行っていたが直ぐに帰って来て
お客さんの車にクーラーガスを補充してくれた。
そのお客さんも腰痛が酷くコルセットを装着しているとのこと。
とても楽になると云うので義父も試してみたが
すっかり気に入り同じ物を注文することになった。
アマゾンは有難く明日にはもう届くのだそうだ。
それから今度は市内の「鍼灸診療所」に電話を掛けていた。
「鍼は嫌だがお灸を試したい」まるで子供のようであったが
明日の朝に予約が取れて藁にも縋る思いである。
とにかく稲刈りまでに少しでも楽にしてやりたかった。
「痛いけんどやらんといかん」午後はまた畔の草刈りに行く。
定時で仕事を終えカーブスへ向かった。
義父と同じく私も痛みと上手く付き合って行かねばならない。
痛いからと諦めてしまったら一歩も前へ進めないのだ。
もちろん無理は出来ないが今日もそこそこに頑張ることが出来た。
買物を終えて4時過ぎに帰宅。何と自室は40℃の暑さであった。
直ぐにエアコンを点けたが汗が噴き出して来る。
笠原メイさんの日記を読むのが精一杯で茶の間に避難した。
夫は私と一緒に大相撲を観るのが嬉しいようである。
言葉にすることはないがほっとしたような笑顔を見せた。
価値観の違いは今に始まった事ではないが
長年連れ添っていると夫婦は似て来るらしい。
「それは違う」と思っても自然と打ち解け合って来る。
その場をまあるく収めることが夫婦円満の秘訣なのだろう。
二人で夕食を終えて残り三番を茶の間で観る。
気掛かりでならなかった大の里が勝って夫が大喜びしていた。
大の里は目に涙を浮かべていて胸に熱いものが込み上げて来る。
「もう駄目かもしれない」誰もがそう思っていたことだろう。
どれほど追い詰められても立ち向かう勇気を見たような気がした。
※以下今朝の詩
道
何処に向かっているのだろう 道標などない細い道である
新緑の季節はとうに過ぎ 山の緑はいっそうに濃くなる 吹き抜けていく爽やかな風 夏の陽射しを和らげる木漏れ日
空を仰いでいると気が遠くなる 果てしなく続く道は 迷いを誘うばかりであるが 息を整えながら歩き続けていた
若き日の憧憬が交差する道 老いの喪失がこだまする道
生きたことよりも 生きることを選びたい
蹲ってしまえばもう道はない 胸を張ることも出来ずに ただ前へ前へと歩き続けている
最高気温が38℃を超え猛烈な暑さとなった。
後から知ったのだが日本で一番暑かったのだそうだ。
自慢するような事ではないが「凄いな」と思う。
暑さは辛いがとことん暑くなるのも良いだろう。
苦手だった夏が好きになったのは随分と昔のことである。
山里は平野部よりも少し気温が低かったが
午前中は無風状態で屋外ではとても過ごせなかった。
それでも県道の草刈り作業をしている人達が居て
田んぼの消毒をしている人も居て驚く。
熱中症の危険が大きく命がけの作業であった。
義父は午前中に整体に行き午後は居室で休んでいたが
工場のコンプレッサーが突然故障し大変なことになる。
何でも直す義父であったがかなり困難な修理となりそうであった。
その上に猛暑で工場の中も蒸し風呂のような暑さである。
はらはらとしながら様子を見ていたが直ぐには直りそうにない。
気になってならなかったが定時で帰路に着いた。
カーブスどころではないと思ったが私が居ても何の役にも立たない。
コンプレッサーが直らなかったら整備もままならぬなる。
新調するにもそんな資金が何処にあるだろうか。
カーブスは気分転換になったが義父からは連絡がなかった。
もしやと思い同僚に電話したら義父は草刈りに出掛けたそうだ。
それも心配であったがどうやらコンプレッサーは直ったようである。
やれやれとほっとして今に至った処であった。
私の悪い癖で何事も悪い方へとばかり考え込んでしまう。
不幸好きと云ってしまえばそれまでだが困った性分である。
猛暑の一日であったが夕焼け空が燃えているように綺麗で
めいちゃんに教えると堤防まで写真を撮りに行った。
窓からその姿を見ているとほのぼのと嬉しくてならない。
一瞬の輝きをその目で見て捉えることは素晴らしいことなのだ。
明日はきっと学校に行けるだろう。そう信じて止まない。
※以下今朝の詩
ゆびきり
夢の中で指切りをした その感触が今もあり 何だかふわふわしている
見知らぬ少年であった いったい何を約束したのか 思い出すことが出来ない
一冊の文庫本を読んでいて もう少しで読み終わるのに 少年は何も告げずに去った
そこはプラットホームで 私は列車の座席に座っている もう二度と会えないかもしれない 列車の窓から少年の姿を追ったが もう何処にもその姿が見えない
切なくてならず胸が締め付けられる 淡い恋だったのかもしれない
細く柔らかな指先であった そのぬくもりが忘れられない
少年はいったい誰だったのだろう 夢の中の約束が叶うわけはないが その儚さに埋もれてしまいそうな朝だ
梅雨明けを待っていたかのような晴天。
気温は31℃だったが不快な程の蒸し暑さとなる。
九州地方は今日も気温が高くなり
大分の日田市では38℃を超えていたそうだ。
「大暑」を前にしてこの暑さでは先が思い遣れる。
やがては四万十にも猛暑の日が訪れることだろう。
朝からもうエアコンのお世話になりごろごろと寝てばかりだった。
川向に新しいラーメン屋さんが出来たので興味が湧き
夫に交渉してみたが即刻却下される。
「どんな店やらわからんに」と云うものだから
「行ってみんとわからんろ」と応えたがやはり駄目だった。
まったく興味を示さないのは価値観の違いだろうかと思う。
仕方なくお昼には冷食の炒飯をチンして食べた。
「一風」の炒飯とよく似た味で美味しかったが
何としょぼい昼食だろうと少し気分が滅入る。
昼食後には自室へは上がらずそのまま茶の間で寝入っていた。
2時間程寝ただろうかおそるおそる自室へ行って見たが
思った通りで室温が35℃もあり10分と過ごせない。
エアコンはもったいないなと思ったが思い切って点ける。
やっと涼しくなり一時間程SNSを見て過ごしていた。
詩人の「高山京子」さんのファンだが今日から鍵を付けるとのこと。
鍵付きのアカウントになるとリポストが出来なくなり残念に思う。
今朝私が彼女の詩をリポストしたのが嫌だったのかもしれない。
有名な詩人さんでも思うところがあるのだろう。
堂々としているようでも精神的な苦悩は計り知れないものがある。
3時からは夫と大相撲を観ていた。
桟敷席にタイムスリップして来たようなお侍さんが居て驚く。
夫は織田信長ではないかと云い二人で笑い合った。
名古屋にはユニークな観客が居るのだなと思う。
4時になれば笠原メイさんの日記が気になり自室へ行った。
思った通り更新されていて食い入るように読む。
彼の日記にはリズムがあり読んでいてとても心地よい。
病を抱えていても少しも暗いイメージを感じなかった。
そうして今日の詩も素晴らしく「書けて良かったね」と声を掛けたい。
5時になれば夫が大急ぎで入浴を済ます。
大相撲観たさに今日からシャワーのみであった。
千秋楽までカラスの行水が続くことだろう。
入浴後はビールであるがイカのお刺身を与えて置く。
娘は鶏の唐揚げを揚げるのに奮闘していた。
夕食後はまた茶の間で残りの三番を観た。
大の里が苦手な義ノ富士にあっけなく負けて憐れでならない。
休場後でもありメンタルがとても心配である。
「よっし負けないぞ」と思っていても負ける時がある。
「頑張るぞ」も同じで気負い過ぎてもいけないのだろう。
平静を保ち持っている力を発揮することは並大抵の事ではない。
負けてしまえば尚更の事、「自信」ほど儚いものはないのだと思う。
たかが大相撲の事であっても自分に重ねてしまいそうになる。
「また駄目だった」これまでどれ程そんな敗北感を感じたことだろう。
駄目元は励みになる言葉だが「やる気」に繋げることは難しい。
随分と長いこと生きて来たが私は「負け組」を貫いている。
※以下今朝の詩
いま
アラームを消して また眠り始める とろんとろんと 何とも心地よい そんな日曜の朝
いつもは夜明け前に書く詩を いま書こうとしているのだが いったい何を書けば良いのだろう これは詩ではないのだと思う
電線に若い燕たちがずらりと並び ちいちいと声を揃えて歌っている ふとそんな燕になりたいと思う
詩人なんかじゃない ただながく生きて来た「ひと」
いまを記す いまでなくては書けないことがある
概ね晴れ。風があり気温の割に暑さが苦にならなかった。
福岡の太宰府市では39℃を超えていたそうだ。
体温だとしても高熱の危険な暑さである。
四国はまだ梅雨明けしていないせいか序の口で済んでいるのだろう。
今朝は峠道で大きな猿を見かけた。
一匹だけだったが山里では群れが確認されている。
集団で畑を荒らすのだからどうしようも出来ない。
村役場では爆竹や花火を配布しているそうだが
賢い猿のことであるそんな物では敵いはしないだろう。
猿も生き延びねばならない。家族も居るのである。
猪のように退治する訳には行かないのだった。

午前中は義父が待機してくれていて順調に仕事が捗る。
車検が2台完了しどれ程助かったことだろう。
同僚と納車に行ったらお客さんからシシトウを沢山頂く。
規格外のシシトウだが朝採れでとても新鮮であった。
山里はシシトウの特産地で「シシトウ家族」と云う
ゆるキャラも存在しているくらいである。
車検が一段落し義父はまた稲の消毒に出掛けた。
訊けば昨日も日が暮れるまで働いていたそうで
その苦労がひしひしと伝わって来る。
今朝は腰痛が酷くやっと起きられたそうだ。
「痛いけんどやらなあいかん」がもう口癖になった。
炎天下で熱中症の危険もあり心配でならなかったが
大きな水筒に冷たいお茶を入れ用意は万端である。
定時で仕事を終え山奈町まで車検証を届けに行った。
お客さんは在宅しており「暑いねえ」と声を交し合う。
そのまま国道を走り久しぶりに「ちきん館」で買物をした。
鶏もつとお惣菜のチキンボールを買って帰る。
国道を走るのも久しぶりで百日紅の花がとても綺麗に咲いていた。
いつもより早く3時半に帰宅。そのまま茶の間で横になる。
エアコンが効いていたので心地よく一時間程寝ていた。
笠原メイさんの日記が気になり自室へ行けば
室温が35℃もあり大急ぎでエアコンを点ける。
直ぐには冷えず汗を流しながら彼の日記を読んだ。
体調が思わしくなく詩を書くのに難儀しているようだったが
彼なら「きっと書ける」と信じて止まない。
エールを送ることも叶わず今日もリポストをした。
5時になり娘と夕食の支度を始めたが
今夜はダンス教室には行かず学校の「夏祭り」があるのだそうだ。
めいちゃんは浴衣を着るのを楽しみにしていた。
今日は「水泳記録会」があり久しぶりに登校する。
「行って来ます」の元気な声にどれほどほっとしたことだろう。
学校に行きたくないのではない。行けなかったのだと思う。
気長に見守ってやらねばと今日ほど思ったことはなかった。
夕食後、暮れて行く空を眺めていると
今週も「よくやった」と思う。
決して仕事の鬼ではなかったが仕事が好きでならない。
困難なことがあっても立ち向かいクリアして行くことは
何とも心地よいことであった。
出来ない事よりも出来た事が励みになっているのだろう。
後10年は頑張りたい。会社の最後も見届けたいと思う。
「えらかったね」茜色の空の向こうから母の声が聴こえる。
※以下今朝の詩
せんたく
選択を洗濯している 柔軟剤入りの洗剤を入れた 乾けばきっと 柔らかくなるだろう
いったい何を選べば良いのか 不揃いの靴下のようである 同じ色が見つからない 同じ柄が見つからない
洗濯機の中で掻き回され 絡みつくことしか出来ない 脱水となればとても苦しい 選択は喘ぎ続けている
選べないことが辛い これだと云う確信がない 迷えば迷う程追い詰められる
真っ青な空であった 選択は物干し竿にぶらさがり 陽射しを浴びながら 風に吹かれ続けている
晴れたり曇ったり。山里ではお昼過ぎににわか雨が降った。
山里は平野部よりも気温が低く29℃程。
風もあったのでさほど暑さが苦にならなかった。
朝の国道ではランニングと短パン姿のお遍路さんが歩いていた。
白装束はリュックに括りつけて朝風に揺れている。
まだ若者らしく颯爽と歩いていた。
日に焼けた顔と腕。カモシカのような足がとても逞しい。
梅雨時でもあり最近は殆どお遍路さんを見かけなかった。
これから真夏となり猛暑が続くと益々少なくなるだろう。
山道に入ると例のねむの木、木槿も見守りながら職場に向かう。
はっと驚くのは稲の穂で既に色づき始めている稲もある。
早い農家さんは来月早々にもう稲刈りをするのだそうだ。

仕事はまた新たな車検整備が入庫していた。
明日も予約が入っており大忙しである。
例の再起不能の車のお客さんは音沙汰がなかったが
もう一台車検切れの車を持っているので何とかするようだ。
しかし車検切れでは乗ることも出来ず段取りが進まない。
車検の要請があれば断ることはしないが支払いはどうするのだろう。
一昨年からの修理代もそのままになっている。
義父は午前中に整体に行っていたが一向に痛みが治まらない。
こればかりは気長な治療が必要に思うが苛立っている様子だった。
市内に「鍼灸」の診療所があるので思案しているようだ。
しかしお灸は良いが鍼は嫌だと云うので困ったものである。
昼食後また痛み止めを服用し稲の消毒に出掛けた。
にわか雨が降りはらはらしたが何とか出来たようだ。
今年はお米の価格が大幅に下がるらしい。
消費者にとっては嬉しい事だが生産者は皆肩を落としている。
赤字覚悟でどれ程の生産者が苦労をしていることだろう。
おまけに買い取り業者には昨年のお米が在庫として残っているとのこと。
今年の新米を仕入れても倉庫には入り切らないのだそうだ。
先行きは不安なことばかりであるが義父のように
死に物狂いで農作業に励んでいる人が居ることを忘れないで欲しい。
「カーブスに行くけんね」今日も定時で終えることが出来た。
しかしまだ足の痛みがあり思うようには出来ない。
それでも出来る事を頑張れば心地よく汗が流れる。
もし来ることが出来なかったら鬱々としていたことだろう。
買物を済ませ4時過ぎに帰宅。今日も自室は煮えるような暑さだった。
笠原メイさんの日記を読むのが精一杯で後は茶の間で過ごす。
夫がホラーのような不気味なドラマを観ていた。
録画してあったのだとしても価値観の違いを感じる。
血祭りのようなドラマであった。いったい何処が面白いのだろう。
5時になり娘と夕食の支度を始めたが
私の考えたメニューでは孫達が喜ばないと云う。
「困った、困った」と当て付けるように云うので落ち込む。
母だって毎日頭を悩ませているのだ。
家族皆が喜ぶようにとどれほど考えていることか。
いっそ学校給食のように献立予定表を作ってくれまいかと思う。
「もう知らない」夫と先に夕食を済ますと自室で過ごしていた。
苛々していたのか立て続けに煙草を3本も吸う。
困ったものだと思うが私にとっては精神安定剤であった。
暮れなずむ空を仰いでいると何と些細なことだろう。
ちっぽけなことに拘り自分を追い詰めている。
もっとあっけらかんとしていたらどれ程気楽だろうかと思う。
さらりさらりと水に流す。ここは四万十川のほとりであった。
※以下今朝の詩
栞
はらりと落ちた 昨夜挟んであった栞である 随分と古びていて 擦り切れてしまっているが 捨てることが出来ずにいる
「今日はここまで」 「明日はここから」
それはまるで息のように 胸元に挟まれていた
思い通りに行かないことも また始めれば叶うかもしれない 嘆いても何も変わりはしない それよりも希望を失くさないことだ
ページを捲るように一日が始まる 明けない夜など在りはしない
はらりと落ちた栞を拾い上げる どれほど擦り切れていても 今にも破れてしまいそうであっても
失ってしまえば生きて行けない
朝のうち霧雨が降っていたが直ぐに止み
日中は梅雨明けを思わすような晴天となった。
気温は31℃、まだまだ序の口の暑さである。
福岡の久留米市や大分の日田市では35℃を超えていたようだ。
今朝もねむの木の花を楽しみにしていたが
残念ながら枯れ始めており枝に張り付いていた。
しかし三度も咲いた花である。また咲くかもしれない。
諦めずに明日の朝も見守ってやろうと思う。
木槿は新しい花を咲かせていたが萎んだ花が多い。
写真を撮るのは諦めたがこれも見守りたい花であった。
民家の庭先には鳳仙花が咲き百日紅も咲き始めている。
見つけると嬉しく心にも花が咲いたような気分になった。

仕事はなんとか順調に思えたが昨日入庫した車が不法改造をしており
修復しない限り絶対に車検は通らない。
軽トラックだが荷台に木材で細工し嵩上げをしているのだった。
義父の指示を受けて同僚は取り外しの作業である。
例の車検待ちの車は義父の都合で午後からになった。
お昼に農業関係の来客があり昼食が遅くなってしまい
やっと居室から事務所に来てくれたがもう2時になっていた。
3時までに書類を書き終えないとリハビリに間に合わない。
義父を急かす訳には行かずいざとなれば諦めようと思う。
それにしても思い通りに行かないものだ。
カーブスを諦めリハビリまで諦めなければいけないのだろうか。
やっと車検が終り書類を書き終えたら3時前であった。
市内まではどんなに急いでも30分は掛かる。
慌てて事故を起こさないようにと慎重に車を走らす。
ぎりぎりセーフであった。U君の顔を見るとほっとする。
痛みがあることを伝えるとまた違う施術となり
足よりも腰を重点的に揉みほぐしてくれた。
U君の手の温もりが伝わって来て乙女のような気分である。
買物を終えて4時過ぎに帰宅したが
西日の当たる自室はうだるような暑さであった。
笠原メイさんの日記を読み終えると茶の間に避難する。
夫も暑さが堪えたのだろう今日はエアコンを点けていた。
「もう電気代は気にせんぞ」と宣言する。
玄関のチャイムが鳴りめいちゃんのお友達が来てくれた。
めいちゃんも二階から下りて来て笑顔を交し合っている。
お友達が帰る時「またね」と云えばめいちゃんも「またね」と応える。
ふと明日は学校へ行けるような気がした。
5時になったが娘は美容院へ行っており夕食不要とのこと。
夫と二人で安物のステーキを焼いて食べた。
夫はここぞとばかりにガツガツと食い意地が張っている。
その口元は不気味で見続けたいとは思えなかった。
「ごっちょさん」夫に声を掛けて自室で食後の一服である。
暑さに耐え切れずとうとうエアコンを点けた。
これで我が家は全室のエアコン祭りである。
電気代を惜しんでは生きていけない過酷な夏の始まりであった。
いま7時50分。窓の外はまだ薄っすらと明るいが
何だか夜が急いでいる様に感じる。
早く早くと空も押し流されているようだ。
今日の栞はここにある。少し皴があるようだが
手のひらで撫で続けていると素直になった。
今日はここまで。「また明日ね」と声を掛けている。
※以下今朝の詩
牛
随分と昔のことだが 大河を流れる牛を見た
それは確かに生きていて 必死に泳ごうとしている 頭が見え隠れしていたが つぶらな瞳が空を仰いでいた
嵐の過ぎ去った日のことである 河川敷で放牧されていた牛は 押し寄せて来る濁流から 逃げ遅れてしまったのだろう
長閑に草を食んでいた日々 清らかな大河の流れに ずっと守られていたのだ さらさらと息をしながら 命を謳歌していたのである
やがては屠殺される事など 思いもしなかっただろう
ましては濁流に呑み込まれ 流されて行く事など 知りもしなかった日々である
何としても助けてやりたかった 海まで辿り着けば 生きているような気がしてならない
曇りの予報だったが朝から霧雨が降り続いていた。
九州北部、中国、近畿は今日梅雨明けの発表があった。
四国も直ぐ後を追うだろう。
今日は猛暑日になった地域があったようだが
いよいよ本格的な夏に突入である。
朝の道でねむの木の花を愛で山道を走り抜ける。
紫陽花街道には遅く咲いたのだろうまだ鮮やかな花が少し残っていた。
しかし周りの花は茶に染まり何とも憐れである。
いち早く咲いた額紫陽花は少し違いくすんだような色になっている。
色や種類によって精一杯の最後であった。
木槿の花は昨日と変わらず項垂れていたが
一日花なのでそれも仕方ないことだろう。
晴天が続くようになれば次々に咲くに違いない。

義父はまた高知市に出張。大切な役員会があるのだそうだ。
腰痛は相変わらずであったが機嫌よく出掛けて行きほっとする。
同僚は義父の指示で例の故障車を調べていたが
水漏れのまま走り続けたのでエンジンが再起不能になっていた。
エンジンを交換するより新しく車を購入した方が良さそうである。
経済的に余裕のないお客さんなのでどれ程嘆くことだろうか。
午後からはまた新たな車検整備となり気を抜く暇もない。
昨日車検待ちを承諾してくれたお客さんが先に支払いたいとのこと。
まだ納車も出来ずにいるのに何とも気の毒でならなかった。
義父次第であるが明日の午前中には納車に漕ぎ付けたいものだ。
あれこれと気を揉むのにも少し疲れてしまっているが
少しでも順調にと願うばかりである。
「カーブスに行くけん」同僚に声を掛けて定時で帰路に就く。
FMラジオから吉田拓郎の「祭りのあと」が流れて来て懐かしいこと。
1976年の歌だったようだ。私が20歳の頃である。
喜び勇んでカーブスに行ったが足が痛み思うように出来ない。
やはり毎日動かしていないといけないのだろう。
それだけ効果が出ていたことを思い知る。
無理は出来ずそこそこに筋トレをして帰って来た。
買物を済ませ4時過ぎに帰宅。15分程自室で過ごす。
後は茶の間で寝転んで5時までニュース番組を見ていた。
子供を道連れにする無理心中が多く心が痛む。
夕食の支度に娘の姿はなく一人で頑張った。
めいちゃんの学習塾であったが楽しみにしているようだ。
今週はまだ一度も学校に行っていないが塾は休まない。
土曜日のダンス教室も同じで休むことをしなかった。
めいちゃんの気持ちは図り兼ねて戸惑うばかりである。
老婆心を募らせば夫に叱られてしまうので要らぬ口を叩いてはならない。
今7時45分。窓の外はまだ薄っすらと明るい。
ゆっくりと暮れて行く空に心を委ねている。
出来たこと、出来なかったことが交差しているが
思うように行かなくても嘆くことはせずにいたい。
一針一針と命を縫う日々が続いている。
※以下今朝の詩
木槿(むくげ)
雨に打たれたのだろう 弱々しく萎れていたが 決して亡骸ではなかった
梅雨が明けると 真夏の太陽が照りつける その光に満ちた日々を 胸を張って生きようと思う
どれほどの花だろうか 互いを励まし合いながら 負けまいと声を掛ける
その花びらには命が宿り 夏でなくてはいけない理由を 囁き合っているのだった
花として生まれたことを 誇りに思う 幾日も降り続いた雨であったが それを試練だと受け止めて来た
打たれなくてはいけない 濡れてこそ息が生まれる
やがて満面の笑みを浮かべる 夏の陽射しを身体中に浴びて 命を謳歌する時が来た
二十四節気の「小暑」そろそろ梅雨が明け夏本番となる頃。
日中は曇り空であったが風があり暑さは和らいでいた。
週間予報を見ると明日からしばらくは晴天となりそうである。
もし梅雨明けとなれば厳しい暑さとなることだろう。
今朝は期待が膨らみどきどきしながら山道を通る。
思った通りであった。例のねむの木の花が満開になっていた。
確かに三度目の開花である。まるで奇跡のように思う。
不思議でならずAIの響君に訊ねたら二度咲きもあるとのこと。
しかし三度も咲くのは珍しいことなのだそうだ。
心を込めて愛でていたのが伝わったのかもしれない。
木槿の花は今朝も残念であった。
雨は降っていなかったが弱り果てたまま萎れていた。
しかしまだこれからの花なのだろう。諦めてはいけないと思う。
毎朝見守りながら元気になるのを待ってやりたい。

職場に着くと義父の怒鳴り声が聞こえていた。
昨夜お客さんの車がオーバーヒートして入庫していたが
車の鍵を持ち帰ったようで手も足も出せないのである。
おまけに義父の農業用のトラックに乗って帰ったらしい。
60代のお客さんであったが一昨年から支払いが滞っており
私も困ったことになったなと気を揉むばかりであった。
義父は同僚に指示をすると気が狂ったように田んぼ出掛ける。
車検待ちの車もあったが今日はお手上げになりそうだ。
案の定、お昼になっても帰らずとうとう3時になる。
今日も潔くカーブスを諦めていた。それどころではないと思う。
仕方なくお客さんに電話して車検を待って貰うことにした。
幸い快く承諾してくれて何とほっとしたことだろう。
帰宅していたら義父から電話があったがもう後の祭りである。
引き返す事は出来たがもう4時近くになっていた。
市内まで帰り税理士事務所に決算の書類を届けやっと買物を済ます。
「あったかパーキング」に車椅子の女性がいて定員さんが介助していた。
なんだか車を停めるのが心苦しくてならない。
女性の車の中には小学生らしい男の子が二人乗っていた。
その女性が母親だと思うと何とも複雑な気持ちになる。
毎日の夕飯の買物も支度もどれほどの苦労だろうか。
5時前に帰宅。何はともあれ笠原メイさんの日記である。
読み終えると何だかとてもほっとした。
読まない事には一日が終らないような気がするのだった。
「七夕」の夜は梅雨時のせいもあり星が見えないことが多い。
しかし雲の上には天の川が流れているのだろう。
一年に一度の逢瀬も叶うのに違いない。
若い頃のように切ない想いに駆られることもなくなった。
「あの人」と呼ぶような存在もいない。
そうして星に願うことさえも忘れてしまったようだ。
真っ暗な夜空を仰ぎながら今日の扉を閉めようとしている。
※以下今朝の詩
ミラクル
一度散った花が再び咲き また直ぐに散ってしまったが 三度咲こうとしているのだった
そんなことは在り得ないと 誰しも口を揃えるのだが この目で確かに見たのである
薄桃色の花であった まるで妖精のように愛らしい 風が吹けばはらりと空を舞う
夜は眠り朝になれば目覚める 新鮮な空気を受け止めるように咲く
こんなにも生きていると伝えたい 散れば全てが終りではないのである
朝のうちは雨が降っていたが午後から次第に晴れて来る。
気温も30℃に達し真夏並みの暑さであった。
朝の道では例のねむの木が気に掛かり車を停めて見てみたら
昨日とは明らかに違いぽつぽつと花が咲き始めていた。
もし順調に咲けば三度目の開花である。
愛子ちゃんは絶対に在り得ないと云ったがこんな不思議なことが
現実になれば正に奇跡のねむの木であった。
峠道を越えれば木槿の花であるが生憎の雨で濡れそぼっていた。
小雨のうちにと車から下りて確かめてみたが
白い花びらはぐったりと項垂れており憐れでならない。
明日の朝もう一度確かめてみるがどうか元気になっていますように。

さあ月曜日と鼻息荒く職場に着いたが
車検予約のお客さんが9時になっても来店して来なかった。
するとオイル交換のお客さんが来てくれて助かる。
予約なしであったが丁度空いていて何よりだった。
大きな犬を連れて来ていて「タニー」と云う名だそうだ。
名を呼ぶと近寄って来て顔中を舐められてしまう。
私が犬好きなのが分かるのだろう。とても人懐っこい犬だった。
10時になってやっと車検のお客さんが来てくれた。
県外から移住して来て山里で林業を営んでいる人である。
村の80%が山林であり林業はとても景気が良い。
即金間違いなしなので大歓迎のお客さんであった。
義父は昨日雨が止んでから畔の草刈りをしていたそうで
今朝は立ち上がれない程の痛みに襲われたらしい。
居室から事務所に下りるのも苦労で何とも憐れな姿である。
整体に行けば少しは楽になるだろうと出掛けて行った。
義父の留守中に宅配便が届きまたスマホで衝動買いをしたようだ。
振込用紙が入っているはずなので開封したらびっくりで
何と「シワ消しクリーム」が入っていた。
彼女さんに頼まれたのかもしれないと思ったが帰宅した義父に訊ねると
「俺が使うがじゃ」と応えたので失礼ながら笑うしかない。
もう直ぐ83歳になろうとしているのに何と云うことだろうか。
可笑しくてならなかったが義父のシワが伸びるのを思い浮かべていた。
昼食を食べ終わるとまた草刈りに行くと云う。
腰痛もしかりだが熱中症も気になり引き止めたが頷くような義父ではない。
痛み止めの薬を飲みよたよたしながら田んぼに出掛けて行った。
おかげと云うのも申し訳ないが久しぶりに定時で終えることが出来た。
やっとカーブスへ行けるので嬉しくてならない。
お仲間さん達がそれぞれに手を振ってくれて大歓迎である。
今日は計測があったが筋肉量は29%だった。
まだまだ脂肪に満たされておりどうしようもない。
筋トレ中にお客さんから電話があり修理代を支払いたいとのこと。
市内に勤務している人なのでサニーマートで待ち合わせをした。
しかしいくら待っても姿が見えず汗びっしょりになる。
どうやら私が場所を間違えていたらしく
お客さんも私の姿を待ち侘びていたようだ。
走り寄って来てくれたお客さんの顔を見るととてもほっした。
エアコン修理のお客さんであったがガンガンに冷えているとのこと。
クレームもなく順調で何よりに思う。
4時過ぎに帰宅。そのまま5時まで自室で過ごす。
今日は「サラダ記念日」であったが俵万智さんのポストは無かった。
ラジオで聴いて知ったのだが実際には「唐揚げ」を作ったのだそうだ。
カレー味の唐揚げで彼氏がとても美味しいと喜んでくれたらしい。
そこで一句だが「唐揚げ」では字余りになってしまうので
夏らしく「サラダ」にしたのだそうだ。
日常のほんのひとコマであるが彼女はそれで大きく羽ばたいたのである。
そうして今は成功者としてその実力を発揮し続けている。
そんな俵万智さんを遠い目で見ている私が居た。
いくら手を伸ばしても届かないそんな存在を思い知る。
何を書いても認められない。
同人誌のD氏からは「誰も読んではいないから」と突き放された。
心を込めて詠んだ短歌も「ぼろ屑」となり消えて行く。
才能が無いと云ってしまえばそれまでだが
踏みにじられた哀しみを葬る術を未だ知らずにいる私だった。
※以下今朝の詩
不器用
鉛筆の芯は折れる 消しゴムは転がる
それはよくあることで どうってことはないが
カッターナイフで鉛筆を削るのが 苦手な子供であった 消しゴムは走るように転がり 優しい誰かが拾ってくれた そうして投げてくれたのだが 上手くキャッチ出来ないのだ
不器用な子供であった 細かい作業は苦手なので いつも大雑把に仕上げた 絵を描くことも苦手で 画用紙を半分に折って 絵の具を塗りたくり 広げて見ると素晴らしく 芸術作品に見えたが 先生にこっぴどく叱られた
何をやっても上手く出来ない 美しいものは遠ざかっていく
それはおとなになっても変わらず 歳を重ね老いを感じる今になっても
不器用に生きている このまま死んでしまうのは 惜しいなと思うのだけれど 仕方ないことなのだろうか
せめて微笑みながら逝きたい
雨のち曇り。午前中は雷雨となりプチ嵐のようであった。
気温は25℃を超え不快な蒸し暑さとなる。
私があまりにも汗をかくので夫に異常だと云われた。
もしかしたら「多汗症」かもしれないと病気になりたがる。
しかし病院へ行けばただの汗っかきだと云われるだろう。
朝から汗が止まらず髪の毛は洗ったかのように濡れていた。
雨の中、買物に行こうと外に出れば娘が植えていた「青葱」が
まるで病に侵されたようにぐんにゃりと枯れている。
ちょこっと葱が欲しい時に重宝していたので残念でならない。
やはりプランターでは育ち難いのだろうか。
たかが葱と思うが野菜作りもそうそう簡単ではなかった。
お昼にはまた巨大なお好み焼きを作り夫と半分こにして食べる。
下田まで行けばテイクアウトのお店があるが
家で作った方が安上がりでもあり美味しくもある。
食べ終わるなり今日もまたお昼寝三昧であった。
3時間程寝ただろうか。目覚めたら台所の流しが綺麗に片付いてる。
娘かと思いきや何とめいちゃんが洗ってくれたのだそうだ。
ご褒美に2百円あげたら満面の笑顔で喜んでくれる。
その笑顔がとても嬉しかった。
洗濯物を畳み終えてから5時まで自室で過ごす。
まだ4時前だったのに笠原メイさんが日記を更新していた。
今日は甥っ子さんの誕生日パーティーがあるのだそうで
いつもより少し早目に書いたのだそうだ。
病気を抱えていても微笑ましい時間があるのが何よりに思う。
それから暇つぶしに今年の4月の日記を読み返していた。
僅か3か月前の日記だと云うのに何故か懐かしい。
仕事の事、義父の事、あらあらと云う間の日々であった。
それにしても我ながら読みごたえがありすっかり自画自賛である。
またいつか読み返す日が来るだろう。それは10年後かもしれない。
ひと月分の日記を読むのに1時間を費やし煙草を10本も吸った。
暇つぶしにはなったが何と不健康な事だろう。
何とかして煙草を止めたいが思い切ることが出来ない。
真っ黒になった肺をこの目で確かめてみたいものだ。
今日は頻りにホトトギスが鳴き今も鳴き声が聴こえている。
どうやら眠らない鳥ではなかったようだ。
窓の直ぐ近くで鳴いていてもその姿を見つけられない。
赤い舌をしているのだそうだ。血を吐いたような赤い舌である。
肺結核を患っていた正岡子規が自分の身と重ねたのが納得出来た。
私は雀になりたい。ちゅんちゅんと鳴きながら空を飛びたい。
まだまだこれからの人生ならば「なりたい自分」を思い描く。
雀の寿命は知る由もないが百歳まで生きられるかもしれない。
※以下今朝の詩
夜明け
川向の山並みが薄っすらと見える 靄のような雲がたなびき 今日も雨が降るのだろうか
土手の道を老人と犬が横切り 腰を屈めたその姿を庇うように 犬はゆっくりと歩いている
眠らなかったホトトギスが 悲鳴のような声を残して 山に帰って行った 少しでも眠らせてやりたい
日曜日の朝は靴下を履かない 素足は心地よくふたつ並んでいる 歩けば痛む足であったが 足がなければ生きて行けない
そろそろ雀が目を覚ます頃 燕も空を飛び交うことだろう
新聞配達のバイクが路地を縫う ことんと音をさせて新聞が届く
真っ新な朝である 昨日とは違うのだろう もう何度目の朝なのだろうか
雨のち曇り。日中は本降りの雨となった。
「ざあざあ」と表現するべきだが「しょぼしょぼ」と聴こえる。
雨音に耳を澄ますのも愉快な事であった。
気温は25℃、そう高くはなかったが蒸し暑くてならない。
エアコンのお世話になりながら一日を過ごす。
今朝は峠道を越えてから道端の一段低くなった処に
木槿(むくげ)の花が咲いているのを見つけた。
毎年咲いていただろうに今年初めて見つける。
丁度ガードレールの下側なので見逃していたのだろう。
月曜日には車から下りて写真を撮ってみようと思う。
職場に着くと義父の姿がなかったので整体かなと思っていたら
友人の車を届けに大月町まで行っていたのだそうだ。
その友人も顔を見せてくれて事務所は賑やかになる。
ちょうど私は早弁をしていて大笑いになった。
今日の昼食は最悪で地場産店にはお弁当が一切なく
仕方なく菓子パンとカップ麺を買って来ていた。
しかもカップ麺にお湯を注ごうしたらポットの電源が切れており
肝心のお湯が出ない有様であった。
「何なんだこれは」と自分でも可笑しくてならない。
お湯が沸くまで義父の友人と漫才のように話していた。
早弁はせめて11時なのだそうだ。
私はいつも10時過ぎに食べるのであまりにも早過ぎるのだろう。
仕事は部品待ちで宅配便が来るのを待ち兼ねていた。
ちょうどその合間にオイル交換のお客さんが来てくれる。
予約なしの来店であったが雨で仕事が中止になったとのこと。
毎朝5時に家を出て愛媛県の現場まで通っているのだそうだ。
毎日100キロ走行しているので直ぐにオイル交換時期が来る。
ホンダの古い軽トラックだが走行距離は20万キロを超えていた。
60代だが独身で猫と一緒に暮らしていたが
その猫を交通事故で亡くしてしまったそうで憐れでならない。
独り暮らしとなり何の楽しみもないが
寝て起きて仕事に向かう毎日だけが張り合いになっているそうだ。
元気な内は働きたい。それは私も同じ気持ちである。
お昼前にやっと部品が届く。義父が確かめ同僚に指示をしていた。
しかし複雑な修理らしく今日の納車は無理なようである。
車検で入庫していたので義父に相談すれば
月曜日になるとのことで久しぶりに定時で仕事を終える。
皮肉なものでカーブスは午後から休みであった。
結局今週も一回しか行けなかったことになる。
こればかりは臨機応変にと思う。また行ける日があるだろう。
帰り道にはFMラジオで「たかちゃん」の声を聴けた。
今日も「にゃあにゃあ」言っていて愉快でならない。
昔のよしみであるがすっかりファンになった。
買物を終えて4時前に帰宅。20分程自室で過ごしてから
茶の間で寝転び夫とテレビを観ていた。
いかにも土曜日らしい番組である。
5時になれば一気に気忙しくなり今夜もまたダンス教室である。
娘のピッチの早いこと。手際よくちゃちゃっと夕食を整えていた。
めいちゃんは今週二回学校に行けた。
毎日でなくてもそれが精一杯であることが分かる。
水曜日には学習塾にも通い始めてやる気満々であった。
昨夜も茶の間で遅くまで勉強をしていて何と明け方の3時半である。
娘夫婦も私達祖父母もそんなめいちゃんを見守ろうと決めた。
「学校」と云う型に閉じ込めなくても伸び伸びと過ごすこと。
それが子供にとって一番大切な事ではないだろうか。
今朝は少ししんみりとした詩を書いた。
例のくみこさんが最も嫌う詩である。
予想通り反応はなく「いいね」もなかったが
なんだかそれがすっきりと心地よくてならない。
ようは誰にも媚びない事である。
どれほど後ろ指を差されても私は「わたし」を貫きたいと思う。
※以下今朝の詩
記憶
何処だろう此処だろうか 手探りで生きている
硬ければはっとして 柔らかならほっとする
幼い頃の記憶は朧気であり 初めて歩いた日を知らない 母に抱かれたことも 父に背負われたことも それはきっと柔らかなこと
少女時代の哀しみは 大きな傷跡になり 今でも疼き続けている 私は自分が可哀想でならない それはきっと硬いことである
救われて励まされた日々は 心の拠り所となった 出会いもあれば別れもある 縁は尊く支えられていたのだろう
老いてしまえば全てのことが 在るべきことだったと思える おそらくそれが運命であり 歩き続けて来た結果であった
柔らかな記憶と硬い記憶が 渦のようにぶつかり合って 心を掻き乱しているが 生きていて良かったと思う
最期の日まで忘れはしない
晴れたり曇ったり。気温は30℃を超え真夏日となる。
風はあったがエアコン無しでは過ごせない暑さであった。
工場にはまだ扇風機も出しておらず気の毒でならない。
同僚に話せば慣れているとのこと。まだまだこれからの暑さである。
朝の道のねむの木はすっかり散っており葉を残すだけになっていた。
先日も確かにそうだったのだ。しかし再び咲いたことを思うと
簡単には諦め切れない。またミラクルが起きる可能性がある。
植物に詳しい愛子ちゃんに訊いたらそれは絶対に在り得ないとのこと。
それでは私が見た花はいったい何だったのだろうと思う。
その愛子ちゃんからまた胡瓜とピーマンを貰った。
茄子も欲しかったのだが今年は不作とのこと。
幸い猿の被害はないようで何よりに思う。
義父は胡瓜の漬物ばかり食べているのだそうだ。
また漬けるぞと今日も喜んでいた。
同僚は3日続けてピーマンを食べたのだそうだ。
さすがに飽いたようで苦笑いをしていた。
我が家も胡瓜漬けの日々が続いているが孫達が好きなので助かる。
買えば3本で2百円とけっこうお高い。

仕事は朝から大忙しで来客も多かった。
支払いのお客さんも来てくれて大助かりである。
義父は稲の消毒を予定していたが明日が雨のため延期になった。
今日は整体も休みで工場の仕事に精を出してくれる。
市内のお客さんがエアコンが効かなくなっており
ガスの補給に出張までしてくれた。
エアコンの修理となれば高額修理となってしまうので
ガスの補給だけでひと夏は凌げる場合が多い。
お客さんは新車購入を検討中で応急処置であった。
同僚は車検整備をしていたがクラッチに不備があり
義父の計らいで中古部品を使用することになった。
廃車置き場に同型の事故車があり部品を脱着することになる。
フォークリフトで事故車を吊り上げ手際良く交換を済ます。
このお客さんも新車購入を検討中で最後の車検であった。
とにかく安くと義父の気遣いが感じられた。
2時を過ぎてからの車検となり今日もカーブスを諦める。
書類作成をしていたら保険会社のY君が来てくれて
義父と話し始めたら一向に終わりそうにない。
滅多に会えないので積もる話もあったのだろう。
何をしてもやり難い世の中になった。
「お互いに頑張ろうな」義父に励まされてやっと帰って行く。
3時になりお客さんが車検完了の車を取りに来てくれた。
そうしたら「いくらかね?」と即金で支払ってくれる。
まさか今日の売上になるとは思ってもいなかったので嬉しくてならない。
お客さんは神様だと今日ほど思ったことはなかった。
義父が我に返ったように「腹が減った」と呟き
昼食も食べずに仕事をしていたことを思い出す。
「はよう食べや」と云えば「飯を炊くのを忘れちょった」である。
大急ぎでお弁当を買いに走ったら串焼きの屋台が出ていた。
2本買って事務所に帰れば「高い肉をもったいない」と云うので
「胡瓜ばっかり食べよったら力が出んぜ」と云うと満面の笑顔である。
ああ良かった。ほっとして帰路に就く。
疲れはあったが何と清々しい一日だったことだろう。
遣り切った達成感程心地よいものはない。
買物を終えて4時半に帰宅。
笠原メイさんは日記に妹さんの事を書いていて微笑ましく読む。
ご両親が居ておばあちゃんも居る。決して独りぼっちではなかった。
親近感でいっぱいになるが彼ほど遠い存在はないのだと思う。
一読者として何が出来よう。声を掛けることも出来ない。
今朝は4年生の時の担任だった「まゆみ先生」の詩を書いた。
もう60年もの歳月が流れたが先生とは今も繋がっており
メールや電話もある。ご主人に先立たれ独り暮らしをしていたが
数年前から東京に住む息子さん一家と同居を始めている。
高知には度々里帰りをしていたが最近ではそれも遠ざかっているようだ。
同窓会にも出席しなかった私は60年も先生に会っていない。
しかしそんな歳月を感じないほど先生は身近な存在であった。
詩や短歌を書き続けている私に「負けたらいかんよ、頑張ろうね」
その励ましにどれほど救われたことだろうか。
※以下今朝の詩
まゆみ先生
四年生の時のことである 国語の時間になるとどきどきした
まゆみ先生は先生になったばかり 色が白くてとても綺麗な顔をしていた
教科書を音読する時になると 必ず私を指名するのである 音読するのはとても好きだったが 毎日となると戸惑ってしまう
ある日のことみんなが言った 「先生はひいきしている」と 吊るしあげられた先生は 教壇で涙を流し始めた
私も泣いた先生と一緒に泣いた
山村のちいさな学校のことである 噂は広がり先生は窮地に立たされた 先生が可哀想でならない 私さえいなければと思う
60年の際月が流れたが あの時の涙を忘れることはない
早朝には雨が降っていたが次第に晴れて来て
午後には30℃を超す真夏日となった。
明日からしばらくは雨の日がなさそうだが
梅雨明けにはまだ少し早いようである。
台風9号も発生しておりどうなることだろうか。
今日は「半夏生」昔から田植えの終わる頃とされ
農家の人達はゆっくりと身体を休める日なのだそうだ。
しかし今は田植えが早く休みどころではないようだ。
稲の穂がもう見え始め消毒が必要な時期である。
「いもち病」やカメムシの被害もあって苦労が多い。
義父も明日は消毒をするのだと意気込んでいる。

今朝もねむの木の道を通ったがまた憐れな姿になっていた。
花が腐ったように茶色くなり木にへばりついている。
雨に打たれたせいかもしれないが今度こそ寿命に思う。
しかし二度咲いた花である。またミラクルがあるかもしれない。
明日の朝も見守ってやらねばならない。
どんな姿に変わろうと花には命が宿っている。
仕事は今日も忙しくお昼休憩も出来なかった。
義父は早朝から例のダンプを納車に行ってくれて
その足で市内の整体に向かっていた。
お昼前には帰って来たが腰痛は一向に治まらない。
また痛み止めを服用し午後からの仕事に備えてくれた。
もう一台のダンプも車検が完了し何よりに思う。
同僚は休む間もなく新たな車検整備に取り掛かっていた。
義父はエアコン修理であったが中古部品で直りそうである。
市内の中古部品屋さんに在庫があり直ぐに取りに行った。
部品さえあれば今日中に直るのでお客さんも喜ぶことだろう。
午後2時を過ぎ今日も潔くカーブスを諦めた。
「行きたい」気持ちがあれば仕事も雑になるだろう。
しっかりと腰を据えてやるべきことをやらねばならない。
3時には終えられたが市内の法務局に用事があった。
買物を終えて帰宅すればもう4時半である。
疲れも出ており10分だけ茶の間で横になっていた。
つかの間のSNSであったが笠原メイさんの日記だけは読みたい。
どんなに体調が優れなくても詩を書く。
まるで書くために生きているような姿に感動を覚える。
笹色玉虫さんはとても78歳とは思えないポストを発信していた。
憧れはあるが私とは全く異質の人なのだなと思う。
現実世界では絶対に友達にはなれないだろう。
いつも自信に溢れていて「心細さ」を感じさせない人だった。
波長が合わないと云ってしまえばそれまでだろう。
5時になればお風呂のスイッチを押し夕食の支度を始める。
メニューはすっかりマンネリ化しており家族には申し訳ないが
毎日予算オーバーとなり家計はとても厳しかった。
夫とも話したが食料品の消費税がゼロにならないものだろうか。
半額品を狙うにも限度があり定価では買えない物がとても多い。
「ごっちょさん、ごゆっくりどうぞ」夫に声を掛け自室に籠る。
煙草は3本。茜色に染まる空を見上げる。
一日の終りに挟む栞があればといつも思う。
今日はここまで。明日はここからと印を付けておきたい。
ぐっすりと眠ればまた奇跡のように朝がやって来る。
※以下今朝の詩
合歓(ねむ)
一度散ってしまった花が 再び咲いているのを見た
しっとりと濡れた葉陰で まるで妖精のように咲く
終りだと決めつけてはならない 蕾などなくても諦めないことだ
雨が匂う朝のことである 山里は呑み込まれそうな霧 道を歩く旅人の姿もなかった
花はおそらく眠っていたのだろう 朝陽を待ちながらまどろんでいた
目覚めは突然にやって来る 一斉に咲こうと意を決せば 夜の哀しみが遠ざかっていく
何かが溢れて来るのを 受け止める心が必要だった
何度でも咲こうとおもう いつだって明日があるのだから
曇り日。時おり雨とは呼べないような霧雨が降る。
気温は低目だったがやはり梅雨らしい蒸し暑さとなった。
今朝もねむの木の道を行く。
低木だと云うのに何と沢山の花だろうか。
もしかしたら観賞用に改良された木かもしれない。
その家の人を見かけたら訊ねようと思うが
朝の畑には姿が見えず未だ会うことが叶わなかった。
以前には職場の庭にもねむの木があったが
いつかの伐採騒ぎの折に一緒に伐られてしまった。
お隣が住宅地になってしまったので仕方ない事だが
全ての木を伐る必要があったのだろうかと思う。
残ったのは紅葉と椿。木槿の木もあるが花が咲かなくなった。
木陰で育っていた雪の下も同様である。
母が知ったらどんなにか嘆くことだろうか。

今朝は義父が待機してくれていて大助かりであったが
昨日の草刈りが堪えたのか腰の痛みが酷くなっていた。
整体は午後からとのことで居室で休むように勧めたが
昨日の事もあり同僚に仕事の段取りをしてくれる。
大型車の車検が2台も入庫し私ではとても手に負えない。
一台は予約であったがもう一台は急な飛び込みであった。
既に車検が切れており大急ぎで仕上げて欲しいと要請がある。
建設会社のダンプなので直ぐに仕事に使いたいのだろう。
そうなれば予約優先とは行かなくなり段取りが肝心となる。
義父は建設会社のダンプを優先した。
幸い走行距離が少なかったので明日には納車出来そうだった。
あれもこれもと同僚には苦労を掛けるが頑張ってもらうしかない。
午後、義父は整体へ。私も週一のリハビリに向かう。
足の痛みは薄れている様に感じたが施術中に痛みが走る。
U君も心配になったのだろう。いつもとは違う施術となった。
原因は先週カーブスに通い詰められなかったせいに思う。
やはり継続的に足を動かしていなければいけないのだろう。
明日も明後日も行けるとは限らず一気に気分が滅入って来た。
4時半に帰宅。注文してあった「詩と思想」が届いていたが
パラパラと捲っただけで日曜日までお預けとする。
大急ぎで読み流せるような本ではなかった。
笠原メイさんの詩も何処に載っているのかさえも分からない。
今朝はまた中学時代の記憶を頼りに詩を書いたが
やはり褒めてくれたのはAIの響君だけである。
どれほど大勢の人に無視されているのだろうと思う。
読む価値などない粗末な詩なのに違いない。
いったい私は何処まで落ちぶれてしまうのだろうと思う。
少女時代の記憶など私以外の誰に興味があるだろうか。
「この人また書いている」と嘲笑う声が聞こえて来そうだった。
しかしそこで嘆いても何も変わりはしない。
悔しいのならその悔しさをバネにして明日に向かうべきだろう。
踏みにじられ貶されることには慣れている。
けれども無名だからこそ書ける詩があるのではないだろうか。
※以下今朝の詩
ブラジャー
胸の膨らみが気になるようになり ブラジャーを買いに行った
「しまむら」もない時代である 近所に小さな衣料品店があった
「ブラジャーを下さい」 その一言が恥ずかしくてならない でも言わなくちゃと勇気を出す
お店のおばさんが値踏みをするように 頭から足の先までじろじろと見ていた
そうして段ボール箱を出してきて 好きなのを選ぶように言うのだった どれを選べば良いのか分からない 手が震えて涙が出そうになった
買わなくちゃ絶対に買わなくちゃ 友達は皆お母さんが買ってくれたのだそうだ
胸の膨らみがせつなくてならない ぺっちゃんこになれば良いのにと思う
ブラジャーを買って逃げるように帰った 緩い坂道の向こうには真っ青な海があり 波の音が押し寄せて来る
胸が締め付けられるように疼いた どうしてこんなに哀しいのだろうと思った
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