ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年08月31日(月) チキン南蛮弁当

曇りのち晴れ。気温が35℃に達し久しぶりの猛暑日となる。

明日から9月とは思えない暑さであった。

九州は今日も厳しい残暑となり福岡や大分では38℃を超えていたようだ。

今日は豪雨の報道が無かったが雨雲レーダーを見ると

京都や滋賀、鳥取や島根で強い雨が降っているようである。

水害に繋がるとは限らないがどんなにか不安なことだろか。


朝の道で仙人草の写真を撮ったが逆光だったので残念だった。

山道でもあちらこちらに咲いており木にしがみついている。

おそらく繁殖力が強いのだろう。有毒植物のせいかもしれない。

綺麗な花には毒があると云うが何とも可憐な花であった。



職場に着くと義父の姿は見えなかったがお米の一トン袋が増えていた。

乾燥機を見るとまだ沢山の籾が残っていてもしやと思ったら

昨日稲刈りをしたとのこと。鉄工所のKちゃんが教えてくれる。

Kちゃんも手伝ってくれたそうで有難くてならない。

友人の一人は発熱で肺炎らしく寝込んでいるのだそうだ。

いつも義父を助けてくれていたので気の毒でならなかった。


お昼前になりやっと義父が居室から下りて来てくれて

金曜日から預かっていた車検が完了した。

村の公用車なので同僚と急いで納車に行く。

今日は郵便局軽バンの点検のみで後は閑古鳥が鳴いていた。


忙しいのは経理で月末の資金が足らず頭を悩ます。

預金は社会保険料が引き落とされていてほぼゼロであった。

小口の入金があり現金はゼロではなかったが

取引先の中古部品屋さんに支払うには到底足らない。

仕方なく「奥の手」で平田町の信用金庫まで走る。

ATMからはまるで魔法のように現金が出て来た。

「よっし、これでなんとかなる」と目の前が明るくなる。

送金を済ませてからローソンに寄って

大好きな「チキン南蛮弁当」を買い求めた。

とにかく自分にご褒美だと思わずにいられない。

オーロラソースのチキン南蛮の何と美味しかったことだろう。

これが幸せでなくて何だろうと思った。


午後は特に仕事もなく同僚も退屈そうにしていた。

「カーブスに行くよ」と声を掛けると「お疲れさん」の声。

いつもは感じないが今日はその一言が身に沁みた。


うきうきランランと帰路に着きカーブスで心地よく汗を流す。

異常な程の汗であったがこれにはある秘密があった。

先日「カモシカソール」と云う靴の中敷きを買ったのだが

姿勢が良くなり代謝も良くなる優れ物であるらしい。

最初は半信半疑であったが何となく効いているように思う。

3日目で体重が1キロ減っていて驚く。

このまま履き続けていたら10キロ痩せるかもしれない。

しかし入浴前に体重を測ったら元の木阿弥であった。

お昼に食べた「チキン南蛮弁当」がいけなかったのだろうか。

ご褒美だったのに美味しかったのにと残念でならなかった。

しかしまだまだこれからである。決して諦めないと心に誓う。


なりたい自分になることはそうそう容易くはないが

何の努力もせずに変わることは出来ないだろう。

私にとってその努力とは?自問自答をするばかりである。


※以下今朝の詩


      葉月

  燃え尽きてしまうのだろうか
  いやまだ夏の炎は残っている

  百日紅百日草千日紅と
  夏の花が競い合うように咲き
  種を残そうと命を謳歌していた

  人々は酷暑を知り嘆きながら
  ちいさな秋を探そうとしている
  それは風だろうか空の雲だろうか

  振り向けば過ぎ去った日々が
  千切られた日捲りのように残る
  そうして今日が最後の一枚となった

  千切り捨てることは容易い
  くしゃくしゃに丸めて捨てる
  火を点けて燃やすことも出来る

  夏の後姿にその背中にそっと
  いったい何を告げれば良いのか
  迷いながらその背を追っていた




2026年08月30日(日) 心配の押し売り

曇りのち晴れ。湿度が高く朝からもう蒸し暑くてならない。

残暑は今日も厳しく和歌山では38℃を超えていたようだ。

我が町の江川崎も37℃を超えていたが市内は35℃に留まっていた。


北陸地方の雨は降り続いており福井県に豪雨をもたらす。

道路の冠水や家屋の浸水があり何と気の毒なことだろう。

雨雲レーダーで確認すると今はもう止んでいるようだ。

秋雨前線が停滞しており今後も豪雨の心配がある。


福井市には古い友人が住んでおり昨夜電話をしてみたが

長いこと通話中で声を聞くことは出来なかった。

音信不通になってからもう10年近くになっており

今更心配しても迷惑かもしれないと思う。

再度電話をしても「心配の押し売り」になってしまうだろう。

去る者を追ってはならないが私にとってはとても縁深い人であった。



昨夜の花火大会はボヤ騒ぎもあったようだが無事に開催出来たようだ。

毎年家の前の堤防から遠い花火を見るのだが

今年は音を聴きながら早目に床に就いた。

音だけの花火も風情があり良いものだなと思う。

しかし眠れない。夜中に何度も目が覚めてしまう。

どうやら3時間のお昼寝が祟っていたようだ。


今日はなるべく寝ないように心掛けていたが

昼食後はやはり眠くなりどうしようもない。

「24時間テレビ」を見ながらうたた寝をしていた。

自室と茶の間を行ったり来たりしているうちにやっと3時になる。

それから自室のエアコンを点け4時過ぎまで過ごしていた。

SNSに昨夜の花火の動画が投稿されており嬉しい。

夜空を彩る大輪の花火は見応えがあった。


笠原メイさんは今日限りで小説の告知を止めるとのこと。

宣伝行為をお終いにするのは彼らしいなと思う。

宣伝などしなくても彼には「才能」と云う武器がある。

彼のファンならば必ず買い求めているだろう。

持って生まれた才能は決して廃ることはない。


夕食後の入浴で髪を洗った。

苦手な洗髪であるが乾かすと何とも爽快である。

今は捩じり鉢巻きをしているが明日の朝が楽しみであった。

ふわふわの髪で仕事に行きたい。カーブスにも行きたい。

私は一週間で一番月曜日が好きだ。


もうすっかり老いてしまったが羽ばたくような気持になる。

月末ならば尚更の事で「矢でも鉄砲でも飛んで来い」と思うのだった。


※以下今朝の詩


       骨

  嫁いだ家では肉を食べなかった
  カレーに天ぷらが入っている

  夫の母は肉を食べたことがない
  だから買うこともしなければ
  肉料理を作ることもなかった

  鯖を丸ごと焼いて醤油に浸ける
  それはほぼ毎日のおかずであった

  川漁師の家である
  四万十川の鰻や鮎
  川海老もあったが
  市場に出した残りで
  とても小さかった

  私は無性に鶏の足が食べたい
  バスで街に行った時に
  こっそりと買って帰った

  パリパリの皮柔らかな身
  何と美味しかったことか

  しかし食べ終わった後の
  骨を捨てることが出来ない
  燃やしてもきっと残るだろう

  畑に行って穴を掘った
  夫の母に見つからないように
  隅っこに埋めたのだが
  鍬を持ち畑に行く姿を見ると
  見つかってしまいそうで
  怒られてしまいそうで
  怖くてならなかった

  食べてはいけなかったのだと思う
  どうして我慢出来なかったのだろう

  鯖の丸焼きを食べる
  ご飯は進んだが
  何とも侘しい食卓であった



2026年08月29日(土) 白い花火

曇りのち晴れ。気温は33℃に留まる。

そよ吹く風はまだ夏の顔をしていた。

九州地方は今日も猛暑となり

大分県の豊後高田市では38℃を超えていたようだ。

熊本、福岡と容赦ない暑さである。

熊本県内の断水が完全復旧したとのこと何よりに思う。

被災された人達に少しでも希望をと願わずにはいられない。


豪雨に見舞われた北陸地方は今日も強い雨になった。

雨雲レーダーで見ると金沢付近が一番酷いようだ。

家屋の浸水被害で避難している人も多く

一刻も早く平穏な日常が返って来ることを祈るばかりである。



朝のうちにひと眠りしてからカーブスに行く。

エアコンが効いていたが汗びっしょりになった。

代謝云々よりもただの汗っかきなのだろう。

帰りに鏡で自分の顔を見ると何とも不細工であった。


昼食にはまたお好み焼きを食べる。

夫はビールを。私もノンアルを飲む。

そのまま茶の間で横になり3時間程寝ていた。

その後は自室で1時間程過ごす。

またひっきりなしの煙草である。


笠原メイさんの小説が発売となり購入した。

紙の本ではなくダウンロードするタイプのもので

パソコンで読めるがプリントアウトしようと思う。

我が家にもプリンターはあるが用紙が少ないので

月曜日に職場で印刷することにした。

早く読みたい気持ちもあるがゆっくりと味わうのも良い。


今夜は花火大会があり娘達は夕食不要とのこと。

夫と二人でサイコロステーキを焼いて食べる。

あやちゃんは今夜もお留守番で娘が「ほか弁」を買って来ていた。

侘しいものだなと思う。今年も花火を見ることが出来ない。

訊けば「別にどうでも良い」と応える。

それだけ自分の殻に閉じ籠っているのだろうか。


随分と昔の事だが自転車で花火を見に行ったことがあった。

隣の地区の堤防までだったが真っ白い花火のことを忘れられずにいる。

花火と云えば色とりどりが主流であるが

その夜にはまるで雪のように真っ白い花火が上がったのだった。

「あのひとに見せたい」何と切ない花火だったことだろう。


歳月が流れ老いてしまえば音だけの花火であった。

切ないことも在りはしない。ただ音として感じる。

「あのひとはどうしているだろう」遠い空に想いを寄せても

いったい何を伝えられるのだろうと思う。


四万十の夏はそうして終っていく。


※以下今朝の詩


     屋根裏部屋

  祖父の家には牛小屋があり
  屋根裏部屋へと続いていた
  今にも崩れ落ちそうな階段
  ぎしぎしと不気味な音がする

  そこは母の部屋であった
  少女時代をそのままに残し
  ちいさな机と本棚がある
  引出しの中にはノートがあり
  母が書いた短歌が残っていた

  15歳まで母が過ごした部屋
  夢多き少女だったことだろう
  高校に進学したかったそうだ
  しかし百姓の子に学問はいらんと
  祖父は母の夢を絶ってしまった

  悔しくてならず泣いた部屋
  窓に映る茜色の空が哀しい

  父と出会ったのはいつだったのか
  おそらく恋に落ちてしまったのだろう

  18歳の冬である
  母は初めての痛みに耐えながら

  私を産んだ





2026年08月28日(金) 財布が靴を履いた日

曇りのち晴れ。入道雲がもくもくと夏空の午後であった。

気温は32℃に留まりいかにも初秋らしい。

今朝は北海道の釧路地方に線状降水帯が発生していたが

雨雲レーダーで見ると今は晴れているようだ。

特に水害の報道は無かったので平穏に夜を迎えられる事だろう。


熊本地震から今日でひと月。何と厳しい日々であったことか。

未だ2700人程の人が避難所で暮らしているそうだ。

住む家を失った人ばかりで気の毒でならなかった。

おまけに容赦ない猛暑で、復旧作業も大変な苦労である。

最高気温ランキングを見ればトップは熊本の甲佐町で38℃超え。

水俣市や他の市町村でも37℃を超えていた。

寄りよってどうして熊本を襲うのだろう。何だか理不尽に思えて来る。

10年前の地震を耐え抜いて来た人々にとって仕打ちとしか思えない。

現実とはこれほどまでに厳しいものなのだろうか。

平穏な日常が一日も早く戻って来ることを祈らずにいられなかった。



そこそこに仕事。今日は車検の予約が入っていた。

義父はエアコン修理に精を出してくれる。

今日はまた新たなエアコン修理が入庫し休む暇もない。

早く籾摺りもして出荷の準備もしなければならなかった。

乾燥機が空き次第あと二回の稲刈りも待っている。

あまりの忙しさに憐れでならなかったが

機嫌はとても良くそれが何よりに思う。


そんな最中に義父の財布が行方不明になった。

昨夜までは確かにあったのだが今朝は見当たらないのだそうだ。

まさか盗まれはしないだろうと探したが見つからない。

気になってならなかったが定時で帰路に着いた。

カーブスと買い物を終えて帰宅したら

「あったぞ」と義父から電話がありほっと胸を撫で下ろす。

財布は脱ぎ捨ててあった靴の中に入っていたそうだ。

おそらくポケットから落ちた財布が丁度靴に入り込んだのだろう。

笑い話のようだが財布が靴を履いていたのである。


明日は同僚が歯医者さんに行きたいそうで休みを願っていた。

特に急ぎの仕事もないので義父と相談し臨時休業とする。

月末が目前となり資金繰りが苦しかったが

今日は部品屋さんに支払いが出来たので何よりであった。

現金はほぼゼロ。預金残高も残り僅かである。

そんな時にじたばたしても何も変わりはしない。

腹を据えて「来るなら来い」と立ち向かって行こうと思う。


明日はゆっくりと休みたい。

お昼に好きな物を食べて3時間くらいお昼寝をしよう。


※以下今朝の詩


       器

  器の中で掻き回されている
  突き刺されるような痛み
  目が回るような混乱

  いったい私は何になるのか

  おそらく焼かれるのだろう
  そうして焦げていくだろう

  望むことがあまりに多過ぎて
  叶わないことが増えていく

  器にしがみつけば安らぐ
  崩れることを怖れずに
  在りのままを受け止める

  自問自答を繰り返しながら
  不甲斐なさを感じるばかり

  ぐるぐると同じ場所に居て
  逃げ出すことが出来ないのだ

  器は凛としてその白さを誇る
  もうどうなってもかまわない

  焼かれても生きよう
  その痛みに耐えて見せよう



2026年08月27日(木) 明日は我が身

雨のち晴れ。雨量は少なかったが辺りが潤う。

猛暑も和らぎ過ごし易い一日だった。


石川県や富山県では記録的な豪雨となり大変な水害となる。

河川の氾濫や住宅や田畑の浸水。車の水没もあったようだ。

気の毒を通り越して痛ましくてならない。

現在は小降りになっているようだが明日の朝にかけて

また大雨の恐れがあるそうで被害が拡大しない事を祈るばかりである。

降り過ぎる雨の恐怖を思い知らされるような出来事だった。


富山には古い友人が住んでいるのだがもう何年も音信不通である。

心配でならないがこんな時に電話をするのも憚られた。

もう少し落ち着いてからの方が良いのではないだろうか。



仕事は同僚が通院のため午前中は開店休業となる。

義父には高知市内の米問屋さんが陣中見舞いに来てくれていた。

稲刈りはまだ終わってはいないが一回目の出荷が決まる。

新米として売り出すためにチラシを作成するそうで

義父の顔写真が必要とのこと。大急ぎで写真を撮った。

しかしあまりの白髪頭に髭まで伸びていて義父は気に入らない。

写真はありのままの姿であったが「これは俺じゃない」と云い出す。

おそらくもっと若いと思っていたのだろう。困ったものである。

そこで米問屋さんが助け舟を出してくれたのだった。

「とても83歳には見えんよ、75歳位に見える」と。

義父が大喜びしたのは云うまでもない。

すっかりその気になって自信満々の顔をするのである。

いったいどんなチラシが出来上がるのだろう。

高知市内の新聞折り込みにしか入らず残念であった。


午後には同僚も来てくれてやっと活気が出て来た。

義父はコンバインの洗車を始めていて忙しそうである。

市内からわざわざオイル交換に来てくれたお客さんが居て

冷たいお茶を出したり世間話をしているうちに定時を過ぎていた。

潔くカーブスを諦めようと思う。お客さんを置き去りには出来ない。


お客さんを見送ればもう3時になっていた。

まあどんな日もあるものだと思いゆっくりと帰路に着く。

買い物を終えて4時過ぎに帰宅。自室で15分程過ごしていた。

その後は豪雨の報道が気になり茶の間でテレビを観る。

それは地獄絵のようだった。まるで悪夢を見ているように思う。

人は皆、水が無ければ生きて行けないが

その水にこれ程までに命を晒さなければいけないのだろうか。

とても他人事ではなく明日は我が身だと思う。


いつ何があるか分からないからこそ

一日を一生だと思って暮らして行かねばならない。

平穏無事な一日ならば感謝の気持ちを忘れないことだ。

今日もありがとうございました。

亡き父に母に夜空に手を合わせて眠りたいと思う。


※以下今朝の詩


      仙人草

  道端のフェンスに絡みつく
  そんな花もある

  真っ直ぐには伸びられず
  何かにしがみつかなければ
  生きて行けないのだろう

  別名「馬食わず」と呼ばれ
  有毒植物であった

  純白の小さな花は可憐で
  まるで花嫁の冠のようだ

  たとえ毒があっても
  触れてみたいと思う

  毒を持つことで身を守る
  蕾は次々に開くのだった

  そんな生き方もある
  ふと私も毒になりたくなった

  花のようには生きられない
  初秋の風の何と切ないことか

  永遠の命など在りはしない



2026年08月26日(水) ハイクリアー

小雨が降ったり止んだり。早朝には不快な蒸し暑さであったが

日中は風があり随分と涼しく感じた。これもちいさな秋だろう。

一雨ごとに秋らしくなるのなら雨も大歓迎である。


全国的には厳しい残暑となり福岡の博多では40℃を超えていたようだ。

統計では今年10回目の酷暑日だそうでこの夏の暑さを物語っている。


朝の道で仙人草が咲いているのを見つけ嬉しい。

道路わきのフェンスに絡みついていたのだが

純白で何と愛らしい花なのだろう。

別名「馬食わず」と呼ばれており有毒植物であるが

たとえ毒があっても触れてみたい花であった。

今朝はまだ咲き始めたばかりで蕾が多かったが

直ぐに満開になるだろう。ぜひ写真を撮りたいと思う。



今朝は義父の姿が見えずどうやら朝寝坊をしているようだった。

稲刈りがあった日の夜には必ず打ち上げがあり

飲み過ぎて二日酔いになることが多い。

休める日にはゆっくりと休ませてやりたいと思うのが当然だろう。


10時頃には事務所に下りて来てくれたが

今日は溜まっていた車検を済ましてくれることになった。

書類作成のみだが4台もあり私も忙しくなる。

途中で来客があったりで中断しお昼を挟み午後に持ち越す。

3時になっても終らず整形外科へ電話を掛けた。

今日はリハビリと診察があったが来週に延期してもらう。

U君に会えるのを楽しみにしていたが「恋心」どころではない。

義父の手が空いているうちにやるべきことをと思う。


4時になりやっと一段落し今日の仕事は終りである。

今夜は娘達が夕食不要とのことで山道を帰った。

ねむの木も仙人草も愛で家路を急ぐ。

四万十大橋が見え始めるととてもほっとする。

もう仕事の疲れも感じなかった。


夕食は手抜き。冷蔵庫にある物で済ます。

私は無性にカレーが食べたくなりレトルトを温めたが

夫は「レトルトは不味い」と云って食べたがらない。

何を食べかと云うと昨夜の焼きそばの残りである。

お昼にも食べたそうだがまだ残っていた。

食べ終わるなり「もう焼きそばは見たくない」と云って二人で笑う。


6時前に娘とめいちゃんが帰って来た。

めいちゃんは学習塾に通い始めており勉強が楽しいとのこと。

学校を休んだ日も塾には行くのだから気に入っているようだ。

昼間は宿題の日記を5日分も書いたのだそうだ。

きっとプチ旅を思い出しながら書いたのだろう。

今度は冬休みだろうか。また遊びに行けたら良いなと思う。


お風呂で苦手なシャンプーをした。目が痛くて辛くてならない。

ドライヤーで軽く乾かし今は捩じり鉢巻きをしている。

そうするとシャキッとして何とも爽快になるのだった。


苦手なことは他にもいっぱいあるが

諦めていたら何も出来なくなってしまう。

生きているうちにクリアーして行かねばならない。


例えば苦手な人と握手をするようにである。


※以下今朝の詩


      静寂

  静寂が押し寄せて来る
  風さえも眠っているようだ

  私には声がない
  顔もない足もない

  それなのに揺れる
  おそらく波なのだろう

  生きたことばかり
  縁多き人生であった

  たとえ会者定離であっても
  出会ったからこその今である

  ひっそりと静まり返る
  動いてはならないのに
  心の襞が揺れ続けている

  やがて風が目を覚ますだろう
  そうして私の在処を示す

  「ここに居なさい」
  やっと声が聴こえて来た





2026年08月25日(火) 夕暮れ賛歌

夜明け前には小雨が降っていたが日中は概ね晴れ。

湿度が高いせいか蒸し暑くてならない。

今日も九州を中心に猛暑となり熊本の八代市では39℃を超えていたようだ。

未だ断水が続いている地域もあり何とも気の毒でならない。

避難所暮しなら尚更の事、どんなにか苦労を強いられていることだろう。


大気も不安定で関東や北海道ではゲリラ豪雨もあったようだ。

不穏な報道ばかりで気の休まる日が一日もない。

台風もしかりで沖縄の奄美地方では今夜から大荒れになりそうである。

こればかりはどうしようもなく被害のないことを祈るしかない。


四万十は申し訳ない程に平穏であった。

残暑は厳しかったが今日も猛暑日にならずに済む。

ちいさな秋を見つける日もあり心はとても穏やかである。



今朝は職場に着くと義父が放心したように座り込んでいた。

訊けばコンバインの修理に手間取り午前2時まで掛かったのだそうだ。

今日は予定通りの稲刈りで朝寝坊も出来ない。

珍しく「今にも倒れそうな」と弱音を吐いていた。

心配でならなかったが友人達が揃うと勇ましく出掛けて行く。


私はお昼のお弁当を任され少しは役に立ちそうである。

宿毛市の「ほっかほっか亭」に注文し買い求めに行く。

宿毛市内の地図には不慣れで最初は道に迷ったが

あっちこっちしているうちにやっと辿り着く。

義父達のお弁当と一緒に私と同僚の分も買った。

大好きな「鶏そば」である。何と美味しかったことだろう。


稲刈りは順調らしく軽トラック2台がひっきりなしに帰って来た。

あらあらと云う間に乾燥機がいっぱいになる。

乾燥機は三機あり何とも大掛かりであった。


工場はリコール修理が一台のみで後は待機である。

同僚は軽トラックから乾燥機に入れるのを手伝っていた。

同僚もお米を作っているので慣れているようだ。


事務仕事も特になく今日も定時で帰路に着く。

何だか眠くてならなかったがカーブスで元気になった。

いつものお仲間さん達の笑顔も嬉しい。


買い物を終えて4時半に帰宅。

笠原メイさんは甥っ子さんとイオンに行ったのだそうだ。

そんなほのぼのとした日記が好きでならない。


10分程茶の間で寝転べばもう5時である。

娘が先に活動を始め私も直ぐに後を追う。

揚げ物は娘に任せ私は焼きそばを作った。

お昼にも焼きそばを食べたので今夜はもういいかなと思う。

しかし夫がガツガツと食べてくれてほっとする。


めいちゃんはどうやら宿題と闘っているようだ。

あやちゃんは台所に顔を見せていたが直ぐに消えてしまった。

おそらく夕食の偵察に来たのだろう。それも微笑ましく思う。


日に日に夕暮れが早くなっており直ぐに夜になる。

それも秋の気配だと思うと夜も楽しみなものだ。


※以下今朝の詩


      糸

  毎日まいにち糸を切る
  そんな仕事もあった

  それは縫製工場から運ばれて来て
  縫い終わったばかりのワイシャツ
  長い糸もあれば短い糸もあった

  糸切りばさみで丁寧に切る
  決して布地を切ってはならない

  確か一枚5円ではなかったか
  一日2百枚は切らねばならない

  幼い娘がぐずって泣く
  おむつが濡れたのだろう
  お腹が空いたのかもしれない

  そんな10分の時間が惜しい
  母でありながら糸を切る
  切らなければ終らない一日

  そろそろ夕食の支度である
  買物に行けば千円が消えた
  糸を切らなければ食べていけない
  一枚でも多く糸を切ろうとおもう

  夜になり眠っている間も
  糸を切る夢を見ていた

  娘はすやすやと寝息を立てている



2026年08月24日(月) 秋待ち顔で

溶けてしまいそうな夏空。「処暑」とは名ばかりだったのか。

気温は33℃に留まっていたが陽射しを浴びると眩暈がする。

全国的にも厳しい残暑となり滋賀県の大津では39℃を超えていた。

どうやら南海上の台風の影響らしいがどうなのだろう。

太平洋高気圧と押しくらまんじゅうをしているようだ。


朝の山道は木陰が多いせいかずいぶんと涼しく感じる。

しかしお遍路さんの姿はもう幾日も見かけない。

炎天下も歩かねばならずまだまだ厳しい旅であった。


例のねむの木が7回目の花を咲かす。

奇跡を通り越してまるで夢のようである。

それにしても昨年は全く気づかなかったのが不思議だった。

いったいいつ植えられた木なのだろうか。



職場に着くと義父がコンバインの修理をしていた。

今日も稲刈りの予定だったが明日に延期したとのこと。

何としても今日中に直さねばならず必死の作業である。

乾燥機は空になっており5トンの荷づくりが出来ていた。

しかし11トン出来ないと運送屋さんが来てくれないのだそうだ。

まだ半分に足らずとにかく残りの稲刈りを急がねばならない。


機嫌はとても良く話し掛ければ笑顔を見せてくれる。

それが何よりもほっと嬉しかった。

おまけに今日は奈良県から帰省している人がお米を買いに来てくれ

大きなワゴン車に20袋も積み込んでいた。

もちろん即金で支払ってくれて義父も大喜びである。

奈良で釣り堀と食堂を経営しているのだそうだ。

昨年も買ってくれたがお客さんの評判もとても良いらしい。

遠く離れた奈良で高知の「三原米」を食べてくれるなんて

何とも光栄で有難いことである。


工場の仕事も落ち着いており定時で帰路に着く。

3時にはカーブスがある商業施設に着いていたが

今日も駐車場が満車状態で停めることが出来なかった。

どうしようかと迷ったが一気に屋上駐車場へ行ってみる。

屋上にも「あったかパーキング」あることを今日まで知らなかった。

しかし確かにあるはずのエレベーターが見つからない。

エスカレーターには遠かったので階段を下りやっとカーブスへ着く。

お仲間さん達と手を振り合っていたらÅさんが笑いながら

「選挙運動みたいなね」と云って「白い手袋が要るね」と皆で大笑いになる。

そうなればもう楽しくてならない。そうして元気溌溂となる。


帰宅したら朗報があった。義妹に合う血液が見つかったとのこと。

さっそく輸血が始まりもう心配なさそうだった。

経過を診てペースメーカーも嵌めるそうで入院予定は2ヶ月である。

長期の入院となるが退院する頃にはすっかり秋になっているだろう。

病院勤めを退職してからもずっと働き詰めの日々であった。

例え心臓の病でもゆっくり休養させてやりたいと思う。

高知市内の病院なのでそうそう面会には行けそうにないが

義弟の長男が高知市内に住んでいるので面会に行ってくれるそうだ。

義妹にとっては幼い頃から可愛がっていた甥っ子なので

きっと安心して喜んでくれることだろう。


生きていれば苦難もあるのが当たり前のような世の中である。

元気に暮らしていても天災や病には勝てない。

しかし希望を捨てず前向きに生きることは出来るのだと思う。

終らない夏はない。やがて爽やかな秋の風が吹き始めるだろう。


※以下今朝の詩


      海

  波と砂と私と海と
  恋しい人と哀しい記憶

  裸足になって歩いていた
  寄せては返す波の悪戯
  足跡が消えることは
  失うことに似ている

  いっそ死のうとおもう
  そうして忘れてしまいたい

  あのひとの決心が悲しい
  明日が怖くてならなかった

  目を閉じて奏でるギター
  青いバイクの力強い音

  どうして消えないのだろう
  まるで底の見えない海である

  16歳の夏であった
  死ねなかった私は今も生きている



2026年08月23日(日) 退こうとする夏に

二十四節気の「処暑」夏が退き秋の気配を感じる頃だが

全国的に厳しい残暑になったようだ。

ランキング一位は広島県で39℃を超す猛暑となる。

九州各地も猛暑となり熊本は38℃を超えていた。

四万十は33℃で猛暑日にはならずに済む。

しばらくは晴天が続くが朝の気温が少し下がりそうである。


今朝は4時のアラームで目覚めていたがそのまま二度寝をしてしまう。

再度目覚めたら5時を過ぎており我ながら驚く。

日課の詩どころではなくなり直ぐに朝食の支度を始めた。

茶の間に居た夫が「よう寝れたかよ」と何と優しいことだろう。

日曜日はゆっくり出来るように仕向けてくれたのだ。


朝の家事もそこそこにまた茶の間で横になる。

今度は朝寝で9時過ぎまで寝ていた。

地区の中割金の徴収があり集会所へ行ってからサニーマートへ。

剣先イカが豊漁らしく随分とお安い。

鮪や鰹は高くとても買えない値段だった。


お昼には「ちゃんぽん」と「炒飯」を作る。

先日の野菜炒めの残りを冷凍してあったので

ちゃんぽんに入れたらとても美味しかった。

夫も大喜びで二人してお腹がはち切れそうになる。


そうなればまたお昼寝でぐうたらを貫くしかない。

目覚めたら2時半であった。30分程自室で過ごす。

昔「処暑」と云う詩を書いたことを憶えていたが

もう既にネットの藻屑になっていると諦めかけていた。

もしやと思い古いホームページで探してみたら奇跡的に残っていた。

19年も昔の詩で何と懐かしいことだろう。

もうその頃の感性は全く無く二度と書けない詩であった。


誰かに読んで欲しい。それは自己満足の成りの果てであったが

一か八かとSNSにリンクを貼ってみた。

そうしたら千葉の古い友人が読んでくれたようだ。

「いいね」がこれほど嬉しいことはなかった。

他にも6人程読んでくれて大きな励みとなる。

諦めてしまえばそれでお終いであるが見つけられて本当に良かった。


また茶の間に戻り夫とテレビを観ていたが

4時が近くなると発作のように自室へ駆け上がる。

笠原メイさんはバスに乗って外出をしていたそうだ。

「いい日」で良かったがやはり疲れが残る。

病気さえなければ毎日でも出掛けられるのにと思った。

顔も声も知らず会ったこともない彼が我が子のように感じられる。


夕食後、夕焼け空がとても綺麗だった。

あらあらと云う間に辺りが暗くなってくる。

そうして暮れていく一日が宝物のように思えた。


2007年8月23日の詩



2026年08月22日(土) 今日よりも明日

安定の晴れ。気温は33℃に留まり猛暑は和らいでいた。

九州では今日も厳しい残暑に見舞われ

熊本の水俣市では38℃を超えていたようだ。

せめて少しでも秋らしさをと願うばかりである。


東京ではゲリラ豪雨。幸い浸水被害はなかったようだが

危うく千葉の二の舞にもなり兼ねなかった。

短時間での大雨ほど怖ろしいものはない。

日本中が平穏になるのはいったいいつのことだろう。



今朝は夫の車で通勤。早目に車検を受けることにした。

同僚の手が空いているうちにと思う。

タイヤ交換やオイル交換等と高額な車検整備となった。

二時には車検が完了し乗って帰ることが出来る。


義父は朝から籾摺りで出荷の準備に余念がない。

今日は2トンの袋詰めが完了する。

訊けばまだ二回の稲刈りが控えているのだそうだ。

何だか気が遠くなるような目まぐるしさである。


お米の出荷先は高知市内の大きな米問屋だが

やはり昨年の半分以下の価格だと云うこと。

昨年のお米がまだ倉庫に沢山残っているのだそうだ。

それでも買い取ってくれるのだから有難いことである。

「骨折り損のくたびれ儲け」であるが決してゼロではなかった。


タイヤ交換をした夫の車はハンドルが軽くなり絶好調だった。

しかしカーナビの操作が分からずラジオが聴けない。

仕方なくテレビモードにしNHKを聴きながら帰る。


3時には帰宅しており30分程自室で過ごしていた。

笠原メイさんの日記が早めに更新されていてほっとする。

その後は茶の間で横になりいつの間にか寝ていたようだ。

今週はお盆休み明けのせいか何とも辛かった。

とにかく午後は眠くてたまらない。

お昼寝の癖が付くと厄介なものである。


夕食後ひと休みしてお風呂に入ろうとしたら

浴槽にお湯が溜まってなくてがっかりである。

夫はシャワーなのでお湯張りスイッチを押し忘れたのだろう。

仕方なく私もシャワーで済ませたが何とも物足らない。

夫に文句を云っても始まらず黙っておくことにした。


めいちゃんのダンス教室のある夜だがお休みするのだそうだ。

訊けば夏休みの宿題を殆ど手を付けていないとのこと。

流石に焦って来たのだろう。それも可哀想でならない。

私も子供の頃に経験が在るが宿題は少ない方がずっと良い。


義妹からは一切の連絡が無くその後の経過も分からなかった。

医師からの説明もなく「家族なのにな」と夫も嘆いている。

以前に母も入院していた病院であるが

弟夫婦が毎日面会に行ってくれたのでそのつど報告があった。

医師からの説明も確かにあったと記憶している。

義妹の場合は何が違うのだろうと理不尽に思えてならない。

「まあそのうちに」と夫も心配を遠ざけようとしているが

一番辛く不安なのは義妹なのを忘れてはならない。


夜空の月はもう半分ではなかった。

今日よりも明日とふっくらと膨らんでくることだろう。


※以下今朝の詩


       波

  見えるもの見えないもの
  知っていること知らないこと

  さてこれからである
  一歩進んで二歩下がる
  足の痛みを引き摺りながら
  与えられた道を歩いて行く

  百日紅ほうせん花鶏頭と
  花達はゆっくりと秋になり
  私を取り残そうとしている

  老いには勝てないのか
  いや闘ってみないと分からない
  負けることを怖れてはならず
  立ち向かって行かねばならない

  若き日の記憶が押し寄せて来る
  まるで波のように足を掬われる

  転んでしまえばもう起き上がれない
  歯を食いしばって足を踏ん張るのだ

  残り少ない人生ならば尚更のこと
  生きた証を残さねばならない

  私を忘れないでください

  こんなにも生きていたことを
  波ならばきっと知っている






2026年08月21日(金) 平穏はまん丸い

朝の爽やかさもつかの間、日中は厳しい残暑となる。

全国的にも九州を中心に猛暑日となり

佐賀県では39℃を超え熊本県も38℃を超えていた。

暑さ寒さも彼岸までと云うが後ひと月の辛抱であろうか。

潔く去れない夏に秋の気配が押し寄せて来そうである。


国道沿いの向日葵は撤収。種を採る為か2本だけ残してあった。

山里の県道沿いには黄花コスモスや鶏頭が咲く。

百日紅は散らない。おそらく9月一杯は咲くだろう。

職場の庭には露草の花。柿の実も見られるようになった。



やっと稲刈り第二段となり義父の友人達が集まっていた。

コンバイン2台で刈り軽トラックも2台である。

準備が整うと義父を先頭に皆が勇ましく出掛けて行く。

工場にはひっきりなしに稲籾が運び込まれていた。

見る見るうちに乾燥機がいっぱいになる。


工場は開店休業状態であったが義父から待機を命じられていた。

パンク修理が一件のみ。事務所にも支払いのお客さんが来てくれる。

後は同僚と暇を持て余すばかりであった。

二人してここぞと云わんばかりにサボりまくる。

同僚はスマホ。私はパソコンでネットサーフィンだった。

お世話になっている整形外科のホームページを見ていたら

「スタッフ紹介」のページにU君を見つける。

マスクはしておらずにっこりと微笑んでいる写真であった。

もうそうなれば乙女心は爆発しどうにも止まらない。

写真をプリントアウトしてU君の姿だけ切り抜く。

その写真を事務机に貼り付けてしまったのだった。

同僚に見せたら大笑いになり「イカレテいる」と云われた。

そうなのだ。私はイカレテしまったのだと思う。

しかし恋する乙女にとってはとても大切な宝物である。


同僚は5時半まで待機で申し訳なかったが

定時で終わらせてもらいカーブスへ向かう。

3時過ぎには着いていたが駐車場が満車状態だった。

「あったかパーキング」にも無許可の車が停めてある。

仕方なく第二駐車場へ行ったがそこも満車状態だった。

ここまで来て諦めて帰る訳には行かない。

最後に屋上駐車場へ行ったら停め放題であった。

エスカレーターで一階まで下りてやっとカーブスに辿り着く。

その時点でもう疲れ切っておりカーブスどころではなかったが

「へこたれるな、頑張ろう」と自分を励ましていた。

遅い到着となり顔なじみのお仲間さん達が次々に帰って行く。

何だか取り残されてしまった気がして寂しかった。


買い物を終えて4時半に帰宅。直ぐに自室へと向かった。

笠原メイさんはとある文芸賞の一次予選を突破したそうだ。

これ程の励みがあるだろうか。自分の事のように嬉しかった。

若い人はいつも輝いている。彼が眩しくてならない。


5時を前にしてめいちゃんが台所でドーナツを作っていた。

穴のあるドーナツではなく沖縄の「サーターアンダギー」なのだそうだ。

スマホのネットで見つけて挑戦してみたらしい。

出来上がったのをご馳走になったがとても美味しかった。

「おじいちゃんにも」と云ってお皿に載せて運ぶ姿も微笑ましい。

夏休みも残り少なくなったがきっと良い思い出となるだろう。


平穏はまん丸い。齧ればほんのりと甘い。

そんな平穏を何としても守り抜かねばならない。


※以下今朝の詩


      半分

  夜風が朝風に変わる頃
  月は真っ二つに切られ
  西の空に浮かんでいる

  天使に刃は似合わない
  それならばいったい
  誰が切ったのだろうか

  風は噂話をしながら
  私の罪を暴こうとする
  身に覚えのないことを
  決めつけようとしている

  認めれば楽になるそうだ
  証拠も在りはしないのに
  私が刃を隠し持っていると
  理不尽な尋問を続けようとする

  とうとうその時が来た
  東の空が薄っすらと明るみ
  爽やかな風が頬を撫でる

  やはり私だったのかと思う
  それは月しか知らないこと
  半分しか残っていない
  いや半分も残っている



2026年08月20日(木) 案ずるより産むが易し

雲が多かったが概ね晴れ。やっと大気が安定したようだ。

しばらくは晴天が続くようでやっと稲刈りが出来そうである。

気温は35℃に達し猛暑日となったが

真夏の猛暑に比べると過ごし易く感じる。

九州各地では今日も厳しい残暑に見舞われ気の毒でならない。

福岡の久留米市、熊本の八代市等38℃を超えていたようだ。

しかしゆっくりと秋の気配が近づいて来ている。

日が短くなればいっそう朝晩も涼しくなるだろう。

昨年は10月まで暑さが続いたが今年はどうなのだろうか。

秋が無いまま冬になるのだけは勘弁して欲しいものだ。



仕事は車検入庫が無くタイヤ交換とオイル交換でやり過ごす。

いつも支払いの遅いお客さんなので売上の期待は薄いが

する仕事があるだけで有難いことだと思う。

義父は鍼灸診療所と眼科の通院で朝から出掛けていた。

おかげで久しぶりにお昼休憩が出来る。

同僚もスマホを操作したりしてのんびりモードであった。


2時には義父が帰って来て一気に緊張感が走る。

昼食は市内で済ませて来たそうで直ぐにまた籾摺りを始めた。

明日は2回目の稲刈りとのこと。友人達が手伝いに来てくれるのだそうだ。

今日中に乾燥機を空けなくてはならず夜まで掛かることだろう。

しかしもう袋詰めはなく一トン袋に入れるので少しは楽らしい。

工場の中は積み上げられた米袋でいっぱいになっていた。


今日も定時で退社。わくわくしながらカーブスへ向かう。

昨日もU君と話したのだが「継続は力」だと励ましてくれた。

筋肉が付けばきっと痛みも和らぐことだろう。


買い物を終えて4時過ぎに帰宅したが夫はまだ帰っていなかった。

病院は2時からの面会なので遅くなるだろうと思っていたが

5時には帰って来て義妹の容体を話してくれた。

貧血が酷く輸血が必要なのだが血液型がRHマイナスなのだそうだ。

これまで大きな病気もしなかったので全く知らずにいて驚く。

しかし病院側が責任を持って血液を探してくれるそうでほっとした。

調べたら日本人の0.2%しか居ないのだそうだ。

高知の田舎で探すのはとても無理に思える。

その上に貧血の原因も調べなくてはならない。

どうやら長期戦になりそうで義妹が憐れでならなかった。


夫は腰痛が酷く痛み止めを服用していたので

車の運転は行きも帰りも義弟がしてくれたそうだ。

義妹からガソリン代を貰ったそうでちゃっかりしている。


心配すれば切りがないが病院に居ればきっと大丈夫だろう。

お医者様に任せて病状が落ち着くのを待たねばならない。

「悪い方に考えたらいかんぞ」夫の言葉に頷いた夜であった。


※以下今朝の詩


      夢想花

  眠りの底に咲く花を見た
  名も知らぬ花であったが
  何故か懐かしくてならない

  目覚めれば消えてしまうだろう
  その一輪を手折ることが出来ない

  天の国ならば母が居る
  きっと種を蒔いたのだろう
  花に囲まれて暮らしたいと
  願っていたのに違いない

  「母さん」と呼んでみた
  しかし母の姿は見えなかった

  花は咲き誇っている
  まるで命だったかのように
  その証を残そうとしていた

  夜は深まって行くばかり
  夜風はもう秋なのだろう

  暗闇の中でその花は輝き
  花として生きようとしている



2026年08月19日(水) 老いらくの恋

今朝も夜明け前に雨が降っていた。

日中は晴れるのだから不思議な天気であった。

稲は陽射しさえあれば直ぐに乾くのだが

田んぼに雨水が溜まると稲刈りが出来ない。

山里にはまだ刈られていない稲が沢山残っている。


気温は32℃程、猛暑は和らいでいたが

九州を中心に今日も厳しい残暑となったようだ。

ランキングでは熊本市がトップで38℃を超えていた。

いったい何の仕打ちだろうと気の毒でならない。



仕事はまずまずの忙しさ。同僚は車検整備を。

義父はエアコン修理をしながら籾摺りをしていた。

他にもエアコン修理の依頼があるのだが今は手に負えない。

お客さんもどんなにか暑いだろうと気遣うばかりである。


事務所には昨日車検が完了したお客さんがもう支払いに来てくれた。

月末が近づいておりどんなにか助かったことだろう。

今のところ資金はあるが大口の支払いを控えている。

毎月の事だが月末は大きな山であった。

如何にして登り切るか腕の見せ所である。


整形外科のリハビリがあり今日も定時で退社した。

義父に声を掛けると「おう!」と今日も機嫌が良い。

腰痛の上に片目は見えないが義父も必死で頑張っている。


病院は混雑していたが10分も待たずにU君が呼んでくれた。

二人でエレベーターに乗った時にふとU君の胸に目が行く。

体格が良いからだろう胸板が盛り上がっており乳首が見える。

黒いポロシャツだったがそれははっきりと目に獲れた。

どきどきが止まらない。いい歳をしてU君に「男」を感じたのだ。

穴があれば入りたいくらい恥ずかしくてならない。

これはやはり老いらくの恋であろう。人生最後の恋に違いない。


施術中にはお盆で帰省していた友達と飲み会をしたことを話してくれた。

とても楽しかったそうで良かったなと思う。

他にも訊きたいことがいっぱいあったが根掘り葉掘りはいけない。

いかにもオバタリアン丸出しで乙女心が制止するのであった。


買い物を終えて4時半に帰宅。真っ先に自室に駆け上がる。

笠原メイさんは幸せな日記を書いてはいけないのだと記していた。

「僕は不幸でなくてはならない」その言葉が胸に沁みる。

ただ家族とピザを食べに行っただけで日記の閲覧数が大きく減るのだそうだ。

それは違うだろうと私は思う。どんな日もあって良しなのだ。

体調の悪い日ばかりでは書いて浄化することは出来ない。


夫は腰痛が酷く義妹の病院に付き添うことが出来なかった。

義弟から連絡があり何とそのまま入院になったと聞き驚く。

よほど症状が悪化していたのだろう心配でならなかった。

入院手続きもあり明日また義弟と一緒に病院へ行くことになった。

「這ってでも行かんとな」と妹思いの夫が頼もしく思う。

本来なら私も一緒に行くべきだが夫は「おまえはええぞ」と云う。

気掛かりでならないが夫達の帰りを待つことになった。

どうか大事に至りませんようにと祈る事しか出来ない。


義妹もまさか入院とは思ってもいなかっただろう。

どんなにか心細く不安な夜を過ごしていることか。

せめて星をと夜空に手を合わせている。


※以下今朝の詩


    日々草

  一か八かである
  やってみないとわからない

  立ち向かう勇気とか
  そんな綺麗ごとを
  並べ立てていると
  奇跡のようなことが
  輝き始めるのだった

  突っ走った若き日
  夢は叶うと信じていた
  怖いもの知らずであり
  挫けることもなかった

  とうとう古希となり
  走るどころか
  歩くこともままならない

  与えられた一日が尊い
  一日一生だと胸に刻む

  古びた衣の綻びを
  繕うことも出来なかった

  それでも生きてさえいれば
  きっと辿り着く場所がある



2026年08月18日(火) 宝物のような記憶

大気がよほど不安定なのだろう。

夜明け前には雨が降り日中は概ね晴れる。

山里には「今ノ山」と云う高い山があるせいか

午前中は雨が降ったり止んだりだった。

稲刈りは今日もお預けである。


気温は33℃に留まり猛暑は和らいでいたが

九州では今日も厳しい暑さだったようだ。

ランキングでは大分市が一位で熊本もその後を追う。

厳しい暑さの中を復旧作業に携わる人達の苦労を思うと胸が痛む。

報道は日に日に少なくなっており余計に気掛かりでならない。



職場の直ぐ近くの県道添いに3本の百日紅が並んでいる。

桃色、朱色、白色と満開になっており心が惹かれる。

青空によく映え見事な美しさであった。

夏の花の何と逞しいことだろう。まるで暑さを楽しんでいるようだ。


仕事は大忙しと云う程でもなくそこそこの活気であった。

明日からしばらくは車検予約もなくどうなることだろう。

同僚には義父の作業を手伝ってもらうのが良いかもしれない。

稲刈りは出来ないが乾燥機には籾摺り待ちのお米が満杯になっている。

30キロの袋詰めにするのも大変な作業で腰痛持ちには辛いことだろう。


しかし義父は上機嫌であった。今日は新米を持ち帰るように云ってくれたが

玄米なので精米しなければならない。

夫の腰痛も酷く以前のようには行かなくなっている。

それと義父には申し訳ないが新潟のお米を取り寄せていて

そのお米がとても美味しいのだった。

毎回10キロずつ購入しているが白米なので直ぐに炊けるのが良い。

山里のお米は「三原米」と呼ばれブランド化されているので

新潟米にも劣らない美味しいお米であった。

特に義父の作るお米はとても評判が良いのである。

昨年の半値以下と云う価格であっても少しでも多く出荷をと願う。


機嫌の良い義父に声を掛けて今日も定時で退社した。

カーブスで心地よく汗を流しケーキ屋さんに向かう。

今日は娘の45歳の誕生日であった。

何もしてやれないがケーキなら孫達も喜ぶだろうと思う。


サニーマートでは三割引きのサイコロステーキ肉を4パック買った。

それだけあれば夫も遠慮せずに食べられるだろう。

もちろん娘夫婦も孫達もお腹一杯に食べられる。

帰宅して冷蔵庫を開けたら既にケーキの箱が入っていた。

しかも私が買ったケーキ屋さんの箱と同じなので愉快でならない。

誕生日のケーキを自分で買うなんてと思ったが

後から訊けばめいちゃんが食べたかったのだそうだ。


サイコロステーキは柔らかくてとても美味しかった。

夫が娘に「誕生日おめでとう、おかげで肉が食える」と云って大笑いになる。

いつものように家族団欒は無かったが笑顔が一番に思う。


娘とは仲良し母娘ではないのかもしれない。

しかし幼い頃から「おひさま」のような娘であったことは

私を母親として成長させてくれた「光」なのではないだろうか。


もう45年もの歳月が流れたが

娘が生まれたあの夜のことは私にとって宝物のような記憶であった。


※以下今朝の詩


       産声

  ちょうどお臍の辺りである
  胎児の踵があった
  くすぐると動き回り
  まるで笑っているようである

  朝から陣痛が始まり産院に行く
  しかしお昼には痛みが無くなり
  途方に暮れるばかりであった

  夕方が近くなり再び陣痛が始まる
  今度こそと思う何としても産みたい

  産院に夕陽が射し込み
  茜色の夕焼け空が見えていた
  エアコンなど無い時代である
  汗が滝のように流れていた

  分娩室へ行くとするりと生まれた
  しかし産声が聞こえないのだった
  「お願い、泣いて」と大声で叫ぶ

  助産婦さんが赤子の両足を持ち
  逆さまにしてお尻をぱんぱんと叩く

  「おぎゃあおぎゃあ」と元気な泣き声が聞こえた

  涙が溢れ出て来る
  それは嬉しさよりも安堵であろう

  昭和56年8月18日午後7時25分

  2650グラムの女の子が生まれた




2026年08月17日(月) ここは私の部屋

雨のち晴れ。一時は強く降る時間帯もあった。

気温は33℃に留まり猛暑は和らぐ

このまま秋らしくなって欲しいと願うばかりである。

今日も「最高気温ランキング」を見たが

大分の豊後高田市が37℃越えでトップであった。

熊本や福岡もランキング入りしており九州は猛暑が続いている。

幸いゲリラ豪雨の報道はなかったがこれも油断はならず

千葉豪雨のような大きな水害がいつ起きるか分からない。

自然の猛威には逆らえず人は皆明日は我が身であった。



久しぶりの朝の道がやはり好きでならない。

残念ながらお遍路さんの姿は見えなかったが

そろそろ秋遍路さんも歩き始めることだろう。

一人でも声を掛けられるように心掛けたいものだ。


化石の紫陽花街道を抜けると例のねむの木がある。

僅かであったが花が残っておりほっとした朝であった。

峠道には猫じゃらしが見え始めていた。

他にも名を知らない草の穂が所々に見られる。

何だか小さな秋を見つけたようで嬉しかった。


職場に着くと義父の姿は見えなかったが

乾燥機に稲籾が沢山入っていた。

籾摺りもしていたらしくお米の袋も積んでありほっとする。

居室から下りて来た義父に声を掛けると

満面の笑顔でとても機嫌が良かった。

お天気がイマイチで稲刈りはまだまだこれからだそうだ。

一気にとは行かず順調には程遠い。

しかし片目でも稲刈りは出来ると云った通りになった。


工場には車検整備の車が2台入庫しており同僚も忙しい。

義父は宿毛市までバッテリー交換の出張に行ってくれる。

それから個人の買取の人が来てくれてお米が一トン近く売れた。

直ぐに収入になるので義父は大喜びである。


午後には義父にカーブスへ行くことを告げ定時で退社した。

今日はいつものお仲間さん達に会えるので楽しみでならない。

手を振り合い笑顔を交し合い何と楽しかったことだろう。


買い物を終えて4時半に帰宅。直ぐさま自室へ向かった。

笠原メイさんは体調が優れないようだったが

いつものように淡々とした日記に心が和む。

心配してはいけないのだろうと思う。

彼は書きながら浄化されているのに違いない。


それから10分程茶の間で横になっていた。

お盆休み中の昼寝が祟ったのだろう眠くてならない。

夫が「早く日常に慣れろよ」と助言してくれた。


直ぐに5時になり娘と夕食の支度を始める。

今日はお豆腐が特売だったので「あんかけ豆腐」である。

娘が手早くお豆腐を揚げてくれ私は「あん」を作った。

めいちゃんも台所に居て横に並ぶと私の背丈と変わらない。

夏休みの間にまた背が伸びたようだ。

すらりと長いカモシカのような足。いったい誰に似たのだろう。


夕食は夫より先に食べ終え「ごっちょさん」と席を立った。

それもいつもの事なので夫も慣れているようだ。

私達夫婦が食べ終わらないと娘達は決して食べようとはしない。

そんなちぐはぐな暮らしにもすっかり慣れてしまった。


入浴も急いではならない。娘婿が先にシャワーを浴びる。

決して浴槽に浸からないのも気にならなくなった。

些細な事を気にしていたらキリがない。

夫も私も「汚い」のなら仕方ないことだと思う。


もう直ぐ同居してから12年となるが

娘達は一向に出て行く気配はなかった。

めいちゃんが自分の部屋を欲しがっており

私の部屋を差し出すようにと娘はそれとなく云うが

それだけは絶対に譲るわけにはいかない。

出来るなら私が死ぬまで待って欲しいと願っている。

詩もこの日記も書けなくなる。それは私にとって「死」にも等しい。


※以下今朝の詩

  
     羽根

  秋の虫が鳴いている
  どうやらコウロギのようだ
  羽根を擦り合わせている
  その姿を見たことはないが
  彼らの「いのち」の音であった

  私には羽根がない
  泣けば涙が出て来る
  両の手を合わせて
  祈ることは出きた

  もっともっと永くと
  欲深い祈りである
  ある日突然の死を
  怖れ続けている

  健気な虫たちであった
  明日をも知らぬ命である
  鳥に見つかってしまえば
  捕えられ啄まれてしまう

  しかし誰も嘆きはしない
  それが自然界の掟であろう

  歌うように生きている
  いまを謳歌しなければ
  何の為に生まれて来たのか

  羽根はやがて擦り切れるが
  哀しい声であってはならない









2026年08月16日(日) それぞれの人生

朝のうち少しにわか雨が降ったが日中は概ね晴れ。

空には夏の入道雲と秋の鱗雲が一緒に見えていた。

例年ならお盆を境に秋めいてくるが

今年はまだまだ残暑が続きそうである。

毎夕「最高気温ランキング」を見るのが日課になっており

今日は上位を熊本県の各地が占めていた。

報道が少なくなり被災地の様子が分からなくなったが

未だ断水が続いている地域があるようだ。

避難生活をしている人も多く何とも気の毒でならない。

せめて暑さが和らいでくれたらと願うばかりであった。



お盆休みもやっと最終日。気は急くばかりで早く仕事をしたい。

休みが続くと素足で過ごすので今朝は夫が足の爪を切ってくれた。

「しぶしぶ」であったが丁寧に切り揃えてくれ嬉しくてならない。

早速サンダル履きでサニーマートへ行った。

真っ先に美容院へ行きシャンプーを頼んでみたが

メニューには無いそうで「すみません」と断られてしまう。

昨夜は入浴時間が遅くなり洗うことが出来なかったので

髪の毛がべとついており不快でならなかった。


夕食の買物はそこそこに。一昨日買い求めた物が冷蔵庫にある。

後は「ひと口カツ」用の豚ロースを3パック買った。

昼食は夫の注文でまたローソンへ行き冷やし中華を買う。

サニーマートにも売っているがローソンの方が美味しいのだそうだ。


今日も満腹になり茶の間で寝転ぶ。

3時まで寝るつもりだったが1時半にはもう目が覚めてしまった。

自室で過ごせばまた煙草ばかり吸ってしまうので

なるべく避けたかったが退屈には勝てなかった。

SNSのタイムラインにも飽きてしまって

仕方なくまた昨年の11月の日記を読み返す。

自分にはお薦めだが他の誰が読み返すだろうかと思った。

全く書いた記憶のない詩も私にはとても新鮮である。

3時まで粘りまた茶の間に行き夫と高校野球を観ていた。

高校野球も観ていれば少しずつ興味が湧いて来るものである。

最近は坊主頭の球児が少なくなったようだ。

あまり長髪は好まないが高校生らしい髪型が多い。

中には素晴らしくイケメンの選手もいて乙女心がときめく。


4時前まで茶の間で過ごしまた自室へ戻った。

中毒はもはや重症で今日も「笠原メイ」さんである。

どうしてこうも惹かれるのだろうと不思議でならない。

日記を読み終えるとすうっと気分が爽やかになる。

それはきっと彼の持って生まれた才能なのに違いない。


5時前には義妹宅へ。皆で送り火を焚いた。

義弟の孫の「りっくん」も小さな手を合わせ可愛らしいこと。

「またらいねんもかえってきてね」とちゃんと言えた。


義妹は昨日からの不調を引き摺っており今日も酷く顔色が悪い。

心配でならなかったが水曜日に高知市内の専門病院へ行くことになっている。

義弟が運転手で夫も付き添うことになった。

おそらくペースメーカーが必要となるだろう。

障害者になるがその方がずっと安心に思う。

妹ではあるが私より二歳年上であった。

看護師をしていた病院を退職してからも働くことを止めず

昼間は内職、夜はタクシー会社に勤めていた。

それとなく夫に仕事を辞めるようにと相談したが

いくら兄の助言でも素直に聞き入れるかは分からなかった。

結婚もせずに母親の介護を続けていた義妹が憐れでならない。

私とほぼ同年代であっても人生は本当に様々なのである。


ある日突然を危惧するのは私だけではなかった。

義妹もどんなにか不安で心細いことだろうか。


※以下今朝の詩


      終い盆

  ひそひそと雨が降っている
  もしもしと風が吹いている

  そろそろ帰らなければならない
  遺して置いた傘はあるだろうか

  母はパチンコ屋さんに居た
  閉店になるまで玉を弾き
  フィーバーしたのだった
  もう嬉しくてならない

  景品をリュックに詰め込み
  背負うとその重みが笑っている
  あのひとにも分けてやりたい  
  友達の顔が目に浮かんでいた

  牛に乗って戻るのだそうだ
  つぶらな瞳の大きな牛である

  よっこらしょとその背に乗ると
  もう何も遺す物が無いのに気づく
  まあいいかとあっけらかんと笑う

  一雨ごとに秋が深まっていく
  里の稲が実り秋桜が咲くのだ

  牛の背に乗るともう振り向かない
  何も思い残すことなどなかった





2026年08月15日(土) 馬と牛と老婆心

曇りのち晴れ。朝の内は随分と涼しく感じた。

日中の気温も31℃に留まり猛暑も峠を越えたようである。

今朝は洗濯物を干そうと外に出たら百日草がぐったりと萎れていた。

大切にすると云っておきながら昨夕水遣りを怠ったせいだろう。

「ごめんね、ごめんね」と謝りながら急いで水を掛ける。

夏の花でも暑さに弱い花もあることを忘れてはならない。


今日はカーブスのお盆休みが終わりやっと再開であった。

5日ぶりのことでわくわくと楽しみでならない。

10時からなのでしばらく時間を潰してから出掛ける。

しかしいつものメンバーの姿は見えず残念であった。

コーチも忙しそうで会話もなかったが

それなりに心地よく汗を流して帰って来た。


昼食はローソンで調達し夫は味噌ラーメン、私はたらこパスタにする。

ローソンのラーメンは初めて買ったが具が多く夫は喜んで食べていた。

私は「一風」のラーメンが食べたかったがしばらくお預けになりそうだ。


午後はまたお昼寝体制に入ったが一時間ほどで目が覚めてしまった。

夫は高校野球を観ていたが、私はまた退屈との闘いである。

自室のエアコンを点けSNSを徘徊するばかりであった。

一時間で10本もの煙草である。もうどうしようもなく自分を責める。

仕方なくまた茶の間に戻り夫と高校野球を観ていた。

今日勝ったチームは準々決勝に進むのだそうだ。

それにしても高校球児の体格の良いのには驚く。

ついつい股間に目が行くオバタリアンであった。


4時前には再び自室へ。麻薬患者のように笠原メイさんの日記を読む。

そうそう毎日は「めいなさん」に会えない。

めいなさんも忙しいのだなと思うことにした。


夕方から義妹宅へ。今夜はお盆の食事会であった。

あやちゃんを誘ったら珍しく反応が良かったので

出掛けに声を掛けたが眠っていて残念であった。

娘に話したら「あやが行くわけないやん」と叱られてしまう。

どうしてそんな風に決めつけてしまうのだろう。

老婆心が疼き涙が出そうになった。


義妹は不整脈の発作が起き今日は大変だったようだ。

車の運転も出来ず義弟の嫁が買物に行ってくれたとのこと。

本来なら長男である夫と私が仕切るべきことなので

何とも申し訳なく心苦しくてならなかった。

義妹は度々発作があるらしく今後も心配でならない。

皆それぞれに老いには勝てなくなったのだろう。


後片付けは娘に任せて私は一足先に帰って来た。

入浴を済ませパソコンの前に座るとほっとする。

いつものようにしていないとどうにも落ち着かないのだ。


明日にはもう送り火を焚かなければならない。

「お盆」とは本当にあっけないものである。

馬に乗って急いで帰り牛に乗ってゆっくりと帰るのだそうだ。


※以下今朝の詩


     続・育子先生

  育子先生に会いに行った
  手土産に抹茶練乳アイス
  チャイムを鳴らしたら
  杖を頼りに玄関まで来てくれて
  先生は私の手を握り絞めていた

  その柔らかな手のぬくもり
  銀のような真っ白い髪
  薄化粧をした頬の輝き
  とても91歳には思えない
  精気を感じたのだった

  胸に熱いものが込み上げて来る
  しかし涙よりも笑顔を選ぶ
  先生は私の手を撫で続けていた

  「まだまだこれからよ」
  その声にどれほど励まされたことか
  不安でならなかった私の生き方が
  否定され希望へと繋がって行った

  先生がきらきらと眩しい   
  老いにも負けず輝いている

  胸を張って生きて行こう
  諦めずに立ち向かって行こう

  庭の大きな欅の木は
  濃い緑の葉をたわわに茂らせ
  秋の始めの風に揺れ続けていた






2026年08月14日(金) お母さん?何処に居るの?

曇りのち晴れ。山里ではにわか雨が降ったそうだ。

稲刈りは一向に進まないが義父は焦らずに構えている様子。

電話越しの声も明るくほっとした昼下がりであった。


千葉では記録的な豪雨に見舞われ8人もの命が失われたそうだ。

平成10年の高知豪雨に匹敵する大水害となり心が痛む。

停電も発生しておりどんなにか不自由を強いられていることだろうか。

人は自然の猛威に逆らえない。そんな現実に圧し潰されしまいそうだ。

どうか一日も早い復旧を。亡くなられた人達の冥福を祈るばかりである。



今朝は地区の初盆のお宅にお供えを届けに行く。

今年は3軒で例年よりも少なかった。

以前は夫と二人で訪ねていたが昨年から夫と義弟の役目となった。

私は楽になったが何となく心苦しくてならない。

高齢者ばかりが亡くなり地区もどんどん寂しくなって行く。


9時の開店に合わせてサニーマートへ。

早目に行ったのが良かったのか駐車場が空いていて助かる。

店内は今日も混雑しておりいったい何を買えば良いのか。

めいちゃんの好きな「豚ニラキムチ」の材料を買った。

その足で近所のローソンに寄り「冷やし中華」を買う。

ローソンも県外ナンバーの車が多く大混雑していた。

顔なじみのオーナーに「大儲けやね」と声をかけ笑い合う。


昼食は冷やし中華と冷凍炒飯で今日も満腹となる。

夫は「お盆、お盆」と喜びビールを飲んでいた。

その後は例の如くでお昼寝であったが2時間程で目が覚めた。

退屈でならずしばらく自室でぼんやりと過ごす。

今日は昨年の10月の日記を読んでいた。

我ながら読みごたえがありすっかり読書気分である。

全く書いた記憶のない詩も多く新鮮味も感じられた。

毎朝夜明け前に心から絞り出したような「結晶」ようなものだ。

SNSでは不評だが私は書いている自分が好きでならない。

自己陶酔だろうか以前には「自慰行為」だと云われた事もあった。



4時前には笠原メイさんの日記が更新され嬉しい。

日記の中に従姉妹の「めいな」さんが登場していた。

本当に偶然であるが我が家のめいちゃんも「めいな」であった。

そうして親近感がいっそうに増す。まためいなさんに会いたいなと思う。


娘が部屋をノックして来て急きょ夕飯不要になったとのこと。

娘婿のお兄さんが帰省していて実家で食事会をするのだそうだ。

それもお盆らしく微笑ましく思う。

あやちゃんはお留守番であったがめいちゃんは大喜びで出掛けて行く。


夫と相談して夕食は昨夜の残り物で済ますことにした。

豚ニラキムチを作っても夫はあまり好まないのだ。

冷蔵庫に入れてあった焼き鳥とハムカツをチンして食べる。

夫には大好物の「めじかの生節」を買ってあった。

二人きりだと夕食も楽である。「上等じゃないか」と夫と笑い合う。

あやちゃんの夕食が気になったが娘は何も云わずに行った。

おそらく帰宅するまでお預けなのだろう。

それもいつものことであやちゃんも慣れているようだった。

もう何年も父親の実家に行ったことがない。

下田のおばあちゃんも会いたがっていることだろう。


日は少しずつ短くなっているようだが外はまだ薄っすらと明るい。

土手の道を散歩している人の姿がぼんやりと見える。

昨夜、母は帰って来なかった。いったい何処に行ったのだろう。


※以下今朝の詩


      鉄砲百合

  山肌から伸びる純白の花
  いったい何を撃とうとするのか
  その凛とした逞しさに胸が鳴る

  たくさんの仲間たち
  皆が一斉に同じ方向を向いている
  長い茎は折れもせず萎れもしない

  戦地であってはならない
  戦うために咲いた花ではないのだ

  夏草が生い茂るそのはざまで
  山からの風に吹かれていると
  秋の気配を感じる季節であった

  撃つならば私を撃てばいい
  痛みも苦しさも受け止めよう

  胸を差し出せば心が打たれる
  純白の花に平和を祈った



2026年08月13日(木) 三度目の盆帰り

曇り時々晴れ。猛暑は和らいでいたが蒸し暑さは変わらない。

エアコン無しではとても過ごせず我が家はフル稼働であった。

関東ではゲリラ豪雨があったとのこと。

雨が降れば涼しいが降り過ぎても戸惑うものである。

幸い被害の報道は無かったが明日も注意が必要になりそうだ。


お盆に入り何だか空気がぴりぴりしているように感じる。

霊感が強いせいかもしれないが沢山の霊が見えるようだった。

「盆帰り」は一年に一度のこと。霊も仏さんになり帰って来る。

昨日は母の位牌に手を合わせて来た。

今年も我が家にきっと帰って来てくれるだろう。

母にとっては三度目のお盆である。



朝の内に薬局へ先日不足していた薬を受け取りに行く。

郵送も出来るが「立ち合い」が必要とのことで簡単には行かない。

薬局から赤鉄橋を通り市街地を抜けサニーマートに行った。

駐車場は満車状態でしばらく待機しやっと停めることが出来る。

店内は大勢の人で混雑しておりカートを押すのも大変だった。

握り寿司やオードブルが並びお刺身用の魚は驚くほど高い。

とにかく安い物をと焼き鳥用のせせりを買って帰る。


昼食は「ざるうどん」で済ませ例の如くでお昼寝であったが

2時間程で目が覚め後は自室で過ごしていた。

退屈しのぎに昨年の9月の日記を読む。

詩は「昭和シリーズ」を書いており懐かしくてならない。

日記に転記していなければ書いたことも忘れてしまっただろう。

もう一年にもなるのかと思うと感慨深いものがあった。


一時間程読み耽っていたが煙草の量がハンパない。

一箱があっという間でほとほと嫌気が差して来る。

何とか禁煙出来ないものだろうかと自分を責めるばかりであった。


途中で部屋を抜け出し洗濯物を畳む。

めいちゃんの小さなブラジャーが可愛い。

後ひと月もすればもう12歳の少女であった。

今朝はSNSに三歳の頃の写真を掲載したが秘密にしてある。

知っても決して怒りはしないだろう。むしろ喜ぶような気がした。

「こんな頃もあったね」それは大切な思い出のアルバムであった。


4時になると笠原メイさんの日記を読みそれを日課とする。

親近感は湧くがまだ一度も声を掛けたことがない。

遠くからエールを送りたい彼はそんな存在である。

同時に私も励まされているような気がするのだった。


5時になり娘が焼き鳥を焼いてくれた。

後は冷蔵庫にある頂き物の夏野菜を素揚げにして

私は大好物のゴーヤのきんぴらを作った。


めいちゃんが出掛ける準備をしていたので訊けば

木曜日なのにダンス教室があるのだそうだ。

いつもより遅い時間だったが夕食も食べずに娘と出掛けて行く。

先日プチ旅から帰って来てから我が家は賑やかになったが

声は聞こえても姿が見えない日々が続いている。

おじいちゃんの夫が云うには「もう子供じゃない」のだそうだ。


私もいつかは仏さんになるがお盆が楽しみでならない。

帰る場所がある。ひ孫の顔だって見ることが出来るのだ。


※以下今朝の詩


      仏壇

  子供のころ仏壇が怖かった
  扉が開いているといっそう
  ゆうれいが棲んでいるように思う

  父方の祖父はいつも寝ていて
  笑った顔を見たことがなかった
  家の中で走り回っていると
  「うるさい」と怒鳴り声がする

  七歳頃だったろうか
  その祖父が死んでお葬式があった
  従姉妹が「お別れしようね」と
  おそるおそるお棺の中を覗くと
  今まで見た事も無いような寝顔で
  安らかに眠る祖父の姿が見えた

  死んでしまったら仏壇に入る
  子供心にまるでお墓のように思う
  蝋燭の炎まっすぐに立てられたお線香

  仏間には確かに季節があったが
  春だったのか夏だったのか
  思い出すことが出来ずにいる

  仏壇の中から手が伸びて来て
  髪の毛を引っ張られるような気がした

  祖父はゆうれいになったのだと思った




2026年08月12日(水) まだまだこれから

今朝はほっとするような涼しさであった。

もしかしたら秋かも知れないと思いつつ

いやいやまだ早いと心がせめぎ合っていた。


台風が東から西へと異例のコースを辿ったせいらしい。

一時的に秋めいて来たのか日中の猛暑も和らいでいた。

次は台風17号である。15号とほぼ同じコースのようだ。

関東を直撃する台風は珍しくやはり異常気象なのかもしれない。

どうして他人事に思えようか。いつだって明日は我が身であった。



今朝は予定通りの納車。お客さんの家は国道沿いなので助かる。

今度こそ不備はないことを伝えお客さんもほっとしたようだ。

奥さんは大喜びでさっそく私物の荷物を積み込んでいた。

安物の中古車であっても自分の車は嬉しいものである。


ご主人が軒下に吊るしてあった玉葱を取ってくれた。

遠慮なく頂き助手席に転がし山里の職場に向かう。

山道では例のねむの木を愛で黄花コスモスを愛でる。

いつもの良心市でニンニクを買った。

大きなスイカも並んでおり季節感が漂う。


職場に着くと工場にコンバインが2台並んでいた。

いよいよ稲刈り目前である。義父も上機嫌で準備に余念がない。


午後から少し時間の余裕が出来たので今日こそはと育子先生を訪ねた。

二人で手を取り合って再会の喜びを交した。

胸が一杯になり今にも涙が出そうになる。

育子先生は心配していた通り足が不自由になっていたが

張りのある声は昔と変わらず満面の笑顔である。

とても91歳には見えない精気が感じられた。

私が弱音を吐けば「まだまだこれからよ」と励ましてくれる。

心細さも不安も一気に救われたような気がした。

こんな私でも応援してくれる人が居る。

何だか奇跡のように思えてならない。

つかの間の再会であったがとても濃い時間であった。

「また会いに来てね」まるで永遠の約束のようにして別れる。

私もこれを最後にしてはならないと念じるように思った。


私が昔から好きでならなかった大きな欅の木。

一度は病気になり枯れてしまったが

今は濃い緑の葉をたわわに茂らせている。

そんな生き方もあるのだ。まだまだこれからなのだと強く思う。


※以下今朝の詩


     百日草

  朝に夕に水を遣る
  そうしないと直ぐに
  萎れてしまうのだった

  百日咲くと云うその花は
  赤や黄色の花弁を装い
  夏の陽射しに立ち向かう
  その健気さに胸を打たれる

  哀しい事など在りはしない
  けれども時々ふっと
  切なくなる時がある

  長く生きていると
  知りたくなかったこと
  見たくなかったことが
  日々押し寄せて来るのだった

  こころに蓋が出来ずにいる
  見て見ぬ振りも出来やしない

  受け止める度に強くなる
  花ならば花として生きよう

  百日目の姿を目に浮かべた
  最後まで微笑みを絶やさず
  ちいさな秋を待っていたい




2026年08月11日(火) 明日の風を待ちながら

雲が多かったが概ね晴れて厳しい残暑となる。

今日は全国で高知県が一番暑かったらしく

高知市をトップに江川崎、南国市と上位を占めていた。

高知市では「よさこい祭り」が行われており

踊り子さん達にもどれ程堪えたことだろう。

それでも笑顔を絶やさず元気に踊る姿は感動的である。


気掛かりだった台風15号は今夜関東に上陸とのこと。

暴風雨となれば不安な夜になるに違いない。

どうか大きな災害がないことを祈るばかりであった。



「山の日」で職場は休みであったが

例の中古車のエアコン部品が入庫する予定だったので

義父が一人で仕事をすると張り切っていた。

修理が完了すれば納車もしなければならず私も出勤する。

お客さんの初盆のお宅にもお供え物を届けなければならない。

義父も気忙しい事だろうと案ずる気持ちもあった。


いつも通りに出勤すると義父は工場の片付けをしており

ほぼ徹夜で今朝の4時半まで作業をしていたのだそうだ。

若者ならともかく高齢の義父の無茶ぶりに驚く。

2時間程仮眠をし夜明けと共にまた作業である。

工場は見違えるように片付いており随分と広くなっていた。

稲刈りが始まるとお米だらけになるのでもう大丈夫だろう。


10時頃、義父の彼女さんがやって来た。

まさか私が来ているとは思ってもいなかったのだろう。

一瞬戸惑っているように見えたが直ぐに打ち解ける。

働き者の彼女さんらしくせっせと義父を手伝っていた。


お昼にやっと部品が届く。宅配便も大忙しのようだ。

それから義父の手際の良いこと。二時間で修理が完了した。

直ぐに納車をと思ったがお客さんが外出中とのこと。

私が市内まで乗って帰って明日の朝納車することになった。

エアコンは完璧で最初からリビルト部品を使っていたらと悔やまれる。

利益は大幅に減ったがお客さんの喜ぶ顔が一番であった。


4時半に帰宅。育子先生の顔が目に浮かんだ。

今日はきっと会いに行こうと思っていたのに叶わなかったのだ。

自分で決めていたことなのに何だか約束を破ったような気がする。

もしかしたら待っていてくれたかもしれないと思うと

後ろめたくてならず自分を責めずにはいられなかった。

忙しさのせいにするなんて何て卑怯なのだろう。


そんな時にはいつも明日はあしたの風が吹くのだと思う。

出来なかったことも明日は出来るかもしれないのだ。

きっと爽やかな風に違いない。そう信じて眠ることにしよう。


※以下今朝の詩


     影踏み

  記憶の影を踏んでいる
  それは老いてからの
  愉しみでもあった

  走り回る影を踏む
  頭だろうか足だろうか
  痛くはないはずなのに
  胸が締め付けられる

  父の影母の影弟の影
  かつて家族であった頃
  しあわせの意味も知らず
  全てが当たり前に思えた

  影は笑わない影は泣かない

  踏めば逃げる影を追い駆ける
  降り注ぐ陽射しを浴びて
  吹き抜ける風を見ていた

  ゆらゆらと影が揺れている
  決して消えないと信じていたが
  何と儚い影だったのだろう

  踏むほどに蘇る記憶であった
  父を踏み母を踏み弟を踏んだ








2026年08月10日(月) いま会いに行きます

薄い雲に覆われた空。陽射しも弱く暑さは和らいでいた。

夜明け前には爽やかな風が吹いておりちいさな秋を感じる。

長期予報では雨の日が多いが晴れたら厳しい残暑になるとのこと

燃え尽きる夏をこの目で確かめねばならない。


今朝は出勤しようと家を出るなりお向かいの庭先に目が行った。

すると一昨日写真を撮らせてもらった百日草が姿を消している。

そうだったのかとやっと気づいた。一鉢のみの花だったのだ。

気の毒でならなかったがお向かいの奥さんの好意が嬉しかった。

花好きの奥さんなのにそれを惜しげもなく届けてくれたのである。

何と云う優しさだろうと感動で胸がいっぱいになった。

大切にしなければならない。決して枯らしてはならないと思う。



お盆休みも近くなり工場の仕事は一段落していたが

義父は今日も工場の片付けに精を出していた。

同僚も手伝っておりまるで親子のように見える。

義父は上機嫌で嬉しくてならない様子であった。

片付けが整えばいよいよ稲刈りであるが

お天気が安定しない限り先延ばしになりそうである。

どの農家さんも同じで義父の焦りも薄れており何よりに思う。

どうやら稲刈りはお盆明けになりそうだった。

刈り始めたらあっという間だがどれ程忙しくなることだろう。


2時に退社し市内の内科病院へ向かった。

今朝で薬が切れてしまいぎりぎりの通院である。

診察は取り止め薬の処方だけに留めた。

医師とはほんの僅かの面談で済む。

病院はガラガラに空いており職員の方が多い。

それだけ若い医師は頼りないのだろう。

何だか診察を受けなかったのが気の毒に思えた。


病院から直ぐにカーブスに行きたかったが

薬局で30分も待たされどうしようもない。

薬の在庫が足らないのだそうだ。

とりあえず20日分だけしか受け取ることしか出来なかった。

残りの40日分は後日また来なければならない。


3時半を過ぎており大急ぎでカーブスへ向かう。

今日を逃したら盆休みとのことで土曜日まで休みだった。

お仲間さん達ともしばらく会えないので「良いお年を」と云い合う。


買物を終えて4時半に帰宅したらポストに封書が届いていた。

先日詩を送った「育子先生」からで嬉しくてならない。

私の詩が嬉しくて何度も読み返してくれたそうだ。

最近は足腰が弱り杖を欠かせないそうだが元気そうでほっとする。

句集も同封されてありご主人と一緒に俳句を詠み続けているようだ。

その俳句の何と素晴らしいことだろう。目から鱗であった。

これこそが本物の俳句だと感動で胸がいっぱいになる。

そうして「会いに行こう」と躊躇わずに思う。

いつが最後になるか分からない。後から後悔だけはしたくなかった。


縁を貫く。縁なくしてどうして出会ったのだろうと思う。


※以下今朝の詩


      灰汁
 
  沸騰すると灰汁が出る
  その泡のような塊を
  丁寧に掬うのだった

  私は肉だ
  どうしようもなく肉である

  骨と血にまみれた肉にも
  いのちのようなものがある
  沸き立つお湯ならばなおさら
  激しい痛みに耐えねばならない

  牛だったのか豚だったのか
  もう忘れてしまったが
  最初に首を落とされたことは
  忘れることが出来ずにいる

  私はそうして肉になった
  もう草を食むことも出来ない

  しかし殺されたとは思わない
  元々肉になるために生まれた
  毎日たくさんの餌を食べて
  逞しく育って来たのである

  灰汁は生まれた時からあった
  きっと母親に似たのであろう

  さらりさらりと生きて行けない
  欲深くいつも何かを求めていた

  灰汁はいのちの結晶である
  そのいのちを捧げようと思う






2026年08月09日(日) 百日草が届いた日

朝のうち小雨が降っていたが日中は曇り空となる。

気温はそう高くはなかったが不快な蒸し暑さであった。

台風13号は中国大陸へと遠ざかったが

15号はやはり東北地方に上陸しそうで気掛かりでならない。

稲も穂が出始めている頃だろう大きな痛手となりそうだ。

暴風雨に晒される東北の人達を思うと他人事ではなく

どうか最小限の被害で済むことを祈らずにいられなかった。


今朝はお向かいの奥さんが百日草の鉢植えを届けてくれる。

昨日写真を撮らせてもらったのだがもう一鉢あったらしく

花の少ない我が家には嬉しい頂き物になった。

おそらく秋が深まるまで咲き続けることだろう。


朝のルーテインを済ませてから一時間程うたた寝をする。

それも日曜日の恒例となり我ながら愉快でならない。

9時にはサニーマートが開店なので買物に出掛けた。

帰省客だろうか観光客だろうか大勢の買い物客である。

店頭では牛肉の串焼きを売っており香ばしい匂いがしていた。

一本780円もし貧乏人にはとても手が出ない値段である。

娘達が夕食不要とのことで安価なステーキ肉を買い求めた。

一枚あれば十分で夫の大好物である。


昼食にはまたフライパンで巨大なお好み焼きを作った。

夫と半分こにして食べるのだがかなりのボリュームである。

夫は今日も食べ切れず残りを私のお皿に移していた。

食欲はあるのだが加齢のせいかすっかり少食になっている。

それでも食い意地が張っているのが愉快でならない。


お腹がはち切れそうになりふうふう云いながら寝転ぶ。

そのまま3時まで寝てしまい何と怠惰なことだろう。

日曜日は食べて寝るのが仕事であった。


その後は自室のエアコンを点け一時間程過ごす。

昨年の八月の日記を読んでいれば退屈はしない。

それにしても一年の経つのが何とも早く感じられる。

つい昨日のことのように思い出されることばかりであった。


4時前には笠原メイさんの日記が更新され読み終える。

楽しみと云うよりももはや「日課」であった。

読まないと一日が終らない何だか「麻薬」のようである。

淡々としているが何処かに深みがある文章であった。

それが癖になるのだ。そうして「中毒」になって行く。


今朝は例の「ねむの木」の詩を書いたが

AIの響君に訊ねると6回も咲くのはとても珍しいのだそうだ。

ねむの木には「百日咲き」もあるそうで

新梢が伸びて二次的に花を咲かす習性があるらしい。

恵みの雨が降れば尚更のことで花芽がまた新しくなるようだ。


そんな詩を書いたところで誰も感動しない。

自画自賛で感動しているのは私だけなのに違いない。

褒めてくれるのはもちろんAIの響君だけであった。

褒められるのに慣れてはいけないと思うが

それが一縷の望みに繋がっているのだと思う。

救われなくて報われなくてどうして書き続けることが出来るだろう。


※以下今朝の詩


    奇跡

  五回も枯れて
  六回咲いた花がある

  山道の途中に在る
  ちいさな集落であった
  民家の畑の片隅で
  それは低木であるが
  初夏から花を咲かせた

  薄桃色の天使のような花で
  今にも空を舞いそうである

  枯れてしまえば茶に染まり
  木にしがみつく憐れな姿
  それが明くる日には散り
  緑の葉だけを残すのだった

  夏は深まり厳しい暑さが続く
  幾日も雨の恵みは在りはせず
  乾いた土に締め付けられる
  苦しいと叫ぶことも出来ず
  ただ耐え続ける日々であった

  秋が立ちにわかに雨が降る
  やっと息苦しさから救われた日

  その木は六回目の花を咲かす
  まるで奇跡のような花であった





2026年08月08日(土) 健気に生きる

曇り時々晴れていたが何度かにわか雨が降る。

よほど大気が不安定なのだろう。

山里では稲刈りも中断され農家は頭を悩ませている。

気温は31℃に留まり随分と過ごし易いが

たとえ猛暑になっても晴天が望ましい。


今朝は夫を助手席に乗せて職場に向かった。

軽トラックの車検が完了したので引き取りに行ったのだが

ラジオがうるさいと電源を切ったり

私のアクセルの踏み方が下手だと文句を云ったり

なんだかんだといちゃもんを付けて不愉快でならない。

朝の道の楽しみもすっかり台無しであった。

「こんな人なのだな」と改めて思う。

しかしそれでも最愛の夫には違いないのであった。


仕事は朝から忙しく義父と一緒に平田町まで納車に行く。

名変書類に実印が必要だったので同伴したのだが

義父の機嫌がとても良く車中の会話も弾んだ。

それが本来の義父の姿なのだろう。

お客さんは数年前にご主人を亡くされ独り暮らしである。

世間話も無くてはならず義父の優しさが感じられた。


会社へ戻るとまた工場の片付けを始めて同僚も手伝っていた。

それも嬉しかったのか機嫌は増々良くなる。

お昼には例の中古車を引き取りにお客さんが来てくれた。

上機嫌で帰って行きなんとほっとしたことだろう。

しかし30分後それが大逆転する。

市内まで30キロの道のりだがエアコンは順調に効いていたとのこと。

ガソリンを満タンにしスーパーに寄ったら急に温風に変わったそうだ。

「もう泣きたい」と嘆くお客さんを必死の思いで宥め

直ぐに同僚が代車に乗って市内へと向かった。


義父も私もがっくりと肩を落とす。

やはり中古部品では完璧ではなかったようだ。

「欲すれば損をする」で原価を少しでも抑えようとしたからである。

義父の腕は確かで右に出る者はいないと思う。

そんな義父に直せないエアコンはこれまで一台もなかったのだ。

同僚が帰るのを待ちながら義父と相談しリビルト部品を注文することにした。

しかし今日は部品屋さんが休みでどうすることも出来ない。

「月曜日のことよ」と義父を宥めやっと少し落ち着いたようだ。

わずか20万円の中古車である。利益は減るが仕方ないことだった。


どんな日もあるものだがこんな日は気が滅入る。

商売の厳しさを改めて感じた一日だった。

山あり谷ありの日々を何としても乗り越えて行かねばならない。


いつもより早く4時に帰宅。30分程自室で過ごしていた。

笠原メイさんの病気は息子の元お嫁さんの病気と同じのようだった。

前々からそうではないかと思っていたのだが今日は確信する。

息子は離婚を決断したが結果的にはそれで良かったのだと思う。

実家へ戻り環境が一気に変わったおかげで今はとても落ち着いているそうだ。

けい君とはほぼ毎日電話で話しているそうで寂しさもないだろう。

息子とは決して憎み合って別れたのではない。

病気さえなかったらずっと「平和な家族」でいられたのだと思う。


人はみな宿命のようなものに左右されて生きている。

個々に与えられた日々は生まれる前から決まっていたのだそうだ。

だからこそ受け止めて健気に生きていかねばならない。

ああすれば良かったこうすれば良かったと思うよりも

これで良かったのだなと思えるような生き方をしたいものだ。


※以下今朝の詩


      坂道


  坂の途中で腰を下ろした
  少し休みたくなったのだ

  大きな栴檀の木陰で
  風に吹かれていると
  八日目の蝉だろうか
  鳴きじゃくっている

  終る時は皆そうだろうか
  静かに眠るように逝きたい
  泣くことも鳴くことも
  忘れたほうが楽になる

  焼けたアスファルトの熱が
  風に揉まれるように吹く
  夏の記憶はどうしてこうも
  切ないのだろうとおもう

  そろそろ立ち上がろうか
  いつまでもここにはいられない

  坂道は遥かに続いていて
  遠く彼方に私の在処がある




2026年08月07日(金) 秋が立った日

台風の影響だろう激しい雨が降ったり止んだり。

ざあっと降ったかと思えば陽射しが射したりと忙しい空であった。

台風は沖縄から遠ざかっているようだが

明日もまだ少し影響が残りそうである。

気になるのは15号で東北地方を直撃するかもしれない。

四国には影響がなかったがとても他人事には思えなかった。


朝の道の鉄砲百合が一斉に花開く。

純白の花が道路に向かって咲いており圧巻である。

何だか見られているようで照れくさくてならない。

鉄砲百合は園芸品種であるが野生化している事が多く

山肌や道端に群れるように咲き何とも可憐な花であった。



仕事は今日もリコール修理で予定通りに順調に捗る。

残りは後一台だがお盆明けに実施することになった。

お盆用のしきびを栽培している農家さんで掻き入れ時のこと

忙しくてリコールどころではないと笑い飛ばしていた。


義父は午前中に眼科へ。右目の失明は一向に治りそうにはないが

少し視野が明るくなったそうで何よりに思う。

しばらくは眼科通いが続くが少しでも見えるようになって欲しい。


午後からは例のエアコン修理が完了し私が試運転に出掛けた。

村内を5キロ程走ったが異常はなくもう完璧に思える。

義父の太鼓判も在りお客さんに連絡したら

明日また引き取りに来てくれることになった。

既に代金は頂いており気の毒でならない。

本来なら市内まで納車するべきであった


義父は機嫌が良くまた工場の片付けを始めていたが

「カーブスへ行くけん」と告げると「おう」と承諾してくれる。

おかげで後ろ髪を引かれることもなく帰路に着いた。

カーブスではいつものメンバーに加えてバド仲間だったTさんに会い

見覚えのあるバドのTシャツを着ていて懐かしくてならない。

彼女も膝の痛みを抱えておりもうバド復帰は無理かもしれなかったが

一生懸命に筋トレをしている姿に励まされた。

バドは生涯スポーツであり80歳になっても出来るだろう。

彼女には諦めないで欲しいと心から願った。


4時過ぎに帰宅。今日も15分程自室で過ごす。

日課の笠原メイさんの日記を読み終えてから5時まで茶の間で過ごした。

夫は高校野球を観ていて退屈ではなかったようだ。

生きている事が俺の仕事だと云う。今日も元気で何よりである。


夕飯はあやちゃんの大好きな海老フライだったが

姿を見ないままにすっかり夜になった。

娘がトレーに盛り付けていたが食べてくれたのだろうか。

寝ているのかもしれず今も部屋は静まり返っている。


雨は降っていないが風の強い夜になった。

窓ガラスが鳴りまるで風が叫んでいるようである。

叫びたいだけ叫ばば力尽いて静かになるだろう。


順調かつ平穏無事だった一日を想う。

今日はもうお終い。こんな夜がずっと続けばどんなにか良いだろうか。


※以下今朝の詩


     ゆらゆら

  風になびく夏草のように
  ゆらゆらと生きている

  大志を抱くこともなく
  そこそこの夢を見て
  これくらいが丁度良いと
  うなずく日々であった

  いまさら花でもあるまい
  枯れて死ぬ人生よりも
  土に埋もれた種のように
  ひっそりと生きたいと思う

  あとどのくらいだろうか
  十年の歳月が心細くてならない
  老いの坂道の途中で倒れ
  寝たきりになるかもしれない

  記憶の断片を拾い集めて
  詩のようなものを書いている
  誰の心も動かすことのない
  独りよがりな作業であった

  死んでしまえば忘れられる
  無名の運命であろうか
  存在は儚く消えていくが
  生きた証を残したかった

  ゆらゆらと流れていく日々
  燃え尽きるような夏である

  そんな日々に秋が立つ
  七十回目の秋が揺れている







2026年08月06日(木) そこそこの生き方

晴れていたり雨が降ったりそうしてまた晴れたり。

おそらく台風の外雲の影響だろう。

風も強く強風注意報が出ていた。


朝の道でこれはもう感動しかない。

例のねむの木が6回目の開花を成し遂げた。

昨日ぽつぽつと咲いていたのでもしやとは思っていたが

まさかまた満開になるとは思ってもいなかった。

観賞用のねむの木だとしても驚異的である。

「また咲いたよ」と大声で叫びたい程だった。



仕事は車検整備が一段落しリコール修理を始める。

今日は一台だけだったが明日は3台の予約が入っていた。

簡単な作業なので同僚も楽そうに見える。

一気に終らせてお盆休みを迎えたいものだ。


義父は朝から工場の片付けをしていた。

稲刈りが始まると工場の半分が占領される。

大きな乾燥機も三機も備えていた。

まだまだ忙しそうであったが午後からは例のエアコン修理である。

やはりリビルト部品は高くまた中古部品を取り寄せていた。

保証などないので一か八かである。

明日は試運転となるがどうか順調にと願うばかりであった。


機嫌はまずまずであったが一言話せば三言返って来る。

まるで躾の悪い犬のようであった。

まあそれも義父らしさだと思えば気にならなくなる。

焦りつつも必死になって修理をしている姿を見ると憐れでならない。

稲刈りは予定より遅れており来週後半となりそうだ。

しばらく雨の日が続きそうなので仕方ないことだろう。


おそるおそる義父に声を掛けて定時で退社した。

カーブスではいつものメンバーが揃い笑顔を交し合う。

今日は測定日であったが結果は散々であった。

やはり本気でダイエットをしなければと思うが

もう我慢をするのが嫌でたまらない。

筋肉もしかりでまったく目に見えないシロモノなのだ。


サニーマートでまたEさんと一緒になったが

ご主人と二人暮らしとのことで買物も楽そうである。

私はてんこ盛りの買物で今日も予算オーバーだった。


4時過ぎに帰宅したら玄関にクラゲの水槽があった。

てっきりめいちゃんが帰って来たのかと思ったら

娘が買い求めて来たそうでまるで子供のようである。

以前にも飼っていたことがあったが直ぐに死んでしまい可哀想だった。

やはり小さな水槽より広い海が好ましいのだと思う。


15分程自室で過ごす。冷たいコーヒーが美味しい。

笠原メイさんはお昼に大盛イカ焼きそばを食べたのだそうだ。

一平ちゃんの方が美味しいと書いてありクスっと笑ってしまう。

彼の手に掛れば日常の些細なことも全て詩になるのである。

親近感で一杯になりますますファンになった。


私は大志を抱くこともなく「そこそこ」に書き続けている。

しかし欲深い者だから「いいね」の数がとても気になるのだった。

リポストは滅多にないがたまにあるととても励みになる。

誰かの心に少しでも届くことが出来れば本望だと思いたい。


この日記も「そこそこ」で大した事は書いていないが

忘備録のようなものだろうか。書かないと直ぐに忘れてしまうのだ。

過去の日記を読み返す度に書き残しておいて良かったなと思う。


詩は特に書いた記憶が直ぐに無くなってしまうので

ここに転記することで救われているようだ。

在り続けることは困難にも思うが

10年後にこの日記が残っていれば私の詩に会いたいものだ。


そのためには生き延びなければならない。

何としてもと思うこの頃であった。


※以下今朝の詩


     骨

  骨が折れる
  ぽきっと折れる

  精を尽くせば尽くすほど
  骨は折れやすいのだろう

  自信はあっても報われない
  欲を手放すことが出来ない

  骨折り損のくたびれ儲け
  昔の人はよく言ったものだ

  結果だけを求めていると
  思いがけない現実がある
  どうしてこんなことにと
  嘆いても何も変わらない

  骨のない人間などいない
  指先にだって骨がある

  その骨を後生大事にしよう
  折れてしまえばその時のこと

  痛みを感じながらも
  骨を頼りに生きている



2026年08月05日(水) 順調の裏側

台風の影響か風が強い一日。気温も32℃に留まり

先日来に比べると随分と過ごし易かった。

台風は日本の南海上にあり直接の影響はなさそうだが

明日からしばらくは雨の日が続きそうである。

海は大荒れとなっており今朝は海鳴りが聴こえていた。


熊本は今日も38℃を超える猛暑日となり気の毒でならない。

雨が降れば暑さは和らぐが屋根が破損した家屋も多く

雨漏りとなればそれもまた気の毒な事である。

各避難所にはエアコンが設置されたとのことで何よりだが

8千人を超す避難者が果たして守られるのだろうか。

幼い子供も高齢者もいることだろう心配でならない。



仕事はすることがいっぱいあり午前中は宿毛市へ納車に行っていた。

エアコン修理のクレームがあり再度の納車である。

今度こそ大丈夫だろうと思うがまだ安心は出来ない。

お客さんは高齢の女性でとても穏やかな人だった。

年金が支給されたら直ぐに修理代を払ってくれるそうだ。


午後は中古車の納車があり市内からお客さんが来てくれる。

これもエアコンが効かず義父が一生懸命に直してくれた。

お客さんは大満足で即金で代金を支払ってくれたが

見送って5分もしないうちに舞い戻って来た。

完璧に直っていたはずのエアコンが効かなくなっており

そんなはずはないと義父が確かめたがやはり駄目だった。

私も納車前に確かめたのだが確かに冷風が出ていた。

何だか狐につままれたような出来事である。

原因は中古部品を使用したからだと思われる。

少しでも安価にしようとしたのが裏目に出たようだ。

中古車の場合は少しでも原価を抑えなくてはならない。

義父もショックを受けていたが再度修理をすることになった。

常連のお客さんで笑顔で帰って行ってくれたのでほっとする。

しかし義父の努力が水の泡になってしまい私のショックも大きい。

良かれと思ってしたことが裏目に出ることはよくあることだが

今後の商売の教訓になった出来事だった。

何よりも義父が憐れでならない。今日も疲れ切った様子であった。


定時を少し過ぎて大急ぎで整形外科へ向かう。

今日はリハビリの後に診察もあり気忙しい。

U君に今日の出来事を話すと少し気が楽になった。

医師からは熱中症に気を付けるようにと云われ

「先生も気を付けてね」と云うと「おう、分かった」と笑顔である。

本当に優しくて気さくな医師でU君の次に好きだなと思う。


5時前に帰宅。笠原メイさんの日記は滑り込みセーフだった。

毎日読んでいると不思議なものでまるで我が子のように思えて来る。

しかし息子よりもずっと若くまだ38歳なのが分かった。

その若さから迸る詩は今日も天才的に素晴らしい。

病を抱えていてもこれ程までに意欲的な人は他にいないと思う。


5時になり夕食の支度。今日は娘に買物を頼んであった。

「今夜のおかずは何だろう」それも楽しみな事である。

物価はどんどん高くなっており予算内で納めるのは難しい。

娘にそんな苦労を押し付けるのも気が咎めたが

私よりもずっと遣り繰り上手なのが分かる。

サニーマートは高いのでフジに行ったのだそうだ。

今日は全品5%割引で予算内で買えたとのこと。

さすが娘だなと思う。毎日買物を頼みたくなった。


あやちゃんがにこにこしながら台所にやって来る。

めいちゃんが居ないと両親に甘えることが出来て嬉しそうだ。

それだけ普段は我慢をしているのだろう。

妹思いだがそんな日々が憐れにも思えて来る。

決して日陰の身にさせてはいけないのだ。

もっともっと「自分」を大切にして欲しいと願う。


「あやちゃん胡瓜を食べるかね?」「うん、食べたい」

娘がせっせと胡瓜スティックを作っていた。


※以下今朝の詩


       老い

  永遠のいのちなどないから
  誰もが老いていく

  白髪や皴はもちろんのこと
  笑窪や黒子も切なくてならない

  面影はほんの少し
  くりくりとした瞳や
  兎のような前歯
  かつて見た夢を
  憶えていること

  我武者羅に頑張らない
  出来る事を少しずつ
  こなすことが精一杯である

  報われなかった人生をおもう
  おそらくそれが
  ちょうどいい人生だったのだろう

  おばあちゃんと呼ばれ振り向く
  孫の背が伸び肩を並べれば
  過ぎ去った歳月も愛おしい

  よっこらしょと歩く
  一日が一生だと思って歩く

  もし未来があるのなら
  この目で確かめてみたい

  死んでたまるものか
  いつだって明日がある

  猛暑続きの日々に
  久しぶりに雨が降った



2026年08月04日(火) 雨降って花が咲く

久しぶりに雨が降ったが直ぐに止んでしまう。

植物や畑の作物がどんなにか待っていた雨だろうか。

断続的に降ることはなく小雨のままであった。

さすがに気温は30℃に届かず暑さは和らいでいたが

湿度がとても高くじめじめとした蒸し暑さを感じた。


松葉ボタン、マリーゴールドは暑さに強く

民家の庭先で夏を彩っている。

特に色とりどりの松葉ボタンはとても愛らしい。

彼女たちも喉が渇き雨を欲しがっていたことだろう。



今朝は出勤して来るなり同僚が体調不良を訴える。

昨夜から頭痛が酷く眠れなかったのだそうだ。

職場の直ぐ近くに診療所があり診て貰うことになったが

一時間を過ぎても戻って来ず心配になる。

診療所に電話したら点滴をしているとのこと。

どうやら昨日から熱中症になっていたらしい。

もっと早く気づいてやれば良かったと悔やまれた。

点滴が効いたのかその後は特に変わったことはなくほっとする。


義父は義父で朝から元気がない。昨日のように吠えもせず

黙々とエアコン修理を始めていた。

雨が降り出していたので農作業は諦めていたのだろう。

それにしても口数も少なくまるで病人のようであった。

片目での細かい作業も堪えていたのに違いない。

それも憐れであったが「触らぬ神に祟りなし」である。

そっと静かに見守り続けた一日であった。


2時を過ぎてから来客があり定時では終われなかったが

まだ間に合うだろうとカーブスへ向かった。

やはり大いに気分転換となり楽しくてならない。

お仲間のEさんが「今日もサニーへ行こう」と誘ってくれて

サニーマートの店内でも笑顔を交し合った。

昨日は手抜きだったので今日はポテトサラダを作ることにする。

Eさんは果物が好きだそうでキウイを選んでいた。


4時半に帰宅。自室で15分程過ごす。

笠原メイさんの詩に「向日葵が靴を履いて歩きたがっている」とあり

素晴らしい発想だと感嘆せずにはいられなかった。

いったい他の誰が向日葵に靴を履かそうとするだろう。

彼だからこそ書ける天才的な詩に思えた。


夕飯はポテトサラダに加え娘が海老と茄子を天婦羅にしてくれたが

あやちゃんにと買って来ていた5匹の海老天を夫が食べたがる。

「それはあやちゃんの」と制止したが箸を止めない夫であった。

今に始まった事ではないが何と食い意地が張っているのだろう。

少なければ少ないなりに遠慮をしなければならない。


娘がくすくすと笑っている。私もつられて笑ってしまった。

案の定あやちゃんが「海老はこれだけ?」と訊いているではないか。

夫には反省の色も見えずこの一件は今夜の笑い話となった。


めいちゃんがいなくて寂しい我が家であったが

皆が笑い合えることで花が咲いたようになる。

松葉ボタンだろうか小さくても健気で何とも可愛らしい花だ。


※以下今朝の詩


     一粒

  一粒でいい
  指先にくっつくほどの
  ちいさな一粒でいい

  秋になれば土に埋めよう
  そうして毎日水を遣る

  夏の陽射しがやっと和らぎ
  爽やかな秋の風が吹くころ

  かなしみはきっと癒える
  日にち薬があるのだもの
  かみさまが届けてくれた
  たいせつな薬であった

  一粒ほどの夢を見る
  ささやかな安らぎがあり
  涙の理由を忘れてしまう

  きっと芽が出ることだろう
  そうしてすくっと伸びていく



2026年08月03日(月) 夏の日の便り

酷暑日も一休み。今日は36℃の猛暑日となる。

人間の身体は不思議なもので一度40℃を経験すると

暑さに慣れるのか少々の暑さなら平気になって来る。

今日は風もあり随分と過ごし易く感じた。


しかし今日も九州地方を中心に厳しい暑さとなり

被災地熊本では40℃を超えまるで地獄のような暑さであった。

避難生活をされている方も多くどんなにか辛い一日だったことだろう。

車中泊をされていた方が熱中症で亡くなった報道もあり心が痛む。

断水も復旧せず家は無事でも毎日給水車を待たねばならない。

洗濯、トイレ、お風呂も入れず何と気の毒なことだろうか。

ただただ一日も早く復旧することを願って止まない。



工場の仕事はさほど忙しくはなかったが

義父は稲刈りの準備をしており異常な程の苛立ちを見せる。

声も荒くなり怒鳴り散らすことが多かった。


市内のお客さんに貸していた代車が故障してしまい

同僚が運搬車で搬送することになったのだが

その段取りが悪いと私に散々文句を云う。

苛立ちは頂点に達し私の無能さを酷く馬鹿にする。

パワハラまがいの事を平気で口にする義父であった。

いつものことだと我慢していたが堪忍袋の緒が切れてしまい

私も怒鳴り返していた。「もう辞める」と大声で叫んだのだった。

すると義父は「おう、もう辞めろ」と負けてはいない。

すったもんだしていたがとにかく同僚を市内に向かわせなくてならない。

もう2時過ぎの事であった。義父はまだ昼食も食べておらず

余計に腹が立っていたのだろう。腹の虫も居所が悪いのだ。


昼食を食べに居室に向かったので鬼の居ぬ間に帰ろうと思ったが

何とも後味が悪くあまりにも無責任に思えた。

30分程して義父が居室から戻って来たので

「ちゃんと食べたかね」と訊ねると「おう、食ったぞ」と機嫌が良い。

やれやれと思いながらどれほどほっとしたことだろうか。


3時に退社。もうカーブスどころではなかった。

平田町まで走ったところで同僚から電話があり

故障車のバッテリーが上がっていて始動出来ないとのこと。

Uターンしてまた会社に戻り充電機を持って行く。

お客さんはエンジンは掛かると云っていたので大丈夫と思い

同僚に充電機を持たせなかったのも迂闊であった。

義父に知れたらまた大目玉を食らったことだろう。


市内の大型商業施設に着き同僚が搬送するのを見届ける。

時計を見ればもう4時を過ぎており大急ぎでサニーマートへ行った。

頭の中が真っ白になっており夕食の献立も思い浮かばない。

お炊事をする気力もなくお惣菜を適当に買って帰った。


5時前に帰宅。笠原メイさんの日記はとっくに更新されていた。

淡々とした日常の事。それを読んでやっと気分が落ちつく。

彼の日記はまるで頓服薬のようだった。

今日も書いてくれてありがとうと応援のリポストをする。


お惣菜の「イカマヨ炒め」が美味しいと夫が喜んでいた。

「また買って来るね」とお安い御用である。


めいちゃんのいない夕暮れ時の何と寂しいことだろう。

娘も同じくで「おかさ〜ん」と呼ぶ声も聞こえない。

いつも元気いっぱいで笑顔の子がいないと

何だか灯りが消えた様な我が家であった。


今朝は中学時代の恩師の詩を書いた。

職場のすぐ近くなので訪ねることも考えたが

詩をプリントアウトして郵送で送ることにした。

私の詩や短歌をいつも応援してくれていたので

きっと喜んでくれるに違いない。

直接持って行って手渡すよりも「手紙」のほうが

想いが真っ直ぐに届くような気がしたのだ。


想うだけでは何も伝わらないのだと思う。

思い残すことが何ひとつないような生き方がしたい。


※以下今朝の詩


      育子先生

  もう10年程だろうか
  育子先生に会っていない
  毎朝家の前を通るのだが
  朝の気忙しさに紛れてしまう

  ある朝ご主人が洗濯物を干していた
  もう90歳が近いのではないだろうか
  よろよろとした動作が気掛かりでならない

  老夫婦が互いを労り合いながら
  酷暑の夏を暮らしているのだろう
  訪ねて行って暑中見舞いをしたかった

  育子先生は英語の教師だった
  私は中学に入り直ぐに転校をしたので
  育子先生に教わったのは僅かであったが
  「シープ」と発音する時の
  育子先生の唇の動きが忘れられずにいる

  歳月が流れ再会した時に
  育子先生は私の事をしっかり憶えていてくれて
  「いつでも遊びに来なさいね」と言ってくれた

  詩誌を届けたこともあった
  育子先生は目を細めながら褒めてくれて
  「頑張りなさいね」その言葉に励まされた

  育子先生お元気ですか?
  どうかどうか長生きをして下さいね

  百日紅が咲いた育子先生の家の前を
  今日も私は仕事に向かう







2026年08月02日(日) 酷暑と平穏

あまりの酷暑に燃え尽きたような一日。

江川崎では40,8℃と全国一の暑さとなった。

市街地も同じく40℃を超え全国3位の暑さである。

私の住んでいる地区は市街地から10キロ程離れていて

四万十川の汽水域であり海も近いのだが

暑さは変わらず息が詰まりそうであった。

エアコン無しではとても過ごせず朝からお世話になるばかりである。

そんな暑さの中をめいちゃんが元気にプチ旅に出掛けた。

南国市の親戚の家で一週間も過ごすのだそうだ。

いとこ達と会えるのが楽しみで笑顔で溢れていた。

きっと良き夏休みの思い出となるだろう。


朝の内少しうたた寝をしてからサニーマートへ行く。

カーブス仲間のEさんとTさんに会った。

明日また会おうねと約束をしたが叶うだろうか。

仕事の事で頭がいっぱいになっており予定は未定である。


お昼には昨夜の野菜炒めが残っており「ちゃんぽん」を食べた。

「一風」の野菜ラーメンと似ていて大満足である。

その後はお決まりの昼寝となりごろごろと3時まで寝ていた。

自室に行けば室温は40℃もありすぐさまエアコンを点ける。

いつもより早かったが笠原メイさんの日記が更新されていた。

今日は午後から美容院へ行くのでお昼に書いたのだそうだ。

小説は8月29日に発売とのこと。カレンダーに印を付けた。

詩の公募にも精力的に挑戦しており応援せずにはいられない。


4時からはまた茶の間に戻り夫とバラエティー番組を見ていた。

お素麺に塩昆布とシーチキンを入れてポン酢とごま油で味付けした物。

とても美味しそうだったので今度作って見ようと思う。


5時になりサイコロステーキを焼いた。

娘達は夕食不要とのことで助かったが台所はしんみりと寂しい。

夫がこれでもかと云わんばかりにお肉を食べていた。

その口元はやはり不気味でどうしても好きになれない。


お風呂で汗を流すと何と心地良いことだろう。

こればかりは夏の醍醐味だと思う。

冬の入浴は不安で一杯になるが夏のお風呂は大好きである。


あやちゃんの姿をちらっと見たが直ぐに部屋に籠ってしまう。

娘達は出来合いのお惣菜で晩酌を始めていたが

あやちゃんは何を食べているのだろうと気になった。

詮索をすれば娘に叱られるので老婆心に蓋をするばかりである。


午後7時20分。夕陽が沈み始めていて夕焼け空が綺麗だった。

日中は酷暑だったが今は32℃に落ち着いている。

しかし今夜も熱帯夜になるのに違いない。


義父は今日も田んぼに行っていただろう。

同僚も同じく稲刈りを間近に控えている。

山里の事を考え始めたら切りがなかった。


あっけらかんと過ごすことはけっこう難しく

何だかいつも切羽詰まっているような気がしてならない。

日曜日が終れば月曜になる。当たり前の事のように思うが

それも生きていてこそのことだろう。

明日の事が何も分からないから今日に挟む栞が欲しい。


※以下今朝の詩


    アラーム

  日曜日はおやすみ
  それが出来ずにいて
  午前四時のアラームが鳴る

  好きなだけ寝ていればいい
  夫は先に寝床を離れていた
  そんな優しさが身に沁みる

  書けるだろうか
  途方に暮れる夜明け前のこと
  たとえ日課だとしても
  自分に強いることは難しい

  開け放した窓から風が舞い込み
  真っ暗な空が薄っすらと白くなる

  冷たい珈琲とピアニッシモがあれば
  いくらでも書けそうな気がする
  詩人でもないくせに欲が出て来る

  書いたからと云って何の得にもならない
  ネットの海を漂い続ける藻屑になるだろう

  ちいさな波が押し寄せて来る
  もしかしたら書けたのだろうか

  夜明け前に足掻き続けることが
  私にとっては生きることに等しい






2026年08月01日(土) 暮れなずむ空に

夕陽が沈みかかっているが気温は34℃もある。

「灼熱」と表現するべきだろうか今日も厳しい暑さとなった。

気温は39℃であったが日本一とは行かず8位に留まる。

それだけ全国的に厳しい暑さだったのだろう。


そんな暑さの中熊本では必死の復旧作業が行われており

その甲斐あって停電は少しずつ解消されているそうだ。

しかし断水は長期戦になるそうで何とも気の毒でならない。

水が無い暮らしの過酷さを知らないがどれ程不自由を強いられていることか。

明日は我が身だと思うがとても耐えられそうになかった。



土曜日だが今日も仕事。いつも通りに朝の山道を行く。

紫陽花街道の紫陽花はずっかり化石のようになった。

ねむの木の花も枯れてしまったがもうこそ最後かもしれない。

元気なのは鉄砲百合。今日は昨日よりも花が多い。

お遍路休憩所には一輪の花も活けられていなかったが

花の少ない時期である仕方ないことに思う。


職場に着けば義父はもぬけの殻で早朝から田んぼに行ったようだ。

無理はさせたくなかったが素直に聞くような義父ではない。

山里でもぽつぽうと稲刈りが始まっており気が気ではないのだろう。

「片目でも稲刈りは出来る」と強気の義父であった。


お昼にはふらふらになって帰って来て朝食も食べていないとのこと。

いくら忙しくてもあんまり事だと思う。

「腹が減ったら戦が出来ない」と二時間程お昼休みをさせた。


午後一に昨日会えなかった建設会社の社長さんが来てくれて

修理代金を支払ってくれ何と助かったことだろう。

おかげで同僚のお給料も準備することが出来た。

ゼロになっていた資金がまた少し潤う。商売は面白いものだ。


土曜日だからと定時で退社した。

「チョコもなかジャンボ」を食べながら帰る。

何と至福の帰り道だろうか。嬉しくてならなかった。

3時半に黒潮町のお客さんと会う約束をしていて

ローソンの駐車場で先日の修理代を受け取った。

いつもは分割のお客さんだがボーナスが入ったのだそうだ。

ボーナスもやはり無くてはならないと同僚の顔が浮かぶ。


4時前には帰宅していて自室でひと休みしていた。

笠原メイさんが小説を2作発表するのだそうだ。

詳しいことはまだ分からなかったが本になるのなら買い求めようと思う。

いったいどんな小説なのだろう読むのが楽しみでならない。


その後は5時まで茶の間で過ごしていた。

夫が録画してあった番組に近藤真彦が出ていて興味深い。

四万十川へ食を求めて旅する番組でけっこう面白かった。


夕焼け空を仰ぎながらこれを記し始めていたが

辺りはすっかり薄暗くなってしまった。

気温は32℃、今夜も熱帯夜になりそうである。


めいちゃんのダンス教室がお休みとのことで

珍しく賑やかな土曜日の夜である。

ただあやちゃんの部屋は静まり返っていて声も聞こえない。

昨夜ちらっと姿を見た切りだが笑顔だったのでほっとした。


何も変わりはしないのだ。これが平穏なのだろう思う。

平凡な日常こそが何よりも幸せなのである。


※以下今朝の詩


       兎

  兎の目はどうして紅いのだろう
  かなしいことがあったのか
  むなしいゆめをみてしまったのか
  かなわないことばかりである

  夏の野原は焼けるように燃えて
  熱を帯びた風が吹き抜けていく

  草は緑を失わないように
  花は枯れてしまわないように

  兎は耳をぴんと立てて
  その声を聴き逃さずにいる

  最後に泣いたのは母さんが死んだ日
  猟師は母さんの耳を掴むと
  ぶらぶらさせながら野を去って行った

  兎は生き延びようとする
  野を駆けながら命を確かめていた
  樹々の梢の隙間から光が降って来る

  目を大きく見開くと一瞬だけ
  目が青くなった時もあった

  季節は幾度も巡って来て
  夏になれば秋を待ち侘びる

  兎の目は紅いままだったが
  遠く遥かな未来を見ているようだ









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