泡沫の記
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| 2005年01月31日(月) |
なぜ私を気にするのだろうか? |
1月20日以来の沈黙を破って ふたたびミクシィにログインしてみる。
驚いたのは、ほぼ毎日のようにKが私のページを のぞいていたこと。 私が自分の日記を更新していない以上、 もう気にもとめないだろうと思っていたのだが、 よくよく気になると見える。 私がずっとログインしていなかったのだから、 そろそろ安心しようと思っていた頃ではないのか? (ログインしていない以上、足跡もない) わたしが、本当にmixiから離れたと信じたかったのではないか?
甘い。 私は「とき」を見計らっていただけである。 それから自分の精神状態を立て直す意味もあった。 ログインして、取り乱したりしないか心配だったが 結局、自分のプロフィールをより簡潔にし、過去の日記を 全て削除し、新しく日記も書かなければ、 Kのミイミクの誰のところも覗かなかった。 誰のところも覗かない、も何も書かない、 というKが私に下した二つの命令は守った。 しかし、いちいち姑息な男である。
彼の日記は、相変わらずであった。 Kワールドである。 会った時に私に話していた、実家の門扉の修理代金を 自分が出したことや、兵庫の弟のことなどを書いている。 また、姉妹と兄弟の違いや母親との関係などは、 推測だがO・Hの影響を受けている。 確か、Oは母親とは仲がいいが父親を嫌っているというような ことを話していた。 そんな愚痴を聞いているから、のような気がする。 それにしても、彼の話題はつまらない。 楽しい話題も明るい話題もない。 それは彼がつまらない人物だからでもある。 比較文学が好きな人にはいいのだろうけど。
私はmixiで自分の日記を再開するときは、 方向性をを定めて書きはじめないと、まず間違いなく 私自身が混乱してしまう。 少しでも、隙を見せると思うツボである。 そんな隙を狙って、ふたたび私を恫喝しようとしているのかも しれない。
でも、もう昔の私じゃない。 きっと、もう大丈夫。 Kの呪いから解放されて、私は私なのだ。 呪い返しという言葉を聞いたことがあるが、彼はいまその呪い返しを 受けるハメになるだろう。 Kは私から解放されはしないのだ。あとは自滅を待てばよい。
男性用のズボン下のことを、何と呼ぶのだろう? あとで教えて!gooにでも聞いてみる。
少し落ち着きを取り戻したかに思えた日常生活も ややもすると、漠然とした不安に襲われる。 もうこだわらないようにしたいのに、どうしたらいいのか?と 気がつくと考えている自分がいる。
知的である、とどういうことなのか? Kは、私がうんと若いころに大恋愛したOという男のことを 「その男は・・知的ではないな」と言った。 Oは青年海外協力隊でタンザニアに行ってしまった男である。 当時、彼は私に渡辺淳一の「リラ冷えの街」を薦めた。 今思うと、なぜこんな本を?とものすごく不可解であるのだが。 考えてみると、Oの年齢はKの1つ下なだけである。 共に、女性との付き合いが不器用であるという点では一致する。 そう、そういう不器用な男を私は好きになるのかもしれない。 ややこしい性格である。
私はKから直接手渡しで貰った著書を眺めていると 本の裏にある彼の顔と私と会っていた時の彼の顔、そして声を 一致させることが出来ない。 実物は実年齢より老けて見え、なおかつ話す声はゆっくり過ぎて 特に語尾が消え入るように話すので聞きづらく、 何を話しても明るいトーンにならない、むしろ老獪という言葉が 浮かぶほど、何とも言えず卑屈で暗くまた意地悪な屈折した気配が 感じられた。 いままでの人生で経験してきた環境がその人の性格を作り上げて しまったのかもしれない。 卑屈で意地悪で不機嫌でどこにも救いがない。 Kにあるのは、いつもいつも恐怖と敵意だけである。 知的、とはよく言ったものである。 なるほど、K自身は自分は知的であると思っているらしい。 しかし、彼は他人から好かれることはない。 私はKの持つ強烈な邪悪さをどうにか分析してみたいのだが なにぶん知性のかけらもないものだから、上手くできない。
体験から言えるのは、Kは必ずしも知的であるとは思えない、 ということ。 夫のあるO・Hとの情事など黙っていればいいではないか。 私の写真で2度オナニーしたと、なんでわざわざ私に伝えるのだろうか。 最初の女から、半年つきあった女、阪大の同僚だった元妻、 ファンだといいわざわざ大阪までKを尋ねた女性、O・Hまで 5人の女性と同衾しているなどと細かく私に報告するのは 知的な行動だと言えるのか?
Kにあるのは学問的知性だろうが、その人間性は驚くほど稚拙である。 今日立ち読みした「新潮45」にもKの文が出ていた。 相変わらず中島某氏に対して反論している。相変わらず不機嫌そうである。 こんな男にこだわる自分がつくづく馬鹿だと思う。 しかし、そのぐらいKは私を傷つけたのである。
[気になる映画] 1996年デンマーク「奇跡の海」 深夜にテレビでやっていてチラチラみてしまった 救いようのない話し。主人公はなぜ死ななければならなかったのか。 事故で不随になった夫はなぜ妻にあのような辛い試練を 命令したのか。とにかくどんよりとした曇り空のように暗い。 なんとDVD化されるらしい。
誠はまだ29才、あとふた月で30才。 子ども向け英会話学習の会社の営業で 半年ほど前から当地へ転勤で来ていると言った。 出身は鎌倉市だそうである。
彼はハキハキと物を言う。頭が良さそうだったがどんなものか 考えていると、大学を出て就職してから転職なし、という話題に なり、彼が大卒だとわかる。 思い切って大学名を尋ねると、日吉にある大学だそうだ。 「小田急・・じゃない方ね?」と、あまり利口とは言えない尋ね方を してしまったが、やはり間違いなかった。 ふ〜む、若いが確かにインテリっぽい。
彼には長く付き合った彼女が向こうにいる。 そういうことをあらかじめ知っておくのは辛いが妙な期待を もたないようにするには必要なことだとようやく思えつつある。
私が憂鬱な毎日を送っているという話しになり、 もっと気軽に生きた方がいい、と言う。 とても大事な人が翌日になったら死んでいた、という経験から 見えない先のことを思い悩むより今を大事に生きる、と言った。 刹那的なその考え方は私もかつてはそうだった。
刹那的に生きていいのだろうか。 わたしはどのように生きたらいいのか。 出来るだけ後悔のないように生きたいと思う。 つまらない呪いに翻弄されたくないと願う。 相変わらず、私は闇の中にいる。
| 2005年01月28日(金) |
「ターミナル」最終日 |
見たいと思っていて、最終日の最終回になってしまった。 映画館で洋画を見るのは本当に数年ぶりである。 軽い映画の方が後味が重くならないので、特に意識して見たいと思った。 大好きなトム・ハンクス主演ということも大きかった。
不覚にも、この映画がスピルバーグ監督作品であることを 思い出したのは、パンフレットを見た鑑賞後だった。 空港を使ったロケはどうして行ったのだろうとそういう興味は わくが、映画は単調でいわばトム・ハンクスの演技を 愉しみに見に行ったようなものであった。 それにしてもトム・ハンクス、なぜあんなに太っているのか もう少し何とかして欲しい。 はっきり言って醜いぞ。 それから、共演のキャサリン・セタ・ジョーンズの役どころがイマイチ よくわからない。 2時間を越える作品にする必要はあまりなかったような気もする。 ただ、このクラスの映画は気軽に見られる娯楽映画という点では 秀逸かもしれない。 重すぎるのもいやだし哀しいのもいやだし、なんか映画みたいな〜という ときに丁度良い重さ加減である。 ただしトム・ハンクスが嫌いな人には苦痛な作品だろう。
久しぶりに映画館に行ってよかった。これからも気になる作品は 出来るだけ劇場で見たい。
| 2005年01月26日(水) |
情事を書いてみる練習(1) |
その男は黒の四輪駆動に乗ってやってきた。 歳は33才、目は大きな二重で、顔は俳優の宇梶剛士にやや似ている。 背が高く189�僂發△襪噺世Α� 父と一緒に設計の仕事をしていて今日水曜日が休みだと言う。 結婚して2年、4才歳下の妻との間にまだ子供はいない。
見た目はかっこイイ男である。もてるタイプだろう。 期待を裏切らずに大人しい感じ。 私の話しはよく聞いてくれるし、話だけでも十分に楽しかった。 2時間以上はなしただろうか。 ようやく別々にシャワーを浴びて、ベッドに横になった。それでもまだ 私達は会話を続けている。 主に話すのは私だが、彼はうまく聞いてくれていて話しが途切れることがなふとしたタイミングで私は彼の顔に自分の顔を近づけた。 そのタイミングを逃さず彼は上手に私とkissをした。 初めはそっと、そしてだんだん濃厚になっていくkiss。 私達はベッドの上で重なるように抱き合い、やがてお互いの手は相手の身体を真探っていく。 私は、我慢することなくうわずった声をあげる。 私達は飽きることなく互いの唇と舌を味わい、ときおり顔を離して視線を交わす。そして一旦離れた顔もまたゆっくりと近づき互いの鼻の先が微かに触れる距離にまで近づく。そこでほんの一瞬何かを確かめるような間があき、やがてゆっくりと熱い口づけを交わしていく。
長い長いkissの後、彼はやがてそっと身体を離した。無言のうちに今度は彼が仰向けになり私がその上に覆いかぶさるように重なる。今度は軽いkissを数回交わしたあと、私の唇は彼の唇から離れ、舌をすこしづつ下に向かって這わせて行く。やがて私は、さきほど自分の手で確認しておいた形のよい大きめのpenisにたどり着く。間を開けずそっとpenisの先端を舌で軽く触れる。ソフトクリームの最初の一口を舐めるようにペロっと舐める。もう一度舐める。それから貪るようにしゃぶっていく。喉の奥深くまで飲み込んだかと思えば今度は激しく吸いながら口を上下に動かす。fellatioは難しい。私は丹念に彼のpenisを唇や舌で刺激する。そして淫らしく音をたててしゃぶったかと思えば、ついにはpenisの更に下方まで舌を這わす。そして優しく細かく舐め続ける。私の両手は彼の膝を大きく押し広げて頭は股間から離さない。時折顔をあげて彼の表情を確認する。上目遣いに少々優位にいる支配者の目で彼の顔を見る。何かを狙うような視線。彼の顔を見ながらそのもう一つの目的は、そんなふうに私の視線を彼に感じさせることにある。sexは互いが楽しむもの。なにも男だけに奉仕させなくてもいい。時には私が彼を責めるのも、彼にも私にも刺激になる。
やがて、再び彼が上になり私が仰向けになった。 彼は優しく髪を撫でて「綺麗な髪・・」と呟く。私は思わず微笑んでしまう。言葉はなんと無力なのだろう。状況を言葉に置き換えるのは難しいが、私のようななんの取り柄もない女にも実際にこんなことが起きてしまうのも、また不思議な出会いである。 思えばその前までが悪すぎた。ある者は若すぎたし、一人はあまりに疲れていた。そして一番最近心底惚れ込んだ男は、私をひどく傷つけた。その男がどんなに頭が良い学者であろうと、実際に施されたsexは拙すぎた。ましてその男は私に禄でもない男としかsexをしていないと言ったが、男たちの中身はともかく、私は禄でもないsexばかりしてきたわけではない。 私の渇望するような肉体の交わりが、彼(=重[シゲ])とのsexを通じて思い出された。
さっきのような激しいkissを交わしたあと、いよいよ彼のpenisが私の身体に挿入される。最初はゆっくりと、そして完全に入ってしまうとそこで一旦動きは止まり彼は顔をあげて私の顔を見る。そして私達はいまお互いが相手を最も深く求めあっていることを確認するように、小刻みな熱いkissをかわしていく。彼の腰は時に激しく動かされ、私は声をあげずにはいられない。そして彼の唇は私の口を離れて、私の耳やうなじのあたりを這う。私の声は最大限まで出され、悲鳴に近い。抑揚をつけるように時には動きを止めて互いに視線を交わす。「H過ぎ」「そう?」「かなりHだよ」「Hな女は嫌い?」そんなたわいもない言葉を交わし、私達は望み通りのsexを続ける。彼の胸元に揺れる剃刀型のnecklace、彼の高い鼻、かすかに香る煙草の匂い、どれも私を熱い気分にさせた。
「俺は正常位が一番好き。だって互いに顔が見えるじゃん」 「そうね、私も正常位が一番好き」 私達は、そんなふうに確認しあいながらsexを続けた。 随分と時間をかけて、いよいよ彼が私の耳元でささやく。 「どこで出して欲しい?」 「・・私の身体の中で」 「大丈夫なの?」 「えぇ、大丈夫。生理が近いの、私。それに危なければこんなこと言わないわ」最後の一言は、勿論私の嘘である。 彼は黙ってうなずき、やがて私達の身体はピタッとかさなったまま、彼の腰だけが激しく私を打つ。ついに頂点に達した彼の動きは急に失速し、やがてしずかに止まった。
さっきまで、今日は寒いねと言い合っていた二人だったが、いつのまにか汗をかいて身体は火照っている。 ふと哀しい気持ちになっていくが、これもいつものことだ。
長い時間忘れていた静けさが戻ってきた。 私は知っている。これで私の身体はすっかり満たされたことを。そしてまた彼も満足しただろうことも想像がつく。
すっかり終わってしまって、たがいにベッドに横になりながら、私達はとりとめのない会話をはじめる。そのどれもいま覚えてはいない。たいした内容ではなかったことと、それより私の長いこと望んでいたような、独りよがりでない二人のsexを堪能できた幸せに浸っていたのだった。
私はすっかり自信らしきものを取り戻しはじめた。 彼のsexが上質であることは私の経験からよくわかる。そしてそのことを彼自身もよく知っているはずなのに、私が褒めると彼は「そうなの?」と言う。それがどんなレベルであっても、互いが十二分に満足しあえばよいのだ。 まるでsportsみたいなsex。 わたしたちは、心地よい疲れに酔っていた。
| 2005年01月25日(火) |
『不機嫌なジーン』CX /苦悩日記(Kとの一件・その後) |
CX『不機嫌なジーン』第2回目を見た。
月九枠と聞くと、ケッという気分になるが、今回はこれは見たいと食指が動いた作品なので目を瞑る。 先週の第一回放送は、大事な電話をしていてとうとう見逃した。 画面は映っていたのだが、意識は会話に集中していてストーリーは全くわからなかった。残念。で、今日第二回目よりしっかり見る。
オーバーな演技と演出がギリギリというところか。 竹内の演じる仁子が時々見せるとぼけたような笑顔はかわいいと思うけれど、不自然ではある。 内野の演じる南原は、突拍子もない設定で演技も自然とオーバーアクション気味になる。それは仕方がない。 なんだかんだ言っても主役である仁子がかわいくないはずがなく、山田優あたりに愚痴ってみても、アンタが一番、と思ってしまう。本当にイケてない女ならあんなに素敵にシンプル状態でいられない。学会出席のときのスタイルだって、髪形だってものすごく垢抜けている。もし、あんな人が普通にいたら美しくて目立つ。
まぁ、重いテーマの恋愛ものではないようなので、わりに気楽に見られるから個人的には娯楽ドラマとして良いと思う。 ただ、最初に書いたようにオーバー加減が、これ以上増してくると鑑賞ドラマとして耐えられない。 今でも十分にオーバーなんだから。 山田優は、イヤラシイ感じが本人のイメージそのもので(←悪意)不足はないが、なんか下品だ。出番が少ないので許すけど。 それから、仁子が好きになろうとしている男(まだ名前を知らない)は、この人日本人?と思ったほど韓国あたりのドラマに出てそうなあっち系の顔だち、しかも童顔。 「鼻と口の間が狭いほど若く見える」と親戚の矯正歯科医は言ったが、なるほど永作博美と同じでこの男もそのタイプと見る。でもちょっと中途半端な顔だなぁ。内野と張り合うほど役者としての魅力が大きく欠けているのは少し気になる。
裏でNHK『ハチロー』をやっているのでそちらはビデオで。 (まだ未見)今回の唐沢には久しぶりに注目している。
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最後に送信したメールの日付が20日であったことに今更ながら驚いた。今日が25日だから、まだたったの5日しか経っていないことになる。そう、もうじき1週間だな・・なんて漠然と思っていたはずなのに、それはミクシィにログインしなくなってからで私信のメーセージも20日が最後であるという自覚はなかった。 随分と離れたような気がしていたが、まだたったの5日。そうだ、初めて会ったのが先月の22日だから、出会いからヒトツキは過ぎてしまっていた。迂闊だったが、そんなことに自然に反応しなくてほっとしている。そう、たった5日のことだって、どうでもいいことなら思い出さないはずなのに。 今だって、向こうがいま私との出来事や私のことをどんなふうに考えているのか、ものすごく気になる。連絡をよこさなくなり、ミクシィへも姿を見せなくなった私はどうしているのか、どうなっているのか、思い出す瞬間がこの五日間の間にあっただろうか。たぶん、ない。そんな影響力を与えられる人間なら、捨てられたりあんなひどい仕打ちをされたりしていないでしょう。
私はどうしたらいいのか。こうして、忘れていない自分を見つけては嘆いている。私が悲しいのは私がこういう性格だ、ということにある。私が彼より能力はともかく人間として劣っているとは思っていないのに、なぜこうも一方的な惨めが漂うのだろう。1つ思うのは、大人として経済的自立が出来ていないことも大きいのではないか。年収一千万と言った彼ほどの収入はともかくとして、私はこう言った経済的なことを中心として自信を持てない状況にある。「自信」は私にとても足りないものの一つだと思う。いつかいつか、未来にかならず彼を見返したいと思う。貴方の逃した魚は大きかった、と思わせたい。生きていさえすれば、その可能性がゼロにはならないと信じている。いまは闇の中だが、目も見えず耳も聞こえないとしても、五官以外の能力で、かならず闇から脱出しよう。そして私は私のための人生を生きなければ。結局、とりあえず凌げるようになるのは、新しい恋をみつけるしかないのだろうか・・・。
「今日のお気に入り曲」
クイーン 「バイシクル レース」
※クイーンの全盛時代をリアルタイムで過ごせたことは幸せだと思っている。
茉莉花(jasmine)茶を飲んだ。
もともとハーブなどのお茶は好きではない。 なんであんな変な味と香りを好き好んでお茶にして飲むのだ?と 漠然と思っていままで生きてきた。
しかし
先日、たまたまペットボトルのjasmine teaを買ってしまい 今夜のどが乾いた折りに開けて飲んだ。不味かったら 捨ててしまおう、などともったいないことを心のどこかで 確信しながら。
その不思議な味と香りには、どこかで体験したはずだという 記憶があった。 「Sさん・・」と、すぐある人のことを思い出した。 私が中学3年から高校卒業まで、勉強をみてくれていた 家庭教師である、薬大に通っていたSさん。 いまは故郷の岐阜でご主人と娘さん3人とともに暮らしている。 年賀状だけの間柄になって20年が経つ。 母子家庭の苦学生だったSさんは、質素な半共同アパートに 暮らしていた。 共同トイレに共同風呂、6畳一間で小さな流しに一口コンロ。 ベットだとずっと思っていたのはビールケースを並べた台に マットレスと布団を敷いた状態のものだった。 初めて会ったのは私が15才で彼女が19才くらいだっただろうか。 初めて、父に連れられてその部屋を訪れた時も彼女は 紅茶を葉っぱで入れてくれた。 ミルクティ、というものを飲んだのも、私はほとんど初めてだった。 彼女はよく、トワイニングのオレンジ缶から葉っぱを取り出して ティポットに入れていた。 オレンジペコだ。紅茶の種類を覚えたのも、それが始まりだった。 他にもダージリンとかアッサムなどがあったと思うが 彼女はわりにオレンジペコを好んでいたようだった。
で、ジャスミンである。
その味は、そのSさんのところで覚えた味と香りだったと 思う。だが、彼女はほとんどミルクティ専門で、 中国茶やコーヒー、日本茶ということはほとんどなかった。 あるいはあったのかもしれないが、覚えていないほど 回数は少なかったと思う。 だから、ジャスミン茶など、飲むわけがない。 味を記憶するほど飲んでいたら、覚えているはずである。
私はジャスミン茶なんてハーブティみたいな 草の味のする、まるで薬のようにへんてこな味のお茶だと 勝手に思っていたのだ。 しかし、ジャスミン茶は、悪くない。 私は紅茶を飲む時(コーヒーもハーブティも)は必ず砂糖を 入れるが、ジャスミン茶は、例えば日本茶や烏龍茶と同じで 砂糖を入れるべきではないお茶だった。
いい歳をして、ばかみたいだが今日は私とジャスミン茶の 再会の日になった。 結局、ミルクティの美味しさを教えてくれたSさんのところとは 考えにくい。 オレンジペコってジャスミン茶の味に似ていただろうか・・。
ジャスミン茶は、少しエキゾチックな味がした。
昨日1月20日でのメールのやりとりを持って、 私とKとの一連の関係は、一区切りついたと思う。
私はミクシィでの自分はそのままにして、自分なりに ミクシィを活用していこうと思っていたが、 今日一日、わたしはミクシィを開けなかった。 できればしばらくこのまま、あそこは閉じたままでいようと思う。 今日できたのだったら、明日だってできるはず。 中毒を一度断ち切らなければ。 一旦、しっかり清算するには時間をおかなければ。
王様の耳はロバの耳・・・ 王様の耳はロバの耳・・・ 王様の耳はロバの耳・・・
私はKとのsexについて次のように感じた。
「興味と知識と経験の3つのバランスが8:5:1」
それでもジェンダー論?とか、性だの愛だのを語って 文芸論家として文壇にいるのだから。 「東大の教授になりたい」「大佛次郎賞が欲しい」と常々言っている。
そんな貴方のsexなんて、ものすごくたいしたことないのよ。 精力もペニスもは10段階でせいぜい1〜2。 勃起しないで射精してしまった人というのも私には初めてだった。
私はKがあとがきをかいてやったり、親しい友として 認め合っている既婚の古典エッセイスト・Oと不倫して 性交渉がかつてあったことを、声を大にして言ってしまいたい。 そんなことを私は知りたくなかった。
私は、いっときミクシィで親しくしてもらったOには 失望した。 夫から対象外の女となって不倫した相手、すなわち 寝た(まぐはひした)男が、Kですか。 どっちもどっちだが、しょぼい二人である。
Kがどんなsexをするのか。 はっきり言うが、Kは知的らしいがsexはかなり稚拙であった。
さみしい さみしい と
泣いている
*
しばらく休みます
わたしは貴方からどのように見えるか?と問うたら 「好色一代女」と即答された。
広辞苑を見たら 〔女の長い生涯の中に女性の淪落の経緯を叙したもの〕となっている。
淪落の経緯・・。 だとしたら私の淪落は彼をもって終わりにしたい。
私の淪落の果てが、貴方だというのはやや皮肉なものです。
※この男の名前をここにかけたら、どんなにいいだろうか。
いろいろと苦しんだが、もう諦めた。
悩まないのではない。苦しくないのではない。
苦しみからはどうやっても逃れられないのだと 気づいたからだ。
おそらく、一生にわたってこの苦しみは続くだろう。 逃れられないのならば、共存してやっていくほかはない。
共存できるかどうかはわからない。 もはや、運命なんだろう。
冷たい雨が降る。
霊能師のN先生に電話。 Kさんのことを教えてもらう。 こだわる人、束縛がいやな人、夢をみて夢を追っている人 なにかにとてもこだわる人(ここが私と共通する性格)
Kさんの夢は叶うか?と聞いてみたら「無理だね」と先生は言う。 「なぜですか?」 「器がないから」 変わり者だという。
結婚も家庭も、普通のサラリーマンのように縛られるのが 嫌い。性にあわない。でも、根は優しい人。
私との相性は、悪くない。こだわるところや、何かしら波動のような ものは、似ていて一致する。(内容はべつにしても) しかし、家庭は望めない。
私はKさんの価値観の全ての中には生きられないだろう。 仮に、私が折れて彼の価値観に従って生きようとしても たぶんそれは無理そうな気配。
彼の価値観は、自分勝手過ぎて、個性的すぎる。 それを彼自身は気づいているのだ。
私はまだ死ねないという。まだ死ぬ権利がないというのだ。
私の心の中に、冷たい涙が流れる。
過去に送った、自分の書いたメールを読んでいたら とても哀しくなった。
私は、ありもしないものを望んでいたようだ。
例えば、 無人島にたどり着いた時に、一緒にいてくれて嬉しい人だったら。 ずっと二人きりでも、安心できる人。 こんな人生も、まぁいいかと思える人。
運命の人ってまだ私にもいるのだろうか。
昨夜、いろんな事情があって一人車で家を出た。 引き止める者は誰もいない。 どこへ行くのか聞く者もいない。 防波堤近くに車を止めて、ありったけの睡眠薬と精神安定剤を 飲んで眠ろうと思った。 それを実行に移す直前に携帯がなった。
大変に頭の良いちょっとした知り合いでしたが 会話をして、大変に疲れました。 話してわかったのは、わかりあえないということ。 腹が立って「そんなことがわからないなら、あなたには才能がない」と言ったら 「私は年収1千万はあります」というコタエ。 会話になっていない、根負け。
できるものなら、半・公?の場所で 書いてしまいたいことがある。 バラしてしまいことがある。
王様の耳はロバの耳・・・
書きたくてうずうずしているのだが、 そんなわかりやすいことをしてしまえば、 即、名誉棄損で法的手段にでてくるだろう。 残念ながら、そんなことで名誉を回復しても もう後の祭りだ。世間は知ってしまったのだから。
私なんか死んでしまいたいと思いつめたぐらいなので 罪でもかまわないとも思う。 私が罪人になっても、相手の名誉は回復しない。 私も笑われるが、その相手も世間から嗤われる。
私などは一市民なので例え名前を公表されても A子さんとかP子さんと同じくらい意味のないことでも 相手は一応、世間(のごく一部)に知られている存在なので B男とかH郎などという実態のないような名前とは違う。
2ちゃんねるあたりの、いい餌食になれる程度の レベルの低い話題ではあるが、 つまり、私はそれほど憎んでいるのだ。
あけましておめでとう。
去年までは長い厄年みたいなもんだった。
今年は、きっといいことがある。 卑屈にならず無駄に神経質にならず
もっともっと自由に気楽に生きたい!!!
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