2001年02月22日(木) |
アンドロメダ忌・・・・埴谷雄高 |
埴谷雄高が亡くなってから4年・・・・2月19日は埴谷雄高の命日、アンドロメダ忌でした。
ゼミの先生の紹介でアンドロメダ忌のイベントが御茶ノ水はアテネ・フランセであると聞き、鼠小僧白吉行って参りました。 と行っても、埴谷雄高を読んだことがあるわけではなし。イメージとしては、かつておいらが本屋さんだった時「死霊」が分厚い本で何巻にもまたがって日本文学の棚に並べてあった印象が強いため、「なんだか難しそうなものを書く人」といったイメージしかありませんでした。
だがしかし、いざ行ってみると、むむむ!結構面白そうなことを言ってた人だったではないですか!
イベントの前半は埴谷の生前の映像をまとめたビデオの上映、後半は島田雅彦の講演でした。
「アンドロメダと我々の銀河との距離は、地球と月の距離よりはるかに近く密接」 「でも天文学などといものはいいかげんでそこらへんの数字はちょくちょく変わる」
????????????? 生前の埴谷が語る「アンドロメダ」の話。地球と月より近い?????意味がわからん? しかし、「いいかげん」・・・・・・ 一緒にアンドロメダ忌に参加したメンバーが、「埴谷自身が自分のいうことはいいかげんだと言っていた」といっていたのですが、なるほどそういうことなのかもしれない。いいかげんな話なのかもしれない。 ただ、いいかげんであろうとなんであろうと、自らの言葉として、信念として、そうした壮大な話を繰り広げられるのはすごいと思うわけなのですが、無念、鼠小僧の現状のレベルではその話を理解するまでにはいきませんでした。ただ、興味をもったのは事実。時間を作りじっくり読んでみたい。そう思いました。
さて、後半は島田雅彦の講演。いやー島田の人気というのはすごい!埴谷の追悼イベントだというのにファンを100人以上あつめちゃうのだから。どう考えても、埴谷の追悼イベントに200人はおかしいでしょ。ということは、半分くらいが島田のファンだと考えられるのでは・・・・
ま、鼠小僧たちのメンバーの間ではこの島田の講演に結構な批判がとんでいました。ただ、内容はともかく(というより、正直に言えば何を話していたのかあまり覚えてないのです)こうしたイベントに島田の名前であっても人を呼ぶことが出きるというの、それだけで意味があることだと思うのです。
埴谷の想像力の起点は「アンドロメダ」だったそうです。ふと空を見上げた時そこに見えるアンドロメダ。そこにはもう一つの宇宙がありそこには自分の兄弟が、もうひとりの自分がいるとまで言っていました。確かにいいかげんな話じゃないですか。誇大妄想もいいところです。しかし、小説って偉大なる妄想の世界でもあるわけですから、その妄想の起点を「アンドロメダ」においた、そのスケール、精神的なスケールの大きさにはただただ感服させられるのみです。 昭和という時代に日本という国が生んだこの偉大な作家を、近いうちに少しばかりかじってみたいと思います。 21世紀、もしかしたらアンドロメダは妄想ではなくなるかもしれない、そんな時代にいきている僕らですから・・・・・。
2001年02月21日(水) |
鼠小僧ソルクレイトシティーへの道(スケート編) |
以下の日記、受験生はみないでください。なぜならば「すべる」「こける」ということばが多発いたしておりますので・・・・。
って、ことで、大層なタイトルをつけてみたところで、お話の内容はとってもしょっぱいお話なんですが、土曜日、実に7年ぶりくらいにスケートをしてきました。
7年前・・・・・おもいおこせば7年前、白吉はまだういういしい高校生でした。当時よく遊んでいた、J女子高校の女のコたちとみんなで神宮のスケート場にいきましたっけ。人生の7割をはったりで生きている鼠小僧白吉。それまでスケートの経験なんぞほとんどなかったのですが、女のコの前で少しでもいいところを見せようと思い「俺は黒岩彰だ!」と思いこんだらあら不思議、結構すべれるじゃないですか。
って、ことで友人A氏が「スケートへ行こう」といってきたので、7年前の記憶のあるおいらはふたつ返事でOKし、神宮のスケート場へとむかったのでありました。
7年、この7年という月日は、鼠小僧白吉をいろいろと変えさせてくれた7年でした。大人へとちかづいた7年間。高校生が大学生になり、夕飯の時のコップの中身がウーロン茶からビールにかわり、歳の数とともにズボンのサイズもあがっていった7年間。
スケートシューズをはき氷の上に足をおろしたその瞬間!!!! 「進めない・・・・・・」 かべに捕まってないとステンといってしまいます。 「いやいや7年前、俺は黒岩彰だった!」とあのころを思い出し、手を壁から離し前へ進もうとしたところ・・・ 「あれ、あれ、うわぁーーーーー!」 だめです、だめなんです、立つことさえままならないんです。 黒岩彰、そう、かつてのオリンピックメダリストをライオンズ松阪のおもり役にしてしまう時の流れは、確実に鼠小僧の体にもおそってきており、松阪の尻拭いをして転げ落ちていったがごとく、鼠小僧白吉もリンクの上でスッテンスッテンころげまくったいたのでした。
ま、けど後半はなんとか滑れるようになってきてなかなか楽しく氷の上をかけまわってきたのでありました。
しかし・・・・・・今日。 鼠小僧「うっ、この下半身の違和感は・・・A、足腰大丈夫? 友人A氏「ぜーんぜん、どうしたの?」 鼠小僧「い、いたい・・・・」
筋肉痛・・・・・・。運動不足を痛感した今日この頃、きっと明日にはひいていることを期待して・・・・・・。
友人A氏「歳とると、日がたってから筋肉痛がくるんだよ」 鼠小僧「・・・・・・・」
明日もっとひどくなってたらどうしよう・・・・
2001年02月14日(水) |
Valentine's Radio |
愛の話!ま、一年に一回くらいは白吉サイトでも愛だとか恋だとかそんな話もいいのでは。ま、他の皆様方のように自分の恋愛体験をとうとうと述べる勇気もないのですが・・・・
愛とは信じ合うことさ、互いを許し会うことさ どんなに心がすれちがっても ためらいを捨てて語り合え、疲れたら少し立ち止まれ 真実はそれぞれの情熱の中に
いきなし、何かというとこれは「希望の鐘」という歌の詩。鼠小僧が好きな鈴木彩子といううたうたいが歌っているうたです。 この歌、そこら辺に転がってるどんなラブソングよりもみょーに共感できるんですよねー。もちろん、おいらが、鈴木彩子のファンだからということもありますが、そんなことを差し置いても、上にあげた歌詞が妙につぼにはまっているのです。
あくまで私観ですが、恋愛ちゅーもんはもともとぎこちないもんなんだと思う。つきあいが長くなったり、お互いの思いが深まったりすればするほど、お互いの心の中にづけづけとふみこんでいくわけだから、違和感を感じて当然なのかもしれない。いくら好きだから、信じ合っているからと言って、ここまでさらけだしていいものか、もしくは、ここまで踏みこませていいものか、そんなこんなの心のバトルが恋愛には存在すろと思うのです。
愛とは信じ合うこと、互いを許し合うこと、おたがいを信じあわなきゃ当然心のバトルなんぞ出来やしないし、お互い聖人君子な道を歩んできているわけでもないわけだから、許しあうことも必要なのだと。そして、そんなやり取りの中ですれ違いやためらいを感じたとしても、なんらあせるこはない、お互いがお互いを思う情熱の中に、心の中に「真実」はあるのだからと。 ま、なんかがらにもあわんこと書いているけど、うわっうらで切った貼ったしている恋愛もいいのかも知れないけど、せっかく恋愛をするなら、良い恋愛がしたい。そんな願望もこめまして、こんな日記を書いてみたりしています。人を好くって、結構体力つかいますからね。
鼠小僧白吉の「正体」を知っている方、「がらにもあわんこと言うなー」と抗議のメールを送らないように。ま、今日はバレンタインデーということでご容赦を。
おーっと今日は水曜日、メルマガまだだしとらんぞー!読者のみなさんもう少しお待ちクダされ。
やっと開放されました卒論から。提出がおわり、口頭試問も終わりました。教授(いちようけっこう名のある文芸評論家)にもそれなりに評価してもらい、まー、一安心というところです。
論題は「黒井千次論〜現代日本という時間と空間」、黒井の初期のころの作品、「メカニズムNo.1」「冷たい工場」などから「時間」「五月巡歴」、までの創作の過程をおっかけながら 戦後日本が、高度経済成長を進めていく中で見落としてきたものを探っていくといった作業をしてみました。 五月巡歴のころまでの黒井は、実際に企業の中で働いており、まさに高度経済成長を担ってきた存在であります。 そうした、黒井によって描かれた作品からならば、現代日本が構築されていく中で 存在している「光」と「影」を読み取れると思ったのです。
口頭試問の中で黒井の作品について少し教授と議論しあったのですが、その中でうちの教授はこんなことをいってました。 「黒井の作品というのは典型的な天才によってかかれた文学だ。 それゆえに作品の難解さというものがない。読んで考えさせられるという作品が少ない。 読んで妙に納得してしまう作品が多い。そういった点でいえば黒井が敬愛した野間の作品 の方が私(うちの教授)からしてみたら面白くよめる。」 確かにそういった部分はあると思います。それゆえ私の論文も黒井の手法、作品感といった 部分にはほとんど入ってゆけず意味論に終始してしまいました。 黒井文学を愛する私としては黒井批判を論文に書くことができませんでした。
しかしそうした作品ばかりではないと思うのです。要所要所で黒井は非常に考えさせられる作品を私たちに送りだしてくれています。 たとえば昨年出された「羽と翼」あの作品は決してわかりやすい作品ではないと思います。 私が黒井作品からよみとろうとした「現代日本」という「時間」と「空間」の「光」と「影」、そうしたものを 「光」と「影」を構築してきた自らの世代が、「現在」という空間から同世代へ、そして我々(私は23歳)の世代へのメッセージとして書かれたものであると私は思うのですが、未だに最後の「死にました・・・・」の部分を理解するにはいたってません。
ま、何はともかく「春の道標」にであってから7年間の思いをこうして論文としてまとめることが出来て、今、一種の爽快感があります。口頭試問のあと教授と一杯呑んで帰ったのですが 本当にビールがおいしかったです。
とりあえず、大学という空間はけりがつけられそうですが、文学への思いは、けりがつけられるどころか逆に高まりました。 まだまだかかわっていきます。当然、黒井の探求もつづけます。 まずは、友人たちとの同人活動に重点をおいていきたいと思います。
2001年02月03日(土) |
ちょいっといっぱいのつもりで呑んで! |
「終わらないって、仕事じゃないんですか!」他店アルバイトの悲痛な叫びが響きます。
1月31日のおはなし。毎月月末、鼠小僧のバイト先である写真屋は棚卸しがあります。ひとつひとつの商品の量をチェックしていくんですが、10畳ほどの小さなお店でも結構大変、というかめんどくさい。その日は夜、おいら一人しかいなくて、はーめんどくせぇーなんておもっていたら、閉店まぎわ店長がやってきて手伝ってくれました。おかげさまでさっさと終わり、いつもの退勤時間である20時半にはなんとか帰れそう。棚卸しもおわりお店を閉める準備をあれやこれやとしていると、ふと気がつけば店長がどっかいっていない。 あれっと思ってると戻ってきて、いきなり「がらがらがら」とシャッターを下ろすじゃないですか!何か!と思えば「お茶買ってきたからのんで!」とそこには「アサヒスー○ー○ライ」とかかれた銀色のカンが・・・・・・ えへ、だめですよ!おいらの前にこんなもんおいちゃ!数分後、白吉は酒屋に向かって走ってました。「もう一本買ってきます!」と言って・・・・。
さーて、店長は鼠小僧が勤めているお店のほかにも4つほど担当するお店を持っています。そのほかの4店でもこの日は棚卸しでした。当然棚卸しの書類を集めてまわらなきゃならないのです。 夜9時すぎ一本の電話が・・・・鼠小僧が勤めているお店から地下鉄で2つ駅がはなれたところにあるお店のアルバイトからです。 店長「終わった?あっそー。こっちまだ終わらないんだよ悪いんだけど書類こっちまで持ってきてくれない?」
・・・・・・・・・・・・・
数分後、夜9時10分ごろシャッターをがんがんがんと叩く音が・・・・・
ガラガラガラ(シャッターを開ける音) 他店のアルバイト「あっ、鼠さんお疲れ様です」 鼠小僧「あ、お疲れ様です」 他店のアルバイト「なんです、このニオイ・・・・あっーーーーーーー!終わらないって仕事じゃないじゃないですか!!!こっちがおわらないんですかーーーーー!!!」 店長「いやーわりー、けど9時ちかくまで本当に棚卸しやってたんだよ。今だよ、今」 アルバイト「時間の問題じゃないです。それに店長、眼がちがいます。」
ちなみに、店長のところにもおいらのところにもその時すでに3本づつ缶がおかれてました。
次の日、他店のアルバイトの方は朝、うちのお店にヘルプで入ってくれているのですが、鼠小僧と、他店のアルバイトの方と、うちのお店のアルバイト3人の会話。
うちのお店の同僚バイト「鼠さん、昨日一人で棚卸し大丈夫でした?」 鼠小僧白吉「うーん、結構早く終わったよ」 ・・・・・(しばし沈黙) 他店のバイト「ふーん早く終わってよかったですね・・・・・」
この日記のはじめに戻って見ましょう。呑んでいたのはお茶です。麦から出来ている麦茶ではないお茶を飲んでただけなのです・・・・。
2001年02月01日(木) |
6時間もビデオを見ると・・・ |
さすがに疲れる。何を見てたのかというと「愛を下さい」。 以前の日記に書いてあるのですが、昨年はまったドラマ「愛をください」。新宿をふらふらと歩いてて、TSUTAYAによったらぱっと目についたので思わず1・2巻と借りてきました。6話分一気に見るとさすがに疲れる。けどやっぱり、このドラマは良いドラマだったなーなどと思って見ておりました。 ただ、6話一気にまとめてみると鼻につく部分もいくつかあります。最近のドラマの風潮でもあるのですが、ぱっとTVをつけた人たちがさっとドラマの中に入ってこれるようやたら回想シーンや説明シーンが多い。正味1話分45分くらいの中に含まれるドラマの内容が30分分くらいしかないような気がします。つまりあと15分は余計ということ!そのおかげでなんか「間延び」がしてしまい、折角の感動までも間延びしてしまうんですよね〜。後半分、今日にでもTSUTAYAに行って借りてきてみるだろうけど、多分それで終わり、また借りてきてもう一回見よう!なんて気は多分おきないだろうと思います。ま、しょせん大量生産される商品の中の一つなのかもしれないですが、せっかく良い話なのだから、せめてビデオ化するときにそうした部分を再編集とかしていれば、などと思ったりしました。
「男女7人秋物語」「高校教師」「北の国から」など、何年かに1度何回でも借りてきてしまうドラマもあります。そんなドラマのレパートリーが増えるのは、昨今のTV界の現状では無理なのでしょうかねぇー。
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