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2005年07月30日(土) 頭も夏風邪。


絶不調(TT)
こんな時もあります。でもま、身体のトラブルは 人間関係のトラブルよか
ずっとマシな気はします。
人間関係のトラブルは、これまでそう多くは経験してませんが
一度体験すると「歯を全部抜いてすむならそっちのがいいかな」
と思ってしまいます。それほど私は 歯医者さんも苦手なんですけどね。

これまで自分がトラブルだっと認識した人間相手の問題は三度。
うち女性が相手の物が一件です。ストーカーみたいな人で 精神的に
怖い目に遭いました。

私の持ってる物が全部みたいとか、自分の持ってる物を全部見て欲しいとか
何か変だと思っちゃ〜いたんですが。
ふとした事がきっかけで、そう言う意識が敵意に向いたようで、それから先は
ちょっと酷い目に遭いました。
精神的にはずっと不安定であったのだろう彼女が元気で、ストレスに弱い
こっちが倒れてしまうのは実にふに落ちないと、それは今も思います。
体調を壊すと周囲に心配かけちゃいますからね。

自分の身体がおかしい時は黙ってお医者に行きますけど、他人に向かって
「医者に行ったら?」とは言えませんもんねえ。うわっ、ひどいオチ。


2005年07月28日(木) 週末冒険者。


ファンタシースターオンライン
ムシキングなSEGAさんのヒットゲームだ。
元々のハードは、今はなきDC(ドリームキャスト)。
このゲームが発売された時は、かなりの話題になった。 夢のゲームとも
呼ばれた。 家庭用ゲーム機初のオンライン。
とにかく面白いと言う。だが私はDCを持っていなかった。
自慢じゃないけど持ってなかったハードって携帯機を除けばこれだけだ。
本当に自慢にもなんにもなりゃしません。

何でだろ〜と思ったら、これは息子がお腹に出来る頃の発売となっている。
さすがに周囲には言い出せなかったんだなあ・・・。
妊娠中もゲームをしたが、お腹が張って苦しくて 横になったり縦になったり
クッションを引いたりしながら それでもコントローラーは放さなかった。
苦行だったんで、その頃プレイしたゲームは忘れたくても忘れられない。
出産後しばらくは休んだが、身体が戻ったらまたゲーム。
ファンタシースターが発売されたのはその頃で、「うわあ、やってみたい。
マグってなんだろなあ、なんだろなあ」と、まだ見ぬ世界に思いを馳せていた。

間もなくWindows版を手に入れ、夜中に遊ぶようになった。
ボス戦の最中に泣く息子。「どっひょおおおおおおおっ」
2回に1回は家族が見てくれたが・・・残りの1回は席を立った。(当たり前)
思い起こせば、母としてもゲーマーとしても最低だった。
そのうちGC版(任天堂ゲームキューブ)が発売される事を知りGCを購入。
乳飲み子は3歳になっていた。オフライン専門の子供に優しいプレイ(?)を心掛ける。
それも、何時の間にか止めてしまい、それから幾つかのゲームをプレイして
十年以上続いたゲーム三昧の生活から 突然足を洗ってしまう。
メモリーカードには半年育てた私のキャラクターとアイテムが静かに眠っていた。

「冒険冒険」
息子のゲームは土日だけ。ピクミンに飽きて来た、と言うか友人がピクミン
目当てに集まり、喧嘩が多くなったので ややうんざりして来ている所に
偶然見た事のないソフトを発見した息子。「これはね、お母さんのゲーム
なんだけど・・・」
 キャラメイキングをさせてみる。
格好良い顔、格好良い服、格好良い武器を選んだ。
「レベル1からだと長い長い冒険になるよ。飽きちゃうと思うけど」
「飽きないから」
「土日だけだぞ」 「うん」
戦隊物にもさほど興味を示さず、戦うシーンが怖いからとポケ●ンですら避ける。
ちょっと男気をと思って 一緒に冒険に出る事にしてみた。
母は反対だった。私も随分迷った。
レベル117まで育てた私のキャラクターのあだ名は『師匠』
「師匠と冒険に行く」 GC版には2〜4人でプレイの可能なマルチモードが
ある。これも実際プレイして見ると不満だらけのモードだが、これが無ければ
このゲームを親子でするのは無理なのだ。

私の方向音痴を息子がフォローする。息子のへたれぶりを私が叱咤する。
漢字は私が読んでやる。
「オレのレベルは幾つかなあ」と聞いて来るので
「Rの小学生レベルは1だ」と言ったら喧嘩になった。
1万メセタ(このゲームの貨幣単位)で、髪型と服装を自由に変えられる。
それを知った息子はこっそりプレイ前に着替えを始めるようになった。
「じゃじゃん。オレの新しい服を見て」 架空の貨幣でも勿体無い。

一人でドラゴンを倒しに行けと言ったら泣いた。おんおん、おんおん泣いている。
「そんな度胸の無い人間とはもう冒険しない」
渋々、出掛けて行く。あっさり倒して戻って来る。
子供は怖い。異様に操作が上手くなるってのは本当のようだ。
息子の操るキャラクター『R』(自分の名前)は双刀を踊るように振りながら
敵に向かって行く。このモーションが格好良いんだが、私がやっても出ないんである。
「1,2,3なら最後の硬直が長いから1,2,1,2でやってみな」
言われている事の意味は全く判らない様子だが、一回で出来た。くっそう。
勉強もこのくらい出来てくれればと言うのは野暮と言う物か。悔しいぞ。
「ねえ。『R』の髪の毛、お母さんがやってあげるから 着替えに行こう」
「やだ、女の子みたいな髪にするから、やだ」
「何で!こんな長いまんまの方がよっぽど女の子でしょうが。縛った方が
いいんだって!こんな紫の髪の人は本当には居ないんだから、金髪な人に
お母さんが変えてあげよう」
「やだ、縛った方が女の子みたいだから。色もこれでいい」
・・・・・・ちぇ。

プレイ中に戦闘不能になったら、手持ちのお金は全部なくなる。他に大きな
ペナルティはないのだが、息子は着替え好きのため、お金は言っても言っても
油断すると全額持ち歩いている。
弟が遊びに来て、息子のキャラクターで遊んでいた。適当にやって適当に
戦闘不能にしてしまった。
「Rちゃんのお金全部なくなった。うわああああんんっ」

泣き虫冒険者は今、各冒険フロアの扉の開く音の声帯模写に夢中だ。
彼のハンターレベルは現在38、夏休みレベル(上下する)は現在12である。



2005年07月27日(水) アリゴロシ。


生き物の命を楽しみで奪ってはいけない。

子供にはそう教えているけれど、本来子供は残酷な一面を持つ物。
自慢じゃないが私の幼少期はそりゃあ酷い物だった。

「昆虫採集セット」悪名高きころす液とくさらせない液
・・・どっちもただの色水なんだよね。
でも欲しくって欲しくって、余り物は買ってくれない家だったけど(貧乏)
これは粘って買ってもらった。
毎日毎日昆虫採集、と言ってもしょぼい不快虫とか捕まえては
「ころす液〜」とかやってた訳です。 それも小学校も3年生を過ぎてから。
花火で虫を焼き殺したらどうなるのかとか、首の取れた虫はしばらく
生きてるとか、経験で知ってるんだよね。
やるんですよう、子供は一時期みんな。普通は男の子が多いらしいけども。

「オレはアリゴロシだ」
布団をかぶって息子が言う。友達がどんどん踏み潰して遊ぶのを止めたら
「オレは強い、アリはよわっちい」と言うシンプルな一言が返って来て
どうしていいか判らなくなった挙句、一緒に踏んだと言う。
だが、やっていて納得出来なかったし、楽しくもなかったらしい。
友達が楽しそうにアリを踏むのが悲しくもあった様だが、それを上手く
表現できない。
「Rがアリを踏むのが嫌なら、その時は知らん振りして離れて遊べばいい」
踏みたい奴は踏んでりゃいいんだし。

生き死にに余り神経質になるのは良くないが・・・命は大事で 小さな生き物も
同じと教えては来た。どう捉えて行動するかは、息子が決める事だしなあ。
でもまあ、私も昆虫採集セットは大好きだったが、それはセットを使って
見たかった
からで、別に虫を殺すのが好きだったわけではないのだ。
結果として死んでしまうと言うだけで。
息子もあのころす液、くさらせない液を見たら使ってみたいと
思ったに違いない。 道具に対する興味には勝てまい。
で、結果として虫は死ぬのだ。
花火の時だって「・・・どうなるんだろう」と言う興味がまず先だった。
ほとんどの子は好奇心からした事が 結果を見ると大変残酷な事に・・・って
事になってるんじゃないのかなあ、と思うんだけど。

「悲しかったら、もうしなきゃいい。お母さんもRくらいの頃は
虫を一杯、殺した事もあるしさあ」
「お母さんも、殺したのかっ」 詰問調。何を偉そうに。
「生きているって余り判んなかったんだもん。判ってたら殺さなかった」
「そうか」 そうだよん。 あと怪しげな色水の魔力に勝てなかっただけだよん。
「いやだったら、殺さないで離れて遊びなさい」
私がもっと叱ると思っていたのだろう。息子は安心したように静かになった。
階下へ降りる時、「だいすき〜」と言う声が部屋から何度も聞こえていた。
罪悪感を持っているなと感じた時は 取り敢えず赦すってのも
大事なのかなと、こちらも少し学んだ夜だった。

それと、アリは強いんだぞ〜。噛むと痛いよ。
私は一通り虫を殺してもいるが、噛まれてもいるのだ。
トンボも痛いぞ〜キリギリスも痛いぞ〜。




2005年07月26日(火) テルテル坊主。


雨脚がまた強くなった。息子は今日から夏休みだ。
数軒向こうの家に住む同級生のK君がやって来た。
「R、いる?」
「いるけど、外は雨だしもう4時半だから今日は遊べないかな。
ポ●モン見てるけど一緒に見てく?」
「ん〜。いいや、帰る」
触ってみると髪はぐしょぐしょだ。
「雨、もっと降るから。もう夕方だから帰るんだよ」
「うん」

「K君、帰っちゃったよ」
「ポケモン見ていけばいいのに」
「もう見たやつなんじゃないの?」

5分後。
「おばさん、おばさん」更に濡れてK君が立っていた。
「お〜、まだ帰ってなかったの」
「これ」差し出した手にはティッシュで作ったテルテル坊主が。
「そうか、明後日はスポーツ教室で行くキャンプなんだよね。
晴れるといいね」
「うん。Rは行かないんでしょ?」
「う〜ん。おばさん一日申し込むの遅れちゃって。そしたら
もう定員だって。おばさんが日にち間違えたからRは
行けなくなっちゃったんだよ」
「R、怒った?なんて怒った?」
「『お母さん大嫌い』って怒った」
「そうか」
大失敗である。でもいきなり定員オーバーだとは思わなかった。やれやれ。

風の様にやって来て大人と話し、再び風の様に K君は去って行く。
「家に帰るんだよ〜」 慌てて 後姿に呼び掛ける。
「テルテル坊主ありがとね。晴れたらまた公園で遊ぼうね〜」
自転車の少年が 何度も首を縦に振って帰って行く。

「K来たの?」
初めて気が付いたような息子。「もう帰っちゃったのか」
「これ持って来たの。キャンプは晴れるといいねえ」
息子にテルテル坊主を渡すと 「オレも作る」と同じ物を作り出す。
ティッシュを無造作に丸め。ゴムで首の部分をくくりマジックで笑った
顔を書いた。お腹の部分にRと名前を入れた。

「じゃあ窓の所に並べて置いておこうか」
息子の作った方は 頭が大きく『ゆるい顔』をしている。
K君の方が 頭が小さくひょろんとしている。
並べると それぞれに似ていて面白い。

「明日、ラジオ体操ないかも知れない」
「雨止まなかったら無いかもね、明日は」
「うん」

大雨に備え、朝顔の鉢を、玄関前に移した。



2005年07月25日(月) 失踪日記を読む。


吾妻ひでおの『失踪日記』を読む。
この人の作品を読むのは実に久しぶりな気がする。
なははのおじさんが好きだった。
マゾッ気があるのかも知れないなどとと考える。
私は酒は飲まないが、アル中ってのは辛そうだ。中毒すると
どれも辛いが、身体に来る奴は特に辛い筈だ。
買い物中毒では幻覚は出ないと思うし、血も吐かないだろうから。
辛いはつらいんだろうけど。周囲も辛いね、買い物中毒。
それはそれとして。

人はいつも同じ速さで歩けるわけでもなく、20代と30代じゃ誰でも
何かが絶対に違って来てて 「ふう〜年取ったなあ」って空を見上げて
また歩き続ける事が出来る人はまだ良いのかも知れない。
「あんな感じのものを」「あの時のような感じで」とか
ずうっと要求され続けたら辛いだろうな。
自分だって20代と何処が違うのかと思う時があるけれど(図々しいね)
何か隣りはエスカレーターで どんどん登って行ってるのに、何でこっちは
階段なんだ? って思う事がある。もう手段からして違うので ただ呆けて
見ているだけだ。 そんな時がある。

あの人書けなくなったよねと言われる漫画家や小説家。
自分もそんな事を言った覚えがある。沢山ある。 でも違うんだろうな。
あたると大きいが、とにかくプロとして物を描く(書く)と言うのは
非常〜に大変な仕事であるのは 間違いないんだろうと思う。

「こっちは命を削って歌っているのだから見る方がお金を払うのは当然」
みたいな事を言ったのはジャニス・ジョプリンだっけか。違ったっけか。
いや、この言葉正確じゃないな。済みません。出典が見付からないし。
でも、こんな感じの事を言っている筈だと記憶してます。
これを言った(として)彼女は相当若かった。
(しかも削り過ぎて死んでしまう)

正に大声で言いたくなる頃が、普通 中々言えなくなる年齢と言うのも皮肉な話だ。



2005年07月24日(日) テレビの話です。


テレビの話です。

もう、結構以前の事だが たまたまフジでワイドショーを見ていて
そこで体験レポートをしていたらしいアナウンサーが ビルの
5階くらいから落っこちてしまった映像を流していた。
このアナウンサーは重症を負っていた。
その日の朝刊か何かで、私も既に見ていたのである。それでテレビを
つけたと言う訳でもなくて、テレビは何となくついていた。

私は勘違いもし易いが、印象深い出来事は案外長く憶えている。
この時は、同じ映像を何度も流していた。何かに集中していた若いアナウンサー
の顔が、突然 驚愕の表情に変わる。それを繰り返し繰り返し流すのだ。
自社の事故を隠せば良いと言う物ではないが、骨折した部位から考えて
後遺症が残る事だって有り得ると思ったので 他人事ながら気になった。
彼女はニュースになって それからどうなるのだろう?
良く知らない人の事だったが、少し心配した。
しばらくして、彼女の姿をテレビで見た。元気に仕事をしていた。
この時は 何だか少し安心した物だ。

座っている赤ちゃんが突然後ろ向きにひっくり返る、小さな子供がお尻を
突っ込んで遊んでいたダンボールから突然抜けなくなる。
後々何度も、私自身目にする表情と、この時の若いアナウンサーの表情は
似ていたように思う。
予想もしていなかった事態にどうする事も出来ない。大人がそう言う顔を
する時は悲惨だ。 驚愕に絶望がないまぜになっている。
その時のアナウンサーが菊間千乃さんだ。

私はSMAPくらいしか実は現役で活躍中のジャニーズの人を知らない。
岡田准一と岡田義徳をいつも間違い、どっちがどっちか判らないのだ。
(ファンの方には失礼ですね、ご免なさい^^;)
NEWSと言うグループがある事も、それが総勢10人くらいである事も知らなかった。
多いなあ、何をするんだろう。踊るのか?全員美少年の米米クラブとかなら
楽しそうなのに。ああ、ここで既に歳がばれてしまう。
それはそれとして、今回は18の子が飲酒で傷物になってしまったらしい。
それに菊間アナウンサーが絡んでいると言う。

未成年の飲酒はご法度。売れっ子芸能人でそれが表沙汰になるのは致命的な
事であるだろうに、余りにもアンマリな事件(?)である。
ニュースになって画面をにぎわし、消えてしまう。
菊間アナウンサーがあのままテレビ仕事に戻れなくても、何れ誰もが忘れて
しまった事だろう。それを彼女は、怖くなかったのだろうか。

こんな、現場で見てもいない話を書くのはどうかとも思ったがホームにしている
ポータルサイトで「菊間アナ泣いて謝罪」と言うニュース記事を見付けて
思わず読んでしまった。
彼女が泣いて謝ったと言う話は、彼女の所属するフジテレビの社長から
伝わっている様子だ。馬鹿みたいである。泣いたからなんだと言うのだ。
伝える社長も社長と言うか「泣いて反省しています」が通用するのは
小学生までではないのか。 それ以降は『ごめんで済むなら警察要らない』
である。

フジテレビは、かつて何度も 死に直面した悲惨な彼女の表情をテレビに流し
視聴率を稼いだ。復帰して頑張る彼女の姿に負い目でもあるのだろうか。



2005年07月23日(土) 目の無い金魚。


幼稚園の金魚水槽で目の無い金魚を見た。
プールやサッカーの盛んな幼稚園であり小学生用のコースもあるので
引き続き1年だけプール教室に通わせる事にしたのだが、今日は休ませて
しまった。 学校でプール授業が2時間ほどあり、戻った息子が何だか
ふやけていたからだ。
夏休みの授業日程などを書いた用紙を受け取りに、私だけが夕方出掛けた。

玄関には金魚の水槽が幾つか並んでいる。
新たにグッピーの群れが増えていた。何でまた・・・。寄付?
目の無い金魚は その水槽に、小さな熱帯魚に混じって一匹でいた。
丁度、深海魚で目が退化してしまった物がいるが あんな感じ。
綺麗さっぱり無い。右も左も無い。
スポーツ教室の先生がプリントを持って来て下さったので訊ねて見た。
「この金魚、目がありませんね」
「ああ、それ目が落ちちゃったんですよ。病気で」
目が落ちた!?
目が飛び出すのはシンゴちゃんで見たので病気の症状であるのは判るが
(そもそも上へ横へと目玉の飛び出た種類の金魚もいるし)
目玉が落ちると言うのは初めて聞いたので驚いた。穴が開いている風でもなく
本当に何も無いだけで綺麗な物である。

家に帰って調べてみると、目玉が落ちると言う事は本当にあるらしい。
仲間に襲われて目玉が食べられると言う事もあるらしい。
病気で落ちた目玉が 更に食べられると言う、複合的な悲劇もあると言う。
それも金魚を飼っていると 結構起こる事のようだ。知らなかった。
うちの大型金魚は太り過ぎで、オランダシシガシラと言う別の金魚みたいに
なってしまっている物が居るが(脂肪が頭に溜まる)粗食が良いと判っていても
一日一回の食事を更に減らしたら、猛烈に暴れるのである。
暴れる金魚は 咬まないと言うだけで 凶暴以外の何物でもない。
あれで咬んだら 本当にピラニアだ。
お腹を空かしたら仲間の目くらい食べるかも知れない。いや、食べる。
太っても一日一食は やる事にする。

目の無い金魚は見たところ他の水槽の金魚と変わらず、のんびり泳ぎ
水底の石を咥えては落とし咥えては落としを繰り返している。
我が家ではポンポンだけがそれをするので、この金魚はメスなのかも知れない。
以前、幼鳥の頃、子供がコンクリの上に落として両足が複雑骨折をしてしまい
全く立てないインコを飼う事になった事がある。
関節の部分に大きなタコを作って やっと止まり木に乗って居る様子は
とても長生き出来るとは思えなかったが、17年生きた。
無理が出来ないので しようとせず、自分のペースで生きた 利口な鳥だった。
目の無いあの金魚も、自分のペースでゆっくりと泳ぎ、生きて行くのかも知れない。
子供達は、そうした金魚も居る事を 見ながら育って行くのだろう。


2005年07月22日(金) 可愛く泣いて。


男の人の前で 可愛く泣いて見たいな〜
でも、そう言う作為的な考えあっての涙じゃ駄目なんだよね。
作為的な涙で効果を上げるには相当のテクが要るんだよ。
でもテクは承知と言う神経は要らないし。
天然自然で流せる涙がいいわけなんだけども。

どっちにしても今やっても駄目なんだけどね。
駄目だから考えたりしてるんだけどね。

高校の時、1度だけ泣いた事があったんだよ。
放送部にいたんだけれど 何かの録音が遅くなっちゃって
大好きな先輩(生徒会役員、漫画みたいだけど)がその場にいて
先輩の録音分がまだ済んでいないのに 先生が
「女の子は先に帰りなさい」って言って
「うわ〜ん」って17にもなって。ねえ。
「帰りたくありません〜。わ〜ん」って泣いたので 先生も慌てて
残る事を許可してくれました。
周囲にも泣いた理由はばればれだった筈なので 先輩は大恥かいたんじゃ
ないだろうか。

後にも先にもそれだけかな?異性絡みで、その人の前で泣いたのは。
ドラマで、良く泣く女性が「そう言えば前に会った時も泣いてた」って
男性に思い出して貰うシーンがあって
ちょっといいなって、思っただけなんですけどね。

でもま、最近は定期的に会う異性と言えば私の場合洗濯屋さんくらい
なので、いきなり泣き出しても、シュールな劇みたいになるだけです。


2005年07月21日(木) 病院へ行って来て思った事。


病院に行って来ました。
電車に乗って、少し歩く。
この病院に通い始めて、十数年になるかな。世に言うメンヘル系の病院だ。
その前に通っていたお医者さんが遠くの病院で院長職を務める事になったため
患者さんはあちこちへ振り分けられた。症状が軽いと判断された人が
紹介された病院が、現在私が通っているK医院であるらしい。

中学生の時、体調を崩した。試しに脳波を測ってみると私の脳波は人と
大きく違っていた。そこから色々な事が始まった。
脳波が違うと言う事が身体にどう言う影響をもたらすのか、25年前は
当然今より、はっきり判らなかった。でもって今でも完全には判らない
みたいだ。私は かなり大きな病気であると言う診断を受けた。

運が良いのか悪いのか、結果的には悪かったと思うんだけど 権威であり
名医である方に見て頂く機会を得た。診療中に政治家から電話が掛かって来て
ゴルフの約束してる。権威ってそう言うものなのか?知らないけど。
当時もかなり高齢であったこの権威の先生は「病気を持つ者は子を持っては
ならない」と言う考え方だった。結婚も望ましくない、周囲を苦しめる結果に
なるからと。患者に向かって、非常に明確にそう言った。
同じ病の子を持つからだそうだ。私が診断された病は遺伝的要素があった。
もっともな事なのだろう。だが、このまま黙って生きて死ねと言われているのと
変わらない。私は元気に通勤していたが、強い薬を飲まされて一日中寝たままと
言う事もあった。何度も倒れたが 現場には幸いな事に人が居て大事になった
事は無い。
薬の事は誰にも話さず、貧血持ちであるとだけ言っていた。

医者を変えたのは苦しかったからだ。知り合いの方にやはり専門医である
方を紹介して貰った。専門医ではあるが権威ではないらしいその先生は
おそらく、直ぐに私の病が始めに診断された物ではないと気付いたらしい。
だが薬は弱くなったが、切ることは出来ないと言う。脳波形の異常は
変わらないからだ。
そこで何年か診療を受ける。郊外で院長をなさっていたその先生は先日
亡くなった。まだお若かったのだが。
その方に今、元気なおっ母ちゃんとなり、生意気盛りの息子と居るのをお見せ
出来無かったのは残念だ。

私の子供を望んでいた人は、結局 少なかったんだろうなあと思う。
息子妊娠2ヶ月。近所の総合病院で「奇形が生まれますよ」といきなり言われる。
私はその場で倒れてしまった。これにはさすがに 後で電話で講義した。
今も猛烈に腹が立っている。まんま言う事は問題である。
K先生に泣きながら訴える。K先生は私にとって最良のスタッフが揃う
病院を紹介してくれた。そして薬を全て切った生活が始まった。
もしも私が初めに診断された病気なら、かなり厳しい事であるらしかった。
だがK先生も、どうやら私の頭には癖はあるが病気ではないと薄々判断されて
いた様子だった。

大きくなる子宮筋腫、止まらなくなる鼻血、出産日を何日過ぎてもお腹を
漂い、あげく挟まって出て来られなくなった子供と、私は予定外の所で
病院に随分迷惑を掛けてしまった。

以来6年ずっとK医院には通い続けている。定期的に脳波は測るが、現在
異常はないと言う。それでも薬を切る事は出来ず、出産後はまた飲み始めている。
薬を切ると危険な症状が起きる事があるらしい。リスクを減らすため 薬は
少量でも切らせないと言う。
元々、大病の症状と間違われた 自律神経のバランスの悪さを調節する薬も
飲んでいる。これがいわゆるメンヘル系の薬と言われる奴だ。
幼稚園の宴席も2年間皆勤で 最後まで遊んで居たが、薬を飲みながらである。
上手に付き合えば、別に何とも無い。だが量を過ごすとまずいと思う。
薬ほど、飲まなくて済むならそれが良い物もない。

「黙って生きて死ね」みたいに言われた事。「生まれた子供は奇形児になりますよ」
と、ずばりな言葉で言われた事。失敗したなあと思う事ばかりの自分の人生
だけれど、不幸だとまで思わないのは、医療を飛び越えて人間を踏み付ける
物言いをした彼らに 一矢報いてやったぜと言う勝気な自分がいるからだ。
無茶な自分を傍で、遠くで 支えてくれる人達にはいつも本当に感謝している。
人の話を 聞いた先から忘れてしまうと言う困った癖を持つK先生にも
言葉には表せないほどの御恩を感じている。




2005年07月20日(水) 見付けたCD。


先日、ずっと探していたR・マッギンの「イージーライダーのバラード」を
近所のレンタルCD屋さんでやっと見付けた。
サントラのリマスター版と言う事で、聴いて見ると小学生の時 自分が何度と
なく聴いていた物とは何となく、と言うか結構違う。
曲は同じなのだが イメージが違う。
この曲には、R・マッギンがレコーディングしてバーズのアルバムに収録
された別ヴァージョンがあると言う。
自分が幼い頃、聴いていたのは、おそらくそちらだ。
買わないと駄目かあ〜、と思っていた矢先である。
何となく立ち寄った、「イージーライダー」のサントラを見付けたレンタル屋
「T」に バーズの2枚組が新入荷していた。
「イージーライダーのバラード」が収録されている。
新入荷だが旧作扱い7泊8日で300円は嬉しい限りだ。

早速かけてみる。正解。懐かしいと言うか 涙で前が良く見えません。
良かった、車走らせる前で。

これで何の思い残す事も無くなったと言うか、懐メロに関してはそうだ。
だが一つ疑問が生じた。
この店、バーズが元々4枚あった。1枚はベスト。これは2枚目のベストと
言う事になる。新入荷と新作は違う。新作はレンタルも2泊まででレンタル料も
お高め。文字通り新しい作品なので、どのお店でも大抵似たような品揃えで
似た時期に入って来る。
新入荷は新品のCDではあるが 発売が新しいわけではないので旧作扱いだ。
この新入荷の基準が判らないなと思ったのである。
これまで気にならなかったのは、目に留まった新入荷が 大抵人気作であったためだ。
バーズが不人気とは言わないが、不人気以前に知らない人が多いんじゃないか。
1960年代結成、70年代には実質解散状態に入っているバンドである。
ここからクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングと言うグループが派生
しているが、それにしたって「いちご白書」の時代とかだ。
しかも本家。バンバンの方じゃないやつ。あれは「いちご白書をもう一度」だ。
何だそれはと言う人も多い事だろう。いや、そう言う人の方が絶対多い筈だ。

話が脱線してしまったが、今回非常に有難かったバーズは 何を基準に入荷
したのだろうと考えてしまったのだ。この店はマイケル・ジャクソンが
一枚も無いのである。 初め私は 本気で 「あの人はアルバム発売が禁止に
なってしまったのだろうか」
と思ったほどだ。
だがジャクソン5は数枚あるのである。なんでだ??

考えられるのは 新入荷のアルバム枠があり、そこに店員の趣味を決まった分量
ぶち込められる(言葉が悪いね、どうも)と言う事である。
お客様のリクエストにお答えしてバーズが5枚って絶対に無いと思うもん。
私だってリクエストした事あるもんね。20世紀の名馬100(全10巻)を入れて下さいって。
無視されちゃったけど。
これは別のお店で見付けたんだけど、飛び巻になってたのだ。4巻分くらいが
無いのだが、その中に見たい馬が結構いるのだ。

色々と余計な詮索をしてしまったが、とにかく偏った品揃えのお陰で目的の
物を見付ける事が出来た。バーズのアルバムに収録されているヴァージョンは
フォークロック色が強く、メロディアスで美しい。




2005年07月19日(火) おむすびころりん。


おむすびころりんの朗読を 10日ほど家で練習して行く宿題が出ていた。
読みのテストが いずれあるのだろうと思っていた。
読めても読めなくても、まあ仕方ない。音読が苦手な子はとことん苦手。
本は小さな声でしょぼしょぼとしか読めないが、他の事は何でも出来る子は
沢山いた。逆もある。息子は音読は割と得意な様子だ。
だが他がいけない。

今日、ぶあついプリントが戻って来た。おむすびころりんの朗読と
読解力のテストの用紙だ。朗読はおそらく全員が貰えるのだろう
良く出来ましたで賞の賞状付きだ。子供って賞状とか好きだよね。
そして読解力のテスト。
おじいさんのイラストがあり、隣に4行ほど文章が書ける様になっている。
物語からその部分を抜粋して書くか、自分の言葉で説明する物のようだ。
・・・難易度高し。うちの息子には。

初めのページは、おじいさんが おむすびを転がして慌てている絵。
息子の解答は 非常に拙い字で「ああ、おとした。でもまいっか1こあるから」
であった。確かにおじいさんの手元には、もう1回転がすぶんのおむすびが
あるわけなのだが、 おじいさんは こうは思っていない筈なので、これは
正解ではないだろう。だが花丸を貰った。 いいな小学一年生よ。

2ページ目はおむすびころりんの歌におじいさんが嬉しそうに踊っている様子。
2個目のおむすびを 転がしたあとらしく、おじいさんは手ぶらだ。
息子の解答は「うれしいな」。
「おじいさんはあなからきこえるうたにおどりだしてしまいました」辺りは
書ける子はちゃんと書けるんだろうな。
だが花丸だ。「おじいさんはあなからうたがきこえてうれしかったんだね」
と言う、さり気無く正解を示唆した先生のコメントつき。

3ページ目はねずみに接待されてるおじいさん。顔が赤いです。
息子の解答は「うれしいなあ〜」と、前頁のものに「〜」が付いただけ。
だが、あと3行ほど解答欄は余っているのだ。
さっきのページでも 解答欄は余った。今回も大幅に余った。それは解答が
不十分だからなのだが、息子は解答欄を埋めようと考えたらしい。
「ち●こまるだし ちん●ぷーち●こぷー」
と大きく書いてあった。最低。
先生は「ち●こ」の部分を赤線2本で消し、そして花丸を付けて下さった。
「たくさんごちそうしてもらってうれしかったんだね」と書いてある。
どうも済みません。

「ちょっと、こっちおいで」 ランドセルからこれを発見し、耳まで赤くなった
私の様子に「やばいっ」と思った息子は部屋の隅に逃げた。
「ちょっと、こっち来なさい」 「いやだ」
「いいからっ!こっち来いっ!」
だが、叱り付けるにも余りに馬鹿馬鹿しいので何をどう言ったら良いのか
判らない。
私には 2つ年下の弟がいるが、やはり小学校低学年の時、 「じじいが
くそしてくそじじい」
と、見知らぬお年寄りの前で言い、その場にいた
母が大変困ったと言う話を 今でも時折 皮肉を込めて言われたりしている。

寝しなに「先生、あの『ち●こまるだし』見たとき、何て言った?」と聞いてみた。
「いや〜んはずかしい〜って言った」 身をくねらせる息子。
ウィンタースポーツがお好きと言う先生は、30代前半の 背の高い美人である。
どうも済みません。


2005年07月18日(月) 乳の秘密。


今、迷惑メールのフォルダを見たら一言『巨乳』と一言あるメールが入って
いたので、今日は乳絡みの話をしたいと思います。

巨乳って言葉自体 割と新しい。援助交際とどちらが新しいか、ちょっと調べて
見たけれど ちょっとしか調べてないせいか、双方とも90年代の初めに
登場した言葉であると言う事しか判らなかった。それと巨乳に関しては
細川ふみえが、定着に一役買っているらしい。
一方、豊乳の方は、巨乳を使い辛いメディアが積極的に使う事があったが
定着はしなかったみたいで、これは当然と言う気もする。

巨乳と言う言葉と対になるように 貧乳と言う言葉が使われるようになった。
そして、寄せてあげる下着がかなり効果的に機能する時代が到来するのだ。

学生時代、私には好きな人が沢山いたのだが、その中の一人の人が
「焙煎さんはぺちゃぱいだから」
と言うのを偶然耳にしてしまった。周囲は何故か大声で笑っていたが
(男ばっかし、しかも実物を見た奴なし)私はそれを愛称として受け取った。
ぺちゃぱいには何となく、可愛いイメージがある。別に悔しいからじゃないっ。
でも 見てから言われたら やっぱり大ショックだ。女性の場合 服の上からでも
ある程度大きさが判る。細かい形までは判らないだろうが。
ところが男性は、見るまで判らない。いや、判るような服装をする人も
いるけど 普通の服装じゃ まず判らない。
でも、不公平だとは余り思わない。女性は結構 見たものを語る。
男の人は見られちゃったら終わりだと思った方がいいかもと思うほどだ。
私の周囲に、そう言う話が好きな人間が集まっていただけかも知れないが
確かな事は判らない。

女として かなり歳食ってても、自分の持ち乳に関して判らない事がある。
結婚して子供を生む場合、乳には重要な役割が生まれる。授乳だ。
この時は、どの女性の胸も 大抵豊かになる。 巨乳が「そのままの状態で既に
でかい乳」なら豊乳には「授乳状態のため大きくなっている」乳も含まれて
しまう気がする。いや、そちらのイメージの方がむしろ強い。
何となく勿体無い感じのする乳である。安易に消費されて良い感じが薄いので
定着しなかったのも判るのだ。

それで、自分の乳の何が判らなかったのかと言うと、授乳には幾つかの重要な
条件があり、そのうちの一つに乳首の形があげられると言う事だ。色ではない。
乳頭が短い。これだけで乳に吸い付けない子供が出て来る。
近年、この乳頭の短い人が増えていると言う。早いうちからブラでしっかり
胸を押さえているためだと聞いた。 実は私が そうだったんである。
同じような胸でも、ちゃんと吸い付く赤ちゃんはいる。そして吸われているうちに
自然と赤ちゃんが吸い易い形に 乳首は変化するのだが、私の場合、息子が
「この子、不器用だ」「しかも根気が無い」などと看護婦さんに散々言われる
くらい吸い付きが悪く、結局全てが搾乳(乳絞り人間版)となり、3ヶ月で
「もう要らん、ミルクに変えてくれ」(息子)となってしまったのである。
吸い付き辛い乳首。普通、出産するまで余り考えない事である。

産科では、特に初産の産婦の出辛い乳のため、猛烈に痛いマッサージが施される。
だが、今更 乳首引っ張り運動とかはしてくれないのである。少なくともうちの
病院ではそうだった。

10年前に戻れるならば、ぺちゃんこならぺちゃんこで いいではないかと
それは変わらず思うだろうが、寝る前5分の乳引っ張り運動だけはやって
おきたいと切に思う。伸びてしまうが それでいいのだ。



2005年07月16日(土) 菓子袋。


ピンポ〜ンピンポ〜ン。玄関で誰かが呼び鈴を押している。
だがモニターには何も映らない。「来たな」
「どなたですか?」
「Rちゃんいますか〜」
息子は今帰って来たばかりであり、宿題がまだ・・・。
「おお〜K太〜、S助〜」
息子にしてみれば渡りに船だ。「宿題は後でやるから自転車乗りたい」
ところが友達の意向は違う。「Rちゃんちで遊ぼう」
駄目駄目駄目っ!外で遊べ!外っ!
「じゃあ外で遊んでから、家で遊ぶ」
わああ〜っと歓声を上げて出掛けて行く。その数4人。

ほっとしたのも束の間「ただいま〜」10分しか経ってないっ
「今度は家で遊ぶ」
NOと言いたいところだが、実は結構外はまだ暑い。仕方ない。
子供達は一人が一袋、菓子袋を持たされている。
息子は仲間内でも圧倒的に狭い縄張りを持つ。自転車が最近まで
未熟だった事と、やはり遠出をさせるのが 私自身心配なためだ。
他所のお宅へ呼ばれた時には、私も一緒に伺っている。
見たところ、子供達を受け入れる家は少ない。受け入れるのは大抵
素人(一人っ子や上の子)の家であり、一旦受け入れると集合場所と
なり、大変な目に遭う事がある。
我が家も一時期、そうなりかけて調整に一苦労した。我が家の調整が
済んだ頃、別の家に集合場所が出来、そこのお母さんが悲鳴を上げている
と言う話を聞いた。う〜ん スズメバチみたいである。
子育てベテランのお母さんは上手に子供を外で遊ばせる。そして
子供がどこかの家に入り込んでしまった事を考えて、お菓子を一袋
持たせているらしいのだ。
「これ、お母さんから貰って来ました」言えるのは5人に一人くらいだ。
あとの4人は菓子袋を放り投げて遊んでいる。こちらから「寄越せ」とも
言えない。彼らは帰り際に菓子袋を持って 途方に暮れたような顔をしている。
お母さんの言葉をやっと思い出す様子だ。「・・・これ」
「いいから、持って帰りなさい。また来た時に一緒に食べようね」
ああっ。我ながらまた余計な事をっ。そのうちの一人が言う。
「じゃあ、これからH夫の家に行くから そこで食べてもいいかなあ」
おいおい、まだ遊ぶんかいっ。我が家の解散は5時である。
「いいけど、一度家に帰ってお母さんに聞いてからにしなさいね」
「わかった」
自転車で戻って行く方向は H夫君の家の方であり、自分の家の方ではない。
聞いちゃいねえ〜〜〜っ
5時寸前に新しいメンバーが飛び込んで来て「5時まで遊んでいいって言われた」
と息巻いている。「時計、読める?」 「読めない」 「今5時なんだよ」
「が〜〜んっ」と言う顔がギャグ漫画そのままで面白い。
面白いは面白いんだけど、やはり家に入れる日を限り、極力外へ出し
週に一度か二度は こちらがショッピングセンターへ逃亡する。

「男臭い」居間で母が言う。
「あんなちびっこいのに、靴下のにおいだか何だか、何かもう一丁前に男臭い」

夏休みの事を考えると、結構憂鬱だ。とにかく毅然としないとね。
暇なら雑草抜きでも手伝わそうかな〜。昆虫観察も出来るしね。
息子の足は彼らといるお陰か、打撲のあとだらけで 陽にも焼け、随分と
少年らしい足になった。


2005年07月14日(木) 天国は ない。


寝しなの語りついでに息子に言ってしまう。
「天国は本当はない。残された人が余りに悲しいから作った場所」
みたいな事を。 あちゃちゃちゃちゃって感じだ。
金魚のシンゴを埋葬したのが10日ほど前。
「天国でポンポン(奥さん)を待ってるんだね」 とか話したばっかり。
サンタクロースの事でさえ、今年の年末に話すと家族で相談しあって
決めているので、フライングは禁止だと言うのに。
何となく言っちゃった。ああ〜しまったと思った時にはもう遅い。
「天国はあるんだ。うわああん」
泣くほどの事か?事であるらしい。

自分はどうであったろうか。天国を信じていたろうか。
祖父ちゃんが死んだのが小学校3年の時、安置している部屋で私は遺体観察を
していた。祖父の事は大好きだった。だが病気で死んだといわれれば
「そうかな」と思える年になっていた。死んだら動かない。これも判った。
だが、死体が乾き易いと言う事と、水分の多い所が特に早く乾くと言う事は
この時知った。私は祖父の まぶたと目ばかりを見ていたのである。

母の実家は代々熱心な日蓮宗で 坊さんがしょっちゅう出入りしていた。
死んだら仏さんの所へ行くと私は教えられていたのだった。

死んだら天国、判りやすい。今は必要だ。判ってる。失敗した。大失敗だ。
死ねば何であれ取り敢えず天国へ行けると安易に思って欲しくなかった。
だが自ずと気付くまで放って置くべきだった。

今日の夜。やはり気になったと見えて 息子がおずおず尋ねて来た。
「お母さん、天国って本当は あるんだよね?」
「あります」
「そうか」 一応セーフか?

「天国の頭の輪は何で出来てるの?」
頭の輪? ああ〜天使の。 死んだらみんなアレを付けるのか?でもいいや、もう。
「電球じゃないの?」(←投げやり)
「違う、あれはお月様の半分だ」
「・・・Rちゃんさあ、ポエマーだねっ」(←皮肉)

一緒に暮らしてた祖母(息子には曾祖母)が多分 余り永くない。
94歳、身体の自由は利かないが 頭が妙にしっかりして来て、見舞いに行くと
30年前に逝った夫の、余りの迎えの遅さに不満を漏らす。
自分の命日を大体決めて、年忌のやり方まで決めて、じっと待っている。

鳥と人を一緒にするのもどうかと思うが、愛鳥オーちゃんも11才。
人間にすれば結構なじーさんで、明日が無くても誰に文句も言えない。
「土に還っていなくなった」 では心の拠り所が無さ過ぎる。
そもそも、だから天国があるんじゃないか・・・。






2005年07月12日(火) 坊主憎けりゃ。


坊主憎けりゃ袈裟まで憎し
判るような判らないような面白い諺である。
袈裟は坊主とほぼ一体だが、それ自体は無機物で 自分から嫌われる理由など
持つ筈も無い物だ。 それほど 説明出来ない理不尽な心理が、憎しみには
働くと言う事なんだろう。

旦那憎けりゃ背広も憎い
どうだろう。今作ったんだけど 何だか違っている。
旦那嫌いだから旦那のネクタイも嫌い
こっちの方がありそうな気がするが、憎しみはずっと弱まる感じだ。
親が憎けりゃ子も憎い
うう、洒落にならない。だが坊主憎けりゃとは、実際は こっちのが近いと思う。
憎しみはほとんどの場合、生きている物に強く向く。

私は一度、老いた文鳥を家に置いていた事がある。
色々曰く付きの この文鳥を引き取る事に 私は全く乗り気ではなかった。
放って置いたら死ぬのだが、それでも引き取る事には 積極的で無かった。
私は元々、それほど生き物好きじゃないのだ。この時には特にそう思った。
だが結局、文鳥は家で飼う事になった。母が頑固に飼うと言い張ったからだ。
「文鳥に罪があるわけじゃなし」
だが、そうだろうか?

文鳥は、かなり年老いていた。看取ってやるだけのつもりであったが、
これが案外長生きした。
ある夜、ププププププと言う 文鳥独特の鳴き声がする。 居間には私一人で
あった。小屋にかけていた布を退けてみると、伸びた爪が止まり木に引っ掛かり
文鳥は逆さまになっていた。
気性のきつい鳥で、しかも弱っており、爪も容易に切らせなかった。

文鳥は羽根をばたつかせ、ププププ言っている。居間には私だけ、誰も
見てません。 朝まで置いておいたら、死ぬな〜これは確実に。
結局元には戻したが、どうにも面白くない。良い事をしたと言う気が、
ちっともしない。 そのままにして置いた事を一生忘れられずに居る事より
ほんのちょっとマシだと言うだけの気持ちだ。
袈裟なら燃やしてやるのだがと思うが、それでもすっきりする筈も無い。
結局、一度憎いと思ったら何を殺そうが燃やそうが、すっきりなどしないのだろう。
憎しみは自分の中で時間をかけて昇華するしかない。物凄く厄介な感情だ。
一方、燃やすなり、壊すなりしてでも排除したいと切に願ってしまう物に
恐怖があると思う。これも厄介な代物だろう。

旦那は嫌いじゃないがフィギュアやグッズが憎い
と言う話を聞いた事があるのだが、これはこれで大変そうと言うか。



2005年07月11日(月) 何でも経験。


我が家の玄関に居た息子の同級生のK君、1cmほどの小さな蛾がぷんぷん
飛んでいるのを発見した。この子は運動神経と反射神経に、大人の目から
見ても並外れた物を持っている。親御さんは時にそれが悩みの種らしいが。

一瞬で硝子に押し付け、小虫をぺちゃんこにするK君。確かに相手は
飛んでいるので 大した技だ。だがその後がいけない。
手に付いた物をべろ〜んとひとなめした。あっと言う間もありゃしない。
「まじい」顔をしかめて一言。
「あのさ、毒持ってる虫とかも居るからさ。何でも口入れちゃ駄目だよ」
「何でもないよ」 あるんだって!毒蛾とかだったらどうすんのよ。

別な日、家の中に飛び回る、それより少し大きめの蛾を見付けた息子。
「どうする?逃がす?」 「逃がす」「自分で逃がす?」 「うん」
どちらにしても捕まえるのは私の役目だが、息子は暴れる蛾を手で包んで
開けた窓から放した。だがその後がいけない。
いつもの癖で鼻に指を突っ込んだ。
「べ〜っくしょんっ」
「あのさ、リンプンって言って羽根に粉が付いてるからさ。鼻に入れるな」
「・・・びっくりした」

母として、近所のおばさんとして、「だからね」と説明する。「気を付けないとね」
半分、いや5分の1も聞いちゃいないのだが。こう言う事する連中は、初めから。
こっちも正直な気持ちは「お前ら、馬っ鹿だなあ」である。

昔の子供と今の子供、取り囲む物が余りに変わり過ぎちゃって ちょっと
簡単に比べる事は出来ない。だが子供はいつでもオバカさんである。
無論それは、知恵や経験の不足から来る物だから 笑ってはいけないんだろう。
だけど、知恵や経験でバカをやらなくなったら 人間はやっぱり少し詰まらない。

こう言う姿を見ていると、自分の子、他人の子余り関係なく 先がそれなりに
楽しみな事だと思ってしまう。
おそらくそう思っていただろう親の思いを 私などはしっかり裏切って来て
しまったのかも知れないが。


2005年07月09日(土) コミックバトンです。


Wee Willie Winkleの日記で木ノ本あんずさんからコミックバトンを頂きました〜。
あんずさんからはミュージカルバトンも頂きました!有難うっ
そして5人に回せず 止めてしまう、友達少ない私を許して(涙

★あなたのコミックの所持数は?

今は100冊くらいでしょうか。
随分捨てましたね。溜まれば捨てる。勿体無い事をしたなと思う物も
かなりあります・・・。捨ててなければ相当数になってます。使ったお金も。
本は場所取るよねえ、コミックだからって嘗めてると痛い目に遭うって言うか。

★今読んでいるコミックは?

ベルセルクを読み返してます。

★最後に買ったコミックは?

ホムンクルス5巻とクレイモア8巻とブレーメン�僑鬼�を一緒に買ったかな?

★よく読む、または思い入れのあるコミック

ベルセルク(三浦建太郎)・・・共に歩んだ十数年。特別な漫画ですね。

寄生獣(岩明均)・・・とにかく面白かった。夢中になって読みました。

うしおととら(藤田和日郎)・・・とらちゃんが好きだった。カムイコタンは
本当にすごい場所だと思いますよ。

はみだしっこ(三原順)・・・やはり特別な漫画です。

ストレンジ+1(美川べるの)・・・ゲームコミック書いている時から面白い
人だなあと。

次点が3つほどあるけど書くのは反則なんだろうなあ(苦笑)

ちなみに「ベルセルク」「寄生獣」「うしおととら」の連載開始時期は
近いです。ベルセルクは1989年あとの2つは1990年。
作者の方の年齢も近いです。藤田さんが私と同じ年。岩明さんが4つ上、
三浦さんが2つ下みたいです。(身体には気を使わないとねなお年頃です)
世はバブル真っ盛り、街中では踊るポンポコリンがどこ行ってもエンドレスで
流れているような、そんな時代でしたっけ(←生き証人)

どこへ向かっているのか判らなくなりそうな足をふと止めるような
名作であったと思います。(ベルセルクは現在も連載中ですが)

久々に読んでみようかな。寄生獣(これは捨ててないんですよ)
いやあ懐かしいなあ。あんずさんありがとうですっ


2005年07月08日(金) ミュージカルバトンです。


今日のつぶやき@日々暮らはおもしろのさとうやさんから
ミュージカルバトンを頂いて半月経っちゃいました。あああ。
これ、とっても面白いんですが 5人のバトンを回す人が見付からなかった
友達いない私。バトンは落っことしちゃったんですが、貰ったバトンを
書かせて頂きます。ふっふ。実はこう言うの 一度やってみたかったんですよ。
私はものすごい答えたがり屋なんです。〜さんに100の質問とか、ああ言うのも
すっごくやってみたいんだけど、自分の〜さんの「〜」の部分が判らなくて。
40代の人に100の質問とかもあるんでしょうけど、それはちょっと辛いし。
答えて行くうちに何かを思い知らされそうで。
でも音楽は大好き。ですんで、これは楽しそうです。やってみます。

★コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量

いきなりこれが分んなくて(涙)それで躊躇ってしまった・・・。
うちはほとんど使ってないですね。PC買ったら何かリモコンみたいのが
付いて来たけど使ってないんです。壊れかけのCDラジカセが全て。

★今聞いている曲

金子浩「HEART LAND」(リュートソロ)落ち着きます。

★最後に買ったCD

買ったのならシャルロット・チャーチのベスト。レンタルに無かったんで。
でもかなり前です。通常はレンタルばっかりです・・・。
一番最近のレンタルはマイケル・ジャクソンのベスト。聴きたい曲があったんで。

★よく聞く、または特別な思い入れのある5曲

ベッド・ミドラー「ローズ」・・・都はるみが以前、日本語で歌ってました。

クイーン「セイブ・ミー」・・・選ぶのは厳しかったですが。

P・サイモン「ダンカンの歌」・・・青春の思い出。

サラ・ブライトマン「ソロ・コン・テ」・・・耳に丁度いい高さなんです。

スピッツ「大宮サンセット」・・・唐突ですが、スピッツではこれが好き。

思い入れのある曲は考えてみると随分あります。

それで結局落としちゃったですバトン。さとうやさん、ごめんね〜。
でも楽しかったです。ありがとね〜っ



2005年07月07日(木) どれ言われたらイヤですか?


「お父さんのようになるんじゃないよ」

長椅子の下に、いつも汚れた靴下を押し込む癖のある旦那さんがいた。
で、腹に据えかねた奥さんが まだ小さな息子にこう言った。
別に、大して問題のある発言ではないようにと思う。
この場合、お父さんは汚い靴下を椅子の下の押し込む癖を止めない。
奥さんはそのム〜ンとなってしまった靴下をいやいや洗濯機まで持って行くのだ。
実話。大変である。だが妙に微笑ましい。他人事だからか。

でもまあ「お父さんみたいな事、あなたはするんじゃないよ」くらいでも
いいのであるが。それかお父さんの寝ている鼻の上に靴下を落とす。
子供の見ている前でやると、お父さんの反応を見て子供もしなくなりそうだ。
ちょっと可哀相だけど。靴下は自分で洗濯機に。特にこれからの季節は。

だが全般に「お父さんのようになるんじゃないよ」と言われ続けて育った
人も知っている。母親の口癖なのである。何がどうと言うのではなく
お父さんのようになっては欲しくなかったらしい。

「うちは姉妹で一番貧乏だからさ」

旦那の稼ぎ比べであるらしい。うちも女系なんで、この台詞は何度も
親族間で聞いた事がある。姉妹数が多いと、つい出てしまうらしい。
他の姉妹が良い暮らしをしている自慢なのか、判断が付けづらい。
でも「私が一番姉妹では不細工だから」とは 何故か言わないんだよね。

「あの人は育ちが悪いから」

無論本人の前ではなく、私など、こうやって文章にするからか 口では
余り言わないタイプだから言うのかも。ちなみに書くのが好きなのよって
事は知られてない。正面切って言われると戸惑う。どう見てもご主人の
育ちの方が良さそうなのである。お嫁さん一家に呼ばれ、全員でこの話が
始まったりすると大変戸惑う。
私は息子持ちだが、将来は「言われてるな」と思っといた方が良いかもと
考えている。

だが、一度は思わず人前で言いたくなっちゃう事ばかりとも言える。
「育ちが悪い」以外は 発言者は意外と年配である。溜まった物もあるのだろう。

「うちの旦那は包●なの。息子は違うけど」

「●茎は心配だけど、子供のは可哀相でいじれない」と言うお母さんが多い。
真剣な話し合いなので「旦那のはいじれるの?」などと言う突込みをする
母は居ない。私ですらしません、そんな事。
うちの息子は生後3ヶ月で腫れてしまい、異常が発見され、麻酔無しの手術を
受けている。えらい騒ぎになったが「幼稚園頃に見付かるのより良かった」
と、その時女医さんが仰った。「その頃なら本当に可哀相だから」
ある時、正にその幼稚園時代に見付かった子の話になったのである。
全身麻酔、醒めた途端に響き渡る絶叫。気の毒な事だ。今は超が付くほど
元気なT君の話だが。
その時、夢見るような口振りで私の隣りに座っていたあるお母さんが言った。
「うちの子は、毎日自分でいじっているの。朝とか。手入れって言うの?
もう自分でしてるの。だから5歳だけど、もう●けてるの。旦那はねそんな事は
しないのね。だから包●なの。うちは息子の方がむ●てるの」
ちょっと私は食べてた蒸し鶏の味が変わったと言うか、不味くなったと言うか。
実話である。何で私にそう言う話を目を見てするのかなあと思った。
うちの包●話を参考に出していたからか。でも大事な話なんだよ。本当に。
病的なのは洒落になんないのよ。

この最後の発言についてであるが、私はご主人が気の毒だと思った。
奥さんに悪意はなく、5歳でメンテナンスが大好きな息子を誉めたい
だけなのであろうが、比較するのは辛すぎる。

子供のいじりすぎも実際は良くないわけだが、言えなかったと言うか
どうでもいいから蒸し鶏の味を返せよと言うか。そんな感じで。


2005年07月06日(水) 写真。


写真が少ない。
生まれた時から生後半年くらいまでと ぽつんぽつんと2歳過ぎから
弟の隣りに『姉です』って感じで写っているのが数枚。
そして小学校の入学式の写真がやっぱり数枚。
弟の小学校入学の際は家族写真を写真屋さんで撮った。
同じ年に祖父ちゃんが死んだので、葬式写真。
と、ここまでも随分少ないわけだが それからあとがずううっと無い。

絵を描く知り合いの方が居て、その人は写真を細かく撮ってそっくりに
コマに写し取って行く方法で描いていた。
その人が亡くなった時、膨大な量の私の写真が残されていた。
20歳から7〜8年間の写真だろうか。
持って帰ったが、それすら今は手元に無い。
消えてしまう。そんなふうだ。悲しい。

6年前からは何と言うか狂ったような写真の山である。
息子息子息子・・・何でこんなに同じような写真があるのか。
幼稚園もすごいですね。1回の行事で何百枚と廊下に貼り出してるし。
ビデオも色々買ったし。うちは自分ちで撮影しないから。
先々はDVD-Rに移しとかないと見られなくなるんじゃないのかなあ。
私も確かに要所要所に写ってはいるんだけど、何と言うか
これは私と言うよりは「Rのお母さん」だね。別にいいけど。

写真が 何故消えるのか判らない。
いや、判ってはいるのだが、何故そうなるのか どうも解らない。
短大時代は随分沢山、写真を撮った。髪の短い時もあったし長かった
時もあった。大抵10人くらいで一緒に撮ったっけ。
会えなくなった友人が今は多いが、今度会ったら見せて貰おうか
きっと、ひどく懐かしいだろう。懐かしさに泣いてしまうかも知れない。
だからやっぱり結局『見せて』とは言えない気がする。

母の方がずっと写真が残っていて、20代30代と 別人のようにアルバムで
笑っている。ただ、私と一緒の写真はやはり少ないのである。

先に書いた、知り合いの方が亡くなった時、既にご両親とも他界し、
他に身内が多くないその方の家には 私の写真もそうだが、ご自身の写真が
沢山残されていた。
ご遺族の意向で、写真は全て捨てられる事になっていた。
私は成人式の時のその方の写真を 一枚だけ頂いて来た。

先日、息子の友人のお宅へお邪魔した際、PCのハード部分がいかれて
デジカメのデータが全て駄目になり、そこの家の三男坊の 生まれた時からの
写真のデータが全部なくなっちゃったと言う話しを聞いた。
確かに誕生時の写真が消えるのは親としてつらいだろうな。
だが丸きり1枚も無いと言うわけでもないだろう。
祖父ちゃん祖母ちゃんが普通のカメラで撮ってるかも知れないし。

今、私が写っている写真は、ほとんど全て息子の写真だ。
私は母である姿以外はほとんど残さず、墓に入るに違いない。
私を撮った写真は何故か消えてしまう。何故かは判らない。




2005年07月05日(火) Cesario!


やりましたね、日米オークス制覇。シーザリオ。

強い馬がいる時代の競馬を見られる人は幸せだとか何だとか。
ディープインパクトは3冠に王手をかけてます。
休養明けが関係してか、宝塚のロブロイは残念だったので
秋競馬が今から非常に楽しみです。

でもね、後から言えるってのもありますが 強い馬ってオーラが出てると
言うか、初めはそれほど強さを意識して好きになったわけではなかった
ですからね〜シーザリオ。
ただ、綺麗だな〜と。

テレビ画面を通してパワーを送るとか言う番組の パワーを感じた事は
一度も無いんですけど、だからつまりパワーとしては馬が出すそれの方が
強くて判りやすいんじゃあないのかと。


2005年07月02日(土) 昔の騎手、コーセン。


宝塚記念はちょっと意外な結末だった。
私はタップダンスシチーをロートル仲間と言う事で応援していたのだが。
シチーは迷惑かも知れないが。

Steve Cauthen(スティーブ・コーセン)と言うケンタッキー出身の騎手がいた。
彼は1960年生まれ。私より年上の、だからまあ、今はおじさんである。
1977年から頭角を現し、1978年にAffirmed(アファームド)号と言う馬で
史上最年少で三冠を取っている。
その時の物を中心に、かなりええ調子の顔の写真が残っている。
Million Dollar Baby などと称され、TIME誌の表紙にもなっている。

コーセン君の写真を初めて見たのは、競馬を見だす少し前 そもそも人が
馬に乗って疾走している写真
が見たかったからだ。
だが私が見たかったのは、レースをしている写真ではなかったので
お尻が思いっきり上がっているジョッキーの騎乗ポーズは余り参考に
ならんなあ、と思った。 それはそれとして、この少年騎手の何とも
愛嬌のある笑顔が良いなとは思った。 騎乗ポーズも、私の欲しい絵では
無かったのだが、ゴール前 競り合う姿は それは迫力あるものだった。

コーセン君の破顔一笑は、笑った顔自体中々想像が付かない 二次創作の
あるキャラクターのイメージに、これも勝手に使わせて貰っている。
(二次創作自体 勝手に使わせてもらう行為だから。理由を付けたいが
結局そうなってしまう)
彼はジョッキーであるので元々細くて小柄であり(とは言え このあと少し
成長してしまったらしく、重量制限が多少緩いらしい イギリスに渡って
成功している)そう言う体型の人が馬に乗るバランスの 参考にはなった。
昔の人だが、キュートな顔で実力も兼ね備えた世界的なジョッキーである。
そして彼と共に三冠を制したアファームド号だが、これがまた大変に
ハンサムな馬なのである。対称な美しい流星。長く、反った耳。

コーセンがアファームド号に騎乗しているブロンズ像が売っていて、綺麗
なので思わず欲しいなと思ったんだけどすんごく高かった。ブロンズ像だから。






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