2025年08月30日(土) |
平成臨終図巻 / 長尾 和宏 |
美しく生きた人は、最期まで、美しい。小林麻央、さくらももこ、西城秀樹、星野仙一ら、「平成」に旅立った94人の著名人の生き方、逝き方を、医師が徹底解剖する。『夕刊フジ』連載を加筆し書籍化。
著者が卒業した東京医科大学の先輩 山田風太郎の「人間臨終図巻」にあやかったタイトル
「病気だけ診るのではなく、人間をまるごと見てこそ本物の医者」だという信念
2025年08月15日(金) |
生きる言葉 / 俵 万智 |
スマホとネットが日常の一部となり、顔の見えない人ともコミュニケーションできる現代社会は、便利な反面、やっかいでもある。言葉の力が生きる力とも言える時代に日本語の足腰をどう鍛えるか。恋愛、子育て、ドラマ、歌会、SNS、AIなど、さまざまなシーンでの言葉のつかい方を、歌人・俵万智ならではの視点で、実体験をふまえて考察する。
人と話すとき、SNSに何かを書きこむとき、何を言うかと同じくらい、何を言わないかをかんがえる。誰に向けての言葉なのかを意識する。発してしまう前に、一呼吸おいて確認したい。言葉が簡単に届けられる時代だから、なおさらである。
言葉は、世界をともに歩く頼もしい相棒だ。
私には希死念慮がある ず〜っとある
リハビリに行ってたとき 言葉を交わすようになったTさんという人が 「直ったら 何をしたい?」と訪ねた 私は 「死にたい!」と言った こういう言葉はほとんど人に話したことがないけれど、何故かその時口にしてしまった ふつう、こういうことを口にしたらたいていが 「そんなことを言うもんじゃない」と言う が Tさんは少し考えて 「私の姉が痛い、痛いと言って自死してて、残された家族としては辛い 一番 慕ってた姉でしたから」と
この頃 妙にその事が思い出されてならない 7年前の話・・・
「何故 死にたいの?」とか 「わたしも死にたい!のよ」と 言う人に 直に会いたいなぁ
2025年08月10日(日) |
九年前の祈り / 小野 正嗣 |
三十五になるさなえは、幼い息子の希敏をつれてこの海辺の小さな集落に戻ってきた。希敏の父、カナダ人のフレデリックは希敏が一歳になる頃、美しい顔立ちだけを息子に残し、母子の前から姿を消してしまったのだ。何かのスイッチが入ると引きちぎられたミミズのようにのたうちまわり大騒ぎする息子を持て余しながら、さなえが懐かしく思い出したのは、九年前の「みっちゃん姉」の言葉だった──。 九年の時を経て重なり合う二人の女性の思い。痛みと優しさに満ちた〈母と子〉の物語。 表題作「九年前の祈り」他、四作を収録。芥川賞受賞作文庫化。
困った 読み終えて 九年前の「みっちゃん姉」の言葉が分からない もう一度 読まなきゃ・・だけど
もっと障害児を抱えた母の心情を書いてほしかった
ウミガメの夜
お見舞い
悪の花
2025年08月05日(火) |
護持院隆光 / 飯田 全紀 |
なぜ生類憐れみの令が生まれたのか? どのような切ない思い、願いが込められているのか。 現在のわれわれに繋がるものがあるのかないのか。 蹴鞠を好んだ護持院隆光の正体、事実とは・・・。
大和で生まれ大和に死す。徳川五代将軍綱吉に取り入ったと悪名高い。映画、テレビ、小説などで常に敵役を割り振られている。史実は将軍家、幕閣のみならず、豊山長谷寺、東大寺大仏殿、女人高野室生寺、唐招提寺、法隆寺、成田不動など多くの寺社仏閣、宗派に関わった。結果として世界遺産を残すお手伝いをしたともいえる。
作中には歴史として避けることのできない多くの人物、寺社が登場する。現代からは考えられないさまざまな史実があった。創作を加えた人物設定、時代考証などでご批判はあろうかと思う。作者としては、時代の波に翻弄されながらも己を信じて懸命に生きる人々の心を大切にした。 隆光は生類憐れみの令に関わらなかったというのが近年の学説である。その前提で書き進めていたが、(もしかして)書き直した。 時を超えて投げかける隆光の思想、信念、熱き思いは私たち現代人がしかと受け止めてやる必要があるような気がする。自然破壊が進み、争いの絶えない今の世こそ、共存を大義とする「生類憐れみの令」が不可欠である、と言えば大仰すぎるのだろうか・・・・・。
失敗というか短慮だった
お寺に墓地の返納を伝えた
掃除が行き届いていなくて ネコの糞が目立つようになったお寺と、年中とは言わないけれど何かしらお花の咲いている霊園と、どっちがいいか、という話
五月など わざわざ何処かへ薔薇を見にいかなくても堪能するくらい何種類もの薔薇が咲いている霊園 さざんか・ヤマブキ・桜そして吹き渡る風と大阪盆地の絶景と 本当に美しい
住職に返納を申し出て肩の荷をおろした気分
後は一日でも早くあの霊園で眠ること。。。
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