私の雑記帳
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テレビや新聞で最近話題になっているので、なんとなくDVDを借りてきて見たところ、思った以上に面白い。子供たちと爆笑しながら見た。島根出身という設定の吉田君がいい。今日から映画の第2弾が公開だが、上映している映画館が少ない。うちから一番近い上映館まで新幹線で2駅ある。ヘタすると、グッズにまで手を出しそうな自分が怖い。今回の舞台は吉田君のふるさと島根だそうだが、なんだか島根に行きたくなってきた。10年前に寝台車で旅行したが、今年の夏行きたいなぁ。
ガムかなにかのCMで、オリビア・ニュートン・ジョンのデビュー曲(だと思う)が流れている。ずいぶん昔の曲だし、本当に久しぶりに聴いた。彼女の歌は子供の頃にかなり聴いていたけれど、大人になってからはあまり聴く機会がなかったしそれほど聴きたいとも思っていなかった。数年前にオリンピックの開会式だったかテレビで見かけたが、それほどの興味も湧かなかった。でもいまCMで流れてくる曲をふと耳にして、なんだか妙に懐かしく心にしみてくる。ベタな曲だが、どういう経緯を経てこの曲が選ばれたのか、とても興味がある。なんでいま「そよ風の誘惑」なんだろう。70年代の洋楽はよかったと思うのは単なる懐古趣味なんだろうか? どんなものでも名作は残ると思いたい。
今日は誕生日。おめでとう、私。
できるだけマイナスのエネルギーを使わずに、 元気になって生きたいと思います。
7キロも痩せたことだし、少し明るい要素もあるから 30代の後半に願った豊かな中年ライフを、もう少し 前向きに実践していきたいなと思う。
よい天気。 今回は、きっちりと薬を飲んでいたので、治ったと思っていた腎盂縁、症状はほぼ落ち着いているものの、尿にまだ白血球が出ているそうでびっくりした。私が思う以上に、本当にやっかいなようだ。 とりあえず、次回は腎臓エコー。
明日は誕生日。今日までの年齢、さようなら。老化をもっとも自覚した1年でした。
お金がないことをのぞけば、おおむね平和な一日と言えなくもない。 明日は泌尿器の病院の受診日。近いうちに造影剤を膀胱に満タンにして腎臓への逆流の程度を調べる予約検査をしなければならない。気が重い。
自立への道は見えてはこない。どんなに気を紛らわしたとしてもそこが解決しないと本当の平和な日々にはならない。 憂鬱な日々は続く。
2008年05月23日(金) |
相応の努力をしてみた |
思ったとおり阿呆から連絡がきた。散々迷ったがメールの返事を書く。無視し続けないで、この辺でちょいと気を惹いてやることにする。阿呆は自分が善人だと思っているのでその裏をかく。表面的なわかりやすい弱者をこちらが装うことにする。出来るだけ短い文章で。私は治りかけていた病気が悪化したことにした。あまり関わるとロクなことにはならないと知っていながら、阿呆の卑怯さにまだ立腹しているので翻弄してやる。阿呆が連呼する「心配している」状況を慢性的に作ってずっと心配していただく。阿呆の考えていることは手に取るようにわかる。ひたすらずるい人間、人を騙すワルだ。そういう卑怯な者は必ずどこかで破綻する。だってバカなんだから。もちろん世の中にはバカではない卑怯者も沢山いるが、そういう奴は悔しいけれどわりとそのまま順調な人生を送っていることが多い。でもバカはどこかで綻びが出る。私などが手を下すまでもなく自分で滅んでいくのである。過去にもそういうタイプの人間を見てきたから何となくわかる。
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最近いろんな人から痩せた?と聞かれることが多くなった。実際にかなり痩せたのだが、最近ようやく人から言われるようになった。ちなみに今日は43キロだった。私の場合、摂取カロリーを制限し続けて体重が落ちた。45キロを切れれば上出来と思っていたがクリアできたので感無量。45キロを切ったのは4年ぶりくらいだと思う。ダイエットに王道は無い。どんな方法にしろ継続する忍耐が必要である。少しの努力で簡単に痩せるなら人は簡単に死んでしまうはず。そこそこ体重を落としたければ、相当の努力は不可欠だ。世の中のダイエットは「楽して」に重きを置いているが、それでは結果は出ない。
2008年05月22日(木) |
再び、自己愛バカ出現 |
人の話は聞かずに、勝手に自分の世界に入って「ひどい」を連呼するバカ。こちらの主張に理論的に反論できないでいて「こんなに心配してあげているのに!」の一点張りで、話が堂々巡りになる。この手のバカは、初めてではない。なにせご本人、自覚症状はないが「自己愛」の人なので、大事なのは本当は自分限定なくせに、それを「自分が」「こんなに心配している」というバカの一つ覚えを押し付けがましいったらない。
バカの厄介なところは自分自身も本気で「心配してあげている」と錯覚しているところにある。正しく心配してあげるというのは、相手の対場に立って、相手がなにを、どう困っているか、を汲んであげることから始まるのではないか? わからなければ、まず相手の話を聞く。 バカはそういうことが、わからない。自己流で単細胞的で、自己満足的な心配の仕方しかできない。 自分の卑怯な部分を指摘されると、とにかく「意地悪」だとか「ひどい」を連呼。反論にも言い訳にもなっていない。そういうところはお茶を濁して逃げる。そのずるさに自分は気がつかない。 稚拙な言葉遣いだったとしても、真剣さ真面目さというのは必ず伝わるものだと思う。相手が何を思っているかよりも「私がこんなに心配しているのに」という、まず自分の表向きな態度を最優先に主張する。馬鹿馬鹿しくて話にならない。そういう人間に限って、最後はほどほどにキレて自分から土俵を降りるのだ。厭味かと思うような「お元気で」みたいなセリフを残して。勿論こちらは最後はノーコメントで相手にしない。
そんなふうに別れても必ず!絶対!に、そういう奴ほど、あとからほとぼりが冷めた頃に「謝って」くる。もうわかりきったことである。しばらくはこちらが何か反応してくるだろうと(あるいはこちらが謝ってくるだろうと)待ち構えていたに違いない。それが音信不通のままなので、だんだん慌ててくるわけだ。自分が蒔いた種だというのに。
しかし何を謝っているのだろうか。とりあえず謝っとけ、みたいな感じだろう。何のことについてどのように謝りたいのかは何もない。そこを突っ込んでみたいが、バカをいじめても正しい答えは思いつかないだろう。
結局今のところ私は無視を決め込んでいる。今のように余裕のある心持ちで「バカめ」と思っているうちはいいが、バカの発言とわかっていてもやはり腹が立つものである。そんなバカを精神的にぶちのめしてやりたいという残虐な気持ちが時々浮かぶが、恨まれるのも割に合わないし。
とにかく私の過去の経験による勘が当たっていてよかった。 じれてまた向こうから何か言ってくるかも知れないし、あるいはもう諦めるかもしれない。(私は前者だと思うが) 私が「ごめん、私も言いすぎた」などと言うのが、向こうにとってのベストアンサーなんだろうと思う。口先だけで言うのは簡単だが、それでは大変に虚しい。
しかしこんなバカについて熱く書き散らかす私も、利口ではないな。
半年振りに、矯正歯科を受診。奥歯に虫歯が見つかった。 なにせ自然治癒力の及ばない領域なので、とにかく歯科を受診するしかない。痛いのも嫌だが、新しく病院を受診する手続きが嫌だ。とても気が滅入る。
矯正歯科の歯医者はとても面白い人物で、今日はいきなり「チャック・マンジョーネって知ってる?」と切り出してきた。「(♪feel so good)の人ですよね?」と会話が続く。まあ、最近そのCDを買って聞いていたら奥さんに「この1曲しかない人だったわね」と言われたそうで。 診察室で流したい曲についてだが、最近はビル・エバンスの曲が意外と良いといっていた。あと、患者にとって心地よいのか、医者にとって心地よいのかも違うとのこと。本人(医師)は「死刑台のエレベーター」のサントラなんかが治療中にしっくり来るらしい。 まあ、ちょっと変わってはいるけれど気のいい、面白い、気の置けない会話の出来る、貴重な歯科医だと思う。愛車はずっと軽自動車である。そういう医者の続っぽいステイタスには興味がないらしい。医者がみんな外車を乗っているわけではないのだ。
レベルの低い身勝手なバカと関わると大変に疲れるし消耗する。 時間を無駄にしてしまった。腹の虫がおさまらないが、とにかく関わらないようにしよう。
堺雅人みたさに、大河の「篤姫」を見てしまう。 役に恵まれるかどうかの運も実力のうちなのかもしれないけど、あまり恵まれているとは言えないなぁ。 渋谷のパルコでやった舞台を見に行ったのはもう何年前だろうか。2列目だったので、目の前に堺雅人がいて感激した。 このまませいぜい主演女優の相手役というポジションで終わらせるのは惜しい。新撰組の山南みたいなハマリ役が欲しい。
今年もまた私達姉妹の誕生月の、この季節。
年子の姉妹である妹と私は誕生日が350日くらいしか離れていない。だから、妹の誕生日から私の誕生日の前日までは同い年になる。双子じゃないのに、1年に約1週間だけ同い年。
4月から育児休暇明けから職場復帰して激務に追われている妹とは話す暇などない。 見た目も性格も全く違う妹だが、同じ境遇で育った姉妹がいるというだけで救われることがある。世間で言えば、私は完全な負け組みで妹は勝ち組なんだけれど。
入院かもしれないとおもったら、私はまず白髪をヘナで染める。だから一昨日に、髪を染めた。
今日は平日だし行けるうちにと、髪を切りに行った。 ロングだった髪を結構思いきってカットしてもらったが、髪の量が半分に・・・。かなり梳いたこともあり軽くはなったが、ちょっと短すぎ・・。伸びるのを待つしかないが。
昼近くなり、もう腎臓の痛みがたまらなくなり、鎮痛剤を服用。ようやくラクになったが、薬が切れる頃また痛みが復活するのだろうか。とにかく入院の準備だけはしておく。本当はもっと悪化して入院を確実にしたいが、今週で降圧剤がなくなるので受診しなければならない。もうぼろぼろだ。
うまくいかないことだらけ。 ・・・・ 飼い犬に手をかまれたようというか、格下になめられたというか、とにかく不愉快。でもまあ大した事じゃない。 ・・・・ 世の中、馬鹿野郎がこんなに多いのかとあらためて思う。私が言うのもなんだが。 ・・・・ むしゃくしゃしてしょうがない。酒が飲めるなら絶対にアル中だろう。いろんなことが思い通りにならないからといって、こんなところで愚痴をこぼして荒れてる私というのも、客観的に見れば馬鹿そのもの。本当に私はダメな人間だと思う。 ・・・・ とある話題から、気になって借りてきたジョン・クーガー(メレンキャンプ)のCD、大昔に聞き覚えはあるんだが、詳しく思い出せない。 それからNHK−FM「クロスオーバーイレブン」のテーマが,アジムスの曲だった事は、昔から知っていたが、最近どこかでその話題を見てしまい、思い立ってアマゾンでCDを購入、懐かしい。 しかし津嘉山正種のナレーションのことを書いている人は多いが、私の記憶ではナレーションは津嘉山より前に石橋蓮司、その次に清水綋治がやっていたと思う。ずいぶん昔の話だけれど。
2008年05月11日(日) |
病気を悪化させる努力 |
社会性がないわけではないが、今となっては 引きこもりと同じ。外にいけない。 屁理屈は達者だが、結局負け犬人生。
病気にすがろうとしている。 入院したい。
今日は次女の誕生日。 無事に大きくなってくれて感謝。 五日後が妹の誕生日で、下旬には私の誕生日がある。
5月は一番好きな月だ。良い季節だと思う。 よい思い出は少ないが。
2008年05月09日(金) |
ふたたび「自己愛」について考える |
この前、私のつまらぬ小さなプライドについてかいてから 妙にそのことばかり考えている。
私は自分にとって都合のいいように、ここのところ相手を 思いやるフリをしている。 「飴と鞭」だ。この前、ちょっと面倒になってしまって鞭ばかりの状態が続いたが、それで匙を投げられても私は平気だと思っていたから、相手のご機嫌などとりはしなかった。 私は、相手の考えていることが容易に想像できた。 だから、扱いはそう大変ではない。 タイミングを見て今度は飴だ。今は向こうが弱っているのでここぞとばかり思いやりのあるフリをする。 少し前、向こうが私に見せた押し付けがましい「自己愛」を、今度は私が与えている。相手を思いやっているのではなく、その優しい言葉の裏にあるのは「自己愛」という、実は自分にとって都合の良い身勝手な愛なのである。本当に大事なのは自分だけなのが自己愛の根底にはある。そこには自己犠牲の精神がない。
もちろん、憎いわけではない。 ただ、相手の気持ちや行動の裏づけが自然と見えてしまう。 私のイメージが正しいかどうかを裏付けるためにも、 今しばらくは静観してみようと思う。 もちろんこんなものは、愛じゃない。 少なくとも私の求めるものではない。 惨めな自分。回復には時間がまだまだかかる。 愛していないから、私はそんなに傷つかないでいられると思う。 私は大バカだが、鈍感じゃない。
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