月に舞う桜

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2016年12月31日(土) 2016年のまとめ

大晦日なので、2016年のまとめなんぞを。
今年一年を振り返るようなテレビ番組は、暗くて未来に希望が持てなくなるような話題を取り上げることが多いので、せめて自分自身の振り返りくらいは良かったことを並べてみたい。

◆参戦したライブ
4月:Toshl春のロック祭り(2days)
8月:Toshlディナーショー
10月:Cocco、Visual Japan Summit、Toshlバースデーランチショー
12月:YOSHIKIクラシックコンサート

◆今年一番、心に残ったこと
10月にあったToshlのバースデーイベントで渡した手紙に対して、定型句じゃなく、私の手紙をきちんと読んでくれたことが分かる、心のこもった返事が送られてきたこと。
Toshlと私たちファンの間に強固な絆があると感じられた出来事だった。

◆今年のお気に入り
・サッポロの「梅酒カクテル白桃」
梅の酸味と白桃の甘みと香りが絶妙で、大好き。梅酒とピンクグレープフルーツのカクテルも出てるけど、やっぱり白桃が好き! 今はなぜか元職場近くのコンビニでしか売っていないのが難点。

・ユニクロのボア付きパーカー
今年買って、かなり重宝している。シンプルだけど、かわいい。暖かいのに、そんなにモコモコしない。カジュアルな格好で出かけたいときは、コートじゃなくてこれを着てる。さすがに1月、2月の寒さには対応できないかもしれないけど。

◆あらためて感謝した人たち
8月に退職して、9月以降は時間に余裕ができたので、それまであまり会えなかった友達とご飯に行ったり遊んだりした。
小学校時代からずっと変わらず仲良くしてくれている友達もいれば、大人になってから出会った友達もいる(主に元同僚)。関係性や付き合い方は友達によって少しずつ違うけれど、誰もかれも、とても大切な人たち。
子供の頃からの友達と話しているときは、本当に素の自分でいられるし、どんな下らない話も、うんと昔の話も、笑って楽しく盛り上がれる。お互い大人の部分をちゃんと持ちつつ、いつまでたっても一瞬で少女みたいな気持ちに帰れる。たぶん、おばあちゃんになっても、私たちは少女のままだろう。
大人になってからできた友達は、年上の人が多くて、学ぶことがたくさんある。彼女たちが言うことは、そのときはピンと来なくても、あとになって「こういうことだったのか!」と心に沁みることも多い。年下の私のことも尊重してくれて、対等に付き合ってくれる。本当に感謝。私は、無意識に年下の甘えが出てると思うけど。軽い話も真面目で深い話もできる間柄って、大切だ。
仕事を辞めることは、世間一般ではどちらかと言うとあまり良くないこととして捉えられると思うけれど、私が退職とその理由を伝えたとき、友達はみんな、非難したり呆れたりせずに私の決断を受け止めてくれた。私を信頼してくれているのだなと感じた。
自分が認められ、受け入れられる場所があることは、人生での大きな支えになる。そういう場所を作ってくれる友達のありがたみを改めて噛み締め、感謝した年だった。

◆あらためて尊敬した人
SUGIZOだ。
夏頃だったか、Eテレの「ハートネットTV」で障害を持つシリア難民の現状を取り上げていた。SUGIZOは前々からシリアとかヨルダンに行って難民や戦争の犠牲となっている人たちの支援をしているらしく、その番組にも出演していた。私は、番組のことを彼のツイッターかフェイスブックで知った。もしSUGIZOが関わっていなければ、番組を観ることはなかったかもしれない。彼をきっかけに、今まであまり目を向けて来なかったことに触れる機会を得た。他人の心を動かすきっかけ――それも、本業(SUGIZOの場合は音楽)以外の分野で――を作ることができる人は、偉大だ。危ないところにはなるべく行かないでほしい、というのが私の本音ではあるのだけれど。
12月の初め、ニコ生でSUGIZOのソロアルバム発売を記念した特番があった。そこで、XJAPANに対する想いも語ってくれて、並大抵じゃない覚悟が感じられた。XJAPANの中で、自分がどういう風に見られるかは全然問題じゃない。どういう風に見られたって構わない。XJAPANというバンドが続いていくことが大事」というようなことを言っていた。XJAPANのギタリストを務めていることで、今でも相当ディスられるらしい。それも全部引き受けて、全霊でステージに立ってくれること、本当に感謝と尊敬しかない(私は、XJAPANのギタリストとしてのSUGIZOを非難するXJAPANファンの気持ちが全く理解できない。彼のことが気に入らないなら、今のXJAPANのファンなんかとっととやめて、昔の映像だけ見てればいいのに!と思う)。
貴方は、正真正銘、XJAPANの大切なギタリストです。でも、常にLUNA SEAを優先して欲しいと思う。SLAVEではない運命共同体の一人として、そう願っています。

◆退職後の新しいこと
・小学校で福祉授業
前にも日記に書いた。社協の依頼で小学校に出向き、福祉教育の一環で車椅子ユーザーとして話をした。今後も同様の依頼を頂けるかもしれない。頼まれる限りは続けていきたい。

・パソコンボランティア養成研修
11月に参加した。パソコンボランティアとは、主に障害のある人に対して、パソコンの使い方を教えたり支援したりするもの。養成研修に参加しただけで、今はまだ実際のボランティア経験はないけれど、今後に繋がればいいなと思っている。

◆音楽の力
これも確かずっと前の日記に書いたけど、5月だったか6月だったか、ニコ生でYOSHIKIとGacktの対談があった。GacktがYOSHIKIを本当に大切に思っていて、深く理解してくれていることが伝わってきた。YOSHIKIを愛する者の一人として、嬉しくて胸が熱くなった。あまりに嬉しかったので、mixiのGacktコミュにその気持ちを書かせてもらった。そうしたらGacktファンの人たちからたくさん「イイネ」を頂き、個人的にメッセージをくれたかたもいた。愛するアーティストは違うけど、それぞれの愛するアーティストを介して気持ちが通じ合えたと感じた。
音楽じゃお腹は膨れないし、政治や経済の問題も解決できないけれど、音楽は人の心を繋げる。すごいなあ、音楽って。


今年の良かったこと、印象に残ったことで思いつくのは、ざっとこんな感じかな。
まだ書き残したこともある気がするけど、まぁいっか。
来年の大晦日も、良かったことをなるべくたくさん思い出せますように。2017年も、そんな一年を過ごすことができますように。


2016年12月18日(日) 今週一週間

今週は、何だか不調だった。

火曜日、体がだるくて気分も上がらず、イライラ感もあった。このだるさは体というよりメンタルの問題なんでは?と感じた。
メンタルが不調になるような大きな理由は思い当たらなかったけれど、心の底に常にある将来への不安が泡のように膨れ、泡がパンと弾けたのかもしれない。

水曜日、前々職場で同僚だった友人たち(全員退職済み)とランチ。
数年ぶりに会う人もいて、おしゃべりは楽しく、今の自分を受け入れて認めてもらえる安心感もあって充実した時間を過ごすことができたけれど、夜は鬱々とした気分がぶり返してしまった。

ちなみに、この日はランチをしっかり食べたのに、夕方のお茶の時間には、見るからに高カロリーなベーコンポテトデニッシュを食べてしまい、しばらくは食事を控えめにしないと…・・・と反省したのだった。

木曜日は前夜の鬱々とした気分を引きずっていた。

金曜日はラポールへ行った。
ラポールのフィットネスルームは、たいてい音楽が流れている。日によってポップスだったりジャズだったりヒーリング系だったりと、ジャンルは様々だ。
この日はミスチルのアルバム『シフクノオト』がリピートされていて、「当たり日に来たな♪」と嬉しくなった。ミスチルの曲は、自転車をこぐのにちょうど良い速さだ。ただ、思わず曲をじっくり聴いてしまって、運動が疎かになりそうなのが玉に傷?

ラポールを出ようとしたら、今話題の(?)電動車椅子WHILLが颯爽と通って行った。
その格好良さと走りの滑らかさに惹かれて声を掛けたら、去年とある場所でお話しさせて頂いた女性だった。思わぬ再会に、さらに嬉しくなった。
車椅子について少し話を聴かせてもらうと、少々の段差なら上ることができ、路線によっては駅員さんに頼まなくても電車に単独乗降ができるとのことだった。
彼女は介護保険でレンタルしているそう。
そうだよなあ、カッコいいけど買えないよなあ。だって100万近くするんだもの!(標準的な電動車椅子は40〜50万くらい)

電動車椅子WHILL
https://whill.jp/

ラポールからの帰り道、違法駐輪やら母の言動やらにちょっとイラッとしたけれど、前日までと比べると気持ちはいくらか上向いていた。

すぐそばに駐輪場があるのに駐輪代をケチって通り道を塞ぐ奴は、どういう了見なのかね!
歩けばギリギリ通れる幅でも、車椅子やベビーカーじゃ通れないからね!
マジ、なぎ倒したくなる。
通り道を塞いでて邪魔な自転車を勝手に駐輪場に入れるのって、ダメなのかねえ。

昨日(土曜日)は、Visual Japan Summit2日目とSONGS(XJAPAN出演)の放送、Toshlのニコ生もあり、心躍る一日。
VJSとSONGSは、今日録画を観た。
VJSは、私にとってXが別格なのは、まぁ当然なので置いておくとして、GLAYの曲はホント青春が蘇ってウキウキする。いつかGLAYのライブに行ってみたい。

SONGS、大満足ですよ!
あのスタジオライブに行った人が羨ましい。
新曲La Venusの全貌が分かったのと、久しぶりにメンバー全員でのTearsが聴けたのも嬉しかった。La Venusは、悲しいだけじゃなく、生きようとする強さとか、前に進んでいく気持ちと愛に溢れていて、過去のバラードとは一線を画した印象。過去のバラードは、悲しみの中に立ち尽くして動けなくなっている状態だけど。いろいろなものを超えて、と言うか、抱えたままだけど、YOSHIKIは強くなったんだろうな。
それにしても、紅白もそうだけど、NHKの歌番組はいいマイク使うよねえ。Toshlの歌声がすごくクリアに聴こえる。
しかしなあ、ここ数年ずっと思っていることだけど、HIDEとTAIJIを同列に扱うのはなあ。
ああいう扱い方だと、ファン以外の人は時系列を正しく理解しないんじゃないだろうか。

Xデビュー
↓
TAIJI脱退
↓
HEATH加入、XJAPANに改名
↓
解散
↓
HIDE逝去
↓
XJAPAN再結成
↓
TAIJI逝去

大雑把に書くと、こういう時系列なんだけども……。
私は、HIDEとTAIJIの死は意味合いが全然違うと思っている。
XJAPANが再結成するにあたって、HIDEの不在はとてつもなく大きな事柄だったけど、TAIJIの死がXJAPANに与えたのは心の問題であって、活動自体がどうこうと言うものじゃないでしょう?
HIDEの死は「メンバーの死」であり、彼が生きていれば今もXJAPANのメンバーだっただろうけれど、TAIJIの死は「かつての偉大な仲間の死」であって、彼は今も昔もXJAPANのベーシストではないわけですよ。Xのベーシストだったけど。
TAIJIのことをHIDEと同列の「悲劇」として扱うことに、ずっとモヤモヤしてしまっている。
TAIJIを大切に思うことと、彼の死をXJAPANの現在進行形の物語に持ち出すことは、まったく別の話だと思うんだけどなあ。
まあ、私がファンになったのはHEATH加入後だから、こう感じてしまうんだろうけども。
YOSHIKIが同列に扱いたいんだろうから、しょうがないか。

人によってファン歴もXJAPANに対する想いもそれぞれ。
私は、これからもしばらくはX(曲のほう)のメンバーコールでTAIJIの名前を叫ぶ気持ちにはならないと思うけど、いつかこのモヤモヤが晴れるといいな。
それまでは、6人のXJAPANを心の底から応援してるよ!

……ただ一週間をまとめるだけのつもりが、気が付いたらこんな内容になってしまった。


2016年12月09日(金) 【12/8】YOSHIKI CLASSICAL SPECIAL WORLD TOUR 第2弾 with Orchestra��

12/8のYOSHIKIクラシックコンサートの続きです。

第2部はオーケストラだけのTearsで始まった。
そしてYOSHIKIが登場。Miracleは、日本人の女性オペラ歌手が出てきて歌った。Miracleの歌を初めて生で聴けた。ピアノとオーケストラと歌が螺旋のように重なり合って盛り上がるところがドラマチック。
この曲、X JAPANライブのオープニング曲として初めて聴いたときは曲調と歌(イタリア語らしい)が苦手だったけれど、今はAmethystと同じように、ライブが始まる高揚感をもたらしてくれる。でも、ライブのオープニング曲として聴くよりも、YOSHIKIのピアノで聴く方が何倍も圧倒される。心の真ん中をぎゅうっとつかまれる感じがして、息を詰めてYOSHIKIから目が離せなくなる。YOSHIKIの曲には、独特の切迫感があるんだなあ。今回は、プロのオペラ歌手の生歌も聴けてお得だった。

YOSHIKIによる曲の解説。
Tearsについて。
紅白の出演者みんなで歌える曲の制作を依頼された。雲仙普賢岳の噴火による災害の復興支援曲だった。そのあと、HIDEが「この曲いいから、Xでもやろうよ」と言って、X JAPAN用に書き直した。

Miracleについて。
2010年のロラパルーザでのライブのときはメンバーの誰も何も言わなかったけど、そのあとにやった日産スタジアムのライブのとき、「あの曲は誰の曲?」と聞かれた。メンバーはクラシックの曲だと思っていたらしく、YOSHIKIが作ったと知ると驚いていた。YOSHIKIはそれが嬉しかった(この話をするときのYOSHIKIもちょっと自慢げ&嬉しそうだった)。
イタリア語の歌詞もYOSHIKIが書いたのかなあ。だとしたら、すごいな。

次の曲紹介では、YOSHIKIがなかなか曲名をきちんとを言えず。最初「薔薇のように咲いて花のように散って」と言ってしまい、客席から突っ込みとともに正しいタイトルを教えてもらった。が、「え? 薔薇のように散って…?」と、またもや間違える。何度目かにようやく「薔薇のように咲いて 桜のように散って」と言えた。「オーケストラと打ち合わせするときは全部英語で話すから、Bloom Like A Roseっていうタイトルを使ってるからね……」と言い訳するのがかわいかった。

この曲は松田聖子が歌うのもいいけど、オーケストラとピアノでやるとより盛り上がって、桜が咲き乱れている幻想的な風景が浮かぶ。日本的な曲調に、ピアノという洋楽器がよく合うんだよねえ、不思議。

Say Anythingでは、なんとバイオリニストの川井郁子が登場し、オーケストラはなしでYOSHIKIと二人だけで演奏した。川井郁子の生演奏を聴けるとは、なんてお得な!
川井郁子のバイオリンは、やっぱり飛び抜けて素晴らしかった。もう、音が全然違うんだよね。彼女がバイオリンを演奏しているんじゃなくて、バイオリンが意志を持って歌っていた。なめらかで、情感豊かで、美しく切ない。Toshlが歌うか、川井郁子のバイオリンが歌うか、ってくらいに素晴らしくて聞き惚れた。
曲のあと、YOSHIKIも「バイオリンが歌ってましたね」と言っていて、「私が思ったのと同じことをYOSHIKIが言った!」と嬉しくなった。
それから、Visual Japan Summitと言ってたかな、川井郁子は以前にYOSHIKIのステージを観たことがあるらしく、「YOSHIKIさんのファンの方は熱い方ばかりで…」と。それに対してYOSHIKIが「世界一のファンですから」と臆面もなく答えていたのも、嬉しかった。
YOSHIKIが川井郁子の次のコンサート予定を尋ねると、三越劇場で源氏物語をやるとのこと。「あー、源氏物語ですか」と頷くYOSHIKIに、客席が微妙にざわつく。客席の気持ちを察したYOSHIKIは、「俺だって源氏物語ぐらい知ってるよ!紫式部でしょ?」と笑った。
川井郁子の告知も済んだところで、お互いに「もう退場してほしいな」「もう退場していいのかな」という雰囲気を醸し出していたけれど、ちょっとした駆け引きみたいになってしまってスムーズに事が運ばず、ぐだぐだしたのがYOSHIKIらしくてかわいかった。

次のRiver Of The Lightは聞いたことのない曲名だったけれど、数年前に戦争ドラマの主題歌として秋川雅史が歌った「愛する人よ」だった。もともと、主題歌とは関係なくYOSHIKIがオーケストラ用に作ってあり、主題歌の依頼が来たときに、この曲がちょうどいいと思って日本語の歌詞を付けたらしい。原曲は、より壮大な、宇宙や天の川をイメージしたそう。「愛する人よ」の原曲があったなんて知らなかったなあ。
この曲紹介のとき、客席から笑いが漏れた。前日か前々日の公演で、YOSHIKIが「千の風になって」を「千のお墓の前で」と言ってしまったらしい。笑ったお客さんは、その日も観に来ていた人たちで、YOSHIKIの言い間違いを思い出したようだ。その日、YOSHIKIは寝る前に「千のお墓って、怖いじゃん!」と想像して、眠れなくなってしまったそう。ただでさえ睡眠時間が短いのに。
で、YOSHIKIは「秋川さんに歌ってもらって…」と言っていたけど、フルネームを思い出せなかったんじゃないかなあと邪推した私。

この曲は、Miracleを歌ったオペラ歌手が再登場。歌詞は英語……だったと思う。今度はYOSHIKIがきちんとオペラ歌手さんを紹介してくれた(でも、名前忘れちゃった)。「どうして、ポップスじゃなくてオペラに進もうと思ったんですか?」とか質問していた。YOSHIKI、ちゃんとMCやってるのがすごいなあ。そういうところも、成長したよねえ。

Swan Lakeは、優しく繊細なところもあり、力強く盛り上がるところもあり、「YOSHIKIのピアノを聴く」という意味ではこの曲が一番聴きごたえがあった。YOSHIKIの曲じゃなくてクラシックの名曲だから、純粋に「演奏」を堪能できたのだと思う。

Without Youについて、YOSHIKIが話したこと。
HIDEが亡くなったとき、ファンの皆を励まさなければ思って何回か記者会見をした。そのときはどうにかファンの皆を落ち着かせなくちゃと表に出ていたけれど、ロスに戻ったとき、部屋から出られなくなってしまった。ドアを開けられなくなってしまった。作曲するときはいつも楽器を使わず、直接譜面を書く。この曲もそうだったけれど、演奏したものを残しておきたいと思ってピアノで弾いた。でも、すぐに涙で鍵盤が見えなくなって、弾けなくなってしまった。Toshlが久しぶりに会いに来たとき、この曲を聴いてもらったら気に入ってくれて……。

そう言えば、Without Youのときだったか別の曲のときだったか、YOSHIKIはX JAPANの経緯なんかも話した。その中で、Toshlのことを「まさか日本を代表するヴォーカリストになるとは」と感慨深げに語っていた。

Without Youの演奏中、スクリーンには幼いYOSHIKIやXのメンバーの若かりし頃が映ったけれど、これまで何度も観てきた映像なので、La Venusのときみたいに号泣せずに済んだ。

Without You のあと、紅から繋ぎの短い曲、そして、ART OF LIFEへ。
X JAPANは関係なく、純粋に「YOSHIKI作曲」という枠で考えた場合、私はART OF LIFEに最もYOSHIKIの才能を感じる。いちファンとしては、ART OF LIFEこそ「作曲家YOSHIKI」の作品の頂点だと思っている。
最近のX JAPANのライブでは最終曲の定番になっているけれど、Toshlの歌がつらそうなので、より切迫感が増して聴こえる。オーケストラとピアノが奏でるART OF LIFEは、X JAPANでやるときよりも壮大で普遍的に聴こえると同時に、よりYOSHIKI個人の内面を表現している印象も受ける。人生の壮絶なドラマ。痛みも苦しみもすべて内包して、前へ、高みへ。

YOSHIKIは、ART OF LIFEの第二章を制作中だと言った。「本当は今回のコンサートに間に合えばよかったんだけど。でも、あと数ヶ月でできると思います」と。YOSHIKIが数ヶ月って言うなら、あと数年はかかるな……。

紅とART OF LIFEを繋ぐTransitionは、昨日の公演のあとに少し書き直して、バイオリンのソロを務める人には今日のコンサート直前に最新の譜面を渡したらしい。YOSHIKIも大変だけど、オーケストラも大変だな。

最後の曲Endless Rainは、X JAPANのライブみたいに歌ってもいいのか迷った。今回は、なんと言ってもクラシックコンサートなのだから。でも、曲の終盤で、YOSHIKIが客席の方を向いてにっこり微笑んだ。「歌って」の合図。それで、いつものように皆で合唱。

曲が終わると、客席からかなりの人数がステージ前まで走り寄った(←これは見ていてちょっと興ざめした)。YOSHIKIはお辞儀したり手を振ったり、差し出された花束やプレゼントを受け取ったりして、一度袖へ下がり、またすぐに出てきた。
鳴り止まない拍手と歓声、YOSHIKIコール。
繰り返されるカーテンコールの中、私は時間が気になり、YOSHIKIが満足そうな笑みを浮かべているのを確認して会場を出た。

(完)


2016年12月08日(木) YOSHIKI CLASSICAL SPECIAL WORLD TOUR 第2弾 with Orchestra��

YOSHIKIクラシックコンサートの東京国際フォーラム公演最終日に行った。
2014年のコンサートは共演がバイオリンやチェロなどの弦楽器のみだったけれど、今回はオーケストラが一緒だ。YOSHIKIのピアノはもちろん、オーケストラの演奏もとても楽しみにしていた。こんなことでもないとオーケストラを聴く機会なんてあまりないので、そういう意味でもYOSHIKIには感謝している。
開演の直前に、YOSHIKIのFacebookでセットリストが公開された。次の曲はなんだろう、というワクワク感は損なわれてしまったけれど、心の準備ができたから落ち着いて聴くことができそうだ。
YOSHIKIにしては珍しく、予定時間の夜7時ぴったりに開演した。素晴らしい。明日は用事があって朝早く起きなければならず帰りの時間が気がかりだったので、ほっと一安心だ。

セットリスト↓
≪第1部≫
I'll Be Your Love
The Last Song
Forever Love
Golden Globe Theme
Hero
La Venus
Anniversary

≪第2部≫
Tears
Miracle
Bloom Like A Rose(薔薇のように咲いて 桜のように散って)
Say Anything
River Of The Light
Swan Lake
Without You
紅〜Transition〜ART OF LIFE
Endless Rain

まずはオーケストラだけで「愛・地球博」のテーマ曲I'll Be Your Loveを演奏した。
それが終わると、スクリーンにこれまでのライブ映像がBGMのMiracleとともに流れた。そして、YOSHIKIが登場。
The Last Songは、1997年にX JAPANが解散することになったときに作られ、ラストライブの最後の曲であり、2008年の復活ライブ幕開けを飾った曲でもある。終わりの曲で、始まりの曲。YOSHIKIが自らの演奏の一曲目にこの曲を選んだことは、感慨深い。当時、この曲のToshlのヴォーカルレコーディングにYOSHIKIは立ち会わなかったらしい。それが、今じゃ「いちゃいちゃ」と言ってもいいくらい仲良しな二人。
私にとって、この曲はかなしいだけの曲ではなくなった。生きていれば、時は流れ、絡まった糸がほどけて再び希望を見出せることもある。The Last Songは、その象徴だ。
曲の最後の方で、ヴォーカリストのケイティが出てきて歌った。そういえば、YOSHIKIのソロプロジェクトViolet UKはどうなったのだろうか……。

YOSHIKIは、MCで一曲一曲にコメントした。
Forever Loveは、「これはCLAMPさんのXという漫画の映画主題歌になった曲で……」という話。歌詞がついて、バンドとして(もしくはToshlとYOSHIKIの二人で)演奏すると、曲の主人公の内面にぐっと入り込んで胸が痛くなるけれど、オーケストラ用にアレンジされたForever Loveは、より外へ解き放たれていくイメージだ。そして、ウインドチャイム(というのだろうか?シャラララと鳴るやつ)が入ったおかげで、キラキラと明るく希望を感じさせる曲になっていた。
Forever LoveのあとのMCで、YOSHIKIは「最近は飛行機に乗っている時間が長くて、顔がむくんじゃって……」と言った。確かに、舞台横のスクリーンの中でアップになったYOSHIKIの顔は何だかすっきりしておらず、顔色も心なしかあまり良くないようだった。「それで漢方をもらって飲んだんだけど、なんかフラフラしちゃって……漢方だから、大丈夫だよね?」と。いやいや、大丈夫だよね?って聞かれても……。大丈夫?って聞きたいのは、こっちなんだけど。忙しすぎるんだよ。マネジメントは、YOSHIKIの体のことをもっと真剣に考えてほしいよ。

続いて演奏するゴールデングローブのテーマ曲について。
2011年にX JAPANでワールドツアーをやって、それが終わって「今年はよく働いたから、年末は休もう」と思っていたら、年末にゴールデングローブのオファーが来たそうだ。いつ締め切りか聞くと、来年1月半ばだ、と。YOSHIKIは「そのとき、アーティストはいつ何が飛んできてもいいように、言い方はよくないかもしれないけど、戦場にいるつもりでいないとだめなんだなと思った」と笑った。
こうやって、一曲一曲エピソードやYOSHIKIの想いを聞かせてもらえるのは、嬉しい。

次のHeroを紹介するとき、「今日は何かのテーマ曲が多い」と言っていた。Heroは、映画「聖闘士星矢」のテーマ曲だ。テーマ曲のオファーが多いのは、それだけYOSHIKIの実力と実績が信頼されているということだから、誇りにしてよいことだと思う。
YOSHIKIが話している間にケイティが再び出てきたけれど、YOSHIKIはそれに気づかず、ふと横を見たら彼女がスタンバイしていたので「あれ、いつの間に?」と驚く。相変わらず、ちょいちょいおとぼけである。
YOSHIKIは「ケイティはハーバードを出ている」と言ってから、「いまはボストンに住んでるの?ロスだっけ?」と、なぜか彼女がどこに住んでいるのかをやたらと気にしていた。そして指揮者にも話を振り、「彼もハーバードを出ているんだよ」と。指揮者はハーフのようで、お母さんは大阪生まれらしい。
ケイティが歌うHeroは、X JAPANバージョンとはやっぱり印象が異なる。どちらが上ということではない。どちらにもそれぞれの世界観があり、どちらもYOSHIKIワールドだ。ピアノやドラムの演奏家としてのYOSHIKIが魅力的なのは言うまでもないけれど、最近はYOSHIKIのアレンジ能力の高さに改めて気づかされることが多い。同じ曲でも、バンドが奏でるのとオーケストラが奏でるのとでは、曲が見せる表情が違う。曲の多面性は、すなわちYOSHIKIの多面性なのだろう。
X JAPANバージョンのHeroを久しく聴いていない。今度はいつ聴けるかなあ。

Heroのあと、YOSHIKIは映画「We are X」の話をした。今年の1月から世界各国の映画祭を回ってきたけれど、最初の頃はまだ映画が完成していなかったこと。9月になって、主題歌を作ってほしいと依頼され、La Venusという曲が誕生したこと。本当は、この映画を作りたくなかったこと。けれど、エージェントに「X JAPANの物語は多くの人に知ってもらうべきだ。いま苦しんでいる人たち、生きていけないくらいつらい思いをしている人たちの力になれるかもしれない」と説得され、決断したこと。
この映画は、X JAPANの「栄光の物語」ではない。つらい記憶が詰め込まれている。X JAPANに思い入れがあればあるほど、観るには相当の覚悟が必要だろう(YOSHIKI自身、「覚悟して観てね」と言っている)。
私は、いまだに97年のラストライブの映像を観る気になれない。2008年、2009年のライブ映像さえ、当時のToshlの境遇を想ったら、観ていられない。そんな私が、目をそらさずに、この映画をきちんと観ることができるのかという不安はある。半ば義務のように、観なければと思いつつ、観ることが怖くもある。
でも、YOSHIKIがこの映画にゴーサインを出してくれてよかったと思う。YOSHIKIがエージェントに説得された理由は、まさに私のことだから。
生きるエネルギーが尽きかけて絶望しそうになったとき、X JAPANに触れると、まだどうにか前に進めるような気がしてきた。まだまだ生きていけるって根拠はないけれど、根拠がないことこそが希望のようにも思えた。傷口をこじ開けて血が溢れ出しても、その先に得体のしれない、途方もないエネルギーと希望があるかもしれないってことを、私は知った。たびたび忘れてしまうけど、そのつど、ちゃんと思い出させてくれる。
同じように、この映画が誰かのエネルギーと希望になればいい。
「終わらない雨」とか「どこに行けば苦しみを愛せる」とか「もう一人で歩けない」とか、そんな言葉で愛を綴っていたYOSHIKIが、今は、日の出前の空に輝く星の名をタイトルに選んでいる。そのYOSHIKIの精神的な成長こそが、希望の象徴のように思う。

私は、このコンサートでLa Venusが聴けることを本当に楽しみにしていた。10月のVisual Japan Summitではほんの一部しか披露されなかったから、オーケストラバージョンとは言え、フルで聴けるのを心待ちにしていた。YOSHIKIも「自信作だ」と言っているから、なおさら。
ところが、曲が始まるとスクリーンに映画の一部が流れ、その映像に心を全部持って行かれて、曲がちっとも耳に入ってこなかった。ToshlとYOSHIKIが並んでいる、それだけで、これまでの二人の道のりとか、苦しかったこととか、空白の10年とか、Toshlが一番大変なときに何もしてあげられなかったこととか、こうして生きていてくれて本当に良かったってこととか、いろんな想いがぶわぁっと押し寄せてきて、涙がどんどん流れて落ちた。
(涙が止まらなかった理由として自覚していることが他にもあるんだけれど、手短には書けないし、映画のネタバレにもなるので、ここには書かないでおく。)

La Venusは、たぶん素晴らしかったのだろう。でも、全然記憶に残っていない。残念でしかたない。
次のAnniversaryが始まっても、映像の余韻が残っていた。油断すると声を上げて泣いてしまいそうだった私は、それをこらえるのに必死で、曲を聴いていられなかった。Anniversaryは起承転結と人生の壮大さを感じられて好きなのに。
Anniversaryで第一部が終わり、休憩中は呼吸を整えて、呆然としていた。

(続く)


2016年12月03日(土) 講演……と言うほどのものではないけれど

実は、10月の某日、とある小学校に行って車椅子ユーザーとして話をした。
学校が社会福祉協議会(以下、社協)と連携して進めている福祉教育の一環で、日常生活で車椅子を使っている人の話を聴きたい(生徒たちに聴かせたい)ということだった。
自身の生活について小学生に話をしてほしい、という依頼は、私がお世話になっている支援機関経由で頂いた。
私が支援機関に退職予定を伝えたのと、学校の意向を受けた社協が人材についてその支援機関に相談したのが、ちょうど同じ時期だった。仕事を辞めて時間が空くからちょうどいいだろう、と支援機関は考えたのだろう。私に話を振ってくれた。人生の縁とタイミングというものは、本当に不思議だし、素晴らしい。

前の職場でOfficeソフトの講座やヘルパー養成講座の講師をしていたこともあって、人前で話すのは苦ではない。けれど、子供相手に自分のことを話すのは初めての経験なので、どんな感じになるのか想像がつかなかった。
これまでとは、聞き手の目的意識が違う。仕事で携わってきた講座の受講生は、パソコンを使えるようになりたいとかヘルパーの資格を取りたいといった動機があるから、聴く姿勢ができているけれど、おそらく子供たちの多くは、別に私の話なんか聴きたいわけではなく、ただ授業だから仕方なくそこに座っているのだ。
私は、話すことは苦ではないけれど、子供の心をぎゅっと掴めるような話術があるわけではない。日常生活の話を、と言われても、私は特に素晴らしくも面白おかしくもない毎日を過ごしているだけなので、たいした話はできない。人に助けてもらうことや自分で工夫していること、電車の乗り方、車椅子ユーザーとしてのちょっとしたお願い事なんかを話すだけである。だから、途中でよそ見やあくびや居眠りをする子が出るんじゃないだろうかと、若干心配だった。
が、蓋を開けてみれば、予想以上にみんなまじめに聴いてくれたのである。ちゃんと私の方を見てくれたし、「車椅子に乗ったことがある人?」とか「押したことある人?」と質問すると結構な人数が手を挙げてくれたし、最後の質問タイムでは、きちんと話を聴いていなければ思い浮かばない疑問を投げかけてくれた。

今月も、社協からの依頼で、別の小学校で話す予定がある。12月は人権週間と障害者週間があるので、ちょうど良いタイミングらしい。

若い頃は、障害者という側面を前面に押し出した生き方をするつもりはなかったし、障害者だからという理由で何かを求められることが嫌だった。それは生き方の「選択」ではなくて、障害者として生きることの「拒否」だったように思う。
いまも、障害者であることを売りにするつもりは毛頭ないけれど、以前よりは考え方が軟化した。それは、自分自身の受容であり、障害者以外の面も含めて自分が周囲に認められていると思えるようになったことも、大きな要因だろう。今回、依頼してもらえたのは、「障害者だから」じゃなく、「障害者である、この私だから」だと思えた。
たいした話じゃなくても、私の話がほんのちょっとでも子供たちの役に立てるのであれば、それは私が他人に提供できる他のこと――Officeソフトの使い方を教えるとか、書類を作成するとか、友達の相談に乗るとか、親に代わってネットで手続きするとか――と同列のことだ。

私は、誰もがなるべく生きやすい社会を作るためには、小さい頃からの教育がとても大切だと思っている。幼少期からいろいろな人と接して話を聴く機会を得ることで、社会のこと、自分とは異なる立場の人たちのことを知ることができる。知ることは、大きな一歩だ。無知は、偏見や嫌悪や排除を生む。
「誰もがなるべく生きやすい社会」とは、「自分も、自分以外の人たちも生きやすい社会」ということだ。自分以外の人たちについては、想像力を働かせるしかない。知識は、想像力の大きな助けになる。
もちろん、「知ることによって生まれる憎悪」というものが存在することも分かっているつもりだけれど、そこには、また別の問題が潜んでいると思う。

私は子供たちに対して車椅子ユーザーとして話をするので、車椅子を使った生活のあれこれを知ってほしいという思いはある。ただ、それ以上に、「この社会にはいろいろな人がいるんだよ」ということを知ってほしい。
車椅子ユーザーのように外見で明らかに障害者と分かる人もいれば、外見では分からなくても大きな障害や病気を抱えている人もいる。高齢者も若い人も、子供も、男性も女性も、外国人も、異性愛者も同性愛者も、内部疾患者も、つらい成育歴を持った人も、何一つ問題がないように見える人も、いろいろな人がいて、社会は成り立っている。自分自身も含めて、どんな人でも一人一人が、等しく大切にされる権利を持っている。それを、知ってほしい。
大事なのは、お年寄りや障害者だから親切にすることじゃなくて、車椅子ユーザーでも若くて健康な男性でも、困っていたら助けてもらえるということだ。誰かを助けるばかりじゃなくて、自分も、助けてもらえる権利がある。
本当は、一番伝えたいのはそういうことだ。

まあ、いくら子供に話したって、教師がいじめに加担してるようじゃ、どうしようもないんだけど。


桜井弓月 |Twitter|Facebook


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