プラチナブルー ///目次|前話| 続話

右手から零れた牌
April,24 2045

11:15 ファンデンブルグ研究室 

ブラッドが部屋を出てから数分後。
アンジェラが横たわっているベッドの脇では、トッティがアンジェラの額を冷やしていた。
アンジェラの朦朧とした意識は、肌に伝わる冷たさに反応して目覚めた。

「・・・トッティ?」
「あら、アンジェラ、意識が戻ったのね。良かったわ」

トッティが安堵の笑みを浮かべ、アンジェラに微笑みかけた。

「ここは?」

東広場のベンチに居たはずの自分が、ベッドの上に寝ていることが理解できないのか、
アンジェラが緑色の瞳を動かして部屋を見回している。

「あ、研究室?」
「そうよ・・・」
「トッティが、私を運んでくれたの?」
「ううん、ヴァレンがブラッドを呼んで・・・彼が貴方をこの部屋まで運んだわ」
「・・・そう」

アンジェラはトッティの言葉に静かに反応すると、東側の窓の外を見つめた。

「トッティ・・・今、何時?」
「ええ〜と、11時15分ね」
「ええ? 2回戦が・・・。行かなきゃ・・・」

アンジェラは、上半身を起こしたところで、貧血を起こしたように頭に揺れを感じ、動けずにいた。

「安心して寝てなさい・・・試合には、ブラッドとヴァレンが行っているから」
「・・・」

トッティがアンジェラの背中に右腕を回し、寝床につくように体を支えた。
再び横たわったアンジェラは苦しそうに目を開いた。

「アナタ、目の下にクマが出来ているわ・・・昨日は寝てないの?」
「・・・うん」
「試合前日で気持ちが昂ぶっていたのはわかるけど・・・無理しちゃ駄目よ」
「・・・うん」
「飲み物は?」
「ううん、いい」
「そう」

アンジェラは、張り詰めていた気持ちが解れてきたのか、天井を向いたまま しばらく一点を凝視していた。
トッティがアンジェラの横顔を見ていると、やがて、彼女が瞬きをするたびに頬に涙が零れていた。

「綺麗な涙ね・・・」

トッティが呟くと、アンジェラは意識的に数回瞬きを繰り返し、雫を瞳から弾き飛ばそうとした。


11:15 ローゼンバーグ総合大学 試合会場

2回戦 東1局一本場 東家 ヴァレン 26,000点

「ツモ・・・4,100オール」

東1局が2軒リーチ、3人聴牌で流局した後、一本場の親でヴァレンがマンガンをツモ。
リーチ後、2順目にツモった4ピンを右側に置くと、ヴァレンの透き通るような声が会場に響きわたる。

東1局一本場 ヴァレンのアガリ形



西家に座ったブラッドは、対面の親のヴァレンと向き合うように座っている。
上家には眼鏡の男、下家には狐目の男が1回戦に引き続き勝負に挑んでいた。

『やられた』という表情を浮かべた上家の男は、眼鏡のレンズを布で拭くと
すぐに、集中するように配牌を手元に手繰り寄せる。
東1局の二本場では、2順目早々、上家の男が9ソウをポンと仕掛けてきた。

7順目、一向聴になったブラッドが、一瞬迷って捨てた初牌の『東』をヴァレンが右端の2枚を同時に倒す。
次順、眼鏡の男がノータイムで3ピンを河に切り出すと、ヴァレンが静かに残りの10枚の牌を倒した。

「ロン…2,900点の二本場で、3,500点」

男の眉が微かに歪み、眼鏡越しの眼光はヴァレンの倒された手牌をじっと見つめていた。

(よし!)

ブラッドは声には出さず、胸の内でガッツポーズをした。

東1局三本場
東家 ヴァレン 45,800点
南家 眼鏡の男 14,400点
西家 ブラッド 19,900点
北家 狐目の男 19,900点


三本場の配牌を全員が取り出すと、ヴァレンが一呼吸おいて牌を切り出した。
ドラは3ソウ、ブラッドの手は相変わらず冷えたまま、上がれる気配すらない。

上家の男は、ヴァレンの手元と河を睨みつけるように見ている。
下家の男は、手が入っていないのか覇気の無いツモ切りが続いていた。

『チー』
『ポン』
『カン』


上家の男が発する独特のイントネーションが、卓上の主役に躍り出た。
眼鏡の男の仕掛けで、ブラッドの左側には、







と並び、男の手牌は4枚になった。

(そんなミエミエの染め手に誰が振るもんか・・・)

ブラッドは、眼鏡の男が河に捨てられているソーズの牌を目で追う視線の先を見つめた。

(ん?6ソウをカンして6-9ソウ待ちなのか?…それだと、4枚目の6ソウでツモあがりしてるはず・・・)

ブラッドは、トイツの面子選択を9ソウと4ピンのどちらにしようかと考え、安全策で4ピンを1枚外した。
下家の男が2ピンをツモ切ると、ヴァレンがブラッドの目の前にあるツモ山に手を伸ばした。

その瞬間、ブラッドの座る位置の後方にあるドアが大きな音を立てて開いた。
ヴァレンの視線が、ブラッドの右耳の上あたりを通過し奥に注がれている。

(ヴァレンティーネ様の上目遣い・・・最高だ!)

ブラッドが不埒なことを考えていると、後方からカツカツとヒールの踵の音が急接近してくる。
モデルのステップのようなリズミカルな足音ではなく、突進してくるような不協な音だった。

足音が、ブラッドの左側で止まった瞬間に、眼鏡の男が唖然として顔を上げた気配が分かった。

「一体、この展開はどういうことよ!」

ブラッドが、びくっとし、意に反して思わず振り返ってしまったほどの大きな声。
左側を振り向くと、チェン教授が仁王立ちして眼鏡の男を睨みつけていた。

『カツーン』と、牌が卓上に落ちた音が、ブラッドの右耳に同時に届く。
90度右に振り向くと、ヴァレンの伸ばした右腕が卓の中央に、その真下に9ソウが跳ね、倒れた。

「あっ…」

と、ブラッドとヴァレンが同時に声を出した。

眼鏡の男は、眉間の辺りで右手中指の内側で眼鏡をせり上げると、4枚の手牌を倒した。

「ロン…8,000点は三本場で、8,900点」

ヴァレンは、倒された4枚の手牌をチラっと見ると、頭を小さく左右に2度ずつ振った。

すれ違い
April,24 2045

10:35 ローゼンバーグ総合大学 試合会場 

ブラッドの回想

ブラッドの父親は、プロサッカー選手だった。
物心がついた時には、近くのスタジアムに整形外科医である母と応援によく行った。

父が怪我をするたびに、母の勤めていた病院で治療を受け、その時に二人は恋に落ちたらしい。
父親が現役から引退すると、家庭の中の雰囲気はやがて一変していく。

引退してまもなくは、家族サービスは大事だと父は語り、
昼間はサッカーの試合を応援に行ったり、週末の夜は近くのレストランに食事に出かけたりしていた。

父親の時折交えるジョークは、イングランド人よりは面白くはなかったが、
それでも小さなブラッドが笑うには十分だった。

プロイセンの男性気質は、ローマ人よりも勤勉に働くが、それは、家族と過ごす時間を作るためであり、
職人のように仕事一辺倒の男性像と言うものは100年前の伝説の中にしか存在しなかった。

父親もサッカーには真面目に取り組んでいたと母親は話していたけれど、
引退後は、定職に着いても上司と折り合わず、転職を繰り返していたようだった。

家で過ごす時間が多くなった父親は、小さなブラッドとよく遊んでいた。
家計は母親が支えるようになった。平日の夜の食事は、父親の担当だ。
食卓の上には、ソーセージとジャガイモと冷凍ハンバーグがいつも並んでいた。

だた、週末になると、家族で過ごす時間は減り、平日の夜の両親の口論は増えていった。
母親のヒステリックな言葉は年々過激になり、一方で父親の口数は晩年、激減した。

ブラッドが6歳になる頃には、父親は家に帰って来ることが少なくなり、
母は、父が外国のチームで頑張っている、と話したが、その活躍をメディアで知ることはなかった。
7歳の誕生日にサッカーボールをプレゼントした父親の姿が記憶の最後のページとなる。

「女の扱いは、サッカーボールのリフティングよりも難しい」


ポツリと呟いた父親の言葉を、ブラッドは目の前に揺れるタバコの煙を見て思い出した。

機嫌の悪くなった母をなだめる為に、あれこれ苦心していた父親の姿は浮かんで来るものの、
今のアンジェラとの状況を好転させるようなアイデアは全く浮かんでこない。

1回戦の終了から5分が経過していた。

「トイレにしては長いな・・・アンジェラ探しの旅に出よう」

ブラッドは一人になった卓の椅子から立ち上がると、左腕の携帯端末装置を開いた。
廊下を歩きながら、ヴァレンに連絡を入れるが不通。トッティの携帯は運転中のアナウンスが流れた。



10:40 ローゼンバーグ総合大学 東広場

アネモネやヒヤシンスが咲き誇る紫系と緑色のコントラストの強い中庭の一角。
日差しが校舎の影になっている駐車場横、東広場のベンチにアンジェラは座っていた。

「あ〜、もう嫌になっちゃう・・・」

アンジェラは昨夜のブラッドとのやりとりを思い出してため息をついた。


アンジェラの回想

流星群が降り注ぐ夜空に向かって無意識に口にしたブラッドへの想い・・・
自分を見上げたブラッドに表情を見られたくなくて口付けをした。

頭の中が真っ白になり、ブラッドの唇のヤワラカさもアタタカさも覚えていない。
ただ、気がつけば、ブラッドの右手が左胸を触っていた。

「な、何をするのよ・・・」

動揺する私に、ブラッドは、頭を掻きながら、困惑しているようにもみえた。
お互いの重なった視線が途切れる前に、何かを伝えなければ・・・私は無我夢中で、ブラッドに尋ねた。

「ねえ、私のこと、好き?」

ブラッドが小さく頷く。

「どれくらい?」

投げかけた言葉に、返ってくる言葉が聞こえないんじゃないかと思える位、胸の鼓動が高鳴っている。
息を吸うことも忘れるほど、ブラッドの口元をじっと見つめていた。

だんだんと息苦しくなる中で、時間が流れていることを実感する。
しかし、そんな苦しさから解き放たれるような言葉は、ブラッドからは何一つ返ってこない。
心の重さが、元の重さに戻リたがっているのが自分でも良く分かった。

そして、ブラッドが視線を逸らした瞬間、私の張り詰めていた感情は、四方に飛び散った。

「もういい」

諦めたようにその場を立ち去ろうとすると、振り向きざまに、不意にブラッドに腕を掴まれた。

「痛っ・・・」

次の瞬間、掴まれた腕の痛みが消え、背後からブラッドに抱き締められていた。

「返事を・・・考える時間もくれないのかよ・・・」
「ひとつのことを考え込んでいる時に、次々と質問するなよ」

ブラッドの声は、怒りに任せた口調ではなかったけれど、これまで、聴いたことのないような声だった。




「あら、アンジェラ。試合は?」

ふと、トッティに名前を呼ばれ顔を上げると、目の前にトッティとヴァレンが立っていた。

「うん、一回戦が終わったところ・・・勝ったんだ」

現実に引き戻されたアンジェラは、無理に笑顔を作って応えた。

「本当?凄いわね・・・でも、アン、貴女、顔が真っ青よ。体調が悪いの?」

ヴァレンがベンチに座っているアンジェラの隣に腰を下ろし、額に手をあてた。

「ちょっと、熱があるじゃない・・・トッティ、研究室までアンを運んでくれる?」
「いいわよ。ところで、ブラッドはこんな時に何をしているのかしら」
「呼び出してみるわ・・・」


10:50 ファンデンブルグ研究室

試合会場の隣に建っているファンデンブルグ研究室にいたブラッドは、壁にかかる時計の針を見つめていた。

「研究室にいると思ったんだけどな〜。どこにいるんだよ。アンジェラは・・・」

ブラッドがぼやいていると、左腕の携帯端末機に着信を知らせる音が鳴り始めた。

選抜大会1回戦
April,24 2045

10:00 ローゼンバーグ総合大学 試合会場


『ロン・・・リーチ、タンヤオ・・・2,600点』

「え?」

1回戦 東1局 東家ブラッド 25,000点持ち ドラ東



親のブラッドは、ドラのW東を4順目で食い仕掛け、6順目に聴牌をしていた。
下家に座っているアンジェラのリーチ後、8順目に切った七萬をアンジェラがロンを宣言。

(おいおい、アンジェラの捨て牌の現物で、俺が敵からロンするシナリオじゃないのか・・・?)

2,600点の点棒をアンジェラに渡しながら、東2局の配牌を取り出す。
ブラッドの頭の中は、開幕前から混乱を引きずったままだった。

9:30からの開会式には、ヴァレンも敵のチェン教授も姿を現わすこともなく式が終わり、
議長のヤン教授の簡単なルール説明の後、早速、試合が始まった。

選手の名前を紹介されることもなく、牌の取り出しで、ブラッドが東家、アンジェラが南家に決まった。
対戦相手である、東洋系の眼鏡を掛けた男子学生風の男が対面の西家。
同じく、東洋系の赤茶けた顔色の狐目の男が北家に座っている。

大会は東南戦の全3回戦。
2人ずつの点数の総合得点が高いチームの勝利となるシンプルなルールだ。
さらに、トップ者にだけ、ボーナスの10,000点を加算して計算することが確認された。

東2局 北家ブラッド 22,400点 ドラ一萬



(ん、ドラが2枚か・・・何とか闇で上がれる手が出来るといいけど・・・)

5ソウ・・・4ピン・・・と順調なツモで5順目に一向聴。そして、三萬ツモの後、四萬が入れば平和ドラ2の聴牌だ。
ようやく、手牌に集中できる状態になりつつあったブラッドの7順目のツモは五萬。



(げげ、役無しの五萬が来るのかよ・・・)

ブラッドは、全員の河を流すように見ると、三萬を横に向け聴牌を宣言した。

「リーチ」

南家のアンジェラは、ノータイムで字牌をツモ切りした。
対面、上家は現物を捨ててきた。

(この手、ツモると、アンジェラが親被りしてしまうから、敵から当りたいな・・・)

一発目にツモって来たのはドラの一萬。

(うわっ、一巡待てば五萬と入れ替えられてた・・・)

複雑な思いが交錯したものの、リーチ後のアガリ牌以外は全て河に置かなければならない。
ブラッドが、やや力を入れ、河に一萬を捨てた。


『ロン・・・チートイ、ドラ2・・・9,600点』



ロン宣言をして、手牌を倒したのは、またもアンジェラだった。
ブラッドは、訳が解らないといった表情を見せ、無言で点棒をアンジェラの前に置いた。
アンジェラは、目の前に置かれた点棒を左手で取ると、ブラッドを見ることもなく、1本場を宣言した。

その後、こう着状態のまま場は進んでいく。
敵チームの2人も、予想外に大きな動きはなく、時折、仕掛けは入るものの、
南2局に、対面がマンガンのツモアガリをした以外は大物手が成就することもなく、南3局を迎えた。

ブラッドの手牌には、白と中が配牌でトイツで入っていた。
大物手の予感が一瞬したものの、3枚目の白と中が姿を現す前に、發が4枚とも河に捨てられた。
結局、白と中を仕掛けて、ブラッドが対面から2,000点のアガリでオーラスになった。

南家 ブラッド 11,800点
西家 アンジェラ 34,300点
北家 眼鏡の男 30,900点
東家 狐目の男 23,000点

(さて、俺かアンジェラが3,900点以上であがればいいんだな・・・)

南4局の配牌は、その日の状態を象徴するような酷いものだった。
瞬く間に、親が2つの食い仕掛け、対面の男も仕掛けてきた。

12順目にアンジェラからリーチが入った。

(そうか・・・2人の合計点が足りなくても、アンジェラがトップなら10,000点が加算されるんだ)

ブラッドは、敵の2人に通りそうな牌で、アンジェラの本命の5ピンをアンコから切り出した。

『ロン・・・リーチ、タンヤオ、ピンフ・・・3,900点』


WINNER Angela 38,200点・・・2位 ・・・30,200点・・・


集計係の者が、4名の点棒をボードに記していった。

チェンチーム合計 53,900点
ヴァレンティーネチーム 合計 56,100点(46,100点+トップ賞10,000点)
2回戦開始時間 11:00

「ふ〜。」

ボードに集計係が書き終わると、ブラッドは大きなため息をついた。
対面と上家の男が東洋系の言葉でやり取りをしている。・・・が話の内容は聞き取れない。

下家に座っていたアンジェラの姿が無いことに気づいたブラッドは、部屋をグルッと見渡した。
それぞれの関係者達が慌しく動き回って入るものの、知り合いは誰一人として居ない。

ブラッドは、胸ポケットから煙草を取り出すと、火をつけ煙を天井に向かって吐いた。
無意識に、胸のペンダントに触れようと手探りをした後、リトルヴァレンにプレゼントしたことを思い出した。

「今朝のアンジェラの態度ときたら・・・、まるで3人目の敵のような感じだったな・・・」

ブラッドは、朝からアンジェラとひと言も、会話をしていなかった。
話しかけても、アンジェラから言葉が返ってこない理由を、あれこれと思い浮かべてみるものの、
ブラッドには思い当たる決定的な瞬間が浮かんでこない。

「やはり、昨日の夜の、俺の態度が悪かったのかな・・・」

ブラッドは、アンジェラが唇を重ねてきたシーンまで記憶を巻き戻して、頭の中で再生させ始めた。

決戦前夜
April,23 2045

22:00 ファンデンブルグ研究室

『ロン』

「あちゃ〜、やっちまった・・・ここは、聴牌外せ〜・・・かよ・・・」

ブラッドは、椅子の背もたれに大きく仰け反り両腕を広げた。

「ただいま〜」

突然、部屋の扉が開き、アンジェラの陽気な声が聴こえた。

「おう」
「はい、これ、お土産」
「うわっ、冷て・・・」

アンジェラは、背伸びをしているブラッドの額に、冷えた缶ジュースを置いた。

「あら、オーラスでこけちゃったのね・・・」
「ん・・・対面のリーチしている奴の現物待ちだったから・・・」
「はは〜ん、で、一発で6ピンをツモギリで・・・お陀仏ってわけね」
「ああ・・・」

ブラッドは、アンジェラに貰った缶ジュースの蓋を開け、半分ほどを一気に飲んだ。

「ふ〜。どうだった?神父さんの話は・・・」
「うん・・・長くなるようだったから、また来週、お邪魔することにしたわ」
「そっか・・・」
「ヴァレンはトッティの手伝いをしてから帰るって」
「うん」

アンジェラは、ブラッドが座っているテーブルの椅子ではなく、隣の麻雀卓の椅子に座ると、牌を指先で転がした。

「いよいよ、明日ね・・・」
「ああ」
「勝ったら・・・ジパング。負けたら・・・どうなるんだろう・・・アタシ達」

卓上の牌を捲ったり裏返したりしているアンジェラが独り言のように呟いた。
ブラッドは、返す言葉も見つからず、残り半分のジュースを一気に飲み干すと、椅子から立ち上がって歩き出した。
アンジェラの後方を通り、冷蔵庫から缶ビールを2本取り出すと、一本をアンジェラにそっと投げた。

「アンジェラ、テラスに出たことはあるかい?」

アンジェラは手を止め、ブラッドの声に振り向くように西側の窓のほうを見た。
ブラッドがステンレス製の扉を開け、テラスに出て行こうとしている。

「ドアの向こうはテラスになってるんだ・・・知らなかった」

後を追うようにドアを開けると、横に長いテラスが広がっていて、右前方のベンチにブラッドが座っていた。
外壁にかかる薄暗いライトが3つ灯っている。

「隣に座っていい?」
「うん、今夜は、月が出ていないから、星がよく見えるよ」
「本当だ・・・綺麗ね〜。あ、流れ星だ・・・」
「ん?」
「ほら、あの・・・はくちょう座の上あたり・・・」
「多分、こと座流星群だ・・・この時間だと、今から数十個は見えるぜ」
「本当? じゃあ、願いごとをしなくちゃ・・・」
「あはは・・・」

アンジェラは東北東の空をじっと見つめ、次の流星が降り注ぐのを待っている。
ブラッドは、手に持った缶ビールの蓋を開け口につけた。
校舎の合間を吹き抜ける風が、アンジェラの肩まで伸びている髪を躍らせ、横顔を隠すように舞い上がる。

「あ、来た! 明日勝てますように・・・ ほら、ブラッドもお願いして・・・」
「うん・・・あ、消えた。次のを待とう・・・」

夜空の明るさに目が慣れてくると、星空が鮮明に見えるようになってきた。
アンジェラは立ち上がり、ブラッドの後に回ると、両肩に手を添え、上空をグルっと見渡した。

「流星を見つけたら、肩を叩いてあげる。」
「あはは、たくさん流れるよ」
「じゃあ、私も次のお願いを考えておこうっと」

その矢先、2人の目の前に5つの流星が尾を引き、時間差で降り注ぎ始めた。

「うわ、今度のは凄いぞ・・・」
「綺麗〜」
「あはは、見惚れていて、お願いするのを忘れてたよ。アンジェラは出来たか?」
「うん」
「何をお願いしたんだい?」
「・・・ブラッドが、私を好きになりますように・・・って」
「はい?」

背中越しにいるアンジェラを、ブラッドが顔を右上に捻るようにして左肩を下げた。
ライトの影になっているアンジェラの顔がシルエットのまま近づいてくる。
アンジェラの口元が微かに微笑んだようにも見えたのは、ブラッドの唇に重なった後だった。

ブラッドの手から零れ落ちた缶の、コロコロと転がる金属音が鳴り止んでもなお、
唇を重ねたままのブラッドの頭の中のスクリーンに、何度もアンジェラの微笑の残像が繰り返されていた。

リトルヴァレンと弟子
April,23 2045

12:30 日曜日のファンデンブルグ教会

ゲーテ、バッハ、メンデルスゾーンなど偉人とかかわりの深いプロイセン東部の古都、ライプツィヒ。
その都の西側に中世文化の名残を漂わせた教会がひっそりとそびえるように建っている。
100年前の大戦で、多くの由緒ある教会が跡形も無く壊されたが、それぞれの地で、有志による再興が進んでいた。

荘厳なゴシック様式の装飾に彩られた教会の中庭では、パイプオルガンの音色が緑色の風景を優しく包んでいた。
中庭の芝生の上では、日曜日恒例の、トッティによる昼食会が催されている。
人々の中には、大学で教鞭を振るう傍ら、休日は教会で司祭として過ごすローゼンバーグの姿もある。
いつもと同じように、トッティの指示でテキパキと動いている教会出身のスタッフ達の笑い声が聞こえる。
そんな笑い声の中にアンジェラの姿も溶け込んでいた。

「こっちにボールを投げてよ〜」
「今行くよ〜」

トッティやヴァレンを取り囲む子供たちの歓喜の声が、聴こえてきた。
その声を、食後、木陰に腰を下ろしたブラッドが遠目に見つめている。

「ふ〜、食った食った・・・トッティの作る美味い飯を日曜日ごとに食べられるなんて、子供たちも幸せだな」

体の3倍もあろうかという太い木の幹にもたれ掛って、ブラッドは青い空が正面に見えるくらい寛いでいた。
ふと、横に目をやると、7歳位の女の子が隣の木の下で、ブラッドと同じような格好をして空を眺めている。

「あの雲、キリンに似ているな。首が長いや・・・」

ブラッドは、小さな女の子に聴こえるように大きな声で、空を指差した。

「・・・空に、キリンがいるわけないじゃない」

予想に反した・・・いや、予想もしなかった女の子のリアクションに、ブラッドは指をかざしたまま固まった。

「アンタ・・・アタシのこと可哀相な子供だと思ったんでしょ」
「・・・トッティやヴァレンと出会う前なら・・・きっと、そう思っただろうな〜」
「ふ〜ん、否定しないんだ・・・珍しく正直な大人なのね・・・」
「あはは。オレ、体はでっかいけどまだ子供の仲間だぜ・・・」

ブラッドが体を反転させて、右腕で頬杖をつき、体を横にしたまま少女に微笑みかけると、
少女は様子を伺うようにブラッドを観察してから、グルグルと芝生の上を2回転して近づいてきた。

「ねえ、アンタ・・・約束は守れるタイプ?」
「ん? そうだな・・・約束を破ると・・・後で痛い目に合うだろ? だから、約束を破れないタイプかな・・・」
「あはは、面白いわね、アンタ」

そう云うと、少女はさらに2回転して、遂には、ブラッドのすぐ横に転がってきた。

「オレ、ブラッドっていうんだ。君は?」
「アタシは、リトルバレンティーネ」
「へ〜、いい名前だ」
「うふふ、ありがとう」
「君は、大人が嫌いなのかい?」
「当たり前でしょ。アタシを捨てた大人なんて大嫌い!」

突然、体を起こして、リトルヴァレンティーネと名乗った女の子が大きな身振りで主張した。
その様子に驚きながらも、ブラッドは元のままのポーズで、優しく語りかけた。

「ん〜、そりゃ憎みたくもなるよな、でもいい大人もいるぜ?」
「そうね、アタシ、ヴァレンお姉ちゃんが大好きだから、リトルヴァレンティーネを名乗っているの」
「ほほう、君のセンスは抜群だ。彼女は最高だもんな」
「あら、アナタ、いい趣味しているわね」

女の子は、ブラッドに褒められたのがよほど嬉しかったのか、一転して、雄弁にブラッドに話しかけてくる。

「ひょっとして、ブラッドって、ヴァレンお姉ちゃんの彼氏?」
「ううん、違う・・・」

ブラッドは、さも残念そうに大きく首を振った。

「あら、そうなの、さっきからチラチラ、お姉ちゃんを見てたから・・・あ、ひょっとして片思いってやつ?」
「ああ」
「可哀相・・・アタシなんてこの歳で両想いの男の子がいるっていうのに・・・」
「凄いな〜リトルヴァレンは・・・恋の師匠って呼んでいい?」
「ふふん、いいわ、ブラッド。弟子にしてあげる」

少女は、ますます得意気な陽気さを醸し出している。

「でも、ブラッドは・・・ヴァレンお姉ちゃんのこと好きなんでしょう」
「ん? ああ 大好きだ」
「珍しく素直な反応ね」
「なんだ そりゃ」
「大人って いつも 嘘をつくの」
「大人か・・・ 微妙な年齢だよ・・・彼女の4つも年下だし・・・」
「無理して大人ぶらなくていいじゃない、ヴァレンは子供が大好きなのよ。ブラッドも子供のままでいたらいいわ」

遠目に見えるヴァレンは、子供たちに囲まれて無邪気に笑っている。

「本当だ。リトルヴァレン師匠・・・あんな風に笑うヴァレンティーネ様は初めて見るよ・・・」
「ふ〜ん よっぽどお姉ちゃんの前でツマンナイ男を演じているのね」
「おいおい・・・いや、師匠、それは笑えない冗談ですよ・・・」
「しょうがないわね、ブラッドは・・・アタシが特別に恋の魔法を教えてあげるわ」
「お願いします」

そういうと、ブラッドは上半身を起こして、真面目に師匠に向き合った。

「いい?男は嘘を優しさと履き違えちゃダメよ・・・悪ぶっていても正直でいるのと、真面目そうにしていてコソコソするのは全然違うでしょ?」
「・・・は、はい・・・」
「ちょっとくらい、悪っぽく見えてもいいのよ、そのほうが男は魅力的よ。アナタには悪魔的センスがないわ・・・」
「・・・なるほど、師匠・・・凄いですね」
「うふふ、アナタを見てればわかるわ。さあ、頑張って頂戴。あ、御礼はアナタのその胸にかけているペンダントでいいわ」
「え・・・マジ?」

ブラッドは、胸に掛けていたプラチナコインを指で掴み掌に乗せた。

「これ、トッティから貰った大切なモノなんだ・・・しかもヴァレンティーネ様のピアスとお揃いで・・・」
「・・・それは、難しい決断が必要ね」
「う、うん・・・でも、師匠なら、大切にしてくれそうだ」

そういうと、ブラッドは首からチェーンを外し、リトルヴァレンの髪に引っかからないように丁寧に掛けた。

「あら?本当にいいの?」
「ああ、約束は守らなきゃな・・・」
「ブラッド、貴方素敵だわ・・・ヴァレンお姉ちゃんに振られたら、アタシが付き合ってあげる」
「あはは、光栄です。師匠」

リトルヴァレンは突然立ち上がると、ブラッドを見おろして諭すように言った。

「祈るだけじゃ駄目よ、ブラッド!行動しなきゃ!」

子供の純真さは 時として刃物のように鋭い。
7歳の小さな子供の言葉が頭の中で山彦のように反響した。

そう言い残すと、リトルヴァレンはトッティとヴァレンのいる人の輪の中に姿を消した。
頭の後ろで腕組みをして、再び空を見上げたブラッドは、いつしか目を閉じてウトウトとしている。
ゆっくりと流れる時間の中で、そよそよと偏西風に乗ったヴァレンの香りが、ブラッドの鼻先をくすぐっていた。

円香から継承されたもの
April,20 2045

12:30 ファンデンブルグ研究室

「シーナ先生、お、オレ、体が震えています」

ブラッドは円香が卓上で繰り広げた技を、まるでマジックショーを観た後のように感動し呆然としている。

「いい、ブラッド君。今見せた技は、本来、イカサマと呼ばれるものよ」
「ええ、本で読んで存じています」
「本番で使うことは勧められないわ」
「勿論です。ただ、相手が仕掛けた時に見破れないと、きっと後悔すると思って」
「そうね、一通りを教えたつもりだから・・・対応できそう?」

ブラッドが円香から教えて貰ったのは、必要牌を呼ぶ時の隠喩、リーチ宣言時に置かれた牌の位置、
あるいは、掛け声とリーチ棒の出るタイミングの違いから疑うケースなど、所謂、クチローズとか通しと呼ばれる技。
そして、実際の牌を使い、牌を河から拾ったりすり替えたりする基本的な抜き技や積み込み系の技。
牌に目印をつけ、次がどの牌かを知るガン牌。さらには、コンビ打ちによる空リーチの使い方。
牌を左手に2枚握りこんでロン牌を変幻自在に宣言したり、山の上下のツモをずらしてツモったりと・・・
嘗て、一世を風靡した時代があったという、本の中の文字でしか知らない100年前の技を目の当たりにして、
ブラッドは、ここ数日の講義で学んだ麻雀とは、全く別の世界観を感じていた。

「あはは、シーナ先生のように華麗にこなせる人がいるとは、とても思えないですけど・・・」
「今時、手積みの麻雀はほとんど存在しないからね、でも、停電になった時には注意してね」
「ええ、僕も先ほどのローゼンバーグ教授の話を聞いて、必ず仕掛けられた停電の時間帯が来ると・・・」
「ふふふ、なかなか鋭い勘をしているわ・・・」
「どうも・・・です」
「貴方もそういう洞察力を、恋愛に向けられればいいのにね」
「ええ??」

突然、円香の口から恋愛というキーワードが飛び出し、ブラッドは先ほどの驚きとは違うリアクションで驚愕した。

「あはは、アタシの独り言だから、気にしないでね。さあ、ランチに行きましょう」
「め、目茶苦茶、き、気になるんですけど・・・」

ブラッドは動揺した声で、先に席を立ち歩き出した円香の後を追った。

「シーナ先生!」
「なーに?」

円香が含みを持たせた笑みを浮かべ、同じ歩調で歩くブラッドの顔を覗き込んだ。

「僕に、足りないものって何ですか?」
「足りないもの?」
「ええ、僕、好きな人がいるんですけど、相手にとって僕が不足だらけだ、と感じているんです」
「あはは、面白いわね」
「わ、笑わないで下さいよ。真面目な話です」
「そうね〜。でもね、恋愛で、相手にとって足りないものなんて・・・何も無いわ」
「はあ?」

円香は納得できないというポーズをとるブラッドの腕に自分の素肌を絡め、手を握り締めた。

「いい? 恋愛の経験だとか、自信だとか、そんなものは自分にしか見えないの、相手には関係ないことよ」
「本当ですか?」

今度は、ブラッドが円香を覗き込み尋ねた。

「ええ、貴方には愚直なまでの正直さがあるじゃない、貴方を知って嫌う人なんて、この世に存在するとは思えないわ」
「愚直の意味がわかんないんですけど・・・でも、シーナ先生にそう云われると、自信が300%アップですよ」
「あはは、だから、その自信なんてものは相手には関係ないんだって・・・」
「確かにそう云われると・・・自信満々で見知らぬ女性に迫られても困るぜ〜〜って気もします」

円香は自分の右手とブラッドの左手を繋いだまま、体を折り曲げながら笑った。

「もうすぐ食堂に着くわ、このまま手を繋いでおく?」
「シ、シーナ先生。僕、先生と手を繋げて非常に嬉しいんですけど・・・
今、頭の中では、何故手を繋いでいるかの説明だとか、言い訳だとかで頭が混乱しています」
「あはは、繋ぎたいから繋いでいるんだ〜で、いいじゃない」
「そ、そんな乱暴な・・・」

円香とブラッドが食堂の入り口にたどり着いくと、円香は小走りでブラッドの正面に立ち、ブラッドの襟を正した。

「さあ、アタシを素敵にエスコートしてね」

ブラッドは顔面を蒼白にし、仏像のように身動きひとつ出来ずにいた。

手出しの牌の枚数
April,20 2045

11:30 ファンデンブルグ研究室

「シーナ先生、質問があります」
「どうぞ、ブラッド君」

「相手の闇テンに刺さったり、リーチをかけられた時に切り遅れたと思う牌が結構あるんですけど・・・」
「ええ」
「先生の試合を観戦していると、当り牌になる可能性のある牌は、一手早く処理できてるとか、
危なそうな牌の隣は切らず、相手の当り牌がそれにくっついてあがれたり・・・そこら辺を具体的に教えて欲しいんです」
「わかったわ、それではデータを出すから、まずはこれを観て」









NameLevel向聴聴牌和了
東家BRAD3802712
南家ANGELA41041116
西家RED86031013
北家MULLER56051317


円香は、フォログラムの画面にブラッドの過去の牌譜から何点かをピックアップすると、
全員の手牌がオープンになったものを表示した。

ツモ切りの牌と手の中から捨てられた牌の区別が色分けされて映し出されている。
牌譜の左上には、コンピュータが予想した期待値が表示されていた。

「ブラッド君、向聴数(シャンテンスウ)は分かるわね」
「はい」

「これまでの10日間で約100戦、自分の配牌の向聴数の平均ってどれくらいだったか覚えてる?」
「う〜んと・・・3〜4向聴くらいかな〜」

「そうね、貴方の435局のデータだけで云えば、平均3.56向聴、一般的な平均値よりは恵まれてるわね」

フォログラムの中には、配牌、7順目、10順目、12順目、14順目、16順目の6枚の全体牌譜が並べられている。

「オンラインゲームでは、配牌を取り出したときに、こんな風にテンパイ、アガリまでの平均値が出されるの」
「へ〜」

「さて、ここからが本題ね」

円香が、ブラッドとアンジェラに、16順目時点での手出しの枚数を河から数えるように指示を出した。

「捨て牌から、テンパイを読むときには、ツモ切りの牌は消して考えるといいわ」
「逆に、ツモ切りされた1〜4枚目位までの牌からは、相手がどんな手を作っているかイメージできるでしょ」

ブラッドがペンを額に当てながらカウントしている横で、アンジェラがそれぞれの手作りをイメージする。

「今回は私を含めて、3人が平和系の手、ブラッドは役牌を仕掛ける手ね」
「うん・・・北家が三元牌を一枚ずつ持ったままだ。どおりで鳴けなかったわけだ」

「そう、親のブラッドが手の中から3枚目を捨てた6順目で一向聴。当然、他家は警戒するわ」
「そうか、手の中から3枚も出てくれば、早いってことを察知されてるわけだ」
「そうね」

「10順目で西家が4-7ピンの聴牌だ…あ、アンジェラが7ピンを止めてるし…」
「うん、私も一向聴だったけど、西家が4枚目の手出しの牌を切る時に一瞬考えて…5枚目の手出しの牌が5ピンだったから…」
「ふ〜ん、よく見てるんだな、アンジェラは…」

互いにツモ切りの牌を数えながら、アンジェラの言葉に関心するブラッドに円香が言葉を付け加えた。

「端的に云えば、長考する時のパターンは、一向聴でのメンツ選択のケースが多いの」
「・・・確かにそうですよね」

序盤に切り出された牌の裏筋(4が切られた時の5-8待ち)や中盤に切られる跨ぎ筋(5が切られた時の3-6、4-7)を、
円香は画面に指示棒を当てながら、一般的なケースとしてそうなることが多いと説明を加える。
また、オンラインゲームでは画面に表示される色区分も、卓での実戦では、河と相手の手出しを交互に見るように伝えた。

「肝心なことは枚数を数えることではなく、相手の聴牌気配を悟ることよ」
「はい」
「手出しの枚数をカウントすることはあくまでも、ひとつの手段だから」
「はい、でもそれを知っているだけでも随分と卓上の景色が変わりますね」
「そうね」

「なるほど、中から3,4枚出てくれば、聴牌していてもおかしくないもんな・・・」

ブラッドが頬杖をつき、フォログラムに映し出された画像を観ていると、突然チャンネルが切り替わった。

「うわっ」

驚いたようにブラッドが椅子に座ったまま体を仰け反ると、画面にはローゼンバーグ教授が現れた。

「熱心に頑張っておるようじゃの」
「教授…おはようございます」

フォログラムの中のローゼンバーグに挨拶をしたアンジェラにつられるように、ブラッドも声を出した。

「諸君、おはよう…月曜日の予選会のルールに追加があったので知らせておこう」


フォログラムを囲むように座った4人にローゼンバーグは変更点を説明した。

「ええ〜それなら、シーナ先生に打ってもらえれば最強軍団だ」
「うふふ、アタシは24日は予定が入っているから、貴方が頑張らなきゃ・・・」

円香がブラッドを奮起させるように言葉を返した。

一通りの説明を終え、ローゼンバーグが画面から姿を消すと、まもなく時計の針が縦に重なり12:00を告げた。

「あ、もう、お昼だ。早いな〜」
「じゃあ、お昼にしましょうか」

背伸びをしたアンジェラにヴァレンが提案をした。
その横で、相変わらずペンで額を叩きながら、ブラッドは円香に言葉を投げかけた。

「シーナ先生、もう一つ質問があるんです、お願いします・・・」
「あら、熱心ねブラッド君。わかったわ、ヴァレンとアンは、先に行っててくれる?」
「OK」

ヴァレンとアンジェラが部屋を出ると、ブラッドは椅子から立ち上がった。
そして、同じ部屋の奥に置いてある雀卓の椅子に移動し、卓上の牌をかき混ぜ始めた。

女の企みと煙
April,20 2045

10:00 議長ヤン教授の部屋

ジパング国・オンラインカジノ研究への調査費用として組まれた予算は5百万ユーロ(約7億5千万円)
派遣者3名分の出張費用と滞在期間3年間の当面の生活費用として算出されたものだ。

24日の月曜日にヴァレン達の対戦相手となる教授のチェンは、ヤン議長の研究室のドアをノックした。
プロイセン国オンラインカジノ研究の第一人者であり、今回の派遣委員会議長のヤンが内側からドアを開けた。

「おお、チェン。待ち侘びていたぞ」

齢65の白髪混じりの初老の男は、白衣を着た黒髪の女が部屋に入るなり、女の腰に両手を回した。
そして自分のほうへ引き寄せながら右手を白衣と素肌の間に滑らせた。

「まあ、ヤン様ったら・・・」

女は、自分よりも背の低いその男の耳元で甘えた声色を出した。
そして、胸を掴んだ男の手の甲に自分の手を重ねると、懇願するかのように囁いた。

「ヤン様、お願いがあるんですが・・・」
「これこれ、来たばかりで急くでない、風情の無い奴め・・・」

ヤンは、名残惜しそうに女から手を離すと背を向け歩き出した。
ソファーに身を預けると、女に向かい側に座るように手招きをした。
チェンは、手土産に持参した紙袋をテーブルに置くと、男の反対側正面に腰を下ろし、膝に両手を置いた。

「お前のお願いというのは・・・次の予選会のことか?」
「ええ、左様でございます。2点ほどお願いがあって参りました」

「最近のお前ときたら・・・ワシの顔を見る前にお願いばかりじゃのう・・・」
「申し訳ございません。ジパング行きの切符を手に入れることが出来たなら、必ずや御礼を…」

男は小さく頭を左右に振って、テーブルに置いてあった葉巻を取り出した。
女は、男の咥えた葉巻に火を点けると、男をじっと見つめた。

「チェンや・・・勘違いするでない。ワシはこうしてお前と過ごしている時間が楽しいのじゃ」
「はい」
「大きな金が動いたとしても、ワシは礼など受け取るわけにはいかんし、また、金には興味がない」
「・・・存じております。ヤン様はとても器の大きな方ですもの」

「あはは、世辞などいらん。まあ、こうして時々話しに来てくれるだけで十分満足しておる」
「なんて無欲な方なんですの」

男の吐いた煙はゆっくりと真上に向かって踊っているように見えた。

「・・・で、話を聞こうか・・・」
「ありがとうございます。2つのお願いというのは・・・」

チェンは、あらかじめ用意しておいた用件を男に話した。
内容は、大会の打ち手は生徒から選ぶだけでなく、陣営側の誰が打ってもいいことにする。
もう一点は、万が一、停電が起こり全自動卓が使用不能になった場合は、そのまま手積みで続行する。
というものだった。

男は、表情ひとつ変えずにもう一度煙を吐いた。

「ふん、何を企んでおるかは訊かぬが・・・余り、キナ臭い匂いをさせるでないぞ」
「・・・滅相もございません・・・ただただ、我等に有利な条件であれば周到に準備をしたいと思っているだけでございます」

女は口元に笑みを浮かべると立ち上がり、男の座っている側のソファーに移動した。
男が咥えている葉巻をゆっくりと取り上げると灰皿に置き、煙を吐き終えた唇を塞ぎ、目を閉じた。





9回目の講義
April,20 2045

9:00 ファンデンブルグ研究室 

「おはようございます」
「おはよう。貴方達に教えるのも、いよいよ今日と明日の2日間だけよ」

トッティの紹介で、ジパング国から講師として来た円香が鞭撻を取るようになって9回目の講義。
円香の講義は、土日は彼女がジパングへ帰国するため、月曜日の朝から金曜日までの5回ずつの計10回。
今日は2週間目の木曜日の朝だ。

この2週間のスケジュールは、ブラッドとアンジェラ共に、
9:00 前日のオンライン麻雀での修正点の補正。
10:00 麻雀卓を使って、ブラッド、アンジェラ、ヴァレン、円香による実戦3回。
12:00 反省会を兼ねたランチタイム。
14:00 オンラインゲームでの円香戦の観戦3試合と解説。
16:00 ブラッド、アンジェラ、ヴァレンのうちの2人ずつが同卓でプレイし、コンビネーションの確認。
17:00 反省会を兼ねたディナータイム。
19:00 キャリアと課題をこなす為の、ブラッド、アンジェラ個人のオンライン対戦10回戦。
22:00 フリータイム。

と、ほぼ一日麻雀漬けの九日間。

ブラッドとアンジェラが講義の中で共通して教えられたのは、『トップを獲るための打ち方』だ。
状況的に意味のない1,000点の仕掛けをし、何万回上がったとしても決して上達しないということや、
同じく、どんな相手との対戦でも、最善手を打てていたかどうかの見直しする事を徹底的に叩き込まれた。

「勝っても負けても、貴方達が対戦した経験の正しい記憶の全てが、強さに変わっていくの」

円香は2人に、『やみくもに対戦数を増やして、ただ経験しただけ』ということを禁じた。

「少ない対戦数からでも、必ず対戦した譜面を補正し、正しい打ち方はどうだったかを記憶していって」

という一見地味な作業の繰り返しの重要性を2人に伝えた。

「結果からミスを悔やむよりも、プロセスからミスを見つけ出し補正すること」
「自分の持っている感性を拡げるために、円香戦の観戦で感じた牌選択の疑問点を質問し理解すること」


鳴かせてもいい相手。鳴かせてはいけない牌。上がらせてもいい相手。絶対に切ってはいけない牌・・・
状況に応じ、一打一打に具体的な理由を付し、ブラッドとアンジェラの打ち筋を円香が助言した。

ブラッドとアンジェラは、円香の的確な指摘に常に新しい発見と経験を重ね、即座に理解し実践した。
その理解力と行動力は、教えた円香も、そばにいたヴァレンも驚き呆れるほどの成長ぶりだった。


ブラッドとアンジェラの部屋をつないでいる壁が、ヴァレンのボタン操作によってオープンになった。
2人のデスクを横に並べるような形で合わせ、立体のフォログラムがふたつ隣同士で立ち上がる。
フォログラムの中には、再生された第1回目の時の牌譜が現れた。

「この9回のレッスンで、ほぼ、貴方達へ技術的な事は伝えられたわ」
「はい」
「今日は、9回分のレッスンの復習、明日は、大会用の講義をします」
「はい」

「ブラッド君、この配牌を覚えている?」
「ええ、31回戦の時のものですね」
「よく覚えているわね、10日前のものを・・・」

ヴァレンがブラッドの記憶力に改めて驚きの声を上げた。
途中まで再生された牌譜は、ブラッドの対面の親が、マンズ、ソウズをチーして、5ピンを切り出したところで停止した。

「8順目、六萬のドラ面子と、赤5ソウのソウズの面子を鳴いているところね」
「はい、僕が何も考えずに不要牌の4ピンを切ろうとして、シーナ先生に怒られたところです」
「8順目に入れば、他の3人の捨て牌、特に、親の切り出しと捨て牌、親の上家の捨て牌を見なくちゃ駄目よ」
「はい」
「アンジェラ、分かる?」
「・・・親がタンヤオ狙いなら、ピンズの3-6.4-7 親の上家が3ピンを5順目に切っているから4-7ピンが本命」
「そう、マンズの筋は全部見えてるでしょ、ソウズは2-5-8ソウだけが無筋ね」
「ええ」
「この状況なら、ソウズの2-5-8とピンズの4-7は止めなきゃ駄目よ、勿論字牌の初牌もね」
「この時、僕はまだ、リャンシャンテンだったからな〜 言語道断っすね」
「そうね、でもブラッド君はその後、自分の手と相手の手との相関関係で牌を切り出せるようになったでしょ」
「ええ、目からウロコでしたよ、親の上家の捨てている牌にもヒントが隠されていたなんて・・・」

続いて、円香がヴァレンに次のシーンをフォログラムに映すようにサインを送った。
画面に食い入るように身を乗り出したアンジェラは、先日以来、赤いリボンと金髪のウィッグを外している。
頬杖をついているブラッドは、フォログラムを操作しているヴァレンと、白銀の髪のアンジェラの横顔とを交互に見つめていた。

アンの病名
April,10 2045

20:15 クルツリンガー邸

「よう、アンジェラ、元気になったか?」
「ううん」
「何だよ、まだ治らないのか?その仮病」
「仮病じゃないもん 元気じゃないんだもん」

アンジェラはソファーの上で膝を立てて座っている。
その膝の上にクッション、左腕の順に置き、携帯端末の画面の中のブラッドを睨んだ。

「俺の専門は整形外科だから、病の処方はわかんないけど」
「・・・」
「そのアンジェラの顔つきから診ると・・・腹ペコ病だな」
「な・・・何よ、そのへんな病名は」

朝、目が覚めてから何も食べていないアンジェラは、ブラッドの適当な診断に、
抱きかかえていたクッションをさらに強くお腹に押し付けた。

「朝から、何も食わずに、クッションでも抱きかかえていたんだろう?」
「うっ・・・」
「で、暇つぶしにオンラインゲームの麻雀でもやって、周りが見えずに振り込みまくって更に不機嫌が加速」
「うっ・・・な、なによ、勝手なこと言わないでよ」
「あはは、まあ俺だったら、そういうパターンになりそうだな・・・ってことだ」
「もう、ブラッドと一緒にしないでよ」

アンジェラは図星をつかれながらも適当に反発を繰り返す。

「今さ、赤いワゴンのクレープ屋の前にいるんだよ」

ブラッドがアンジェラに車が観えるようにカメラの角度を変えた。
画面の中には美味しそうなクレープを持ち帰るカップルの姿が観える。
何組もの人垣に混じって、白銀の長い髪のヴァレンの後姿を見つけた。

「あ、美味しいのよね、そこのクレープ屋さん・・・」

アンジェラは抱えていたクッションを左側に置き、半身を乗り出して、画面に映し出された絵に見入った。

「あと、20分待ちだってさ・・・アンジェラの分を注文しても間に合うぜ?」
「・・・」
「身支度整えて、いつでも出かけられる準備は出来てるんだろう?」
「・・・」

ブラッドの指摘通り、アンジェラはいつでも外出できる格好は出来ていた。

「ふふふ、アンのことをよく理解しているようじゃの、ブラッド君は」

アンジェラの後ろからクルツリンガーが声をかけた。

画面の中では、ヴァレンがブラッドと会話をしている。
ワゴンに向かって指を指しているヴァレンの姿を羨ましそうに見つめた。

「ヴァレンは、何を注文したんだろう…」
「きっと、アンの好物と同じでイチゴのたくさん入った生クリームのやつじゃな」

画面のこちら側を指差しながら、ブラッドがヴァレンに声をかけている。
ヴァレンが近づき、ブラッドの左腕を取ると、画面にヴァレンが現れた。

「ほら、アン。早く来ないと、アタシがイチゴのクレープを2つとも食べちゃうわよ」

不意に『アン』と呼ばれて、アンジェラは言葉を失った。

「本当に、アンタの頑固なところは、昔から変わってないわね」
「ガキの頃から頑固者の常連かよ、早く来ないとクレープだけじゃなく、俺もヴァレンティーネ様に食べられちゃうぞ」

ヴァレンの頬にぶつかる位近くに顔を寄せたブラッドが、こちらを覗きこんでいる。

「おお・・・ヴァレンがお前のことをアンと呼びおった・・・」

アンジェラの肩に手をかけていたクルツリンガーの左手が震えている。
アンジェラの瞳には大粒の涙が溢れ、画面に映る二人の姿がぼやけてきた。

「おねえちゃん…」
「二番街3のストリートの東側よ。パパ、アンをお願いね」
「じゃあな、アンジェラ」

ヴァレンの体が反転しワゴンに駆け出したところで、ブラッドの顔が画面に大きく映り、通信が途絶えた。

クレープと十字架と
April,10 2045


20:00 トッティの店

「あ〜美味しかったわ」
「うんうん、もう食べられない」

ヴァレンと円香は、デザート用のスプーンを皿の上に置くと、
背もたれに背中をつけ両腕を天井に伸ばした。

「ご馳走様、トッティ。今まで食べたお料理の中でも最高級だったわ」
「ありがとうございます。ボス」

トッティが皿を下げながら満足そうに微笑んでいる。

「それでは、ごゆっくりお寛ぎ下さい。車の用意が出来ましたら声をかけます」
「ええ」

トッティはスタッフの指揮をマリーに任せ、下膳をさせている間に、円香をホテルに送る準備を始めた。
ヴァレンと円香はグラスを片手に語り合っている。
ブラッドが手洗いから席に戻ってきた頃には、トッティの用意が整っていた。

「じゃあ、私はホテルに戻るから、ヴァレン、後はお願いね」
「ええ、また明日、よろしくお願いするわ」

「ブラッド君、ヴァレンに夜用の課題を渡しているから、頑張ってね」
「はい、シーナ先生、今日はありがとうございました」

「ヴァレン?今日は歩いて帰れる?」

トッティがヴァレンを冷やかすようにウィンクをした。

「きゃはは、今夜は大丈夫よ、それに歩き疲れたら、ブラッドに背負ってもらうわ」
「なんなら、どうぞ、この背中に乗ってください」

ブラッドが方膝を付き、背中側に両腕を回した。

「あはは、ブラッド、大丈夫よ。さあ帰りましょう」

円香がトッティの用意した車の後部座席に乗り込み、車が動き出してその姿が見えなくなると、
ブラッドが月明かりの照らす空を見上げた。

「凄い人でしたね。シーナ先生は・・・」
「本当ね、年齢はアタシの一つ上なのに、自分の世界をしっかりと持っていて」
「ええ、世の中にはああいう人もいるんだ・・・って驚きの連続でした」
「うんうん アタシも頑張らなきゃ・・・」

ヴァレンが右手に持ったセカンドバックの皮の紐をくるくると回すと、バッグが何度も弧を描いた。

「いい笑顔ですね」
「うん?」
「いえ、なんだか、久しぶりにヴァレンティーネ様の嬉しそうな顔を見たような気がします」
「あら、そんなにアタシ怖い顔をしてた?」

眉間に皺を作ってヴァレンがブラッドを見上げた。

「あはは、何だか憑物が取れたような爽快さが、表情に出てましたから・・・」
「そう・・・ブラッドったら、よく見てるのね」
「そりゃ、ヴァレンティーネ様と居るときは、一瞬たりとも見逃さないように、見まくりですよ」
「あはは、見まくりって・・・」
「お蔭で、瞬きするのも忘れて、目が乾いて大変ですよ」
「きゃはは、いつも面白いわね、ブラッドったら・・・」

夜風に靡く白銀の髪を右手で押さえながら、ヴァレンが立ち止まった。

「ん? ヴァレンティーネ様、いかがなさいました?」
「ほら、ブラッド、何だかあっちから、いい香りがする・・・」

ブラッドはヴァレンの指差すほうへ顔を少し上げ、クンクンと匂いを辿ってみた。

「あ、クレープの匂いですね」
「甘い香りね〜」

二人が四つ角を右に折れると、後方の扉を上に開いた赤いワゴンの前に人だかりが出来ていた。

「移動式のクレープ屋ですね」
「本当だ、ブラッドは食べたことがある?」
「ええ、サッカーの練習の帰りに腹ペコでいつも買ってましたね」
「いいな〜アタシは、教会の前をあの車が通るんだけど、買えなくてね。いつも羨ましそうに眺めてたな〜」
「それなら・・・あの列の後ろに並びましょう」

ブラッドが赤いワゴンを指差し駆け出した。
高いヒールを履いているヴァレンはゆっくりとブラッドの走った後を追うように歩を進めた。

7組ほど待っている列の後にブラッドが並び、その後、3組ほどがブラッドの後に続いた頃、
ヴァレンが手招きをしているブラッドの元にたどり着いた。

「凄い人気ね〜」
「ええ、突然現れて、次にいつ来るかわからない移動式のワゴンですから、人気があるんですよね」
「なるほどね〜」
「ヴァレンティーネ様、開いた扉に掛かっているメニューは見えますか?」
「ええ、見えるわ・・・何にしようかな〜」
「チョコや生クリーム、フルーツを包んだデザート系と野菜とチーズやバターを包んだスナック系とがありますよ」
「あはは、本当だ。詳しいのねブラッド」
「ええ、どちらもお勧めです。というかどっちも食べましょう」
「そんなに食べられないわ」
「大丈夫ですよ。残ったら僕が引き受けます」

手際よく円形の鉄板の上で作業をしているスタッフの姿が、並んでいる人の垣根の隙間から時折見えた。

「アタシもね、子供の時は、クレープ屋さんになりたかったんだ」
「いいですね〜ヴァレンティーネ様が作るクレープ屋さんだったら、僕、一日5回は通いますよ」


20:10 クルツリンガー邸

「は〜、また振り込んじゃった・・・つまんない」

アンジェラは自宅の部屋で、オンライン麻雀を一日中黙々としていた。
時間と時間の狭間で、自分の左腕の携帯端末を開いては見るものの、
ブラッドからもヴァレンからも連絡は入っていなかった。

「あ〜なんだか、ズル休みしたら、明日からも行き難いな〜」

アンジェラは右手に持っていた操作用のリモコンを放り出すと、ソファーに身を深く沈め、大きなため息をついた。

「アン、具合はどうだ?」

アンジェラの父、クルツリンガーがソファーの後ろ側の扉から声をかけた。

「ごめんね、パパ。私、どこも悪くないの」
「ふむ・・」
「だけど、体も心も凄く重いの」

アンジェラはソファーの備え付けてあったクッションを抱きかかえて呟いた。
その時、アンジェラの左腕の携帯端末が着信を告げる光を放った。

「あ、ブラッドからだ・・・ どうしよう・・・」

アンジェラはその光を呆然と見つめながら応答するか戸惑っていた。
部屋に入り、アンジェラの向かい側に座ったクルツリンガーがテーブルの上でカードを開いた。

「アンや・・・ワシの占星術によれば、その電話に出ると明るい未来が見える・・・と出とるぞ」
「もう、パパったら・・・その怪しい術が当たったためしがないのに・・・」
「ふふふ・・・そろそろ当たる頃じゃろうて・・・ほら、出なさい。運命に逆らっちゃいかん」
「あ〜ん、もう、私は今、神様にでも猛烈に八つ当たりしたい気分なの」
「なんという恐ろしいことを・・・」

クルツリンガーは神妙な顔で白い髭を指で触れると、そのまま十字架をきった。

「主よ、こんな罰当たりな娘をお許し下さい・・・」
「やめてよ、パパ、私を罪人呼ばわりするのは」

クッションを抱えたまま、アンジェラは渋々左腕の端末の応答スイッチに指を触れた。

トライアングルバースデー
April,10 2045


17:00 トッティの店

「今日は、オーナーの大切なお客様をお迎えしますので、みんな粗相のないようにね」
「はい」
「貸切の看板は出した?」
「ええ」

トッティの店では、開店前の朝礼が行われていた。
ホールスタッフのチーフらしき女性が、若い後輩達に指示を出している。
トッティは厨房の中にいる料理長に、コース料理の提供時間と内容の打ち合わせを行っていた。

「前菜の後は、デニッシュオープンサンドを出して」
「はい、ジパングでもサーモンや鰻も食べるらしいので、コースに入れました」
「ありがとう、気が利くわね。あと仔牛のカツレツも入れておいて」
「かしこまりました」

トッティは部屋のセッティグをしているスタッフにも声をかけた。

「ご苦労様」
「はい、スカンジナビアの国旗はどうしますか?」
「アタシの第二の故郷だから飾っておいて、あとジパングの旗はある?」
「ええ、マリーが昼間調達しています」
「さすが、マリーね」

壁に飾られた北欧の彫刻や、色鮮やかなフラッグが格調ある店の落ち着きと、
明暗のコントラストを奏でるかのように映えている。

「クロスは白のままでいいわ」
「はい」
「お花はカラフルなものにしておいて」
「はい」
「あと、絵画はシックなものに掛けかえておいてね」
「はい」

トッティは、矢継ぎ早に指示を出しながら、左腕の携帯端末でヴァレンの位置を確認した。

「随分とのんびり歩いているのね」


「さあ、みんな、お客様はあと5分でお見えになるから、手が空いた人はホールに並んで」
「はい」
「持ち場のそれぞれのチーフは、最終チェックをしてから並んでね」
「はい」

トッティは、再度厨房に戻り、料理長に確認をした。
料理長は笑顔で親指でOKのサインを出した。
部屋のセッティングを終えて出てきたマリーからもOKの確認が入った。

トッティ・ファンデンブルグ Totti Fandemblg 25歳。
シチリア生まれだか、両親の記憶はなく、物心ついたときからファンデンブルグ教会で育つ。
16歳の時に、北欧の飲食店経営のオーナー夫妻の養子となり、料理の腕を磨く。
22歳の時に、夫妻が亡くなると、プロイセンに北欧風飲食店を出店。その後タツミグループ入りを果たす。
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トッティは3年前、店を出す際に、タツミ財団の奨励金制度に申し込み出店企画が採用された。
日曜日ごとに、フォンデンブルグ教会を始め、孤児院経営をしている教会に無償で料理を提供。
その風評が地元の人たちの共感を呼び、店も大繁盛。
昨年、法人格に改変する際に発行済み株式の大半をタツミグループが引き受けることになり、
奨学金返済を株式売却という形で、借りていた奨励金をすべて完済した。
店で働いているスタッフ達は、孤児院でトッティの世話になった若者を中心に集まり、彼らからの信頼は厚い。


まもなく、店の扉が開くと、スタッフの人の輪をくぐり、円香、ヴァレン、そしてブラッドの姿が現れた。
歓迎用の花束をみなから手渡された円香は、花の香りに包まれながら、スタッフに労いの言葉を掛けながら店内を見渡した。

「噂に違わず、素敵なお店ね」
「ありがとうございます ボス。これもタツミ財団のお陰です」
「そういってくれると嬉しいけれど、トッティの企画が素晴らしかったのよ」
「光栄です、円香様。どうぞ、奥の部屋へ・・・」

正装をしたトッティの姿を見て、ヴァレンは柔らかい微笑を浮かべ、ブラッドは驚愕を浮かべている。

「なんだか、今夜のトッティはカッコいいな〜」
「うふふ、ありがとうブラッド。惚れてくれた?」
「う・・・いや、そういう意味じゃなくて・・・」
「きゃはは、さ、行きましょう」

ヴァレンはトッティとブラッドの真ん中に入り、彼らの両腕にそれぞれ腕を絡ませて歩き出した。
部屋に入ると長いテーブルの奥の上座に円香を座らせ、その両側にヴァレンとブラッドが座った。

「円香様、確か4月5日がお誕生日だと伺っております」
「ええ〜アタシと同じ誕生日だ」

ヴァレンが驚いたように円香に拍手を送る。

「本当?嬉しいわヴァレン、アタシの妹も4月5日生まれなの、まるで3姉妹ね」
「へ〜4月5日生まれの女性は、素敵な人ばかりなんだ・・・」

ブラッドが素朴に呟いた。

「本当ね。では、ゼクトで乾杯しましょう」

トッティが栓を開くと、勢いよくスパークリングワインの泡が吹き出し、
霧が舞い降りるように祝福の音色を奏でた。

シーナ先生
April,10 2045

16:30 ファンデンブルグ研究室 ブラッド

第37戦 東3局 西家 33,000点 トップ目

『リーチ』

8順目にブラッドの対面の親からリーチがかかった。






「う〜ん、困った。現物が無いや・・・4ピンの雀頭落しかな〜」
「あ〜、その4ピンは当るわよ、マンズのペンチャン面子を落とせばいいわ」
「はい」

『ロン・・・5,800点』

上家の切った1ピンがロン牌として表示された。

「え? ピンズは通りそうだったのに・・・」
「中盤以降の切り出しは、牌をまたいでいることがあるから覚えておいてね、今のはこんな形からね・・・」




「はい」
「逆に、面子選択の時のカンチャン外しや、トイツ落としを狙い打ちすることもできるからね」
「・・・難しいですね・・・」
「うん、でもそのうち感覚で分かるようになるわ」
「はい」

第37戦 東4局 南家 33,000点 トップ目(2位との差2,200点)

『リーチ』

9順目にブラッドの下家の西家からリーチ宣言。





「げ、ラスの奴からリーチだ。2位と2,000点ちょっと差だから、振り込みたくないな〜」
「そうね、ツモって貰ってもいいわ」
「4ソウ切りのリーチで筋の7ソウを打ちたいけど、ドラが8ソウだから嫌な予感がする」
「あら、ブラッド君、いい読みね。多分、
からの4ソウ切りだとアタシも思うわ」





『ロン・・・5,200点』

暫定2位の対面が筋で切った7ソウが、予想通りロン牌として表示される。

「2〜3順前に切り出された筋牌は注意が必要ね。ドラが絡む場合は特にね・・・」
「はい」


WINNER Brad 33,000・・・2位 ・・・25,600・・・ 

ブラッドの勝利を告げるテキストがフォログラムの中でスクロールしている。


「これで、7連勝・・・なんだか、信じられないな」
「そうでもないわよ、ブラッド君はとてもセンスがいいと思うわ」
「本当ですか? 昨日まで振り込みまくりだったんだけど・・・」
「守りについては、少しずつ覚えていけば格段にレベルが上がるわ、攻撃の方はいい感性をしているから・・・」
「はい、ありがとうございます。シーナ先生」
「どういたしまして」
「よっしゃ〜」


ブラッドは、右横で腕組みをして立っている女性にお礼を告げ、両腕を天井に伸ばし歓喜の声をあげた。
ジパングから客人として来たシーナと呼ばれた女性は、微笑みながらコーヒーカップを口に運んだ。

「ボス・・・アタシは、店の準備があるので先に出ます」
「わかったわ、トッティ」
「後で、迎えの車を回しますので・・・」
「お店は遠いの?」
「・・・歩いて5分くらいですけど・・・」
「あはは、それなら歩いていくわ」
「恐れ入ります・・・」


ブラッドの後方で、トッティとシーナ先生との会話が聴こえ、ブラッドは左腕の時計を見た。

(もう、こんな時間か・・・朝、昼食べていないことを忘れるくらい集中していたんだ・・・)


38回戦に入った時にヴァレンが、部屋に入ってきた。
ヴァレンはトッティと会話をしている円香に会釈をしてから、ブラッドに尋ねた。

「どう、ブラッド調子は」
「なんだか、凄いんですよ・・・」
「へ〜」
「シーナ先生の読みが恐ろしいくらいにぴたりと嵌って」
「それは頼もしいわ、ブラッド」
「えへへ」

トッティを見送った円香が2人の後ろに近づいてくると、ヴァレンが椅子を引いた。

「ジパングからの長旅の後、すぐにご指導頂いて恐縮です」
「いいのよ、ファンデングルグさん。アタシも麻雀は大好きだから」
「そういって頂けると・・・ありがとうございます」

配牌を取り出したブラッドの横で、円香とヴァレンとの会話が聴こえる。

『チー』

(なんだ? 1順目からチーかよ、下家・・・)


「あら、貴女、プラチナブルーのピアスをしているのね。ひょっとしてトッティの彼女?」
「いいえ、彼とは孤児院時代からの15年来の付き合いで・・・兄妹みたいな関係なんです・・・」
「そう、綺麗な白銀の髪に良く似合っているわ」
「ありがとうございます。シーナ先生」
「あはは、シーナ先生だなんて、柄じゃないわ、マドカって呼んでね」
「はい、では、アタシのことはヴァレンとお呼び下さい」
「OK.ヴァレン・・・フレンドリーにいきましょう」
「ええ」


『ポン』

「あ〜、また鳴くのかよ、下家め〜」
「シーナ先生、親の時に、右の奴に染められている時は、絞った方がいいんですか?」

ブラッドが、頭をかきながら円香に質問をした。
円香は、ブラッドの手牌と場の状況を見て答えた。

「その手なら、好きなだけ鳴かせればいいわ、どうせ4回しか鳴けないんだから」
「あはは、了解です・・・おっと、カンチャンずっぽしのツモだ」

『リーチ』


38回戦 東1局 東家 25,000点持ち 6順目



「あらあら、2ピンを一発でツモって8,000オールになるわ・・・」

円香はそう告げると、化粧室を借りたいとヴァレンに申し出、ヴァレンが円香を自分の部屋に案内する為に席を立った。

「じゃあ、ブラッド、勝負がついたら支度をして、声を掛けてね」
「はい」

ヴァレンと円香がガラスの扉を開け、廊下に出ると、

「おっしゃ〜8,000オール」

と、ブラッドの大きな声が響いた。
ヴァレンと円香は顔を見合わせて笑いあった。

額の傷跡
April,10 2045

9:00 ファンデンブルグ研究室

「おはようございます」
「おはよう」

ブラッドが眠そうな目を擦りながら、肩をほぐすように頭を振っている。
ヴァレンはいつもと同じ白衣を纏い、窓から吹き込む春の風に髪を靡かせながら微笑んだ。

「あら?、ブラッド一人なの? アンジェラは?」
「布団の中で貝になってました。今日は休みにしたいって・・・」
「そうなの・・・」

アンジェラの休みを聞いて、ヴァレンはコーヒーを準備するために身を翻した。

「あ、ヴァレンティーネ様」
「なに?」
「トッティからの伝言で・・・」
「うん」


『ジパングからの客人を出迎えに空港へ向かったということ。
午後から、空輸されてくる麻雀卓と用具が届くということ。』

という伝言をブラッドはヴァレンに伝えた。

「あら、行動が早いのね、ありがとう、ブラッド」
「ええ」

「朝食は摂ったの?」
「いえ、アンジェラが眠ったままだったので・・・」
「そう、じゃあ、何か作ろうか?」

ヴァレンからの申し出にブラッドは嬉しそうに答えた。

「う〜ん、お腹も空いているんですけど、それよりも・・・」
「うん」
「麻雀を教えてください。昨日も課題がクリアできてなくて・・・」
「あら、熱心なのね・・・」

ヴァレンがコーヒーを注いだカップをブラッドの目の前に置き、
ブラッドの座っていた右側の椅子を引いた。

ブラッドは差し出されたカップの温もりを確かめるかのように両手で持った。

「俺、昨日の夜、あんまり眠れなくて・・・」
「あら、アンジェラの寝顔に見惚れてたの?」
「あはは、冷やかさないで下さいよ、それも少しはあるけど・・・」
「うふふ、正直ね、ブラッドは」

ヴァレンが、カップを口元につけテーブルに置いた。

「ヴァレンティーネ様、俺達がこの予選で相手に負けるようなことがあったら・・・」
「うん」
「その時は、俺もお役御免で、2週間でヴァレンティーネ様ともお別れですか?」
「・・・考えたことも無かったけど・・・そうなるわね」
「やっぱり・・・」

ブラッドはテーブルの上のカップを両手で持ったまま打ちひしがれたように俯いた。

「俺、昨日眠れない時に、色々と考え事をしていて・・・」
「うん」
「きっと、ヴァレンティーネ様は、今回のジパング行きの件や、論文のこともあって、
研究室に戻られたのかな・・・と思ったんですよ」

ヴァレンはテーブルに右肘で頬杖をつき、無言でブラッドの横顔を見つめた。

「だから、俺、もっと強くなりたいんです。強くなって、ヴァレンティーネ様の夢を叶えたい・・・
そしたら、2週間だけじゃなくて、ずっと一緒にいられるから」

「ありがとう、ブラッド、素敵な考えだわ」

ヴァレンは立ち上がると、半歩進み、ブラッドの茶髪の頭に左の掌を回して、自分の胸元に引き寄せる。
ブラッドの額が、ヴァレンの胸元に埋もれた。

「ヴァレンティーネ様、俺、頑張ります」
「うん、うんうん」

2度、返事をしたヴァレンを見上げたブラッドの額には、白衣のボタンの跡がついていた。


未来への決断
April,10 2045

1:00 トッティの店

「おかえりなさい、オーナー」
「ただいま、店を開けちゃってごめんね。これ、掛けておいて」
「はい」

トッティが扉を開け、店の中に入ると、声を掛けてきたウェイトレスに車のキーを預けた。
レジ奥からカウンターに入ると、仰け反るくらい驚いた声を出した。

「ヴァ、ヴァレン・・・」

カウンターではヴァレンがカクテルグラスを揺らしながら座っていた。

「あら、トッティ、おかえり、思ったよりも早かったわね」
「おかえりじゃないわよ、アンタ。あの子達が血眼で探していたわよ」
「えへへ、でもトッティが上手く辻褄あわせしてくれたんでしょ?」
「そりゃあ・・・全く困った子ね。アナタは・・・」
「うふふ」

悪びれることもなく、気負うこともなく、いつものヴァレンの姿に、トッティは苦笑いするしかなかった。

「でも、アンタ、アンジェラの家で、見たんでしょ?」
「写真のこと?」
「そうよ、何か思い出したの?」
「ん〜、思い出すも何も・・・だって、目覚めたらアタシの生まれた家の、しかも当時のままの部屋に居るじゃない。もう、びっくりよ」
「あはは、びっくりって、アンタ。覚えているわけ?」
「ちょっと、一度に質問攻めにしないで・・・アタシだって混乱しているんだから・・・」

ヴァレンは、グラスを口につけてからテーブルに置くと、ポーチから煙草を取り出した。
細長い煙草を箱から取り出し指先で挟むと、トッティの差し出したジッポの火に息を吸い込んだ。

「ふ〜」

ジッポの火を消さず、トッティも胸ポケットから煙草を取り出すと火をつけ、カウンターに灰皿を置いた。
くわえ煙草のまま、自分が飲むためのグラスに氷を無造作に入れ、バーボンを注いだ。

「あら、懐かしいわね、そのバーボン」
「覚えてる? このフォア・ローゼス」
「うん、ローゼンバーグ神父がケンタッキー州からのお土産に、と貰った奴を棚からこっそりと盗んだのよね」
「そうそう、ヴァレンたら、一杯飲んだだけでひっくり返ったのよ」
「あはは、だって、トウモロコシのジュースかと思ったんだもん」
「うふふ、アタシね、11歳だったアンタとのあの時が、生まれて初めての乾杯だったのよ・・・だから、それからはずっとコレね」
「へ〜、じゃあ、いつか舞踏会で四輪のバラをつけた素敵な女性が現れるかもね」
「何云ってんのよ、アタシの夢は、アタシが薔薇をつけて素敵な男性にプロポーズされることよ」
「きゃはは」
「随分と懐かしい話ね・・・」
「ね、」

ヴァレンは楽しそうに首を左右に振りながらトッティに微笑んだ。

「アタシさ、アンジェラ達のこと、ローゼンバーグ教授から聞いていたの」
「・・・そっか、ローゼンバーグ神父は、ヴァレンの大学の教授もやっていたんだものね」
「そう・・・」
「じゃあ、何で、久しぶりの我が家でゆっくりしてこなかったのよ・・・」
「ん〜〜。なんていうか・・・ねえ、トッティ。アタシの夢、知っているわよね」
「ええ、新しい論文を書いて終身在職権を手に入れることだったわよね・・・そのためのジパング行き・・・」
「そう・・・、だからね、今は家族との再会を手拍子で喜んで・・・目の前のこのチャンスを逃すわけにはいかないの」

ヴァレンが、神妙な表情で決意を語る。

「家族との再会よりも、自分の夢か・・・」
「そんな風に云わないで、アタシだって辛いんだから・・・」
「ん、わかっているわ、ヴァレン。今、再会を祝って・・・なんてことになったら、あっちこっちのパーティに引っ張りまわされて・・・」
「うん、ブラッドやアンジェラの指導どころじゃなくなるわ・・・」
「そうよね・・・アンタも大変ね」
「だけど、あと2週間よ。決まれば、何もかもがうまくいくわ」
「・・・しかし、あの子達、まだ、覚えたばかりなんでしょ? 本物の・・・なんだっけ、麻雀か・・・、その経験も無いみたいだし」
「うん、不安なのよ、あの子達、凄く頭はいいんだけど、2人ともとても素直だから・・・なにせ、騙し合いのゲームだからね、ある意味」
「・・・じゃあ、実戦のための先生の手配をすればいいのね、アタシは・・・」
「うふふ、さすが、アタシの王子様トッティ。ご名答〜」

そういうと、ヴァレンはグラスをトッティの持つグラスに重ねた。
澄み渡る音が、客のいない店に鳴り響いた。

「やめてよ、王子様だなんて、アタシはお姫様がいいの。ヴァレンこそ王子様になってよ」
「きゃはは、無理言わないでよトッティ。アタシは女王様目指しているんだから」
「じゃあ、今夜ジパングのボスに伝えて、講師を派遣してもらう手配をしておくわ」
「きゃ〜トッティ、ダイスキ。ありがとう」
「いいのよ、ヴァレンには今まで守ってもらったお陰で、今日のアタシがあるんだから・・・」
「大袈裟ね〜トッティは」
「まんざら、そうでもないわよ、アタシの友達はヴァレンだけだったし・・・」

トッティが、いつになく真面目な顔をしてグラスを揺らしている。

「じゃあ、トッティ。出来るだけ厳しい先生を用意してね、と伝えてね」
「わかったわ・・・だけど、男前だったら、アタシが頂くわよ」
「きゃはは・・・アタシとトッティは、いつも半分ずつよ」
「うふふ、覚えていてくれて嬉しいわ・・・」

トッティが、グラスのバーボンを男らしく飲み干すとヴァレンは大きな拍手をした。

「明日、9時に研究室にアンジェラとブラッドを送り届けるわ」
「うん、ありがとう。じゃあお化粧直しをしてから帰るね」
「ええ」

ヴァレンは化粧室の鏡の前でルージュを引きなおし、鏡の中の自分に言い聞かせた。

「アタシの大嫌いな、太ったあの女には絶対に負けないわ・・・」

嗚咽と失踪
April,10 2045

0:00 クルツリンガー邸

「ちょ、ちょっとブラッド、起きて、起きてよ」

アンジェラがブラッドの体を激しく揺すった。

「ん? もう、朝?」
「も〜、なに、寝呆けているのよ、ブラッド。ヴァレンは?どこ?」

アンジェラの激しい口調にようやくブラッドはヴァレンが居なくなったことを知った。
先ほどまでヴァレンが眠っていたはずのベッドのシーツに左の手のひらを乗せる。

「まだ、シーツは温かいよ。化粧室やシャワールームは探した?」
「う、探してくる・・・」

慌てているアンジェラよりは、比較的ブラッドの方が冷静なのかもしれない。
トッティは、そのやり取りに苦笑いしながら、自分の携帯端末を開けた。
ブラッドのコインと同じように、ヴァレンの位置を示す地図が現れ、青い光が点灯している。
その光の隣で緑色の光が同じスピードで移動していた。

「あらあら、護衛のシルバーと一緒だわ、ブラッド、安心して」
「う、うん。何でまたこんな時間に外にいるんだろう」
「さあねえ、大方、レポートを書くために研究室に戻ったとか・・・ あの子も真面目なところがあるから」
「ツレナイな〜。俺も誘ってくれれば良かったのに・・・」
「うふふ、きっとブラッドも幸せそうな顔をして眠っていたのよ。起こしたくないような顔でね」

トッティとブラッドがベッドの前で話をしていると、ドタバタと階段を昇ってくる足音が聞こえた。

「はあはあ、居ないわ、どこにも・・・」

アンジェラが息せき切って捜査完了の報告を入れた。

「アンジェラ、ご苦労様、ヴァレンティーネ様は外に出たようだよ」
「ええ〜?こんな時間に?探さなきゃ・・・」
「大丈夫よ、アンジェラ。アタシの部下の車で移動しているみたいだから・・・」
「なに、それ、ヴァレンを捕まえたの?」
「ううん、きっと、ヴァレンが、アタシの部下を捕まえて運転させているんだと思うわ」
「あはは、ヴァレンティーネ様らしいや・・・」
「ちょっと、2人とも何でそんなに落ち着いているのよ・・・」

アンジェラは悠々自適にしている男共の態度に憤慨しているようだった。

「まあまあ、アンジェラこそ落ち着けよ」

そういうと、ブラッドは枕元にあった水の注がれているグラスを手渡した。
アンジェラは渋々それを受け取ると、一気に飲み干した。

「は〜、もう、ヴァレンたら・・・折角15年振りに一緒に眠れると思ったのに・・・」

アンジェラは床に座りこむとグラスを投げ出し、膝を抱え俯いた。

「まあ、そうはいっても、ヴァレンが思い出さないことには、お姉ちゃん。ということにもならないだろう」
「・・・わかっているわよ・・・どうせ私一人で舞い上がっていることくらい」

なだめるブラッドの言葉が、アンジェラの感情を刺激しているらしい。
今度は、アンジェラは座ったまま子供のように泣き出した。

ブラッドはトッティに振り返り、両手を広げやれやれと天に向けた。

「じゃあ、アタシもこれから帰るから、ブラッド、今夜はアンジェラの傍に居てあげなさい」
「う、うん」
「明日は、8時半頃に迎えに来てあげるわ」
「ありがとう、トッティ」
「いいのよ。おやすみブラッド、アンジェラ」

そう云うと、トッティは部屋を出た。

ブラッドは泣き続けているアンジェラの膝と背中を抱き立ち上がると、ベッドに座った。
アンジェラはふわっと宙に浮いたかと思うと、今度はベッドの上にころがされた。
足元に折り畳んである薄手の毛布をアンジェラの肩の辺りまで掛けると、ブラッドは再び立ち上がり部屋の明るさを落とした。

ブラッドに背を向ける格好で横たわっているアンジェラの肩は嗚咽で震えている。
ブラッドは、先ほどのヴァレンが眠っていた時のようにベッドの脇に座り、シーツの上で頬杖をつきアンジェラの後姿を眺めていた。

やがて、震えていたアンジェラの肩がシーツに沈み、体の力が抜けたように見えた。
ブラッドはしびれた右腕を何度か振ってから、両腕を枕がわりにシーツに置き眠りに向かった。

姉妹の記憶
April,9 2045

22:30 クルツリンガー邸

家族4人で映っている写真を抱いたまま座り込んだアンジェラの肩口をそっと撫でるトッティ。
ブラッドはアンジェラの肩口まで伸びた白銀の髪に触れると、嗚咽を堪えようと微かにアンジェラが震えているのがわかった。
トッティもブラッドも言葉を無くしている。
まもなく、階段を登ってくるクルツリンガーの足音が少しずつ近づいてきた。

開いたままのドアのところに父親が立つと、アンジェラが泣きながら叫んだ。

「パパは・・・パパは、何もかも知っていたの?」

クルツリンガーは、無言のままアンジェラを見つめ、やがて静かに首を横に振った。
重たい沈黙の時が部屋にしばらく流れる。
まもなく、クルツリンガーは重い口を開き、アンジェラとトッティに2階奥の書斎に来るように告げ、
ブラッドには、その写真を持たせ、ヴァレンの傍にいるように頼んだ。


3人が部屋から出ると、ブラッドはヴァレンの眠るベッドの手前に座り、片肘をついてヴァレンを見つめた。

「なんだか、凄い展開になったよ、アンジェラのお姉さんがヴァレンティーネ様だったなんて・・・」

ブラッドはヴァレンの微笑む横顔を見つめ続けながら、ヴァレンの長い髪に手を伸ばし触れた。
眠ったままのヴァレンがブラッドのその手を握り締めた。
ブラッドは目を細め何かを語りかけようとしたが、すぐに睡魔に抱かれるように、その場で眠りに堕ちた。


23:30 

書斎ではクルツリンガーがアンジェラに、15年前からの出来事を全て伝えた。
来客用のソファーに深く身を沈めたアンジェラを心配そうにトッティが見つめている。

「ということは、パパ。ヴァレンは9歳以前の…私達家族との記憶が無いっていうこと?」
「うむ、正確には、記憶が無いということではなく、強いショックによって過去を封印しているようなのだ」

8歳の時に母親と家を出て、翌年、とある事件の後、病院のベッドの上で目覚めたヴァレンを、
メディアを通じて知ったクルツリンガーは、精神分析の担当医師として名乗りを上げた。
しかし、その時点で既に、ヴァレンがクルツリンガーを父親として認識できなかったことを告げた。

「ねえ、トッティ・・・ヴァレンと教会で出会ったのは幾つの時なの?」
「う〜ん、随分と昔の話しだから、8歳だったか9歳だったかは覚えていないんだけど・・・ただ」
「ただ?」
「うん、アタシの記憶に間違いが無ければ、ヴァレンはパパのことがダイスキで、ママのことは大嫌いって
よく話をしていたわ」
「うん、それで?」
「でもね、太ったママがよくアタシを殴るの、と話していたけど、先ほどの写真を見る限り、
ママはとても美しい方だったでしょ? おそらく、写真の女性ではなく、違う家族の記憶だと思うわ。
パパの話もクルツリンガー先生の印象とは随分と違うから・・・」

時計の針が12時近くになったところで、アンジェラが欠伸をした。

「もうこんな時間ね、アンジェラ、今度の日曜日に教会に連れて行ってあげるから、今日は休みなさい」

と、トッティが提案をした。

「うん、そうね、ヴァレンのことがわかっただけでも、私は幸せよ、ありがとうトッティ」
「うんうん、よかったわ、アンジェラや先生のような方が、ヴァレンの家族だったなんて」

「それでは、君達は先に休み給え、私はアンから預かった本に目を通しておくことにするよ」
「うん、パパも無理しないで早めに休んでね」
「ありがとう、アン、おやすみ」

アンジェラが、父親の頬におやすみのキスをして、書斎を出ようとした。

「あ、私、今夜はヴァレンの隣で眠ることにするわ、いいでしょ?パパ」

クルツリンガーは本を持ち、静かに頷いた。

「トッティ、シャワーの用意をするわ、遅くなってごめんね」
「いいのよ、アンジェラ、気にしないで」

2人は廊下を歩き、ヴァレンの眠る部屋に向かうと、部屋の明かりが消えていた。

「あれ?電気が消えているわ」

アンジェラが壁越しに手探りで明かりをつけ部屋に入った。
ベッドの横でブラッドがうつ伏すように眠っている。
そして、ベッドで眠っているはずのヴァレンの姿が消えていた。

額縁の語る真実
April,9 2045

21:40 クルツリンガー邸

トッティの店を出てから車で約30分、助手席に座ったアンジェラのナビゲートで、一行はアンジェラ邸に到着した。

住宅街にあるアンジェラ邸。レトロな雰囲気の玄関から入ると、右手にある客室に通された。

「とりあえず、ヴァレンをそこのソファーに寝かせてあげて」
「おう」

ブラッドはヴァレンをソファーに寝かせると、痺れを感じていた両腕を上下に数回振った。

「本当に熟睡しているわね」
「うん」

トッティが椅子に掛けてあったブランケットをブラッドに手渡した。
ブラッドは、チェック柄の布地を広げ、ヴァレンの足元に掛けた。

「飲み物を用意するわ」

アンジェラがそう云ってキッチンに向かおうとした時に、アンジェラの父親が書斎から降りてきた。

「ようこそ」
「今夜は失礼します」

白髪に白い髭のクルツリンガー氏に向かって、ブラッドとトッティは席を立ち挨拶をした。
アンジェラが、ブラッドとトッティを紹介した。

「おや、ファンデンブルグさんはお休みのようだ」
「あれ? パパ、何で先生の名前を知っているの?」
「ん? そうじゃったな・・・まあ詳しいことは後ほど話そう。まあ2人ともかけたまえ」

クルツリンガーは、左側の棚からワイングラスを4つ取り出し、中央のテーブルに置いた。
まもなくアンジェラが、缶ビールを数本と白ワインのボトルを手に戻ってきた。

「ブラッドはビール?」
「うん」
「トッティは?」
「アタシはワインを頂くわ」

アンジェラがそれぞれに飲み物を用意し終わると、ポーチから小瓶と取扱説明書を取り出した。

「ねえ、パパ。これをトッティに頂いたの・・・だけど、文字が読めなくて・・・」
「ん? どれどれ見せてご覧」

クルツリンガーはアンジェラから厚手の本を受け取り、開いてみた。

「ほほう、東洋医学の文字じゃな。これをどこで?」
「アタシの仕事のボスがジパング国の方で、その方に頂きましたの」
「ほほう、アン・・・この本を読むのには一晩かかりそうじゃ」
「うんうん、パパ、お願いね」
「わかった、この本には辰巳出版と書いてある。良い仕事をしているようじゃ・・・トッティ君」
「は、ありがたきお言葉、光栄ですわ・・・」

クルツリンガーは本を閉じると、眠っているヴァレンをチラッと見て、
アンジェラにヴァレンを2階の東側の部屋で休ませるように伝えた。

「え? お姉ちゃんの部屋に? 今まで誰も通したことがない部屋よ・・・」

不思議そうに尋ねるアンジェラに何かを諭すように、クルツリンガーは頷いた。

「ブラッド君、すまんがフォンデンブルグさんを運んで貰えるかの・・・」
「ええ、勿論」
「それと、アン・・・部屋の電気は点けたままにしておいてくれ」
「はい・・・」

「クルツリンガーさん、何故それを・・・ヴァレンが暗闇嫌いなことをご存知なのですか?」
「うむ、それも後ほど話をしよう」

アンジェラとトッティが不思議そうな顔をしている。
ブラッドは、会話の意味がわからずにいた。

アンジェラは階段をあがり、姉の部屋の扉を開いた。
15年前に、母と姉が出て行ったときのままの状態の部屋だ。
この部屋に他人を通すことは、その日以来、初めてのことだった。

「あら、なんだか、メルヘンチックな可愛い部屋ね」

トッティが、ぬいぐるみが並ぶ棚や、シールの貼ってあるタンスを見て呟いた。
アンジェラが、ベッドの掛け布団を捲ると、ブラッドがヴァレンを寝かせた。

「ここは、アンジェラのお姉さんの部屋?」
「うん、そう・・・」

トッティが部屋の中にあるさまざまなものに興味を示して見ている。
4つ並んだ熊のぬいぐるみの下に裏返しにされた額縁があった。

「アンジェラ、折角の写真が倒れてるわよ」

トッティが倒れていた額縁を手に取ると、埃が舞い上がった。
トッティが思わず、咳き込み、額縁をブラッドに手渡した。

手に取った額縁の埃を右手でさっと拭くと、ブラッドは顔を額縁に近づけた。
若かりし頃のクルツリンガー氏に妻らしき美しい女性、そして真ん中に2人の子供が手をつないでいる。
頭ひとつ背丈の違う子供たちの髪の色は白銀に近い金髪。

「あれ?」
「ん?どうしたのブラッド・・・」
「いや、アンジェラの髪が今と違うな・・・ と思ってさ」
「そりゃ、子供のカットと今は違うわよ・・・」
「いや、なんていうか・・・雰囲気がね、瞳の色も緑じゃないし・・・」

ブラッドは、額縁を元に戻そうと裏返しにすると金具を探した。
すると、消えかかった文字で何かが裏面に書いてある。
ブラッドは、用心深く埃を拭った。

『2029年4月5日・・・長女ヴァレンティーネ、8歳の誕生記念・・・』

「ええ?」
「なに、今度はどうしたの?ブラッド・・・」

「アンジェラ、お姉さんの名前は?」
「・・・だから、覚えてないんだって・・・」

「嘘だろ・・・おいおい、まじかよ・・・」
「ん? どうしたの?ブラッド」

トッティがブラッドの手に持っている額縁を横から見つめた。

「あれ?なんで、ヴァレンがここにいるの?」

ヴァレンと幼少時代をともに過ごしたトッティが写真を見て驚いた。

「嘘・・・ まさか・・・ そんなことが・・・」

アンジェラが駆け寄り、額縁をブラッドの手から奪い取るように引き寄せた。

「ああ、なんてこと・・・」

アンジェラが額縁を持ったままその場に座り込もうとすると、その勢いで髪に結わえた赤いリボンが、
ブラッドのベルトに引っかかってほどけた。

赤いリボンはゆっくりと宙を舞い、座り込んだアンジェラの膝の辺りに落ちた。
そして、ウィッグとしてつけていた金色の髪が赤いリボンの前に落ちると、
ブラッドとトッティの目の前には、透き通るような白に近い銀色の髪のアンジェラがいた。


眠りのメディスン
April,9 2045

21:00 トッティの店

「もう、こんな時間だ。そろそろ出ようか」

9時を知らせる電子音がブラッドの左腕の携帯端末から鳴ると、アンジェラに声をかけた。

「うん」

アンジェラはトッティから貰った小瓶の箱と取扱説明書をポーチに入れ始めた。

「あ、そうだ、ブラッド。私、今夜はこの説明書を自宅に持ち帰って読もうと思うの」
「うん」

「でも、ほら…」

アンジェラがカウンターに伏したヴァレンに目配せをした。

「ん? じゃあ、俺がヴァレンティーネ様を連れて帰るよ」
「…うん、でも…」
「なに?」
「やっぱり、ヴァレンとブラッドを2人っきりにするのは…」
「あ、本当だ。アンジェラが家に帰ると、2人っきりだ…チャンス!」

ブラッドは陽気に笑っている。

「ちょっと、待ってね」

アンジェラが左腕の携帯端末の発信ボタンを押した。

『パパ。私、アンジェラ…うん、今夜、先生と友達を…』


どうやら、アンジェラは自宅に連絡を入れているようだ。
トッティが、目の前の食器を片付けるのをブラッドも手伝った。

「ヴァレンはよほど嬉しかったのね」
「ん?」

ブラッドがトッティを見上げた。

「この子が酔いつぶれるなんて珍しいのよ。よほど貴方たちを信頼しているんだわ」
「…そうなんだ」

ブラッドが口元に微笑を浮かべて眠っているヴァレンの横顔を見つめた。

「きっと、楽しい夢でも見ているのね」
「トッティは、ヴァレンのことを何でも知っているんだね」
「だって、アタシたち、フォンデンブルグ教会の孤児院の時から一緒なのよ」
「教会? 孤児院?」
「そう、話すと長くなるから今度にするけど、ヴァレンとは15年来の友人よ」
「…そうか、それでファンデンブルグを名乗っているんだ…」
「そう、アタシはトッティ・フォンデンブルグ。教会出身の子達は、みんな同じ姓よ」
「へ〜、また今度、ゆっくり話を聞かせてください」
「ええ、いいわ」

トッティが、ヴァレンの白銀の髪を撫でた。
サラサラと髪が揺れ、右の耳のピアスが蒼白く光っている。

「ねえ、ブラッド」
「ん?」

携帯端末を閉じたアンジェラが、ブラッドを呼んだ。

「今夜は、ヴァレンも連れて、私の家に泊まって」
「…そうだな、お世話になろうか、ヴァレンティーネ様を起こすのも忍びない」
「うん、よく眠っているわね、よほど疲れているのかしら」

ヴァレンのサイドバッグに、手荷物をまとめようと手に取ると、中から白い袋が落ちた。

(あら? この薬袋、クルツリンガー精神科のものだ。どうしてヴァレンが?)

Kurz Ringer Psychiatrieの名の刻まれた白い袋を、床から拾い上げると、
アンジェラはヴァレンをチラッとみてからバッグに戻した。

「どうした?アンジェラ」
「ううん、なんでもない」

アンジェラがブラッドには白い薬袋のことは告げず、ヴァレンのセカンドバッグを肩にかけた。

「トッティ、今夜も車をお願いしていいかい?」
「ええ、もちろんよ。昨日はアンジェラ、今夜はヴァレン。アナタも大変ね」
「あはは、美女2人を抱き上げられるなら、幸せなことですよ」
「うふふ、それもそうね」

「あ、昨日はありがとう、ブラッド。私、お礼も言ってなかった」
「ん? いいよ、気にするなよ、そんなこと」

そう云うと、ブラッドはヴァレンを両腕で抱き上げた。

「あ…」
「なに? どうしたの?」

ヴァレンを抱き上げ、真顔で呟いたブラッドを心配そうにアンジェラが尋ねた。

「アンジェラ…ヴァレンティーネ様は、お前より2kg程、軽いぞ…」

深刻そうな顔で、ブラッドがアンジェラに告げた。

「あはは」

トッティの噴出す笑い声とほぼ同時に、アンジェラの蹴りがブラッドの痛めた右肩に炸裂しようとした。
その瞬間、ブラッドの右腕のリストバンドが光り、ブラッドとヴァレンが光に包まれた。

「ちっ、命拾いしたわね、ブラッド…」
「凄いな〜この光も、アンジェラの蹴りも…驚いた」
「さ、車を用意するわ」

トッティが車のキーの付いたキーホルダーを、指先でくるくると回しながら入り口に向かった。
ブラッドは、ヴァレンを抱えたまま、その場でくるくると回った。
アンジェラは、その様子を見ながら、白い薬袋のことを考えていた。

リストバンド
April,9 2045

18:00 トッティの店

「ところでヴァレン、アンタのその大きい紙袋・・・一体、何を買ってきたのよ」
「えへへ、これはね、防犯グッズよ」

ヴァレンはブラッドが足元に置いた紙袋から、一つずつ手に取り

「これはね、防弾チョッキでしょ、これは催涙弾・・・そして、これは6連発式の銃・・・」
「なんすか、これ、戦争でもおっぱじめるんですか?」

驚くブラッドに、3人分あるから、と微笑むヴァレン。

「うわっ、重い・・・」

防弾チョッキを手に取るとブラッドは珍しそうに手に取ってみている。

「はあ・・・」

トッティは、カウンターに両手を突き体を支えるようにして頭を垂れてため息をついた。

「ヴァレン・・・アンタ、こんなガラクタ買って来てどうするつもりよ」
「ええ〜ガラクタだなんて、トッティったら、酷い」

「はあ・・・」

再び、大きなため息をつくと、トッティは防弾チョッキを眺めているブラッドに羽織るように云った。
そして、ヴァレンには6連発式の銃を持たせた。

「じゃあ、ヴァレン、その銃でブラッドを撃ってみなさい」
「ええ? 大丈夫かしら・・・ううん、大丈夫よね、防弾チョッキっていうくらいだから」

「ブラッド?この世に言い残しておくことはない? たぶん貴方、死ぬわよ」
「ちょ、ちょっとマジですか」
「ええ、間違いなく即死よ」

すると、突然、アンジェラが手に持っていたパスタ用のフォークで、ブラッドの肩の辺りを突き刺した。

「痛て〜〜、何をするんだ、アンジェラ」

ブラッドがフォークの刺さったままの防弾チョッキを脱ぐと、Tシャツの肩の辺りが微かに血で滲み始めた。

「ヴァレン、このフォークと、その6連発式の銃、どっちが威力があるか、わかるわよね」

呆れたようなトッティの声に、ヴァレンは無言で頷き、俯いたまま椅子に座った。

「まったく、しょうがない子ね・・・ヴァレン、貴方の気持ちもわかるけど、こういうことはアタシにまかせておきなさい」

ヴァレンは叱りつけられた子供のようにただ黙って下を向いている。

「ブラッド、このリストバンドを右手に付けてみて」

トッティがカウンターの奥の棚から手に取ったのは、ごく普通のスポーツ用のリストバンドだ。
ブラッドは、怪訝そうにそれを右手首辺りにつけると、腕を顔の正面に持ってきて2,3度くるくると腕を回した。

「はい、アンジェラ、もう一度フォークを持って」

アンジェラは、トッティから、先ほどと同じタイプのフォークを手に取ると、
ブラッドの方を向き、刺すぞ、刺すぞという攻撃的なポーズをとった。

その仕草が可笑しくて、ヴァレンはようやく顔を上げ、表情に笑みを取り戻した。

「ちょ、ちょっと・・・まだこの世に言い残すことを考えていないよ・・・」

後ずさりするブラッドに、容赦なく襲い掛かるアンジェラ。
芸達者なアンジェラは表情までも殺人者っぽく振る舞い、周囲の笑いを誘った。

アンジェラが振り下ろしたフォークがブラッドの肩口に刺さろうかと云う瞬間に、
右腕のリストバンドが光を放った。
眩しさにたじろいだアンジェラだが、振り下ろした腕のスピードは落ちない。

体を硬直させたブラッドは、次の瞬間に力が抜けた。

「あれ? ぽよん? なんだこりゃ・・・」

フォークを持ったアンジェラの腕は、はまるでトランポリンの上で跳ねたように、
ブラッドの肩口の一歩手前で跳ね返された。

「この光はね、車のエアバックみたいなもので、あらゆる武器を跳ね返すのよ、便利でしょ」

あっけにとられているブラッドとアンジェラ、そしてヴァレンが大きく頷いた。

「さ、これを貴方たち3人に渡すから、その紙袋はアタシがごみの日に出しておくわ」

ブラッドが足元の紙袋をカウンターの向こうにいるトッティに手渡した。

「そのリストバンドがあれば、致命傷なんてことにはならないんだから、銃も持たなくていいわ」

ヴァレンが右手に持っていた銃を寄こすようにと、トッティが手のひらをヴァレンに向けた。

「はい・・・お願いします」

申し分けなさそうなヴァレンから銃を受け取ると、トッティはヴァレンにビールジョッキを持たせた。
そのジョッキに、アンジェラとブラッドがジョッキをぶつけた。

「さあ、ヴァレン飲もう」
「あ、ジョッキは跳ね返されないんだ」
「きゃはは ブラッドったら面白い」

ヴァレンがブラッドの右肩をポンポンと叩いた。
ブラッドは額から脂汗が拭き出るような激しい肩の痛みを、ヴァレンの笑顔を見て忘れようとした。


アンジェラの過去
April,9 2045

17:30 トッティの店

研究室のある棟の東側の大通りに出た2人は夕日を背に、目の前に伸びた影を辿るように歩いていた。
腕組みをして歩く2人は、世間から見れば仲の良い恋人同士に見えるのかもしれない。

ブラッドが胸のコインを開き、アンジェラに青く光っている箇所を指し示しながら歩いている。
興味深そうに色々と尋ねるアンジェラに、時折ブラッドは身振り手振りを交えながら答え、
答えられない質問には、やはり、身振り手振りを交えながら首を傾げては苦笑いしている。

正面のビルの窓に夕日が乱反射し、オレンジ色と銀色の雲が青い空に映えている。
それらの雲達は、遠方の視界に映るビルからビルの窓を渡り歩いているかのようだった。

エレベーターに乗り、5階のフロアーで降りると、トッティの店のドアを開いた。

「あら、いらっしゃい、ブラッドとアンジェラ」
「こんばんは」

トッティが、カウンター越しに声をかけ手招きをしながら微笑んでいる。
昨日と同じ椅子をブラッドが引くと、アンジェラを座らせてから、自分も腰を落とした。

「ヴァレンは買い物で遅くなるって連絡があったわ、2人ともビールでいいわね」
「はい」

「俺もアンジェラも、トッティに訊きたいことがたくさんあるんだ・・・」

ブラッドは温かいお絞りで手を拭きながら話し始めた。

「あらあら、まあ何かしら・・・でも、お料理が並んでからでいいわよね」
「はい」

トッティがジョッキを2人の前に置き、それを利き腕で持った2人がジョッキ同士を当て口元に運ぶと、
何品かの料理がカウンターに並び始めた。

「とりあえず、腹ごしらえをして飲んでいてね」
「はーい」

アンジェラがナイフとフォークをブラッドの前に置き、取り皿を1枚渡した。

「サンキュー」

ブラッドは、早速、フォークをソーセージに突き立て口に運ぶ。

「うまいうまい・・・」
「あはは、私はパスタにしようっと」

アンジェラが取り皿にカルボナーラをフォークに絡ませ2度3度運ぶ。

「アンジェラは、お姉さんが居たんだっけ?」
「うん・・・」

と、答えたところで、アンジェラの手が止まった。

「私が5歳の時に両親が離婚してね。ママと家を出ちゃったの・・・」
「あ、ごめん、いきなり話題をミスしたよ・・・」

「いいのよ、ブラッド、気を遣わないで」
「うん」

「ママはその後、すぐに亡くなったとパパから聞いたんだけど」
「うん」

「お姉ちゃんは元気に一人で暮らしている・・・と、最近になってパパに聴いたんだ」
「へ〜、じゃあ何年も会っていないんだ。会いたいよな」

「うん・・・もちろんね」

アンジェラは再び手を動かしながら、取り皿を手前に引くと、フォークを置きジョッキを持った。

「もう、10年・・・ううん、15年振りだもの、お互いわからないかも・・・」
「あはは、そんなことないだろう、小さい時の顔とかは、覚えていないの?」

「う〜ん、何せ、5歳の時の記憶だから、想像と現実が入り混じってしまって」
「うんうん」

「お姉さんの名前は?」
「名前?・・・ううん、覚えていないの、いつもお姉ちゃんって呼んでいたから・・・」

「ふ〜ん、そうなのか・・・」

ブラッドが、空になったジョッキをテーブルに置くと、2杯目をトッティが用意してくれていた。

「さ、下ごしらえが出来たから、アタシも会話に混ぜてね」

トッティが2人の前に立つと、アンジェラはポーチから小さな小瓶を取り出した。

「トッティ。これを頂いた御礼を伝えていなかったわ。ありがとう」
「いいのよ、アンジェラ」

「ところで、これは香水なの?それとも・・・」
「これはね、ポーションっていって、東洋では聖水と呼ばれている薬みたいなものなの」

「メディスン? 何の病気に効く薬なのかしら」
「ううん、これはね、特定の病気に効く薬というよりは・・・そうだ、箱を持ってくるわ」

トッティは、一度カウンターの奥に入ってから、なにやら箱と、取扱説明書のようなものを持ってきた。

「これを渡すのを忘れていたわ・・・アンジェラ、東洋の言葉はわかる?」
「う〜ん、自信がないわ、見せて頂いてもいい?」
「ええ」

薬の処方箋にしては分厚すぎる取扱説明書。
オリエンタルの文字で綴られた言葉は、すぐには理解ができそうもない。

「なんなんだろう、興味深いわ」
「こりゃ、一度帰ってから、翻訳機にかけないとわからないね」

アンジェラの開いた本を右側に座ったブラッドが覗き込みながら呟いた。

「うんうん、トッティ、これ持って帰ってもいい?」
「ええ、勿論よ、アンジェラに差し上げるわ」
「ありがとう」

トッティが3杯目のジョッキをブラッドの前に置いた。

「ブラッドの質問は、こうでしょう? 赤い光と緑の光はなんなのか…」
「ずばり、その通り」

「うふふ、あれはね、赤は敵、緑は・・・そうね、ヴァレンのボディガードとでも言った方がわかりやすいわね」
「敵?ボディガード?」

ブラッドがソーセージを頬張りながら、甲高い声を上げた。
再び、胸のコインを開いたブラッドは、覗き込むと、もう一度声を上げた。

「あ」
「どうしたの?ブラッド」

「ほら、アンジェラ、ヴァレンティーネ様がすぐ近くまで来ているよ」

コインの内側をアンジェラに見せながら、ブラッドは後を振り返った。
その時、顔が隠れるくらい大きな紙袋を抱いた女性が入り口から入ってきた。

紙袋の両側から、時折、白銀の髪が揺れて見える。

「あ、あの黒のタイトスカートに美しい脚は、我が姫・・・」

ブラッドは立ち上がり、3歩ほど歩くと、その紙袋を支えるために手を伸ばした。

「お待たせ〜」

紙袋をブラッドに手渡して身軽になったヴァレンが、アンジェラの右側に座った。
トッティは無言のまま微笑んで、ジョッキをそっと置いた。

西の行方
April,9 2045

16:45 ファンデンブルグ研究室

『ロン』

「痛って〜九萬、当たりかよ、アンコの八萬の壁で打ったのに…てか、シャボかよ…」

ブラッドは自分の頭を2度デスクにぶつけてから、白い壁にかかるレトロな時計へ振り向いた。

「げっ、もうこんな時間だ」
「アンジェラ〜、準備は出来ているのか〜?」

『ううん、まだ〜、今9戦目の南3局〜』

ブラッドが大きな声で左側の壁に向かって叫ぶと、アンジェラの返事が壁越しに聴こえてきた。
10戦は消化したものの、課題はクリアできておらず、ブラッドは大きなため息をついた。

「ま、ついていない時もあるか・・・」

ブラッドは自分に言い聞かせるように席を立つと、クローゼットを空け、着替えに取り掛かった。
着替えと云っても、Tシャツを脱いで、似たようなシャツをまた着る。
きっと誰も気づかないだろう。

「ヴァレン様は、もう店についてるかな〜」

ブラッドは胸に掛けていたコインを開き、ヴァレンの位置を示す青い光を目で追った。

「あ、三番街にまだいるんだ。会議かな? それとも、美容室とか…」

開いたコインの上蓋に付いてある小さなボタンを押しながら、地図の縮尺を拡大しようとした。

すると、5階建てのビルのどこかに居るはずのヴァレンの位置を示す青い光を取り囲むように、
赤い光が3つ、ビルの南北と西側の3方向で点滅しながら、ビルの中に入っていった。
さらに、その赤い光を追うように、緑色の光が3つが追尾した。

その様子を見ていると、ビルの東側…つまり、道路側から緑色の光が2つ、また現れた。

(…車から降りてきたのだろうか…)

「赤だの緑だの、俺はヴァレン様の居場所さえわかればいいのに、あとでトッティにそれを伝えよう」

ブラッドは、歩きながらコインの蓋を閉じると、アンジェラの部屋の扉をノックした。

「どうぞ」

アンジェラの声を聞いた後、ブラッドが扉を開けて部屋の中に入る。


「どうだい?」
「うん、今、点棒の少ない親から仕掛けが入っているところ…」

第19戦 南3局 南家 持点 51,900点 14順目(トップ目)

「あ、ほんとだ、親は3,800点しかないや、東と南をポンしてるんだな」
「うん」

「あ、カンチャンの7ピンが来た」
「うん」





「あれ? アンジェラ、リーチしないのか?」
「うん、ドラ無しの1,000点の平和の手だし・・・闇で上がれるからね」



16順目に西を引いたアンジェラは、河をちらっと見渡すと、3ピンを捨てた。

「あれ? 聴牌崩して、3ピン落とし?」
「う〜ん、西も北も見えて無いでしょ」

『チー』

西家がアンジェラの捨てた3ピンを鳴いた。
そして、捨てた牌は西。


『ロン』


上家の親の手牌を倒れ、あがり形が出現した。




『48,000点・・・小四喜(ショウスーシー)』

画面がスクロールし、ゲーム終了を告げる。

WINNER Angela 51,900・・・2位 ・・・51,800・・・ 

「げげ、危ないな〜、西が当りだったのか・・・」
「あはは、でも100点差で私の勝ちね」

「俺なら、リーチかけて西で振り込んでた・・・」
「うふふ、わからないわよ、一発で6ソウをツモって裏ドラを乗せて、親を飛ばしてたかもしれないし・・・」

「うん・・・わかんないもんだね〜麻雀って、一寸先が」
「だよね、・・・じゃ、トッティのお店に行きましょう。遅くなっちゃったわ」

アンジェラは席に座ったまま、デスクの左側に置いてあったポーチを手に取った。
パソコンの画面を鏡モードに切替えると、右に左に一度ずつ顔の角度を変えてから、リップを唇に走らせた。

「ばっちりだ。可愛くなった」

入り口の壁にもたれ掛かかり、腕組みをしているブラッドが右手の親指を立てている。
アンジェラはにっこりと微笑むと、小走りで駆け寄った。

ブラッドがドアを押し開いて廊下に出ると、西側の窓からオレンジ色の光が差し込んでいる。
エレベーターまでの通路で左腕に何度か、アンジェラの素肌の右腕が触れた。

「サッカーをしてた時に、男同士の肩や背中がぶつかると、ガツンって、ただ痛いだけなんだけど・・・」
「うん?」

「いや、アンジェラの腕ってサラサラなんだな・・・と思ってさ」

アンジェラは首をかしげながら、Tシャツから出ている自分の二の腕を体の前に伸ばし見つめた。

「髪がサラサラ・・・ってのは聴くけど、腕がサラサラ?」
「あはは、腕が・・・というより、素肌が・・・だね」
「ふ〜ん、ブラッドはサラサラな素肌がスキなのね・・・」

アンジェラは返答の言葉を選んでいるブラッドの左腕に、自分の腕を巻きつけた。
そして、肌をすり合わせるように動かし、ブラッドの顔を見上げた。

クルツリンガー精神科
April,9 2045

13:00 クルツリンガー精神科(Kurz Ringer Psychiatrie)

「先生、マイナートランキライザーを3年前の量に増やしていただけませんか?」
「ん? どうしたんです?ファンデンブルグさん」
「ここ数日、またあの夢を見るようになって・・・」

ヴァレンが、目の前の精神科医クルツリンガーに処方を受けるようになって15年。
10歳になる数ケ月前に事件に巻き込まれて以来、カウンセリングを受け続けている。


15年前の夏 とある嵐の夜。
落雷により突然、街中の電気が消えた。
ぬいぐるみを抱いて眠っていた9歳になる少女は激しい落雷の音に目を覚ました。
暗闇に包まれ、布団の中に潜り込み震えていると、部屋の戸が開く音が微かにした。
怖くてドアの方を振り返ることも出来ず、入り口側の布団が捲られた。
少女はぬいぐるみを抱いたまま固くまぶたを閉じ、眠ったふりをした。
夜遅くに起きていると母親から折檻されるという恐怖心が、少女を本能的にそうさせた。
そっと、抱いていたぬいぐるみを奪われ、パジャマと体の間に滑り込んでくる生暖かい手の感触。
気持ち悪さと怖さとで身動きすることも声を出すことも出来ずにいた。
締め切った窓の外では稲光が激しく泣き叫んでいる。
時折、閉じているはずのまぶたが黒から一瞬だけ真っ白に変わり、そしてまたすぐに闇に戻る。
次の瞬間、震え続けていた少女の耳に届いたのは、絶叫しながら近づいてくる母の大きな声と足音。
何かを突き立てるような音が数回と男のうめき声が同時に何度も聞こえてきて、
少女の体の上にとても重たい肉体が落ちてきた。
そして顔には生暖かいドレッシングのような液体が降り注いだ。
少女はそこで意識を失った。
それから数日後、少女は病院のベッドの上で目を覚ました時には、両親は事故で亡くなったと知らされた。



医師は分厚いカルテを捲りながら、発症履歴を指で辿りヴァレンに尋ねた。

「朝は快適に目覚めていますか?」
「はい」

「急に眠気に襲われることは?」
「ここ3年はありません」

医師はカルテにペンを走らせながら、短い質問を続けた。

「ふらついたり、言葉がうまく発せられないことは?」
「いいえ、大丈夫です」

「副作用は大丈夫なようですね・・・」
「はい」

「今回、また例の夢を見るきっかけになるような出来事はありましたか?」
「ええ、・・・最近、誰かに監視されているような気持ちになることが多くて・・・」

「相手が誰かは?」
「いいえ、心当たりはあるのですが、はっきりとは・・・」

「接触はないのですね?」
「はい・・・」

「例の事件以来・・・ご両親を亡くされてから、お一人だと聞いてますが、今も?」
「はい、ただ、昨日から生徒が2人一緒に研究所で寝泊りするようになりまして・・・」

ヴァレンは医師に、ここ数日の経緯を細かく説明した。
医師は微笑みながら、カウンセリングを続けた。

「それは、いいことかもしれませんね。それに娘のアンジェラもたいそう喜んでましたよ」
「ありがとうございます。大事な娘さんをお預りしております・・・」

「それは、お気になさらずに、ああ見えても気丈な娘ですから、どうぞお頼りなさい」
「はい」

ヴァレンは医師との会話を続けるうちに、蒼白な顔に色彩を取り戻しつつあった。

「身の回りの警護は、ご友人のトッティ君のお仲間に任せておけばいいでしょう」
「はい」

「薬は明日からの分を処方しておきますが、今夜は、アンジェラと会話してみてください」
「はい」

「私は西洋医学だけでなく、占星術もやっていてね、ファンデンブルグさんには明るい未来が見えますよ」

ヴァレンは、医師が占星術をやっていることを、長年通院していて、初めて聞き、驚いた表情をした。

「もっとも、娘には、その道では食えないから止めておけと言われてるんですがね」
「あはは、面白い娘さんですね」

「それは、さておき、その蒼白いピアスは良くお似合いですよ」
「ありがとうございます」

「それでは、神のご加護を」

医師は、ペンを卓上のペン立てに戻すと、慈しむような瞳で白い髭を撫でるように十字架を切った。

ブルーヴァイオリン
April,9 2045

12:10 食堂 

「あ〜腹減った〜、さあ、食おう」
「あはは、ブラッドったら、いつもお腹を空かせてるわね」
「そりゃ〜育ち盛りだからな」

バイキング方式の学食で、ブラッドはテーブルに次々と大盛りになった皿を並べる。
その姿をアンジェラとヴァレンは呆れながらも微笑ましく見つめている。
3人がテーブルにつくと、ヴァレンがグラスに白ワインを注いだ。

「あれ?一風変わったボトルですね」
「だよね、でも風味はかつてのラインヘッセン辺りのリースリングだ」
「そうなのよね、50年ほど前までは、プロイセンが葡萄栽培の最北限だったけど、
今じゃ、地球が温暖化して、スカンジナビアの南端辺りまで畑が広がってるわ」
「アイスワイン用の葡萄も凍らなくて困っているって聞いたことがあるもの」

ワイン談義をしているアンジェラとヴァレンの目の前で、ブラッドはボトルを見つめていた。

「なんだか、グラマラスな女体みたいだ・・・ぼん・きゅ・ぼ〜ん」
「もう、本当ブラッドって、すぐそんな風に考えるのね」
「あはは、でもアンジェラ、アタシも初めて見た時には女体のイメージかと思ったのよ」

「いいな〜この青いボトル、ヴァレンティーネ様を見てるようだ」
「あら、ブラッド、嬉しいことをいってくれるわね」

どう見てもスレンダーなスタイルのヴァレンを見て、アンジェラが苦笑いしている。
プロイセンの偉大な音楽家達を称えて、ヴァイオリンをイメージして作られたボトルだとヴァレンが説明した。

「ブラウエ・ビオリーネ(blaue violine)っていう名前で呼ばれているらしいわ」
「ああ、なるほど、そう言われてみれば、ヴァイオリンの形にも見えなくはない・・・がっかりだ」
「あはは、青いヴァイオリンね、本当見たまんまね」


「さて、午前中の出来はどうだった?」

ヴァレンが口につけたグラスをテーブルに置きながら尋ねた。

「それが、ヴァレンティーネ様、聞いてくださいよ、いきなり一戦目でアンジェラとの対戦で・・・」
「あはは、ラッキーな8,000オールのスタートだったから」
「酷いよな〜、ダブリー・一発・チートイ・ドラ4だっけ」
「うふふ」

悔しそうなブラッドの言葉へアンジェラが得意気に笑った。

「でも、何とか振込みゼロで今のところ5戦クリアしてます」
「そう、やれば出来るじゃないブラッド、立派ね」
「えへへ、ヴァレンティーネ様にお褒め頂けるなら、ますます頑張りますよ」

「私も、最初のラッキーゲームのお陰で、5戦までは順調です」
「OK,それなら、午後からアタシは外出するから、2人とも5時まで打ち続けておいてね」
「はい」

パスタをフォークで巻く手を止め、アンジェラがヴァレンに尋ねた。

「あ、そうだ、部屋にあったブルーの小瓶、あれは何?」
「ブルーの小瓶? ああトッティが、アンジェラにって貰った奴か・・・」
「そういえば、トッティが今度説明するって言ってたわ、夕食の時にでも尋ねてみましょう」
「はい」


午前中の疑問点を幾つか尋ねたブラッドとアンジェラに、ヴァレンは丁寧に疑問に答えた。
昼間の学食は、この時期、新入生達でごった返すのが風物詩でもあるかのように、学生達で賑わっている。

早めに食事を切り上げたヴァレンは、5時にトッティの店に行くと言い残して席を立った。
ヴァレンのヒールの足音は、雑踏の中で昨日よりも早く音が聞こえなくなった。

LESSON,3
April,9 2045

9:00 ファンデンブルグ研究室 

白衣を靡かせたヴァレンが部屋に入ってきた。
ヴァレンが東側の窓を開けると、春の涼しい風が部屋の中に吹き込んでくる。

「昨夜は2人ともよく頑張ったわね」
「はい」
「ええ、なんとか…」

「朝、データを見たけど、楽しませてもらったわ。アンジェラ、コーヒーを入れてくれる?」
「はい」

ヴァレンは2人分のレポートをテーブルの上に置き席に着いた。
吹き込んでくる窓からの風に白銀の髪が揺らめき、時折青白く輝く光が耳元から零れる。

「どう?ブラッド。10試合を打ってみた感想は…」
「はい、自分の手と課題のことで頭が一杯で、結構他の人に『あっ』って感じでよく当たりました」
「そうね、でもしばらくは、基本的なゲームの構成とあがる楽しさを感じてくれればいいわ」
「はい、楽しかったです」

「どうぞ」

アンジェラは3人分のコーヒーをそれぞれの前に置くとブラッドの横に座った。

「ありがとう。アンジェラ… アンジェラの感想は?」
「はい、ひとつの役だけじゃなくて複合的に役がついたり、逆に役満の時は、
ドラや他の役が加味されなかったり、本に書いてた以外のことも実際打ってみると沢山ありました」
「そうね、先日の本はあくまでも入門書であって戦術書ってほどのものでもないから」
「ええ」

「とにかく、目一杯打てるだけ打って、まずは理屈よりも、感覚で切る牌を選べるようになりましょう」
「はい」

ヴァレンが昨夜の10試合分のデータから抽出した2人の今後の課題と対策や、
実際の打った情報がすべて数字化され標準値との対比したスコアとして分かりやすくまとめられていた。

「アンジェラは効率的に牌を切って打ててたわ」
「はい」
「あまりにもスピードを重視すると破壊力が生まれないから、次は役を絡ませることも試してみて」
「はい」

アンジェラはレポートを捲りながら、リーチをして上がれなかった時の相手の牌勢や、
他家の動きによって、手に入れた牌や逃した牌を確認し、時折頷いていた。

「ブラッドは、そうね、結構ロスの多い打ち方だけど、結果的に上がれる選択が出来ていたわ」
「あはは」
「ただ、自分が勝負手にならない時は、他人の動きも注意することを覚えて」
「はい、わかりました」

ブラッドは手渡されたレポートを小声で読み上げ、ところどころでヴァレンに質問を投げかける。
ヴァレンはその説明を数値を使って解説し、いくつかの取るべき選択を提示した。

アンジェラとブラッドがレポートを完読し、一通りの質問が終わった。


「さあ、次の10試合の課題をだすわね」


LESSON3

「アンジェラはリーチ時の平均得点5,000点と、1ゲームの収支平均29,000点を目指してね」
「はい」

「ブラッドは10試合での5,200点以上の振込み回数を上限5回と、12順目以降のリーチの禁止ね」
「ええ?リーチの禁止? 役がない時はどうするんですか?」
「役なしドラなしでその順目以降に相手と喧嘩しないこと、降りる練習をしてみて」
「わかりました。先行逃げ切りみたいなもんですね」
「そう、特に親のリーチへの振込みはご法度よ」
「はい」

「さあ、部屋に戻って始めてね…12時になったらお昼にしましょう」
「はい」

2人は、それぞれの部屋に戻り、自分達のデスクの前に座った。

アンジェラはオンラインゲームの電源を入れ、ログインすると早速ゲームが始まった。
デスクの横に置いたままの小瓶が青白く輝いている。

「あ、ヴァレンにこれは何かを聞くのを忘れてたわ・・・ランチの時にでも尋ねてみよう・・・」


『うわっ、対面の親、いきなり、ダブリーかよ』

隣の部屋のブラッドの声にアンジェラはくすっと笑った。

「ごめんね、ブラッド。チートイの西待ちよ」

小声でそう呟くと、ブラッドから西が出ないことを祈り、壁に向かってウィンクをした。

ブラッドの課題
April,9 2045

2:20 ファンデンブルグ研究室 ブラッド

第10戦 南2局 東家 持点 11,700点 8順目(トップとの差20,600点)

「は〜、10試合目だというのに、課題クリアまで、2つも残しちまった」

左手で栗色の短い髪を掻き毟るようにブラッドは呟いた。
備え付けの冷蔵庫から炭酸飲料を取り出し、無意識に缶を振ってから栓を開いた。

『ぷしゅっ』

と云う音と共に、自然の法則に従い、極当たり前のように噴きだす炭酸。

「うわっ、やっちまった。・・・まったく、頭を冷やせっていうことかい!」

炭酸で濡れたTシャツを脱ぎ、上半身裸で画面に向かうブラッドは、後方でドアをノックする音に振り返った。
ガラス越しに見えたドアの向こう側ではアンジェラが立っていた。

「開いてるよ。どうぞ」

ブラッドは上半身を捻り、上体だけをアンジェラに向け声をかけると、再び画面の方を向いた。

「あら、やだ、ブラッド。深夜にレディを裸で迎え入れないでよ・・・」
「ん? ああ、悪い悪い、試合の途中で炭酸を振りまいちゃってさ・・」
「タオルを取ろうか?」
「うん、頼むよ・・・」

アンジェラが、シャワールームの棚から大き目のバスタオルを手に取り、
ブラッドの背中に掛けようとした。

(背中に大きな傷があるのね・・・でも、試合中だし聞くのは後でいいか・・・)

「はい」
「ん、ありがとう」

ブラッドは画面に向かったまま、タオルを肩から掛けてくれたアンジェラにお礼を伝えた。

「最終戦の最後の親なのね」
「ん・・・」
「後は何の課題が残ってるの?」
「ハイテイってやつと、リンシャンカイホウの2つだよ」
「難しいのを残したわね」
「うん・・・」

親のブラッドは13順目に一向聴(イーシャンテン)を迎えてからツモ切りが続いていた。

「あ〜引けねえな〜」

「チー、チーよ。その三萬」

残り枚数が7枚になったところで、アンジェラがブラッドの背中を叩いた。

「ん?」

と云うのと同時に、ブラッドは『チー』のコマンドを操作した。

「ありゃ、鳴いてテンパイはしたものの、役がないよ、これ・・・連荘狙いの鳴き?」
「ううん、その三六九萬の3面待ちなら、ハイテイで出てくるわよ」
「ふ〜ん」

力無く呟いたブラッドが、最後の牌の八萬をツモ切りすると下家が動いた。

『ポン』

「流局間近になると、みんなテンパイを欲しがるからね・・・」
「うん」

ハイテイの牌を対面がツモると、一瞬間が出来た・・・。

「ふふふ、ほら、トップ目の対面が安全牌を探しているわ」
「そうなのか?」

その矢先、対面が捨てた牌は九萬。

「あ、本当に出てきたよ。ロン」
「あはは、やったわね」

「すげ〜アンジェラ。凄いよ。やった〜」

ブラッドは椅子に座ったまま、左側に立っていたアンジェラの腰に手を回し、抱き締めて喜んだ。

「うんうん。よかったわ、これで後はリンシャンだけね」
「うん・・・っていうか・・・アンジェラ・・・」
「なに?」
「ひょっとして・・・ノーブラ?」

座ったまま抱きしめたブラッドの額がアンジェラの胸の辺りに埋もれている。
アンジェラは無言のまま、ブラッドの頭上に右肘を振り下ろした。

「さあ、一気に決めて頂戴」
「おう・・・あ、配牌で2ソウがアンコだ・・・」
「チャンスね。聴牌してからカンね」
「おう」

先ほど、ハイテイでトップ目からロン牌が零れたためか、はたまた、
アンジェラの登場によるものかは分からないけれど、ブラッドの配牌もツモも格段に良くなって来た。

「よし、一向聴(イーシャンテン)だ。鳴いてもリンシャンって有りだったよな」
「うんうん」

タオル越しにブラッドの右肩に手を乗せたアンジェラも、ブラッドの好調なツモに一喜一憂した。

「来た来た、テンパッたよ。後はアンコの牌を引いてカンだな」
「うん、山にありそうよ」

9順目にブラッドが待望の2ソウを引いた。

「カン」




「よし、白か8ソウを引けばリンシャンツモだ」
「うん」

カンドラの表示は『中』ドラに白が乗った。
そして、リンシャン牌から引き当てた牌は、




「うわ!やった!8ソウだ〜」
「きゃ〜ブラッド、素敵〜」

アンジェラがブラッドの頭を数回叩いた。
ブラッドは椅子から立ち上がりその場で飛び跳ね、アンジェラを抱えあげた。
肩に掛けていたタオルが床に落ちると、首からかけていたプラチナブルーのコインが輝いた。

「さすが、アンジェラ。いい名前だ。ヴァレンティーネ様がエンジェルって云うのも頷ける」
「うんうん。これで一飜役はクリアーね」




「あれ?」
「あら・・・」


ブラッドは『四暗刻』と表示された画面の前で、アンジェラを抱き上げたまま立ち尽くした。

アンジェラの課題
April,9 2045

2:00 ファンデンブルグ研究室 アンジェラ

第8戦 南4局 南家 持点 25,000点 8順目(トップとの差15,000点)



「2を切って5で待つか、6を切って3で待つか・・・」

アンジェラは、他の3人の河を見た。
3ソウは上家がポンの仕掛けをしていて、残り1枚。
5ソウは河に1枚捨てられていて後3枚。
ソウズの1・2・4は序盤から切られている。
4ソウはアンジェラから3枚見えている。

「3ソウの方が誰も使えないわよね」

「リーチ」

アンジェラは6ソウを切って、リーチ宣言をした。
1発目のツモは中。

「あら、残念」

リーチ後は、自動的に牌が切り出される。

『カン』



「カン? あ、新ドラが7ピンになった。ラッキー。これで誰から出てもトップだ〜」
「っていうか、トップ目の人、何でカンするんだろう…へんなの」
「3ソウ、引け〜」
「あ〜こないな〜でも、オンラインゲームしていると、私、独り言ばっかりだわ」

デスクの左側にワイングラスを置きながら、アンジェラは苦笑いした。
口元が、画面に微かに反射して映っている。

『オラ〜』
『畜生〜』
『やった〜イーペーコー』
『え? なになに チートーイツ? イーペーコーじゃねえの? あちゃ〜』


というブラッドの声が、隣室から引っ切り無しに聴こえてくる。

「ブラッドも同じようなものね。ヴァレンもこうやってプレイしてるのかしら…」

アンジェラは、ヴァレンがゲームをしながら独りで絶叫している姿を想像し、急に可笑しくなった。



『カン』





「あ、やっぱり、カンするんだ上家の貴方…でも、そいつは通らねえ・・・ふふ」


「ロンロ〜ン」






アンジェラは、画面に表示されたロンの文字にあわせて、発声をした。

『リーチ・タンヤオ・三色・チャンカン・ドラ6…24,000点』

フェードインしてスクロールする文字がアンジェラの課題クリアを伝えている。

「やった〜クリア〜。あ〜疲れた…」

アンジェラは椅子に座ったまま両腕を上げ背伸びをした。


「さてと…ブラッドの応援に行くか…」


アンジェラは、グラスに残ったワインを飲み干すと、
赤いリボンで髪を結わえるために化粧台の前に座った。

鏡の中の自分を凝視しながら、両手で髪をかき上げていると、
ふと右側に置かれていたブルーの液体の入った小瓶の輝きが、アンジェラの視界に飛び込んできた。

「あら? この小瓶は何かしら…」

LESSON,2
April,8 2045

21:00 ファンデンブルグ研究室

寝入ってしまったアンジェラを車に乗せて、3人は研究室に戻ってきた。
入り口から左側の2部屋が客室になっている。
手前側の部屋をブラッドが、左奥の部屋をアンジェラが使うことになった。

部屋の廊下側の壁はガラス張りになっている。
中のシャワールームとベッドルームは、薄い壁で死角になるようにレイアウトされていた。

ブラッドがドアを開くと、研究室らしくデスクがあり、そこにはパソコン用のスペースと、
そのデスクの右側にフォログラムが立ち上がっていて、ニュースらしき番組が放送されている。

ビールの匂いが微かに残るTシャツを椅子にかけると、ジーンズのボタンを外しながら、
ブラッドはシャワールームへと向かった。

「あ、タオルを用意する前に、蛇口を捻っちまった」

湯加減を確かめようと捻った蛇口に手を差し出すと、意に反してシャワー口から冷たい水が降り注いできた。

「うわ・・・冷た・・・」


トッティの店、そして車の中でも熟睡していたアンジェラは、ようやく緑色の瞳を半分開いた。
ベッドの真ん中あたりに座ると、『ふ〜』と一息をついて、紅いリボンをほどき始めた。

「あ、化粧を落とす道具を持ってきてないわ・・・ヴァレンに借りよう・・・」

長い一日で、鉛のように重くなった体を細い両脚で支え立ち上がった。
そして、フォログラムのチャンネルをヴァレンの部屋に繋がるように合わせた。

「あら、アンジェラ、お目覚めね」
「すっかり眠ってしまって・・・クレンジングオイルとコットンを貸していただけないかしら」
「それだったら、シャワールームの棚に一通り備え付けてるわ、足りないものがあったら言ってね」
「あ、はい。ありがとう」


22:00 

ブラッドとアンジェラの2人がシャワーを終え、それぞれの部屋のデスクの前に座っていると、
フォログラムにヴァレンが現れた。

「お疲れ様、2人共。今日からしばらくはその部屋が貴方達の部屋よ。
生活に必要なものは、今夜オーダーを入れておいてね。明日の朝には届くはずだから・・・」
『はい』

「早速今夜から、貴方達にはオンラインゲームで麻雀を打って貰うわ」

ヴァレンの説明を受けながら、ブラッドとアンジェラはデスクの上に用意されたノートにペンを走らせた。
『2週間後の大会までに、東南戦200回戦をこなしながら与えられた課題をクリアしていく』ということ。

LESSON2
『東南戦10回戦で、一飜役を全部クリアすること』

最初に与えられた課題は、勝敗の如何よりも、一飜役をあがり切るというものだった。

「確か、一飜役は10種類くらいだったな・・・」
「え〜と 一飜役ね、テキストを開いておかないとあがり忘れしそうだわ」

「10試合を終えるか、課題をクリアすれば休んでいいわ。
対戦のデータはアタシの所へ自動転送されるから、連絡は不要よ。
明日、9時から講義を始めましょう。頑張ってね、アンジェラ、ブラッド」

「はい」

フォログラムに映し出されていたヴァレンの姿がフェードアウトすると、
まもなく、画面はウェブゲームのスタートのコマンドに切り替わった。

東1局 南家 ブラッドの配牌


「なんだこりゃ・・・役牌であがりを狙うしかないか・・・」


東1局 西家 アンジェラの配牌



「あ、この形は平和ってのが狙えるかな・・・」



トッティからのプレゼント
April,8 2045

20:30 トッティの店

「そう云えば、ヴァレン。5日がバースデーだったわね」
「あら、トッティ。覚えててくれたんだ。嬉しいわ」

トッティが後ろの棚を開け、カウンターの上で宝石ケースを開けた。
中には、一対のピアスが蒼白く輝いていた。

「うわ〜綺麗な色のピアスね〜」
「でしょ? なんでも東洋の島ジパングでしか産出されない鉱石らしいわ」

「へ〜そうなんだ。初めて見る輝きだわ」
「ボスに貰ったんだけどね。アタシはピアスをしないから、ヴァレンにあげるわ」

「本当?いいの?とても高価そうよ」
「何言ってんのよ、アタシたちの仲じゃない」

「うんうん。ありがとう」

ヴァレンはピアスを手に取り、両耳に付けてから、白銀の髪をかきあげるようなポーズで、
左に右にそれぞれ振り返った。

アンジェラはカウンターに伏している。
続いて右にいるブラッドへ振り向くと、ブラッドは銀の皿を裏返し、手鏡がわりにヴァレンを映し出した。

「どう?似合う?」
「ええ、ヴァレンティーネ様。その蒼白い輝きよりも、ヴァレンティーネ様のほうが輝いてますけど」

「あはは、お上手ね」
「とても似合ってるわ、ヴァレン」

トッティは、満足そうにそう云うと、宝石ケースの蓋を閉じ、ヴァレンの前にそっと置いた。

「ただね、ヴァレン」
「ん?」

『オリエンタルブルーに輝くプラチナ製のピアスは、その手を離れた時に災いをもたらすといわれてるの。
だから、一度手を離れると禍(わざわい)に変わるから決して追っては駄目よ。』

トッティはいつになく真顔で語りかけた。

「わかったわ、不思議だけど、魅力的な話だわ」
「あ、そうだ、ブラッドにもアタシたちの出逢いを記念して、これを差し上げましょう」

どうやら、トッティはブラッドが気に入ったらしい。
いつもと同じテンションで、先ほどの棚から、今度はチェーン付のコインを取り出した。

ブラッドの目の前で、2,3回、左右に揺らした。
ヴァレンのピアスと同じ色の蒼白い光を放っている。

「いいよ、トッティ。オレの誕生日はまだだし」
「あら、ブラッドったら、つれないのね・・・」

トッティは、コインを揺らすのを止め、カウンターに左肘をついて語り始めた。

「このコインはね、特殊な仕掛けがあってね・・・」

そういうと、トッティはコインを左手で掴むと、一度握り締め、そして、ブラッドの目の前で手を開いた。
すると、先ほどまでのコインがコンパクトのように開き、中には小さな液晶画面のようなものが現れた。

「ほら、中に何が見える?」
「地図・・・?」

興味深そうに身を乗り出したブラッドが、トッティの左手を見た後、トッティの顔を見上げた。

「そう、もう一度注意深く見て御覧なさい」

そう促されて、再びブラッドは開いたコインを見つめた。
隣のヴァレンも不思議そうに覗き込んだ。

「あ、この点滅は・・・ この店の位置?」
「・・・なんだか、ナビゲーションみたいね」

「そうよ、だけど、その点滅は、この店の位置を示してるわけじゃなくて、
ヴァレンが身に付けているピアスの位置なの・・・」

「・・・ってことは、ヴァレンティーネ様がどこにいても見つけられるんだ。すげ〜」
「うふふ、欲しくなったでしょう、ブラッド」
「うんうん、物凄く欲しい。」
「アタシを袖にして、ヴァレンを追いかけてる貴方に渡すのは、少し癪な気もするけど・・・」
「あはは、そんなこと云わずにお願いします。この通り」

ブラッドが両手を合わせてトッティに祈りを捧げた。

「いいわよ、最初から貴方にあげるつもりだったんだから」
「さんきゅ〜トッティ」

「良かったわね〜ブラッド」
「うんうん」

ブラッドは子供のようにはしゃいだ。

「じゃあ、首にかけてあげるわ」

チェーンを広げたトッティの前に、ブラッドは自分の頭を差し出した。
トッティは、鎖をかけ、ブラッドが顔をあげようとしたタイミングで自分の方へ引き寄せ唇を重ねた。

数秒後、目をぱちくりとさせているブラッドの横で、トッティは、ヴァレンに小さな小瓶を手渡した。

「これはアンジェラの分ね、使い方はそのうち説明するわ」

そう言い残すと、カウンターの奥に姿を消した。

敵とのニアミス
April,8 2045

19:30 トッティの店

「おかわり〜」
「私も〜」

カウンターの上にふたつのジョッキを置く固い音が、続けざまに2度『ゴツッゴツッ』と鳴った。
呆れた顔のトッティがジョッキを両手に持ったまま、両肩を軽く上げ下げした後、ヴァレンに微笑んだ。

「よく飲むわね〜あんた達」

額に右手を当てたままヴァレンが左側に座っているアンジェラの赤い顔を見て笑う。

「ヴァレンティーネ様の隣で飲めるなんて、オイラ幸せ者でげす」
「わたひも〜」

トッティが、ヴァレンの両側にひとつずつ、ジョッキを置くと、
ブラッドとアンジェラは片手に持ったジョッキをヴァレンの目の前のグラスにぶつける。

「ヴァレンティーネ様は、不束者(ふつつかもの)ですが・・・」
「は?」

額に当てていた右手をそのまま白銀の髪をかきあげるようにして、ブラッドを振り返ったヴァレン。

「ふつつか・・・じゃなくて、つかぬことをお聞きしますが・・・」
「はいはい・・・なんでしょう」
「ヴァレンティーネ様は、彼女は、いるん・・・彼氏はいるんですか?」
「あはは、そりゃ、沢山いるわよ。彼氏も彼女も・・・」
「え〜、まじっすか」
「そんなに沢山いるんだったら、私が紛れ込んでもいいわね」

突然、アンジェラが右手を高く挙げ、名乗り出た。

「うふふ、相変わらず、モテモテなのね」

グラスを磨きながら、トッティが苦笑いする。

「ひょっとして、クネクネトッティも彼氏の一員?」
「あはは、トッティはね、アタシを振った唯一の男よ」
「まじっすか〜 トッティ。恐るべし」
「ほら、だって私、男にしか興味がないし・・・」
「あはは」
「それに、ヴァレンの男だなんて名乗ったら、命を狙われておちおち眠れやしないわ」

トッティが、グラスを持つ手をブルブルと振るわせるポーズをとり、皆の笑いを誘った。

「ヴァレンって凄い」
「僕はヴァレンティーネ様の為ならこの命捧げますよ」

感心するアンジェラと勘違いなブラッドのそれぞれの頭を交互に撫でるヴァレンが提案をした。

「そんなに2人が情熱的なら、今夜から、同じ屋根の下で暮らしましょう」
「きゃ〜素敵」
「まじっすか〜」
「ええ、研究室で缶詰。・・・でよければね」

「よかったわね〜2人とも、電柱の隅の人影に注意するのよ。
あと、高い建物から物が降ってこないように祈っとくわ」

トッティが悪戯っぽく真顔でおどけた。

「私、化粧室に行って来る」
「なんだよ、アンジェラ、足元フラフラじゃないか」
「ブラッド、そこまで連れて行ってあげて」

2人が席を立って歩き出すのを見送ると、ヴァレンはグラスを手に取り口に付けた。

「いいわね〜、怖さを知らない若さっていうのは・・・まあ ヴァレンもだけど」

カウンターに滴る水をダスターで拭き取りながらトッティが話しかけた。


『7番テーブル様、おあいそです。レジお願いします』


「あら、貴女の敵御一行様がお帰りよ。レジに行って来るわね」
「ええ」

ヴァレンの後ろを5人の客が通り過ぎレジに向かった。
ざわついた店内の声が入り混じっている。
酷く嫌な匂いを感じたヴァレンは振り返るのを止め、口元を押さえた。


「随分と余裕がおありのようね」

ヴァレンの背中ごしに匂いの根源であるチェンが話しかけてきた。
ヴァレンは体を翻すことなく、顔だけを傾け、言葉を発することもなく、また元の体勢に戻った。

「ふん、どうやら、わたくしとは口も聞きたくないようね。全く同意見だわ」
「おい、女、チェン様に挨拶をしろ」

チェンの取り巻きのサングラスをかけている男が騒ぎ始めた。

「およしなさい! 行くわよ」

チェンは男たちに命令口調で告げると、歩きながら捨て台詞を残した。

「せいぜい大会の時も、その調子でおとなしくしていて頂戴ね」

背を向けたままのヴァレンを睨み付け、5人は店を後にした。
まもなく、トッティがレジからカウンターに帰ってきた。

「まったく、嫌な客達だわ」

トッティが清々した声でつぶやいた。

「トッティ。アタシ凄く嫌な予感がするの」
「あら、ヴァレンの予感は百発百中でしょ。それは困ったわね」

「ええ。・・・ねえ、トッティ。万が一の時には助けてね」
「まかせて頂戴。念のためにアタシの所属するファミリーに連絡を入れておくわ」
「ありがとう・・・」

「そういえば、ボスが4月に代わったのよ」
「うん」
「なんとそれがね、ジパング国の25歳の女の子なんだけど、凄い切れ者なの」
「へ〜」
「まるで、ヴァレンと話をしているようだったわ」
「あはは、よしてよ」

「ううん、冗談じゃなくて・・・ジパング行きが決まったら、今度、会ってみない?」
「そうね、お礼を伝えなきゃいけないシーンに遭遇するかもしれないものね」
「その子ね、噂では大ボスTatsumiの愛娘で…名をMadocaって云うの」
「・・・覚えておくわ」


やがて、アンジェラとブラッドが席に戻ってきた。
ヴァレンは、2人の元気さを分け与えて貰うが如く、笑顔で彼らを出迎えた。


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