てくてくミーハー道場

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2008年08月10日(日) 66分探偵(←パチもん?)

結局第一話の感想を書かないまま第二話を視終わったわけでございます。


ま、正直に申し上げますと、第一話を視終わった瞬間のぼくの気持ちは、クールポコ。

すなわち、

やっちまったなぁ〜!

だったわけです。( ̄□ ̄;)そうだったのかーっ!(←高橋克実さん風に)




もっと正確に言うと、この企画を最初に聞いたときから抱いていたモヤモヤした気分が決定的になった瞬間だったのです。


そのモヤモヤした気分とは、

「なんか・・・創り手だけが面白がってる悪夢のパターンに陥ってない?」

という気分で。

それが現実となった2008年8月3日(放送終了時刻基準)

だから解って。感想を書き渋ってたその理由を。






いや世間には、受け手ですけど超面白かったですよておどるあんたってホントにお笑いのセンスないわね、という感想の方も大勢いらっしゃるかと思うんですが、ぼくが第一話に抱いた嫌悪感は、「笑いたいのに笑えない」というギャグの問題ではなく、このドラマの根本にケチつけるような重大な観点からきてるもので。

つまり、「ムリのある論理で人を犯人と決めつける」という行為に、ぼくが非常に嫌悪感を感じるタイプの人間だからなんです。


古今東西のミステリーと呼ばれるお話には、卓越した推理力を発揮する名探偵が登場しますが、その一方で、その主人公を引き立てるためだけに存在するような、マヌケな、非論理的な、非常に一方的な「迷推理」を発揮する、ライバル探偵だの、敵役的な警察官だのが登場して、早とちりや偏見や決めつけで無実の人を疑い事件をややこしくしますよね。

この『33分探偵』は、その、本来はライバルや敵役であるべくマヌケが主人公になってしまうという、これを考えついた時、福田雄一(脚本&演出)は「オレって天才?」と思ったんだろうなあ、と察します。

でも言ってやりたかったです。

オマエってバカ?

と。

今までこんなドラマがなかったのは、誰も考えつかなかったんじゃなくて、そんな安易な発想は却下されてたからなんだよ、と。

もし万が一、この安易なアイディアをもってしても、後味の悪くならないストーリー展開、主人公へのシンパシーを視聴者が感じられるような(この場合、主人公を演じる俳優自体への好意は一切得点に入れてはならないのは当然です)仕上がりにできるのならば、その時こそお前(なんで偉そうなんだ?)を天才と呼ぼう、と、ぼくは決意したのであります(←いちいち固い! 文章が)

そして、第一話を視終わった時のぼくの感想は、残念ながらと言うか案の定と言うか、まさに危惧していたとおりのものでした。

「『そういうことをしそうな立場にいる』という根拠だけで人を犯罪者と疑う」

ということが笑いになると思っている人たちの精神構造に、ぼくは恐怖心さえ抱きました。

このドラマ、送り手側が標榜しているのは「緩い」ことだそうですが、第一話を見る限り、「ふざけてる」ようにしかぼくには見えませんでした。

人の人生にかかわるようなこと(犯罪者扱い)で「ふざける」って、何事だろうと。怒りさえ覚えました。

ま、これは言いすぎ考えすぎであろうとたいていの方はお思いになるだろうということは分かります。

普通の人は、根拠なく犯罪者扱いされるなんてことには遭遇せずに生きているものだからです。

だから、ぼくの感想に共感できるような人というのは、ある意味ではちょっとした暗黒部分を背負った人生を経験している人だとも言えます。

ま、そんな大袈裟なものじゃなく、単純にこのドラマの売りである“非現実的な進み方”を、素直に「おっかしいやろそれ!」と笑いとばせる人もいれば、「こういうことで笑ってほしいの? 萎える・・・」と思う人もいますよ、ということであったということです。


ちなみに言っておくけど、登場したいくつかのギャグのネタ元は、けっこう判りましたよ。モトが判らないから笑えない、というレベルの感想ではないので一応おことわりを。






さて、で、今回の第二話。

事件の種類が違ったからか、今回の話は後味が悪くなかったです。

それと、33分間の中で起きることがパターン化されてるのが判って、その繰り返しに慣れたおかげで、少し優しい気持ちで視ることができた、というのもあったと思います。

正直言って事件が起きるまでの運びは、「またこのテのネタ?」とげんなりしていたことを白状します。

(阿藤快とか、豪邸How Muchとか、思わず「サブイ!!(怒)」と吐き捨ててしまったくらいです)

ただ、最後がちょっと良かった。

どうやら毎回最後には、六郎が「ちょっといい一言」を言うパターンらしい。

今回の、

「子供の頃から憧れてた人が、自分で命を絶つなんて・・・信じたくないじゃないですか」

というセリフには、不覚にもこみ上げるものがありました。

全く、心から共感できたからです。

ただ、本来ぼくはドラマを視る時には、演じている俳優の個人的な要素はできるだけ排除しながら視るように心がけているのですが、このセリフを堂本剛が言ったという事実に、やや感じ入るものがあったのも事実です。

そういう余計な感想は、抱かなくても良かったのにね(だったら、ここにも書くなよ!)










ところで、第一話にはもう悪態つきまくりだったぼくでも、高橋克実の“チカラ”には、完全脱毛おっと(つまんねーぞ!)脱帽せざるを得ませんでした。

先週の今ごろは、

「このドラマの笑いどころの99%は、高橋克実が担っている」

と、100回ぐらいつぶやいていた記憶があります。

それと、美人セクスィ〜(なのに男運がない)つっこみ助手・リカコの存在も、その適切なつっこみが、六郎の繰り出すムリな推理へのぼくの嫌悪感を、かなりやわらげてくれ助かりました。水川あさみのリズム感の良さの賜と思います。

無駄熱血新米刑事・茂木の戸次重幸もいい味出してますし、鑑識のエロエロ?コンビも、制作者側のご期待ほどぼくは笑えませんが(またそういうこと書く!)、佐藤二朗の芝居には安心してついてゆける快感があります。

小島よしおは何をやっても小島よしおですが、それ以上のことは求められていないはずだし、ぼくもそれでいいと思っています。

そして、毎回のゲスト(残念なことに『古畑任三郎』ほど豪華じゃないですが←時間帯も予算も違いますぞ・・・)も、知る人ぞ知るというか小劇場ヲタぞ知る人が出てきて、深夜ドラマを視る一つの楽しみにもなってます。






最後に、堂本剛。(←なぜフルネーム呼び捨てですか?)

彼ありきの企画ですので、当然鞍馬六郎役にぴったりなのですが、第一話では正直ぼくから見て制作者側(つまり、「おもろいやろコレ。こういうので笑えへんヤツはセンスないねん」て側)にいました。

ごめん、ダメかも。解ってあげられないかも。

と思っていました。

ただ、先週も書きましたように、アイ(野波麻帆)からパン焼き器をプレゼントされた六郎が、真顔で「焼きます」と言ったところ(だけ)が、唯一ぼくが六郎がらみで笑えたところだったのです。

ぼくは、人の好意を(本当は迷惑でも)ムゲにしない男が好きなのだと、その時判りました(?)

で、今週は、やはり、最後のセリフ。

ただの勘違いな思い込み野郎ではなく、何かしらの理由があってあんな無駄なことをしている(だから、固いよ!)のかも、と、期待が沸いてきました。

来週、裏切られないことを祈ります(こらっ!)


あ、これは六郎に対する期待になってるか。

えー、堂本剛についてね。

・・・・・・・・・(←えぇ〜っ?!)

えと、来週に持ち越して良いですか?(なんで?)

持ち越し!(←なぜ逆ギレ?)


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