てくてくミーハー道場

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2008年12月11日(木) 『正直しんどい』(ゲスト・堀越孝俊/笑)

(2009年4月1日up)

昨日松緑の話をしたので、流れ(?)で、今日は海老蔵です。

東京では去年の12月10日に放送された番組ですが、別にぼくは放送が4か月遅れの辺境の地に住んでるわけではありません。

また、今日初めて視たわけでもありません。が、コメントしたいなと思いつつも、メンド(略)今日になってしまいました。

明日こっそり該当日に移動させときますが、とりあえず皆さん、録画をご覧になりながら(めんどくさいことさせるな!)お読みください。





この時期、どういうわけか海老蔵は立て続けにトーク番組に出演しまして、『オーラの泉』『おしゃれイズム』でもちょっと話題がかぶってたりしました。

ただ、さすがは(?)『正直しんどい』

ミーハーのくせに、この番組のホストと海老蔵の接点に、視るまで全く気づかなかったんですが、なるほど、高校の先輩後輩の仲でした。

ていうか、あの(今さら校名を伏せても意味ないけど)学校って、一般人クラスと芸能人クラスとに分かれてて、接点がないとか(いや、二人とも芸能クラスだろ、当然)聞いてたので、学年も違うし、接点があるとは思えなかった。

その情報はいささか古いとしても、おそらくつよっさんは、彼の人生の中で一番多忙だったであろう高校時代。

同じクラスの子とさえ、1日に1回も口をきかなかったぐらいの「私は貝になってしまいたい」(?)子が、当時ワイルドさにかけては右に出るものがいなかった「梨園の坊屋春道」(おいっ/焦)と、1年間(堀越君は3年生の時に堀越に転入)同じ学校に在籍していたからと言って、果たして「付き合いがあった」と言えるのだろうか。

そんな疑問は否めないのであった。





すると、いきなりフランクに話し出すお二人。

海老蔵は、誰に対してもかなりフランク(というか、挑みがち/笑)に接する人だけど、つよっさんに対する接し方は、何となく他の「まぁ、名前だけは知ってる芸能人のヤツ」に対する時と、違うように感じる。

そして、意外と学生時代にも「面識」以上のモノがあった感じの二人の話しっぷりである。

やはり、「昔お仕事でご一緒した」芸能人同士とは違う「親しさ」を感じる。

仕事とは一切関係のない付き合い。なのに、二人とも有名人という、ぼくのような完全一般人には、想像もつかぬ状況がお二人の間にはある感じ。

この後、確か『テレビガイド』だったかで『正直しんどい』の300回記念特集をした時、つよっさんが「印象に残っているゲスト」に海老蔵の名前を挙げて、

「高校のときは、あんなスゴい人になるとは思わんかった」

と不思議なコメントをしてたのを思い出した。

いや、あのー、ご存じないですか? この人(堀越先輩)は、生まれた瞬間から、スゴい人なんですけど。

と、思った。

生まれた瞬間、つうか、お母さんのお腹の中にいた時から、有名になることが運命づけられていた人、だからね。

そもそも(海老蔵自身、そう言われるとすっごくいやがるだろうけど)「住んでる世界」が違う人だから。

つよっさんぐらいの歳だと、「スゴい人」の基準は、テレビ出演基準なのかも知れない(その基準だと、むしろ先輩より自分の方が当時は百倍ぐらいすごかった感覚だったろう)

海老蔵が属している「伝統芸能」の世界は、堂本剛が属している「芸能界」とはまた違うので、「成田屋の御曹司」が、世の中でどんぐらいステータスなのか、知らなかったのかもなー、と思ったのだが、番組を視てわかった。そういうことじゃないんだ。

学校、という「社会の価値観」とはまた違うフィールドの中で、高校生同士として出会ったから、「堀越孝俊先輩」と「市川海老蔵さん」は、つよっさんの中では同一じゃないんだ。


(後日の蛇足:色々熟考した結論ですが、別に「生まれた時からスゴい」ことは、一応知っていたのではないかと。だけど、高校時代の堀越君を身近に見ていたら、「この人、ちゃんと将来人間国宝とかに、なれるんやろか」と懐疑的にならざるを得ないぐらい、日常の態度が(略)だったのではないかと、思う。ま、憶測にしか過ぎませんが。第一、当時の“新之助”は、ぼくら一般の観客から見ても、「大丈夫だろか、この子」って感じに空回ってたし。ただし、昨日も書いたように歌舞伎ファンは気が長いから、「七十までにブレイクしてくれれば、いいや」と思ってるので、たいして気にしてなかったのね(^^ゞ)


そんな前フリ的な話をした後、

「宝くじ買おうか」

と、突然言い出す先輩。

必要ないだろ!(二人ともに)

と、ツッこんだ視聴者を代表して(?)「先輩宝くじ・・・しなくていいじゃないですか」とつよっさんが言えば、

「キミの場合はね」

と逆襲する先輩。

そうだ二人ともだ!(怒)←ムキになるなよ。

宝くじなんてのはなー、我々貧乏人(コラ)のためにあるのであって(どうどう・・・)ふー、ふー、ふー。



(気を取り直して)本日はとりあえず、海老蔵さんのお庭同然とも言えます、銀座界隈Wolkerのようです。

まず、「寿扇」

まあ、銀座はぼくもまかせてください(得意げ)

ただ、この店の前はしょっちゅう通過していますが、縁がないのでぼくは入ったことはありません(_ _ )

早速舞扇談義を始める海老蔵。「堀越先輩」から「成田屋」に突如変身。

興に乗って、『鏡獅子』の二枚扇のくだりまで踊っちゃいました。

いきなり、カッコいいんですけど!←なぜ怒る?

んー、伝統芸能のパワーを目の当たりにさせられました。

でもつよっさんも、おそらく初めてやったであろう“要返し”、なかなか上手かった。筋がいいです(ぼくが言うことじゃないが)



そして話の流れから、「幼少時にはわからなかった親のありがたさ」について話し出すお二人。

海老蔵のお父さんの大病は皆さんの知るところですが、つよっさんのお母さんの病気については、ぼくはこの時初めて知りました。

いや、前からよく「母が病気がちだから」みたいな話をしてたけども、多少体力のない人なのかな? ぐらいにしか思ってなかった。

倒れられたとは知りませんでした。

そりゃー心配になるよな。

うちの父も、人生の後半のほとんどを病人として過ごしたので(ぼくが高校生の時に初めて倒れた)、「いなくなって知る親の恩」は、身に沁みて知っておるつもりなんですが、ぼくはお二人ほど親思いじゃない気がする。

まあ、たとえ親御さんが丈夫でも、孝行する人はどこまでも親孝行なんだよね(と、いろんな知り合いを思い浮かべること数分)



演舞場前で、正月公演の宣伝(こら)をした後(もちろんぼく観にいきました。感想書いてないけど(^^ゞ)、海老蔵ひいきの蕎麦屋「成冨」へ。

塩と水で食べる「海老蔵流」で、せいろをいただきます。

こいつは、そば自体に力がないと(あと、水がおいしくないと)、ムリな食べ方です。

なんか、海原雄山(意味不明)です。

ナマイキです。(お、おい/汗)

30やそこらで、ナマイキなんだよっ!!!ヾ(−−;)いやアナタ、最初に「住んでる世界が全然違う人」とか言ってたじゃ



さてお腹もふくれたところで、いよいよ「日本一当たり本数が多い」ことで有名な西銀座デパート横チャンスセンターに、宝くじを買いにいきます。

年末ジャンボの売り出し時なんか、百メートル以上の列が出来てる超有名販売所。

ま、ようするに、「日本一販売本数が多い」=「日本一当たり(以下略)(−−;)ケチをつけるなよお〜

でも、ぼくもここで昔インスタントくじを1枚だけ買って、500円当てたことがあります\(^^)/←庶民

“宝くじ一等賞金よりも年収が多い”(いやらしっ)お二人の、ロト6の結果は、後ほど。



ロケ順不同ですが(余計なことは言わなくていいよ)、最後に「銀座博品館」へ。

ここはぼく、8階の博品館劇場しかあまり行きません。

今ブーム(遅い?)のトランプマジックに挑戦するお二人。

な〜んのタネあかしもないまま(そりゃ、タネあかししちゃったら、営業妨害になるしな)終了。

「車でどこへでも連れて行きますよ」の口約束(こら)は、おそらく果たされないであろうが、やたらハイテンションの海老蔵が可笑しかったので、よしとします。





さて、ロト6結果発表。

もちろん(後略)

働け。高額納税者。(←敵意を感じる)

こっちは毎月せっせとアナタがたの収入の一部を(←恩着せがましいぞ!)

いえモチロン、その価値があるからお支払いしてるわけで。

今後とも、価値あるご活動を(なんか、言えば言うほどいやらしいぞ)



さて、明日こそはアノ方(どの方かは、自明)ご出演の『しんどい』を振り返りたいと思います。


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