てくてくミーハー道場

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2009年02月07日(土) 「熱狂」と書いて、「ステージ」と読む

こういう手法は今に珍しくはなく、明治時代からありますが。

アラフィフのぼくがこういう表現に出会ったのは、萩尾望都さまの神話的名作『トーマの心臓』でありまして、いやー、流行ったねえ当時(いきなりぶっちゃけ口調)

「高等中学」と書いて「ギムナジウム」と読む。

「先生」と書いて「アルツト」(直訳すると「医師」)と読む。

なんてのは序の口で、

「彼」と書いて「トーマ」と読む。

ときたひにゃ、むちゃくちゃやんか!(こらっ)

それを魔夜峰央が『パタリロ!』でパロッたりもしてたが。

要するに、ぼくら世代には面映く懐かしいというか、抵抗感がない表現方法なんですね。

そういや、「男心」と書いて「ココロ」と読ませたりする作詞家もいたりなんかするなー(それは意味が違うっ!!)





ゴホン。

んで、標題の表現をしたのは、ぼくらよりちょいと上世代の甲斐よしひろ氏でありまして。

甲斐バンドが1979年に発表した『MY GENERATION』というアルバムの中に、こういうタイトルの曲が入っている(もう一曲、『感触(タッチ)』てのもある。『HERO(ヒーローになる時、それは今)』の次にリリースされたシングル曲だから、当時もう思春期以上だった方は、ご記憶にあると思う)

案外、世代に関係なく面白いと感じる表現方法なのかな(最初に書いたように、明治時代からありますからね)

でも、今の人たちには、ちょっと、○さく感じるのでは☆\(−−;)!!



すみません。前置きが長い悪いクセが。

「甲斐バンド BEATNIK TOUR 08-09 THE ONE NIGHT STAND TOUR FINAL」(日本武道館)の感想を書きます。

それほどガッツリとファンではないので、甲斐さんソロにはあんまりおっついてなく、1996年に一旦4人が最集結した時も、それからややあって“甲斐バンドが活動再開”した時も、全然スルーしてた。

ちゃんと「ジャニオタ休止期間」と重なってる。我ながらあっぱれ(どこが)

大森さんが亡くなったのを知った時の日記(こちら)にも書いたように、いつも甲斐バンドはぼくの心の“青春部門”コーナーにあって、好きな時にプラグインすれば、いつでも触れて楽しめる、そんな存在だった。いや、「である」(現在形)

そんでたまたまタイミングが合ったので、去年10月に東京国際フォーラムでやった甲斐バンドのライブに行き、

(なぜか薄い字で書いてしまうが)「甲斐さんのソロコンの時と、全然音の迫力が違う──っ!!!」(でも不思議だ。バックのメンバーはさほど違わないのに)

と、ド感激して、早速今回の武道館ライブのチケットをとったのである。

あこがれのアリーナはやっぱりとれなかったが(濃いファンの兄さん姉さんたちは、未だ健在なのだ。嬉しいのだ)、当日で入った国際フォーラムより、ずっと近くて感動した。

そして、国際フォーラムの時もそうだったのだが、20年以上経て(←なんでココ強調?)も変わらぬ“甲斐バンド小僧流ライブのお作法”=全曲蛮声で大合唱(^^ゞは、健在でした。

「きんぽうげ」の名物(?)イントロからいきなり手拍子&唄い出しからフルコーラス大合唱。

男子寮のコンパかっつの(≧∇≦)←例えが意味不明

ライブで一緒に歌うなど、KinKiコンだったら大顰蹙だけども。

甲斐バンドの場合は、隣りのやつが大声で歌ってたら、睨むどころか、さらに大声で歌い返すのがマナー(おいっ)

ただ、ちょっと感じたのは、昔よりキーが下がってないか? 甲斐さん。

80年代には、ぼくもバリバリ楽に歌えてたのに、今回はなんか「キー低い」と思っちゃった。

ぼく自身も年とったのだから、昔より声が低くなってるはずなんだがなあ。

絶対音感がないので、確認できませんでした。

なので、バラードとかは、大人しく甲斐さんの声に耳を傾けることにしました(つっても、背後からバンバン客の兄さんたちのダミ声が聞こえてくるんだが(×_×))

でもさすがに最後の曲「100万$ナイト」だけは、一緒に歌ってる人、いなかったなあ。

この曲は、しろうとには難易度が高過ぎますからな。

この曲は、ぼくにはジョン・レノンの死と記憶が直結しているので、聴くのがすごく辛いのだが、でも名曲なのでやはりライブで聴けると嬉しい。

それより何故か、今回のライブ(当日思い出したが、国際フォーラムの時も実はそうだった)では、「裏切りの街角」で、止めどもなく涙が溢れてしまって、困った。

この曲、確かに甲斐さんの言う通り、「最初に甲斐バンドというものが確立した曲」で、バンドにとっても客にとっても大事なナンバーの一つではあるのだが、ぼくにとっては他にも思い入れのある曲がたくさんあるのだし、今までライブでこの曲で泣けるなんてことはなかった。

なのに、なぜか去年から、“スイッチの入る曲”になってしまった。

試しに(?)、帰ってきてからCD音源で聴いてみたのだが、全然けろっと聴けた。

ライブでだけ、スイッチが入るらしい。

アレンジが特別変わってるわけでもないので(甲斐さんの声はめちゃくちゃ変わったが)、本当に不思議だ。

むしろ、他の、いかにもスイッチが入りそうな曲(在りし日の大森さんがスクリーンに映し出された「25時の追跡」とか)は意外とそんなでもなくて、「メンバーの愛を感じるなあv」ぐらいの感情だったのに。



とまあ、KinKiコンみたいに一曲ずつ詳細にレポなんてする気はまったくなく(いや、KinKiコンすら今回は詳細にレポしてないしな)、つれづれ感想を書き連ねてきたわけですが、今回の武道館ライブで一番はっきり思ったことをここで大きく書いときたいと思います。

ぼくが認知症になったら、甲斐バンドの「LADY」を聴かせてください。

と、身近な人たちに頼んどこうと(「なんでっ?!」by つれあい)

きっと、その時だけ、頭がしっかりするはずです。

そんぐらい、ぼくの「人生の中で一番輝かしかった時代」(いわゆる青春時代)と直結してるからです。

いや、いきなり自分を17歳だと思い込んじゃう危険性もあるか。

でも、それも幸せvvv(「オレは迷惑だよっ!」by つれあい)



もうご存じの人も少ないと思うが、都市伝説みたいな実話があるんです。

1982年か3年だったと思うが、何かの事故で一時的に記憶喪失になった青年が、病院のベッドで、ラジオから流れてきた「翼あるもの」を聴いて、記憶を取り戻した、っていう事件(?)があったんです。

新聞(それも一般紙)にも載りました。

つうか、ぼくは当時新聞でその事件を知り、「甲斐バンド、すげ──っ!!!!!」と腰を抜かしました。

まあ、甲斐バンドが特にすごかったというよりは、「音楽てもののすごさ」「人間の脳の神秘」を表すエピソードだと思いますが(いきなりクールになるなよ)

ぼくにとっての、その青年の「翼あるもの」は、きっと「LADY」だろうな、と甲斐さんの色っぽい声を聴きながら、武道館で思ったわけさ。

それもできれば、再録音じゃなく、いっとう最初の、『誘惑』に入ってるバージョンにしてほしい(と、メモしとこう)

・・・こういうことを考えちゃうところが、既に中高年なんだろうなあ(甲斐さんもMCで、「なんかオレ、綾小路きみまろみたいだなあ」と言ってた。・・・会場、中高年ばっかでスミマセン(×_×))

だいたいさ、今回開演が16時。

「下校時間」(by つよっさん)ですよ!

終わったのが19時15分。

これから帰って夕飯の支度しても、ダンナ様のお帰り(つっても、土曜日だったけど)に間に合うわよ奥さん!(←?)

ファンの世代に合わせたのだろうとはいえ、時代の変遷を痛いくらい感じましたことよ。

・・・まあ、みんなで一緒に年とっていこうよ(既にきみまろモード)

レコードで最初に聴いた時には、間違いなく自分より上のジェネレーションへの抵抗の歌だと思ってた「嵐の季節」なんて、今や既に「不況にうちひしがれながらも立ち向かう中高年」の、自分を奮い立たせる唄みたいだもんなあ(こらこらこらっ)


甲斐さんが“しみる一言”をおっしゃいました。

「こんな時代だからこそ、みんな、目線を上げていこうよ」

中高年のしぶとさを、世間に知らしめてやろう。

一番ラジカルなジェネレーションでいよう。

若いもんには笑われるかもしれないけどね。

若い時には、上から苦々しく睨まれ、年とったら、下から嘲笑される。

なんか、そんな生き方の方が楽しいような気がしてきた(←始末に負えない)

年とったからこそ、判ってくるモノが、あるんだなあ。ということは、年とらないと、解らないんだなあ(レトリック)



しかし甲斐バンド(今は正式メンバーは3人だけど、やはりサポメンも含めた9人、そして、大森さんと長岡さんも、かつてのサポメンも、みんな含む)の真骨頂は、やっぱりライブだなあ(収録をDVDやテレビで観るのも、ちょっと違うのだ。その場で聴く、本当のライブでないと)

「バンドはなくなっても、曲は残る」なんて、思わせぶりなことを甲斐さんは言ってたけど(それは、この22年間で、しっかり実感しておりますですよ)、いつかまた、やってくれるよね?

なんだかんだ言って、何度も再結成してるし(こ、こらっ/汗)

色々書いたけど、「心底楽しかった」(大森さんがいない寂しさは、埋めようとしても所詮ムリ)これにつきます。





さて、ぼくが次に武道館に行くのはいつになるのかな(←何? このフラグ)


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