てくてくミーハー道場
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2009年04月17日(金) |
『回転木馬』(銀河劇場) |
こんな若いコンビ(浦井健治&笹本玲奈)で『回転木馬』を上演する時代なんだなあ・・・というのが、最初に上演を知ったときの感想でした。
でも、実際に観てみるまでは、何も言うまい。
観てきました。
・・・なんか、表現しづらいなー(「つまらなかった」と正直に言えば?)(−−;)そっ、そんなことないよ(大汗)
あのね、いろいろ要因はあったと思う。
すごく、不思議な観後感でした。
一番の要因は、やはりロバート・マックイーンの演出にあったと思う。
少人数による上演で、コやも銀河劇場という、ややこじんまりとした舞台というのもあって、写実的なセットではなく、一つの大道具が、動きや角度によって、椅子や桟橋に変化する、「機能的」な演出。
舞台の奥の上の方に、「星の番人」と「天国の使い」が出たり入ったりして、常に地上にいる登場人物たちの行動を見守っている、という設定が、常に、
「これは、ファンタジーなんだ」
という感情を観客に抱かせる効果を醸し出していた。
観客は、登場人物の誰かに感情移入するというよりも、むしろ(ぼくが、その「星の番人」たちと近い高さの三階席で観たのも大きかったかと思うが)「星の番人」たちと同じ目線で、登場人物たちを見守っているような気分に、終始させられていた。
だから、この作品での「号泣ポイント」でも、そんなに泣けるわけではなく(ぼくだけだったのかな〜?)心はとても温かくじ〜んとするのだけど、一方で、胸のどこかに何かが刺さってるみたいな、すごく複雑な気持ちになったのである。
この『回転木馬』というミュージカルは、もちろん日本でも何度も再演されているが、年齢的に、ぼくが観るチャンスがあったのは、14年前に帝劇で上演された時。
20世紀のエンターテインメント界で「ミュージカル」っつージャンルの基礎イメージを作り上げた名コンビ、オスカー・ハマースタインII世&リチャード・ロジャースの作品なのは言うまでもないが、この時に上演されたのは、おそらく前年にトニー賞リバイバル賞を獲ったバージョンであっただろうと思う。
だが、残念なことに、ぼくはこれを観逃している。
だから、告白しますと、今回がぼくの初『回転木馬』だったのである。
初めて観たくせに、「これはなんか正統派っぽくない」と感じてしまったというのもおかしな話だが、観てはいなくても「ひと耳聴けば『この曲知ってる!』が当然」のロジャース&ハマースタインの楽曲の、めっちゃオーソドックスさと、あの舞台面の「SFっぽさ」が、微妙にマッチしていなくて、不思議な感覚になったのだと思う。
微妙にマッチしていないといえばもう一つ、リチャード・ロジャースの、「これぞハートウォーミングミュージカル!」というメロディに、微妙にマッチしていない歌詞が気になった。
視覚的な違和感が、あのSF的なセットだとするならば、聴覚的な違和感が、この「歌詞」
パンフレットを見て納得。
訳詞が、今まで「(イースタントレジャーの)ミュージカルといえば、この方」という、岩谷時子先生ではなく、「かもねかーもねSOかもね♪」の森雪之丞氏なのであった。
別に、氏の歌詞によるミュージカルを初めて観たわけではないが(『ペテン師と詐欺師』『テイクフライト』などを観ています)、念を押すが、リチャード・ロジャースのメロディに彼の言葉の選択は、なかなかに新鮮であった。
そのくせ、脚本(これは「言葉の選択」というよりも、お話の流れのことだが)がすごく40年代っぽく(物語の設定はもっと昔で、19世紀末だそうです)、その噛み合ないそわそわした感じを、終始ぼくは抱いていたのである。
これは「失敗作」なのか? はたまた「新機軸」だったのか? よく分からない。
要するに、現代語で歌舞伎をやられると、「分かりやすい」という長所より、「何だかしまらんなあ」という短所の方が強く出てしまう。そんな風にぼくには思われた。
どうにももやもやした感想なので、ぼくの文章自体「何言ってるのかさっぱり分からん。はっきり書け!」と思われているだろうことは想像に難くない。
でも、単に「分かりにくかった」「つまらんかった」と一刀両断してしまうような感じでもないから、悩んでいるのだ。
出演者は、皆一定レベル以上に歌が上手く、その点での不満は一切感じなかったのだが、(そう言っといていきなり書いてしまうが)殿下(浦井健治)の人物造形に、今ひとつ弱さを感じた。
ビリーはこの作品の主人公なんだけど(一方で、「ヒロイン」はジュリーだ。こういう場合、どっちがより主役だ、ってことはないのだと思うが)、そのくせ、「いい人」「正義の人」ではないところが、この役の最も難しいところだろう。
女たらしで、人生をナメて生きていた男が、一人の女の子に惚れて身を固め、まっとうな人生を歩き始めたと思いきや、それまでの「イケイケ」な生活が、その結婚によって奪われる(今でもよくあることだ)
そのジレンマによって、「悪魔のささやき」にずるりずるりと引きずられ、悪事は上手く行くはずもなく、命を断つはめになる。
死んで初めて分かった「まっとうな暮らしの大切さ」。そして、自分がやっとそれに気づいたことを、残してきた妻と、顔も知らない我が子に伝えたいと思う、夫心親心。
ここで、号泣するんです。観客は。
だが正直、今回の殿下は「この人、典型的なだめんずだけど、そういう人って母性本能をくすぐるのよね、わかるわー」程度にしか思えなかった。
つか正直、殿下って、今までそういう役で“押して”きた感がある。
何か、何やっても、どこか弱々しい(\(−−メ)こらっ!/怒)
ルドルフにはすごーく合ってるんだけどね。
あと、ビリーが自分を刺す時、やらかした悪事の罪に戦いて、というよりも、「逃げることも、銃を持ったバスコムに向かっていくこともできなくなって」混乱して刺しちゃった、みたいにしか見えなかった。
これだと、ビリーが結局自分の罪に気づいてないことになっちゃう。
「贖罪」という、ビリーという役に与えられたテーマが、かすんじゃう。
そう思わないか?(誰に言ってんの?)
ジュリーも、(この役も、難しいです。単純に「だめんずを引き寄せるタイプの女」じゃいけないから)今ひとつ芯の強さが見えなかったというか、はっきり言ってしまえば、玲奈ちゃんには早過ぎた、とやっぱり思う。
ジュリーは、ビリーのイライラを「いじいじめそめそ」して我慢する女などじゃなく、おっきく構えて受け止めてる女じゃなきゃいけないのでは。そうじゃないと、二幕での「14年間、シングルマザーとして娘を育て上げる強さ」が突飛な設定に思えてしまう。
このお二人以外の役の方々は、それぞれに素晴らしかったと思います。
オトミ(安奈淳)さんは、今まで出したことのない高いキーに苦しんでおられたが、どしんと構えてジュリーを陰ひなたに支える頼もしいネッティを好演(まあ、従姉というよりおば・・・ごほん)
サカケン(坂元健児)スノウは「上手い」の一言。
スノウとキャリーのカップルって、要するに主人公カップルとの対比で見せる役なのだが、その役割をきっちりはずさずこなしつつも、スノウ独自のキュートさを出していて重畳。歌唱も(当たり前だが)文句なし。
キャリーのはいだ“歌おね”しょうこちゃん。
かなりな“ヅカ芝居”ではあったが、とにかく歌の上手さは天下一である。少しセリフが聴き取れないところを改善すれば、完璧であった。
特に彼女の「特異性」を感じたシーンが、キャリーがジガーに誘惑(?)されそうになる場面である。ここは作劇もだが「21世紀に、こんなんでいいのか?」っつーくらいの危機感リアル感のなさで、たっぷり「40〜50年代のブロードウェイミュージカルのにほひ」を堪能させてもらった。全面降伏である。みじんも「色気」がない((−−;)エッ?!)
ファンの幼児たちをがっかりさせないその高潔さ。さすが第19代歌のおねえさんである(←ほ、褒めてるのか・・・?)
話が出たので、マヨマヨジギー。
マヨマヨ(川崎麻世)のことは、年齢的にもちろんアイドル時代から知ってるので、今のあの声が実に不思議なのだが、今回も、キャストの予習をせずに行って「あの人誰だろ? カッコいい」と思ったのが、ジギーだった。
ほれぼれするようなバリトンで荒くれ男たちを煽動し「海の男」のセクシーさを遺憾なく発揮したかと思えば、いかさまカードゲームでビリーを追いつめる「いやぁ〜な」ズルさ抜け目のなさ。
Mrs.マリンを何回も「下品な女だ」と罵倒するのだが、「おめえこそ何だよ」と思わせといて、前述の、キャリーを誘惑するシーンでは、とほほな腰抜けっぷり(旦那は充分嫉妬していたが)
はっきり言っちゃえば、皆さんキャラクターの軸がぶれぶれなのだが、そこが何かぼくには「キモチ悪くて面白い」感じになっちゃったのである。
で、今話が出たMrs.マリンのゆうこちゃん(風花舞)
全然「下品な女」には見えないんですよねえ(^^ゞ
死んだビリーに取りすがって、「お前、女房の前で、よくそういうことできるな」っていう良識ある街の人々の視線を感じて、すっと離れて、胸はって去って行く後ろ姿が、かつて『ウエストサイドストーリー』(宝塚版)のラストシーンで見たマリアそのもので、ちょっと感動したのだが、ここでMrs.マリンがマリアみたいに去って行くことは、果たして是か非かと問われれば、非ではないかと(あっそう)
なんか、こういう事細かなところが、「あ〜れぇ?」っていう作品だったんです。ほんまに。
で、本日のカーニバルボーイは、時の人(笑)西島千博くん。
カーニバルボーイは今回トリプルキャストで、どの人で観てもダンス力に遜色はなかったと思うが、とりあえずビジュアルの点で最も優っ(以下略)
ただ、このシーンでもちょっとぼくは「あ〜れぇ?」と思ったのだが、そもそも、ビリーの娘の生い立ちの苦悩をバレエで見せてしまうという作劇自体、めっちゃ大胆ですごいと思うのだが(その演出は、今回のマックイーン氏に限らず、毎回そう)、なんだか、「踊りうまいなぁ・・・」と感心してるだけで終わってしまったのが、どうにも。
このシーンは、その娘・ルイーズ(玉城晴香、とにかくめっちゃダンス上手い)の14年間の辛く厳しい人生を投影したダンスシーンなのに、とにかくただ「うまいなー」で終わっちゃったところが、どうにも残念。自分の感性に対しても腹が立った。
ここなのである。ロジャース&ハマースタインのミュージカルのスゴいところは。
単純でのどかに出来てるように見えて、高度な「観劇スキル」が必要なのである。
で、そんな鈍なぼくでも、きっちり号泣したのが、ドクター・シェルドン(この役を、「星の番人」と同じ安原義人さんが演じていたところが、演出の秀逸さ)の「卒業生に贈る言葉」でありました。
ここで話した内容ももちろん良かったのだが、とにかく安原さんが上手い!
安心して号泣させていただきました。
ホントは、ここでビリーが歌う名曲「IF I LOVED YOU」のリプライズに号泣せなあかんのに、そうならなかったのは、殿下の歌唱力の足りなさ(普通に上手いんですよ、歌は。でも、それ以上のものが、残念ながら、ない。音符以上のことを、歌えないというか。ごめんねファンの人。ずけずけ言ってしまって)プラス、歌詞があんまりうまくなかったからかと思う(そう思った。歌詞が、なんか、今ひとつ響いてこなかった)
といったわけで、何か不完全燃焼な感じの公演でありました。
あんまりなこと言ってしまうと、次回は別の演出で、別のキャストで観てみたいです。
「映画(1955年に作られている)を観りゃいいじゃん」とおっしゃるかも知れないが、これは、演出自体が舞台版よりヌルくて、退屈っぽいそうなので、躊躇しちゃう。
まあ、そのうち(←明らかにその気なし)
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