| 2021年04月27日(火) |
約束した場所にAちゃんは先に来ており。「この前と同じ場所だね」と一緒に笑う。同じ場所、同じ席。 彼女の抱えている幾つもの問題を、次々に語って聞かせてくれる。だから私もうんうんと相槌をうちながら聞かせてもらう。Aちゃんとは知り合ってまだ間もないけれども、彼女がどんな問題も真正面から向き合う人だということはすぐに分かった。だからこそしんどくなってしまうことも。でも、しんどいからってへたりこんでばかりじゃないのが彼女のすごいところだ。しんどいのは当たり前、と捉えている節があって、しんどかろうと何だろうとやるよ私は、という気概が見てとれる。若くして、自分の加害性と被害者性と、両方、ちゃんと自覚してもいる。だからこそ私は彼女を応援したくなる。
帰宅し、ワンコと散歩。この季節、モッコウバラが実に美しく咲き乱れる。散歩の道筋に、何軒か、モッコウバラがこんもり咲いているお宅があって、それを眺めるのが楽しみの一つになる。玄関先に豊かに茂っていたり、庭の柵に沿わせていたり。そのお宅お宅で違った様子が楽しめる。明るいやわらかな黄色い薔薇。花言葉を調べると、「純潔」「初恋」「素朴な美」「あなたにふさわしい人」「幼い頃の幸せな時間」などが出てくる。「幼い頃の幸せな時間」なんて花言葉があることを私はその時初めて知ったんだった。瞼を閉じて、モッコウバラがこんもり咲いているその茂みの前で遊ぶ子供の姿を想像してみる。確かにそれは幸せを感じさせる。 でも。今日Aちゃんともつくづく話したけれども、家族というのは怖い、と。私はそう思っている。家族という密室で行われることの残酷さ。気が遠くなる。家族を褒め讃える人がいまだに多いのが私などには不思議でならない。家族によって傷つき傷つけられた経験がある人間からしてみたら、まさにそれは不思議。 だから、自分が家族を作る段階になって、一瞬走った恐怖があったのをいまだに私は覚えている。あんな空間だけは、あんな世界だけはもう二度と嫌だ、と思ったんだ。閉ざされ関係は、互いを傷つけあうばかりになる。想いや言葉はひとを殺すのに十分なほどの刃になることを、もういやってほど知っている。 ピピっとスマホの通知音が鳴って、チェックしてみると、父からのショートメールだった。父の誕生日に短いメールを私が送った、その返事だった。父のショートメールにはいつも絵文字が使われるのだが、今回はそれが伏字になってしまっていてどんな絵文字が使われたのかちっとも分からない。文字だけ読んで、私はそれを閉じた。 父母と適度な距離を保つようになって、ようやく私は肩の荷が下りた気がしている。ちょっと油断すると今でもまだ侵入されるから、彼らとの関係には気を張っていないといけないけれども、それでも、あの家にいた頃に比べれば全然楽だ。過干渉とネグレクトを代わる代わる父母は繰り返してきた。容赦なくこちらに侵入・侵略してきた。我が物顔で私の庭を荒らして、それがまるで当たり前というふうだった。私も当時は、それが当たり前なのかと思っていた。でも。私はそれに耐えられなかった。 今思い返しても、ちくちくと心身が痛む。そのくらい、しんどかった。私の子供時代。 リードをひっぱられて気づく。ワンコがこちらをじっと見上げている。覗き込むような潤んだ眼で。君は私を心配しているの? 私は彼の頭をわしゃわしゃと撫でる。大丈夫、今はもう大丈夫だよ。誰にともなく小さく呟く。彼はまだ私を見つめて来る。だから私は立ち上がり、大股で彼をひっぱって歩く。春の夕暮れはのんびりゆったり暮れてゆく。 |
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