ささやかな日々

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2021年04月24日(土) 
書かないでいるとまるで吸い取り紙で記憶を吸い取られているのかと思うくらい見事に記憶がなくなる。たった一日、そんなものじゃないか、と言われるかもしれない。が、私はとてつもないほど大きな不安に陥る。たった一日、じゃあない。一日一日が記録されたそばから失われてゆくのだ。私の脳味噌はもはや、記憶することを手放したんじゃないかと思えるくらい見事に失われてゆくのだ。こんな頼りなく危ういことは、他にない。
だからせめて、吸い取り紙から漏れた僅かな記憶を、辿る。そうでもしないと足元が崩れてゆく気がする。音もなく呆気なく、崩れ去ってゆく気が。

息子と映画に出掛ける。息子はいつだって、映画を観ながらひっきりなしに、観たことを報告したがる。その報告の声も結構でかくはっきりしていて、報告される側はひやひやする。周囲を気にしない息子と、周囲を異様に気にしてしまう母と。
本当は。好きにさせておいてやりたい。彼がそうなるのは、それだけ映画に没頭し、楽しくて仕方がないからだ。だからこそその楽しさ面白さを誰かに言わずには居られない、それで次から次に喋くり倒すという結果になる。でもその声は私の声と同様酷く通る声で。しんと静まり返った映画館の中響き渡ることこの上なく。母はいつも、周囲からの視線や気配にびりびりしてしまうのだ。小心者と我ながら嫌になる。
映画が終わって歩き出そうとした時、彼が唐突に、今しがた観たばかりの映画の中の一つの台詞をさらりと言う。驚いて振り返ると、にっと笑って、また台詞を繰り返す。余程気に入ったらしい。声色も真似て言う息子の表情が生き生きしている。私とは違う映画の楽しみ方を彼はすでに知っている。

朝顔が次々芽を出してきている。何種類か混ぜこぜに蒔いたから、出てくる葉もそれぞれ違う。濃い萌黄色もあれば、薄い緑色の子もある。みんな一生懸命小さな葉を広げている、その姿が何とも可愛らしくて私はつい目を細める。
植え替えたその植え替え方が下手だったのか、挿し木した薔薇の枝たちの葉がこぞってうどん粉病にかかってしまった。困った。これはどうしたものか。もう一度崩して、植え替え直す方がいいのか、それともしばらく待つ方がいいのか。迷う。明日にでも母に訊いてみようか。植物のことは母に訊くのが一番正確で早い。
アメリカンブルーとコンボルブルスのプランターを置き替えたのは正解だったのかもしれない。どれだけ陽射しに晒されてもアメリカンブルーはびくともしない。むしろ生き生きしているようにさえ見える。コンボルブルスには可哀想なことをしたな、と改めて知る。しばらく日陰で養生してもらおう。ごめんね、コンボルブルス。

最近、細切れによく寝てしまう。ふとした時、急激に眠気に襲われ、どうにもこうにも横にならないと耐えられない程になる。一体全体、どういうことなんだろう。あれだけ眠るのが不得意なショートスリーパーな私は何処へ? 謎だ。整骨院で脳髄液の調整の処置をしてもらってからというもの、どうも調子がおかしい。いや、これはいいことなんだと思うのだけれど、どうもそういう生活リズムに慣れない。貧乏性、か。
今日も今日とてあっという間に、呆気なく、一日が終わってゆく。終わったそばからきれいさっぱり消えてゆく。私の記憶力はもはや、使い果たされたとでもいわんばかりの勢いで。解離性健忘がここまで私を侵蝕するとは。解離性障害とPTSDの合わせ技は、ひとが思うより残酷だ。


浅岡忍 HOMEMAIL

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