| 2021年04月22日(木) |
陽射しが強すぎるのだろうか、プランターハンガーに設置したコンボルブルスの様子がおかしい。しじゅう微妙に萎えている。考えあぐねた末、アメリカンブルーのプランターをハンガーにかけ、コンボルブルスは少し日陰の方に置くことにする。せっかくコンボルブルスの緑が全面に楽しめるようになったけれど、具合が悪くなるのでは仕方がない。早く元の通りの元気になってほしい。 散歩の最中に公園の紫陽花の枝を一枝、頂戴して、挿し木することにした。ワンコのリードを握りながら、もう一方の手で手折る。帰宅してからそれを二つに分けてそれぞれ挿し木する。無事根付いてくれるといいのだけれど。
今日は作家のRさんのところにお邪魔する日。Rさんが前から写真を撮りたいとおっしゃっていたので、ぜひぜひということで。一時間丸々電車に揺られ出掛ける。Rさんのお宅の最寄り駅が近づくにつれ、のんびりとした風景が窓の外に拡がり始める。山も谷も畑も林も、あちこちに拡がっている。こういうのをのどかな風景というのだろうなと思う。私の住む町にはない風景だ。一軒一軒の家の距離も、広く取られていて、せせこましくなんて建っていない。豊かだな、と思う。 Rさんが最近作ったというギャラリーにお邪魔する。小さな倉庫を借りて作ったのだという。隠れ家の様な素敵な空間で、中に入るとほっとする感じ。おしゃべりも小声でこっそりしたくなるような。密やかな空間。Rさんの好きなものばかりが並んでいる。 さあ撮影しよう、と言うのであれ?と思ったら、どうもRさんは私を撮影するつもりだったらしく。私は私でRさんを撮影するつもりで身軽な格好で来たのだけれど、それを知ったRさんから小言を言われる。「ちょっとお、もっと可愛い恰好しなくちゃだめじゃない!だめだめ!」。そうしてRさんが早速自分の手持ちの衣装から私が着れそうなものを選んで持ってきてくださる。小柄なRさんの服を私が果たして着れるのだろうかとどぎまぎしたが、何とか着ることができ、「ほら、こっちの方が素敵じゃないの!」とRさんに言われる。そういうもんかなあなんて思いながら、おずおずとRさんのスマホの前に立つ。私と違って次々指示を出してくるRさん。ここに立って、あっちに立って、こっちに座って、あっちにしゃがんで。その一部始終をRさんの飼い犬のバウちゃんがじーっと見守っているという構図。 時間は瞬く間に過ぎてゆく。あっという間に私の帰りの電車の時刻になり。名残惜しい気持ちを引きずりながら手を振って別れる。最後にバウの頭をごしごし撫でる。カールした毛がわしゃわしゃと私の手の中で揺れる。
Rさんとの縁ももうどのくらいだろう。十年以上経つのだろうか。Rさんの著書はその前から読んではいたが、まさか自分がRさんと繋がることになるとはその頃は思ってもいず。縁というのは本当に不思議なものだ。 彼女が私の本に寄せてくれた当時の言葉を思い出しながら、電車に揺られる帰り道。読みかけていた中山七里著「境界線」も無事読み終えた。「護られなかった者たちへ」から連なる流れ。私は被災地の現実を何も知らない。
夜、被害当事者という若者二人とオンラインミーティング。まだ被害から間もない彼女たちの、切実な今の声に耳を傾ける。ああ私もこうだったんだなあと思う。私はもうそこからだいぶ遠く歩いてきてしまったけれど。当時は本当に苦しかった。一日が一日なんかじゃなく、延々と続いて終わらないかのような泥沼の中にいた。四六時中酸欠の金魚のようにあっぷあっぷしてた。彼女たちもきっとそうなんだろう。その呼吸が少しでも楽になるように、何かできることはあるんだろうか、私に。 そんなことを思いながらふと窓の外を見ると、もうすっかり真夜中。風がびゅるると暴れている。 |
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