| 2021年05月02日(日) |
稲光と豪風の夜。息子がそのたび「母ちゃん、光った!ほら、光った!」と報告しに来る。あまりに頻繁で私は反応するのが面倒くさくなって、ふんふんふん、と適当に相槌を打つ。もともと私は稲光が嫌いじゃない。雷鳴が嫌いじゃない。よほど近くに落ちない限り、驚くこともない。 でも翌朝、ベランダに出て慌てる。一番大きな重たいコンボルブルスのプランターがひっくり返っており。それほどに昨夜の風は強かったのか、と。愕然とする。 掌で土を集め、拾い上げ、プランターに戻す。でももうひっくり返ってしまったコンボルブルスは元には戻らない。作業する手を止めてその傷ついた姿を見つめる。ひしゃげたコンボルブルスは悲しそうに、とても悲しそうにそこに在って。私は申し訳なくなって思わず、ごめんねと声に出して言ってしまう。 ホワイトクリスマスの大きな蕾たちも傷だらけで、原形をとどめないほど花弁が変色してしまっている。今年は大きな花が幾つも見られるな、と楽しみにしていたのに。幾重にも重なる花弁の先が茶色く変色してしまった子らを、順々に鋏で切る。開いてくれるか分からないけれどもとりあえず花瓶に挿す。 振り返る夜明け前の空はうっすら靄っており。雨上がりなのに靄るのは珍しいなと、私はしばしその空を見やる。薄桃色に染まった地平線あたりに向かって手を伸ばす。届かないことが分かっているのだけれどつい。
一か月後に控えた個展用のDMが仕上がってきた。思った通りの仕上がりになりほっとする。紙を特殊紙にしてみたから、どうなるかなと気になっていた。結果オーライ。よかった。 150通近く手書きで宛名を書く。この作業がしんどい。しんどいのだけれど、印字して投函、というのができない。展示を始めてから二十余年、ひたすら手書きで宛名を書いている。 一枚、また一枚。名前を書いては記憶の中のその人を探す。たくさん言葉を交わしてきた人もいれば、挨拶程度の方もいる。だいぶ疎遠になってしまった人もいれば、いまだ密に連絡を取り合う相手もいる。その誰もに、心の中、よろしく、と声を掛ける。そんな声、誰にも届くわけもなく、聴こえるわけもなく、だからまさしく独り言に過ぎないと分かっているのだけれど、一枚仕上げるたびに、宛名を見つめ、心の中言ってしまう。 ふと思い出す。昔、絵葉書ばかりを届けてくれる人がいたな、と。北の国に住むその人の字は、実に美しい、細面の字で、私はいつもその字に見惚れたんだった。独特な言い回しを好むその人の文は、私の心にひとつひとつ響いて残った。ブルーブラックのインク。懐かしい。彼女は今頃、何処で何をしているのだろう。家を出る、と言って或る日突然、忽然と姿を消した。一度だけ、住所の書かれていない絵葉書が届いた。大丈夫、何とかやってる、とだけ書いてあった。それ以来彼女の行方を、私は知らない。 でも時々こんなふうに思い出して、私はだから、そんな時は空に向かって思うのだ。
元気でいますか。生きていますか。私は、ここにいます。 |
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