| 2021年08月11日(水) |
昔私の住む街には関内アカデミーという映画館があった。2004年1月に閉館してしまったのだが、私は今も時々、あの映画館に行きたいという衝動に駆られることが、ある。マニアックな映画がこの近辺で最後の最後ここで上映される、という贅沢。私はだから、いつもこの映画館でマニアックな映画を観た。小さな劇場で、昔は入れ替えもなかったから、学校をサボって朝からずーっと入り浸り、なんてことが多々あった。制服ですみっこに座っていても、誰も何も咎めず、そのまま置いておいてくれるのんびりさがあった。誰にも言えない秘密を抱えて映画館の隅っこ、映画を観ながらおいおい泣く。映画にかこつけて思う存分泣く、と、不思議と「明日もがんばろ」という気持ちになれるのだった。
関内アカデミーで映画を観た後、私はたいてい海を観に行った。大さん橋は今みたいに綺麗な桟橋じゃなくて、ただの棒切れみたいな形をした古びた桟橋だった。色気も何もない、ただの桟橋。でも、その突端に座り込み、日が堕ちるのをじっと見つめた。悔しい気持ちや悲しい気持ちを抱え、日没を見つめていると、不思議と「これもきっといずれ終わるさ」という気持ちになれたのだった。
そんな十代、まだハマにはメリーさんも健在だった。今はなきドトールや丸井の前でよく見かけた。ケンタッキーでメリーさんを見かけた時はちょっとびっくりしてしまった。ドトールで珈琲を飲んでいるならまだしも、メリーさんがケンタッキーか、と思って。おかしな偏見だけれど。そんなメリーさんは私にとって、自分の住む街を象徴する大事な大事なひとだった。
子ブタならぬ大豚みたいに太った学生鞄をいつも提げて、歩いていた。昔は日記を書くのもノートに万年筆だったから、絶対にそれらを身につけていなければ気が済まなかった。もちろん読み歩く本も数冊。教科書は教科書で持ち歩いていたから、結果豚鞄になるのだった。
なんでこんなこと、今日思い出すのだろう。きっと映画を観たせいだ。映画館に行ったせいだ。
映画館を出てたったか歩いて駅へ向かう。それだけでもうどきどきしてしまうのだけれど、でもできるだけ背筋伸ばして、何もないふりで、平気な振りで、とにかくまっすぐ前を見て。私は大丈夫、なんてことはない、というふりをして。 電車の車窓にぼんやり映った自分を見つめて、そんな武装いつか必要なくなる日が来るかな、とちょっとだけ想像してみた。分からないけれど、でも、いつかそんな日が来たら、いい。そして昔みたいに、自分の暮らすこの大好きな街を、夜通し闊歩しするんだ。カメラを片手に。 夢みたいなそんなこと、夢想しながら、家路を急いだ。
※関内アカデミー 大桟橋のあゆみ ハマのメリーさん |
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