| 2021年09月01日(水) |
今更なのだが薬丸岳著「Aではない君と」読了。三章立てのこの三章目がまさか、こういう運びになるとは。読み終えてしばらくぼおっとしてしまった。「考え続けるんだ。これからずっとずっと、その人たちの心を少しでも癒すためになにをしなければならないのかを。何ができるのかを」。
かつて生きづらさを抱え思い悩みながら十代を過ごしたひとりの子どもとして、そして今子供を育てたひとりの親として、作品を読みながらひたすら「罪を償うとは何なのか、更生とは何なのか」を自問し続けずにはいられなかった。作品中に答えがあるとしたら先に挙げた言葉なのだろう。私もそれしかないと応えるだろう。しかし、それが唯一の正解なのかは分からない。そもそも罪を償うことや更生に「正解」なんてあるのだろうか。否、正解なんて必要ないのかもしれないと、ふと思う。 正解なんてないかもしれないからこそ、ただひたすら「考え続け」ながら生きなければならないのだろうし、自分に何ができるのかを自問しながらひたすら生き続けなければならないのだろう。
私は読みながら、今関わっている加害者プログラムのひとたちのことを心の片隅に思い浮かべていた。彼らは小説の中の少年のように誰かを殺したわけではない。しかし、加害者プログラムに参加している彼らはかつて、誰かの心を殺したことには違いない。性犯罪という罪を犯したことに間違いはない。
プログラムに参加している彼らは時々、私から見ると「考え続けること」「向き合い続けること」から逃げられるなら逃げ出したいと思っているように感じられることが、ある。「考え続けること」も己の罪と「向き合い続けること」も、そりゃあ並大抵の努力ではできないことに違いない。それでも。 君があの問題行動を犯さなければ、被害者は生まれなくて済んだ。被害者は、被害によって心身を木端微塵にされ、その木端微塵になった心身を抱えながら被害のその後をひたすら生きなければならない。 その罪は、重い。 どんな理由があろうと、決して、「考え続けること」「向き合い続けること」から逃げ出していいわけがない。
私はそんな彼らとまた数日後にプログラムで向き合う。私は彼らに、何を伝えることができるんだろう。伝え続けることができるんだろう。
薬丸岳「Aではない君と」。未読の方にはぜひ、お勧めしたい。そんな一冊。 |
|