| 2021年10月19日(火) |
実に秋らしい、抜けるように高い青空が広がった日、私はRさんのアトリエへT君と一緒にお邪魔する。Rさんは相変わらずキュートで、バウという犬と共に出迎えてくれる。バウは小柄なワンコだけれど、余程のことがなければ鳴かない。実に落ち着いた、かわゆいワンコだ。ちょっとおじさんチックなところが我が家のワンコに似ている。 「まだ続けるの? 加害者の活動」。Rさんが唐突に切り出してくる。ああ、以前Rさんから訊かれたことがったなぁとその時のことがちらり頭をよぎる。Rさんはきっと心配してくれているのだ。私が息切れしていやしないか、と。 だから、私もできるだけ丁寧に言葉を紡ぐ。一番最初に伝えたことがようやく伝わったと実感できたのが最近であること、そんなふうに時を経て伝わることがあるのだということを強く感じたこと、まだ伝えきれていないことがたくさん残っていること、だからこれからも活動を続けていこうと思っていること。 Rさんにはサリン事件の死刑囚と文通なさっていた過去がある。死刑となってしまった受刑囚のことで、Rさんはずいぶん悩まれていた。もし私が文通している受刑者の方たちが死刑になってしまったら、私も同じく悩み苦しむだろう。その明白な死、暴力的な死に、呆然とするに違いない。それがたとえあらかじめ決められた死であったとしても。ひとがひとを裁くという傲慢な行いに、どうやったって立ち止まらずにはいられないに違いない。 私は自分が被害者になるまで、死刑制度に正直疑問さえ持たない人間だった。深く考えたことがそもそもなかった。でも、自分が被害者になってみて、短い間とはいえ加害者に対しどうしようもない憤りを抱いた人間の一人として、死刑制度について考えざるを得なくなった。 確かに、税金を使ってどうして極悪人を生き永らえさせる必要があるのか、と、そう言うこともできるんだろう。でも。 簡単に死なせてそれで終わり、って、何か違う。何が、までまだ言語化しきれないのだけれど、でも、何か違うと思うのだ。 その考え方にはたぶん、私が、何人もの友を自死で失ったことが大きく影響している。彼女彼らがあんなに呆気なく死んでしまった、どうしようもなく死へ踏み出してしまった、止めることもできなかった、というその悔しさが、私の中に明確に、ある。 その彼女彼らは、みな、どれほど生きたかったろう。同時にどれほど死んでしまいたかったろう。その狭間に立ち、両極に引き裂かれるようにして、そして結果、彼らは死んでいった。ふわり、と、死んだ。 そんな、彼女彼らが選んだ死は、それが自死であったとしても私にとっては触れられない程尊いもので。いや、彼らの死を私は喜んでいるのではない、むしろ悔しくて悔しくてたまらない、だからこそ、彼らが自ら選んだ死を、私は受け容れるほかに、ない。 そして、その同じ死を、罪人たちに与えたくないのだ。 そんなに簡単に死なせてたまるか、と、そう思ってしまう。生きながらえることの方がずっと残酷で、しんどい。あなた方はどこまでも這いずるようにしてでも生きて、罪を償え、と、そう思ってしまうのだ。 一瞬で死が与えられる、そんな、簡単な死を、罪悪人に与えたいと私はどうしても思えない。もがいて足掻いて、這いずって、泥まみれになりながらもそれでも生きろ、と、そう、言いたい。 すっかり話が逸れてしまった。 Rさんに私の気持ちを何とか伝えると、Rさんはそうか、とだけ応えてくれた。きっと、私のこれからの道程を、Rさんは想像して、その言葉に凝縮されたんだろう。私も、はい、とだけ応える。 帰宅後、息子をダンス教室へ連れてゆく。同じクラスのAちゃんのお母さんが、「息子頑張ってるじゃない。すごいよ、最初はもうどうなることかと思ったけど、ちゃんと形になってきてるじゃない!」と、そう誉めてくれる。私はその言葉を聞きながら改めて、躍る息子の様子を見守る。不器用ながらも、時々ぶぅたれながらも、それでも、彼は彼なりに踊りと向き合っている。その真摯な様子は、こうして見守る私の心にも響いてくる。息子よ、頑張れ。
Rさんのところから帰った翌日の今日、ぐんと気温が下がった。昨日の「秋」がいきなり「冬」になったかのようで。私は今季はじめて、上着らしい上着を着こむ。夕飯後、息子と共にワンコの散歩へ。すっかり闇に包まれた街を歩く。匂い嗅ぎに余念のないワンコと、走り回る息子と。私は私でとことこ歩く。オリーブの樹の下ではワンコが落ちたオリーブを探してふんがふんが言っている。オリーブのどこが美味しいのかなと思うのだけど、ワンコは実に美味しそうに種までがりがり齧っている。 明日は気温がまたちょっと戻るらしい。この天気の変化に身体がついていききれていない。今夜もせっせと私はテニスボールで身体の痛みをケアする。 ふと窓の外を見やれば、深い闇がしんしんと、横たわっている。 |
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