| 2022年01月01日(土) |
恩師から電話が入った元旦。まだ死ねない、身動き一つままならなくなってきたのに、ほとんど一日中寝て過ごすしかできなくなったのに、まだ死ねない、でも今年は会いたいなあ!と。私の言葉がほとんど聞き取れないのだろう、一方的にしゃべるだけしゃべって、恩師は電話を切った。 まだ恩師のホームは面会が予約制でしかも一回30分と限られている。私の家から片道二時間半かけて行くことが躊躇われて、まだ行けていない。でも今年は行かねば。恩師と私との間に残された時間はきっとあと僅かに違いないから。 年賀状をさぼって迎えた新年、娘と孫娘が泊まりにやってきた。揃って神社にお参りに。娘が並ぶ屋台を眺めながら「屋台見るの久しぶり!」と喜んでいる。そういえば彼女が子供の頃は近所の商店街のお祭りに、よく通ったものだった。所狭しと並ぶ屋台に群がるひとたちのからからと笑う声が響く、そんなのんびりした祭だった。懐かしい。今はどうなっているのだろう。夏が来たらまた覗いてみようか。
30日夜中から伊達巻を作り続けて大晦日の朝を迎えた。我家の分のほかに実家の分、娘の分、そして義母の分。その義母についての話を家人から聞かされる。家人がぽろり、「もういなくなってほしい」とこぼすのを私はただ黙って聞く。気持ちは痛いほど分かる。でもここでやすやすと頷くわけにもいかず。だから黙って聞く。「親父が狂ったのは、間違いなくあのおふくろが原因だ」と家人。それもまた私は黙って聞く。
初日の出、迎える直前の南東の空には細い細い月が貼りついていた。その姿はか細いのに、くっきりと輝いている。私はしばらくじっと見つめる。何故だろう、満月や三日月よりも、このか細い月の方がずっと、存在感を覚えるのだ私は。まるで月が訴えているように見えるのだ。私はここにいる、と。
息子を寝かしつけようとしたら孫娘がやってきて一緒に寝ると言う。そういえば私も昔々、祖母の家に行くと祖母と祖父の間で眠ったものだったと思い出す。この歳にして子育てを続けている私だから隣には息子と孫が眠ることになる。そう思うと何だか可笑しい。ふたりに「ほら、目つぶって!」と繰り返し言いながら、私たちはひとつの布団の中牛ぎゅう詰めで横になる。あったかいなぁと思う。
今こうして書いていても、記憶がもうすでに断片的で、まるでジグソーパズルみたいにばらばらになっている私の頭の中。まったくもって頼りない。でも、これが私の現実。つきあっていくほかにない。
そうこうしていると、いきなり電話のベルがなる。こんな夜中にどうしたんだろうと電話に出ると、S君が酔っぱらってかけてきた電話のようで。彼は私を、東京のおふくろ、と位置付けてくれている。ありがたいことだ。にしても、いい具合に酔っぱらって独り芝居を始めるところ、笑ってしまう。そんな彼はこの春、有名な演出家の舞台への出演が決まった。本当によかった。これまで地道にひたむきにこの道一筋歩んできた彼だからこそ、私は嬉しい。「ちゃんとお金払って観てよ!」と言ったそばから「あんたの分は俺が出すからさ」なんてかわいいことをぼそっと言う今夜のS君に、「ちゃんと布団に入って寝なさいよ!」と声をかける。今風邪ひいたらシャレにならん。
明日も寒いという。日本海側は大雪だという。降り続く雪は菅平の山小屋でしか会ったことがない。父の山小屋の冬はいつだってこんもり雪だった。父から教わるスキーは、しんどかった思い出しかない。でも、あのリビングに置かれた大きな石油ストーブと、窓の向こうの白銀の世界は、今も美しく私の心の中にある。白銀の中にそそり立つ白樺が、私は大好きだった。 |
|