| 2022年01月18日(火) |
瞬く間に時が過ぎ往く。私はまったくもって追いついていっていない。それでも、今日は昨日になり、明日が今日になる。 薔薇の様子がちょっとおかしい。一本、黒点病になっている兆しが。これはもう薬を使わなければならないかもしれないなぁと思いながら見つめる。明日薬剤を買って来よう。それまで待ってて。 それにしても日が延びて来た。息子が遊んで帰ってきてもまだ明るい。ついこの間まで、この時間はもうすでに暗かったはずなのに。それだけ時が駆け足で過ぎているということか。冬という季節の向こうに、春が見えるような気がする。
Aちゃんと少し話す。世界が一変して、もうこれ以上失うものもない気がするのに、それでもさらに失っていく気がする、と。ありとあらゆるものが失われてゆく気がする、と。 私はただ、頷く。うんうん、と相槌を打つ。覚えがある。その感覚。私にもそういう時期があった。 性被害に遭って世界が一度崩壊する体験をしたりすると、石橋を叩いて渡るということができなくなる。石橋を叩いて壊して「ほらやっぱり!」と何度でもやってしまったりする。私にも、そういう時期が長く、長く長くあった。 でも。叩いて壊して壊れることを確かめても悲しいばかりなんだ。そんなことをする必要はもう、ないんだ。 でも、必要がないにも関わらず、やってしまう。それがPTSDの特徴のひとつだったりする。だから今、まだ過渡期真っただ中のAちゃんやCちゃんが、何度でも石橋を叩いて壊そうとする気持ちが、痛いほど分かる。 私に、いくらあんたが石橋を叩いて割ろうとしたって、この石橋は壊れない、と実際にそこに在り続けて示してくれた友人がふたりいた。そのふたりのお陰で私は今もここに生きて在る。感謝してもしきれない。そうやって生きて在って示すことがどれほど大事なのかをそのふたりから教わった。だから、今私ができるのは、彼らから教わったことを次に伝えること。
そう、世界が崩壊する。一変する。そんな、とんでもない体験を経ると、それまで非日常だったものがそこから「日常」になってしまう。これほど恐ろしいことはない。 それからはもう、ただただ、砂の城、だ。波打ち際で子供がよく砂の城を作ってはそれが波に壊されて、でもまた作って、壊されて、とやるけれども。まさにあれ、だ。波打ち際で積み上げる砂の城は確かに、何度でも突き崩されるけれど、それでもただ生きること。生きて在ること。意味なんてなくとも生きること。それがとてつもなく大事なこと。 生き続けた先に、その道端に、一輪花が咲いていたり。その花に蝶が留まるのを見かけたり。生き続けなければそれに出会うこともできない。生きてることに意味なんてなくとも、生きて在る、それだけで尊いんだと。私はそう、今ならそう思う。
Aちゃん、Cちゃん、今あなたたちはとてつもなくしんどい時期を生きている。だから何度でも揺り返し揺り戻しがあるだろう。でも、生きるんだよ。どんなことがあっても。生きて、生きて、生きて、ここを越えるんだ。 私の大切にしている言葉のひとつに、「絶望の先にこそ真の希望がある」という言葉がある。とある映画監督が言ったと言われている言葉なのだけれど。私はこの言葉、落ち込むと必ず心の中で反芻する。絶望の先にこそ真の希望がある。本当に、そうだと思うんだ。 今君たちは、まさに絶望の真っただ中を泳いでいるに違いない。それでも。 生きることに意味なんてなかろうと何だろうと。 生きてほしい。生きて在ってほしい。この先には必ず光があるから。必ず。 だから。生きて。 |
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