| 2022年03月28日(月) |
日の出前、どんよりと薄灰色の雲が横たわっていた。重たげに横たわるその雲は、何だか悲しそうに見えた。日が昇って来た頃、東の空の雲に割れ目が現れ、太陽の照り返しを受けて黄金色に雲が輝いた。一瞬の輝き。 イフェイオンが咲き始めたのは嬉しいのだけれど、年々その花弁の色が薄くなっているように感じられるのは気のせいだろうか。濃い青色だった子たちが徐々に徐々に薄水色に変わっていっている。これは自然現象なのか、それとも違うのか、私にはちっとも分からないのだけれど、あの濃い青色が見られないのは、正直淋しい。その隣で、万田酵素の液肥のおかげなのか、ラベンダーが青々と茂っている。液肥をこまめにあげるようになって、どの子も緑に艶が出るようになった。薔薇の葉たちもずいぶん元気に見える。そういえばRさんが薔薇を挿し木で育ててみると言うので液肥のことを伝えたら、「それ!私昔飲んでた!」と返ってきて笑ってしまった。Rさんはアンティーク調の色合いが好みのようで。そういうお花が咲く薔薇を選んで育てようとしている。一本でもいい、無事根付くといい。挿し木から育てるのはいろいろ大変なこともあるけれど、その分楽しみも増す。かく言う私も、昔々、白薔薇を育てたいと唐突に思い、花屋に走ったんだった。取り寄せじゃないと白薔薇はありませんと言われ、それなら取り寄せてくださいと頼んだ。そのくらいどうしてもどうしても白薔薇が欲しかった。白い花。無垢な白い花。被害に遭い汚れてしまった自分にとって救いになり得る花。無垢な白、残酷な、白。
アートセラピー講師の日。今日はコラージュの日。この一年を振り返って、いいことも悪かったことも含め今思うことを、形にしてもらう。一年の締めくくりとして。 この一年のうちにスリップを繰り返したひともいれば、何とか踏みとどまったひと、鬱に陥ったひと、少しずつ日常を取り戻し始めたひと、それぞれにいろんなことがあった。それを「今ここ」から振り返ってどう見えるのか。 みんなが作業をしている、その表情を、私はじっと見つめる。 解離性障害を負っているTさんが、にこにこしながら次々画用紙に何かを貼り付けている。近くに行くと、「この水筒が僕なんです」と教えてくれた。水筒を僕に見立てて撮影し、それを使ってのコラージュ。最近解離の方はどう?と訊くと、だいぶ落ち着いてきたと話してくれた。Kさんはいつものようにコラージュの合間合間に文章を記している。Dくんは顔色があきらかに悪い。黄疸が出ている。白紙の紙の前でじっと悩んでいたかと思ったら、英字新聞を開いて何かを探している。作りたい方向が定まったみたいだ、よかった。Yさんは春夏秋冬という四季の巡りを使ってこの一年の自分を表そうと試みている。 仕上がった作品をみんなでシェアする時間。この一年がそれぞれにとってどんな一年だったかがありありと伝わって来る。スリップを繰り返し入院もしたひとが、ぼそり、来年度はもう入院しないで済みますように、と言うのが聞こえて、そうだよね、そうなるといいね、と返す。朝の曇天が嘘のように、陽ざし降り注ぐ午後、ヤギの八兵衛のメェェという鳴き声が窓の向こうで響いている。
帰り道、O川沿いはびっくりするようなひとの数。ああそうか桜を見にみんな集っているのだ。満開の桜にみんなスマホのカメラを向けている。立ち並ぶ屋台の前も賑わっていて、みな笑顔だ。マスクをつけていても分かる。その中を横切り私は自転車を走らせる。 ままならない日々だけれど、少しでもその日々に彩りがあるといい。ぽつんとひとつ、明るい色があるだけで、今日一日頑張れたりする。 夕方、Jさんから連絡が。Y先生がとうとう入院なさったと。ああこれは最後の入院だなと思う。近くにお子さんたちが住まわれているのに入院されたのはそういうことだろう。どこまでもひとに弱気なところを見せたくないという先生の最後の意志。コロナ禍ゆえお見舞いもきっとできないだろう。つまりもう会えないということ。 先生、私は先生とおしゃべりするのがとても楽しかったです。先生が生きて来た時代は私よりもずっと茨の道だったはずなのに、そんなことを微塵も感じさせない勢いでお話なさる先生のお顔は、いつも輝いていた。私の中の先生はいつまでも、その輝いている笑顔です。明日またLINEします、日の出の写真を送ります。変わらぬ日常を、送ります。最後まで。 |
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