| 2022年04月11日(月) |
初夏のような陽気。半袖を着ていいのか、それとも長袖なのか、そもそも暑がりな私はこの時点で汗ばんでおり。これからの季節が思いやられる。 今朝の日の出時、太陽が昇る地点を中心にして、左右に飛行機雲が現れた。見る間に雲の下の方が濃い桃色に燃え上がり始める。ああ、今きっと太陽はあの真下にいるのだ。程なくぽっと太陽が現れ、そこからがあっという間。気づけば太陽全身地上に現れ、つつつっと空を駆け上がって行く。一日が始まる合図。 朝顔は、昨日から今日にかけて、夥しい数の子らが芽を出し、燃え上がっている。私と息子の種の蒔き方が下手だったのか、所々群れのように芽が集中していたりする。これはいずれ間引いてあげないとなぁ、間引くのは苦手なのだよなぁと思いながら、新芽に声を掛ける。大きくなあれ、大きくなあれ。
身体痛を何とか軽くしようとストレッチをしてみたりテニスボールで押してみたりを繰り返している。鎮痛剤が効かないのはもうよく分かった。家人が「自分の内の何かしこりみたいなものを解さないと、治らないんじゃない?」なんて言い放つので、ちょっと凹む。そんな、しこりみたいなものなんて、探し始めたらきりがなく。とにもかくにも、これ以上酷くならない為に、あれやこれや試みてみる。
アートセラピー講師の日。自転車でYRCに着くと、Sさんがわざわざ出てきて声を掛けてくれる。「いつ会っても元気がいいねぇ」とSさんが笑いながら私に言う。「元気だけが取り柄ですよー」と返す。今日のSさんは無精髭を生やしっぱなし。何となく気になる。セルフケアができないくらい何かがあったのかな、と。 一年間作って来た作品たちを一冊に綴じる作業。表紙は自分の「好き」で埋め尽くしてもらうことにする。色鉛筆を使おうと折り紙をコラージュしようと、どんな方法でもいい、と伝えると、「どんな方法でもいい、っていうのが一番困るんだよねえ」とYさんが言う。私も「だよねぇ、でも、そういうのも自分が好きな方法探してみて!」と返す。 マジックで言葉を書き、それで一面覆い尽くすひともいれば、一番苦手なことやってみると言って折り紙をちぎってコラージュを始めるひとも。Sさんは以前やった曼荼羅塗絵の一枚を素材に用いるという大胆な方法をとっていた。みんなが作業している間、私は、今日いないひとたちの分に表紙を付ける作業を。白紙の表紙。 あっという間に一時間が過ぎ、みんなでシェアする時間に。ピカチュウを描いたNさんは「自分がまともだった頃に流行った、自分も観てたポケモンのキャラクターを描いてみました」と。なるほどそういう思いが込められていたのかと気づく。依存症になる前はサッカー選手だったUくんはサッカーのコートを描いて、そこにゼッケン番号は収監番号を記すという大胆な表紙を描いている。なるほど自分の好きとそうじゃないものとの対比でとてもおもしろいなと思う。 本当に、いつも、みんなの作品に私はいくつもの発見をする。気づかされる。ああ、こんな方法で自分と向き合ったり自分を探ったりもできるのか、と、みんなと接していると新たな発見ばかり。ありがたいことだ。 大家さんの庭で、ヤギの八兵衛が窓の外メェェと鳴いた。桜の花弁がひらひら舞っている。 のどかな午後。 今日もこの言葉を思い出す。 You cannot change others or the past. You can change yourself and the future. 今ここの連なりが私の未来を創る。だから私は精一杯今を生きる。そう、自分に言い聞かす。 今日を越えることさえ困難だった日々。一日を終えることができなくてひたすら自分の腕を傷つけた日々。眠ること食べることを怠り、まるで亡霊のようだった日々。省みると我ながらぞっとする姿もあったりする。そういう日々をもう繰り返したくはないから、せめて今ここからは、精一杯、生きよう、と思うのだ。 |
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