ささやかな日々

DiaryINDEXpastwill HOME


2022年04月12日(火) 
雲のかかった早朝の空、でも東方だけぱっくり雲が割れており。ああ今日も晴れるのだなと思う。きっとこの割れ目が大きく育つに違いない。そう思わせる空模様。雲の向こうから昇って来た太陽が四方八方に陽光の手を伸ばしている。
最初についた薔薇の蕾が綻んできたので切り落とす。挿し木で増やした子のひとり。この大きさの蕾はきっとこの子には重すぎたのだろう、ぐいっと蕾の首が曲がってしまっている。よくここまで頑張ってくれたね、あとは花瓶で花を咲かすからね、と声を掛ける。薄い檸檬色の蕾。大丈夫、ちゃんと咲かせるから。
葡萄の芽は完全にクリサンセマムとビオラの影になってしまって、一本は萎えてしまった。残り二本、さて、育つだろうか。クリサンセマムとビオラには申し訳ないのだが、ふたりを棒切れでぐいっと抑える。そうして少しでも葡萄の芽が日の光を浴びることができるようにする。小さな小さな掌のような新葉を出してくれている今、この葉が少しでも大きく高くのびるようにしてやりたい。育ててやりたい。
ラベンダーに蕾が付いた。液肥をこまめにやっていたおかげなのか、今年のラベンダーは葉の艶が全然違う。こんなにも違うのだなぁと感心するほど。
それにしても、風が強い。崖っぷちに建つマンションの角部屋、コの字型にベランダがあるのは嬉しいが、そのベランダに沿って風がぐいんと強く吹く。薔薇の葉はだから、己の棘で己の葉を傷つけるのが四六時中。可哀想でならない。でもこの部屋に私が住んでいる限り、ここで育つ他にないわけで。ごめんね、つきあってね、と心の中声を掛ける。この街以外では暮らしていけない私。植物たちには本当に申し訳ないと思う。

今夜は、いつもより早く後片付けを済ませることができた。たとえばそれがひとつ目。長いことできなくて放置していたことを片付けることができた。それがふたつ目。そうそう、届いたカラーボックスをすぐに組み立てることも済ませることができた。それがみっつ目。
そんなふうに、他人から見たらどうってことのない、些細なことの積み重ねが私の今日を作っている。そう、他人から見たら「ん?なにそれ?」と思うような、微かな違いでしかない。昨日と今日の微かな違い。
ひとっ飛びに、ひょいっと高みを目指せたらよいのだろうけれど、それが叶うなら苦労はしないわけで。私は私のテンポで、ひとつひとつ、積み重ねてゆくほかに、ない。明日になれば砂の城のように今日という波に攫われて消えてゆく私の頼りない記憶。そんなに常時解離してるの?と不思議がられることも多いけれども、常時解離を使わなければ生きることが叶わなかった人間もいたりする。

家人が発達性トラウマ関連の本を買い込んで片っ端から読んでいる。その背中を見かけるたび、君自身のトラウマと向き合うためでありますように、と思う。息子をはじめ、他人のトラウマを自分がカウンセリングする為にそれらの書物を読み漁ってるのだとしたら、それは何か違うんじゃないかと私には思えてしまって仕方がない。SEという術が彼に合ってるのは、確かにそうなんだと私も思う。
でも、私もかつてカウンセラーの資格取得をした折、履き違えたことを、今彼も、履き違えをしているように見えてしまって仕方がないのだ。しかしそれを言葉にするときっと彼は今拒絶反応を示すに違いない。だから、下手に声掛けできない。
そんなふうに私が見ていることに彼が気づいてくれるといいのだけれどもなぁ、なんて、他力本願なことを思ってみるが、現実そんな甘くはできていないもの。分かってる。
他人のトラウマの中に自分の影を見出し、他人のトラウマを癒す手伝いをしながら自分のそれも癒されている錯覚を覚える。でもそれはやっぱり、錯覚なんだ。自分のトラウマは自分自身できちんと向き合わなければならない。

桐野夏生氏の本を立て続けに読んでいる。ちょっと活字がきつくなってきている時期なのだけれども、何とか、ゆっくりだけれど読んでいる。この、作品ごとに時代を予見するようなこの小説たちは一体何者なのだろう、と思いながら。


浅岡忍 HOMEMAIL

My追加