| 2022年04月13日(水) |
朝顔の芽が凄いことになってる、と息子が大仰に言うので、つきあいのつもりでプランターの前に立って驚いた。本当に凄いことになっていた。いや、そもそもは私たちがぎっしり種を蒔いたせいだ。芽がぎゅうぎゅう詰めで生えてきている。これは、間引きしないとだめだなと私が呟くと、息子が即答、絶対だめ、絶対!そんなことさせない! いや、この状況のまま育てる方が酷じゃないかい?と言い聞かすが聞き入れる様子はなく。これ触ったら怒るからね!とのこと。仕方なく引き下がる。 これも、ひとつ勉強かもしれない。これで育てることの方が或る意味残酷なんだよということを彼に知ってもらう機会になるのかもしれない。そう考えてみることに、する。 ラベンダーはひとつじゃなく幾つも幾つも蕾が出て来た。一番最初の蕾は先っちょが微妙に紫色に変色している。紫色といえば宿根菫、こちらは勢いを日々増していく感じで、もうこんもり盛り上がっている。茂る葉、咲き乱れる花。この間植えたミモザは変わりなく、じっとしている。でも、新葉を拡げてきているから、大丈夫なんだろう、きっと。そう願いたい。心配なのはホワイトクリスマスの大株だ。何となく気配がおかしい。元気がない。新芽は出してきているのだけれど、途中で枯れてしまっている芽も中にはあって。大丈夫だろうか、もしや根を虫に食われているのだろうか。もう少し様子を見て、おかしいままなら一度土をひっくり返さないといけないかもしれない。
Facebookで記事が流れてきて知った。安曇野にあるという塀の無い少年院。そこへの潜入ルポ。こんな少年院が日本にもあったのか、と。驚きとともに、ぜひもっと知りたいという気持ちにさせられる。こういう番組を全国で流してもらえないものだろうか。多くのひとが知るべきこと、気づくべきことが短い番組紹介動画の中に詰まっていた気がする。これはぜひ、ちゃんと通して番組を見てみたい。 そんな折、H局のYさんから、異動になりました、というメールが届く。結局何もできませんでした、申し訳ない、とあった。だから私も、残念です、と正直にメールを返す。
叶うか叶わないか、で言ったら、おおよそ叶わないでしょう、と思う。この国の社会の有様や、風潮を考えれば、私が実現させたいことは叶わない。私が死んだあと、もしかしたら、ということもあり得るけれども。分かっている。 でも、叶わないから行動しない、というのは、それは違うと思うのだ。叶うか叶わないかだけが行動しない理由にはならない。むしろ、叶うか叶わないか、それよりも、今この状況を打破したいというその思いが私に行動させる。 できることに限りはある。たかが私にできることなど、まさに「たかが知れてる」。でもじゃぁ何もしないで、何も行動しないで、悶々としてるだけでいいのか、と言ったらそれは違うとやっぱり思う。 できることをこつこつとやり続ける。それしか、ないと思うのだ。私が死ぬまでにそれを叶えられるかどうかで計るのではなく、実現を信じて行為する。そのための一歩を今日も重ねる。それに尽きる。
家族の食卓、というものに、私は恵まれていないのかもしれない。原家族の食卓は、沈黙だった。ひたすら沈黙。母だけが時折しゃべる、そんなふうだった。おいしいとかおいしくないとか、感じた覚えもない。黙々と食べなければならない場所、だった。 今、家人と息子と私、夕食を囲むのだけれど、必ず息子と家人が言い合いになる。今日もそうだった。だんだん止めるのも面倒になってくるのだが、止めないと際限がないのでやっぱり今日も止めに入る。 家人の、SE風な受け答えが、息子の神経を逆撫でするのだろうな、と思う。何故なら私も神経逆撫でされることが多々あるから。火に油を注ぐような、そんな感じで。 何とか食事を終え、早々に息子を、ワンコの散歩に一緒に連れ出す。そんなことの繰り返し。 穏やかな、或いは楽しい食卓、ってどんなものなんだろう。よく、分からない。
ぬるくゆるい微風がゆるゆると漂う今夜。明日は雨になるらしい。頭痛がするのはそのせいだろうか。 |
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