| 2022年05月12日(木) |
曇天。早朝の東空、薄いグレーの雲が波打っている。真ん中あたりに裂け目ができていて、そこから朝陽がすうっと漏れている。ああ、天使の階段だ。久しぶりに見る気がする。 ベランダに出て、いつ大雨が来てもいいように植木たちをゆっくり点検。プランターの置き場所は大丈夫だけれど、あとは風の状態次第、といったところか。 挿し木して増やしているホワイトクリスマスが数本あるのだけれど、どれもこれもみな大きな蕾をつけてきた。一輪綻び出したので、すべて蕾を摘む。本当は咲かせてやりたいけれども、今年の秋までは挿し木の子らに花を咲かすのは我慢。摘んだ蕾はすべて、水に浮かべて飾ることにする。
「昨日の僕の行動は、完全にアウトでした」と、仕事から帰って来るなり家人が言う。「ごめんなさい」。そして息子の前でも「あれはね、暴力なんだよ。いけないことだよ。父ちゃんがいけなかった、本当にごめんなさい」と。「今度もしあんなことあったら、君は絶対に息子の味方になってね」。 言いたいことは山のようにあったのだけれど、何だか今、それを言うのはよくない気がして私は黙った。そして分かったよとだけ応えた。 昼間、業者に来てもらって直したアクリルガラス。残ったのは割れた破片たち。集めて包んで、片づける。 私の頭の中、娘の時と今回と、それぞれに走馬灯のように映像が脳裏に流れる。あの頃とは少なくとも、何かが違ってる、変化しているんだな、と、心の中、思う。
天気のせいなんだろうけれど、身体痛が酷い。左半身が特に。せっせとテニスボールでケアを続けているのだけれど追いついていっていない。仕方なく鎮痛剤も飲むことにする。来週の今頃はもう、家人はイタリア。今週末イタリアでは製本作業が行われるそうだ。普及版、か。あの本の普及版、表紙は一体どんなふうになるのだろう。気になる。
昨日は夜中過ぎ、思いついて新じゃがを使ってポテトサラダを作った。じゃがいも、胡瓜、ハム、玉葱、卵。この間から白だし入りのポテサラにハマっていて、今回もそれを作ってみる。じゃがいもは電子レンジでチンして皮を剥きマッシュする。胡瓜はスライスして塩もみ、水気はしっかり切る。玉葱とハムはひとかけらのバターを用いて炒めておく。あとはもう、材料を混ぜるだけ。 気づくと、夢中になって作業している自分がいた。夢中が無心になり、そうしていつの間にか、さっきまでざわついていた心がきれいに静まり返っていた。料理ってなんて偉大なんだろう。いや、私が単純すぎるんだろうか。ちょっと不安になりながら、まぁいいやとくすり笑う。 そう、こんなふうにいつの間にか笑えるくらいには、私は今大丈夫になってきているということ。長く生きていると、諦めも割り切りも早くなる。まさか自分がこんなになるまで生き延びているとは思ってもみなかったけれども。長く生きてみるもんだな。つくづくそう思う。
忘れてしまった、失ってしまったことがある傍ら、私の場合覚えていられる分量はこんなふうに最低限というのがいいのかもしれない、と、思ってみたり。いや、本当は、ふつうに忘れてふつうに覚えていて、と、そうでありたいのだけれど。 でも、日常的に解離している私には、或る程度諦めて受け容れて過ごすこと以外、できることが、ない。解離に効く薬なんてないのだから。 諦めて受け容れて過ごす。それは決してネガティブなベクトルを持って為すことじゃなく。むしろそれは私の場合、ポジティブに為すこと。諦めにもいろんな色があるし、受け容れることもいろんな深みがある。だから、私は大丈夫。 |
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