2022年07月26日(火) |
朝、激しい雨。どしゃっと降って来た。これじゃワンコの朝の散歩は行けない、と思いながら窓の外の雨線をぼんやり見やる。それにしても見事な雨だ。 今日はK組の撮影の日。どのくらいぶりか、ああ、二年半ぶり、なのか。コロナのお陰でずいぶん長い間中断していたんだなと気づく。雨はやみますと天気予報は告げているけれど、一向に止む気配がない。そうして午前中が粛々と過ぎてゆく。 夏休み、みんなの食堂の日でもあって、息子が食べたいというので11時過ぎに公民館まで出掛ける。もうすでに何人も並んでいて、息子もその列に並ぶ。雨がぽたぽたと、先ほどの勢いは確かになくなったけれど、まだ降っている。K組の音担当のKさん、カメラ担当のOさんは荷物が多いはず。それまでに雨が止んでくれると本当に助かるのだけれどなぁと思いながら傘の向こうを見上げる。 美味しい美味しいと言いながら息子がそぼろ丼を食べている横で、私はバスの時刻を気にしながら過ごす。食べ終わった息子は公文の時間までと言って遊びに飛び出してゆく。
初参加のSさんが耳を傾けてくれるので、話しやすかった。Oさんのカメラはいつもやさしい。無理にこちらに迫って来たりしないから、いつの間にかそこにカメラがあるのも忘れている。Kさんはにこにこしながらマイクの棒を担いでる。重いに違いないのにそんな素振りはちっとも見せない。みんなプロなんだなぁと思う。当たり前のことなんだけど、でも、すごいなぁと思う。 Sさんが要所要所で言葉を吐く。その言葉に、改めてはっとさせられる。ああそうだ私は本づくりが本当に好きだったのだ、と思ったり、写真展を始める前と後との私の心持ちの違いはそういえばこうだった、と思ったり。改めて問うてくれるひとがそこに居ることで、ひとつひとつ、気づいたりする。 私の本棚の中に清宮質文全版画集があるのを見つけたSさんが「私好きなんです」と言うので早速取り出す。この版画集の年表に自分の名が挟まっているなんて、今思っても不思議だ。あの当時、もうR夫人と遠くなり始めていた。今思い返すこともできないほど記憶がおぼろげなのだけれど、私はずいぶんR夫人に失礼なことも言ったに違いない。もう取り返しのつかないことも言ったかもしれない。思い出せないって怖いなと思う。 あっという間に午後が過ぎてゆく。
K組のみんなを見送った後、息子とワンコと散歩へ。今日は蜜柑の樹の葉もバッタも確保しないとね、ということで坂を下り蜜柑の樹のところへ。私が鋏で切り落としたのを息子がキャッチする。青虫たちは順調に大きくなって、もうぷくぷくになっている。最初気持ち悪かったぬめっとした背中がいつのまにかきれいな緑色の背中に変わっており。ああ私が実家で最初に毛虫と間違えて潰してしまった子も、この子たちの仲間だったのだよなと改めて申し訳ない気持ちになる。その後坂を上って丘を越えてバッタの空地へ。蚊との闘い。そういえば今日もバッタが脱走していた。いや、きっと息子がバッタをカナヘビの籠に入れ替えるときに逃げただけなんだとは思うのだけれど。いつ見つけてもぎょっとする。ぎょっとしつつ即座に捕まえてる自分がいるから慣れって怖い。
人間、という言葉はヒトのアイダと書く。ヒトのアイダにいてこそ人間なのだと改めて思う。ヒトのアイダ。ヒトとの縁。かかわりこそがヒトを生かす。それがなければ私たちはここにたぶんいられない。いられないくらいに私たちはか弱い。だからこそ、私たちは互いに支え合って、ここに居る。 |
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