2022年07月25日(月) |
早朝、じっと東の空を見つめてた。何となく今日は、朝焼けが見られそうな気がして。ぼんやりしていた空のグラデーションが、或る瞬間ピンク色に輝いた。それから間もなく、黄金色に燃え上がり始めた。点在する雲が地平線から黄金色に照らし出され、ぐわんと地平線が膨らんだ。それは太陽が昇る直前まで続いた。太陽が昇る直前、その祝祭色は薄らいでゆき、太陽に座を譲った。 朝焼けや夕焼けを見ていると、地球は毎日、儀式を行っているのかしらと思う時がある。毎日毎日、律義に儀式を。さぁ朝だよ、新しい今日だよ、さぁ夜だよ、眠りの刻だよ、そんなふうに、地球は命ある者たちすべてに、時を刻んでいる。そんなふうに、感じることがある。誰の上にも等しく、朝は来るし夜は巡る。残酷なほど等しく、それらはやって来る。今日を生きよ、と、今ここを生きよ、と、諭すように。
アートセラピー講師の日。でも今日は、S先生を招待して、先生に自分のお話をしていただくことになっている。アディクトとしての先生のお話。興味深かった。振り返ればたぶん、誰にでもアディクションというものはあるんじゃないかと思う。たとえば私なら摂食障害と自傷。 私は大丈夫、私には関係ない、なんて思ってるひとの方がたぶんずっと多いのだと思う、いやほとんどのひとが「自分には関係のないこと」としているに違いない。心弱いひとがなるもので、自分には関係ない、と。 心弱いひと。そういう思い込みもまた、違うんじゃないかと思う。心弱いからなるんじゃない。心弱いから病に陥るわけじゃない。恵まれてないひとがなるわけでもない。誰もがほんのちょっとの、ボタンの掛け違えで、そこに陥る。 先生のお話を改めて通してうかがって、ああ、私が先生に辿り着いたのも、きっと引き寄せられたのだなあと、縁だなぁと思った。 ひとはひとによって生かされている。人間という言葉はヒトのアイダと書く。その意味を改めて噛みしめるひとときだった。
家人が落ち込んでいる。京都での個展、訪問者が少ないらしい。いい空間に仕上がったのになあ、と凹んでいる。 気持ちは、分かり過ぎるほど分かる。観てもらえてなんぼ、だ。観てもらえなければはじまるものもはじまらない。一生懸命展示した代物、一人でも多くのひとに観てもらいたい、誰だってそう思う。 本も売りたいだろう。出版記念展なのだからなおさら、その意気込みが強くあるのも十分分かる。 でも何だろうなあ、そもそも箱がまだ知られていない、認知されていない、そういう場所的なハンディがまず、あるんじゃなかろうか。あとこの季節的なものも。 そうなってきたらもう、凹んでも仕方ないと思うんだ。お客が少ないなら、その隙間隙間で自分時間を過ごしたらいいんじゃなかろうか。自分に浸れる時間なんて、実際、ほとんどないのが現実。なかなかないチャンス。そう考えを切り替えてみたらどうだろうか。 家人よ。同じ時間なら、凹んで過ごすより、楽しんで呼吸する方がきっと、いいと思う。 とりあえず。本が売れようと売れまいと、展示が自分の思う通りになろうとなるまいと、君に帰る場所はあるのだから。安心してそこでの時間を堪能してほしい。 |
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