ささやかな日々

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2022年07月24日(日) 
加害者プログラムの帰り道、性犯罪被害者はこんなふうに笑ったりしない、と某氏が言ってたことをふっと思い出す。何をもってして笑ったりしないと言ったのか私は詳しいことは知らない。でもこの言葉を聞いた当初、愕然としたことを覚えている。笑うのも怒るのも喜ぶのも悲しむのも、確かに麻痺して、感情という感情が麻痺して顔が強張り表情がのっぺらぼうだった時期は確かにある。でもそれは、そういう時期も確かにあったな、ということであって、それがすべて、ではない。某氏はそこを勘違いなさっているのだろうなと思うが、当事者からすればそれは酷く不愉快だったりする。
被害者はこうあって当然。加害者はこうあって当然。何を根拠に「こうあるべき」なんて言えるのだろう。つくづく不思議で仕方がない。
私がプログラムで出会う加害者たち。彼らは極悪人でも何でもない。何処にでもいそうなごくごくふつうのひと、である。もし今彼らが電車に乗ってあなたの隣に立ったとして、あなたは気づけるだろうか? 恐らく気づけないに違いない。
「被害者」は何処までも傷ついて痛々しくあれ。笑いもせず喜びもせず、ただ下を向いて唇を噛みじっとしていろ。
「加害者」は何処までも極悪人であれ。同情の隙もないような極悪人であれ。社会から弾かれるべき人間であれ。
極端な譬えかもしれないが、世間のそういった勝手な思い込みはいつ聴いても苦々しい。「被害者」/「加害者」へのラベリングは本当に酷いものがある。
こんなひどいラベリングをされたら、回復/更生もできない。

プログラムを終えてから、T君のお店に行ってみる。梅ソーダをいただきながら、T君と久しぶりにおしゃべり。何がキッカケだったのか覚えていないのだが、T君がこんなことを言う。「なんというか、何かしらの第一人者だったりすると、こうあるべき、そうあるべき、みたいな制約ってあるじゃないですか。世間からのこう、レッテルみたいな。そういうので具合悪くなったりしないんですか?」。
私がきょとんとしていると、続けて「ほら、よく眠れないみたいじゃないですか、そういうのも、他からの影響で具合悪くなってたりするのかなって思って」と。その言葉ではっと気づく。そうか、T君はそう思っていたのかと吃驚する。だから、こう伝える。
「眠れないのは、自分の被害によるPTSDの症状だから、他人からのどうこうが影響してるわけじゃないんだ。私はいまだ横になることが苦手なの。横になる行為そのものがいまだ苦手で、具合が酷く悪いときは椅子に座ってしか休むことができない。でもそれは、あくまで自分の症状であって、他人からのどうこうは全く関係ないんだよ」。
T君は一瞬ぽかんとして、直後、ああそうなのか、という顔をした。私がいまだそういう道途中にいることを彼は思っていなかったんだろう。言ってみれば、「回復したひと」と思っていたに違いない。「回復したひと」は睡眠をきちんととれて、横にもなれて、健康的によく笑うんだろう。でもその「回復したひと」というラベリング自体が、間違ってる。

世間が、隣人がどれだけのラベリングを私に対ししてくるのか知らないけれども。どれだけラベリングされようと自分の軸を見失わないようにしたい、と、強く思う。


浅岡忍 HOMEMAIL

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