2022年07月22日(金) |
1997年というと今から何年前になるんだろう。もう25年前? 机の中を整理していたらそんな昔に営んでいたサイトの原稿が出て来た。1997年から2000年まで、性犯罪被害によって被った心的外傷後ストレス障害について 私の場合、と記して、写真や散文詩のサイトの中にそういうスペースを作ったのだった。もともとサイトのタイトルは、自分の被害に関係するひとたちに向けて、覚えていますか、と呼びかける気持ちから付けたものだった。だからこそ、このスペースは私にとって当時なくてはならないものだった。 原稿の一部をぱらぱらと流し読みして、正直口があんぐりと開いた。よくもまぁこんな分量を当時書いていたな、と、呆れるというか感心するというか吃驚するというか。そんな気持ちになった。何か所かじっと読みながら、ああ私はこんなこともあんなことも今思い出せないのだな、と実感した。 あの時は。 必死だった。このまま黙っていたらまさに言葉通り「なかったこと」にされてしまいそうで。それだけは嫌だった。だから必死になって書いた。いや、タイプした。当時そばにいた友がHTMLのコードについて教えてくれたり、アップロードの仕方を教えてくれたり。手取り足取り教えてくれたおかげで、何とかサイトを構築することができたんだった。そもそもそのためのPCを、はとこの兄ぃが私に譲ってくれなければ、何もかもあり得ないことだった。 K兄ぃは引きこもってるなら何かやれ、とPCを持ってきてくれたんだった。そしてT君が使い方をあれこれ教えてくれた。ホームページ、なんてものがあるとその時初めて知ったし、インターネットってものもその時初めて知った。それまでワープロしか使ったことのなかった私には何もかもが初めてだった。 「なかったことにされてしまう」前にとにかく記そう。声を上げよう。必死だった。まさに「死に物狂い」だった。 もしこれがなければ。Sちゃんとも知り合わなかったのだなと思うと、不思議な気がする。インターネットの海の中、Sちゃんと私、ぷかぷか浮いていた。偶然出会った。同じ時期に似通った被害に遭い、PTSDと解離性障害を被り、あっぷあっぷしていた。それぞれにそれぞれの体験サイトを作って、浮かんでた。 今ふと思う。被害に遭わなければ私たちは出会っていなかったのか、と思うと、それこそ不思議な気がする。 芋づる式にあれやこれやが思い出され、でも多くのものが霞んで見える。鮮やかにというよりもむしろ強烈に思い出されるのは被害にまつわることばかりで。私の脳味噌は一体どうなっているんだろうとげんなりする。 それが、PTSD脳なんだろう。いや、そんな言葉が実際あるのかどうか知らないが。
ワンコと息子と三人での夕の散歩は、最近ほぼ毎回バッタ捕りの道程になっている。カナヘビとカマキリのご飯となるバッタたち。最初は「この世の理とはいえ容赦ないよなあ」なんて思いながら申し訳なさげにバッタを捕っていたけれど、もはや何の感情もなく、無心でわっしわっしと捕る今日この頃。そんな自分がちょっと怖かったりもするが、まぁ男の子の母親なんてそんなもんなんだろうと深く考えないようにしている。 腹ペコ青虫たちもせっせと葉っぱを喰らいせっせとうんちをしている。このメンツにさらにコクワガタが加わって、もう私には何がなんだか、というところ。息子よ、がんばってくれ。母はもう、バッタ捕り以外は手伝わないぞ。 |
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