ささやかな日々

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2022年08月05日(金) 
携帯を失くした。病院の帰り道、たぶん座席に置いたんだ、そのまま立ち上がってしまったんだと思う。降りて扉が閉まってすぐ気づいたから、駅員のところに走った。しばらく電話をかけていた駅員が一言「電話をかけても駅員が出ないということは忙しいということで、恐らく確認してもらえないので、あの電車は一時間後折り返してきますから、自分で確認してみてください」と。驚いた。こんな対応をされるとは思っていず、どうしたらいいのか途方に暮れた。最近の駅の対応はこういうものなのか。
結局、あっちこっち公衆電話から電話をかけまくって、届け出もして、その挙句見つからず。SIM再発行してもらう。携帯も新しく購入。我ながら凹んだ。

いつから私は家人と息子のキャンプに付き合うようになったのだろう。私はキャンプが好きじゃない。むしろ嫌いだ。そのことは何度も伝えたのだが。恐らく彼らは私の「嫌い」がどれほどのものだか全く理解してくれていない。前の晩から緊張で眠れなくてへとへとになるくらい嫌いなんだと今回伝えてみたが、ふーん、という薄い反応。そんなもんなんだろう、彼らにとって私の気持ちなんて、と、頬杖つきながら彼らの横顔をぼんやり眺めた。
ひとの気持ちなんて、想像しなくちゃ分からない。想像したって分からないこともたくさんある。そもそも自分の気持ちがちゃんと自分で分かっているかと言えばそれさえままならないこともあるくらいなのだ。他人の気持ちなんて本当に、心を尽くして想像しなければ分かったもんじゃない。
想像する。この能力を使わなくなったら、或いは、使えなくなったら、人間、或る意味で終わりだと思う。想像力。本当に大事だ。
自戒を込めて。

息子が育てていたカマキリが、三度目の脱皮で失敗してしまった。背骨のところが大きくくの字に曲がってしまい、立とうにも立てない状況。つまり、自分で捕食できなくなってしまった。このままだとすぐ死んでしまうだろう。
半泣きになっていた息子が、突如、バッタの足を引っこ抜いてカマキリの口に持っていった。「食べなよ、食べるんだよ、でないと死んじゃうよ!」。こうなった時の彼の集中力はすごい。微動だにせず、ひたすら掌の上のカマキリの口にバッタの足をくっつけている。私が洗い物を始める前からそれは始まり、洗い物が終わっても彼は動かない。
そんな彼に根負けしたのだろう。カマキリが一口食べたらしい。「母ちゃん!ほら見て!食べ始めた!!!」
そしてキャンプから帰宅した今日、カマキリはまだちゃんと生きていて、息子は捕って来た蝉を解体してカマキリの口に運んでいる。しっかり食べているそうで。私はさすがに半分こになった蝉の身体を見る気持ちにはなれず、台所からウンウンと頷くだけにした。
それにしても彼の執念というか何と言うか。気持ちってすごいなと思った。絶対次の脱皮まで生き延びられるようご飯を食べさせてやるんだと彼は勇んでいる。次脱皮したらもしかしたら身体が元に戻るかもしれない、と。本当にそんなことあるんだろうか? 私には全然分からない。

中村キース・へリング美術館の「混沌と希望」、それからえほんミュージアム清里の「しおたにまみこ絵本原画展」をキャンプの途中で観た。キース・へリングの方に息子は興味を持つかと思ったら、大して反応はなく。一方絵本美術館では興奮気味に「この絵いいね」とか「この絵具何に使ったのかな。この鉛筆すごいね」なんて次から次に言葉が出て来る。そして何よりも、自分が読んだことのある絵本の作家の展示のポスターを見つけては、「これも観たかったな!」と。
彼の興味の方向への私の認識が改められた一場面だった。

疲れているはずなのに、さっきまで眠気があったはずなのに、ちっとも横になれる気がしない。何となく気が立っている。たぶん、やらなくちゃと思うことが山積みだからだ。それと、今、あまり家人の横で眠りたくない気持ちもあって。仕方ないこればかりは。
何だろうなあ、彼に対しての気持ちがイガイガしている。そういう感じ。

夜はまだ始まったばかり。できること、やってしまおう。


浅岡忍 HOMEMAIL

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