ささやかな日々

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2022年08月07日(日) 
S君からの連絡を受け、考えた末、展示の際に冊子を販売することに決めた。決めたと同時に作業を始めたのだが、ああ作りたかったのだなと今更納得した。10年という月日は短いようで長く、長いようで短い。それでも、改めてその10年を綴じることで、それが長くもあり短くもあったいとおしい月日であったことを思い知る。
展示に向けてテキストを書いたり、展示の構成を考えたりする時間というのはとても幸せな時間だと思っている。いや、大変ではあるのだけれど、その大変さも含め、幸せな時間だな、と。そう思うのだ。
自分が積み重ねてきた時間にどっぷり浸かることができる時間。そこから新たに、今引き上げたいものたちを選び出す時間。それをどんな形で、どんな角度で提示するか。要するに、個展という一点に向かってまっしぐらに駆けることができる時間、なのだ。
ただし。今回は今が夏休みという点が普段と違っている。普段だったら四六時中展示のことばかり考えて、ああでもないこうでもないとできるのだけれど、今は夏休み。金魚の糞の如くに息子が私の周りでぎゃあぎゃあ騒いでいる。彼の相手をしないと「愛が足りない!」と文句を言われ続ける。とにもかくにもしょっちゅう「母ちゃーん!こっちきてー!」と呼びつけられる。そんな具合だから自分に集中することがほぼ不可能。ああ、私は展示のことを考えたいのだよ、少しは放っておいてよ、と絶叫したい気持ちに駆られる。もちろん絶叫もままならないというのが現実なのだけれど。

Nちゃんから唐突に連絡が。数年前会って、それからしばらくして彼女がネットから消えた。その事情を今知らされる。ああそれはいたしかたがない、というよりも、今大丈夫なのかが気になって気になって、心配になる。
何度もメッセージを読み返し、じんわり、ああ生きていてくれてありがとう、と思う。どういう理由があろうと、今そこにいること、いてくれることに感謝せずにはいられない気持ちになる。とにかく、よかった。
まだ私がシングルマザーだった頃、彼女は季節になると果物を送ってくれた。大きな大きな梨。娘がそれをいつも楽しみにしていた。「今年そういえばあの梨食べてない。あの梨のひと、元気?」と娘が尋ねてきたことも。そのくらい、日常に沁み込んでいた。
とにかくも、生きていてくれてありがとう。また連絡をくれてありがとう。

ばぁばの庭にはきっとカマキリが居るに違いない、ということで、息子とふたり自転車に乗って出かける。と書いたが、確かに自転車で出かけたのだが、今回はじめて、彼は自分の自転車を自分で漕いで出掛けた。
私ひとりならば、30分程度の距離なのだが、はじめて走る彼と、とにかく安全運転を心がけて走ったら、1時間以上かかってしまった。それでも、完走した彼の顔は実に晴れやかで。いい顔をしている。そうか、彼にはこういう成功体験をもっともっとさせてやらなくちゃいけないのだなと改めて思う。自分でやり遂げた、という感覚。実感。そういったものをもっともっと、もっともっと体験させてやらなくては。
だが、期待に反してばぁばの庭でカマキリをゲットすることは叶わず。ばぁば一言「午前中というか、朝早い時間なら見かけるけど、昼過ぎじゃぁね、虫さん出てこないわよ」。そうなのか? 知らなかった。不思議そうな顔をした私に父がにまっと笑って言う、「母さんは高校の頃生物部に入ってたことがあるくらい生物好きなんだよ」。知らなかった。驚いて振り返ると母は母で「だって楽しいじゃない、生き物。でもね、うさぎの解剖だけは参加しなかった。嫌でしょ、そんなの。私無理」そう言って笑う。私は、心の中で、高校生だっただろう母と生物部でじっと生き物を観察している母の横顔を想像する。さぞや美しい横顔だったに違いない。にしても生物部とは。
結局、今度日を改めて、カマキリ探しにくることに決める。息子は「今度ももちろん僕が自転車で走っていいんだよね?」「いいよー、もちろん!」。そんなやりとりさえ、今日は心地よい。


浅岡忍 HOMEMAIL

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