ささやかな日々

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2022年08月12日(金) 
通院日。今日は診察のみ。出掛ける30分前に雨がぶわっと降り出して慌てる。家人が「やむよ、きっと」と言うのでじりじりしながら窓の外を気にしていると、本当に止んだ。最近の天気は私が知っていた日本の天気とはかなりかけ離れてきている気がする。雨の質も暑さの質も、何もかも。
診察後、薬を受け取っていると息子から電話。「まだ?もう家出ていいの?」。今日は息子とかき氷屋さんに行く約束をしている。催促の電話だ。「今お薬受け取ってるから、もうちょっと待ってて。あとで電話するから」。伝えて電話を切る。
「ふらつきとかありませんか?めまいや息切れといったものは?」と薬剤師が訊いてくるのでまじまじとその顔を覗き込んでしまう。ああなるほど、はじめての人だからだと納得し、首を振る。申し訳ないが、私はもう何年も何年もこの処方箋を飲み続けているのだ、今更ふらつきなんてあってたまるか、心の中ひねくれて、そう呟いてしまう。もちろん声にはしないけれども。

電車に乗り、目的の駅への到着時刻を確かめてから息子にショートメールを送る。送りながら、待ち合わせができるようになるってすごい成長だよな、と思う。家から最寄りの駅まで自分で自転車で来てもらえる、たったそれだけのことかもしれないが、それによって、今までかかっていた手間暇が半減するんだもの、本当に助かる。
待ち合わせ場所に行くとすでに彼は来ており。ちょっと距離のあるところから彼の表情を窺っていると、ちょっとぶーたれた顔をしているのに気づく。待ちきれない様子だ。そりゃそうだ、かき氷屋さんに行きたいと言い出したのは彼だ。どうしてもこれを食べたいんだと。
ふだん私はこんな値の張るものを食べる習慣はなく。いつもだったら即座にお断りするのだが、彼が半額自分のお小遣いで出すからと言ってきかないので、そこまで言うのならと今日一緒に行く約束をした。夏休みの小さな思い出にもなるかしらと思うところもあった。そういえば今年かき氷をちゃんと食べていないな、と。
小さな店の前にはすでに列ができており。私達は急いで列の最後尾に並ぶ。日傘を持ってくるべきだった、と後悔するも遅し。陽射しは容赦なくこちらを突き刺してくる。持っていたハンドタオルを翳して視界だけでも少し陰らせる。
メニューを改めて見た息子が、生苺ミルクにする!と。もう目がきらっきらに輝いている。不思議だ。私にはこういう欲がない。これこれを絶対食べたいとか飲みたいという理由で行列に並ぶなんて、これまでしたことがない。今日だって、もし私ひとりなら、行列を見た時点でくるり向きを変え帰宅する。息子のお願いだから仕方なく今こうして列に並んでいるだけ。それにしても暑い。
結局30分近く待って、ようやく店内へ。ラッキーなことに、かき氷を作っているその目の前の席に案内される。息子はもう興味津々で、目の前でかき氷を作り始めたお姉さん店員の手元を凝視。それに気づいた店員さんがにこにこ笑って、声をかけてきてくれる。削り終えて薄くなった氷の塊を皿に載せて差し出して「触ってもいいよ、これあげるね」と。触ってみて気づく。実にきめの細かい柔らかい氷。氷に柔らかいとかきめが細かいってあるんだな、と、その時実感する。息子と顔を見合わせて「すごいね、おいしそうだね」と言い合う。
そうしているうちに息子のところに苺のかき氷が、私のところに抹茶小豆のかき氷が運ばれてくる。息子が一口食べたところで、「うわあ」と。「母ちゃん、すげー美味しいよ、食べて食べて!」。その言いっぷりに吹き出してしまいそうになる。
でも、食べて分かる。ああ、息子はこの滑らかで軽やかな氷に感激したのだな、と。練乳を追加でかけても良い仕組みになっていて、息子はこれでもかというほどたっぷり追加で練乳をかけている。私は追加は一切せず、そのまま戴く。
食べるのにいつも時間がかかる息子なのに、早食いの私とほぼ同じ速度で食べきってしまった。山盛りだったかき氷、あっという間になくなった。でも、ふたりとも満足で、顔を見合わせてにんまりする。
「ごちそうさまでしたぁ!」息子がお姉さん店員ににっと笑って言うと、「また来てね」と言われ、嬉しそうに息子が顔を綻ばせる。「お小遣い貯めて来るね」と言い店を出る。出た途端、息子が言う、「母ちゃん、絶対また来よう!」。
まさか自分が、息子とかき氷屋などに出掛け、さらにはまた来ようねと約束を交わすなど、昨日までの私には考えられないことだった。こんなことが自分の人生にあり得るのだなと思うと、心底不思議な気がする。

おいしいって忘れちゃったよ。そうタイトルを付したテキストを、昔書いたことがあった。PTSDになり味覚嗅覚が失われた頃のことだ。何年も何年も、私は匂いも味もないところで生きて来た。そのおかげというべきなのか、食に対しての欲が本当に薄い。おいしいものを食べに行こう、という気がまったくもってない。おいしい、という感覚がいまだに薄いからだ。
でも。
「僕全部制覇したい!お小遣い貯めるからまた来ようね、絶対だよ!」、繰り返しそう言っては「美味しかったなあ、もう最高!」とうっとりした顔をしている息子を見ると、おいしいってこういうことを言うのだな、とじんわり沁みて来る。
信号待ちしていると、息子がさらにこんなことを言う。「僕、アルバイトできるようになったら、かき氷屋さんでやるんだ。おいしいかき氷いっぱい作ってさ、零れた奴はつまみ食いしちゃったりしてさ、いいなー!絶対やる!」。
自分の人生に、こんな楽しみがいまさら加わることがあるなんて、思ってもみないことだった。「母ちゃん、次何味食べたい? 僕ね、今度は苺にホイップクリーム絶対乗っけるんだ!」。
息子のわくわくどきどきは、止まらない。


浅岡忍 HOMEMAIL

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