生きる場を作ることだったんだ 自分のめざしているもの、考えているものって 外では暴走族がうるさい ノーライフキングもリアルに生きるとはそういうことだったんだ ゲームの中にもテレビの中にも プロ野球やJリーグにも実は生きる場なんて そうそうはないんだ 生きる場を用意してやること
自分が詩を月に1回読みに行っていることも 自分の生きる場を作り 誰かの生きる場を作っていることに他ならない 例えお客さんが一人になっても 生きる場であることに変わりはない そうして、数多くの生きる場を作ってやらないと やがて大人になる子どもたちは きっと息が詰まって死んでしまうに違いない 大人すら息が詰まりそうになることがあるんだもの
運動会でも勉強でも 生きる場がなくちゃつまらない そんな目で今まで見てこなかったことが不思議だ 確かに誰かが目立つ場になれば誰かは目立たないところに押しやられるけれども つらい思いをする子はいるかもしれないけれど でも、みんなの生きる場を奪うよりはまし
千と千尋の神隠しはやはりそういうことだったんだ もののけ姫の「生きろ」も 現実の場に生きる場所がなくては仕方がない それを大人が作って用意しておいてやらなくちゃ 誰がそんなことを気にとめてしておいてくれただろう 息が詰まりそうだといってそんな世の中にしてきたのは 自分自身じゃないのか?
永井均に教えられたように 哲学して悩む場があるだけでいいんだ 叫ぶ詩人の会に教えられたように うだうだと自分の思いや願いを 誰かに向かってぶつけるだけでもいいんだ 決して異端なんかじゃない 異端を異端として葬り去ろうとする世の中の方がおかしいんだ オタクに逃げるんじゃない 生かされる場、生きる場として必要なんだ 駅前でギターをジャカジャカ鳴らしている少年達よ それはもしかしたら君たちの生かされている場じゃないかもしれないぞ
自由だ、個性だを言ってる場合じゃない 自由と個性でカタをつけようとするんじゃない そんなもの探していたらいつの間にやら人生の終わりを迎えているよ つまんない世の中でもいいんだ 自分の生きる場があればそれで 悩むより 自分が生かされる場を探そう (なんだかおかしい気もするけど今はこれで)
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