2008年05月03日(土) |
評価の基準…日記のはなしver.2 |
そんなこんなで「あのね帳」の苦手な日々。 けれどあるとき、ひょんなことで教師に褒められ、 「あのね帳」が好きになった。
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それは、小学校ではよくある作文の時間。 遠足後期を書かされたときのこと。 なにを書いていいか、やはりわからない私は その日にあったことを事細かに再構成し始めた。 誰がなんと言って、それになんと答えて、 どこへ進んで、どこに着いて、誰がなんと言って… と、本当に事細かに。
もちろんそんなことをしていると バカほど時間がかかる。
けれど、書いていくうちに書いていることに酔ってしまって、 私はこんなに長く作文が書けるのよ、みたいな そんな気分になってしまって しかも書き終わらなければ今までの努力が無駄になることも自明で、 だから私は休み時間をつぶして数日かけて、 書き上げた。
それを教師は気に入ったらしく私を褒めた。 私はそれがなかなかに鼻が高く、 その後のあのね帳は「長々と再構成」タイプに移行した。
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その教師は文章に強いひとではなく、 感情まかせの不機嫌屋で、 今思えば、私のそのただずらずらと長い作文やあのね帳を褒めたのは とてもナンセンスなことだったなと思う。
努力は確かに認められるべきものだったかもしれない。 (教育とはそういうものだと思う) けれど、あの文章を認めているのではないと言うべきだった。 (教育とはそういうものだ)
あのね帳を書くことが好きになって、苦痛でなくなったことは とても良かったけれど。
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