私は、この窓から見える風景で生きていこう。
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私は普段ほとんどケータイメールをしなくて、 数ヶ月に一度、思い出したように友人たちにメールをする。
元気ですか?最近は何をしているの? 仕事はどう?
近況報告みたいな。 だいたい、友人に連絡を取ろうと思う時は2パターンあって、 ひとつは自分が何かいいこと、嬉しいことがあって伝えたく思う時。 もうひとつは、自分にあまりいいことがなくて、へこんでいて、 誰か無関係な人に聞いて欲しい時。
そんなこんなで、半年に一度くらいのペースで連絡する友人Yは、 たいていちょっと私が悩んでいる時にメールをしているらしく、 返って来るメールがひどく哲学的だ。
「結局、答えは自分の中にあるよ」 みたいな……きっと、Y本人には思うところがきちんとあるのだけれど、 それは私、那音には適応できないことなんだろうと思う。
ほんのちょっとの愚痴にもそんな返事が帰ってきて、いっそ新鮮なくらいだ。 「あれ?私、悩んでるってメールしたんだっけ?」と自分でも驚く。
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この年齢になると明らかに前進しているひとと、 停滞しているひとに差があって、 もうそれはほんとうに驚くほど。
私はもうすっかり停滞していて、たまにそれが嫌になる。 前進しているひとはなんだか痛々しく、眩しい。
私はわたしの窓から見える風景を楽しく、生きていこう。 それが狭くても、小さくても、それに満足する自分でいいんじゃないか。 大きく、広いことがよいことなのか。 どうしてより高みを求めなければならないのか? より高みを求めることが、本当に人間のあるべき姿か?
……などなど思いつつ、今の私は焦らず停滞に甘んじようと思うのだ。
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