*黎明ノォト*

2009年09月21日(月) 無題**

私は、この窓から見える風景で生きていこう。

++ ++ ++

私は普段ほとんどケータイメールをしなくて、
数ヶ月に一度、思い出したように友人たちにメールをする。

元気ですか?最近は何をしているの?
仕事はどう?

近況報告みたいな。
だいたい、友人に連絡を取ろうと思う時は2パターンあって、
ひとつは自分が何かいいこと、嬉しいことがあって伝えたく思う時。
もうひとつは、自分にあまりいいことがなくて、へこんでいて、
誰か無関係な人に聞いて欲しい時。

そんなこんなで、半年に一度くらいのペースで連絡する友人Yは、
たいていちょっと私が悩んでいる時にメールをしているらしく、
返って来るメールがひどく哲学的だ。

「結局、答えは自分の中にあるよ」
みたいな……きっと、Y本人には思うところがきちんとあるのだけれど、
それは私、那音には適応できないことなんだろうと思う。

ほんのちょっとの愚痴にもそんな返事が帰ってきて、いっそ新鮮なくらいだ。
「あれ?私、悩んでるってメールしたんだっけ?」と自分でも驚く。

***

この年齢になると明らかに前進しているひとと、
停滞しているひとに差があって、
もうそれはほんとうに驚くほど。

私はもうすっかり停滞していて、たまにそれが嫌になる。
前進しているひとはなんだか痛々しく、眩しい。

私はわたしの窓から見える風景を楽しく、生きていこう。
それが狭くても、小さくても、それに満足する自分でいいんじゃないか。
大きく、広いことがよいことなのか。
どうしてより高みを求めなければならないのか?
より高みを求めることが、本当に人間のあるべき姿か?

……などなど思いつつ、今の私は焦らず停滞に甘んじようと思うのだ。


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那音 [MAIL]

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