なべて世はこともなし
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|アイルランド真実紀行へ
2001年07月14日(土) |
おいらの留学体験記(その3) |
本日は2001年7月14日(土曜日)です。…たぶん。何だか自信がなくなってしまう。
なんなんだよこの寒さは!
何せ夕べの最低気温は7℃!!今日も最高気温はおそらく12℃といったところではないだろうか。念のために申し上げますが、アイルランドは北半球にあります。つまり、7月は夏真っ盛りでしかるべき時期です。な・の・に、この寒さ!究極に情けない話ですが、夕べは電気毛布のお世話になりました。今月末からのホリデーはどこか暖かいビーチにでも行きたいと思っています。
ところが、人は自分にないものを求めるようです。真夏の太陽がさんさんと輝くイタリア・スペインからは多数の観光客がアイルランドに大挙して避暑に来てます。その多くはイタリア・スペインの10代のお子様で建前上は「語学研修」。でも、その実態は10人以上の仲良しグループの修学旅行の自由時間と同じ。街を歩けば聞こえてくるのはイタリア語とスペイン語ばかり(あいつら声でかいからね)。
…とまあ、今ではとってもうざいだけになってしまったイタリア・スペインのお子様方。(注意:おいらはあのラテン系の明るさのノリは大好き。ただ単に、あのお子様がグループになってるのがうざいだけ)だけど、おいらには忘れられない思い出があるのです。
この話はこの前から書いている「おいらの留学体験記」の続きにもなります。
★ ★ ★
何だかんだでダブリン空港に着いたおいら。幸い、ホストファーザーが息子を連れて迎えに来てくれた。向こうはおいらの名前を書いた札を持ってくれていた訳じゃない。1996年当時はまだアジア人が珍しかったから、おいらを見たとたんに向こうは「あれがあいつだ」と思ったらしい。
そこからClontarfのホストファミリーの家まで車で約15分。とにかくオレンジ色の街灯のことを強く覚えている。で、ついてみると、ホストマザーがキスで迎えてくれる。これには驚いた。何せ始めた会った人にキスをするなんておいらの体験上なかったもんね。
その家は両親と9歳の息子と5歳の娘の4人暮らし。家はとてもきれいに片づけられており、幸せそうな暮らし向きだった。
まず問題になったのは、英語。わからない。いや、それは適当な表現じゃない。ある程度分かるのだが、話せないのだ。一生懸命日本のこととかを話そうとするが、自分が話したいことの10パーセントも伝えられない。
で、翌日、別の部屋にイタリアはミラノから学生がやってきた。イタリア南部の血が流れていると思われる、肌の色は濃く、真っ黒な髪をした16歳の女の子。背はあまり高くない。2週間の予定で英語を勉強しに来たんだそうな。彼女の名前は、本当に偶然なのだが、今のおいらのガールフレンドと同じ名前。
で、日曜日、考えてみたら信じられないくらい親切なホストファーザーが、車でおいらが乗るべきバス停、そして、降りるべき場所、さらには徒歩での学校の道順まで教えてくれた。彼女と一緒にダブリンの始めて見る町並みに目は釘付けになった。
で、翌月曜日。緊張の初登校日。バスに乗るのにはコインがいる。で、ホストファーザーが「アイリッシュのコインは持っているか?」と聞いてくる。おいらが鼻を膨らませてホストファーザーに見せたのは…イギリスのコイン。「それじゃあ、バスには乗れないよ」と彼は2ポンド貸してくれた。ご親切にも「運転手に、シティセンタープリーズと言うんだよ」とまでアドバイスされる。
そして彼女と一緒に8時前に家を出る。学校は9時開始。当時は交通渋滞もそんなに激しくなかったので、考えてみれば早く出過ぎた。で、彼女、乗るべきバス停を通り過ぎてしまう。おいら、「ここからバスに乗るんじゃないの」と言うが、なんだか要領を得ない。情けない話だが、独りで学校に行くよりは彼女のケツについて行った方がいいと思ったおいら、彼女の後ろ姿を追う。
で、彼女、通りを渡ってこともあろうに反対方向のバス停に。「???」と思っているうちにバスは来てしまった。彼女はすでにプリペイドカードを持っているらしくさっさと乗り込んでしまう。残されたおいらは、考えてみたらアホなくらい緊張しながら、
おいら:「シティセンタープリーズ」 運転手:「このバスはシティセンターには行かないよ。反対方向のバスに乗らないと」
…てなことを言ったんだと思う。なにせおいらは彼が何を言っているか全然わからない。仕方なく彼女に助けを求めようとするが、彼女はすでにバスの後ろの方に座ってしまっている。おいらがどうすることもできず立ちすくんでいると、運転手はつきあいきれんとばかりにバスを出してしまう。
シティセンター行きのバスとは反対方向のバスに乗った当然の帰結として、バスはシティセンターからだんだん離れていく。で、あとから分かったことだが、おいらが乗ったバスは29Aというバス。St Annes Estateの中を右に曲がり左に曲がり、おいらはほとんど投げやり状態。
で、バスはRaheny駅に着。彼女が降りたのでおいらも降りる。そう、おいらのダブリンバスデビューは、お見事なただ乗りだったのです。で、そこにはイタリア人のお子様グループ10人ばかしがいた。そう、彼らはRaheny駅で待ち合わせをして、一緒に学校に行こうとしてたわけ。
それにしてもばかな話。おいらたちのホストファミリーの家はシティセンターから5キロほどのところ。そこからわざわざ5キロほどさらにシティセンターから離れた駅からわざわざ電車に乗るのだ。あとから考えればばかばかしさここに極まれり…と言う話だが、何も知らないおいらはどうすることもできなかった。
で、DARTの改札で「シティセンタープリーズ」と言い、チケットをゲット。結局学校には定時に着きました。
はい、その後の話があるんですが、今日はこの辺で。
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