2004年03月09日(火) |
@QRIOまたもや「仕込み芸」 |
QRIOがオーケストラの指揮をやっていた
またもや「仕込み芸」である。 曲はベートーベンの運命。 演奏者はほぼ無視して演奏していた。というより、指揮者にあわせるのに苦労するが、あわせていると音楽が壊れるので適当に・・・という感じか? 特に芸術性を感じるモーションでもないようだった。
遊園地の動くお人形でもできる事をなぜQRIOがする必要がある? 「ワカリヤスイ」からか? もし、本気でそう思ってこういうパフォーマンスをやっているのなら ずいぶんニンゲンをなめていると思う。 「ばかにされた」と思う。 どんな素人にも子供にも、自律ではなく「仕込み」と「リモコン」であることは「お見通し」である。珍しさから歓声が上がることはあるだろう。その歓声を「評判は上々」といい気になっているのなら、ずいぶんと低い目標設定しかできていないということだろう。 オーケストラを指揮するということは「そんな程度のことなんだ」という間違った認識を、子供たちに植え付けるのが、QRIOに科せられた重荷なのか?
朗読を馬鹿にし、声優を馬鹿にし、指揮者を馬鹿にし・・・・ そしていちばん馬鹿にされてかわいそうな目にあっているのは ・ ・ ・ ・ かわいそうなQRIO なのである。 お願いだから程度の低いデモンストレーションにQRIOを使うのはやめてください。 QRIOを発想の貧困なニンゲンの犠牲にするのはやめてください。
せめて指揮をしながら 「そ〜この君〜 え〜んそうしながら ロボコンマガジン読むの や〜めなさ〜い!」(某求人誌CFの物まねで) と叫べばよかったのに ぁぁQRIO!
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ぃゃぃゃ技術はすごいのである。 水平なんか出てないであろう指揮台の上で、上半身を自在に動かしてもコケたりせず、安定しているし、何よりもモーションを「仕込む」ためのソフトはよくできているに違いない。 しかし、そこで追求されているのはあくまで「仕込み」の生産性であって、それは作る側の論理であろう。 見るもの(お客様)に感動を与えようとか、そういう発想は欠落しているようだ。 個人製作のヒューマノイドなら、その程度で「ビックリ」させればニュースにもなろう。 だけどQRIOだよ?Sonyだよ? お客さんをナメルナと言いたくなるよ、まったく。 SDRの型番が泣くよ。QRIOの名前がもったいないよ・・・
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