Blueの日記

2006年01月08日(日) 湯葉の味


何気にまわしたチャンネルで
京都の食だと歴史とか、色々やっていて
見ている人が行ってみたくなるような
そんな映像が流れている
よくある旅番組だ

ただ京都だったから何となく
見入ってしまったのかもしれないが、
実際産まれた時からお年頃まで暮らした京都とは
別物のようで、いや、きっと今もそこに
身を置く人にとっては特別ではない風景
ばかりだとも思うし
暮らしてた頃の自分もそうだったし。

そして京都を離れてから住んでいた以上の
年月が流れている自分も
仕事や遊びで京都に足をおろしたとたん
懐かしいのではなく
全く知らない土地に舞い降りたような
少し不安でわくわくする感覚も味わってきた

その中である映像をきっかけに
涙がぼたぼた落ちて来た

特別悲しいやら感動やた全く関係なしなのに
祖母を思い出してしまった
祖母が大好きだったのかはわからない
が、織物をしている姿は飽きることなく
その傍らですっと見ていた
気の遠くなるような長さの織物を
一定のリズムで薄暗い光のなかで
カラカラ、ザッザッ、シャッ
繰り返しほぼ均一にその音が延々続く
まるで機械がくりだすように時間差なく

けれど絵模様に入るとその均一さが一気になくなる
1ミリ2ミリの幅で違う色の糸を
爪でキュッキュッと寄せて行く
祖母は何も話さない
子供の私も何も話さない
子供ながらに声を発してはいけない気がしていた

代々父の家系には墓に刻まれる男性の名は無かった
唯一祖母の弟で戦死したという方の名だけはあった

おじいちゃんもひいおじいちゃんもそのまたおじいちゃんの
話しを聞かされることはなかった
父も自分の父親の顔を知らないらしい
理由はわからないがとにかく女がきつかったからだと
根拠もないことを私の母は言っていた
私は母にあまりなつかなかった。
祖母の側にいく私を快く思っていなっかたのも
子供ながらに感じていた。

祖母の織物をしている寡黙な横顔が
その横顔が目に焼き付いて忘れることは無い

もうあの頃の子供ではない私は
自分の都合のいいように祖母の生きざまを解釈するけど
でもあの強さは半端では無かったのは本当で
そうでありたいと
あたしもそうでありたいと
ぐしゃぐしゃの顔でテレビに映る老婆を見ていた


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