Kamenashi Kazuya + α...


2001年11月01日(木)
 *この話題は、どうも熱くなる(^-^;)

ファンの声にいつも敏感に反応してくれていたNAO。
なのに何をしても、どうやっても、NAOにとってファンの声は厳しいものだった。
例えば、手を振り返してくれた時、誰かが「はしゃぎすぎ」だと言う。
その反対だと「生意気になった」と言う。
ファンなんて関係ない。
勝手に言っていればいい。
そう言う人だっていっぱい居ると思う。
それなのにNAOは「じゃあ、どうすればいいのか」って考えてくれる。
でも、そう、NAOが言うように、演じる役柄によってファンの脳裏に浮かぶイメージは人それぞれで、どっちに転んでも同じこと。なのかもしれない。
違うとわかっていても、「もしかしたら」とか「こうなんじゃないか」とかいうファンの心理もよくわかる。
だって、私もファンの1人だから。
だけど、それをNAOにぶつける人の気持ちなんてわかりたくもない。
そこには「応援する」とか「見守る」とかいう気持ちが微塵も感じられないから。
そりゃ、何か出来事があったら揺れる気持ちは一日の生活の中のほとんどを占めてしまうほど頭の中を支配してしまうけど、それをファンとしてどういう方向にもっていくかが大事。
「見守る」というと、そんな立場じゃないって言われるかもしれないけど、要は気持ちの問題。
見守っているのよって威張る必要はない。
そんなこと、偉くもなんともないから。
応援しているのは自分の気持ちがNAOに惹かれているからであって、「してあげている」わけじゃないもの。
行き過ぎたファンも中には居るという話。
プライベートに全く興味がなかったら、NAOという人にも興味がないとは思うんだ。
やっぱり、好きになったり憧れの人のことは少しでも多く知りたいと思うのが本音でしょ。
知らないことを知りたいと思うのは人間の心理でもあると思うし。
だけど、知られたくないことや知る必要のない範囲まで踏み込もうとするのは反則だと思う。
犯罪の域まで達してる人もいるとかいないとか・・・・

思ったんだ。私。
NAOを言葉で縛ってほしくないって。
演じているときのNAOは、藤木直人じゃなく、演じているその人だってこと。
イメージや先入観は人それぞれの感性や感覚だけど、それを相手に押し付けるのは間違ってる。
最初の印象は誰しも持ってしまうけど、それを変えていける柔軟性って大切だと思う。
「こう思ってたけど、そういう面もあるんだ」って、”像”を変えていける柔軟性。
人付き合いと同じ。
誰だって、意外性があると思うし、自分でも気付かない面って持ってる。
1コの感覚で、その人像を確定してしまっては、新しい発見を見逃してしまうよ。



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□ 一言どーぞ □


*繭玉日記〜Real Face〜 / 繭玉

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