2001年11月14日(水) *<R&R>
病院に居ながら、NAOのことば〜っかり考えていた私は短い入院とはいえ、友達にパチパチをお願いしたり、会報まで持ち込んで浸りっぱなしでした。 ということで、久し振りに日記かきま〜す。
え〜っと、雑誌名をタイトルにすると感想文みたいなんですが・・・・ 読んでいて思ったことなんかを。
「ライブをやらなきゃいけない状況に追い込まれてる」ってNAOが言うと、どういう訳か嫌そうじゃない。(嫌じゃないっていう意味) 普通に聞くと”追い込まれて嫌々やってるの?”なんて変に深読みしちゃったりしません? だけど、NAOが言えば、”そういう状況でライブをやってるんだな”ってその状況を素直に受け止められるんですよ。 たぶん”そういう状況”っていうだけのことなんでしょうね。 深読みする必要がない。 しかも、後に続く言葉が「ありがたい」ですもん。 言葉のまま捉えておけばいいんだなって思いますよね。 NAOの、そういう言葉の使い方というか、表現って何だかクセになる。 考え方にもとても惹かれていて、私は普段の生活の中でも、何かについてアレコレ考え出すと決まって”NAOならどう考えるだろう”って更に考えてしまう。 私が正しいと思うことでも、NAOは違う答えを出すかなって思ったり。 それで自分の意見を翻すということではなくて、NAOの視点から考えようとすることで自分の中の違う目で物事を見れたりするんだ。 視点を変えるきっかけと言ったら語弊があるかもしれないし、NAOの意見が聞けるわけでもないんだけど、新しい目をもったような感じっていうのかな。 NAOが、あらゆるものに取り組む姿勢やあらゆる言葉が大好きだし、とても前向きになれる。 ただ『やってる』わけじゃなく『やらされてる』わけでもなく『仕方なく』でもない。 そうやって何かを得たい気持ちや、考えながらするんでいくことで、「長所を伸ばすんじゃなく、短所をなくす」そして自信にかえて、より多くのことを吸収していくんだなって。 逆にね、「短所をなくして」いくことが「長所」だったりして、短所がなくなればまた長所が伸びていくとも思うし。 短かった部分が長かった部分を追い越したりね。 ”3歩進んで2歩下がるんじゃなく、立ち止まる”(これはパチパチだ(--;)) 自分を見失いそうになったり自分の置かれている位置がわからなくなりそうな時は、後ろを振り返るんじゃなくて、立ち止まること。 そうして、追いつかなかったことを、その場で手繰り寄せてまた進んでいく。 言葉にすると抽象的かもしれないけど、自分の気持ちと向き合えば手応えはきっとあると思う。 けっこう突っ走るタイプなので・・・・私。
「前々回のツアーでドラムをやった時、音が抜けていなくて」それが教訓として残っていた気持ちが前回ツアーでピアノの【一鍵盤入魂!】っていうのも凄い。 プロだな〜って思いました。(ってあたりまえっすね。失礼...) 上手に弾こうと思うよりも、どういう気持ちで聴かせてくれたかってことの方が重要だと思いませんか? 「どう楽しんでもらおうか?」の気持ち、嬉いよね。 逆にNAO自らがはしゃいじゃえるような、FCイベントのライブみたいなコピーライブをやる機会もあったらまたやってもらいたいなって思います。
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