a fish called datsu -だつという名の魚-
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2000年10月04日(水) 音楽と痛恨

 衛星で放送されたグラストンベリー・フェスを録画し損ねてしまった。明日も放送されるけど、何だか、とても残念。今日の放送にBBRが出てたら、どうしよう。でも、赤坂泰彦とかが司会やってるから、日本盤を出してない彼らが出て無い可能性は高いが。
 いま、こちらのリンクからプラシーボのニューアルバムを聴きながら書いている。なかなかいい(特にM2)ので発売日が楽しみだ。ああ、グラストンベリー、プラシーボも出てるかもな。いらん事を思い出してしまった。
 というのも、今日はヴァイオリンの稽古に出かけていて、その時間は戻りようがなかったからだ。ヴァイオリンの先生の家はうちから車で1時間はかかるところにある。その車の中で、私はあるテープを聴いた。そのテープには80年代の、秋らしい曲を中心に編んであった。それは昔、ある知人に貰ったテープだった。
 彼とはあるパソ通で出会った。音楽のセンスが合ったので、メールを交換した。彼と奥さんが北海道に来た時や私が上京した時など、何度か逢ったこともあったが、ある行き違いから付き合いが絶えてしまった。 
 ある日、私は彼に子どもを何故作らないのかとしつこく質問した。彼は一応答えてくれたが、それ以来付き合いがよそよそしい物になり、いつの間にか連絡が絶えてしまった。私はその時のことを強く後悔した。それこそ鬱病になるほど。
 出産政策や生命倫理などに対する本を読み出したのは、だいたい同じ頃だと思う。質問への後悔だけではなく、少子化が強く叫ばれていた事への疑問もあった。ただ、そういった本の最大の収穫は、自分で考えろと言うことだった。
 矛盾しているかも知れないが、私は自分の持つ偏見を強く反省したのだ。また、その偏見の裏には自分自身の嫉妬があった。それで本当に結婚してると言えるのと訊いたのは、まだ自分にも望みがあるのではないかとどこかで思っていたからだった。でも、もうそんなことを訊いた時点で、望みなんてなかった。今は親切な友人を無くしたんだなあと思うだけだ。
 もう一生、彼には逢わないだろう。それでもなお、連絡を取りたいと言う気持ちは心のどこかにある。でも、そこで連絡を取ってしまったら、きっと後悔してしまうのだろう。自分は傷つきたくないのだと思う。今でも思い出すのはおうちにお邪魔したときの何となく白い印象だ。彼は今もそこで猫と奥さんと暮らしているのだろう。

後日談(2001/5/17記)
 何か、今読み返すと照れくさい物があるのだ。


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