Shigehisa Hashimoto の偏見日記
塵も積もれば・・・かな?それまでこれから


2003年03月15日(土) 誰がなんと言おうとテレビの話をしよう

シャーロック・ホームズの冒険 「ボール箱」

★絶えることのない「苦難と暴力と恐怖」の循環

いよいよ「シャーロック・ホームズの冒険」も佳境に差し掛かってきた。NHKのガイドが示すところ、残る作品は本作を除いてあと2話である(実際、放送は一昨日をもって終了した)。今冬のテレビ番組の中では個人的に最も楽しむことの出来た作品であっため、来るべき別れを迎えるのは非常に寂しい。実は今回、描写にグロテスクな部分があり、その類が苦手な私としては御免被りたいところであったが、この残り僅かな屈指の出来の海外ドラマをみすみす見逃すのはあまりにももったいないと考え、精一杯の努力の末何とか視聴に成功した。

さて、今回も「這う人」や「赤い輪」と同様シリーズ開始当初の厳然とした正統派推理ドラマとしての枠組みから大きく離れた話となっている。さらに、ストーリーを支える骨子が「情念のおぞましさ」であることから、本作は日本の2時間サスペンスに向田邦子のドロドロとした人間ドラマを足して2で割ったような印象を受ける。例えば今回のゲストのジムを小林薫に、セイラを田中裕子に、そしてスーザンを加藤治子あたりに配役を置き換えて日本製ドラマとして観ても何の違和感もない。愛を巡る憎しみの連鎖には、洋の東西を問わない証しがここにある。

それにしても、なんと救いようのない話だろう。一人の女の所為で善良なる三人の人生は破滅へと追いやられ、その親類もまた悲劇的な状況に陥ったというのに、当該の女には何の制裁もないとは。天才・ホームズとて、これを糾弾することは出来ない。悲しいかな法律に定められていないのだ。イギリスでは本話が最終回として放送されたと伝え聞くが、シャーロック・ホームズを巡る物語の全体を見渡しながら考えてみると、これは相当意味深長である。天下きっての名探偵ですら解くことの出来ないもの―それは醜い業によってほころんだ人間の情愛であったのだ。

だからこそ、ラストシーンの「この意味は何なのだ・・・」で始まるホームズの哲学めいたセリフに我々は耳を傾けずにいられない。この語りかけによってのみ、視聴者は今回の報われない話に僅かな安らぎを見出すことが出来るのだ。


めちゃイケ

★期待とは裏腹に・・・

数取団+武田恋愛企画。
当初は武田の方には興味がなく、爆笑問題がゲストで出るという数取団にただただ期待をかけていたのだが、結果は全くの裏返しになってしまった。

私は常々、爆笑問題とナイナイは本質的にあわないと考えていた。「とんねるず」的な笑いを志向するナイナイは、落語の変化球のような存在である爆笑問題とは上手く噛み合えない。これは昨秋、両組がトーク番組の特番を組んだときに切実に感じたことだ。ただ、今回は数取団という「ゲーム」を媒介にした企画だから、芸質のあう・あわないは関係ないのでは・・・と浅はかながら思っていた。だが、やはりダメだった。規律をある程度守らないと面白さが生まれない数取団においては、太田のワンマンぶりはやや空しい。我を出し過ぎて、番組としてのバランスが崩れてしまったのだ(もちろん、爆笑問題が悪いのではない。安易に出演要請するのがいけないのだ)。結局、爆発的な笑いを出すことができぬまま、ただの「ゲスト」としての位置付けによって終わってしまった。決して面白くなかったわけではないのだが、ビッグネームが揃うことによって生まれる、言いようもない緊張感とはじけた笑い(例えば、タモリ・たけし・さんまがゴルフをする番組ではこういう現象が起こる)は得ることができなかった。残念としか言いようがない。

その代わりといってはなんだが、武田真治と杉田かおるのうそデート企画はまあまあ面白かった。あそこまで開き直れる杉田はある意味あっぱれと言えるだろう(とは言え、発言があまりにもえげつないところは嫌だが・・・)番組としての”オチ”も奇麗についたし、まあ、最近のめちゃイケ企画の中では水準に届いていたのではないだろうか。それでも、全盛期の面白さの半分にも満たないとは思うが・・・

ともあれ、今週のめちゃイケは期待と結果が完全に逆となったと言えるだろう。


橋本繁久

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