Shigehisa Hashimoto の偏見日記
塵も積もれば・・・かな?それまでこれから


2003年10月10日(金) 変化球シナリオの妙味

ウルトラマンAの第52話(最終回)「明日のエースは君だ!」はウルトラマンシリーズのなかでとりわけ私の気に入っている作品である。いや、もう一歩踏み込んで、ウルトラマンシリーズの最も出来の良い一作と断言してもいいだろう。いとおしむ、そんな言葉がぴったりと当てはまる。

ここまで大見得を切るにはもちろん理由があって、市川森一が脚本を書いたこの作品は多元的な解釈が可能なほど物語の構造が複雑かつ精密に入り組んでおり、それゆえ鑑賞後には余韻が嫋嫋とたなびいて心に深く染み込んでくるのがとても味わい深いのである。私はこういういろいろな見方が出来る作品が大好きなのだ。

例えばヤプールの謀略にかかり、意を決してエースに変身した北斗星児の心中はいかばかりか。晴れやかだったのだろうか、それとも無念だったのだろうか。仮に晴れやかだったとしても、それは「御国のために」と言って散っていった第二次大戦の神風特攻隊員の悲劇性と同質のにおいが感じられ、従って「やるせない晴れやかさ」といった趣きがそこはかとなく漂ってくるのである。また、あれだけ北斗を非難しておきながらエースを必死に応援する子供達はどんな気持ちだったのか。単なるヒーローへの賛辞なのか、若しくは自らの贖罪のためだったのであろうか。作品を観る限り、ここらへんもぼんやりとしてはっきりしない。さらに、全ての戦いが終わってエースを見上げるTAC隊員達は隊長以外の全員が微笑んでいるのは何を意味しているのか。「終戦」を迎えて思わず漏れた安堵の微笑とも取れるし、見方を変えればあまりのことに顔が引きつっていたのだ、と解釈することもできる。あるいは全てを潜り抜けて虚空へと消えてゆくエースに向けた、慈愛の眼差しなのかもしれぬ。これもどの考え方が最良なのか判然としない。それに、「明日のエースは君だ!」というサブタイトル自体も意味深である。字面だけを見ればいかにも子供向けの陳腐きわまりない題名だが、改めて本編と照らし合わせてみるとこれはそうとうに暗示的であることが分かる。「明日裏切られるのはお前だ!」と言われているようなものだし、あるいは「明日義に死すのはあなたです」と脅されているようにも思える。とても怖い話なのである。

このように作品の細部をああでもない、こうでもないと空想するのはとても楽しいことなのだが、そういうことが出来る脚本を書くことはなかなか難しいだろう。こんな芸当は誰にでも出来るものではない。しかし、市川森一は決して力まずにいとも簡単に書き上げてしまっている。それは、市川が生粋の変化球脚本家であることを意味しているのに他ならない。

この作品のテーマを大雑把に言ってしまえば「人間の心を大事に」ということになるのだが、市川はテーマを直球で語ろうとしない。
物語の中盤で、北斗は「街は破壊されてもいくらでも建て直すことができるが、人間の心は一度踏みにじられたら簡単に元には戻らない」といった意味のセリフを吐いている。普通の脚本家なら以後のストーリーはこのセリフに沿って、「人間の心を大事にしようと努力する話」を書き上げてゆくだろう。だが、このひねくれた脚本家は人間の心を大事にするどころか徹底的に破壊し、蹂躙してそれまでのストーリーラインを完全にひっくり返してしまっている。しかし、それでもこの作品の基本テーマはあくまで「人間の心を大事に」のままで揺るがず、それどころかより一層に重い意味合いとなって画面に迸っている。ここにアウトローの脚本家・市川森一の真骨頂がある。テーマに対して、敢えて否定的な状況を描くことでかえってテーマが強く打ち出されてくるのだ。このような逆説的な構造はテーゼとアンチテーゼのバランスを巧みに書き分けなければシナリオとして成立しないが、市川は人物の心象風景をここぞというところであいまいに処理することで物語に対する多面的な考証を可能にしている。結果的にスルメのように噛めば噛むほど味の出る作品を創りあげるのに成功しているわけで、彼の力量にはただただ脱帽するしかない。


橋本繁久

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