Shigehisa Hashimoto の偏見日記
塵も積もれば・・・かな?|それまで|これから
2004年04月04日(日) |
単一メディアは正義じゃない! |
今週号のTVブロスに掲載しめし「これでいいのかドラマ最終回」。「プライド」の収録中、木村拓哉が故意ではないにせよ傷害事件を起こし、あまつさえ公的に謝罪しなかったことを痛烈に非難している。「一俳優やテレビ局だけの問題ではなく、このような状況にした日本国民全体の恥である」なんて大上段に構えすぎたコメントが笑いを誘うが、全体的な文の論調が「キムタク憎し」で塗り固められ、文章としてのバランス感覚が大きく欠けているのに反感が募った。へそ曲がりで天邪鬼な僕は、今回に限って大嫌いなジャニーズを擁護する。ブロスはキムタクがテレビで謝罪していないことをしきりに批判しているが、事故の当事者はキムタクと被害者の女性であり、この二人の間で何かしらの合意がなされているのならば外野の連中が四の五の言う道理は全くないのである。仮に女性が泣き寝入り状態に陥っていたとしても、骨は折れるが裁判を申し立てれば問題はない。事故を起こした責任と、それを公的分野に流出することを隠匿した罪でキムタクとドラマプロデューサーは然るべき罰を被るだろう。だが、裁判は多分起きないと私は見ている。おそらくジャニーズ事務所がケガの治療費と精神的な慰謝料を手厚く手厚く支払ってくれるからである。もしかしたらキムタクが1年に1回被害者宅に訪れる「キムタクケア」が行われるかもしれない。とにかくジャニーズ事務所にとっては、被害女性が事後処理に不満の声を挙げ、在野に向かって何らかのメッセージを発信するのが一番怖いはずである。我が世の春を歌うこの事務所が、その点において手抜かりがあるとは思えない。女性もなんらかの納得は既につき、告訴するような沙汰には発展しないと僕は考えている。 また、マスコミがこの事件を報道しなかったことについても僕にとっては理解の範疇である。まず、今のテレビ局がジャニーズ事務所と潜在意識的に癒着していることを踏まえなければなるまい。現在のテレビ界は殆んど暗黒時代である。お笑い芸人でさして面白いタマが存在しないから、「アイドルが本気で笑いを取る(つもりである)」という新味で勝負するジャニーズを手放すわけにはいかないのである。そんな状態の中でキムタクが手をついて謝る姿をメディアに流すことは、そのままジャニーズ本体の没落を公衆の面前にサラスことに繋がってしまう。「人気」などという脆い概念で商売している人達には、風向きが変わるような行動は死活問題に関わる。営利団体であるテレビ局がこのような自らの首を締める行為をするわけがない。ことこの事件に関してはテレビ局がだんまりを決め込むのが常道なのである。僕がこう考えるのは、正しい情報を汲み取りたいのならばひとつではなく複数のメディアに接する必要がある、という持論があるからだ。もともとメディアには構造的な自浄作用など存在しない。従ってバランスの取れた情報を得るには複眼的な視点を持たなければいけないのだ。ところが、ブロス側はそういう点を故意に見逃し、まるで自分が悪をくじく正義感の塊りみたいな気分でこの事件を批判するのが僕には奇妙に見えるのである。ブロスがキムタクに対して大きな態度を取れるのは、この雑誌がキムタクには相手されない故に、キムタク叩きをしても実害を被らない特殊な存在だからなだけだ。もし仮に、キムタクのインタビュー記事を載せるような雑誌だったらピクリとも動けないくせに、普段の恨みつらみではないだろうが、ここぞとばかりに鼻息を荒げて非難するのは非常に汚く感じる。メジャーを陥れ、マイナーを持ち上げるのはTVブロスの常套手段だが、こういう「体制に対して批判的な態度を取れば一般ピープルとは一味違う通人なのだ」なんて態度の方がよっぽど不正義である。無論、事件があったことを報道するのは構わない。メディアと規制に関わる問題は第二次大戦中の頃から手痛い過去を残しているから、何らかの情報機関からこういった報道が成されることは頼もしく感じる。ただ繰り返し述べているように、だからと言ってテレビでキムタクが謝罪することを執拗に要求するのは本来的に間違っており、その一点をたたくブロス側はどう見たって面妖なのである。私だってジャニーズ帝国が早く崩壊してくれることを祈っているのだが、その手段はこのようなゴシップによるものではなく、視聴者が自主的にジャニーズを捨てる流れでなければいけないのだ。そして、ひとつのメディアだけに触れていれば全ての情報が得られるなんて幻想を一刻も早く捨てさるべきなのである。
橋本繁久
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